2000/08/10 - 2000/08/11
16位(同エリア47件中)
SUR SHANGHAIさん
- SUR SHANGHAIさんTOP
- 旅行記919冊
- クチコミ6826件
- Q&A回答49件
- 5,827,133アクセス
- フォロワー234人
桂林のある広西壮(チワン)族自治区へはいつも誰かのお供。
どうしても行動が制限されてしまうので、いつももやもやと不完全燃焼だったSUR SHANGHAI。
この年の広西壮(チワン)族自治区は自分のための旅。
もう何度か参加した灕江の川下りはパスして、桂林市からバスに乗り、まずは程陽風雨橋で有名な三江、棚田で有名な龍勝のあたりを回ってみました。
龍勝各族自治県の中心、龍勝の町をこの訪問の拠点に決めたSUR SHANGHAI。
地図で見ると、桂林市からそんなに遠く見えない龍勝への道。
でも桂林市を出てしまうと、あとは曲がりくねった山道をアップダウンしながらバスは進みます。
この時は6時間くらいかかったかな。
朝出たバスなのに寝台バス。それも上の段で車窓からの風景無し。
転落防止の手すりは付いているけど、小さくて低い。
ただでさえ安全第一とは言えない運転と左右に振られる急カーブの連続。
おちおち横にもなっていられないけど、下の段に座ることも出来ない満員バス。
龍勝の町に着いた時は、按摩の揉み返しのようにあちこちギクシャクしていたSUR SHANGHAI…。
表紙の画像は、林溪河に架かる三江の程陽風雨橋
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
前日着いた龍勝の町から、今日は日帰りで程陽風雨橋のある三江へ行くことに。
龍勝の町からは朝早いバスで三江侗(トン)族自治県の中心、古宜鎮へ。
この時は2時間くらいかかったかな。
三江の中心、古宜鎮の町でバスを降りたあとは、バイクタクシーのおじさんと行き先・料金を交渉。
ついでなので、程陽の風雨橋以外にも馬胖の鼓楼も含めて朝から夕方まで100元くらいでした。
出発前にミネラル・ウォーターなどは買って行ったほうがいいですよ。
トイレらしいトイレも無いと思って行くのが○。
ペーパー、ウェットティッシュ必携。 -
最初に馬胖の集落にある鼓楼へ向かう。
林溪河の支流沿いには水田が続き、大小の水車が並ぶ。 -
これらの水車は観光用ではなく、水田に水を引くための実用。
-
ゴロゴロと回る水車。
羽根で上に運ばれた林溪河支流の水が、今度は樋を伝って画像奥の水田に引かれていく。
画像右下には水遊びをする子ども。
比べてみると、この水車の大きさが歴然。
これよりも大きな水車もありましたよ。 -
三江・古宜鎮の町から北へ30kmほど。
三江侗(トン)族自治県の馬胖の集落にある鼓楼。
高さ13m。
この鼓楼は、この辺りでは最も大きいのだそう。
侗(トン)族は、この一帯に住む杉の植林を生業とする民族で、その杉材を使った建築技術に秀でているらしい。これから見に行く程陽の風雨橋もこの馬胖の鼓楼もその技術を駆使して、釘を一本も使わずに建てられたのだそう。
どこの集落でも、その中心には杉の神を祀るという鼓楼がありました。 -
馬胖の鼓楼は小高い広場の上に建っていた。
離れて見ると、幾重にも重なった屋根がピラミッドのように見える。 -
馬胖の侗(トン)族の集落を見下ろす。
瓦屋根と杉材で造られたと言う民家が山肌に並ぶ。 -
イチオシ
三江・古宜鎮の町から北北東20kmほどの所にある程陽の集落の風雨橋到着。
程陽も、三江侗(トン)族自治県にあります。
これは車道側にある山をちょっと登った所から見下ろした程陽の風雨橋。下を流れるのは林溪河。
今見られるこの橋は1916年に造られたのだそう。
長さ70数m。
規模の大きいこの程陽の風雨橋は有名ですが、風雨橋はこれだけではなく、ここへ来る道筋を含め、周辺ではよく見かけました。 -
車道側から見た程陽風雨橋。
橋桁や瓦以外はすべてこのあたりで採れる杉材使用。
先ほどの馬胖の鼓楼と同じく、釘は一切使用しないで造ったと言うから驚き。
今はどうか分かりませんが、この時この橋を画像向こうに渡りきった左手に林溪河を前にした簡単な民宿がありました。
外国人も宿泊可ということで、「ああ、ここに泊まればよかった!」と思ったSUR SHANGHAI。 -
この時は水の少なかった林溪河に架かる程陽風雨橋。
バイクタクシーのおじさんには、ここでしばらく待っていて、と告げて、SUR SHANGHAIは橋を渡っていきます。
歩くとギシギシきしむ廊下のようになった橋の中には、一休みも出来るベンチも付いています。
そこでは、お土産品を手にした侗(トン)族のおばさんたちが待機中。
SUR SHANGHAIは、あとでポシェット型の小さい刺繍入りバッグを購入。十数元ほどの言い値で、値切るのに気が引けた。 -
車道側から程陽風雨橋を渡って右手に行くと、竹薮の中に建つ民家もあった。
さらに進んで行ってみると…、 -
…用水路や田んぼの向こうに程陽の集落と別の風雨橋が。
SUR SHANGHAIはもちろん行ってみます。 -
もう一つの風雨橋が近づいてきた。
水路に写る橋の影。 -
上の風雨橋を渡って、程陽の集落のメイン・ストリートらしい農道を歩いていくと、田んぼの脇に民家が続く。
これもやっぱり杉材で、釘は一本も使っていないのかな。 -
朝の農作業を一段落したらしいおじさんが、天秤棒を担いで家に帰るみたい。
この画像では見えにくいんですが、そのおじさんのお宅らしい家の軒先には白い字でスローガンが書いてあります。
一部消えかけてますが、SUR SHANGHAIの推測では
≪要譲紅旗飄万代,重在教育下一代!≫と書いてあるように思えます。
紅旗と言うのは革命の赤旗。
日本語で≪あかい色≫を表す≪赤≫の字は、中国語では≪紅≫になるので、たとえば日本では≪赤十字≫と呼ぶRED CROSSも中国では≪紅十字≫になります。
共産党のスローガンは、こんな辺鄙な集落にまで及んでいたのかと改めてびっくり。 -
水路に沿った程陽の集落のメイン・ストリートを、鍬を担いだ青服の侗(トン)族おばさんが歩いて行く。
これからお昼の休憩? -
こちらの侗(トン)族おばさんは、水路で洗い物。
今日のお昼に使う野菜かな? -
これからその小さい橋を渡って、家に戻るらしい侗(トン)族の夫婦連れらしい青服の二人。
あれ? 橋の向こうにコンクリート製の建物の角がチラリと見える。 -
程陽の集落の水路にも小さい橋が架かる。
風雨橋のようには楼閣は付いていないけど、屋根だけはバッチリ。
これは、来た方向を振り返った場面。 -
お昼時間で、和やかに静まり返った程陽の集落。
しばらくすると…、 -
…お昼ごはんを食べ終わったらしい子どもたちが水路に出てきた。
-
イチオシ
この程陽の集落でも、子どもたちの格好はもう町の子と同じ。
三江や龍勝の町で買って来てもらったのかな。
網を持って水路に集まり魚獲り。
どこか懐かしい、小学校唱歌に出て来そうな一風景。 -
アヒルの群れも水路を行く。
おばあちゃんの家があった田舎のよう。 -
このお宅の軒先にもスローガンが。
うんと長かったので、二枚に分けて撮った一枚。
もう一枚は目下行方不明。
ここにはやはり中国語の簡体字で
≪高挙毛沢東思想偉大紅旗奮勇前…≫まで写っていますが、このあとには≪…進≫と続いて、≪奮勇前進≫となります。 -
道端で出会った侗(トン)族おばさんたち。
お昼ごはんの後の一休み?
みんなピアスをしているなあ。
あれ、右のおばさんは白いTシャツ姿。
手に持っているのは、よく見てみたら哺乳瓶。
これからお孫さんのお世話ですか。 -
同じく程陽の集落。
左手の建物は大きいけど、村の集会にでも使われるのかな。
さらに集落の中を歩いて行くと…、 -
イチオシ
…立派な石敢当が立っていた。
(泰山)石敢当というのは、気の流れが直撃する村の入口、河の流れのそば、三叉路などに置いて、邪気が入り込まないようにする役目を持っています。
由来はよく分かっていないそうですが、中国・山東省にある泰山は古代から信仰の対象になっていたので、その名のご利益で魔除け・厄除けにされたとも言われているのだそう。
8世紀に福建省からその風習が始まり、その後は沖縄(琉球)にも伝わったのだとか。
この程陽の集落の泰山石敢当は、その上に邪気を追い払うような怖い顔も付いている。
舌を出して、突然現われたSUR SHANGHAIを睨む石敢当。 -
程陽の集落の民家を見て回る。
これも杉材なのかな。
あとから補修で付け足したような部分には釘も使われていましたが、立派に住居として使われていました。
もうこの集落にも電線が引かれていた。
軒先にその電線が見える。
軒から下がっているザルには穀物が入っているのかな。
鳥避け(?)の籠がかぶせられている。 -
鳥の巣だったらしい跡が残る程陽の民家の軒先。
赤や黄色のトウモロコシが窓辺に下がる。 -
この窓はあとから付け足したんだろうな。
その窓の上に≪萬福来朝≫と書かれた紙が貼ってある。
侗(トン)族は、元々自分たちの文字を持っていないらしい。
こういうお札のような紙にも、漢字で書いてありました。 -
民家がちょっと途切れた場所には溜池があった。
溜池そばの小屋は共同トイレ。
時々、この周辺の民家の人が来て、用足ししていました。
この池には人間の排泄物を餌にする魚がいるのかな。
これまで囲いの下にブタやヒツジがいるトイレを見てきたから、魚トイレであっても不思議は無し。 -
程陽の民家の納屋らしき建物の戸口にも、春節におめでたい言葉を書いて貼る春聯が。
左右の大きな物は風雨に曝されて剥げていましたが、残った二枚には≪六畜興旺≫と書いてありました。
家畜が元気に増えることを願う気持ちが見て取れる。
ちなみに≪六畜≫とは、鶏、犬、豚、羊、牛、馬だそうです。 -
程陽の集落を突っ切って出たのは車道脇。
バイクタクシーを降りた風雨橋から続いている道じゃないかなあ。
その車道脇では、侗(トン)族のお葬式が執り行われていた。
SUR SHANGHAIが立っている車道のこちら側には集落の人たちがずらり。
あ、だからさっき石敢当から先の道で出会う人が少なかったんだ。
お棺に色とりどりの紙を乗せようとしている場面。
カメラを取り出しても、誰も咎めないので、一枚撮らせていただきました。
お棺の左側の白服を着て白い布を頭に巻いて跪いている人々は、故人の家族だろうか。 -
程陽の集落をまた横切って、元来た道を戻る。
メイン・ストリートになっている農道の先に見えるのは、最初の一番大きい風雨橋の次に見た風雨橋。 -
また戻って来た、最初の大きな程陽風雨橋。
五つの橋桁の上に並ぶ瓦屋根の楼閣を見ると、やはりこれが一番見事。
日本の城や寺院にも似た風格。
本当に釘は使っていないんだろうかとあちこち見てみたSUR SHANGHAI。
侗(トン)族の人たちの建築技術に脱帽。 -
この風雨橋が造られたという1916年には、トラックやクレーンも無かったんだろうし、この山間の程陽の集落まで橋桁の石材、楼閣部分の瓦や杉材を運んで来るだけでも大変な労力だったに違いない。
-
バイクタクシーのおじさんは、辛抱強くSUR SHANGHAIを待っていた。
料金後払いにしたせいもあるんだろうけど。
三江・古宜鎮の町へ戻る道。
舗装が出来ていない部分の道。
こんな山の中でも事故は起こる。
修理する人、それを見守る人、バイクタクシーのおじさんが先にその箇所を走り抜ける。 -
イチオシ
三江・古宜鎮の町に戻る道筋で見た、別の風雨橋でも停まってもらったSUR SHANGHAI。
わ〜、これは今にも崩れ落ちそうに軒が波打っている。
向こうに見えるコンクリートの建物との対比。 -
その風雨橋も渡って、車道がある方向を見る。
林溪河を挟んだ両側は山が続く。
その斜面に並ぶ建物も見える位置。
このあとは三江・古宜鎮の町でバイクタクシーのおじさんに別れを告げ、またバスに乗って龍勝の町に戻ったSUR SHANGHAI。
明日は龍勝の棚田へと向かいます。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
★ちょっと昔の中国 2000年~2005年
-
★ちょっと昔の中国 広西チワン族自治区(1)三江の程陽風雨橋
2000/08/10~
三江
-
★ちょっと昔の中国 広西チワン族自治区(2)龍勝の棚田
2000/08/12~
広西チワン族自治区
-
★ちょっと昔の中国 広西チワン族自治区(3)風光明媚の陽朔、高田郷のあたり
2000/08/13~
陽朔
-
★ちょっと昔の中国 広西チワン族自治区(4、完)風光明媚の陽朔、興坪と金龍橋のあたり
2000/08/15~
陽朔
-
★ちょっと昔の中国 上海 南浦大橋を歩いてみた
2000/12/10~
上海
-
★ちょっと昔の中国 上海、朝の外灘(バンド)から人民広場へ
2001/04/26~
上海
-
★ちょっと昔の中国 広西チワン族自治区 貴州省への旅の前に
2001/07/28~
陽朔
-
★ちょっと昔の中国 貴州省(1)安順 黄果樹大瀑布と石頭寨のあたり
2001/07/30~
貴州省
-
★ちょっと昔の中国 貴州省(2)鎮遠のあたり
2001/08/02~
貴州省
-
★ちょっと昔の中国 貴州省(3) −鎮遠の町と人と
2001/08/04~
貴州省
-
★ちょっと昔の中国 貴州省(4)凱里周辺 (翁項、麻塘、青曼の集落)
2001/08/05~
凱里
-
★ちょっと昔の中国 貴州省(5、完) −凱里周辺 (排羊の集落と台江の町)
2001/08/07~
凱里
-
★ちょっと昔の中国 安徽省(1) −歙県と屯溪
2002/04/05~
屯渓
-
★ちょっと昔の中国 安徽省(2) −コン・リー主演映画『菊豆』の舞台、南屏
2002/04/05~
安徽省
-
★ちょっと昔の中国 安徽省(3、完)宏村、屏山、そして斉雲山
2002/04/06~
安徽省
-
★ちょっと昔の中国 山東省 −黄河断流直前の済南
2002/05/~
済南
-
★ちょっと昔の中国 青海省、甘粛省、寧夏回族自治区一人旅(1) −西寧郊外のタール寺へ
2002/06/05~
西寧
-
★ちょっと昔の中国 青海省、甘粛省、寧夏回族自治区一人旅(2) 青海湖へ
2002/06/06~
青海省
-
★ちょっと昔の中国 青海省、甘粛省、寧夏回族自治区一人旅(3)張掖と馬蹄寺石窟へ
2002/06/07~
甘粛省
-
★ちょっと昔の中国 青海省、甘粛省、寧夏回族自治区一人旅(4)万里の長城の最西端へ
2002/06/09~
嘉峪関
-
★ちょっと昔の中国 青海省、甘粛省、寧夏回族自治区一人旅(5) −武威の文廟と大雲寺へ
2002/06/10~
甘粛省
-
★ちょっと昔の中国 青海省、甘粛省、寧夏回族自治区一人旅(6) −武威の羅什寺塔と雷神廟へ
2002/06/11~
甘粛省
-
★ちょっと昔の中国 青海省、甘粛省、寧夏回族自治区一人旅(7、完) −西夏王陵と賀蘭山へ
2002/06/12~
寧夏回族自治区
-
★ちょっと昔の中国 浙江省 龍井村の茶畑巡り
2003/06/~
杭州
-
★ちょっと昔の中国 浙江省 烏鎮、南潯+嘉興のあたり
2003/06/~
浙江省
-
★ちょっと昔の中国 江西省古村巡り(1)景徳鎮から婺源(李坑、江湾、暁起)のあたり
2003/08/~
江西省
-
★ちょっと昔の中国 江西省古村巡り(2、完) 高嶺、東埠、瑶里のあたり
2003/08/~
江西省
旅行記グループをもっと見る
この旅行記へのコメント (2)
-
- ひらしまさん 2010/12/26 22:13:59
- 程陽 行ってみました
- SUR SHANGHAI 様。はじめまして。
以前にこの旅行記を拝見して、この村に泊まってゆっくり歩いてみたくなったのが、この夏ようやく実現しました。
SUR SHANGHAIさんがいらっしゃった頃に比べればきっと変わっているのでしょうが、素朴な農村のたたずまいは感じられて、北京や桂林とはまったく違う中国を見ることができました。
なにより、少数民族が自分たちの文化に誇りを持って暮らせていることが素敵ですね。
ありがとうございました。
ひらしま
- SUR SHANGHAIさん からの返信 2010/12/27 08:28:08
- RE: 程陽 行ってみました
- はじめまして、おはようございます。(*^。^*)
程陽のあたりまでいらっしゃったんですね。お疲れ様でした。m(__)m
以前はずいぶん遠い道のりだったような気がしますが、今では高速道路も通っているのかも?
私がこのあたりに行ったのはいつの事だっただろうと思って見てみたら、もう10年前のことでびっくり。
想い出の中の風景や人々は、昔のままで年を取りませんから、今再び行ったらその変化に驚くのだと思います。
日本でも、10年前の2000年と言ったら、PCはボツボツ、デジカメは普及以前の話でしたものね。
懐かしくて、戻って行きたい場所はたくさんありますが、時間による変化は見るのがちょっと怖いような気もします。
もうすぐ2010年もおしまいですね。
良いお年をお迎え下さい。
> SUR SHANGHAI 様。はじめまして。
>
> 以前にこの旅行記を拝見して、この村に泊まってゆっくり歩いてみたくなったのが、この夏ようやく実現しました。
>
> SUR SHANGHAIさんがいらっしゃった頃に比べればきっと変わっているのでしょうが、素朴な農村のたたずまいは感じられて、北京や桂林とはまったく違う中国を見ることができました。
>
> なにより、少数民族が自分たちの文化に誇りを持って暮らせていることが素敵ですね。
>
> ありがとうございました。
>
> ひらしま
>
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ ★ちょっと昔の中国 2000年~2005年
2
39