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【危険情報共有】ジョージアで不同意性交被害(強制)にあいました
投稿日 2025年10月11日
総合評価:1.0
私はアゼルバイシャンのバクーよりジョージアのトビリシまで陸路で目指していました。
バクーからバラカンという国境の街までは列車、駅から国境まではタクシー、国境は徒歩、国境からシグナギまではタクシー、シグナギからはマルシュでトビリシの計画でした。
列車などはビジネスにするなどして、万全の安全対策は講じていましたが、日中時間帯にタクシー運転手がそのような行為に及び、さらに山の中に車を停めたのであれば防ぎようがありませんでした。
大使館公開情報はこちらです。
https://www.anzen.mofa.go.jp/od/ryojiMailDetail.html?keyCd=160426
強姦被害にあった状況や、その後警察がどのような対応をし、拘束したかをお知らせします。
被害日時:2025/09/16 午前11:00頃
被害内容:強姦 傷害 携行品破損
加害者: 50-60代男性 太っている 短髪 グレーのTシャツ 黒のスエットパンツ メルセデスベンツの車両 タクシードライバー
被害場所:ジョージア シグナギ(41.6214175, 45.9360500)
状況:私は9月15日の夜にアゼルバイジャンのバクーから、ジョージアのトビリシに夜行列車やタクシーなどを利用して移動をしていました。2国間の国境は、アゼルバイジャン側がBalakan、ジョージア側がMatsimiという場所です。
ジョージアに入国し、シグナギまでタクシーで移動しました。
タクシーの運転手は上記の加害者と同じ男です。
タクシー運転手は私に助手席に座るように言いました。
タクシー運転手は出発して40分ほどすると、集落と集落の間の周囲に何もない道に来た時、私の左上腿を触り始めました。
私はスカートを履いていたため、素肌を直接触られました。
やめて欲しいと言いました。最初は素直にやめてくれましたが、そのうち力ずくで何度も触ってきました。
上腿から鼠蹊部に手が入り、下着の中まで手が入り込んで性器を触られました。
こちらも精一杯抵抗しましたが、大柄の男性の力には逆らえないこと、どこかもわからない場所で、殺されてしまうのではないかと思い、相手を激昂させないようにしながらやり過ごしました。
男は私の胸を揉んだり、私の左頬にキスをしてきたりしました。
胸を揉む時に服を破られたりしました。
時折急に道端で車を止めて、男はスボンをめくり陰茎を露出させ、私に口淫するように脅しました。
そういったことが何度か続きました。?最後シグナギに向かう直前の山道で、車は脇道へと入って行きました。?その山中で車を止めて、男は再び口淫するよう迫ってきました。
私が本当に嫌なそぶりを見せると、男は私の髪を掴んで引っ張り、無理やり顔に近づけられました。
それでも抵抗すると、男は運転席からおり、助手席に回って、私を引き摺り出して、後部座席に押し込みました。
私は勢いよく後部座席に押し倒されました。その時に後頭部を強打しました。?引きずられた時に、足を擦りむき、両足を強く握らせ痣になり、、無理やり両足を開かれ下着を下ろされて、挿入され不同意性交被害(強制)されました。コンドームなどは持っていなかったようで、何も装着せずに挿入されました。
挿入したものの車の中が狭かったため、男は満足できなくなり、私に手淫で終わらせるように迫りました。
おおよそ10分ぐらいの事だったと覚えています。
男は不同意性交被害(強制)を終えると、私の下着を奪い取っていきました。
それを終えると、私を助手席に戻るように言いました。
この被害にあった場所は上記の被害場所で書いたところです。
その時に履いていた下着は、血液が付いていることを懸念したのか犯人が奪い取って行きました。
その後、男は誰にも言うなと身振り手振りで私に念押しし、シグナギまで私を連れていきました。
9/18に日本大使館に相談をしたところ、最終的にはジョージアで被害届を出すのは難しいというような趣旨の回答をもらいました。?その上で、保険会社と相談し、被害届なしでも大丈夫か?聞いたところ、ない場合には保険金が支払われないと説明を受けました。?ひとまずその旨を日本大使館に返信すると、大使館からの代理通報という形で結論に達しました。?
9/19に******されたことを、たまたま現地で知り合った日本人に相談したところ、相手がどんな病気を持っているかわからないから、すぐに病院に行くべきだと言われました。
9/20土曜日に保険会社から手配してもらった、Mediclubジョージアを受診しました。
15時ごろ病院に到着して、受付では保険金のやり取りで少し手間取りましたが、1時間ほどで診療が始まりました。?しかし、担当した医師は何があったのか私から事情を聞き、******だと説明すると、医師は診療を止め、警察に通報してと看護師に伝え、私は拘束が開始されました。?その後、******された人が法的に行う検査を行うと説明され、衣類を全て脱ぐよう言われて、身体の傷の確認、股間部周辺傷の確認、体内の検査、さらにHIVなどの感染症や薬物の使用の有無を調べるため、血液検査や尿検査などが行われました。?また胃の内容物を調査するため、わざと具合の悪くなる吐き気を催す薬を飲まさせられました。その日は朝から何も食べていなかったため、吐瀉物はありませんでしたが、医師は納得したようです。
総合的に警察のための捜査情報提供といった内容で、ケガについては全く治療もされず腹立たしい思いでした。?
20時ごろ、病院から通報を受けた警察官3名と通訳(日本語ージョージア語)が到着しました。?そこで事情聴取が開始され、どのように******されたのか、タクシーのルート、相手の男の人相などを詳しく話しました。
警察官は私の証言から周囲の監視カメラの映像を速やかに入手し、2-3時間後には私がタクシーに乗っていたことがわかる映像を探し出し、運転した男を捕まえ、車両を押収した画像を見せられました。?旧ロシアの操作能力の高さに感心して、これで書類を受け取って終わりかなと思っていたら、絶望的なことを伝えられました。?通訳からこの先あなたは捜査に協力をしなくてはなりません。?これが無理というなら、ジョージアでは大問題になります。逮捕されるかもしれません。と言われました。?こちらは被害者です。何かの冗談かと思いましたが、相手は本気のようでした。?これからあなたを警察病院へと連行しますと言われました。
すでに時刻は午前2時でした。?体調が元々悪かった上、そんな時間からさらに警察病院は無理だと懇願すると、病院側から、靴や服を押収して当院に入院させるのはどうか?と打診がありました。?あまり気乗りはしませんでしたが、一度病室を見に行くと、大部屋で環境も悪かったため、これではより具合が悪くなると思い断りました。?最終的に相手も深夜で眠くなっており、ホテルから一切出ないで9/22に警察病院に行ってもらう。この約束は守ってもらうと言い、ホテルに帰っていいことになりました。?
9/21 ホテルに着いたのは9/21の午前3時ごろでした。?当日に発行された診断書には、全治何週間などの記載が全くなかったため、9/21の日中にはその確認作業を行いました。
保険会社には、紹介した病院の暴走で、同意もなく警察に通報したことや、傷に対する手当てを一切行わず、死ぬこと以外はかすり傷と根拠もない言葉を投げかけてきたことに抗議をしました。?また、日本の警察に******被害について問い合わせを行いました。?被害届は日本で出せないのか?(O府警OK K県警NG)などについてです。その際に警察病院でどのようなことをされるかも聞きました。
9/22は午前11時ごろトビリシ北部の警察病院へ行きました。
あまり気乗りはしませんでしたが、行かないと何をされるかわからなかったので、行きました。?警察病院では通訳、警察官3名、医師3名の合計7人がいました。?全て男性でした。
男性から******をされたというのに、今から行う医療行為か検査行為は全て男がやるのかと、あまりの配慮のなさに愕然としました。?
あらかじめ日本の警察で聞いていましたが、だいたい同じようなことが行われました。?まずは状況の説明を求められて、身体傷の検査、注射後の検査、目や鼻、口、耳に異常がないかの検査、そして検体として通訳以外の全員が見ている中、そして証拠保全のために録画している環境下で
?尿検体の採取
目の前で出してください。拒絶した場合は場合によってはあなたを眠らせて、カテーテルで採取します。と説明されました。おそらく薬物検査だと思われます。
?体内の確認のため内視鏡の挿入と相手の検体の採取
もうかなりの時間が経っているので、やる意味があるのか?と思いましたが、従わないとどうなるか同じような説明を受けたため、従いました。
やはり男6人が関与し、さらに録画まで実施される中、私は検査用の椅子に乗せられて、まず大型の綿棒を何回か挿入されました。?その後ジェルのようなものを塗られて、検査用の器具を入れられ内視鏡を操作していたようでした。耐え難い痛みにただ歯を食いしばって耐えるしかありませんでした。
?相手の陰茎の大きさを確認するための模型の挿入
被害程度や受傷の状況、申告した被害を客観的に裏付けるためと説明されました。?被害者は2度も3度も******される、セカンドレイプというのはこういうことだと身をもって体感しました。
******された時に、相手の陰茎がどのような大きさ、形、長さであったかなど正確にはわかりませんし、思い出したくもありません。
従わなければという脅しが繰り返され、黙って従いました。
サイズを聞かれ、わからないものにこのサイズですとは答えられません。
?の検査から適合するものを適当に選び、私に検査台の四つん這いになるよう言われました。やはり男6人の関与がありました。
先ほど同様ジェルのようなものを塗られて、模型が挿入されました。??の検査よりもより太く大きく長いものだったように感じました。?あまりの痛さや、絶望感に私は堪えていた涙が流れてしまいました。?しかし検査は当然終わるわけでもなく、こちらのことはお構いなしに奥深くへと挿入しました。?あまりに力強く押し込むので、ちぎれたのではないかと思いました。?一度でやめてくれるものだと思ったら、それが試運転だったようで、別の大きさのものを何度か交換して試されました。?あまりに惨たらしい検査に、途中で目の前が真っ白になりました。?何度か試した後、もう台から降りて良いと言われました。?ジェルで濡れたお尻を拭くようにトイレットペーパーを手渡されました。?そのトイレットペーパーは真っ赤に染まり、出血していたようです。
何度拭っても血が出続けていました。
私は自分の持っていたポケットティッシュをパンツに敷き、どうにか対処しました。?私の顔が涙や鼻水でぐしゃぐしゃになっているのをみて、申し訳なさそうに痛み止めにと錠剤を渡されました。?ただ先日の病院の一件があるので、どうせ吐くための薬だろうと思い拒否しました。その薬については飲まなくてもそのまま済んでいきました。
その時に気がついたのですが、その検査室には外に向かって窓があり、窓の外は敷地内とはいえ人が通れるところでした。?なので、外から丸見えのところでこのように痛ぶられていたのだと思い本当に悲しくなりました。
一応塗り薬は出します。と言われ、それをもらい警察病院での検査は終わりました。?検体が上手に採取できていなければもう一回後日採る、あとお尻の傷はこちらでもう一回見ますと言われたので、後日また来院することが決まり本当に気分が落ち込みました。?
その後私は拘束され、警察官と通訳と共に、シグナギの警察署まで連行されました。道中は急いでいるのかサボっているのかよくわからない運転が続き、車を走らせるときはパトカーなのをいいことに一般道を160km、高速道路を200km以上の速度で危険運転をしながら、急ブレーキをかけたりしました。そこで何度も頭を打ち付けましたし、元から悪かった体調がより悪化しました。運転しながらスマホ操作は当たり前、タバコはお構いなしに吸う、せめて窓ぐらい開けてほしいと頼むと「寒いから」と断られました。??連行された警察署で、刑事部長と思われる人物に会い、この後のスケジュールについて教えられました。?それはこれから現場検証に行き、逮捕した犯人と面会し(マジックミラー越しに3人から1人選べというやつ)、私のほうの証拠品を押収するという内容です。
そもそも被害者なのに、なぜこのような取り扱いをされるのが、上記の検査も一切同意書を取らずに行なっており、不当な扱いではないか?と聞くと、ジョージアではそういうことになっていると説明されるばかりでした。?被害者に対する人権意識の欠落は著しく、さらに捜査と称してもう一度傷つけられ、さらに証拠保全のため動画に撮影されるというのは、人を人として見ていないのではないかと思います。
再び警察官と通訳と共にパトカーに乗り、私が最初にタクシーに乗った場所まで行き現場検証を開始しました。?タクシーでは平均で90分程度かかる50KMほどの距離ですが、やはり先ほど同様の運転ですのでわずか半分の時間でつきました。??まず最初に乗車した場所で、その位置を指し示し、その様子の写真を撮影されました。
次に、男が車を止め、私に口淫を迫ってきたという2箇所の場所で同様なことを行いました。?最後は、ついに強姦を受けた場所に行きました。?つい先日、酷い目にあった場所に、また戻ってくることになり、全身に鳥肌が立ち悪寒が走り、目眩がしてきました。?周囲はもう薄暗くなっており、また同じような目に、昼間あれだけの目にあったのにまた同じ目に遭うのではないかと本当に怖かったです。?それでもなんとか写真の撮影を終えて、シグナギの警察署に戻りました。?戻る車の中で、シグナギは別名ラブシティと言われていると説明されました。?この町では結婚するためには10分もあれば十分だと。?私から言わせれば、その倒錯した考えが今回のような強姦被害を誘発している原因なのではないかと、大きな違和感を感じさせる印象深い話でした。
警察署に戻りしばらくすると犯人の確認を行うと説明されました。?気乗りは全くしないものの、これまでの中では割と負担の少ないものかと思っていました。??刑事ドラマでもあるようなあかりの消えた部屋から窓越しに3人並んだ男の中から1人選ぶのですが、あまりに拍子抜けで真ん中の1人に間違いないという状況でした。明らかに両脇は刑事です。
5秒ほどで確認が出来たので、この男です間違いありません。と説明しましたが、どうもそうではないようです。
向こうの説明ではこの男の一生を決めることだからよく見ろ、と迫ってきます。?私は犯人同様、両脇を押さえられて男の顔の細部まで確認させられました。?正直、******をしてきた犯人の顔など、詳細まで記憶の中に留めてきたくないので、細部を説明しろと求められても困ってしまします。?髪の毛はどうだ、目はどうだ、鼻はどうだ、口はどうだ、顔の形はどうだ、瞳の色はどうだ、眉毛の色や形はどうだ、髪の毛はどうだ、耳の形はどうだ、喉はどうだ、体型はどうだ、と捲し立てます。?その上、説明は両脇の2人と比較してどうだというような言い方ではなく、あなたでしか知らない情報で、あなたの言葉で説明しろ言われます。?そんなのどうやってやれというのでしょうか?
さらに何%の自信があるか聞いてきます。?ここで下手に90とか答えると、碌なことになりませんので、はっきり100と答えたところ、なぜ100かと追い詰めてきます。
心の深層部分に大きなダメージがあったのか、あまりに犯人の顔を長く見続けたせいで、私はその部屋で倒れてしまいました。
その後は救急隊員が呼ばれたようで、簡易的な治療が施されていました。
そのあとは、これ以上はもう無理だと思われたのか、証拠品を押収されて、また再びパトカーでトビリシまで連行されて、再びまた連絡するので、ホテルから出歩かないように言われこの日は終わりました。
ついた時には日付も変わり9/23になっていました
9/23は診断書の件が気になり、保険会社及び大使館問い合わせたところ、発行されているとのことで、Mediclubに行くことにしました。さらにMediclubは処方箋も出していないため、そちらをもらいに行きました。
ところが、病院に着くと書類は一切準備されておらず、また明日来て欲しいと言われてしまいました。?
9/24は前日にMediclubに書類を取りに行くように言われたので、昼過ぎに再び行きました。しかし保険請求に必要な情報の記載は行わないようで、話になりません。?また私は帰国のために予約していた航空便を諦めざる得ない状況です。?保険を使って新たに航空券を用意する場合、Fit to fly letterという書類が必要のようです。これも必要のなことを説明して、もらえるまでは帰らないと伝えると、病院側は大使館に連絡するといい始めました。?大使館側には、この病院がやったことを全て伝えてあったので、では行きますと言っていただき、すぐに2名駆けつけてくれました。?大使館員2名、医師、事務長、事務員、私で会議しましたが、医師は頑なに必要事項に記載を拒絶、事務長も態度を硬化させました。?さらにFit to fly letterに関しては、こんなものは書かない、******されたことと帰国に関しては何の因果関係もない、今すぐ死ぬわけでもなし、帰りたければ好きな時に帰れと取り合う気が全くありません。あくまでも保険の手続き上必要なものだと説明してもそれは私の仕事ではないと言いと言われました。?��その後大使館員に気になっていたことを確認しました。?警察に預けた証拠品の行方です。
もうここまで酷い目に遭ってるのであれば、今すぐ証拠品を取り返して帰ろうと思ったからです。?そうしたら、予想もしていないこと聞かされました。
「明日、シグナギの裁判所で裁判が行われると先方は言ってますが、ご存じでしたか?」
絶望感で言葉を失いました。?被害者が起訴される国があるのかと、いろんな憎しみの感情が溢れ出てきました。
幸い証拠品の場所も聞き出していただき、向かいました。
ところが、その伝えられた場所に行くと、ここにはないよと雑にあしらわれます。?もうこの時にはジョージアに対して憎しみの感情しかなかったので、強い口調で迫り、今あるところ教えるよう抗議しました。
向こうも観念したのか、場所を確認して、住所を書いたメモを放り投げてきました。??
その場所に移動している最中、警察の通訳から電話がかかてきました。
明日裁判をするからお願いします。?拒否したら、大問題です。牢屋行きです。出来ますか?
あまりにも一方的です。?この通訳の方は日本に来たことはないけど、日常会話レベルで日本語ができるすごい人です。?だからこそ、この出来ますか?と迫ってくる口調は、はいと答えざる得ないのをわかっているからです。?私は抗議のため、今まで散々な目に遭わされてその上裁判いかけるとは何を考えているのか、もうあなた方には関わりたくない。さようなら。と電話を切りました。?証拠品さえ回収できたら、トビリシの空港に向かってどこでもいいので逃げようと考えていました。
残念ながら証拠品はその場所にもありませんでした。?その場所は警察庁の本部のようなところで、そもそも一般人が立ち入るような場所ではなく、ひとまず警備をしている軍人に事情を話しました。
何があったか、******された日からのこと話をしたところ、真剣に聞いてくださりました。
自分の口で詳細にジョージア人に話したのは、これが初めてのことだったので、自分のされたことがあまりにも酷すぎで、話している時にみっともなく泣いてしまいました。
軍人は非常に同情してくれて、場所の所在を確認する。だけど物がここにあったとしても返せない。君が無理に取り返そうとしたら、持っている銃を使わなくてはいけないし、私はそうしたくない。
だから場所は教えてあげるし、ここにあるなら、何とか信じてもらえるように工夫するから、少し待ってて欲しいといい、調べてくれました。??戻ってきた軍人は、本当に申し訳ないんだけど、君が預けたシグナギの警察署にまだあるね。そもそもシグナギで預けて数日でこっちに転送されるとは思えない。?レファレンスNo.で調べてるから、間違い無いよ。と言いました。?
嘘を言っているようには思えなかったので、対応してくれた軍人には礼を言い、ホテルに帰りました。?
9/25 この日は朝早くに出なくてはいけない状況だったので、ホテルには早い時間に延泊の申し入れを行いました。?すると、ホテル側が非常に申し訳ないが、当ホテルとしてはちょっとこれ以上は泊まってほしくない。と言われました。?事情までは知らないだろうし、説明するのもおかしいので、大人しくチェックアウトの手続きをしました。?警察と合流し、パトカーに案内されました。?前回までの様子とは異なり、後部座席に1人放り込まれてロックされました。?完全に犯人扱いです。
とはいえ逃げないようにしているだけで、私物はそのままでしたので携帯電話はさ触ることができました。?この時に、やっと自分の置かれている立場がわかりました。?被害者ではなくて、ジョージアで******をされた、ジョージア人を犯人にした、ジョージアにとって悪の存在なんだということです。
今までの酷い人権侵害、このような不当拘束でもうこのまま殺されてしまうんじゃ無いか本心から思いました。?******された時に、抵抗しなかったのは相手が殺してくるかもしれないからです。?生存可能性を少しでも上げるためには無抵抗は鉄則です。?たとえ******だったとしても、生き残るための可能性を少しでも上げるためなら無抵抗しかないのです。
保険の観点からも、抵抗して殺傷された場合、おそらく死亡保険金は受け取れないでしょう。?それは被保険者が闘争行為をしたためと、後からいくらでも言いようがあるからです。?だからこそ、死の淵の追い詰められた人は、逃げる選択肢がなくなってしまった状況では、無抵抗以外の正解がないと思います。
しかし状況は絶望的です、このまま殺されて何らおかしく無い状況です。
そこで、外務省の法人保護課にまず遺書の送付について知らせました。
初めて我が身に危険が差し迫っていますか?の質問に、はい殺されます。と答えました。
外務省の法人保護課もこちらの切迫した状況を汲み取ってくださり、ギリギリの交渉を試みるので、どうか気を強く持って欲しい、全力でサポートします。と答えていただきました。
在ジョージア日本大使館には遺言を送付しました。?初めて海外で殺された時のお金のかかる費用について考えさせられました。?自分の遺体を返してもらえるのか、返してもらったらそのまま日本に運ぶのか、こちらで火葬するのか、遺体の搬送費用はどれぐらいか、親が迎えにくる必要があるのか、その費用は保険で賄われるのか、死亡保険金、救援者費用を調べてまとめていました。?その文章を打っていた時に、ほんとうに自分のいのちはここで終わってしまうんだと、涙が溢れてきました。
これまでもこの件で何度も泣かされてきましたが、もういよいよ殺されるのか、一方でこのような拷問が遂に殺害という形で終わってくれるのかと、複雑な感情がごちゃ混ぜになって、腹の底からの呻き声を出して泣きました。
午前10時半ごろシグナギの警察署に到着し、前回までの警察とは違い、検察に連れて行かれました。?そこでまず私は証拠品として押収された物を返して欲しい、それを返してもらったらここから立ち去ると伝えました。?検察は、そんなことはできないし、裁判に参加する意思があるからここにいるのではないか?協力をするつもりはないのか?と聞きました。
私は、協力はしないと言ってるし、直ちに返して欲しいと伝えました。
検察は、あなたを逮捕して牢屋に入れることもできるし、私たちは銃を持っている。協力してくださいと答えました。
私は、よくその言葉耳にしていますが、本当にできるんですか?と聞きました。
検察は、協力してください。その後あなたの証拠品はお返しします。
そういったやりとりがあり、その後場所を裁判所に移しました。
そして、午前11時30分ごろ、私にとっては初めての外国での裁判が始まりました。
この裁判の記録は発行されましたので、別に書類があります。
冒頭で、ドラマでしか見たことのないような宣誓が求められます。
全知全能の神イエスキリストに誓い、 この裁判での証言は何一つ包み隠すことなく全て真実を話します。
というものです。
ここで私はこの宣誓を拒絶しました。
あくまでも証拠品を返してもらい、立ち去るのが目的であって、いかなる宣誓もこの場では行わない。
こう伝えました。
すると裁判長から、裁判の進行の妨害は、法によって逮捕、勾留、刑の執行がなされます。速やかに宣誓を。と答えられました。
私はこれこそがチャンスだと思いました。
今まで散々その脅し文句を使ってきました、実際にそれをする気があるのかは疑わしいところでした。
なので私は、どうぞいかようにでも。逮捕、勾留、刑の執行、いずれも甘んじて受けます。何度もそう説明されてきたので内容を正確に理解しています。私はジョージア法を尊重します。と言いました。
裁判長からは、一時休廷。と伝えられ、検察側に指導がなされていました。
そして検察官に、どうぞと両手を合わせて差し出すと、
検察官は、気まずそうに、わかりました。あなたの証拠品は、必ず返します。
お願いです。私は手錠も持っていないし、あなたを逮捕することができないんです。裁判を続けてください。と言いました。
私の両脇にいる警察官を見ました。
ニヤリとわらい、肘でこづいてきました。
彼は当然手錠も銃も持っています。
つまり、あくまでも脅し文句の例文というだけで、実際にそのようなことができる法的根拠や条文が乏しいのでしょう。
これはもはや証拠物の返却は確定だと確信しました。
そのあとは裁判が再開され、特に滞りなく進みました。
一度腹を割って話しているので、話は通じやすかったです。
概ね、いかように******されたかという説明が主な内容でした。
少し踏み込んで、あなたは******という究極な状況にもかかわらず、相手に対して一切反撃していないし、防御した傷も少ない。なぜですか?と聞かれた時に、
生き残るため、生存可能性を極限まで上げるのは、無抵抗に徹することです。
相手が人だと思うなら。人は反撃をされたら、それ以上の反撃をします。?その繰り返しで暴力はどんどん強くなって、最終的にどちらかが死ぬまで続きます。?最大の反撃は、無関心です。
加えて、2008年ルーマニアでの女子大生が殺害された事件、2013年にトルコでの女子大生殺人事件、2013年のエクアドルでの夫婦殺傷事件を説明し、私がこの******事件で、死亡し、******殺人事件として名を連ねないよう、精一杯の勉強をした上での結果だと説明しました。
どういった結果になったとしても、日本に帰ったら私は社会的制裁を受ける。
自己責任だ、自業自得だ、当然だ、天誅だ、ざまあみろと、名も知らない第三者から憎しみの石礫を全力でぶつけられる。
それが日本という国の他人を受け入れる生き様だ。
言い返すには、、、生きて、、、帰らないといけない。
このように伝えると、文化の違いはあれど、一定の納得感を得て、最後の質問に移りました。
あなたのこの犯人を厳罰にしたいですか?
私は、この犯人の将来に興味はありません。と答えました。
ではなぜ今までこうやってきたのですか?と続けたので
私はこのように訴えられることを何も望んでいない。
保険会社が手配した病院で医師が暴走して、警察に通報し、そこからあれよあれよいう間に今日裁判だ。日本には全く帰るめども立たない。
誰が幸福になってるんだ?私はこれ以上のジョージアの内政に関与はできない。
ときっぱり回答しました。
すると、裁判長はもうこれ以上は続ける意味がないと感じ取ったのか、閉廷を宣言して終了しました。
時間は2時間以上過ぎていたと思います。
その後場所を検察庁に移し、書類の手続き移行しました。?何一つ同意書をとっていなかった点が、問題視されて、今更書類を作ってきたのですが、証拠品の返却が先だというと、あっさり返してきました。
その後は書類にサインを行う作業ばかりで、夜22時までかかったものの、全て何とか終わり、トビリシに帰ることができました。
道中、通訳はもう完全に私への興味が失われて、一切話しかけてきませんでした。
これはこの事件において、私はもうお役御免になったことを意味しています。
あからさまな無視がかえって助かるケースでした。
自分の命がまた再び延長されたと思うと、本当のほっとしました。
9/26 トビリシに帰ってきたのは0時を回っていました。
チェックアウトしたホテルまで送迎され、そこで通訳から「さようなら」と言われて別れました。
日本語でさようならは「もう2度と会うことない、永遠の別れ」を意味しますから、これで全ての終わりを意味しています。
車を見送り、ホテルで荷物を引き取りました。
受け取る時にホテルの人から、もしかしてあなたって、シグナギで事件に巻き込まれた人?と聞かれました。
なんで知ってるんだと恐る恐る聞くと、なんとニュースになっているそうでした。
マネージャーもこの時間まで残っており、ホテルを追い出すようなことをして申し訳なかったと謝ってきました。
ただもうその日は別をとっていたので、またいつか機会があれば本心からよろしくお願いします。と言い、ホテルを離れました。
その後向かったホテルは、一度泊まっているホテルだったので、すでに警察の調査が入っており、泊まるには少し抵抗感がありましたが、もう問題は解決してるのでいいだろうと思い止まりました。?実際のところ、警察が捜査してるという点だけ一人歩きしており、かなり嫌がらせを受けました。
この日の日中は、保険会社から「今の体調をもう一度診断して、改めて書類を作る」という内容のメールが来ていました。
この病院が全ての元凶なので、何言ってるんだよと思い一度断りましたが、一方でこのあとジョージアを普通に出国できる見込みのないので、念の為病院に行くことにしました。
しかし相変わらず病院は同じ態度で、書類は作らないの一点張り。
全く話になりませんでした。
この国でのこれ以上の医療は期待できません。
なにしろ患者に、あなたを診療する気はない出ていきない。といい、警備員、警察を呼んだからです。
9/27
朝チェックアウトの際に、苦情を申し立てると、逆にあなたは警察にマークされてるけど、それは終わったのかしら?と逆に畳み掛けてきました。
つまり嫌がらせをしているのは間違いないわけなので、先日発表になったニュースと、裁判の記録を全部見せて説明しました。
さて、どう出るかと思いましたが、流石に******された被害者をさらに攻撃すると、問題が大きくなりかねないと判断され、速やかに謝罪されました。
実際かなり本格的に調査したようで、自分の行っていた料理店も調べられたようで、再び顔を出すと、訝しげな顔して、それ食べたらすぐ出ていってくれと言われました。
被害者であれ加害者であれ、この国で関わりを持ちたくないというのが一般的なようです。- 旅行時期
- 2025年09月
- 利用目的
- その他
- コストパフォーマンス:
- 1.0
- 2週間も帰国が遅れました
- 利便性:
- 1.0
- 生命の危機にさらされます
-
投稿日 2015年09月03日
-
投稿日 2015年09月01日
総合評価:5.0
家族旅行で2015年7月に宿泊しました。
公式サイトより予約。
ウェルカムドリンク フルーツ付きで555SGDでした。
蟻が部屋の中まで入ってくるので、コーヒー紅茶に砂糖を入れて飲んだり、フルーツの屑の処理はその都度バトラーに処理を依頼する、もしくは外に捨てるなどしておいた方がいいです。
これは、昔からあるホテルなので仕方の無いことです。逆にシンガポールで蟻を見たのは珍し体験でした。
チェックインは時間がかかると聞いていたものの、割とスムーズに入ることが出来ました。
ホテル売店ではお土産にキーチェーンとカクテルグラス、ビールグラスを購入しました。- 旅行時期
- 2015年07月
-
投稿日 2015年08月31日
総合評価:3.0
イランでは国際クレジットカードを利用してATMで現金調達する事はほぼ不可能です。
米ドル現金、又はユーロ現金からの両替が必要になります。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
この国では公定レートでの両替商つまり銀行と一般的に闇両替(闇レート)での両替が平行してあります。
この2つの乖離はおよそ1.1倍程度で、あまり店を選ぶ必要性は無いかもしれません。
闇両替というか両替商はどこでもあり、2015年7月後半のレートは1USD=33000レアルでした。
カタールのドーハから空路で行きましたが、テヘラン空港の出発フロアで両替(結構良いレート)が可能です。- 旅行時期
- 2015年07月
-
投稿日 2015年08月31日
総合評価:3.0
ウズベキスタンでは国際クレジットカードを利用してATMで現金調達する事はほぼ不可能です。
米ドル現金、又はユーロ現金からの両替が必要になります。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
この国では公定レートでの両替商つまり銀行と一般的に闇両替(闇レート)での両替が平行してあります。
この2つの乖離はおよそ1.5-2倍程度で、この2つの両替をうまく使う事で、ウズベキスタンの旅行が一段と楽になります。
闇両替をする人間そのものはうろうろしていますが、安全上キャッシュを持っていそうな店で交渉する方が楽かもしれません。2015年8月前半のレートは1USD=4550マナトでした。
トルクメニスタンのダシャグスから行きましたが、干渉地点のタクシーで両替が可能です。
基本的にウズベキスタン通貨の持ち出しは厳禁ですから、事前に手に入れても入国時の申告書には書かない方が賢明かと思います。- 旅行時期
- 2015年08月
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:1.5
タジキスタンからイシュカシム村から入国できる、アフガニスタンのイシュカシム村(Eshkashem)ですが、金融機関はなくATMももちろんありません。
事前に充分な米ドル現金(すべての券種をまんべんなく)用意する必要があります。
また米ドルで支払う場合相手におつりの用意はありませんので、その額面通りを用意する必要があります。
国境から村内までのタクシーは20ドル。ヒッチハイクには1-2ドル程度のお礼が好ましいです。
アフガニへの両替はバザール内で可能です。レートはおおざっぱな計算で、こちらから言わないと端数を切られます。
タジキスタンソモニでも支払いは可能ですが、この場合もおつりは返してくれません。
お金そのものを消費する場所は多くありませんので、1日5−10ドル分あれば充分かと思われます。- 旅行時期
- 2015年08月
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:2.0
トルクメニスタンでは国際クレジットカードを利用してATMで現金調達する事は不可能です。
必ず米ドル現金が必要になります。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
両替商も一般的には多くなく、見つからなかった場合、キャッシュを持っていそうな店で交渉する方が楽かもしれません。2015年8月前半のレートは1USD=3.5マナトでした。
ウズベキスタンのヒヴァへ抜けましたが、中間緩衝地帯のタクシーで両替が可能です。
トルクメニスタン側の検問所で官憲に賄賂の要求がありますのでご注意ください。
物腰はやんわりとしていますので、無視または断れるレベルです。- 旅行時期
- 2015年08月
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両替商を捜すのは難しい。キャッシュを持っていそうなところを当たる方が早い。
投稿日 2015年08月31日
総合評価:3.0
トルクメニスタンでは国際クレジットカードを利用してATMで現金調達する事は不可能です。
必ず米ドル現金が必要になります。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
両替商も一般的には多くなく、見つからなかった場合、キャッシュを持っていそうな店で交渉する方が楽かもしれません。2015年8月前半のレートは1USD=3.5マナトでした。
イランのマシュハドから行きましたが、イラン側の国境で両替が可能です。- 旅行時期
- 2015年08月
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キルギスから入国した場合、次のATMはドゥシャンベまで無い可能性があります
投稿日 2015年08月31日
総合評価:2.0
タジキスタンのATMでは米ドル現金を直接引き出す事も可能です。
ソモニでの出金は1回あたり1000ソモニまでです。
ATMの設置都市ですがドゥシャンベまで見た事がありませんでした。
キルギス方面から入国し、ワハーン回廊経由でドウシャンベへ向かう場合、乗合タクシーでも米ドル現金10~100ドル札の組み合わせで200ドル前後、加えてソモニで6-700程度は最低必要です。
オシュ市内で事前に調達するのがベストだと思われます。米ドル→ソモニへはどこでも両替可能です。
ソモニ→米ドルへの両替は、実体験ですがムルガーブでは苦労しました。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
もともと米ドル現金を持っていた旅行者の方が、急に捻出しなければならなくなったケースなど活用できます。
ATMそのものは数は多くなく、また調子も悪いので銀行が空いているタイミングで行かれる方がいいと思いました。- 旅行時期
- 2015年08月
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中国 タジキスタンから入国してきた場合 サリタシュでの現金調達
投稿日 2015年08月31日
総合評価:2.5
キルギススタンのATMでは米ドル現金を直接引き出す事も可能です。
中国やタジキスタンから国境を越えてきた場合、サリタシュという町につきますが、ここにはATMは見つかりませんでした。一番近くはオシュになると思われます。
町中では隣国の通貨(人民元やソモニ)が使う事が出来ました。
現地通貨のソムでの出金は1回あたり2000スム以上可能です。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
もともと米ドル現金を持っていた旅行者の方が、急に捻出しなければならなくなったケースなど活用できます。
現地通貨ー米ドルの両替のために証明書のたぐいは必要ありません。
しかしながら、希望金額の米ドルそのものを持っている両替商は多くありません。
つまり余った端数を数ドル分に両替したい、という場合1米ドル札を持っていない店が多いので不可能という事になります。
また両替商ですがビシュケクマナス空港では到着フロアに1軒あるだけで、出発フロアや出国後にはありません。
また、出国後の店はすべて米ドル表記(ソムを使う事自体は出来る)です。- 旅行時期
- 2015年08月
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:3.0
キルギススタンのATMでは米ドル現金を直接引き出す事も可能です。銀行はメインのランドマークの近くやバザールの近くにあります。
現地通貨のソムでの出金は1回あたり2000スム以上可能です。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
もともと米ドル現金を持っていた旅行者の方が、急に捻出しなければならなくなったケースなど活用できます。
現地通貨ー米ドルの両替のために証明書のたぐいは必要ありません。
しかしながら、希望金額の米ドルそのものを持っている両替商は多くありません。
つまり余った端数を数ドル分に両替したい、という場合1米ドル札を持っていない店が多いので不可能という事になります。
また両替商ですがビシュケクマナス空港では到着フロアに1軒あるだけで、出発フロアや出国後にはありません。
また、出国後の店はすべて米ドル表記(ソムを使う事自体は出来る)です。- 旅行時期
- 2015年08月
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:4.0
キルギススタンのATMでは米ドル現金を直接引き出す事も可能です。
現地通貨のソムでの出金は1回あたり2000スム以上可能です。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
もともと米ドル現金を持っていた旅行者の方が、急に捻出しなければならなくなったケースなど活用できます。
現地通貨ー米ドルの両替のために証明書のたぐいは必要ありません。
しかしながら、希望金額の米ドルそのものを持っている両替商は多くありません。
つまり余った端数を数ドル分に両替したい、という場合1米ドル札を持っていない店が多いので不可能という事になります。
両替商はバザール周辺にあります。- 旅行時期
- 2015年08月
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:4.0
タジキスタンのATMでは米ドル現金を直接引き出す事も可能です。
ソモニでの出金は1回あたり1000ソモニまでです。
中央アジア、シルクロード横断で、ウズベキスタン、トルクメニスタン、イランを通過する場合、この国々ではATMでのキャッシングは現地通貨 外貨ともに不可能です。
つまり現金での両替の原資に米ドル現金が必要になります。
もともと米ドル現金を持っていた旅行者の方が、急に捻出しなければならなくなったケースなど活用できます。
ATMそのものは数は多くなく、また調子も悪いので銀行が空いているタイミングで行かれる方がいいと思いました。- 旅行時期
- 2015年08月
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:5.0
公式より予約。
マリオットゴールドステータスのおかげか、深夜の到着にもにも関わらずアップグレードしてくれた。
ウェルカムギフトは亀の人形。
三角枕がおいてあるテラスが気持ちよく、快適なステイだった。
プールは3カ所あり、すべて違うテーマ。
食事のとれる場所が1カ所あります。が、食事の内容の選択肢は少ないです。
空港ーホテルのタクシーは5-600THBです。- 旅行時期
- 2015年07月
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投稿日 2015年08月31日
総合評価:5.0
ベネフィットサイトを経由し代理店から申し込みました。
クラブルーム宿泊、レートは5万円後半でした。
空港からバスがあるのは知らず、タクシーに乗ってしまいましたが、15分以内2000円以下です。
チェックイン時にアップグレードされました(高層階ではありませんでしたが)
プールやクラブで眺めを見れば十分なので、部屋そのものは高層階である必要はありませんが、ちょっと残念でした。
ハウスキーピングはしっかりされており、パンツプレス(無料)や追加のシャンプー類は滞り無く持ってきてくれました。
深夜にも関わらず、ソファーベッドを組み立ててくれたりと丁寧な対応でした。
心残りなのは時間的にクラブをカクテルタイムと、朝食のみの利用だったことです。
次は(機会があれば)、アフタヌーンティーから粘りたいと思います。- 旅行時期
- 2015年07月
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投稿日 2015年05月25日
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投稿日 2015年05月19日
総合評価:2.5
Tonightアプリにて当日予約。
100%ポイントバック(つまり実質半額)で2万円。
都合1万円で泊まった計算。ラックレートは3万切るぐらいだったので、一応安い。
駅からは遠く、新橋からは25分、浜松町からは15分。
周りには飲食店はなし。
客層は外国人が多く、日本人なら泊まるメリットの少ないホテル。
大浴場は快適に使えた。
人的サービスは全く問題無し。
費用対効果がもう一つ。
駅から遠いの+周辺環境は満足いかない。
リピートはまずなし。
率直に言うならやめた方がよい。- 旅行時期
- 2014年04月
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Lufthansa First Class LH741 NRT/KIX/FRA B747-400
投稿日 2014年06月20日
総合評価:4.5
ルフトハンザドイツ航空 B747-400のファーストクラス搭乗です。
発券方法は特典です。お得に乗ることができました。
以前より気になっていたベットですが、体験することができ幸せでした。
残念ながら、日本/ドイツ間でのLHの需要減少のため、次回の改正でファーストクラスが無くなります。
改正後はA340-300型で飛ぶ予定ですので、ずいぶん格下の機材になります。
しかし搭乗当日も、実質貸し切りでした。ギリギリで1名ルフトハンザの上級役員が乗ってきました。
ビジネス、エコノミーがオーバーブック状態で、その上級会員がファーストに座ればすべて丸く収まる状態だったようです。
一応「アップグレードで社員が乗り込むのですが、よろしいでしょうか?」
と聞かれました。もちろん問題ありません。
ここで意地悪したら彼はFキャビンの前のクルーシートに座ることになるんでしょう。- 旅行時期
- 2014年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 搭乗クラス
- ファースト
- 航空券の価格
- 100,000円未満
- 直行便
- 経由便
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- がんばって安く買いました。
- 接客対応:
- 5.0
- 親切でした。若い女性の方1名でした。関空で交代します。
- 機内食・ドリンク:
- 4.5
- 洋食の方がおいしかったかもしれない。和食は量が少なめ。みそ汁はご愛嬌。
- エンタメ(映画・音楽など)設備:
- 4.5
- 邦画は少ない。がインド映画が充実していた。
- 座席・機内設備:
- 5.0
- やっぱりベットがあるのはいい。後はカーテンがついていれば。
- 日本語対応:
- 5.0
- 普通にはなせてびっくりしました。
-
投稿日 2014年05月24日
総合評価:4.0
おすすめはランチ時間帯のロティ(カレーの具をナンでくるんだ物)です。
フィジーでよく見かけるロティですが、ここでも売っていました。平日の昼間のみです。
スペシャル魚カレーが水/土曜にあります。
5ドルでチキンかビーフか選べます。
味はなかなか美味しかったです。
アルコールの持ち込みは自由だそうです。
場所はAlofiコマーシャルセンター内にあります。
Phone4180
Mon-Fri 10:00-21:00
Sat10:00-22:00
Sun16:00-21:00- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- サービス:
- 3.5
- 雰囲気:
- 3.5
- 料理・味:
- 4.0
-
「KAIIKA」ニウエで日本人職人が握る寿司が食べられます。
投稿日 2014年05月24日
総合評価:4.5
『KAIIKA 』wwwkaiika.com Phone:4628
Afoli市内から車で3−5分。
ランチ 月ー金 11ー14時
ディナー 月ー土 18−21時(要予約)
ランチは10ドルの寿司パックがあります。
主なメニューは海鮮丼が17ドル、にぎり寿司が17ドル、巻き寿司が18ドル、ディナーコース3皿が40ドル、みそ汁が4ドル、ビールが5−6ドルでした。
海鮮丼、にぎり寿司、寿司パックをお昼に頂きましたが、どれも美味しかったです。
職人さんは忙しいようで、なかなか声はかけられませんでしたが、ごちそうさまでした。
ディナーは予約必須のようです。- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 2,000円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 4.0
- 雰囲気:
- 4.0
- 料理・味:
- 4.5






