美良々橋モヨ子さんのクチコミ(3ページ)全114件
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- 基本情報
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:5.0
ここはとにかく安い。シンガポールに二年住んでいたが健康グッツはここムスタファで買っていた。品ぞろえも多くインド系が多いのでシルクのマフラーなんかお勧め。日本へのお土産を買うなら土産屋よりムスタファをお勧めする。
- 旅行時期
- 2012年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- アクセス:
- 5.0
- お買い得度:
- 4.0
- サービス:
- 3.0
- 品揃え:
- 5.0
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:5.0
自分がシンガポールに住んだ1010年の旧正月の時にオープンした新しい施設である。
友達の付き合いで何度かいったがかなり面白かった、スタッフのサービスもシンガポールなのにとても良くこのセントーサの顔である遊園地としてとても意識してるなと思わされた。アトラクションもなかなか面白いが島自体が狭いので施設が小さいのが残念である。- 旅行時期
- 2012年04月
- 利用した際の同行者
- 友人
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 施設の快適度:
- 3.0
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投稿日 2012年04月25日
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:5.0
フランクフルトの空港からICEの電車で1時間程度でKoln HBFで下車し正面玄関を出ると目の前にある。
注意して電車からの車窓から見る世界遺産の大聖堂はまさに絶景。
大聖堂の外観には彫刻がびっしり彫られていて見る者を圧倒させる。
2本の塔が美しい。
内部にはまたとても広く天へ抜けるほどの天井と太くて高い柱がありずっと上を見ていたので首が痛くなるがそれを忘れさせるほどの圧倒である。
ステンドグラスは薄暗い聖堂にはとても生きていて色の鮮やかさは芸術その物である。
またステンドグラスは聖書の物語になっていて見る者を飽きさせない。
一押しは塔に登ることである。足がパンパンになるが上に着いた時の達成感と言いライン川とケルンの町並みの一望はもう1つの絶景である。
大聖堂の塔へは大人2.50ユーロである。
だいたい見学にかかる時間は2時間くらいである。
近くにはチョコレート博物館があり大聖堂の絵が描いたチョコレートなどがあり時間があればそち
らのほうにも足を伸ばしていくのもよい。- 旅行時期
- 2012年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 5.0
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:3.5
六所神社、大樹寺、伊賀八幡宮などの家康若かりし頃の史跡を訪れた後いよいよ家康誕生の岡崎城に登城する。
菅生川と矢作川の合流地点にある龍頭山という丘陵を利用して造られている。元は、龍頭山の砦として三河国仁木氏の守護代であった西郷稠頼(つぎより、つぐより、又は、ちかより)、そして、その子頼嗣(よりつぐ)が北方に対する防御として築城したものである。
当時は、龍燈山城(りゅうとうざんじょう)と呼んだ。それを、(家康の祖父)松平清康が西郷信貞(松平昌安)から奪い取り改修拡張整備したものが岡崎城の始まりであるが残念ながら家康時代の城の面影は残っていない。
豊臣家臣・田中吉政が入り家康に対する抑えの拠点の一つとして、吉政は城を拡張し、強固な石垣や城壁などを用いた近世城郭に整備したのがこの岡崎城の原型である。
しかし家康のころの岡崎城の名残も少しは残っていた。
家康産湯の井戸、家康のえなを埋めてあるえな塚などがあるが外せないのは三河武士の館家康館である。
兜や鎧を展示してあるほか家康時代の岡崎やその前の戦国期の岡崎、田中吉政統治時代の岡崎、江戸時代など歴史をいかに岡崎が重要であったか映像などでわかりやすくしており子供から大人まで楽しめる。
小さな子どもには兜の模型をかぶっての記念撮影や火縄銃などのレプリカなどが置かれていて実際にもって重さを知ることができる。
もう一つの目玉は時計台だろう。
時間になると能の謡が流れてきてからくり人形の家康が舞を舞うおもしろいシステムになっている。
ほかにも野面積の荒々しい石垣や義経ゆかりの浄瑠璃姫の墓や家康と本田忠勝を祭った龍城神社などもあるのでゆっくり時間をかけて散策してもらいたい。
アクセスは東岡崎の駅で降りるのが一番である。- 旅行時期
- 2010年09月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2012年04月25日
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投稿日 2012年04月25日
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投稿日 2012年04月27日
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投稿日 2012年04月27日
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:5.0
笠寺の山門をくぐるといくつもの赤い観音の旗が建てられていてにぎやかな感じである。
参拝している男女がちらほらあり生活に溶け込んだ中の寺と言うような庶民的なところであった。
縁結びで有名なこの寺は雨ざらしでびしょぬれだった観音さまを見て、自分がかぶっていた笠をかぶせた彼女は、京からやってきた青年貴族・藤原兼平にみそめられ、長者の家で仕えていたところから、京に召され、兼平と結ばれたという玉照堂があり堂内に祭られている兼平夫妻の像はまるでお姫様のようで微笑ましい。
ちなみにこの寺の近くに宮本武蔵が3年ほど滞在していたらしく彼の記念碑があった。
笠寺観音の塔頭である東光院には武蔵の遺品が残されていて、毎月25日に展示と解説があるとのことを聞きぜひ今度はそのころに行ってみたいと思うのであった。
ちなみに寺には一切の説明はないが桶狭間合戦の折り今川義元は笠寺に砦を築き、葛山長嘉・岡部元信・三浦義就・飯尾顕茲・浅井小四郎をいれたと言う言い伝えがあり、また信長も合戦の折りに参拝に来た話を聞いた。
無神論者の信長にしては珍しいことである。
平安、戦国、また東海道の匂いただよう笠寺であった。- 旅行時期
- 2009年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:5.0
名古屋で二人の天下人、信長、秀吉の生れ故郷を散策した私は名古屋の都会の人ごみに疲れもう一人の天下人、徳川家康の生れ故郷、岡崎へ移った。
この寺には徳川将軍の等身大の位牌や重要文化財の木造徳川家康坐像など見どころ満載の岡崎の定番スポットである。
この寺は家康とゆかりが深く桶狭間の戦いで今川軍は敗走し、松平元康はここに逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとしたが、時の住職の登誉が 「厭離穢土欣求浄土」の教えを諭し思いとどまらせたという寺である。
その後家康は厭離穢土欣求浄土を旗印とし天下人へと駆け上がった。
まずは拝観料400円を払い御本尊の阿弥陀様に御参りをして堂内を見て回ると将軍・大名控えの間などがあり石高で大名たちの部屋が分けられていた。
位牌堂(徳川歴代等身大位牌)に足を踏み入れるとそこには黒塗りの大きな位牌が14体祭られていた。
一番背の低い将軍は犬公方と名高い綱吉124・0センチ
一番背の高い将軍は家斉156・6センチである。
家康は家康159・0センチ
暴れん坊将軍のイメージの高い吉宗155・5センチ とはあのパワフルさとはかけ離れているが昔の日本人の身長はこのくらいだったのであろう。
綱吉の位牌だけが際立って低いことから、綱吉は低身長症であったという説と、何らかの理由で腰が曲がっていたとする説が有る。
一方、夭折した家継の位牌の高さは8歳という年齢の割にかなり高い。
最後の将軍慶喜の位牌だけはなかった。
将軍職を引いた後も存命であったことと、臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したためである。
と説明が書いてあり慶喜の写真だけが置いてあった。
寺の裏に回るとこの寺が家康の先祖、松平氏の菩提寺とあって霊廟が並んでいた。
中には家康の父 松平 広忠の霊廟もある。
大樹寺の中で一番古い建物は家康の祖父、松平清康が寄進した多宝塔である。
これもまた時代を感じさせるものなのだが徳川家光建立の山門はとても大きく写真を撮るのにも納まりきらず一苦労であった。
徳川家とともに繁栄して家康の成長を見守った寺、大樹寺は今も徳川家を物語る生きる史跡である。
アクセスには名鉄バスのバス停大樹寺より徒歩8分である
近くには若かりし家康の足跡を残す史跡がたくさんある中世の宝石箱 岡崎に家康の若かりし妄想に浸りながら一度足を運んでみてはいかがだろうか- 旅行時期
- 2009年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2012年04月27日
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:4.0
足利尊氏のふるさと足利にきた。
この町の顔は足利学校である。
足利学校とは平安時代初期、もしくは鎌倉時代に創設されたと伝えられる中世の高等教育機関。室町時代から戦国時代にかけて、関東における事実上の最高学府であった。
室町時代の前期には衰退していたが、1432年(永享4年)、上杉憲実が足利の領主になって自ら再興に尽力し,鎌倉円覚寺の僧快元を庠主(しょうしゅと読み、校長のこと)に招いたり、蔵書を寄贈したりして学校を盛り上げた。その成果あって北は奥羽,南は琉球にいたる全国から来学徒があり,代々の庠主も全国各地の出身者に引き継がれていった。
宣教師フランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして最も有名な坂東のアカデミー(坂東の大学)」と記し、足利学校は海外にまでその名が伝えられた。ザビエルによれば、国内に11ある大学及びアカデミーの中で、最大のものが、足利学校アカデミーである。
まずは入館料400円を払い足利学校についてのVTRをみた。
そのあと孔子堂に立ち寄る。
ここには孔子と百人一首でおなじみの小野篁の像がまつられていた。
足利学校の中では無料でプリントを配っていて漢字のテストができる。
レベルがいろいろあり中世の大学でまた勉強をするのも乙なものである。
庭園がとてもきれいでもしここの生徒なら勉強せずに庭を見ていただろう
足利市観光協会へ事前に申し込みすると、足利市観光案内人がご案内(無料)で案内してくれるのでそちらのほうもお勧めする。
近くには足利尊氏の史跡が多いので足を延ばしてみるのもいいかもしれない。- 旅行時期
- 2010年03月
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2012年04月25日
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:4.5
フランクフルトの空港から1時間足らずでついたポーランド、ポズナン。
ポズナンの空港はとても小さくゲートも3つほどしかない。
町へのアクセスはバスに乗り20分。
バスの運転手は英語も喋れたのでだいじょうぶである。
町の中に出るととにかく目立つのは白い宮殿であるこれは1815年から1848年にポズナンに置かれたポズナン大公国の宮殿である。
宮殿の隣は公園になっていて人々がのんびり芝生に横になっているのも絵になっている。
ホテルに荷物を置いて町に散策に出かけた。
向かうところは旧市街である。
Poznanの駅からは20分程度あるけばつく。
第二次世界大戦ではドイツ軍とソ連軍の激しい戦闘によりポズナン市街地全体の55%が破壊された。
特に旧市街はその90%以上が破壊されたが、戦後、残された資料を元にポーランド人の手によって完全に復元されたのがここである。
石畳の路地を歩くと目も前にピンク色の大きな教会が見えてくる。
イエズス会の教会で内部はとてつもなくきれいである。
彫刻や絵画が壁、柱、天井までびっしりとしていて圧倒されるが1つの統一感があり派手さの中に気品のある教会である。
旧市内の広場の旧市庁舎、周りの建物はまるで童話の世界に入ったかのようであり中世の香りを醸し出している。
その日は馬車も出ていて市内を走っていたがそれも絵になる。
この広場に来るといろいろなものが絵になる。
この広場にはいくつかの噴水があるがそのひとつひとつがギリシャ神話の神の形をしていて見ていて楽しい。
近くには市壁が少しだけ残っている。
広場から大通りに出でトラム6番に乗って10分くらいするとポーランド最古の大聖堂に行くことができる。
入館料2złotyかかる
ここは赤レンガ作りのおもしろい建物なので外から見るのもよいが中の地下室は今現在も発掘をしているらしい。
石造のフクロウやおもしろいものが展示してある。
ポズナンの駅から空港に向かったのだが本数がそんなにないので予めチェックをお勧めする。
中世の香りあふれるポズナンへぜひ訪れて見てはどうだろう- 旅行時期
- 2012年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 半日
- アクセス:
- 5.0
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 展示内容:
- 4.5
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投稿日 2012年04月25日
総合評価:5.0
長野の善光寺に御参りし川中島古戦場を見学した後川中島からバスで10分の松代に来た。
ここは真田幸村の兄真田信之の御膝元で有名だが戦国時代武田信玄が、越後の上杉謙信の侵攻に備えるため家臣の山本勘助に命じて千曲川河畔の清野氏の館を改築させ、海津城を築いたのが始まり。
信玄はこの城を高坂昌信に守らせ、武田氏と上杉氏の間で行われた川中島の戦いにおいては合戦の舞台となる。
曲輪、天守台、石垣、土塁、堀などは保存状態はとてもよく天守台に登れば夏の涼しい風が吹いていて気持ちがいい。
また第4回川中島の激戦にて上杉謙信が陣を張った妻女山はよく見えている。
この山に上杉軍の のぼり、旗指物を想像してみるのもようかもしれない。
武田武士たちは上杉の軍勢をこの城からどう思いながら見ていたのだろうか。
また復元された北不明門は、太鼓門とは異なり、石垣と石垣の間に建てられ、中世城郭の城門を思い出させてくれる古い様式の門である。
北信濃の涼しい風に吹かれながら戦国の大戦に思いを馳せてはいかがだろうか。
松代城下には、真田宝物館・真田邸・松代藩文武学校など城下町を散策するのもいいもの。
また真田宝物殿には関東北条氏最強の武将、北条綱成の黄地八幡の旗もあるので戦国ファンは一押しである。- 旅行時期
- 2010年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- バリアフリー:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2012年04月27日
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投稿日 2012年04月25日
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投稿日 2012年04月27日
総合評価:3.0
ここはアジアの布教に努めたフランシスコザビエルを記念して建てられたカトリックの教会である。教会の前にあったのは鹿児島県から送られたザビエルと鹿児島のやじろうという人との出会いであろうこの出会いがきっかけで日本に来たザビエルをしのべる教会。
- 旅行時期
- 2011年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
- アクセス:
- 4.5
- コストパフォーマンス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 2.5
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投稿日 2012年04月27日
























