笠覆寺
寺・神社・教会
3.33
クチコミ・評判
1~19件(全19件中)
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仁王門も見どころの一つです。
- 5.0
- 旅行時期:2022/12(約3年前)
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尾張四観音の一つ笠覆寺(通称笠寺観音)、節分では豆まきで賑わう
- 3.5
- 旅行時期:2021/05(約5年前)
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名古屋に帰省滞在中、尾張四観音の一つ笠覆寺(通称笠寺観音)を参拝した。節分では何度も豆まきに訪れているが、久しぶりに訪れて... 続きを読む多宝塔はじめ建築物の価値と周囲の下町風情に改めて気付かされた。最寄り駅は名鉄本笠寺駅で徒歩5分。十一面観音を本尊とする真言宗智山派の寺院。山号は天林山。
寺伝によれば、733年僧・善光が、呼続の浜辺に打ち上げられた夜な夜な不思議な光を放つ霊木を以て十一面観音像を彫り、その像を祀る天林山小松寺を建立した。その後約200年を経て旅の途中で通りかかった藤原兼平が、雨の日にこの観音像を笠で覆った鳴海家長・太郎成高の家に仕える娘を見初め、都へ連れ帰り玉照姫と名付け妻とした。930年この縁で兼平と姫により現在の場所に観音像を祀る寺が建立され笠覆寺と名付けられた。 閉じる投稿日:2021/05/08
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笠寺観音として親しまれています
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- 旅行時期:2021/03(約5年前)
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笠寺観音として親しまれているお寺
- 3.0
- 旅行時期:2021/02(約5年前)
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修復中です
- 4.5
- 旅行時期:2020/03(約6年前)
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笠寺観音
- 4.0
- 旅行時期:2018/04(約8年前)
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地元と一体になった和やかな雰囲気
- 4.0
- 旅行時期:2016/12(約9年前)
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各種霊場の札所 御朱印はいろいろいただけます
- 3.5
- 旅行時期:2016/02(約10年前)
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玉照姫伝説
- 3.0
- 旅行時期:2015/06(約11年前)
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「笠寺観音」の通称で知られています
- 3.5
- 旅行時期:2015/04(約11年前)
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尾張四観音の一つで、「笠寺観音」として知られています。
名鉄・名古屋本線の本笠寺駅から東へ徒歩5分ほどです。
藤原... 続きを読む兼平公と妻の玉照姫の出逢いに由縁のある寺院で、きっかけとなった、笠で覆った観音様が寺号の由来と伝わっています。
住宅地の中にあり、知名度の割には狭く感じられる境内です。広いスロープの設けられた本堂のほか、玉照姫と兼平公の御堂「玉照堂」や、江戸初期のものとされる「多宝塔」などがあります。
立派な山門のある南側よりも、本笠寺駅のある西側の方が賑やかで、門前町の雰囲気も少し感じられます。山門の前を通り、西門前から西へ向かう道が、旧東海道です。
縁日や青空市の日には、境内に露店が並び賑わうものの、普段は散歩している近在の人が多い印象です。
3月末から4月初旬には、山門や多宝塔の周りが桜で彩られます。 閉じる投稿日:2015/08/29
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笠寺観音
- 4.0
- 旅行時期:2015/02(約11年前)
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笠寺観音
- 3.5
- 旅行時期:2014/09(約11年前)
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通称は笠寺観音 尾張四観音の一つ 歴史を感じさせるお寺です
- 4.0
- 旅行時期:2013/08(約12年前)
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笠寺観音さんと地元の人に親しまれている笠覆寺
- 4.0
- 旅行時期:2013/04(約13年前)
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笠寺観音
- 3.5
- 旅行時期:2012/02(約14年前)
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正式には真言宗智山派 天林山 笠覆寺。通称は笠寺観音。笠寺の謂われはご存知、藤原兼平と玉照姫のシンデレラストーリーですね。... 続きを読む藤原兼平は人臣として摂政関白太政大臣にまで上り詰めた藤原基経の三男といわれ、後に国司を歴任し従四位上右近衛少将まで昇進した人です。
村の娘が貴族と結ばれたことにあやかって現在では若いカップルの参拝が多いと聞いています。でも、私が行った時はおばあさんばかり。境内に兼平と玉照姫を祀るお堂が数年前に建てられましたが、山門の向かい側に笠覆寺の宿坊の一つ、泉増院があります。こちらでは昔から玉照姫をお祀りしていて今でも地元の人の信仰を集めています。こちらにも寄ってみてはどうでしょうか。
閉じる投稿日:2012/03/07
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玉の輿の玉照姫が祀ってあります
- 4.0
- 旅行時期:2012/01(約14年前)
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笠地蔵のような伝説の残る名刹
- 4.5
- 旅行時期:2010/01(約16年前)
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笠覆寺は地元では笠寺観音と呼ばれ、尾張四観音の一つとして広く親しまれているお寺ですが、その名は、元々8世紀に禅光(善光)と... 続きを読むいう僧が浜辺に落ちていた流木から十一面観音像を彫り、この像をご本尊として祀る小松寺という寺が建立されたものの、その後廃れてしまって風雨に晒されたままの観音像を不憫に思った娘が、笠を被せて安置したことに由来しています。
この娘を見初めたのが旅の途中で通りすがった藤原兼平で、娘を都に連れ帰って玉照姫と名付けて妻にしたという逸話に基づき、この寺には玉照姫と兼平の仲睦まじい碑が建てられていて、恋の成就や縁結びを願う若い女性、そして今後の末永い幸せを祈るカップルの姿等をよく見かけます。
またこの寺には鎌倉時代の鐘楼もあって、尾張三名鐘に数えられていますので、こちらも必見だと思います。 閉じる投稿日:2012/02/21
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笠寺観音
- 4.0
- 旅行時期:2010/01(約16年前)
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日本史の裏紀行1
- 5.0
- 旅行時期:2009/03(約17年前)
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笠寺の山門をくぐるといくつもの赤い観音の旗が建てられていてにぎやかな感じである。
参拝している男女がちらほらあり生活に溶... 続きを読むけ込んだ中の寺と言うような庶民的なところであった。
縁結びで有名なこの寺は雨ざらしでびしょぬれだった観音さまを見て、自分がかぶっていた笠をかぶせた彼女は、京からやってきた青年貴族・藤原兼平にみそめられ、長者の家で仕えていたところから、京に召され、兼平と結ばれたという玉照堂があり堂内に祭られている兼平夫妻の像はまるでお姫様のようで微笑ましい。
ちなみにこの寺の近くに宮本武蔵が3年ほど滞在していたらしく彼の記念碑があった。
笠寺観音の塔頭である東光院には武蔵の遺品が残されていて、毎月25日に展示と解説があるとのことを聞きぜひ今度はそのころに行ってみたいと思うのであった。
ちなみに寺には一切の説明はないが桶狭間合戦の折り今川義元は笠寺に砦を築き、葛山長嘉・岡部元信・三浦義就・飯尾顕茲・浅井小四郎をいれたと言う言い伝えがあり、また信長も合戦の折りに参拝に来た話を聞いた。
無神論者の信長にしては珍しいことである。
平安、戦国、また東海道の匂いただよう笠寺であった。
閉じる投稿日:2012/04/25
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