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大樹寺

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厭離穢土欣求浄土

  • 5.0
  • 旅行時期:2009/12(約16年前)
美良々橋モヨ子さん

by 美良々橋モヨ子さん(男性)

岡崎 クチコミ:2件

名古屋で二人の天下人、信長、秀吉の生れ故郷を散策した私は名古屋の都会の人ごみに疲れもう一人の天下人、徳川家康の生れ故郷、岡崎へ移った。
この寺には徳川将軍の等身大の位牌や重要文化財の木造徳川家康坐像など見どころ満載の岡崎の定番スポットである。
この寺は家康とゆかりが深く桶狭間の戦いで今川軍は敗走し、松平元康はここに逃げ帰り、先祖の墓前で自害しようとしたが、時の住職の登誉が 「厭離穢土欣求浄土」の教えを諭し思いとどまらせたという寺である。
その後家康は厭離穢土欣求浄土を旗印とし天下人へと駆け上がった。

まずは拝観料400円を払い御本尊の阿弥陀様に御参りをして堂内を見て回ると将軍・大名控えの間などがあり石高で大名たちの部屋が分けられていた。
位牌堂(徳川歴代等身大位牌)に足を踏み入れるとそこには黒塗りの大きな位牌が14体祭られていた。
一番背の低い将軍は犬公方と名高い綱吉124・0センチ
一番背の高い将軍は家斉156・6センチである。
家康は家康159・0センチ
暴れん坊将軍のイメージの高い吉宗155・5センチ とはあのパワフルさとはかけ離れているが昔の日本人の身長はこのくらいだったのであろう。
綱吉の位牌だけが際立って低いことから、綱吉は低身長症であったという説と、何らかの理由で腰が曲がっていたとする説が有る。
一方、夭折した家継の位牌の高さは8歳という年齢の割にかなり高い。
最後の将軍慶喜の位牌だけはなかった。
将軍職を引いた後も存命であったことと、臨終に際し自らを赦免し爵位まで与えた明治天皇に対する恩義から神式で葬られることを遺言したためである。
と説明が書いてあり慶喜の写真だけが置いてあった。
寺の裏に回るとこの寺が家康の先祖、松平氏の菩提寺とあって霊廟が並んでいた。
中には家康の父 松平 広忠の霊廟もある。
大樹寺の中で一番古い建物は家康の祖父、松平清康が寄進した多宝塔である。
これもまた時代を感じさせるものなのだが徳川家光建立の山門はとても大きく写真を撮るのにも納まりきらず一苦労であった。
徳川家とともに繁栄して家康の成長を見守った寺、大樹寺は今も徳川家を物語る生きる史跡である。
アクセスには名鉄バスのバス停大樹寺より徒歩8分である
近くには若かりし家康の足跡を残す史跡がたくさんある中世の宝石箱 岡崎に家康の若かりし妄想に浸りながら一度足を運んでみてはいかがだろうか

施設の満足度

5.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
4.0
バリアフリー:
5.0
見ごたえ:
5.0

クチコミ投稿日:2012/04/25

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