hiroさんのクチコミ(9ページ)全489件
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芸事・ヒット祈願など多くの芸能関係者が参拝や玉垣奉納に訪れています!
投稿日 2020年12月31日
総合評価:4.0
『芸能浅間神社』は、新宿の総鎮守として江戸時代より多くの人々の信仰を集め現在の新宿区新宿5丁目に鎮座する「花園神社」の摂社として、1928年(昭和3年)に「花園神社」境内に芸能の女神として御祭神である「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」を創祀したのが始まりとされ、1965年(昭和40年)に現在の明治通り側となる境内北東部分に位置する一画に遷御(神様の場所を移すこと)しています。
ちなみに「花園神社」は、「徳川家康」が江戸に入府した1590年(天正18年)以前に「大和吉野山」より総本社が「伏見稲荷大社」である稲荷神の穀物の神とされる「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」を勧請(神様の分霊を迎え祀ること)されたのが始まりとされ、社名の由来は「尾張徳川家」下屋敷の庭の一部で多くの花が咲き乱れていた美しい花園の跡(現在の境内)に遷座(神様の場所を移すこと)したことによるとされいます。
また「花園神社」と芸能にまつわる縁は、徳川幕府第10代将軍「徳川家治」の時代である1780年(安永9年)および第11代将軍「徳川家斉」の時代である1811年(文化8年)に発生した江戸府内の大火により「花園神社」社殿が焼失した際に神社境内に見世物小屋を設けて芝居や踊りなど社殿再建のために行われた興行が好評を博したことが始まりとされています。
近年では、1967年(昭和42年)に劇作家「唐 十郎」氏が率いる劇団により「花園神社」境内に紅テントを設置して公演が行われ話題となるなど現在もさまざまな公演活動が「花園神社」境内で行われており、芸能にまつわる縁の深さを感じます。
今回は、「花園神社」を参拝した際に芸事・ヒット祈願など多くの芸能関係者が参拝や玉垣奉納に訪れている『芸能浅間神社』にも立ち寄りました。
社の周囲には芸能関係者による玉垣がずらりと並んでおり奉納者の名前を見て廻り楽しむことができました。
また、1969年(昭和44年)に「新宿の女」で歌手デビューし、2曲目の「女のブルース」、3曲目の「圭子の夢は夜ひらく」と立て続けにヒット曲を出して1970年(昭和45年)に「第1回 日本歌謡大賞」で大賞を受賞した新宿の地に縁が深い「藤 圭子」さんの”圭子の夢は夜ひらく”歌碑が建立されているので必見です。
そのほかに「尾張徳川家」によって祀られたと伝わる「花園神社」境内に末社として鎮座していた「大鳥神社」(御祭神:戦勝の神である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」)により明治時代から「花園神社」境内にて「酉の市」が始まり現在では、「鷲神社(東京都台東区)」、「大國魂神社(東京都府中市)」とともに「関東三大酉の市」のひとつとに数えられ毎年大勢の参拝者で賑わいます。
ちなみに「大鳥神社」は、1965年(昭和40年)に「花園神社」と合祀し本殿に祀られています。
また「酉の市」は、江戸時代から続く年中行事として関東地方を中心に「日本武尊」の命日とされる11月の酉の日に執り行われている例祭です。
機会があれば「酉の市」にあわせて参拝してみたいと思います・・・- 旅行時期
- 2020年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄・新宿三丁目駅E2出入口を出たところです。歌舞伎町からも徒歩圏内です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 平日の午後でしたが、自分のほかに1名の方とすれ違いました。
- バリアフリー:
- 4.0
- 段差はありません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- ”圭子の夢は夜ひらく”歌碑があり、玉垣奉納者の名前を見て廻り楽しめます。
-
投稿日 2020年12月30日
総合評価:4.0
『聖橋(ひじりばし)』は、JR中央本線・総武本線「御茶ノ水駅・ホーム」と「神田川」および「外堀通り(都道405号)」の上空を跨ぎ、千代田区駿河台4丁目(南側)と文京区湯島1丁目(北側)を南北に結ぶ「本郷通り(都道403号)」の橋梁(橋長:79.3メートル、幅員:22メートル)であり、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」の翌年に始動された政府主導の「震災復興計画」を基に「震災復興橋梁」として1927年(昭和2年)に架橋され、現在も「御茶ノ水」のシンボル的な橋梁となっています。
『聖橋』の特徴は、橋長およそ79.3メートルのうち、「神田川」上空部分のおよそ36.3メートルの区間が放物線を描くコンクリートアーチの内部に鉄骨(メラン材)を用いた「メラン工法」が採用されており、建設当時としては国内最大級となる「鉄骨コンクリートアーチ橋」であるとともにアーチ部分の上部に設けた柱で桁部分を支える「開腹アーチ」とすることで橋梁の側面部分が「神田川」水面からの景観を最も美しく橋梁の存在感を高めるデザインとなっています。
2017年度(平成29年度)には、「土木学会」による土木遺産の顕彰を通じて歴史的土木構造物の保存に資することを目的として2000年度(平成12年度)より認定制度が始まった「土木学会選奨土木遺産」に認定されています。
また橋名の由来は、南側橋詰方向に位置する「東京復活大聖堂(通称:ニコライ堂)」と北側橋詰方向に位置する「湯島聖堂」を結ぶ橋梁であることから当時の「東京市」による一般公募により『聖橋』と命名されています。
ちなみに「東京復活大聖堂(通称:ニコライ堂)」は、1891年(明治24年)に当時の国内最規模となる本格的な高さおよそ35メートルのドーム屋根が特徴的なビザンティン様式教会として竣工し、1962年(昭和37年)に国の「重要文化財」に指定されています。
「湯島聖堂」については、徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」により1690年(元禄3年)に儒学の振興を図るための「孔子廟」として創建され、徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代である1797年(寛政9年)に幕府直轄学校である「昌平坂学問所(通称:昌平校)」が開設されています。
1922年(大正11年)には、「湯島聖堂」として国の「史跡」に指定されたものの翌年に発生した「関東大震災」により焼失し現在の建物は、1935年(昭和10年)に鉄筋コンクリート造として再建されたものです。
『聖橋』周辺の谷のようになっている「神田川」の地形は、江戸時代初期に「江戸城」周辺の洪水対策として放水路とするために徳川幕府が仙台藩初代藩主「伊達政宗」に命じて台地を開削して人工的に整備されたことから「仙台堀」とも呼ばれるもので「神田川」水面から『聖橋』路面部分までの高低差ある風景は、『聖橋』をさまざまな角度からの写真撮影などで楽しめます。(但し現在は、「JR・御茶ノ水駅改良工事」のため『聖橋』西側の「神田川」上部に工事用仮設構台が設置されています。)
今回は、お茶の水周辺に立ち寄った際に「外堀通り(都道405号)」から、2018年(平成30年)に完了した「聖橋長寿命化工事」によって補修された『聖橋』アーチ部分のコンクリート表層がつやのある奇麗な仕上がりになっていたので『聖橋』東側部分を写真撮影をしましてみました。
そのほかに『聖橋』の東側は、JR・中央本線および総武本線とあわせて東京メトロ・丸の内線が「神田川」部分で地上を通過して3路線を同時に撮影できる撮影スポットでもありお薦めできます。
機会があれば、「JR・御茶ノ水駅改良工事」が完了し「神田川」上部の工事用仮設構台が撤去されたのちに『聖橋』とともに改良工事後のJR「御茶ノ水駅」の風景を写真撮影して楽しみたいと思います・・・- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- JR御茶ノ水駅・聖橋口改札または東京メトロ・新御茶ノ水駅B1・B2出口からすぐです。
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 4.0
- 本郷通り(都道403号)に架かる橋梁で段差は本郷通りに段差はありません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 1927年(昭和2年)に架橋された関東大震災後の震災復興橋梁です。
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投稿日 2020年12月26日
総合評価:4.0
『四階回廊 (歌舞伎座) 』は、1889年(明治22年)に当時の最新技術である電灯設備を導入し国内最大規模の歌舞伎専用劇場として第1期「歌舞伎座」が開場してから1923年(大正12年)に発生した関東大震災や太平洋戦争末期となる1945年(昭和20年)の東京大空襲などの幾多の困難に見舞われながら建替え工事・改修復興工事を繰り返し、2010年(平成22年)になると建物の老朽化とあわせて耐震化対策ならびにバリアフリー対策の解消に伴う建替え計画により閉場した第4期「歌舞伎座」までの”懐かしい歴史を思い返す”展示エリアとして、2013年(平成25年)に竣工した第5期「歌舞伎座」と「オフィス施設」からなる超高層複合商業施設「歌舞伎座タワー」(高さ145メートル、地上29階、地下4階)の「歌舞伎座」4階客席となる「一幕見席」(椅子席約90名、立見約60名)につながる通路部分に配置されています。
ちなみに『四階回廊』とつながる「歌舞伎座」4階客席は、1階正面玄関から入場する通常の指定席チケットによる1階から3階までの客席と異なり、気軽に好きな一幕だけから鑑賞できるように先着順で当日販売の自由席チケット専用の「一幕見席」による鑑賞エリアとなっています。
今回は、「歌舞伎座」夜の部公演の観劇で16時開場に合わせて「歌舞伎座」前で待ち合わせをしていましたが、予定の2時間前に到着したので、初めて「歌舞伎座タワー」5階にある歌舞伎の世界を実際に体験しながら楽しめる「歌舞伎座ギャラリー」(有料エリア)と回遊式の和風庭園となる「屋上庭園」(無料エリア)から「歌舞伎座」の大屋根三州瓦を間近で望める屋外鉄骨階段の「五右衛門階段」を4階に降りて『四階回廊』(無料エリア)に立ち寄りました。
「五右衛門階段」から4階建物内に入ると右手側に「歌舞伎座」4階客席となる「一幕見席」ロビーにつながる通路となっており、左手側が『四階回廊』エリアとして壁面に”想い出の歌舞伎俳優”として往年の名俳優の顔写真がずらりと掲示されています。
さらに奥に進むと第1期「歌舞伎座」から第4期「歌舞伎座」までの建物模型が展示されています。
この「歌舞伎座タワー」4階・5階エリアは、アミューズメント空間として施設名称が「歌舞伎座 ギャラリー回廊」となっており、気軽に歌舞伎を体感できて楽しむことができました。
そのほかに5階エリアの「屋上庭園」に隣接して落ち着いた雰囲気のある1854年(安政元年)創業の老舗「丸山海苔店」が経営する日本茶の美しさを世界に伝えるために始めた日本茶専門店の甘味処「寿月堂」とあわせてお土産処「楽座」もあり、くつろぐこともできるのでお勧めできます。
『四階回廊』へのアクセスは、「東銀座駅」(東京メトロ・日比谷線、都営地下鉄・浅草線)3番出口に直結している「歌舞伎座タワー」地下2階の建物内「木挽町広場」左側奥にあるエレベーターホールから専用エレベーター(一番手前のエレベーター)で5階に上がり「屋上庭園」から「五右衛門階段」を降りて4階建物内に入ります。
地上からのアクセスの場合は、「晴海通り(都道304号)」と「昭和通り(都道316号)」の交差する「三原橋」交差点の「昭和通り」に面している「歌舞伎座タワー」西側の「昭和通り口」から建物内に入りエレベーターで4階に上がります。
機会があれば、また『四階回廊』のある「歌舞伎座 ギャラリー回廊」に立ち寄って各エリアを廻りくつろぎながら楽しみたいと思います・・・- 旅行時期
- 2020年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 歌舞伎座タワー4階です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 平日の午後でしたが、自分のほか2名の方とすれ違いました。
- バリアフリー:
- 4.0
- 展示エリアに段差はありません。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 第1期から第4期 歌舞伎座・建物模型の展示と往年の歌舞伎俳優の写真パネルが掲示されています。
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”クリスマスイルミネーション”は、静粛なムードを味わうことができます!
投稿日 2020年12月20日
総合評価:4.0
『立教大学』の歴史は、米国聖公会(英国国教会起源の会派)の宣教師”チャニング・ウィリアムズ”主教が1874年(明治7年)に聖書と洋学を教育する私塾として築地の外国人居留地に開かれた「立教学校」が始まりとされ、1907年(明治40年)には専門学校令の制定に基づき「立教大学」に改称されています。
その後に学生数の増加に伴い敷地・校舎の狭隘化などから1918年(大正7年)に現在の「池袋キャンパス」のある豊島区西池袋3丁目に移転し、1922年(大正11年)になると大学令に基づく「立教大学」が設立されています。
ちなみにキリスト教系私立大学(ミッションスクール)としての認可は、京都市上京区にある「同志社大学」に次いで2番目となります。
『立教大学』(池袋キャンパス)へのアクセスは、「池袋駅・西口」を要町方面に「西口五差路」交差点を渡り「池袋二又交番前」交差点まで「都道441号」を約350メートル進んだところで「池袋二又交番前」交差点を左折して「立教通り」(区道)をおよそ300メートル進むと左手に正門があります。「池袋駅・西口」から『立教大学』正門まで徒歩8分程度(およそ650メートル)となります。
『立教大学』正門の正面奥には、1919年(大正8年)竣工で現在も教室として使用されている2階建て(地下1階)・レンガ造(フランス積み)の「立教大学本館(1号館)」が配置されており、米国聖公会宣教師”アーサー・ラザフォード・モリス”氏の寄付によって建てられたことから「モリス館」とも呼ばれ、池袋キャンパスのシンボル的な存在となっています。
「立教大学本館」とあわせて同じ年代に建設された左手側に配置の「立教大学図書館旧館」(2階建て・レンガ造)、右手側に配置の「立教学院諸聖徒礼拝堂」(平屋建て一部3階建て・レンガ造一部鉄骨造)の3棟の建物が、1999年(平成11年)に東京都景観条例に基づく「東京都選定歴史的建造物」として選定されています。
また「立教大学本館」前には、1920年(大正9年)ごろに植林されたとされる円錐形に美しく剪定された高さ約25メートルの2本の「ヒマラヤ杉」があり、「立教大学本館」赤レンガの外壁を覆うツタとあわせて落ち着きのあるレトロな空間となっています。
この2本の「ヒマラヤ杉」は、「学生キリスト教団体」の学生で結成された「クリスマス実行委員会」によりクリスマス期間限定で、”クリスマスイルミネーション”が実施されています。
ミッションスクールらしい神聖な雰囲気が漂うレトロな空間にマッチする色とりどりの白熱灯で飾り付けられたシンプルなイルミネーションですが静粛なムードを味わうことができます。
イルミネーションは、1949年(昭和24年)ごろから始まり毎年開催される伝統ある行事であり、「池袋西口」を訪れた際によく「立教通り」の正門前に立ち寄りますが、写真撮影などお薦めできます。- 旅行時期
- 2020年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 池袋駅・西口から正門まで徒歩8分程度(およそ650メートル)です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- イルミネーション時期は、正門前に写真撮影をする方が数名います。
- バリアフリー:
- 4.0
- 正門前に段差はありません。
- 見ごたえ:
- 4.0
- ”クリスマスイルミネーション”は、静粛なムードを味わうことができます。
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地上10階部分に里山の自然をビオトープにより再現した屋上庭園です!
投稿日 2020年12月13日
総合評価:4.0
『豊島区役所 豊島の森』は、豊島区が掲げる「環境都市づくり」の象徴として、かつての豊島区内に自生した植物、昆虫、鳥類などと共存する里山の自然をビオトープにより再現し、植生や生態など自然のしくみを学びながら憩える場として、2015年(平成27年)に竣工した「としまエコミューゼタウン」(地上49階建て・地下3階、高さ189メートル)10階南側屋上部分に整備された豊島区の施設です。
ちなみに「としまエコミューゼタウン」は、日本初となる本庁舎施設と超高層マンションを組み合わせた官民一体型の建物として、「旧・豊島区立 日野出小学校」および「旧・南池袋児童館」の跡地を含む敷地面積が8,324.91平方メートルの南池袋2丁目エリア(南池袋二丁目A地区)を都市再開発法に基づく市街地再開発事業により整備され、東京メトロ・有楽町線「東池袋駅」の地下連絡通路1番出入口と直結しています。
建物館内の構成は、地下2階に「地下鉄連絡通路」、地下2階から地下1階に「駐車場施設」、1階から2階に「商業施設」、1階一部と3階から9階に「豊島区役所」、10階に「中間免震階」を挟み、11階から49階の高層部分が「マンション施設」となっています。
建物名称として用いられている”エコミューゼ”とは、”エコロジー(生態学)”と”ミュージアム(博物館)”を組み合わせた造語であり、10階南側屋上部分の『豊島の森』から低層部分の4階までのエリアに階段状の立体的な垂直屋上庭園となる「グリーンテラス」を配置し、さらに1階の敷地南側部分に整備されている人工地盤からなる「けやき広場」までのエリアに雨水再生利用水を循環させながら流すことにより自然と建物の共存をはかり、9階までの建物低層部分外壁全面に壁面緑化パネル、太陽光発電パネル、リサイクル木材を用いたルーバーを組み合わせた外装パネルを配置して建物コンセプトである「樹木のような建築」が表現されおり、建物竣工後の2015年(平成27年)には「グッドデザイン賞 街区・地域開発および地域・コミュニティづくり/社会貢献活動」(日本デザイン振興会)、2016年(平成28年)には「第15回 屋上・壁面・特殊緑化技術コンクール 環境大臣賞/屋上緑化部門および日本経済新聞社賞/壁面・特殊緑化部門」(都市緑化機構)、2017年(平成29年)には「日本都市計画学会計画設計賞」(日本都市計画学会)、2018年(平成30年)には「第58回 BCS賞」(日本建設業連合会)を受賞するなど各種業界団体によるさまざまな視点から評価されています。
今回は、「としまエコミューゼタウン」に移転した「豊島区役所」に初めて訪れて10階屋上庭園の『豊島の森』に立ち寄りました。
コンパクトですが、ビオトープにより里山の自然が再現され小川が流れる水と緑に囲まれた癒しの空間となっており、地上およそ50メートルから都心の眺望も楽しめます。
また、10階『豊島の森』から屋外階段を利用して壁面緑化パネルなどの外装パネルで囲まれた垂直屋上庭園となる「グリーンテラス」を通りながら4階までを下り、植生の緑とともに10階から1階までを循環している雨水再生利用水が流れ落ちる水の音を聴きながら建物コンセプトである「樹木のような建築」を体感し、最近の気候変動などの地球環境保全の取り組みについて今後の都市における自然とのかかわりに関する考え方を学べたような気がしました。
「としまエコミューゼタウン」の建物コンセプトである「樹木のような建築」の中核となる建物南側の10階屋上『豊島の森』から低層部分「グリーンテラス」4階までの空間は、まさに”エコロジー ミュージアム”です。- 旅行時期
- 2020年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ有楽町線・東池袋駅の地下連絡通路1番出入口と直結しています。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 平日の午後でしたが、小さな子連れの方が1組いました。
- バリアフリー:
- 4.0
- 屋上庭園は、ウッドデッキが整備されています。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 屋上庭園とともに地上10階からの眺望も楽しめます。
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歴史・文化を受け継ぎながらの再開発で評価されている超高層複合施設です!
投稿日 2020年11月29日
総合評価:4.0
『日本橋三井タワー』は、”残しながら 蘇らせながら 創っていく”をコンセプトに歴史・文化を受け継ぎながら日本橋地区の再開発を両立させるために同一街区内の南側に位置する1929年(昭和4年)に竣工した「三井本館」(地上7階・地下2階建て)と西側に位置する1985年(昭和60年)に竣工した「三井二号館」(地上11階・地下3階建て)の既存建物を保存しながらそのまま一体化した建物とすることにより既存建物部分の床面積相当分を割増容積として活用する開発手法を取り入れ東京都が制定した「重要文化財特別型特定街区制」の適用第1号となる地上39階・地下4階、高さ194.69メートルの超高層複合施設として2005年(平成17年)にグランドオープンしています。
ちなみに「三井本館」は、関東大震災で被災した「旧三井本館」の建て替え事業により1929年(昭和4年)に竣工しており、意匠的に優秀で完成度も高く昭和初期の日本を代表する本格的業務用ビルの初期となる建築物のひとつとして貴重であることから1998年(平成10年)に国の「重要文化財」に指定された重厚な洋風建築物です。
『日本橋三井タワー』館内施設については、地下3階から地下2階に”駐車場施設”、地下1階から2階に”ショップ&レストラン施設”、3階(大宴会場など)および30階から38階(客室およびレストランなど)に”ラグジュアリーホテル施設(マンダリン オリエンタル 東京)”、5階から28階が”オフィスフロア施設”で構成されており、建物竣工後の2005年(平成17年)には「第11回 ステンレス協会賞 優秀賞」(ステンレス協会)を受賞したほか、「第40回 SDA賞 商業サイン部門入賞」(日本サインデザイン協会)、「照明普及賞 優秀施設賞」(照明学会)、2006年(平成18年)には「グッドデザイン賞 建築・環境デザイン部門」(日本デザイン振興会)、2007年(平成19年)には「第48回 BCS賞」(日本建設業連合会・受賞当時は建築業協会)、「第17回 AACA賞 特別賞」(日本建築美術工芸協会)を受賞するなど各種業界団体によるさまざまな視点から評価されている建物です。
今回は、休日のランチ目的で東京メトロ・銀座線「三越前駅」三越方面改札口または中央改札口の目の前となる地下連絡通路と直結しているA7出入口またはA8出入口から『日本橋三井タワー』地下1階に入ってすぐの”ショップ&レストラン施設”にある「シンガポール大使館」御用達のシンガポール料理レストラン「シンガポール 海南鶏飯(ハイナンチーファン)」に初めて立ち寄りましたが、建物地下1階”ショップ&レストラン施設”の通路部分と店舗の境に間仕切り壁が存在しない開放的な空間となっており、とても明るい雰囲気で初めて訪れても利用しやすいレストランです。
ランチ以外でも居酒屋・ダイニングバーとしてアルコール類も充実した品揃えとなっているので、宴会などでシンガポール料理とともにタイガービールをはじめとした普段飲む機会のないアルコール類などで東南アジアの雰囲気を味わい・浸りながら利用してみたいと感じるレストランとしてお薦めできます。
機会があれば、高層階の「マンダリン オリエンタル 東京」のダイニング施設も利用してみたいと思います・・・- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 東京メトロ銀座線・三越前駅の三越方面改札口または中央改札口の目の前となる地下連絡通路A7出口・A8出口に直結しています。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 各種業界団体によるさまざまな視点から評価されている建物です。
-
投稿日 2020年11月23日
総合評価:4.0
『東京都庁』は、超高層ビル群が建ち並ぶ「新宿新都心」となる新宿区西新宿2丁目に位置する「旧淀橋浄水場跡地」再開発地域であった1号地・4号地・5号地エリアに新たな新庁舎を建設して1991年(平成3年)に旧庁舎のあった千代田区丸ノ内3丁目から移転し新たに開庁した地方自治体の中で最大規模となる庁舎です。
『東京都庁』の誕生から新宿移転までの経緯は、前進となる「東京府庁」が1868年(明治元年)に「大和郡山藩」上屋敷を接収して現在の千代田区内幸町1丁目に開庁されたことが始まりとされ、1894年(明治27年)になると現在の「東京国際フォーラム」がある千代田区丸ノ内3丁目に赤レンガ造2階建ての新たな府庁舎を建設し移転しています。
1943年(昭和18年)には、東京都制施行により東京都が発足し「東京府庁」がそのまま『東京都庁』となったものの太平洋戦争により赤レンガ造の都庁舎は焼失し、高度経済成長期の1957年(昭和32年)になると赤レンガ造の都庁舎跡地には、新たな地上8階・地下2階建て、高さ43.0メートルとなるメインの都庁舎(第一庁舎)が建設されています。
1970年代ごろになると都庁舎のスペースが手狭となり山手線の線路をまたいで庁舎を分散化するなどの対策が取られていましたが、業務効率の悪化に加えて建物の老朽化・OA化対策などの課題が浮上する状況の中で、1985年(昭和60年)の「東京都議会」により当時の「新宿副都心」へ移転する計画が決定しています。
『東京都庁』の新宿庁舎建設については、新宿移転が決定後に指名設計コンペが実施され日本を代表する8社の設計事務所の中から1986年(昭和61年)に「丹下健三都市・建築設計研究所」の設計案が採用されています。
その建物概要は、「第一本庁舎」(地上48階・地下3階建て、高さ243.4メートル)・「第二本庁舎」(地上34階・地下3階建て、高さ163.3メートル)・「都議会議事堂」(地上7階・地下1階建て、高さ41.0メートル)の3棟と「都民広場」で構成されおり、1988年(昭和63年)から新都庁舎建設工事を着工したのちの1990年(平成2年)に当時としては日本一高い建築物として竣工し、1991年(平成3年)に新宿移転が完了したことにより「東京府庁」時代からおよそ97年間におよぶ千代田区丸ノ内3丁目エリアでの府政・都政に幕を降ろしています。
今回は、西新宿の超高層ビル群が建ち並ぶ「新宿新都心」エリアを散策して廻り久しぶりに『東京都庁』の「第一本庁舎」45階の北展望室に立ち寄りました。
「第一本庁舎」は、地上33階部分から上部階が北棟と南棟に分かれ北棟と南棟のそれぞれ45階に展望室が設置されおり、どちらの展望室も1階から「展望室専用エレベーター」で誰でも無料で展望室を利用することができます。
(「展望室専用エレベーター」に乗る前に新型コロナウイルス感染予防対策としてマスク着用の確認と検温の実施と合わせて手荷物検査がありました。)
訪れた日は、平日の午後で「展望室専用エレベーター」に乗る際も行列も無くスムーズに展望室まで行くことができました。また、天気も良く地上202メートルとなる展望室からの都心の眺望をゆっくりと堪能することができました。
『東京都庁』の展望室は、天井高が高くフロア全体に間仕切り壁のないゆったりとした空間でベンチなども配置されており、くつろぎながら都心の眺望が楽しめるのでお勧めできます。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 3.5
- JR新宿駅西口から徒歩10分程度です。(最最寄り駅:都営地下鉄大江戸線・都庁前駅)
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 北展望室には20名程度の人がいました(平日の午後)。
- バリアフリー:
- 4.0
- 庁舎なのでバリアフリー対策は、しっかりしています。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 都心の眺望を堪能することができました。
-
巨大な螺旋状の5本のリング(パーゴラ)が目を引くハイテク野外劇場公園です!
投稿日 2020年11月18日
総合評価:4.0
『池袋西口公園』は、1909年(明治42年)に「東京府豊島師範学校」が開校した後の1951年(昭和26年)になると「東京学芸大学附属豊島小学校」が開校した地域でしたが、昭和30年代ごろからの高度経済成長期に池袋駅西口周辺の区画整理問題とあわせて1964年(昭和39年)に「東京学芸大学附属豊島小学校」が閉校したことにより、翌年の1970年(昭和45年)に「東京学芸大学附属豊島小学校」跡地の一部となる現在の「池袋駅西口バスターミナル」と「東京芸術劇場」に隣接する西池袋1丁目の一画に位置する豊島区の公園(敷地面積:3,123.19平方メートル)として開園しています。
『池袋西口公園』が開園してからしばらくの期間は、夜間になると閉鎖的で薄暗く雰囲気の良くない公園となっていましたが、1990年(平成2年)に『池袋西口公園』と隣接する東京都の総合芸術文化施設「東京芸術劇場」のオープンにあわせて「東京芸術劇場」と一体感のある開放的で明るく人が集う野外ステージ・噴水・彫刻などを配置した公園にリニューアルされています。
さらに2016年(平成28年)に豊島区が掲げた「国際アート・カルチャー都市構想実現戦略」に基づき、2019年(令和元年)に池袋西口から世界に向けて文化芸術・地域の賑わい・情報発信拠点となる新たなランドマークとしてグレードアップした野外劇場公園に生まれ変わっています。
新たな野外劇場公園には、公園のシンボルであり公園の愛称にもなっている6本の支柱で支えられ空中に浮かんでいるような直径およそ35メートルの巨大な螺旋状の5本のリング(パーゴラ)が目を引く”GLOBAL RING(グローバルリング)”が設置されています。
「グローバルリング」の下部空間には、各種イベントなどが開催される多目的広場があり、広場の南側スペースに演劇・ダンスなどのほかオーケストラによる本格的なクラシックコンサートにも対応可能な野外劇場施設「グローバルリング シアター」が配置されています。
この「グローバルリング シアター」は、多彩な演出に対応できるように舞台床が2層構造となるスーテジが整備されているほかにステージ上部に大型フルカラーLEDビジョン(横10.8メートル、縦2.88メートル)が設置されています。
また、本格的な劇場音響計画のもと舞台の壁面・天井面に残響音の確保と初期反射音を補強する2種類の機能を備えた反射板とあわせて「グローバルリング」を支える6本の支柱に設置したサラウンドスピーカーによる8chサウンドシステムを採用した音響設備が施されている贅沢なこだわりのある空間となっています。
そのほか大型ビジョン・音響設備と「グローバルリング」に設置されている1万球以上のLEDライトとあわせて広場中央の舗装部分に設置されている噴水が連動して幻想的な演出が定期的に行われるハイテク公園となっています。
『池袋西口公園』には、以前より池袋駅西口に用事があった際に公園敷地内を通り抜けなどでよく立ち寄りますが、広場中央部分に設置されている噴水の演出や冬季の期間限定イルミネーションは心が癒されお薦めできます。
機会があれば、クラシックコンサートなどのイベントが開催される際にこだわりのある音響空間を体感してみたいと思います・・・- 旅行時期
- 2020年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 池袋駅西口のバスターミナルと東京芸術劇場に隣接する公園です。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 公園(広場)を通り抜けする人やベンチでくつろぐ人が常にいます。
- バリアフリー:
- 4.5
- 公園内の敷地に段差はありません。
- 見ごたえ:
- 4.5
- 直径およそ35メートルの巨大な螺旋状の5本のリング(パーゴラ)が目を引きます。
-
”東京の近代水道発祥の地”として大都市東京を支えていた設備です!
投稿日 2020年11月14日
総合評価:3.5
『旧淀橋浄水場蝶型弁』は、現在の日本最大級のオフィス街として超高層ビル群が建ち並ぶ「新宿副都心計画事業」がスタートする以前に約34ヘクタールの土地に整備されていた首都である大都市東京に生活用水を供給するための”東京の近代水道発祥の地”とされる重要な施設「淀橋浄水場」で使用されていた配水バルブです。
蝶型弁(バタフライ弁)とは、管路内部に設置されている円板が回転し管路内部の断面積を変化させることにより水流量や水圧を調節する構造のバルブになります。
ちなみに「淀橋浄水場」は、江戸時代より江戸府内に生活用水を供給するため整備されていた「玉川上水」を明治維新後にさらに発展する大都市東京を支える近代水道整備が急務となり、「玉川上水」によって導かれた多摩川の水を当時としては画期的な規模の”沈でん・ろ過”施設として1898年(明治31年)に完成したのち1965年(昭和40年)に「東村山浄水場」へ機能移転するまでの明治・大正・昭和期の67年間にわたり大都市東京に上水を供給し続けた施設です。
『旧淀橋浄水場蝶型弁』の展示場所は、西新宿1丁目の「新宿住友ビル」が竣工した1974年(昭和51年)から敷地内の外庭の一画にありましたが、現在は2017年(平成29年)から大規模改修工事が実施され2020年(令和2年)7月にグランドオープンした全天候型屋内イベント会場となる「新宿住友ビル 三角広場」西側の一画にあります。
展示されている『旧淀橋浄水場蝶型弁』は、製造年が1937年(昭和12年)と刻印されている管路内径が1メートルの規模であり、1923年(大正12年)に発生した「関東大震災」で被災した「淀橋浄水場」の「玉川新水路」に替わり甲州街道の下部に導水暗渠を通水する改良工事の一環として1937年(昭和12年)に設置されたものと推定されています。
また『旧淀橋浄水場蝶型弁』は、2013年(平成25年)になると「新宿区地域文化財」(都市・産業分野)に認定されています。
今回は、西新宿を訪れた際にグランドオープンしたばかりの「新宿住友ビル 三角広場」に立ち寄り『旧淀橋浄水場蝶型弁』が展示されていることを知り、管路内径が1メートルもの大型な『旧淀橋浄水場蝶型弁』を見ながら、改めて”東京の近代水道発祥の地”である「淀橋浄水場」に関する近代史を学ぶことができて楽しめました。
機会があれば、『旧淀橋浄水場蝶型弁』のほかに「淀橋浄水場」貯水池の高低差を活かして開発が進められた「新宿新都心」の超高層ビル群を歩いて廻り高低差を体感しながら「淀橋浄水場」のついてもう少し調べてみたいと思います。- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 新宿住友ビル 三角広場の一画に展示されています。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 特に立ち止まって見ている人はいませんでした。
- バリアフリー:
- 4.5
- 展示場所に段差はありません。
- 見ごたえ:
- 3.5
- 淀橋浄水場で実際に使用されていた昭和12年製造のバルブです。
-
昭和初期から44年間に渡り日本道路網の起点として日本橋の中央に設置されていました!
投稿日 2020年11月11日
総合評価:4.0
『東京市道路元標』は、1928年(昭和3年)に当時の東京市内に整備されていた路面電車である「東京市電」の架線を懸架する支柱と街灯を兼ねた日本道路網の起点となるシンボル的な存在の「道路元標」として、1911年(明治44年)に竣工し現在も現役の橋梁である「日本橋」(橋長49.5メートル・橋幅27.5メートル・アーチ径間21メートル)の中央部分に設置されていました。
ちなみに「道路元標」は、道路の起点と終点となるポイントを示す標識として1919年(大正8年)に制定された法令に基づき各市町村役場を中心部に設置されるようになりましたが、東京市については江戸時代の徳川幕府により江戸府内と全国各地を結ぶ重要街道となる「五街道」(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点を当時の木造太鼓橋であった「日本橋」に定めていた名残りもあり、『東京市道路元標』も「日本橋」の中央部分に設置することと定められていました。
1943年(昭和18年)になると東京都制施行に伴い路面電車は、「東京市電」から「東京都電」に改称されたものの『東京市道路元標』は設置されたまま残されており、その後の1972年(昭和47年)に「日本橋」を走っていた「東京都電」の廃止に伴う道路改修により、『東京市道路元標』は「日本橋」中央部分から「日本橋」北西側となる橋詰め部分(現在の「元標の広場」)に移設されています。
また、『東京市道路元標』の移設に伴い「日本橋」中央部分の道路中央センターラインに当時の内閣総理大臣「佐藤栄作」氏による『日本国道路元標』の文字が刻まれた一辺が50センチメートル四方のブロンズ製プレートが現在も埋め込まれており、そのレプリカが『東京市道路元標』とともに「元標の広場」に設置されています。
1999年(平成11年)には、デザイン的・技術的に優れた明治期を代表する重厚な和漢洋折衷の鋳銅製装飾(麒麟像・獅子像)が施された照明灯が設置されているルネッサンス様式の石造二連アーチ橋の「日本橋」とともに『東京市道路元標』が国の重要文化財に指定されています。
今回は、日本橋付近で待ち合わせをした際に少し時間があったので「日本橋」橋詰にある4か所の広場(元標の広場・乙姫広場・花の広場・滝の広場)を短時間でしたが散策しながら『東京市道路元標』などを見て廻り江戸時代から明治・大正・昭和初期までの活気のあった「日本橋」について改めて歴史を学び楽しむことができました。- 旅行時期
- 2019年12月
- アクセス:
- 4.0
- 日本橋・北西側橋詰め部分となる「元標の広場」に移設されています。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 「元標の広場」の前で立ち止まる人が数名います。
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 日本橋とともに国の重要文化財に指定されています。
-
2016年(平成28年)に国の重要文化財に指定されています!
投稿日 2020年11月08日
総合評価:4.0
『鬼子母神堂(きしもじんどう)』は、豊島区南池袋3丁目にある山号を「威光山」と号する日蓮宗の「法明寺」山門から約200メートルほど離れた「法明寺」飛地境内となる豊島区雑司ヶ谷3丁目にある『鬼子母神像』を祀る本殿に拝殿と相の間(幣殿)が一体となった「権現造り」の御堂です。
ちなみに「法明寺」は、平安時代初期となる810年(弘仁元年)に真言宗の「威光寺」として開創した後の鎌倉時代後期となる1312年(正和元年)になると日蓮宗に改宗し山号を「威光山」と号する「法明寺」に改称しています。
また『鬼子母神堂』については、尾張国の「織田信長」が駿河国の「今川義元」を討ち取った「桶狭間の戦い」の翌年となる室町時代後期(戦国時代)の1561年(永禄4年)に現在の文京区目白台付近の畑(清土の地)から出土した『鬼子母神像』を現在の「法明寺」内の一寺院であった「東陽坊」(後に「大行院」と改称)の一画に祀ったのがはじまりとされ、その後の安土桃山時代となる1578年(天正6年)になると村人により草堂が建立されたと伝えられています。
現在の『鬼子母神堂』建立時期は、本殿部分が屋根裏の束に書かれた墨書から江戸時代の徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる1625年(寛永2年)とされ、本殿とつながる拝殿と相の間(幣殿)は徳川幕府第5代将軍「徳川綱吉」の時代である1700年(元禄13年)に広島藩2代目藩主「浅野光晟」の正室「満姫」の寄進による建築と伝えられており、台東区下谷の「仏立山 真源寺」(別称:入谷鬼子母神)と千葉県市川市の「正中山 法華経寺」(別称:中山法華経寺)とともに安産・子育の守り神の「江戸三大鬼子母神」として江戸庶民から武家まで多くの信仰を集めたほか徳川将軍家の御成りもあったとされています。
1960年(昭和35年)になると「東京都有形文化財」に指定されたほかに1976年(昭和51年)から1979年(昭和54年)にかけて実施された解体復元の大修理を経て、2016年(平成28年)に本殿と拝殿・相の間(幣殿)とで異なる特徴を持つ江戸時代の建造物であることから歴史的・意匠的に価値が高いという点が評価され国の「重要文化財」に指定されています。
今回は、平日の午後に東京メトロ・副都心線「雑司ヶ谷駅」から池袋方面に徒歩で向かう途中で『鬼子母神堂』に立ち寄ることにしました。
『鬼子母神堂』へは、「雑司ヶ谷駅」1番出入口から「鬼子母神表参道」を通り5分程度(およそ350メートル)の静かな住宅街に囲まれた中に位置し、境内はひっそりとしていましたが七五三のほか地元の方と思われる人達の参拝者が入れ替わり訪れていました。
境内には、『鬼子母神堂』のほかに「金剛不動尊」を安置した「法不動堂(のりふどうどう)」や「倉稲魂命(うけみたまのみこと)」を祀った「古社武芳稲荷」、1956年(昭和31年)に東京都の「天然記念物」に指定されている「鬼子母神の公孫樹(いちょう)」(樹齢600年以上、樹高30メートル以上、幹周8メートル)、徳川幕府第10代将軍「徳川家治」の時代となる1781年(天明元年)創業の日本最古の駄菓子屋といわれている「上川口屋」などがあり、住宅地の憩いの場といったイメージで落ち着きのある癒しの空間となっています。
また、「鬼子母神表参道」には1940年(昭和15年)に東京都の「天然記念物」に指定された約100メートルの区間に渡り推定樹齢600年を超える古木が含まれるケヤキ並木が続く「鬼子母神大門ケヤキ並木」も見どころのひとつです。
機会があれば、雑司ヶ谷周辺を訪れた際にまた立ち寄りたいと思います・・・- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ副都心線・雑司ヶ谷駅1番出入口から徒歩5分程度です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 地元の方と思われる人達の参拝社が入れ替わり訪れていました。
- バリアフリー:
- 3.0
- 参拝をする際に段差があります。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 江戸時代の建造物として歴史的・意匠的に価値が高いとして国の重要文化財に指定されています。
-
老舗高級料亭の創業者が考案した”松花堂弁当”をいただけます!
投稿日 2020年10月31日
総合評価:4.0
『東京吉兆 歌舞伎座店』は、1991年 (平成3年)に高級料亭『吉兆』が創業者の親族間で”のれん分け”する形で『吉兆グループ』としてグループ会社制に移行したことにより設立された『東京吉兆』が経営する店舗として、2013年(平成25年)に第五期「歌舞伎座」としてリニューアルオープンした「歌舞伎座」場内3階(舞台上手側)にある食事処であり、「歌舞伎座」場内の店舗のため「歌舞伎座」公演の際に「歌舞伎座」場内の入場者を対象に歌舞伎演目の幕間となる時間に合わせて完全予約制により「松花堂弁当」を提供する施設となります。
『吉兆』の歴史は、1930年(昭和5年)に大阪市西区新町で食後に茶の湯でお茶を点てて”おもてなし”をする茶懐石の日本料理店『御鯛茶處 吉兆』として創業し、太平洋戦争終戦後となる1945年(昭和20年)以降から多店舗展開を進めており、1961年(昭和36年)には東京・銀座に『吉兆 東京店』(現在の『東京吉兆 本店』)を出店するとともに1978年(昭和53年)に開催された「東京サミット」では「赤坂離宮迎賓館」での晩餐会でサミット史上初となる日本料理を提供するなど「世界之名物 日本料理」をキャッチフレーズに高級料亭としての地位を築き上げている老舗です。
今回は、「二月大歌舞伎・夜の部」公演の観劇での夕食の場として『東京吉兆 歌舞伎座店』を利用しましたが、歌舞伎演目の幕間に毎年恒例の年中行事として出演中の歌舞伎役者による「節分祭追儺式・豆まき」の開催日でもあり、「歌舞伎座」特製の大入袋に入った豆を舞台上から客席に向かって行われる豆まき行事で大入袋に入った豆をゲットしてから食事に向かいました。
舞台上手側(舞台に向って右手側)のエスカレーターで3階に上がったところにある店内は、ホール席3ブース、ロングカウンター席8席、小個室1部屋(別途個室使用料)からなる全66席のゆったりとした落ち着いた雰囲気の空間となっており、幕間の時間に合わせて待ち時間なく支度されている見た目も美しく上品な「松花堂弁当」をホール席で美味しくいただきました。
ちなみに「松花堂弁当」は、江戸時代初期の僧侶であり文化人でもある「松花堂 昭乗(しょうかどう しょうじょう)」が愛用した道具箱(絵具箱)として用いた小物入れにヒントを得て『吉兆』創業者が考案した縁の高い四つ切り箱を用いて刺身、焼き物、煮物、飯などを見栄え良く配置した弁当です。
機会があれば、また利用してみたい食事処です・・・- 旅行時期
- 2020年02月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 一人当たり予算
- 7,500円未満
- 利用形態
- ディナー
- アクセス:
- 4.5
- 歌舞伎座場内3階(舞台上手側)にある食事処です。
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- サービス:
- 4.0
- 歌舞伎演目の幕間となる時間に合わせて食事の支度がされており待ち時間はありません。
- 雰囲気:
- 4.0
- ゆったりとした落ち着いた雰囲気の空間です。
- 料理・味:
- 4.0
- 創業者が考案した見た目も美しく上品な”松花堂弁当”をいただけます。
- バリアフリー:
- 4.5
- 店内は、通路も広く段差はありません。
- 観光客向け度:
- 4.0
- 歌舞伎座場内の入場者を対象にした完全予約制の食事処です。
-
投稿日 2020年10月25日
総合評価:4.0
『花園神社』は、創建時期が不詳ですが「徳川家康」が江戸に入府した1590年(天正18年)以前に「大和吉野山」より総本社が「伏見稲荷大社」である稲荷神の穀物の神とされる「倉稲魂命(うかのみたまのみこと)」が現在の新宿3丁目「新宿伊勢丹」付近に勧請(神様の分霊を迎え祀ること)され、新宿の総鎮守として信仰を集めていたと伝えられています。
徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代である寛永年間(1624年から1645年)になると神社境内であった場所の周囲を取り囲むように旗本「朝倉宣正」の下屋敷が徳川幕府より拝領されたため、神社境内を「尾張徳川家」下屋敷の庭の一部で多くの花が咲き乱れていた現在の場所(新宿5丁目)に遷座(神様の場所を移すこと)することになり、その場所が美しい花園の跡であったことから『花園稲荷神社』と呼ばれるようになったことが社名の由来とされていますが、当時は「三光院稲荷」または「四谷追分稲荷」とも呼ばれており、1916年(大正5年)になると正式に社名が『花園稲荷神社』となっています。
その後1928年(昭和3年)には現在の新宿4丁目にあった「雷電稲荷神社」(御祭神:穀物・農業を司る女神である「受持神(うけもちのかみ)」)が合祀され、1965年(昭和40年)には現在の鉄筋コンクリート造による本殿の建て替えに合わせて神社境内に末社として鎮座していた「尾張徳川家」によって祀られたと伝わる「大鳥神社」(御祭神:戦勝の神である「日本武尊(やまとたけるのみこと)」)を合祀し、社名も現在の『花園神社』に改められています。
今回は、10月後半の平日に『花園神社』を参拝しましたが、11月の「酉の市」準備のために神社境内に仮設足場を組み立てて提灯の取り付け作業が行われていました。
「酉の市」は、江戸時代から続く年中行事として関東地方を中心に「日本武尊」の命日とされる11月の酉の日に執り行われている例祭であり、『花園神社』では明治時代から「酉の市」が始まり、現在では「鷲神社(東京都台東区)」、「大國魂神社(東京都府中市)」とともに「関東三大酉の市」のひとつとに数えられ毎年大勢の参拝者で賑わいます。
今までにも『花園神社』を数回にわたり参拝していますが、「酉の市」の際に参拝したことがないので、機会があれば「酉の市」にあわせて参拝してみたいと思います。
そのほか徳川幕府第10代将軍「徳川家治」の時代である1780年(安永9年)、および第11代将軍「徳川家斉」の時代である1811年(文化8年)に発生した大火により焼失した社殿再建のため神社境内に見世物小屋を設けて芝居や踊りなどの興行をするなどの芸能との関りが始まったとされています。
1928年(昭和3年)になると神社境内に摂社となる「芸能浅間神社」(御祭神:芸能の女神として「木花之佐久夜毘売(このはなのさくやひめ)」)を創祀、1965年(昭和40年)に現在の明治通り側となる境内北東部分に位置する一画に遷御しています。
この「芸能浅間神社」には、芸事・ヒット祈願など多くの芸能関係者が参拝や奉納に訪れており、1970年(昭和45年)に「第1回 日本歌謡大賞」で大賞を受賞した「藤 圭子」さんのヒット曲「圭子の夢は夜ひらく」の歌碑が建立されています。
また「芸能浅間神社」と同じく神社境内に摂社として1928年(昭和3年)に創祀されたとされる奉納された朱色の鳥居が連なる「威徳稲荷神社」(戦災で資料焼失のため詳細不明)は、恋愛成就・夫婦和合・子授け・縁結びなどのご利益があるとされています。
『花園神社』は、新宿歌舞伎町からも徒歩圏内であり新宿の総鎮守として商売繁盛・開運出世・家内安全・才能開花・芸事成就・縁結び・子授け・夫婦和合などのご利益があるお勧めのパワースポット神社です。
また境内にはサクラの木もありお花見スポットとしてもお薦めできます。- 旅行時期
- 2020年10月
- アクセス:
- 4.0
- 地下鉄・新宿三丁目駅E2出入口を出たところです。歌舞伎町からも徒歩圏内です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 参拝者が絶えることがあるませんが、企業の安全祈願などがある場合を除き込み合うことはありません。
- バリアフリー:
- 2.5
- 本殿を参拝するには、階段を昇ります。
- 見ごたえ:
- 4.0
- サクラの花見スポットとしてお勧めできます。”圭子の夢は夜ひらく”歌碑があります。
-
投稿日 2020年10月24日
総合評価:4.0
『白浜海岸』は、房総半島最南端となる南房総市白浜エリアに位置する「野島崎灯台」八角形の白色塔形コンクリート造(地上から灯火までの高さ24メートル)がある「野島崎」を中心に砂浜と岩場が東西に続く海岸であり、南房総市白浜エリア内には、東側から順に「塩浦海水浴場」、「名倉海水浴場」、「根本海水浴場」の3か所の海水浴場が整備されています。
今回は、家族でドライブをしながら『白浜海岸』沿いを通る「国道410号」を館山方面(東側から西側)に向って通り、「磯笛公園」と「野島崎灯台」の中間となる青木地区の「白浜音頭発祥の地公園」に立ち寄りました。
ここの公園施設は、もともと地元老舗旅館であった「岩目館」新館の跡地であり普通自動車12台分の駐車場、パーゴラ、ベンチ、テーブル、トイレ施設のほかに「白浜音頭発祥の地・記念像」が存在するだけの小規模な公園です。
ちなみに「白浜音頭」は、1956年(昭和31年)に南房総・白浜の花と海をイメージして創作された新民謡であり、白浜町にふさわしい歌詞と曲調から千葉県三大民謡として多くの方々に唄い継がれて、全国各地の盆踊り大会でも「白浜音頭」が流れるなどして親しまれています。
白浜町では、”「白浜音頭」で町おこし”を合言葉として1992年(平成4年)に第1回「白浜音頭全国大会」が開催され、2001年(平成13年)になると大会10周年記念事業として「白浜音頭発祥の地・記念像」が建立されましたが、その後の「白浜音頭全国大会」は、2009年(平成21年)の第18回大会をもって開催が終了しています。
この「白浜音頭」が地元で初めて唄われた場所が、当時の地元老舗旅館「岩目館」新館落成記念の”こけら落とし”の場(現在の「白浜音頭発祥の地公園」)でした。
「岩目館」はすでに廃業していますが、小説「放浪記」の作者として知られる「林 芙美子」氏の紀行文「房州白濱海岸」にも登場するなど多くの著名人が宿泊しているほかに現在の上皇が皇太子時代にご夫妻で白浜町を訪問した際に宿泊した旅館でもあり、「白浜音頭発祥の地公園」の向かいにあった「岩目館」本館はスーパーマーケット「おどや」になっています。
笠を被った2人の女性が並んで踊る和服姿のブロンズ像「白浜音頭発祥の地・記念像」は、かつての老舗旅館「岩目館」本館のあった方角を向いており、この記念像を見ていると「白浜音頭」が誕生したころの華やかな一時代に幕が降ろされたという時の流れを感じ少しむなしい気持ちになりましたが、「白浜音頭発祥の地公園」から海岸側の眺望は天候も良く海もとてもきれいで「野島崎灯台」も望むことができる南国のリゾート地のようで気分を一新することができました。(公園から海岸に降りることができます。)
訪れたのが日中でしたが、夕暮れ時は夕日もきれいだと思います!
機会があれば、夕暮れ時にあわせて「白浜音頭発祥の地公園」に立ち寄り夕日に染まった「野島崎灯台」を見てみたいと思います・・・- 旅行時期
- 2020年08月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
- アクセス:
- 3.0
- JR館山駅から約14キロメートルです。
- 景観:
- 4.5
- 南国のリゾート気分を満喫できます。
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- 地元の人が数人で公園のベンチに座っているだけでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 公園から海岸に降りる部分は舗装されていません。
-
日本橋エリアを散策する際の情報収集場所としてとても便利な施設です!
投稿日 2020年10月17日
総合評価:3.5
『日本橋観光案内所』は、照明灯のある和漢洋折衷の鋳銅製装飾柱が施されたルネッサンス様式の石造二連アーチ橋として1911年(明治44年)に竣工し、現在も技術的・デザイン的に優れた明治期を代表する現役の貴重な橋として1999年(平成11年)に国の重要文化財に指定された「日本橋」の袂となる南詰西側「花の広場」一画に海外からなどの観光客に対する受け入れ整備の一環として2017年(平成29年)にオープンした施設であり、「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」が主体となり運営しています。
ちなみに「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」は、江戸時代から全国各地を結ぶ「五街道」(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点として全国各地からの人々の往来とともに物流による商業および文化の発展で賑わい江戸府内で最も活気溢れる街として繁栄してきた「日本橋」エリアが、かつての賑わいを失いつつある現状のもと「日本橋」エリアの歴史的背景とあわせて産業と文化を継承しながら、将来に向けた新しいまちづくりとの調和と再生を目標に「日本橋」エリアの活性化に取り組む組織として1999年(平成11年)に設立されています。
今回は、日本橋付近で待ち合わせをした際に少し時間があったので短時間でしたが「日本橋」をぐるりとひと廻りして、1991年(平成3年)に「日本橋」竣工・80周年を期して整備された橋詰め廻りの4つの広場(元標の広場、乙姫広場、滝の広場、花の広場)を散策し、南詰西側「花の広場」にある『日本橋観光案内所』にはじめて立ち寄りました。
フリーWi-Fi環境が整備されているコンパクトな『日本橋観光案内所』建物内部は、出入口左手側に「日本橋」エリアの老舗や名店の小物類などの展示販売コーナーがあり、右手側に英語など多言語で対応してくれる和服の女性コンシェルジュが待機しているカウンターがあり丁寧に対応をしてくれるのでの海外からの観光客の方に日本の極め細やかな”おもてなし”を感じてもらえる施設であると感じました。
また、出入口正面には「日本橋」エリアの地図が掲示されているほか「日本橋」エリア関連の各種パンフレットが取り揃えてあるので「日本橋」エリアを散策する際の情報収集場所としてとても便利な施設なので、「日本橋」エリアを散策する際にまた立ち寄りたいと思います。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 日本橋・南詰西側の花の広場に位置します。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 立ち寄った際の利用者は自分だけでした。
- バリアフリー:
- 3.0
- 出入口に少し段差があり内部も狭いです。
- 見ごたえ:
- 3.5
-
投稿日 2020年10月14日
総合評価:4.0
『南池袋公園』は、「池袋駅」の東西をつなぐ「地下中央連絡通路」東側出入口の「西武鉄道 池袋駅・東口」から徒歩5分程度(およそ350メートル)となる南池袋2丁目に位置する豊島区の公園(敷地面積:7,811.5平方メートル)です。
現在に至るまでの公園の歴史は、『南池袋公園』のある南池袋2丁目から東池袋1丁目の一帯が明治時代から「根津山」と呼ばれる雑木林に覆われた丘陵地帯となっており、太平洋戦争末期となる1945年(昭和20年)の「城北大空襲」により大勢の犠牲者の仮埋葬地となっていました。(毎年「城北大空襲」のあった4月13日にあわせて『南池袋公園』で追悼会が催されています。)
太平洋戦争終結後に「池袋駅・東口」周辺の「戦災復興土地区画整理事業」によって、1951年(昭和26年)に「雑司ヶ谷公園」として開園した後、1966年(昭和41年)になると住居表示変更に伴って現在の『南池袋公園』に改称されいます。
また、1974年(昭和49年)に開業した「地下鉄・有楽町線」が『南池袋公園』敷地内中央部分の地下を通過する工事に伴い、1975年(昭和50年)に公園内の再整備が実施された後には、公園内の施設整備がままならず樹木が生い茂り暗く、汚いイメージといった環境悪化が目立つようになっていました。
その後、『南池袋公園』敷地内の南西側に地中深さが20メートルにもおよぶ「東京電力・地下中間変電所建設」(地下4階・地上1階)プランにあわせて豊島区が掲げた「国際アートカルチャー構想」の中に『南池袋公園』の全面リニューアルおよび「地下駐輪場」設置プランを加えた整備工事の着工に伴い2009年(平成21年)に公園を一時閉鎖しています。
2016年(平成28年)には、公園中央に広々とした”芝生広場”をメインに豊島区発祥のソメイヨシノが植えられている樹木の下に広がるデッキスペースと階段状のベンチでくつろげる”サクラテラス”、小さい子供が遊べる遊具を完備してウッドチップが敷き詰められた”キッズテラス”のほかに”多目的広場”やモーニングからランチ、カフェ、お酒も楽しめるディナーまでをイートインのほかにテイクアウトして公園内での飲食も楽しめるオープンスタイルのカフェレストラン施設”Racines FARM to PARK(ラシーヌ ファーム トゥー パーク)”が完備された多世代の人々が同時にくつろげる新たな『南池袋公園』としてリニューアルオープンしています。
新たな『南池袋公園』の運営は、地元商店会・町会・隣接する寺町関係者・豊島区・カフェレストラン・植栽管理者で構成する組織「南池袋公園をよくする会」によるもので、芝生の生育状況の管理のもとに各種イベントの開催など”芝生広場”の開放期間や養生期間をはじめとした公園利用のルールが定められています。
そのほか『南池袋公園』の取り組みは、2017年(平成29年)に「グッドデザイン賞」、「照明デザイン最優秀賞」、「日本造園学会賞(事業・マネジメント部門)」、2020年(令和2年)に「JFMA賞 優秀ファシリティマネジメント賞」を受賞するなど各種団体よりさまざまな視点から評価されています。
全面リニューアル後の『南池袋公園』は、都会のオアシスとして魅力を感じさせる雰囲気のよい公園であり、公園近くを歩いていると自然と公園内に吸い込まれるようにして立ち寄りたくなり公園内をぐるりと一周してから目的地に向かっています。
機会があれば、公園内の”カフェレストラン”を利用したり、”芝生広場”で寝そべってゆっくりとリフレッシュしてみたいと思います。
ちなみに”芝生広場”を利用する際は、芝を傷めないようにイス・テーブル・三脚・テント・ビニールシートなどの利用が禁止となっており芝生の周りに貸し出し用の御座が無料で配置されているほかに芝生の養生期間などで立入禁止になる場合もありますが、お薦めできる公園施設です・・・- 旅行時期
- 2020年10月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 西武鉄道 池袋駅・東口から徒歩5分程度(およそ350メートル)となる南池袋2丁目に位置します。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 芝生広場・サクラテラス・カフェレストランは、昼間から夜間を通して人が絶えません。
- バリアフリー:
- 3.5
- サクラテラス部分のみ階段状のデッキテラスとなっています。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 各種団体より表彰されるなど、さまざまな視点から評価されています。
-
歌舞伎座・外観を中心に色々な角度からの写真撮影で楽しめます!
投稿日 2020年10月04日
総合評価:4.0
『歌舞伎座タワー』は、国内最大規模の歌舞伎専用劇場として1889年(明治22年)に第一期「歌舞伎座」が開場してから関東大震災をはじめとして太平洋戦争(東京大空襲)などに遭遇する度に建て替えが繰り返されてきた第四期「歌舞伎座」の建物老朽化とあわせて耐震化対策ならびにバリアフリー対策の解消に伴う建て替えにより、低層部分の第五期「歌舞伎座」上部に「オフィス施設」を備えた超高層複合商業施設(地下4階、地上29階建て、高さ145メートル)として2013年(平成25年)に竣工しています。
『歌舞伎座タワー』の建物設計は、日本を代表する「三菱地所設計」および「隈研吾建築都市設計事務所」の共同設計によるもので、建物の特徴的な構造として低層部分の「歌舞伎座」舞台と客席による1階から4階までの幅およそ40メートルにもおよぶ柱が存在しない吹き抜け大空間の上部となる5階から6階部分に『歌舞伎座タワー』の要となる巨大な橋桁のような”メガストラクチャー方式”と呼ばれる鉄骨メガトラスを配置した上に7階から29階までの「オフィスタワー棟」が建設されており、建物竣工後の2014年度(平成26年度)には、「第55回 BCS賞(日本建設業連合会)」の受賞をしたほか、「2014年度 日本鋼構造協会 業績表彰業績賞」、「2014年度 照明普及賞」、「第24回 AACA賞特別賞」を受賞するなど各種業界団体によるさまざまな視点から評価されている建物であり、「歌舞伎座」外観を中心に色々な角度からの写真撮影で楽しめます。
ちなみに「BCS賞」は、旧・建築業協会(通称:BCSとは「建築業協会」英語表示の頭文字です。)によって国内の優秀な建築作品を表彰する名誉ある賞であり現在は「日本建設業連合会」が選考しています。
そのほか「日本鋼構造協会 業績表彰業績賞」は、鋼構造・その複合構造に関する技術の向上および発展普及に貢献すると認められる業績を表彰する賞、「照明普及賞」は視環境・照明技法・照明効果などの観点から総合的に優秀な照明施設について「照明協会」の選考により表彰する賞、「AACA賞」は景観・町並み・ランドスケープから建築空間やインテリアまでスケールを問わず建築・美術・工芸の力で人々に感動を与える環境や空間を創り出している作品を「日本建築美術工芸協会」が選考し表彰する賞となっています。
銀座を訪れた際に地下鉄「東銀座駅」と直結している地下2階にある商業施設エリアの「木挽町広場」を利用したり、歌舞伎の観劇で「歌舞伎座」を訪れたことがありますが、今回は歌舞伎の観劇前に初めて『歌舞伎座タワー』5階にある歌舞伎の世界を実際に体験しながら楽しめる「歌舞伎座ギャラリー」(有料)と回遊式の和風「屋上庭園」のほかに「歌舞伎座・大屋根瓦」を近くから望める「五右衛門階段」から4階に降りて過去の「歌舞伎座」模型や想い出の歌舞伎俳優の顔写真が展示されている「四階回廊」を見て廻りくつろぎながら楽しむことができました。
「歌舞伎座」公演の開演前・終演後の時間帯の地下2階「木挽町広場」エリアは多くの来場者で賑わいますが、『歌舞伎座タワー』4階「四階回廊」・5階「歌舞伎座ギャラリー」や「屋上庭園」エリアの来場者は「木挽町広場」のような賑わいも無く落ち着いた雰囲気でお薦めできます。
また、今回利用していませんが5階「屋上庭園」に隣接して1854年(安政元年)創業の老舗「丸山海苔店」が経営する日本茶の美しさを世界に伝えるために始めた日本茶専門店の甘味処「寿月堂」があるので、機会があれば「屋上庭園」を眺めながらの食事や休憩で利用してみたいと思います。- 旅行時期
- 2020年02月
- 利用した際の同行者
- その他
- アクセス:
- 4.5
- 地下鉄・東銀座駅に直結しています。
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 歌舞伎座公演の開演前・終演後の歌舞伎座周辺は込み合います。
- バリアフリー:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
- 歌舞伎座・外観を中心に色々な角度からの写真撮影で楽しめます。
-
江戸城・濠跡の面影を偲び日比谷公園の開園にあわせて整備された和風池です!
投稿日 2020年09月27日
総合評価:4.0
『日比谷公園 心字池(しんじいけ)』は、「皇居外苑」の南側に広がる面積161,636.66平方メートルの敷地に日本初の「洋風近代式公園」(洋風7割・和風3割)として1903年(明治36年)に開園した「日比谷公園」の園内北東側「有楽門」から東側「日比谷門」付近に開園当初から整備されている和風池です。
『心字池』とは、上から眺めるとその名前の通り「心」という文字をくずしたかのような形状をしているのが特長とされる池であり、鎌倉時代から室町時代に造られた庭園に見られる禅宗の影響を受けた日本庭園の伝統的な庭園作法のひとつとされています。
ちなみに「徳川家康」が江戸に入府する以前の「日比谷公園」一帯は、「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がる地域であり、「徳川幕府」が開府された1603年(慶長8年)から本格的に行われた「江戸城」外濠や運河の開削工事などの江戸府内の大改造に伴い埋め立てられ幕末を向えるまでのおよそ400年に渡り各大名の上屋敷が建ち並ぶ地域に生まれ変わっています。
また『心字池』の北側部分となる現在の公園北東側「有楽門」付近には、徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代に完成したとされる「江戸城」を囲むように外濠および内濠の要所に90箇所程度の見張り役の番兵が駐在する城門(門の内側に番兵が滞在できる番所を設置)が設置されていた中で特に「江戸城三十六見附」と呼ばれていた主要な見附のひとつとなる江戸城外郭城門の「日比谷御門(通称:日比谷見附)」が整備されていた場所でもあります。
この「日比谷見附跡」から現在の公園東側「日比谷門」付近までの「日比谷通り」沿いに残る「石垣」は、江戸時代初期の1627年(寛永4年)に「江戸城」の濠に沿って自然石を加工せずにそのまま積み上げる「野面積み(のづらづみ)」工法を用いて築造されたもので江戸時代初期の歴史的に貴重な遺構であり、「江戸城」の濠であった部分は「日比谷公園」を造成する際に濠の面影を偲び一部分を『心字池』として和風池に形を変えて「日比谷公園」に残されています。
そのほか「日比谷公園」は、1989年(平成元年)に「日本公園緑地協会」などにより「日本の都市公園100選」に選定されたほか、2006年(平成18年)に「都市公園法施行50周年等記念事業実行委員会」により「日本の歴史公園100選」にも選定され、2007年(平成19年)になると景観法による「景観重要公共施設(景観重要都市公園)」に指定されるなど開園当初から現在に至るまで100年以上にわたり”東京のシンボル的公園”として庶民に親しまれている都立公園です。
今回は、東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関駅」からJR山手線「有楽町駅」方面に徒歩で向かう際に「日比谷公園」西側の「霞門」から公園敷地内を通り『心字池』や「日比谷見附跡」に立ち寄りました。
短時間でしたが、歴史などに関することを学ぶとともに江戸時代に大名屋敷が建ち並んでいた現在の「日比谷公園」から「江戸城」の濠の一部であった『心字池』や「日比谷交差点」にかかる位置にあった「日比谷御門」を通り「江戸城」に登城する大名たちの様子を想像して楽しむことができました。
「日比谷公園」の園内には、和風池の『心字池』や「日比谷見附跡」、洋風池の「雲形池」のほかに、さまざまな記念碑など点在しているので四季折々の草花や樹木などの植物で癒されながら江戸時代から明治・大正・昭和の近代史などの歴史探索で楽しめる公園であり、機会があれば再度「日比谷公園」敷地内の各所を廻りながら歴史探索をしてみたいと思います・・・- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 東京メトロ:日比谷駅・霞ヶ関駅、都営地下鉄:日比谷駅、JR:有楽町駅から徒歩圏内です。
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 心字池廻りのベンチで休憩する人や写真撮影をする人がまばらにいました。
- バリアフリー:
- 3.0
- 石垣上の遊歩道・ベンチ廻りは高低差があります。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 江戸時代初期に積み上げられた歴史的に貴重な遺構である石垣が残されています。
-
投稿日 2020年09月26日
総合評価:4.0
『シンガポール 海南鶏飯(ハイナンチーファン)』は、”シンガポール料理を通じて発見という悦びを皆様に”をコンセプトとして、2005年(平成17年)に創業した「水道橋本店」とあわせて東京都内(汐留・赤坂・日本橋・水道橋)に計5店舗を構える「シンガポール大使館」御用達でもあるシンガポール料理レストランです。
ちなみに店名の『海南鶏飯』は、チキンスープを用いて炊いたチキンライスに蒸した鶏肉を添えるシンガポールを代表する庶民的な定番料理の名前であり、「日本橋三井タワー・地下1階」(ショップ&レストラン)の一画にある『シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー』は、テーブル席およびカウンター席をあわせて計48席のレストランとして2014年(平成26年)にオープンしています。
『シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー』へのアクセスは、東京メトロ・銀座線「三越前駅」三越方面改札口または中央改札口から「日本橋三井タワー・地下1階」に直結する地下連絡通路のA7出口またはA8出口を利用して徒歩1分から2分程度となるほか、東京メトロ・半蔵門線「三越前駅」日本橋方面改札口およびJR総武線「新日本橋駅」改札口からも地上に出ることなく地下連絡通路で繋がっています。
今回は、休日のお昼時に日本橋を訪れた際のランチ目的で初めて『シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー』に立ち寄りました。
『シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー』の店舗内と建物地下1階(ショップ&レストラン)の通路との境には、間仕切り壁が設置されていないのでとても開放的な空間となっており、初めて訪れても利用しやすい明るい雰囲気のレストランです。
シンガポール料理も初めての体験であったのでランチメニューの中から無難にカレーを選びましたが癖がなく美味しくいただくことができました。
機会があれば、次回は店名にもなっている『海南鶏飯』を注文してみたいと思います。
また、ランチのほかに居酒屋・ダイニングバーとしてアルコール類も充実した品揃えとなっているので、親しい人たちとの宴会などでシンガポール料理とともにタイガービールをはじめとした普段飲む機会のないアルコール類などで東南アジアの雰囲気を味わい・浸りながら利用してみたいと感じるレストランとしてお薦めできます。- 旅行時期
- 2019年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 一人当たり予算
- 1,500円未満
- 利用形態
- ランチ
- アクセス:
- 4.5
- 東京メトロ銀座線・三越前駅改札口から徒歩1分から2分程度です。
- コストパフォーマンス:
- 4.0
- サービス:
- 3.0
- 料理・味:
- 4.0
- シンガポール料理とともにタイガービールなどドリンクも充実しています。
- バリアフリー:
- 4.0
- 店内に段差はありません。
- 観光客向け度:
- 4.0
- シンガポール大使館御用達の都内に5店舗あるチェーン店です。
-
投稿日 2020年09月22日
総合評価:4.5
『白島(しらしま)海岸』は、島根県の北東に位置する日本海に浮かぶ有人島4島のほか180余りの小島(無人島)からなる「隠岐諸島」の中で最大の有人島である「島後(隠岐の島町)」の最北部に突き出た「白島崎」を中心に「沖ノ島」、「白島」、「松島」、「小白島」など三十有余の島々(無人島)が連なる自然豊かなエリアであり、1938年(昭和13年)に国指定文化財として「名勝および天然記念物」に指定されています。
さらに現在灯台が設置されている無人島の「沖ノ島」は、「オオミズナギドリ」の貴重な繁殖地として1940年(昭和15年)に国の「天然記念物」に指定されているほか、1963年(昭和38年)に「隠岐諸島」が「大山隠岐国立公園特別保護地区」として追加指定され保護されています。
また、『白島海岸』周辺の地質は「流紋岩」・「粗面岩」・「玄武岩」の3種類の火山岩からなる地質学的にも貴重なエリアとされており、地名の由来にもなっている白い岩肌部分が国内では珍しい「島後(隠岐の島町)」の代表的な岩石の一つとされる「アルカリ流紋岩」(石英とナトリウムやカリウムなどのアルカリ長石が主な成分)であり、550万年ほど前に発生した噴火により噴出した「流紋岩」や「粗面岩」によるものとされています。ちなみに「アルカリ流紋岩」のアルカリ成分が多くなると「粗面岩」になります。
また、黒い岩肌部分は280万年ほど前に発生した噴火により噴出した「白島崎玄武岩類」と呼ばれる「玄武岩」(主に輝石とカルシウムの多い長石からなる岩石)になります。
そのほか『白島海岸』周辺の気候も独特なエリアとされ対馬暖流の影響により北方系・南方系・大陸系の植物が混在しており、『白島海岸』を一望できる高台の「白島展望台」周辺ではアジサイの花が12月ごろまで開花するなど、「隠岐諸島」の地質・気候などが生み出した自然環境に最適化した文化が評価されて2013年(平成25年)に「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」に認定されています。
今回は、8月末に「島後(隠岐の島町)」の南東部に位置する海の玄関口「西郷港フェリーターミナル」から観光バスで『白島海岸』の無人島群から水平線まで続く「日本海」の大パノラマの絶景を一望できる観光スポットの「白島展望台」に立ち寄りました。
「白島展望台」へのアクセスは、「西郷港フェリーターミナル」から「白島展望台」駐車場(公衆トイレ施設あり)まで自動車で40分程度、さらに駐車場から『白島海岸』を一望できる展望台までは舗装されていない遊歩道を通り徒歩3分程度となります。
「白島展望台」から望む眺望は、天候にも恵まれ『白島海岸』に突き出た陸地部分となる「白島崎」の松などの緑と『白島海岸』周辺の島々(無人島)白い岩肌から日本海の碧く澄んだ海が水平線まで続く自然豊かな大パノラマの絶景を一望することができ満喫するとともに「白島展望台」駐車場から「白島展望台」までの遊歩道に群生しているアジサイの花も観賞することもできました。
「白島展望台」から望む『白島海岸』の眺望は、雄大に広がる大自然を堪能できるお薦めの観光スポットです!
機会があれば『白島海岸』周辺の大自然を観光船で海上からも観光をしてみたいです・・・- 旅行時期
- 2019年08月
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- アクセス:
- 2.5
- 西郷港フェリーターミナルから自動車で40分程度の場所に位置する白島展望台から一望できます。
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
- バリアフリー:
- 3.0

















































































