旅行のクチコミと比較サイト フォートラベル

hiroさんのトラベラーページ

hiroさんのクチコミ(9ページ)全476件

条件をクリア
エリア
カテゴリ
並び順

  • ホテル
  • ショッピング
  • グルメ・レストラン
  • 交通機関
  • 観光スポット
  • 基本情報
  • 千葉県三大民謡「白浜音頭」発祥の地です!

    投稿日 2020年10月24日

    白浜海岸 白浜(千葉)

    総合評価:4.0

    『白浜海岸』は、房総半島最南端となる南房総市白浜エリアに位置する「野島崎灯台」八角形の白色塔形コンクリート造(地上から灯火までの高さ24メートル)がある「野島崎」を中心に砂浜と岩場が東西に続く海岸であり、南房総市白浜エリア内には、東側から順に「塩浦海水浴場」、「名倉海水浴場」、「根本海水浴場」の3か所の海水浴場が整備されています。
    今回は、家族でドライブをしながら『白浜海岸』沿いを通る「国道410号」を館山方面(東側から西側)に向って通り、「磯笛公園」と「野島崎灯台」の中間となる青木地区の「白浜音頭発祥の地公園」に立ち寄りました。
    ここの公園施設は、もともと地元老舗旅館であった「岩目館」新館の跡地であり普通自動車12台分の駐車場、パーゴラ、ベンチ、テーブル、トイレ施設のほかに「白浜音頭発祥の地・記念像」が存在するだけの小規模な公園です。
    ちなみに「白浜音頭」は、1956年(昭和31年)に南房総・白浜の花と海をイメージして創作された新民謡であり、白浜町にふさわしい歌詞と曲調から千葉県三大民謡として多くの方々に唄い継がれて、全国各地の盆踊り大会でも「白浜音頭」が流れるなどして親しまれています。
    白浜町では、”「白浜音頭」で町おこし”を合言葉として1992年(平成4年)に第1回「白浜音頭全国大会」が開催され、2001年(平成13年)になると大会10周年記念事業として「白浜音頭発祥の地・記念像」が建立されましたが、その後の「白浜音頭全国大会」は、2009年(平成21年)の第18回大会をもって開催が終了しています。
    この「白浜音頭」が地元で初めて唄われた場所が、当時の地元老舗旅館「岩目館」新館落成記念の”こけら落とし”の場(現在の「白浜音頭発祥の地公園」)でした。
    「岩目館」はすでに廃業していますが、小説「放浪記」の作者として知られる「林 芙美子」氏の紀行文「房州白濱海岸」にも登場するなど多くの著名人が宿泊しているほかに現在の上皇が皇太子時代にご夫妻で白浜町を訪問した際に宿泊した旅館でもあり、「白浜音頭発祥の地公園」の向かいにあった「岩目館」本館はスーパーマーケット「おどや」になっています。
    笠を被った2人の女性が並んで踊る和服姿のブロンズ像「白浜音頭発祥の地・記念像」は、かつての老舗旅館「岩目館」本館のあった方角を向いており、この記念像を見ていると「白浜音頭」が誕生したころの華やかな一時代に幕が降ろされたという時の流れを感じ少しむなしい気持ちになりましたが、「白浜音頭発祥の地公園」から海岸側の眺望は天候も良く海もとてもきれいで「野島崎灯台」も望むことができる南国のリゾート地のようで気分を一新することができました。(公園から海岸に降りることができます。)
    訪れたのが日中でしたが、夕暮れ時は夕日もきれいだと思います!
    機会があれば、夕暮れ時にあわせて「白浜音頭発祥の地公園」に立ち寄り夕日に染まった「野島崎灯台」を見てみたいと思います・・・

    旅行時期
    2020年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    3.0
    JR館山駅から約14キロメートルです。
    景観:
    4.5
    南国のリゾート気分を満喫できます。
    人混みの少なさ:
    4.5
    地元の人が数人で公園のベンチに座っているだけでした。
    バリアフリー:
    3.0
    公園から海岸に降りる部分は舗装されていません。

  • 日本橋エリアを散策する際の情報収集場所としてとても便利な施設です!

    投稿日 2020年10月17日

    日本橋観光案内所 日本橋

    総合評価:3.5

    『日本橋観光案内所』は、照明灯のある和漢洋折衷の鋳銅製装飾柱が施されたルネッサンス様式の石造二連アーチ橋として1911年(明治44年)に竣工し、現在も技術的・デザイン的に優れた明治期を代表する現役の貴重な橋として1999年(平成11年)に国の重要文化財に指定された「日本橋」の袂となる南詰西側「花の広場」一画に海外からなどの観光客に対する受け入れ整備の一環として2017年(平成29年)にオープンした施設であり、「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」が主体となり運営しています。
    ちなみに「日本橋地域ルネッサンス100年計画委員会」は、江戸時代から全国各地を結ぶ「五街道」(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点として全国各地からの人々の往来とともに物流による商業および文化の発展で賑わい江戸府内で最も活気溢れる街として繁栄してきた「日本橋」エリアが、かつての賑わいを失いつつある現状のもと「日本橋」エリアの歴史的背景とあわせて産業と文化を継承しながら、将来に向けた新しいまちづくりとの調和と再生を目標に「日本橋」エリアの活性化に取り組む組織として1999年(平成11年)に設立されています。
    今回は、日本橋付近で待ち合わせをした際に少し時間があったので短時間でしたが「日本橋」をぐるりとひと廻りして、1991年(平成3年)に「日本橋」竣工・80周年を期して整備された橋詰め廻りの4つの広場(元標の広場、乙姫広場、滝の広場、花の広場)を散策し、南詰西側「花の広場」にある『日本橋観光案内所』にはじめて立ち寄りました。
    フリーWi-Fi環境が整備されているコンパクトな『日本橋観光案内所』建物内部は、出入口左手側に「日本橋」エリアの老舗や名店の小物類などの展示販売コーナーがあり、右手側に英語など多言語で対応してくれる和服の女性コンシェルジュが待機しているカウンターがあり丁寧に対応をしてくれるのでの海外からの観光客の方に日本の極め細やかな”おもてなし”を感じてもらえる施設であると感じました。
    また、出入口正面には「日本橋」エリアの地図が掲示されているほか「日本橋」エリア関連の各種パンフレットが取り揃えてあるので「日本橋」エリアを散策する際の情報収集場所としてとても便利な施設なので、「日本橋」エリアを散策する際にまた立ち寄りたいと思います。

    旅行時期
    2019年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    日本橋・南詰西側の花の広場に位置します。
    人混みの少なさ:
    4.0
    立ち寄った際の利用者は自分だけでした。
    バリアフリー:
    3.0
    出入口に少し段差があり内部も狭いです。
    見ごたえ:
    3.5

  • 多世代の人々が同時にくつろげる都会のオアシスです!

    投稿日 2020年10月14日

    南池袋公園 池袋

    総合評価:4.0

    『南池袋公園』は、「池袋駅」の東西をつなぐ「地下中央連絡通路」東側出入口の「西武鉄道 池袋駅・東口」から徒歩5分程度(およそ350メートル)となる南池袋2丁目に位置する豊島区の公園(敷地面積:7,811.5平方メートル)です。
    現在に至るまでの公園の歴史は、『南池袋公園』のある南池袋2丁目から東池袋1丁目の一帯が明治時代から「根津山」と呼ばれる雑木林に覆われた丘陵地帯となっており、太平洋戦争末期となる1945年(昭和20年)の「城北大空襲」により大勢の犠牲者の仮埋葬地となっていました。(毎年「城北大空襲」のあった4月13日にあわせて『南池袋公園』で追悼会が催されています。)
    太平洋戦争終結後に「池袋駅・東口」周辺の「戦災復興土地区画整理事業」によって、1951年(昭和26年)に「雑司ヶ谷公園」として開園した後、1966年(昭和41年)になると住居表示変更に伴って現在の『南池袋公園』に改称されいます。
    また、1974年(昭和49年)に開業した「地下鉄・有楽町線」が『南池袋公園』敷地内中央部分の地下を通過する工事に伴い、1975年(昭和50年)に公園内の再整備が実施された後には、公園内の施設整備がままならず樹木が生い茂り暗く、汚いイメージといった環境悪化が目立つようになっていました。
    その後、『南池袋公園』敷地内の南西側に地中深さが20メートルにもおよぶ「東京電力・地下中間変電所建設」(地下4階・地上1階)プランにあわせて豊島区が掲げた「国際アートカルチャー構想」の中に『南池袋公園』の全面リニューアルおよび「地下駐輪場」設置プランを加えた整備工事の着工に伴い2009年(平成21年)に公園を一時閉鎖しています。
    2016年(平成28年)には、公園中央に広々とした”芝生広場”をメインに豊島区発祥のソメイヨシノが植えられている樹木の下に広がるデッキスペースと階段状のベンチでくつろげる”サクラテラス”、小さい子供が遊べる遊具を完備してウッドチップが敷き詰められた”キッズテラス”のほかに”多目的広場”やモーニングからランチ、カフェ、お酒も楽しめるディナーまでをイートインのほかにテイクアウトして公園内での飲食も楽しめるオープンスタイルのカフェレストラン施設”Racines FARM to PARK(ラシーヌ ファーム トゥー パーク)”が完備された多世代の人々が同時にくつろげる新たな『南池袋公園』としてリニューアルオープンしています。
    新たな『南池袋公園』の運営は、地元商店会・町会・隣接する寺町関係者・豊島区・カフェレストラン・植栽管理者で構成する組織「南池袋公園をよくする会」によるもので、芝生の生育状況の管理のもとに各種イベントの開催など”芝生広場”の開放期間や養生期間をはじめとした公園利用のルールが定められています。
    そのほか『南池袋公園』の取り組みは、2017年(平成29年)に「グッドデザイン賞」、「照明デザイン最優秀賞」、「日本造園学会賞(事業・マネジメント部門)」、2020年(令和2年)に「JFMA賞 優秀ファシリティマネジメント賞」を受賞するなど各種団体よりさまざまな視点から評価されています。
    全面リニューアル後の『南池袋公園』は、都会のオアシスとして魅力を感じさせる雰囲気のよい公園であり、公園近くを歩いていると自然と公園内に吸い込まれるようにして立ち寄りたくなり公園内をぐるりと一周してから目的地に向かっています。
    機会があれば、公園内の”カフェレストラン”を利用したり、”芝生広場”で寝そべってゆっくりとリフレッシュしてみたいと思います。
    ちなみに”芝生広場”を利用する際は、芝を傷めないようにイス・テーブル・三脚・テント・ビニールシートなどの利用が禁止となっており芝生の周りに貸し出し用の御座が無料で配置されているほかに芝生の養生期間などで立入禁止になる場合もありますが、お薦めできる公園施設です・・・

    旅行時期
    2020年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    西武鉄道 池袋駅・東口から徒歩5分程度(およそ350メートル)となる南池袋2丁目に位置します。
    人混みの少なさ:
    3.0
    芝生広場・サクラテラス・カフェレストランは、昼間から夜間を通して人が絶えません。
    バリアフリー:
    3.5
    サクラテラス部分のみ階段状のデッキテラスとなっています。
    見ごたえ:
    4.0
    各種団体より表彰されるなど、さまざまな視点から評価されています。

  • 歌舞伎座・外観を中心に色々な角度からの写真撮影で楽しめます!

    投稿日 2020年10月04日

    歌舞伎座 銀座・有楽町・日比谷

    総合評価:4.0

    『歌舞伎座タワー』は、国内最大規模の歌舞伎専用劇場として1889年(明治22年)に第一期「歌舞伎座」が開場してから関東大震災をはじめとして太平洋戦争(東京大空襲)などに遭遇する度に建て替えが繰り返されてきた第四期「歌舞伎座」の建物老朽化とあわせて耐震化対策ならびにバリアフリー対策の解消に伴う建て替えにより、低層部分の第五期「歌舞伎座」上部に「オフィス施設」を備えた超高層複合商業施設(地下4階、地上29階建て、高さ145メートル)として2013年(平成25年)に竣工しています。
    『歌舞伎座タワー』の建物設計は、日本を代表する「三菱地所設計」および「隈研吾建築都市設計事務所」の共同設計によるもので、建物の特徴的な構造として低層部分の「歌舞伎座」舞台と客席による1階から4階までの幅およそ40メートルにもおよぶ柱が存在しない吹き抜け大空間の上部となる5階から6階部分に『歌舞伎座タワー』の要となる巨大な橋桁のような”メガストラクチャー方式”と呼ばれる鉄骨メガトラスを配置した上に7階から29階までの「オフィスタワー棟」が建設されており、建物竣工後の2014年度(平成26年度)には、「第55回 BCS賞(日本建設業連合会)」の受賞をしたほか、「2014年度 日本鋼構造協会 業績表彰業績賞」、「2014年度 照明普及賞」、「第24回 AACA賞特別賞」を受賞するなど各種業界団体によるさまざまな視点から評価されている建物であり、「歌舞伎座」外観を中心に色々な角度からの写真撮影で楽しめます。
    ちなみに「BCS賞」は、旧・建築業協会(通称:BCSとは「建築業協会」英語表示の頭文字です。)によって国内の優秀な建築作品を表彰する名誉ある賞であり現在は「日本建設業連合会」が選考しています。
    そのほか「日本鋼構造協会 業績表彰業績賞」は、鋼構造・その複合構造に関する技術の向上および発展普及に貢献すると認められる業績を表彰する賞、「照明普及賞」は視環境・照明技法・照明効果などの観点から総合的に優秀な照明施設について「照明協会」の選考により表彰する賞、「AACA賞」は景観・町並み・ランドスケープから建築空間やインテリアまでスケールを問わず建築・美術・工芸の力で人々に感動を与える環境や空間を創り出している作品を「日本建築美術工芸協会」が選考し表彰する賞となっています。
    銀座を訪れた際に地下鉄「東銀座駅」と直結している地下2階にある商業施設エリアの「木挽町広場」を利用したり、歌舞伎の観劇で「歌舞伎座」を訪れたことがありますが、今回は歌舞伎の観劇前に初めて『歌舞伎座タワー』5階にある歌舞伎の世界を実際に体験しながら楽しめる「歌舞伎座ギャラリー」(有料)と回遊式の和風「屋上庭園」のほかに「歌舞伎座・大屋根瓦」を近くから望める「五右衛門階段」から4階に降りて過去の「歌舞伎座」模型や想い出の歌舞伎俳優の顔写真が展示されている「四階回廊」を見て廻りくつろぎながら楽しむことができました。
    「歌舞伎座」公演の開演前・終演後の時間帯の地下2階「木挽町広場」エリアは多くの来場者で賑わいますが、『歌舞伎座タワー』4階「四階回廊」・5階「歌舞伎座ギャラリー」や「屋上庭園」エリアの来場者は「木挽町広場」のような賑わいも無く落ち着いた雰囲気でお薦めできます。
    また、今回利用していませんが5階「屋上庭園」に隣接して1854年(安政元年)創業の老舗「丸山海苔店」が経営する日本茶の美しさを世界に伝えるために始めた日本茶専門店の甘味処「寿月堂」があるので、機会があれば「屋上庭園」を眺めながらの食事や休憩で利用してみたいと思います。

    旅行時期
    2020年02月
    利用した際の同行者
    その他
    アクセス:
    4.5
    地下鉄・東銀座駅に直結しています。
    人混みの少なさ:
    3.0
    歌舞伎座公演の開演前・終演後の歌舞伎座周辺は込み合います。
    バリアフリー:
    4.0
    見ごたえ:
    4.0
    歌舞伎座・外観を中心に色々な角度からの写真撮影で楽しめます。

  • 江戸城・濠跡の面影を偲び日比谷公園の開園にあわせて整備された和風池です!

    投稿日 2020年09月27日

    日比谷公園 銀座・有楽町・日比谷

    総合評価:4.0

    『日比谷公園 心字池(しんじいけ)』は、「皇居外苑」の南側に広がる面積161,636.66平方メートルの敷地に日本初の「洋風近代式公園」(洋風7割・和風3割)として1903年(明治36年)に開園した「日比谷公園」の園内北東側「有楽門」から東側「日比谷門」付近に開園当初から整備されている和風池です。
    『心字池』とは、上から眺めるとその名前の通り「心」という文字をくずしたかのような形状をしているのが特長とされる池であり、鎌倉時代から室町時代に造られた庭園に見られる禅宗の影響を受けた日本庭園の伝統的な庭園作法のひとつとされています。
    ちなみに「徳川家康」が江戸に入府する以前の「日比谷公園」一帯は、「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がる地域であり、「徳川幕府」が開府された1603年(慶長8年)から本格的に行われた「江戸城」外濠や運河の開削工事などの江戸府内の大改造に伴い埋め立てられ幕末を向えるまでのおよそ400年に渡り各大名の上屋敷が建ち並ぶ地域に生まれ変わっています。
    また『心字池』の北側部分となる現在の公園北東側「有楽門」付近には、徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代に完成したとされる「江戸城」を囲むように外濠および内濠の要所に90箇所程度の見張り役の番兵が駐在する城門(門の内側に番兵が滞在できる番所を設置)が設置されていた中で特に「江戸城三十六見附」と呼ばれていた主要な見附のひとつとなる江戸城外郭城門の「日比谷御門(通称:日比谷見附)」が整備されていた場所でもあります。
    この「日比谷見附跡」から現在の公園東側「日比谷門」付近までの「日比谷通り」沿いに残る「石垣」は、江戸時代初期の1627年(寛永4年)に「江戸城」の濠に沿って自然石を加工せずにそのまま積み上げる「野面積み(のづらづみ)」工法を用いて築造されたもので江戸時代初期の歴史的に貴重な遺構であり、「江戸城」の濠であった部分は「日比谷公園」を造成する際に濠の面影を偲び一部分を『心字池』として和風池に形を変えて「日比谷公園」に残されています。
    そのほか「日比谷公園」は、1989年(平成元年)に「日本公園緑地協会」などにより「日本の都市公園100選」に選定されたほか、2006年(平成18年)に「都市公園法施行50周年等記念事業実行委員会」により「日本の歴史公園100選」にも選定され、2007年(平成19年)になると景観法による「景観重要公共施設(景観重要都市公園)」に指定されるなど開園当初から現在に至るまで100年以上にわたり”東京のシンボル的公園”として庶民に親しまれている都立公園です。
    今回は、東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関駅」からJR山手線「有楽町駅」方面に徒歩で向かう際に「日比谷公園」西側の「霞門」から公園敷地内を通り『心字池』や「日比谷見附跡」に立ち寄りました。
    短時間でしたが、歴史などに関することを学ぶとともに江戸時代に大名屋敷が建ち並んでいた現在の「日比谷公園」から「江戸城」の濠の一部であった『心字池』や「日比谷交差点」にかかる位置にあった「日比谷御門」を通り「江戸城」に登城する大名たちの様子を想像して楽しむことができました。
    「日比谷公園」の園内には、和風池の『心字池』や「日比谷見附跡」、洋風池の「雲形池」のほかに、さまざまな記念碑など点在しているので四季折々の草花や樹木などの植物で癒されながら江戸時代から明治・大正・昭和の近代史などの歴史探索で楽しめる公園であり、機会があれば再度「日比谷公園」敷地内の各所を廻りながら歴史探索をしてみたいと思います・・・

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ:日比谷駅・霞ヶ関駅、都営地下鉄:日比谷駅、JR:有楽町駅から徒歩圏内です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    心字池廻りのベンチで休憩する人や写真撮影をする人がまばらにいました。
    バリアフリー:
    3.0
    石垣上の遊歩道・ベンチ廻りは高低差があります。
    見ごたえ:
    4.0
    江戸時代初期に積み上げられた歴史的に貴重な遺構である石垣が残されています。

  • シンガポール大使館御用達のシンガポール料理レストランです!

    投稿日 2020年09月26日

    シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー 日本橋

    総合評価:4.0

    『シンガポール 海南鶏飯(ハイナンチーファン)』は、”シンガポール料理を通じて発見という悦びを皆様に”をコンセプトとして、2005年(平成17年)に創業した「水道橋本店」とあわせて東京都内(汐留・赤坂・日本橋・水道橋)に計5店舗を構える「シンガポール大使館」御用達でもあるシンガポール料理レストランです。
    ちなみに店名の『海南鶏飯』は、チキンスープを用いて炊いたチキンライスに蒸した鶏肉を添えるシンガポールを代表する庶民的な定番料理の名前であり、「日本橋三井タワー・地下1階」(ショップ&レストラン)の一画にある『シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー』は、テーブル席およびカウンター席をあわせて計48席のレストランとして2014年(平成26年)にオープンしています。
    『シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー』へのアクセスは、東京メトロ・銀座線「三越前駅」三越方面改札口または中央改札口から「日本橋三井タワー・地下1階」に直結する地下連絡通路のA7出口またはA8出口を利用して徒歩1分から2分程度となるほか、東京メトロ・半蔵門線「三越前駅」日本橋方面改札口およびJR総武線「新日本橋駅」改札口からも地上に出ることなく地下連絡通路で繋がっています。
    今回は、休日のお昼時に日本橋を訪れた際のランチ目的で初めて『シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー』に立ち寄りました。
    『シンガポール 海南鶏飯 日本橋三井タワー』の店舗内と建物地下1階(ショップ&レストラン)の通路との境には、間仕切り壁が設置されていないのでとても開放的な空間となっており、初めて訪れても利用しやすい明るい雰囲気のレストランです。
    シンガポール料理も初めての体験であったのでランチメニューの中から無難にカレーを選びましたが癖がなく美味しくいただくことができました。
    機会があれば、次回は店名にもなっている『海南鶏飯』を注文してみたいと思います。
    また、ランチのほかに居酒屋・ダイニングバーとしてアルコール類も充実した品揃えとなっているので、親しい人たちとの宴会などでシンガポール料理とともにタイガービールをはじめとした普段飲む機会のないアルコール類などで東南アジアの雰囲気を味わい・浸りながら利用してみたいと感じるレストランとしてお薦めできます。

    旅行時期
    2019年12月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    一人当たり予算
    1,500円未満
    利用形態
    ランチ
    アクセス:
    4.5
    東京メトロ銀座線・三越前駅改札口から徒歩1分から2分程度です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    3.0
    料理・味:
    4.0
    シンガポール料理とともにタイガービールなどドリンクも充実しています。
    バリアフリー:
    4.0
    店内に段差はありません。
    観光客向け度:
    4.0
    シンガポール大使館御用達の都内に5店舗あるチェーン店です。

  • 雄大な大自然に囲まれたエリアです!

    投稿日 2020年09月22日

    白島海岸 隠岐諸島

    総合評価:4.5

    『白島(しらしま)海岸』は、島根県の北東に位置する日本海に浮かぶ有人島4島のほか180余りの小島(無人島)からなる「隠岐諸島」の中で最大の有人島である「島後(隠岐の島町)」の最北部に突き出た「白島崎」を中心に「沖ノ島」、「白島」、「松島」、「小白島」など三十有余の島々(無人島)が連なる自然豊かなエリアであり、1938年(昭和13年)に国指定文化財として「名勝および天然記念物」に指定されています。
    さらに現在灯台が設置されている無人島の「沖ノ島」は、「オオミズナギドリ」の貴重な繁殖地として1940年(昭和15年)に国の「天然記念物」に指定されているほか、1963年(昭和38年)に「隠岐諸島」が「大山隠岐国立公園特別保護地区」として追加指定され保護されています。
    また、『白島海岸』周辺の地質は「流紋岩」・「粗面岩」・「玄武岩」の3種類の火山岩からなる地質学的にも貴重なエリアとされており、地名の由来にもなっている白い岩肌部分が国内では珍しい「島後(隠岐の島町)」の代表的な岩石の一つとされる「アルカリ流紋岩」(石英とナトリウムやカリウムなどのアルカリ長石が主な成分)であり、550万年ほど前に発生した噴火により噴出した「流紋岩」や「粗面岩」によるものとされています。ちなみに「アルカリ流紋岩」のアルカリ成分が多くなると「粗面岩」になります。
    また、黒い岩肌部分は280万年ほど前に発生した噴火により噴出した「白島崎玄武岩類」と呼ばれる「玄武岩」(主に輝石とカルシウムの多い長石からなる岩石)になります。
    そのほか『白島海岸』周辺の気候も独特なエリアとされ対馬暖流の影響により北方系・南方系・大陸系の植物が混在しており、『白島海岸』を一望できる高台の「白島展望台」周辺ではアジサイの花が12月ごろまで開花するなど、「隠岐諸島」の地質・気候などが生み出した自然環境に最適化した文化が評価されて2013年(平成25年)に「隠岐ユネスコ世界ジオパーク」に認定されています。
    今回は、8月末に「島後(隠岐の島町)」の南東部に位置する海の玄関口「西郷港フェリーターミナル」から観光バスで『白島海岸』の無人島群から水平線まで続く「日本海」の大パノラマの絶景を一望できる観光スポットの「白島展望台」に立ち寄りました。
    「白島展望台」へのアクセスは、「西郷港フェリーターミナル」から「白島展望台」駐車場(公衆トイレ施設あり)まで自動車で40分程度、さらに駐車場から『白島海岸』を一望できる展望台までは舗装されていない遊歩道を通り徒歩3分程度となります。
    「白島展望台」から望む眺望は、天候にも恵まれ『白島海岸』に突き出た陸地部分となる「白島崎」の松などの緑と『白島海岸』周辺の島々(無人島)白い岩肌から日本海の碧く澄んだ海が水平線まで続く自然豊かな大パノラマの絶景を一望することができ満喫するとともに「白島展望台」駐車場から「白島展望台」までの遊歩道に群生しているアジサイの花も観賞することもできました。
    「白島展望台」から望む『白島海岸』の眺望は、雄大に広がる大自然を堪能できるお薦めの観光スポットです!
    機会があれば『白島海岸』周辺の大自然を観光船で海上からも観光をしてみたいです・・・

    旅行時期
    2019年08月
    利用した際の同行者
    社員・団体旅行
    アクセス:
    2.5
    西郷港フェリーターミナルから自動車で40分程度の場所に位置する白島展望台から一望できます。
    景観:
    5.0
    人混みの少なさ:
    4.5
    バリアフリー:
    3.0

  • 優雅にデコレーションが施された店内は女性を中心にお薦めできるビュッフェレストランです!

    投稿日 2020年09月13日

    ロビーラウンジ 「マーブルラウンジ」 ヒルトン東京 新宿

    総合評価:4.0

    『マーブルラウンジ』は、「ヒルトン東京」1階のロビーフロアから2階まで開放感あふれる吹き抜け空間として中央部分に螺旋階段のある「ロビーラウンジ」にゆったりと配置された全208席からなる「ビュッフェレストラン」であり、モーニング・ランチ・デザート・ディナーと1日のそれぞれの時間帯に合わせて季節ごとに定めたテーマを基にしたメニューを提供しています。
    ちなみに「ヒルトン東京」は、日本で初めての外資系ホテル「東京ヒルトンホテル」として1963年(昭和38年)に千代田区永田町にオープンした後の1983年(昭和58年)に一旦閉館していますが、翌年の1984年(昭和59年)に現在の新宿新都心(西新宿)に日本初となる外資系100%の資本による「東京ヒルトン インターナショナル」を新たにオープンし、その後に名称を現在の「ヒルトン東京」に変更している日本における外資系ホテルの先駆けのホテル施設です。
    今回は、家族内のお祝い事による休日のディナー目的で『マーブルラウンジ』で開催されていたフランス国王ルイ16世の王妃である「マリー・アントワネット」をテーマに「華麗なるマリー・アントワネットの晩餐会」と題した”デザート&ディナー「お気に召すまま」”のプランに予約を入れて利用しました。
    ビュッフェスタイルのレストランですが、前菜類はグラスや小プレートなどを用いてオシャレに盛り付けられており、スープ・シーフード・メイン料理などはシェフやスタッフの方が直接それぞれお皿などに盛り付けて提供してくれるので、トングなどを使いまわしすることはありませんでした。
    また、各種チーズ類・デザート類については、優雅にデコレーションされたワゴンにのせてスタッフの方が各テーブルを廻り希望に合わせて盛り付けしてくれるなど新型コロナウイルス感染防止対策が施されており、スタッフの方のきめ細かい対応とゆったりとしたテーブル席でくつろぎながら食事を楽しむことができました。
    料理の種類はそれほど多くはありませんが、それぞれの料理の質の高さが感じられ我が家ではメイン料理の牛肉をきのこデュクセルとブリオッシュで包んで焼き上げたシェフのお薦めである”ビーフ・ウェリントン”が好評でした。個人的には”スズキのポワレ”が美味しかったです。
    また、たっぷり食べたい方にはボリュームのある”ビーフシチュー”がお勧めできます。
    そのほかにデザート類が充実しており女性同士のグループで食事をしている方が多く見受けられ、店内にも18世紀のフランス宮廷の優雅なロココ様式を連想させるデコレーションが施されたフォトジェニックなコーナーもあり女性に人気のレストランであると感じました。
    「ヒルトン東京」へのアクセスは、東京メトロ・丸の内線「西新宿駅」C8出口から徒歩2分程度、都営地下鉄・大江戸線「都庁前駅」より徒歩2分程度です。
    また、「新宿駅」西口の「京王デパート前(バス停21番乗り場)」からホテルまで「無料シャトルバス」(所用時間5分程度・20分間隔)もありますが、新型コロナウイルス感染拡大防止対策で運休中となっていますので注意が必要です。

    旅行時期
    2020年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    一人当たり予算
    7,500円未満
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ丸の内線・西新宿駅C8出口から徒歩2分程度です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    優雅にデコレーションされたワゴンに各種チーズ類・デザート類をのせてスタッフが各テーブルを廻ります。
    雰囲気:
    4.0
    ゆったりとしたテーブル配置で優雅な雰囲気を味わえます。
    料理・味:
    4.0
    料理の種類はそれほど多くはありませんが、それぞれの料理の質の高さが感じられます。
    バリアフリー:
    4.0
    ゆったりとしたテーブル配置となっています。
    観光客向け度:
    4.0
    18世紀のフランス宮廷の優雅なロココ様式を連想させるデコレーションが 施されたフォトジェニックなコーナーがあります。

  • 長閑な里山の田園風景を眺めながら癒されます!

    投稿日 2020年09月06日

    道の駅 「三芳村」鄙の里 富浦・富山

    総合評価:4.0

    『道の駅 三芳村 鄙(ひな)の里』は、富津館山自動車道「富浦インターチェンジ」から自動車で12分程度(およそ6.4キロメートル)となる南房総のほぼ中央部分となる県道88号に面した場所に位置する長閑な里山の田園風景に囲まれた「道の駅」です。
    『道の駅 三芳村 鄙の里』のある南房総市の歴史は、戦国時代初期から代々続く安房国主の「安房里見」氏によって嶺岡山(現在の南房総市大井)一帯で本格的な軍馬の育成が行われ、江戸時代初期の1614年(慶長19年)になると徳川幕府直轄の「嶺岡牧」として継承されています。
    徳川幕府第8代将軍「徳川吉宗」の時代である江戸時代中期になると「嶺岡牧」で輸入された3頭のインド産・白牛が飼育されるようになり、徳川幕府への献上品としてバターに似た乳製品「白牛酪」の製造が始まり「日本酪農発祥の地」とされ、現在も酪農が盛んな地域となっています。
    『道の駅 三芳村 鄙の里』の施設では、地元の野菜や山菜を中心に使用している農村レストラン「カントリーマム」、三芳地区のこだわり低温殺菌の牛乳などが充実した「乳製品コーナー」やお土産品などの特産品を取り揃えた天井の高いメインの建物のほかに地元の新鮮な野菜や米などのほか地元で栽培されているドラゴンフルーツやパッションフルーツなどの熱帯フルーツが充実した農産物とともに花や植物の苗などを揃えている小規模な温室からなる直売所の「土のめぐみ館」、田園風景を眺めながらくつろげる「足湯コーナー」が整備されています。
    今回は、家族でドライブ中の休憩で立ち寄りましたが、昼食後だったので特に飲食などの利用をしないで「土のめぐみ館」を中心に見て廻り野菜などの買い物をしました。
    以前にも(10年以上前)立ち寄り三芳地区のこだわり牛乳を用いたソフトクリームを食べたことがありますが、コクと風味が感じられ牛乳の質の高さが伝わってくる逸品であり新鮮な農産物とともに乳製品はお薦めできます。
    そのほかにテレビ番組で紹介されたこともある屋台で販売している200グラムの国産牛100%パティを使用しているビッグサイズな「ビンゴバーガー」とあわせて、地方に隠された宝物を選ぶグランプリである「にっぽんの宝物 JAPANグランプリ 2017」のスイーツ部門で準グランプリを受賞した地元の食材を使用しているカスタードプリンの「金プリン」と和風プリンの「銀プリン」など気になる商品もいくつかありました。
    機会があれば、また立ち寄って気になる商品を食べてみたいと思います。
    南房総を訪れた際は、海岸に近い「道の駅」を利用しがちになりますが、内陸部にある『道の駅 三芳村 鄙の里』は、長閑な里山の田園風景を眺めながら食事や足湯で休憩したりして心身ともにリフレッシュすることができる「道の駅」です。

    旅行時期
    2020年08月
    バリアフリー:
    4.0
    トイレの快適度:
    4.0
    お土産の品数:
    4.0
    地元の新鮮な農産物と乳製品が充実しています。

  • イベントスペースとしても利用可能な文化と賑わいの発信拠点となる公園です!

    投稿日 2020年08月30日

    中池袋公園 池袋

    総合評価:3.5

    『中池袋公園』は、「JR池袋駅・東口」(32番出口)から徒歩4分程度(およそ280メートル)に位置する「旧・豊島区役所」・「旧・豊島公会堂」・「旧・としま区民センター」に隣接する豊島区の公園(敷地面積:1,785.97平方メートル)として1950年(昭和25年)に開園しています。
    2000年(平成12年)には、公園敷地内に身障者対応トイレやスモーキングエリアを設ける改修工事が実施されており、ケヤキなど高木の樹木による木陰が確保された砂地の敷地でビルの谷間のオアシス的な存在としてくつろぎのある空間となっていました。
    その後の2014年(平成26年)に「日本創成会議」が発表した全国自治体の将来人口推計により、東京23区唯一の「消滅可能性都市」に豊島区が選ばれたことをきっかけに豊島区の「持続発展都市」を目指した対策の一環として2016年(平成28年)に策定した「国際アート・カルチャー都市構想実現戦略」に基づき、「旧・豊島区役所」・「旧・豊島公会堂」・「旧・としま区民センター」のそれぞれの跡地と『中池袋公園』の敷地を含めたエリアを”国際アート・カルチャー都市としま”のシンボルとなる個性の異なる8つの劇場を持つ国際的で多様な文化と賑わいの発信拠点を目指した豊島区と民間企業の連携によるビッグ・プロジェクトによって「Hareza(ハレザ)池袋」が2020年(令和2年)にグランドオープンしています。
    『中池袋公園』は、「Hareza池袋」のグランドオープンに先立ち、2019年(令和元年)に文化と賑わいの発信拠点となるイベントスペースとしても利用可能な天然石舗装のフラットな広場としてリニューアルオープンしています。
    ちなみに「Hareza池袋」の施設は、『中池袋公園』を中心に隣接している「旧・豊島区役所」の跡地に新築した飲食店などの各種店舗(1階・7階)とシネマコンプレックス「TOHOシネマズ池袋」(2階~6階:10スクリーン)およびオフィス(8階~32階)からなる複合施設棟の「Hareza Tower」(地上33階、地下2階、高さ158.28メートル)、「旧・豊島公会堂」の跡地に新築した多目的ホール(1300席)やライブ劇場(500名収容)・スタジオなどのホール棟の「東京建物 Brillia HALL(正式名称:豊島区立芸術文化劇場)」(地上8階、地下1階、高さ41.27メートル)、建て替えにより新しく生まれ変わった「としま区民センター」(地上9階、地下3階、高さ39.384メートル)の3棟で構成されており、地上2階部分で各建物を歩行者デッキで結び建物外観も統一されています。
    リニューアルオープン前の『中池袋公園』にも「旧・豊島公会堂」などを利用する際によく立ち寄っていましたが、今回は「Hareza池袋」のグランドオープン後に『中池袋公園』がどのようになっているのか気になり立ち寄ってみました。
    リニューアルオープン後の『中池袋公園』は、天然石舗装とともに天然石のベンチが点在するの開放的なオープンスペースに生まれ変わっており、敷地内の一画に「としま区民センター」の一つ隣りの建物「アニメイト池袋本店」の関連施設であるドリンクメニューを中心にアニメに関連したコラボメニューを揃えているスタンド形式のカフェ「アニメイトカフェスタンド Hareza池袋」もオープンしており、”国際アート・カルチャー都市としま”および”アニメの聖地・池袋”としても世界に発信する拠点としてさまざまなイベントが企画され益々賑わいのある公園として発展していくエリアになる雰囲気を感じました。
    今後も『中池袋公園』で企画されるイベントなどにも注目していきたいと思います・・・

    旅行時期
    2020年08月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    JR池袋駅・東口(32番出口)から徒歩4分程度です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    4.5
    段差の無い天然石舗装の公園です。
    見ごたえ:
    3.5
    Hareza池袋エリアの一部となるイベントスペースとしても利用可能な公園です。

  • 歴史とともに港町の地域に根付いた神社であることが伝わってきます!

    投稿日 2020年08月23日

    水祖神社 隠岐諸島

    総合評価:3.5

    『水祖(みおや)神社』は、日本海に浮かぶ島根県の隠岐諸島(有人島:4島、無人島・小島:約180島)の中で最大の有人島となる「島後(隠岐の島町)」の海の玄関口「西郷港フェリーターミナル」から徒歩5分程度(およそ400メートル)の「八尾川(やびかわ)」に架かる「天神橋」を渡ってすぐ「隠岐プラザホテル」の隣りに位置する港町天神原に鎮座する神社です。
    主祭神は、日本における代表的な水の神の「罔象女神(みつはのめのかみ)」とされ、相殿に天満天神として信仰の対象で学問の神として親しまれる「菅原道真」が祀られています。
    『水祖神社』由緒によると大昔に「八尾川」上流沿いの中條地区の小さな祠に「菅原道真」公を祀った「天神社」があり、大水の発生で山のように積まれていた蒅(すくも)や藁(わら)束が押し流され『水祖神社』境内にたくさん流れ着き、その中に祠に入った「天神様」が現われ『水祖神社』の氏子たちにより合祀されたとしています。
    また、『水祖神社』の森の裾野は満潮時には浅瀬となり潮が引くと陸地になる様子を”水の原(ミノハラ)”と言い、この地に現われた「天神様」として「みのはらの天神」と呼ぶようになっており、現在も「天神さん」の愛称で親しまれています。
    『水祖神社』の創建は不祥とされておりますが、平安時代中期となる927年(延長5年)に編纂された日本の国家規範の中核であり文化を育み続けてきた膨大な法典である「延喜式(えんぎしき)」の巻9・10「神名帳」によると山陰道神隠岐国周吉郡『水祖神社』に比定される式内社(小社)とされ、平安時代中期に官社として認定されていた由緒ある神社として知られていたことになります。
    ちなみに「八尾川」のおよそ2.2キロメートル上流となる隠岐の島町八田榎原にも『水祖神社』が存在するため「神名帳」に記載の『水祖神社』は、比定としての扱いになります。
    また、戦国時代で有名な「本能寺の変」の2年後となる1554年(天文22年)の棟札によると「天満大自在天神」、そのほか江戸時代初期の第3代将軍「徳川家光」の時代となる1646年(正保3年)および第4代将軍「徳川家綱」の時代となる1670年(寛文10年)の棟札でも「天満天神」を祀る社とされ、1667年(寛文7年)に著された隠州(隠岐国)の地誌「隠州視聴合紀」(隠岐諸島に関する最古の地誌:写本のみ現存)および1688年(貞享5年)に著された地誌「増補隠州記」においても「天満宮」として記載されているなど長きにわたり「天神さん」として親しまれたことが伺えます。
    1823年(文政6年)に著された地誌「隠岐古記集」においては「郷祖神社」と記載されていますが、明治維新後に社号を『水祖神社』とし、1872年(明治5年)の「近代社格制度」による旧社格が「郷社」となっています。
    今回は、団体で”西郷湾と八尾川”を「かっぱ遊覧船」で周遊するコース(45分)と”西郷漁港の港町”を徒歩で巡るコース(45分)のセットプランによる観光で船上と陸上からガイドの方の解説付で『水祖神社』に立ち寄りました。
    『水祖神社』の境内には、「八尾川」に面した東側正面に『水祖神社』の神額が掲げられた鳥居と「隠岐プラザホテル」に隣接する南側に「天満宮」の神額が掲げられた鳥居とともにそれぞれの鳥居に狛犬が配置されているほか手水舎、大きな拝殿とその背後に全景を見ることができませんが1981年(昭和56年)に改築・移転工事がおこなわれた本殿があり、本殿背後の裏山は古墳であるとも伝えられています。
    他に参拝者もなく派手さはありませんが境内はきれいに清掃されており、歴史とともに港町の地域に根付いた神社であることが伝わってきます。
    「島後」の海の玄関口「西郷港フェリーターミナル」からの徒歩圏内でなので、「島後」からフェリーを利用して移動するまでの待ち時間などがある場合の散策にお勧めします。

    旅行時期
    2019年08月
    利用した際の同行者
    社員・団体旅行
    アクセス:
    4.5
    西郷港フェリーターミナルから徒歩5分程度(およそ400メートル)です。
    人混みの少なさ:
    4.5
    他に参拝者はいませんでした。
    バリアフリー:
    3.0
    拝殿は階段があります。
    見ごたえ:
    3.5
    派手さはありません。

  • 江戸時代から明治維新後の近代史について周辺を散策しながら歴史を学べるエリアです!

    投稿日 2020年08月22日

    日本橋川 日本橋

    総合評価:4.0

    『日本橋川』は、JR「水道橋駅」西口付近を流れる「神田川」の「小石川橋」を下流に下り「神田川」から分岐する地点を起点に「首都高速道路・箱崎ジャンクション」の南側となる「豊海橋」を下流に下り「隅田川」の「永代橋」より少し上流部分で「隅田川」と合流する地点を終点とする千代田区および中央区の区間にわたる河川延長がおよそ4.8キロメートルとなる荒川水系の一級河川です。
    1590年(天正18年)に「徳川家康」が初めて江戸に入府した当時の関東平野は不毛の湿地帯が広がる地域であり、「徳川幕府」が誕生した1603年(慶長8年)以降から「江戸城」を中心に外濠や運河の開削工事などの大改造に伴う江戸府内の街造り整備事業が本格的にはじまり、『日本橋川』も整備されるとともに「日本橋」(木造太鼓橋)が『日本橋川』に架けられ江戸と全国各地を結ぶ重要街道となる「五街道」(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点となっています。
    その「日本橋」を中心に全国各地から多くの人々が往来するよになったことに加えて『日本橋川』を利用した水上交通による物流も盛んになり「日本橋魚河岸」をはじめとした露店や物売りなどの町人長屋がつらなる商業の発展とともに人々が集まることにより娯楽施設となる「江戸歌舞伎」や「人形浄瑠璃」の芝居小屋など興行地として文化の発展も加わり江戸府内で最も活気溢れる地域として賑わい世界有数の大都市として成長していく江戸の街が形成されていく過程で『日本橋川』は重要な役割の一端を担っていました。
    現在の『日本橋川』には、1911年(明治44年)に竣工した日本道路網の起点となるシンボル的なルネッサンス様式の石造二連アーチ橋(橋長49.5メートル・橋幅27.5メートル・アーチ径間21メートル)である「日本橋」を含めて全部で27基(一般自動車道路橋梁:22基・歩行者専用橋梁:2基・歩行者専用橋梁復旧工事中:1基・鉄道橋梁:2基)の橋梁が架かっており、各橋梁のさらに上空部分を1964年(昭和39年)の「東京オリンピック」開催を契機として事業が促進された「首都高速道路」整備事業により、「首都高速道路」の高架道路が『日本橋川』河川延長のおよそ9割部分を覆うように建設されています。
    今回は、1999年(平成11年)に技術的・デザイン的に優れた明治期を代表する現役の石造アーチ道路橋という点で貴重であるとして国の重要文化財に指定されている「日本橋」を散策し、現在の「日本橋」が竣工して80周年を期して1991年(平成3年)に実施された橋詰め廻りの整備事業によって完成した「日本橋魚河岸記念碑」のある「乙姫広場」(北詰東側)、「東京市道路元標」などがある「元標の広場」(北詰西側)、「日本橋船着場」が整備されている「滝の広場」(南詰東側)、「日本橋由来記の碑」などがある「花の広場」(南詰西側)の「日本橋」橋詰にある広場をぐるりとひと廻りして短時間でしたが『日本橋川』の水上交通を利用しながら発展した「日本橋」周辺に関する歴史を改めて学び楽しむことができました。
    また、「日本橋」周辺のほかに「江戸城」正門である「大手門」へ向かう外郭正門であった「常磐橋門跡」のある「常盤橋公園」と『日本橋川』を挟んで「外堀通り」につながる西洋近代的な意匠を取り入れた最初の石橋として1877年(明治10年)竣工した『日本橋川』に架かる石造二連アーチ橋(橋長28.8メートル・橋幅12.6メートル)の「常磐橋」とその周辺も『日本橋川』の気になるエリアのひとつです。
    「常磐橋」は、2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」の影響により崩橋する危険性があるとして復旧工事が実施されており、「常盤橋公園」も復旧工事関係の資材置き場となり閉鎖中の状況です。
    ちなみに「常磐橋」は、1928年(昭和3年)に国の史跡として「常磐橋門跡」とともに「国史跡常盤橋門跡」として指定されています。
    機会があれば、復旧工事完了後に「常磐橋」周辺を散策してみたいと思います。
    『日本橋川』は、江戸時代から明治維新後の近代史について周辺を散策しながら歴史を学べるエリアでお薦めできます。

    旅行時期
    2019年12月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    日本橋は、滝の広場に段差があります。
    見ごたえ:
    4.0
    江戸時代から明治維新後の近代史について周辺を散策しながら歴史を学べます。

  • 開放的なオープンテラスのテーブル席は、リゾート気分を満喫できます!

    投稿日 2020年08月16日

    Bloom Cafe grande 君津

    総合評価:4.0

    『Bloom Cafe grande』は、館山自動車道「君津インターチェンジ」を降りて、左折してすぐ(およそ350メートル)の場所に位置する千葉県特産の海産物・農産物・お菓子・地酒などの”おみやげ処”、房総の海の幸や季節ごとの食材を使用した料理や漁港から直送した新鮮なネタが自慢の回転寿司などの”食事処”、露天風呂・サウナを完備した”大浴場施設”のほか誰でも利用できる”足湯コーナー”を揃えた鴨川市に拠点を置く”潮騒グループ”が展開する大型観光施設「房総 四季の蔵」にある開放的なオープンテラスのテーブル席などでピザやパスタなどのランチ・ディナーのほかドリンクやスイーツなどを気軽に楽しめる店舗です。
    我が家では、自動車を利用して南房総を訪れた際の行く途中や帰る途中の食事休憩で「房総 四季の蔵」敷地内に建つ古民家を思わせる天井の高い独特な雰囲気の建物内にある食事処「和食レストラン 季楽里」や「地魚回転寿司 丸藤」をよく利用していますが、今回も「和食レストラン 季楽里」でのランチ休憩を目的として「房総 四季の蔵」に立ち寄りました。
    「房総 四季の蔵」の各施設を利用する場合は、会計をする際に「房総 四季の蔵」ホームページにある”クーポン券”を提示すると利用料金が5%引きとなりますので、”クーポン券”を利用してランチの会計をしたところ”潮騒グループ”の各施設(「房総 四季の蔵」のほか、鴨川にある大型観光施設「潮騒市場」、三井アウトレットパーク木更津店にある「房総 四季の蔵 旬彩」)で利用できる10%引きの割引券を頂いたので、この割引券を利用して隣りの建物にある『Bloom Cafe grande』でデザートをいただくことにしました。
    『Bloom Cafe grande』のどことなくエキゾチックなリゾート気分を感じさせる開放的なオープンテラスのテーブル席に座り、店先看板に掲載されていたお薦めの”ふわっふわの かき氷 2020”をいただきました。
    暑い日でしたが、開放的なオープンテラスのテーブル席でリゾート気分を満喫しながら、フレッシュなイチゴと少し酸味のきいている自家製ストロベリーソースのかかったふわふわの食感の冷たい巨大かき氷(氷の下にバニラアイス入り)を美味しくいただくことができました。(濃厚なストロベリーミルクですが、少し酸味のある自家製ストロベリーソースで食べ終わったあとの口の中はサッパリとした感覚です。)
    ”ふわっふわの かき氷 2020”は、店先看板に掲載されている通りお薦めの逸品です!
    また、この巨大なかき氷を暑い日に食べる際は、店内テーブル席よりもリゾート気分が味わえるオープンテラスのテーブル席をお勧めします。

    旅行時期
    2020年08月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    一人当たり予算
    1,000円未満
    利用形態
    その他
    アクセス:
    4.0
    館山自動車道・君津インターチェンジ出入口からおよそ350メートルです。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    ”房総 四季の蔵”ホームページにある”クーポン券”を提示すると5%引きとなります。
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    オープンテラスのテーブル席は、リゾート気分を満喫できます。
    料理・味:
    4.0
    フレッシュなイチゴと自家製ストロベリーソースのかかったふわふわの巨大かき氷は、お薦めです。
    バリアフリー:
    4.0
    観光客向け度:
    4.0
    大型観光施設”房総 四季の蔵”にある店舗です。

  • 荒波のブルーを基調に鍛金(たんきん)技法で表現された芸術性の高いご尊像です!

    投稿日 2020年08月15日

    神田神社(神田明神) 御茶ノ水・本郷

    総合評価:4.0

    『神田明神 えびす様尊像』は、江戸時代初期の1616年(元和2年)に江戸城増築に伴い江戸城の表鬼門守護の場所にあたる現在の地に遷座し「江戸総鎮守」として「神田明神」の名称で当時の江戸庶民から現在も都内千代田区・中央区(神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内、旧神田市場・築地魚市場など)の108か町会の総氏神として尊崇されている「神田神社」における二ノ宮の商売繁盛の神様とされる”えびす様”こと「少彦名命(すくなひこなのみこと)」のご尊像として2005年(平成17年)に建立されています。
    ちなみに「神田明神」の名称で親しまれている「神田神社」は、一ノ宮に縁結びの神様とされる”だいこく様”こと「大己貴命(おおなむちのみこと)」、三ノ宮にあらゆる勝負運の神とされる平安時代中期の関東の武将「平将門命(たいらのまさかどのみこと)」の3柱を祭神として祀っており、社伝によると奈良時代初期の730年(天平2年)に武蔵国豊島郡芝崎村(現在の千代田区大手町・将門塚周辺)の地に「大己貴命」を祀ったのが始まりとされています。
    また”えびす様”は、海の彼方にある「常世(とこよ)の国」から小さな木の実の殻を舟にして大海原を渡って日本に来訪されたと伝えられている小さな姿の神様で、「神田神社」の一ノ宮である大きな姿の”だいこく様”と力をあわせて日本国を築いた国土開発・事業繁栄の神様、医薬の教えを全国各地に広めた病気平癒・健康増進の祖神、魚群を岸に追い込み大漁をもたらすイルカやクジラにも例えられる海の幸を象徴する神様、さらに小さな姿から”一寸法師”の原型とも言われている日本古来の神様です。
    この『神田明神 えびす様尊像』の造形は、イルカ・タイ・トビウオ・カメなどの海の生物に守られながら荒波の中を木の実の殻に乗っている小さな姿の”えびす様”を「鍛金(たんきん)」(金属を金床や烏口などにあて金槌で打つことで形を変えていく技法)により荒波のブルーを基調に表現された思わず足を止めて見入ってしまう芸術性の高い素晴らしいご尊像です。
    制作者は、数々の受賞歴があり東京藝術大学学長や文化庁長官を歴任した経緯のある東京芸術大学名誉教授であり金工作家の「宮田亮平」氏です。
    『神田明神 えびす様尊像』に出会うまでの自分の中での”えびす様”は、「七福神」でよく描かれている左手に大きな鯛を抱えて右手に釣り竿を担いでいる大柄な姿をイメージしていましたが、この『えびす様尊像』を見て”えびす様”のイメージが一新し、「神田神社」を参拝した際には『神田明神 えびす様尊像』にも手を合わせています。
    今回は、2018年(平成30年)に「神田神社」境内の南西部分に新しく「神田明神文化交流館(EDOCCO)」がオープンしてから初めて「神田神社」を参拝しましたが、「神田神社」境内の配置が以前と少し変わっており神門である「随神門」のある南側道路を手水舎のある西側に少し進んだ道路沿いに位置する「神田明神文化交流館(EDOCCO)」1階アプローチの一画に『神田明神 えびす様尊像』が配置されています。
    いつも参拝者の絶えない人気パワースポット神社でありお茶の水・秋葉原方面に出向いた際には、また参拝してみたいと感じる神社のひとつでお薦めできます・・・

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    カップル・夫婦
    アクセス:
    4.0
    総武線・丸の内線:御茶ノ水駅、千代田線:新御茶ノ水駅、銀座線:末広駅より各々徒歩5分程度です。
    人混みの少なさ:
    3.0
    いつも参拝者の絶えない人気の神社です。
    バリアフリー:
    4.0
    道路と境内の境のL型側溝の段差も低く設計されています。
    見ごたえ:
    4.0
    鍛金技法で表現された芸術性の高いご尊像です!

  • 歌舞伎座の重厚感ある美しい大屋根をまじかで鑑賞できます!

    投稿日 2020年08月13日

    歌舞伎座 銀座・有楽町・日比谷

    総合評価:4.0

    『五右衛門階段』は、国内最大規模の歌舞伎専用劇場として1889年(明治22年)に開場した第一期「歌舞伎座」から数えて4回目の建て替えとなる第五期「歌舞伎座」と高さ145メートルの「オフィスビル」の複合商業施設として2013年(平成25年)に完成した「歌舞伎座タワー」(地上29階、地下4階)の歌舞伎座4階部分の「四階回廊」と歌舞伎座の大屋根部分に位置する5階部分の回遊式の美しい和風「屋上庭園」をつなぐ色鮮やかな朱塗りの屋外鉄骨階段です。
    この『五右衛門階段』からは、「歌舞伎座」の重厚感ある美しい外観を演出している大屋根に使用されている日本三大瓦のひとつで吸水率が低く凍害にも強いとされる「三州瓦」をまじかで鑑賞することができます。
    大屋根に使用されている「三州瓦」の枚数は、およそ10万枚とされており瓦1枚1枚が手作業により形を整えて製造され生産開始からすべての瓦を焼き上げるまでにおよそ1年の期間を要しています。
    その「三州瓦」屋根の先端部分には「歌舞伎座」の座紋である「鳳凰丸」が施されていますが、あとから知った話しによるとそのうちの1枚だけ鳳凰の顔の向きが反転していて『五右衛門階段』から反転した鳳凰の瓦を見つけることができるそうです。
    階段の名前の由来については、「歌舞伎座」大屋根が江戸時代中期から後期となる徳川幕府第10代将軍「徳川家治」の時代である1778年(安永7年)に初演された歌舞伎の演目「南禅寺山門の場」における大盗賊「石川五右衛門」が京都にある南禅寺・山門の上で煙管を吹かしながらの有名なセリフとなる「絶景かな、絶景かな。春の宵は値千両とは、小せえ、小せえ。この五右衛門の目からは、値万両、万々両・・・」の場面を連想させるところから『五右衛門階段』と呼ばれています。
    『五右衛門階段』へのアクセスは、「東銀座駅」(東京メトロ・日比谷線、都営地下鉄・浅草線)3番出口に直結している「歌舞伎座タワー」地下2階の「木挽町広場」左側奥にあるエレベーターホールから専用エレベーター(一番手前のエレベーター)で5階に上がります。
    屋外地上からのアクセスの場合は、「晴海通り(都道304号)」と「昭和通り(都道316号)」の交差する「三原橋」交差点の「昭和通り」に面している「歌舞伎座タワー」西側の「昭和通り口」から建物内に入りエレベーターで4階または5階に上がります。
    今回は、「歌舞伎座」夜の部公演の観劇で16時開場に合わせて「歌舞伎座」前で待ち合わせをしていましたが、待ち合わせ時間前に初めて5階フロアにある歌舞伎の世界を実際に体験しながら楽しめる「歌舞伎座ギャラリー」(有料)と歌舞伎にまつわる先人の碑・黙阿弥の石燈籠と蹲踞(つくばい)などが配置されている「屋上庭園」(無料)から『五右衛門階段』を利用して4階フロアの想い出の歌舞伎俳優の顔写真・過去の「歌舞伎座」(第一期から第四期まで)の模型などが展示されている「四階回廊」(無料)を見て廻り、くつろぎながら楽しむことができました。
    そのほか5階フロアには、「屋上庭園」と隣接して1854年(安政元年)創業の老舗「丸山海苔店」が日本茶の美しさを世界に伝えるために始めた日本茶専門店「寿月堂」などの施設があるので、機会があれば「歌舞伎座タワー」の4階フロアと5階フロアに立ち寄り、「屋上庭園」や「寿月堂」でくつろぎながら『五右衛門階段』から「歌舞伎座」大屋根先端部分の鳳凰の顔が反転している瓦を探してみたいと思います。

    旅行時期
    2020年02月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    歌舞伎座5階・屋上庭園と4階・四階回廊をつなぐ朱塗りの屋外鉄骨階段です。
    人混みの少なさ:
    4.5
    平日でほとんど貸し切り状態でした。
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0
    歌舞伎座・大屋根瓦をまじかで鑑賞できます。

  • 本格南イタリア料理と種類豊富なワインなどを味わえる隠れ家的なレストランです!

    投稿日 2020年08月08日

    タンテ グラッツィェ 池袋

    総合評価:4.5

    『タンテ グラッツィェ』は、東京メトロ・副都心線「池袋駅」C3出入口のある「立教通り」を「立教大学」・「リビエラ東京(結婚式場)」方面に向かい「豊島税務署入口」信号を右折(北側の路地)してすぐ、「池袋駅」C3出入口から徒歩2分程度(およそ150メートル)となる「西池袋エリア」に位置するイタリアンレストランです。
    イタリア語で「どうもありがとうございます」という意味の“Tante Grazie”を店名としている南イタリアの民家を彷彿させる4階建ての建物である『タンテ グラッツィェ』は、コンセプトを”都会のオアシスとしてお洒落な大人達のニーズを満たす隠れ家”として2013年(平成25年)にオープンしています。
    1階から4階まである『タンテ グラッツィェ』店内の各フロアは、異なるイメージのオシャレな空間となっており、落ち着いたプライベートスペースが確保された空間での各種宴会やパーティーを企画するためにフロアごとの貸し切り利用が可能であり、種類豊富な各種ワインを中心とした充実のドリンク類とともに日本におけるイタリア料理界の第一人者であるイタリア南部出身の”カルミネ・コッツォリーノ”氏の専門店で修業したのちに本場イタリア・シチリア島にわたり修行を積み重ねたベテラン・シェフの本格南イタリア料理が味わえるレストランでもあります。
    今回は、お祝いごとのお酒を交えたディナー目的により12名で4階フロアを貸し切りとしての利用でした。
    4階フロアは、温かみのあるレンガ調タイル貼りの壁が特徴の落ち着きのある空間と開放的な窓ガラス越しに西池袋の景観を楽しめるテラスデッキをイメージしたサンルーフスペースがあり、予約した食事の時間になるまでサンルーフスペースで夕暮れ時の西池袋の街並みを眺めながらの団らんでくつろいだのちに、落ち着きのあるレンガ調タイルの空間でこだわりのワインとともに本格南イタリア料理の品々を堪能することができました。
    また、店内にはエレベーターが設置されいてバリアフリー対策などの配慮も感じられるレストランでもあり、機会があればまた利用したいと思います。
    「立教通り」から路地に入ってすぐの場所に位置する本格南イタリア料理と種類豊富なワインなどを味わえる南イタリアの民家を彷彿させる隠れ家的な『タンテ グラッツィェ』は、お薦めできるイタリアンレストランです!

    旅行時期
    2020年03月
    利用した際の同行者
    その他
    一人当たり予算
    7,500円未満
    利用形態
    ディナー
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ・副都心線の池袋駅C3出入口から徒歩2分程度です。
    コストパフォーマンス:
    4.0
    サービス:
    4.0
    雰囲気:
    4.5
    外観は南イタリアの民家を彷彿させ、店内は落ち着きのあるオシャレな空間となっています。
    料理・味:
    4.5
    南イタリアで修行経験のあるベテラン・シェフの本格南イタリア料理を味わえます。
    バリアフリー:
    4.5
    4フロアある店内には、エレベーターが設置されています。
    観光客向け度:
    4.5

  • 日本で3番目に古い装飾用噴水として制作されたものです!

    投稿日 2020年08月02日

    日比谷公園 銀座・有楽町・日比谷

    総合評価:4.0

    『日比谷公園 鶴の噴水』は、もともと「日比谷入江」と呼ばれる海辺の湿地帯が広がる地形であり、「徳川家康」が江戸に入府した以降に埋め立てられ幕末まで大名の上屋敷が立ち並び明治維新後には「大日本帝国陸軍近衛師団練兵場」が設置されましたが、1903年(明治36年)にドイツの公園を範としながら部分的に日本庭園の手法も加えた日本初の「洋風近代式公園」(洋風7割・和風3割)として開園した「日比谷公園」西側部分の緑地帯に整備されたドイツ風庭園洋式の池「雲形池(くもがたいけ)」の中央部分に設置されている噴水です。
    鶴が翼を広げて天を仰ぎくちばしから水を噴く姿の『鶴の噴水』は、園内の案内板によると1905年(明治38年)ごろに日本を代表する鋳金・鋳造の工芸家・彫金家であった東京美術学校(現在の東京芸術大学)の「津田信夫」氏と「岡崎雪声」氏の共同制作によるブロンズ製の装飾用噴水とされていますが、「日比谷公園」開園当初に設置されていたとされる資料もあるようです。
    その後に昭和初期の太平洋戦時下になると『鶴の噴水』台座部分のブロンズが戦局の激化に伴う武器生産に必要な金属資源などの不足を補うための金属類回収令によって、現在の石造台座に改修されていまが、日本における装飾用噴水の設置された歴史として『鶴の噴水』が3番目に古い制作と言われています。
    ちなみに日本最古と言われている装飾用噴水は、1878年(明治11年)ごろ「鎮西大社諏訪神社(長崎)」境内に奉納(現在は長崎公園内に復元された噴水が設置されています)されたものとされ、詳細は定かではありませんが1898年(明治31年)に開園した「箕面公園(大阪)」に設置(現存していません)されていたとされる噴水が2番目に古いと言われています。
    今回は、東京メトロ丸ノ内線「霞ヶ関駅」からJR山手線「有楽町駅」方面に向かう際に「日比谷公園」の西側「霞門」から「雲形池」に立ち寄り北東側「有楽門」までの公園敷地内の区間を徒歩で通りました。
    短時間でしたが、木々に囲まれた「雲形池」に響く『鶴の噴水』の心地よい水音に耳を傾けて和むことができました。
    『鶴の噴水』が設置されている「雲形池」周辺は、四季折々の草花や樹木のほかにもさまざまな記念碑などがあるので、機会があればゆっくりと四季折々の「雲形池」周辺の景観とともに近代史について歴史探索などをしながら楽しみたいと思います・・・
    ちなみに「日比谷公園」は、1989年(平成元年)に公園に対する愛護の精神を高め整備を推進するために「日本公園緑地協会」などが選定した「日本の都市公園100選」に選ばれ、2007年(平成19年)になると景観法による「景観重要公共施設(景観重要都市公園)」に指定されている都立公園であり、開園当初から現在に至るまで100年以上にわたり”東京のシンボル的公園”として庶民に親しまれています。

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    東京メトロ:日比谷駅・霞ヶ関駅、都営地下鉄:日比谷駅、JR:有楽町駅から徒歩圏内です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    平日の午後でしたが、園内ベンチで休憩したり散策する人がまばらでにいる程度でした。
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0
    四季折々の雲形池周辺の景観で楽しめます。

  • コンパクトなボート型の観光遊覧船で海面に近い位置に座って風を感じながら景観を楽しめます!

    投稿日 2020年08月01日

    かっぱ遊覧船 隠岐諸島

    総合評価:4.0

    『かっぱ遊覧船』は、日本海に浮かぶ島根県の離島となるおよそ180の群島からなる隠岐諸島の中で最大の島「島後(隠岐の島町)」の中心部から「西郷港」まで流路延長が8.45キロメートルとなる隠岐諸島最大級の二級河川「八尾川(やびがわ)」河口周辺と「島後」の海の玄関口である「西郷港」を周遊する2010年(平成22年)より期間限定で運行している1隻の定員が12名のコンパクトなボート型の観光遊覧船です。
    ちなみに、運行期間が4月から10月までの7か月間で、出航は1日3便(10時、13時45分、15時45分)、所要時間はおよそ45分となります。
    周遊コースは、水深が深く東西におよそ5キロメートルに広がる「西郷港」湾内への「間口」と呼ばれる出入口部分が東西にせり出した岬によって幅がおよそ300メートルと狭く海上がしけている時でも湾内が穏やかであるのが特徴となっており、江戸時代中期から明治時代初期にかけて日本海の海運として活躍した多くの帆船「北前船」が食料および飲料水の補給とあわせて順風と海流を待つための風待ち港として栄えた「西郷港」のレトロな雰囲気の残る漁師町の街並みと自然豊かな湾内出入口「間口」周辺の岩肌、「西郷港」から望む隠岐最高峰の大満寺山(標高:607.7メートル)、湾内に架かる島のシンボルでもある赤のコントラストが美しい「西郷大橋」(中路式ローゼ橋・橋長:271メートル)を海面から見上げる景観などとともに「西郷港」に流れ込む「八尾川」に古くから伝わる”かっぱ伝説”にまつわるかっぱの住処があったと伝えられている「かっぱの淵・水神様」の祠を見て廻り楽しめます。
    「八尾川」の”かっぱ伝説”は、「八尾川」のほとりの九兵衛(屋号:唐人屋)さんが畑のキュウリを盗んでいた河童の左腕を刀で切り落とした後に河童が謝罪し今後一切このようなことはしませんとの”詫び状”を書かせ左腕を河童に返したところ、翌日から河童が御礼として魚を毎朝もってくるようになり、九兵衛さんが”河童は古くから福を持ってくると言われているから、何も一切の縁を切ることも なかろう”と言って、自宅と「八尾川」の対岸に祠を建て河童の神霊を祭ったそうです。
    今回は、団体で2隻の『かっぱ遊覧船』を貸し切りとした”遊覧船(45分)”と西郷漁港の街並みを徒歩で巡る”島ぐる(45分)”のセットプランによる観光で船上と陸上からガイドの方の解説を聞きながら楽しめました。
    特に『かっぱ遊覧船』は、コンパクトなボート型なので海面に近い位置に座って風を感じながら「西郷港」と「八尾川」からの景観は楽しめます。
    『かっぱ遊覧船』の利用は事前の電話予約などが必要となり、集合場所となる観光協会のある「隠岐ポートプラザ1階」には「島後」の海の玄関口「西郷港フェリーターミナル」から徒歩1分程度でなので、「島後」からフェリーを利用して移動するまでの待ち時間がある場合などにお薦めできる観光スポットです!

    旅行時期
    2019年08月
    コストパフォーマンス:
    4.0
    一般の場合:大人1500円です。
    人混みの少なさ:
    4.0
    今回の利用は、団体の貸切でした。
    バリアフリー:
    2.5
    ボート型なので乗り降りの際は揺れます。
    乗り場へのアクセス:
    5.0
    集合場所:海の玄関口・西郷港フェリーターミナルから徒歩1分程度です。
    車窓:
    4.5
    海面に近い位置に座って風を感じながら景観を楽しめます。

  • 江戸時代からの地歌舞伎が受け継がれている木々に囲まれた高台にある神社です!

    投稿日 2020年07月26日

    祢津日吉神社 真田・東御

    総合評価:4.0

    『祢津日吉神社』の創建は不詳ですが、比叡山の麓に鎮座する紀元前91年(崇神天皇7年)に創祀されたとされる全国におよそ3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮である「日吉大社」の分霊として、「大山咋神(おおやまくいのかみ)」(農耕(治水)を司る神)を本尊に祀っています。
    『祢津日吉神社』は、しなの鉄道「田中駅」から路線バス(新張方面行き)で「西宮停留所」下車徒歩およそ15分(「田中駅」からタクシーで10分程度)、上信越自動車道「東部湯の丸インターチェンジ」から自動車で5分程度(但し、現地周辺に駐車場施設はありません。)となる東御市北中部の弥津地区東町に位置します。
    参道の急な石段を登った高台の自然豊かな木々に囲まれた境内には、石段を登り切った正面すぐの場所に1間切妻向拝付きとなる銅板葺き切妻屋根(桁行3間、梁間2間半)の拝殿、その奥に銅板葺き一間社流造で外壁構造部分が朱塗り、壁部分が黒塗り、彫刻部分が極彩色で彩られた本殿があります。
    さらに本殿背後には、嘉永年間(1848年~1855年)の記録によると徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代となる江戸時代後期の1817年(文化14年)に建立されたとされる「東町の歌舞伎舞台」とともに芝居見物のための観客席となる少し傾斜のある広場があり、徳川幕府第9代将軍「徳川家重」の時代となる江戸時代中期の1751年(寛延4年)の銘が入った歌舞伎上演の道具入れとなる「踊大小入」の木箱が残されています。
    また、祢津地区西宮にある「祢津建事神社」境内にも1816年(文化13年)に建立されたとされる「西宮の歌舞伎舞台」が現存するほか、この地域が徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる江戸時代初期の1624年(寛永元年)より旗本の久松松平家領となっており歌舞伎などの文化も流入しやすく取り締まりも緩やかであったと推測される背景からも農村歌舞伎が古くから根付いていたことが伺われます。
    「東町の歌舞伎舞台」では、地歌舞伎の公演が継続的に実施されていましたが、太平洋戦争終戦後の困窮期となる1950年(昭和25年)に一度途絶えています。
    1988年(昭和63年)になると「東町の歌舞伎舞台」の修復工事が実施されたのを機に地元保存会により「祢津東町歌舞伎」の公演が復活し毎年4月29日に開催されるようになっています。
    1990年(平成2年)には「東町の歌舞伎舞台」が「長野県有形民俗文化財」に指定、1996年(平成8年)には「祢津東町歌舞伎」が「東御市無形文化財」に指定されおり、現存する回り舞台を持つ本格的な舞台施設としては祢津地区にある「東町の歌舞伎舞台」と「西宮の歌舞伎舞台」が日本最古といわれています。
    今回は、所要で「弥津公民館」に立ち寄った際の空き時間を利用して歴史的な史跡が点在する弥津地区を徒歩で散策し『祢津日吉神社』に立ち寄りました。
    『祢津日吉神社』拝殿や本殿とともに「東町の歌舞伎舞台」建物内部の見学は出来ませんが、高台の自然に囲まれ落葉が積もった静寂な境内にいると清々しい気分になりリフレッシュできました。
    『祢津日吉神社』のほか木々で囲まれた遊歩道をウォーキングをしながら弥津地区内の「史跡めぐり」はお薦めできます!
    機会があれば、「祢津東町歌舞伎」の公演も観てみたいと思います・・・

    旅行時期
    2019年11月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    2.5
    東部湯の丸ICから車で約5分(周辺に駐車場はありません)、しなの鉄道・田中駅からタクシーで約10分です。
    人混みの少なさ:
    5.0
    訪れた際は誰もいませんでした。
    バリアフリー:
    2.5
    急な石段の参道を登った高台にあります。

  • 施設名称を”房総の駅 とみうら”と改めて2019年(平成31年)にリニューアルオープンしています!

    投稿日 2020年07月25日

    房総の駅 とみうら 富浦・富山

    総合評価:4.5

    『南房総 道楽園(どうらくえん)』は、1981年(昭和56年)に設立の千葉県鴨川市に本社を構える水産卸売会社「株式会社 ヤマト」が展開する観光事業の一環として、南房総を自動車を利用して観光するのに利便性の高い富津館山自動車道「富浦インターチェンジ」から直ぐ目の前(1分前後)の「館山バイパス(国道127号)」に面する広大な敷地に普通車200台・大型車27台と大型観光バスが立ち寄れる駐車場スペースを確保し、複数の食事処・生鮮市場施設・おみやげ施設・休憩スペースなどが揃う”食のテーマパーク”として2009年(平成21年)にオープンした施設です。
    ちなみに「株式会社 ヤマト」は、鴨川市の漁港を中心に南房総地域にある漁港の買参権や「東京都中央卸市場・豊洲市場」の売買取引権を取得して”漁場と直結!”をモットーに、産地仲買・卸し業さらに小売りを行い、千葉県・東京都内で展開する回転寿司・海鮮居酒屋などのチェーン店などの飲食店に至るまで魚に関するすべての事業を手掛ける総合水産会社です。
    2019年(平成31年)には、一部敷地内施設の改修工事を機に施設名称を『房総の駅 とみうら』と改めてリニューアルオープンしており、雑誌「旅色 TABIIRO」でも日本全国の観光スポット・注目度ランキングで上位にランクインしている施設です。
    『房総の駅 とみうら(旧:南房総 道楽園)』施設内には、「株式会社 ヤマト」が外食事業として展開する回転寿司の「地魚寿司 山傳丸(やまでんまる)」、地魚海鮮丼専門店の「房総海鮮丼専門店 ばんごや本店」、海鮮浜焼き食べ放題の「浜焼き食べ放題 浜焼き屋」の食事処のほかに房総の鮮魚・干物などを販売する「生鮮市場 魚鷹(うおたか)」、カフェ&ベーカリー・おみやげ・休憩施設の「とみうらカフェ」などの店舗が集結しています。
    『房総の駅 とみうら』については、以前より自動車で「富浦インターチェンジ」を利用するたびに気になる施設でありましたが、今回初めてランチ目的で正月休日の13時ごろに立ち寄り「地魚寿司 山傳丸」を利用しました。
    食事処はどこも待ち時間が1時間程度の満席状態で施設内は大変賑わっておりしたが、待ち時間を利用して敷地内にある生鮮市場やおみやげなどの各施設を見て廻り待ち時間はほとんど気になりませんでした。
    「地魚寿司 山傳丸」では、鮮度のよい南房総の地魚のほかにも地元の食材を意識し千葉県産”ふさこがね”100%を使用したお米に千葉県「私市(きさいち)醸造」の江戸前赤酢に天然出汁をブレンドしたオリジナル無添加酢を加えたシャリ、醤油も千葉県「ヒゲタ醤油」が「やまと・山傳丸」のチェーン店用に調製・調合したオリジナル無添加醤油を使用するなどお店自慢のこだわりが詰まった握り寿司を美味しくリーズナブルな値段で堪能することができました。
    食事後も買い物などで施設内を見て廻りながら「とみうらカフェ」建物内奥にある休憩スペースを利用しました。
    休憩スペースにあるソファーは、靴を脱いで利用する場所もありくつろぎながら充分に休憩することができました。
    富津館山自動車道「富浦インターチェンジ」の目の前にある休憩スペースが完備されたとても便利で利用しやすい施設でお薦めできます!
    南房総を訪れた際にまた食事や休憩で利用したいと思う施設です。

    旅行時期
    2020年01月
    利用した際の同行者
    家族旅行
    アクセス:
    4.5
    富津館山自動車道・富浦インターチェンジの目の前にあります。
    コストパフォーマンス:
    4.5
    南房総の新鮮な地魚などリーズナブルな食事処が揃っています。。
    人混みの少なさ:
    3.0
    正月休日の13時ごろで人も大勢でしたが駐車場が充実しています。
    施設の快適度:
    4.0
    靴を脱いでくつろげる休憩スペースを完備しています。
    バリアフリー:
    4.0
    アトラクションの充実度:
    4.0
    ”食のテーマパーク”として南房総の新鮮な地魚を中心とした食事処とおみやげ施設が充実しています。

hiroさん

hiroさん 写真

2国・地域渡航

17都道府県訪問

写真 | QA掲示板 | 行ってきます | 掲示板 クリップ

hiroさんにとって旅行とは

自分を客観的にみた第一印象

大好きな場所

大好きな理由

行ってみたい場所

現在2の国と地域に訪問しています

拡大ボタンを押すと地図が
動かせます。

現在17都道府県に訪問しています