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江戸時代からの地歌舞伎が受け継がれている木々に囲まれた高台にある神社です!

  • 4.0
  • 旅行時期:2019/11(約4年前)
hiroさん

by hiroさん(男性)

真田・東御 クチコミ:8件

『祢津日吉神社』の創建は不詳ですが、比叡山の麓に鎮座する紀元前91年(崇神天皇7年)に創祀されたとされる全国におよそ3,800社ある日吉・日枝・山王神社の総本宮である「日吉大社」の分霊として、「大山咋神(おおやまくいのかみ)」(農耕(治水)を司る神)を本尊に祀っています。
『祢津日吉神社』は、しなの鉄道「田中駅」から路線バス(新張方面行き)で「西宮停留所」下車徒歩およそ15分(「田中駅」からタクシーで10分程度)、上信越自動車道「東部湯の丸インターチェンジ」から自動車で5分程度(但し、現地周辺に駐車場施設はありません。)となる東御市北中部の弥津地区東町に位置します。
参道の急な石段を登った高台の自然豊かな木々に囲まれた境内には、石段を登り切った正面すぐの場所に1間切妻向拝付きとなる銅板葺き切妻屋根(桁行3間、梁間2間半)の拝殿、その奥に銅板葺き一間社流造で外壁構造部分が朱塗り、壁部分が黒塗り、彫刻部分が極彩色で彩られた本殿があります。
さらに本殿背後には、嘉永年間(1848年~1855年)の記録によると徳川幕府第11代将軍「徳川家斉」の時代となる江戸時代後期の1817年(文化14年)に建立されたとされる「東町の歌舞伎舞台」とともに芝居見物のための観客席となる少し傾斜のある広場があり、徳川幕府第9代将軍「徳川家重」の時代となる江戸時代中期の1751年(寛延4年)の銘が入った歌舞伎上演の道具入れとなる「踊大小入」の木箱が残されています。
また、祢津地区西宮にある「祢津建事神社」境内にも1816年(文化13年)に建立されたとされる「西宮の歌舞伎舞台」が現存するほか、この地域が徳川幕府第3代将軍「徳川家光」の時代となる江戸時代初期の1624年(寛永元年)より旗本の久松松平家領となっており歌舞伎などの文化も流入しやすく取り締まりも緩やかであったと推測される背景からも農村歌舞伎が古くから根付いていたことが伺われます。
「東町の歌舞伎舞台」では、地歌舞伎の公演が継続的に実施されていましたが、太平洋戦争終戦後の困窮期となる1950年(昭和25年)に一度途絶えています。
1988年(昭和63年)になると「東町の歌舞伎舞台」の修復工事が実施されたのを機に地元保存会により「祢津東町歌舞伎」の公演が復活し毎年4月29日に開催されるようになっています。
1990年(平成2年)には「東町の歌舞伎舞台」が「長野県有形民俗文化財」に指定、1996年(平成8年)には「祢津東町歌舞伎」が「東御市無形文化財」に指定されおり、現存する回り舞台を持つ本格的な舞台施設としては祢津地区にある「東町の歌舞伎舞台」と「西宮の歌舞伎舞台」が日本最古といわれています。
今回は、所要で「弥津公民館」に立ち寄った際の空き時間を利用して歴史的な史跡が点在する弥津地区を徒歩で散策し『祢津日吉神社』に立ち寄りました。
『祢津日吉神社』拝殿や本殿とともに「東町の歌舞伎舞台」建物内部の見学は出来ませんが、高台の自然に囲まれ落葉が積もった静寂な境内にいると清々しい気分になりリフレッシュできました。
『祢津日吉神社』のほか木々で囲まれた遊歩道をウォーキングをしながら弥津地区内の「史跡めぐり」はお薦めできます!
機会があれば、「祢津東町歌舞伎」の公演も観てみたいと思います・・・

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
2.5
東部湯の丸ICから車で約5分(周辺に駐車場はありません)、しなの鉄道・田中駅からタクシーで約10分です。
人混みの少なさ:
5.0
訪れた際は誰もいませんでした。
バリアフリー:
2.5
急な石段の参道を登った高台にあります。

クチコミ投稿日:2020/07/26

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