江戸時代から明治維新後の近代史について周辺を散策しながら歴史を学べるエリアです!
- 4.0
- 旅行時期:2019/12(約6年前)
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by hiroさん(男性)
日本橋 クチコミ:18件
『日本橋川』は、JR「水道橋駅」西口付近を流れる「神田川」の「小石川橋」を下流に下り「神田川」から分岐する地点を起点に「首都高速道路・箱崎ジャンクション」の南側となる「豊海橋」を下流に下り「隅田川」の「永代橋」より少し上流部分で「隅田川」と合流する地点を終点とする千代田区および中央区の区間にわたる河川延長がおよそ4.8キロメートルとなる荒川水系の一級河川です。
1590年(天正18年)に「徳川家康」が初めて江戸に入府した当時の関東平野は不毛の湿地帯が広がる地域であり、「徳川幕府」が誕生した1603年(慶長8年)以降から「江戸城」を中心に外濠や運河の開削工事などの大改造に伴う江戸府内の街造り整備事業が本格的にはじまり、『日本橋川』も整備されるとともに「日本橋」(木造太鼓橋)が『日本橋川』に架けられ江戸と全国各地を結ぶ重要街道となる「五街道」(東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道)の起点となっています。
その「日本橋」を中心に全国各地から多くの人々が往来するよになったことに加えて『日本橋川』を利用した水上交通による物流も盛んになり「日本橋魚河岸」をはじめとした露店や物売りなどの町人長屋がつらなる商業の発展とともに人々が集まることにより娯楽施設となる「江戸歌舞伎」や「人形浄瑠璃」の芝居小屋など興行地として文化の発展も加わり江戸府内で最も活気溢れる地域として賑わい世界有数の大都市として成長していく江戸の街が形成されていく過程で『日本橋川』は重要な役割の一端を担っていました。
現在の『日本橋川』には、1911年(明治44年)に竣工した日本道路網の起点となるシンボル的なルネッサンス様式の石造二連アーチ橋(橋長49.5メートル・橋幅27.5メートル・アーチ径間21メートル)である「日本橋」を含めて全部で27基(一般自動車道路橋梁:22基・歩行者専用橋梁:2基・歩行者専用橋梁復旧工事中:1基・鉄道橋梁:2基)の橋梁が架かっており、各橋梁のさらに上空部分を1964年(昭和39年)の「東京オリンピック」開催を契機として事業が促進された「首都高速道路」整備事業により、「首都高速道路」の高架道路が『日本橋川』河川延長のおよそ9割部分を覆うように建設されています。
今回は、1999年(平成11年)に技術的・デザイン的に優れた明治期を代表する現役の石造アーチ道路橋という点で貴重であるとして国の重要文化財に指定されている「日本橋」を散策し、現在の「日本橋」が竣工して80周年を期して1991年(平成3年)に実施された橋詰め廻りの整備事業によって完成した「日本橋魚河岸記念碑」のある「乙姫広場」(北詰東側)、「東京市道路元標」などがある「元標の広場」(北詰西側)、「日本橋船着場」が整備されている「滝の広場」(南詰東側)、「日本橋由来記の碑」などがある「花の広場」(南詰西側)の「日本橋」橋詰にある広場をぐるりとひと廻りして短時間でしたが『日本橋川』の水上交通を利用しながら発展した「日本橋」周辺に関する歴史を改めて学び楽しむことができました。
また、「日本橋」周辺のほかに「江戸城」正門である「大手門」へ向かう外郭正門であった「常磐橋門跡」のある「常盤橋公園」と『日本橋川』を挟んで「外堀通り」につながる西洋近代的な意匠を取り入れた最初の石橋として1877年(明治10年)竣工した『日本橋川』に架かる石造二連アーチ橋(橋長28.8メートル・橋幅12.6メートル)の「常磐橋」とその周辺も『日本橋川』の気になるエリアのひとつです。
「常磐橋」は、2011年(平成23年)に発生した「東日本大震災」の影響により崩橋する危険性があるとして復旧工事が実施されており、「常盤橋公園」も復旧工事関係の資材置き場となり閉鎖中の状況です。
ちなみに「常磐橋」は、1928年(昭和3年)に国の史跡として「常磐橋門跡」とともに「国史跡常盤橋門跡」として指定されています。
機会があれば、復旧工事完了後に「常磐橋」周辺を散策してみたいと思います。
『日本橋川』は、江戸時代から明治維新後の近代史について周辺を散策しながら歴史を学べるエリアでお薦めできます。
- 施設の満足度
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4.0
- 利用した際の同行者:
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 日本橋は、滝の広場に段差があります。
- 見ごたえ:
- 4.0
- 江戸時代から明治維新後の近代史について周辺を散策しながら歴史を学べます。
クチコミ投稿日:2020/08/22
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