ニッキーさんへのコメント一覧(2ページ)全422件
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ひきつづきお邪魔してます・・・。
日を改めて歴博いかれたんですね〜。
何としても、「良さ」をお知らせしたいという思い
大変よく伝わってきておりますよ。
今回は近現代メインということなので、
歴史語りはできなくはないのですが
やっぱりワクワク感が下がってしまいます。
歴史というより、下手したら「懐かしい」とかなっちゃうし。
1964年の東京オリンピックのポスター・・・
親戚の兄ちゃんの部屋に貼ってあったことを思い出しました。
それに「ケロヨン」じゃなくって「ケロリン」
銭湯いったら桶はたいがいアレだったなぁ。
むっちゃ懐かしいですよ。
もう一度使いたいとは思いませんけども・・・。
富山の薬売りもうちには来てて、毎月だったか季節ごとだったか
使用した分だけ取り替えていはりましたねぇ。
私はおなかをよく壊したので、陀羅尼助丸だけ飲まされました。
効いたんだか、よくわかんないですけども。
1864年当時のスフィンクスは、砂に半分埋まっていたのが
よくわかりますよね。
岩倉使節団も全権委任状を忘れたりする、お間抜けな使節団ですが
おかげで真摯な目で圧倒的な近代化を焼き付けてきたのでしょうな。
だから、征韓論って場合じゃないって言えたんでしょう。
面白いものです。
西陣のおくどさんはもう懐かしさの局地、みんなあんなおうちだったなぁ。
愛宕さんの「火廼要慎」は実家にずっと貼ってあった。
博物館に飾られるというより、少し前の日常だったもん。
歳とった証拠ですね〜。
孫もいるからねぇ〜。やれやれ。
楽しい旅行記でした。またお邪魔させてもらいまーす。
ねいちゃ
RE: 引き続きありがとうございます
ねいちゃさん、引き続きのご訪問ありがとうございます。
以前は第4〜第6展示室は面白味がなく、これまでは第1〜第3展示室はじっくり見て、4〜6は駆け足でつまみ食いしながら通り抜けるような見学をしていました。でも展示も模様替えされ充実して、今回行ってみたら、4〜6も興味深く見て回れました。ここ150年、近代日本が歩んできた道を振り返るという意味で、とても面白かったです。
とはいえ近現代の展示ですから、歴史ロマンのワクワク感はやっぱりありませんよね〜。
それにしても懐かしいものがいっぱいでしょう?過ぎ去った暮らしぶりを博物館でこうして体系立てて保存してくれると、いいですね。
写真は無い(撮影禁止のため)のですが、具体的な企業名の入った製品がたくさん展示されていて、博物館でこんな物を展示するのか〜と驚きました。関東大震災時の流言に関する証言なども映像が繰り返し流されていて、そこも撮影禁止でしたが印象に残っています。
どうしてこんな立派な施設が、我が街佐倉に造られたのかわからないのですが、佐倉市の数少ない自慢です。京都はいいですよー、自慢できるものが一杯ありますからね。佐倉市は片手で数えられるぐらいしかありません。
さて私の方は、次男にも赤ちゃんが生まれて孫3人になりました〜。しばらく外出はお預け。お手伝いに駆り出されております。
梅雨の折り、お体にお気をつけください。
ニッキー2016年06月16日13時09分 返信する -
ご無沙汰しております〜♪
お久しぶりですね〜、お元気でしたか?
私もぼちぼちやっております。。。
というわけで、今回は歴博にお邪魔させてもらいます。
最初に思ったのは、なんと私めには「ドストライク」な資料館。
立派な施設があるんですね〜〜〜〜。
原始古代からこれでもかというくらいの日本史三昧・・・素敵です。
職業柄、時代考証とか、んなものについつい目が行きがちですが
オールクリアですね。ニッキーさんの解説も100点満点。(笑)
縄文期を1万6千年前と規定されていましたが
教科書的には1万3千年前と一般的には記されているようです。
しかしこれは諸説あるので誤差の範囲内ですからね。
抜歯の通過儀礼のことや、骨格部分での縄文系と弥生系の違いなど
完璧な内容でございました。
亀ヶ岡土偶とか高床倉庫なんて、ワクワクしますね〜。(私だけ?)
ちゃんとネズミ返しまで言及されていて、ばっちりです。
銅鐸も舌(ぜつ)とともに発見された遺物が最近見つかりましたね。
銅鐸の巨大化は、本来の実用品から、宝器や祭器への変遷で
これは同時に大陸から鉄器が入ってきたことに由来するわけですが
ちゃんと使用されなくなったと書かれていて、脱帽です。
腕あげましたね。(笑)
箸墓の「やまとととびももそひめのみこと」なんて、
4トラの旅行記で名前が見られるとは思いもしませんでした。
箸墓の名前の由来は、エロチックなお話なんで面白いですよ〜。
計帳は租税台帳の一種で、戸籍ととともにつくられたもの。
古代の税は成年男子にのみ課せられたもので、その人となりを残して
個人を特定したものと言われています。
だからほくろの場所とか書いてあるんですね。
東三条殿は現在は石碑しか残っていませんが、
御所が焼失した時、一条帝など里内裏として使った場所で
藤原氏にとっては貴重な場所だったことがわかっています。
御所から引っ越した数日間の記録なども「御堂関白記」には残っていますから、ほんとワクワクしますよね〜。
室町期には、定期市から常設店へと発展した頃で、いわゆる見世棚があふれてきた時代・・・。見世棚はお店の語源とも言われてます。
江戸時代は貨幣経済を押しとどめた時代なんで、室町から戦国期の方が貨幣経済は華やかに発展したんですよね。
あぁ、嬉しくなってウダウダ書き散らしてしまいました。
こういう資料館、いけません。筆がとまりませんわ〜。
京都は特化した資料館は多くあるんですが、こういう網羅的なものはないので、とっても新鮮でした。
また、お邪魔しまーす。
ねいちゃ
RE: さすがはねいちゃさん
うわー、やっぱりねいちゃさんの知識はすごいですね。ねいちゃさんならこう書くのかー。
歴史物の旅行記をねいちゃさんに読んでいただくなんて、恥ずかしくて顔から火が出そうです。甘めに満点評価をいただきましてありがとうございます。内心ほっとしました(笑)。まあでも、おかしな点がありましたら、愛の鞭でどうぞご指摘ください。
銅鐸は祭事に使用したと昔習いましたが、何のためにあんな特殊な形をしているのかずっと疑問に思ってました。もともとは釣鐘として使用されていたとわかり、納得しました。吊るされた銅鐸は初めて見ました。それにしても、鳴らし方が意外でした。中の棒(舌というのですね?)と一緒に発見されたのなら、確かにそうだったのでしょう。私は仮に釣鐘だったとしても、お寺の鐘のように外から叩いて打ち鳴らしたのだろうと思っていました。
旅行記には載せていませんが、でき上がったばかりの銅鐸の見本も展示されていまして、これがなんと金ぴかに輝いていてびっくりしました。銅鐸も銅矛も青いのしか見たことがなかったので、青銅器は青銅という青い金属でできていると思い込んでいたのです(恥)。いえいえ、銅が緑青で青くなることは知ってたんですよ。お寺の銅葺き屋根もそうですし。ただ、銅鐸の青い色が緑青の結果だとは思ってもみなかったんです。この歳まで気づかなかったなんて、思い込みとは恐ろしい・・・。
「御堂関白記」、内容は淡々とした日記のようなものでしたが、あれは道長の自筆でしょう?そのような貴重なものが残っていて当時の暮らしがわかるなんて、すごいことですよね。
五百年前、千年前も今と同じように人々が政治を行い仕事をし、日々の生活を送っていたと考えると不思議な気がします。千年前に道長が京都のこの場所に暮らし、その様子が日単位で追跡できるとなると・・・確かにワクワクしますね。歴史好きなねいちゃさんなら、なおさらでしょう。
ちなみに箸墓古墳の名前の由来、ねいちゃさんに乗せられて調べてみました。
あらまあ・・・
(*^_^;)
見世棚→店
これは納得です。
今回は写真で紹介しやすいものだけに限定して載せたのですが、実際には紹介しきれないほどの膨大な展示がありました。ねいちゃさんが行かれたらきっと夢中になられると思いますよ。
私の方は2人目の孫(長男第2子)が生まれ・・・で、次はたぶん今週あたり3人目の孫(次男第1子)誕生です(笑)。
そんなこんなでばたばたしてまして、ねいちゃさんの「姫路城」も書き込みもせず失礼しました。でも、しっかり読ませていただきましたよ。
またよろしくお願いします。
ニッキー
2016年06月12日21時58分 返信する -
初めまして
初めまして
夏にロンドンに行く予定のものです
フィッシュアンドチップスのお店を大英博物館の近くで探しておりました
有益な御情報を教えて下さりまして、ありがとうございます
メモさせていただきました
本当にありがとうございました
また素敵な旅行記をありがとうございました -
見所満載の日光路、一度いってみたいですっ。
ご無沙汰しております。
久方ぶりに、4トラに戻って参りました。(笑)
あ、新年のご挨拶が遅れて申し訳ありません。
あけましておめでとうございます。
さて、日光・・・東照宮だけかと思っていたら色々あるんですね。
二社一寺というんですか、それに御用邸まで・・・。
もし、関西から行くとすれば、一泊くらいは考えておいた方がいいですね。
先日「ブラタモリ」で日光をやってて、それ以外もBSなどでも
取り上げられていたんで、いつかは行きたいねーとヨメとも話していました。
実際寄せてもらう前には、ニッキーさんの旅行記で前調べしなきゃ。
今回も内容もしっかりお調べになっていて、見所もきっちり網羅されているので、大変勉強にもなります。
葵の紋の逆とりつけもTVでやってたのを、しっかりとチェック入ってたので、さすがはニッキーさん!とニンマリでした。
修復時に発見された、この時しか見られない絵も・・・完璧ですね。
もし行くとしても、陽明門の修復後にするつもりなので、あの絵は見られないのは残念です。
3部作にして正解ですね。ホントに見所満載。
随所にニッキー節もあって、いつもながら楽しい旅行記でした。
また、寄せていただきます。
本年もよろしくお願い申し上げます。 ねいちゃRE: 今年もよろしくお願いします
ねいちゃさん、新年おめでとうございます。
「ブラタモリ」・・・やってましたね〜。東照宮ロケの部分、私は裏番組と行ったり来たり。「あそこ見た」「そうそう」なんて思いながらちらちら見てました。
日光へはガイドブックを買い、ちゃんと下調べをしてから行きました。何も知らずに行って、旅行記を書く段になって「見損ねた〜」と気づくことが多いものですから。また、東照宮ではイヤホンガイドを借りたので、見逃しなく回ることができました。その代わりスローペースになりましたけどね。見逃しなく回った分、旅行記はかなり詳細にわたってしまいました。最後までお読みいただき、ありがとうございました。
関西からいらっしゃるなら、日光へは一泊で行かれるのがいいと思います。日光山内だけでも見どころが多いのですが、一泊する場合、中禅寺湖や奥日光まで足を伸ばす方が多いようですよ。奥日光には湯元温泉などいい温泉があるようですし、戦場ヶ原などでハイキングも楽しめるようです。陽明門の修復は当初の予定より急いで完成させるそうです。みんな早く見たいですものね。
今年は暖冬で、穏やかな1月ですね。私は仕事を辞めてからゆる〜い生活。ズボンのウェストがきつくなってきたので、年明けから活動量計を身に着けフィットネスやウォーキングを始めました。少しすっきりしたいです。
ねいちゃさんが新しい旅行記を書かれたことにも気づいてますよ〜。近いうちに拝見しに伺わせていただきます。
今年もよろしくお願いいたします。
良い年になりますよう。
ニッキー2016年01月11日11時12分 返信する -
違い過ぎる…
ニッキー様 こんにちわ
「ドイツ人の心の故郷 世界遺産ヴァルトブルク城」見ました!
城の内部も外観もすべてに於いて明るくて、全く別物のようです
ニッキーさんが行かれたのは5月の午前中だったからでしょうか…
私のは季節も時間も悪かったみたいで暗い、暗い、暗すぎです…
それとも写真の腕?
まあ、明るくても、暗くてもその価値はいささかも揺るぎませんが、
イメージ違いすぎます…
カメラ買い換えようかな
アルデバランRE: 違い過ぎる…
アルデバランさんの旅行記、見て来ました。
明るさの違いは季節と時間の違いですよ、きっと。
私が行ったのは5月初め、新緑の季節の午前中。
お天気もそこそこ良かったと思います。
アルデバランさんが行かれたのは、山の木々が葉を落としている季節の午後遅い時間。お城の中には明りも入っていたようですし、ドイツは日の暮れるのが早いのでしょう。
でも、内部の写真は私は逆にアルデバランさんの写真がいいと思いましたよ。
私の場合、自分のカメラがドイツへ行ったとたんに故障して、慣れない妹のコンデジで撮ってます。城内で撮った写真は明るさが足りなかったのか歩きながら撮ったからか、なんと3分の2ぐらいがピンボケ写真。アップする写真に困りました。やむを得ず、多少のピンボケでも載せてしまっていますから。
それにしても、夕方山の上のお城に行く時は、帰りのことを考えておかねばならないということ、教訓になりました(笑)。お城からの帰り、真っ暗な森の中を歩くしかないってくだり。笑いました。怖〜!
ニッキー2015年10月19日21時46分 返信する -
ラーツケラー情報
ニッキー様
アルデバランです。大変お久しぶりです…
中断していたドイツの旅行記を久しぶりに再開してワイマールの報告をしたところ
「内容が近い旅行記」にニッキーさんの名前が!
早速拝見すると…
なんと「ワイマールでの食事はここで」と決めていたラーツケラーの情報が。
市庁舎の地下と思ってさんざん周りを探しましたがとうとう見つかりませんでした。
対面だったのですね!
見つからないはずです
おかげさまで11か月ぶりに謎がとけました。
それにしてもシュパーゲルの話
思わず笑ってしまいました。
「食い物の怨みはなんとか」と言いますが、細い方のホワイトアスパラも見たかったです。
RE: ラーツケラー情報
アルデバランさん、お久しぶりです〜!
よくぞお訪ねくださいました。
見ると私のワイマール編にも「内容が近い旅行記」にアルデバランさんの旅行記が入っていたので、さっそくアルデバランさんのワイマール編を拝見しました。
バッハの足跡を訪ねて〜、
いいですねぇ、テーマのある旅。
さすがはアルデバランさん、「通」の旅ですね。
それにしても、私が知っているだけでもアンダルシアにお詳しいかと思えば中国の歴史を訪ねる旅、自衛隊の演習・・・そして今度はバッハですか〜(@o@)
それも並の知識ではないご様子。博識で広い趣味をお持ちですね。
ラーツケラーってもしかして「市庁舎の地下食堂」みたいな意味があるのではありませんか?それで市庁舎の地下を探されたのでしょう。近いけれど完全に別の建物、観光案内所の建物に小さい入口がありました。
細い方のシュパ―ゲルは人のお皿だったので写真には撮れなかったのですが、クレームをつけて当然、本当に細かったです。割り箸みたいに細いのがしなっと3本お皿に乗ってるだけでした(笑)。
ワイマールの旅行記にアルデバランさんが星5つをつけていらっしゃるのが羨ましかったです。私は星3つですから。ワイマールのせいではありません。あんなに見どころの多い街だと知らず、私が準備不足で行ったためです。またツアーのため、時間も限られていましたからね。
私には、ドイツで観光に悔いの残る3都市の1位でした。ちなみに2位ディンケルスビュール、3位はバンベルクです。(^_^;)
ニッキー2015年10月14日18時57分 返信する -
お帰りなさい。
ニッキーさん、お疲れ様でした。
朝夕、急に涼しくなってきましたので、お身体いたわってくださいね。
さて、ベルリン。
私の見所も、やはり「ネフェルティティ」ですね〜。
確かミタンニの王女様が嫁いできたとかで、エジ人にない異国風だとか、「ネフェル」は「美」ですもんね。
私もこれは見たいと思ってます。いやたぶん見ます。(笑)
お隣のペルガモン博物館のイシュタル門も見たいんですよ。
バビロンの至宝なんで・・・。
そうして「ベルリンの壁」はやっぱり外せませんね。
ベルリンの壁が崩壊したニュースは、やはり衝撃だったもんね〜。
ソ連崩壊といい、何か一時代が終わったと感慨深かったです。
「歴史が動く」時を生きているんだと実感できた一瞬。
やはり、ここも必見かな。
「ブランデンブルク門」は観光地化されちゃってますね。
プロイセンはブランデンブルク辺境伯領が由来ですので、ここも興味ある場所です。
四騎馬像付近にあったハーケンクロイツが、爆破される動画も何度も見ますし外せません。
だいたいベルリンで思い浮かべるのは、この辺なんでツアーとしては十分。
こんだけあれば、たっぷり歴史が語れます。(笑)
もっとも大都市は、歴史遺物が残ってても、どっぷり浸れる感はあんまりありませんが・・・。
次はポツダムですね、サンスーシーも行きたい宮殿だな〜。
ドイツってあんまり触手が伸びなかったんだけど、ニッキーさんの旅行記で結構色々あるもんだと再認識することができました。ありがとうございます。
あ、でもしばらくは移民で大変そうでもあるなぁ。 ねいちゃ
RE: 秋らしくなってきましたね
ねいちゃさん、こんにちは。
ネフェルティティはエジプト人ではなくて、外国から嫁いで来たお姫様だったのですね。凛とした品格を持つ誇り高い大人の女性の胸像でした。そう言えば、クレオパトラもギリシャ系だったと言いますね。
私もベルガモン博物館は見てみたかったです。大規模な展示が見られるそうですね。私たちが行った新博物館は「ネフェルティティの胸像」と「金の帽子」以外は目を引く展示がなかったので、贅沢な回り方ですが滅多に行けない外国人観光客としては、新博物館ではネフェルティティだけを見てベルガモン博物館とはしごさせてもらえれば最高なんですけどね。
> 「ブランデンブルク門」は観光地化されちゃってますね。
> プロイセンはブランデンブルク辺境伯領が由来ですので、ここも興味ある場所です。
「辺境伯」って言葉、ドイツのことを調べているうちに何度か出て来ましたが、日本語訳が微妙です。「辺境」という言葉の響きから、中央から辺境地域に飛ばされたおちぶれ領主みたいな印象を持ってしまいますが、実際には国境を任された重要な地位だったようですね。
ベルリンの壁はあちこちに少しずつ残っています。もともとどの部分に設置されていたのか、自分が今見ているのがそのうちどの部分なのかをわかって見ると、おもしろいと思います。
私の中でも最初はドイツは少し後回しだったんですけど、今回のツアーはGWにかけた日程で、私も妹も仕事や用事を一日も休まなくていい点で都合がばっちり。日程優先で行き先を決めたような旅行でした。行ける時に行っておいて良かったです。今、移民問題でドイツも大変になって来ていますものね。
ねいちゃさんの「萩・錦帯橋」の旅行記、拝見しました。面白くて止まらず、結局全部いっきに見ちゃいました〜。ねいちゃさんの旅行記は内容たっぷり。読んでいると引き込まれます。旅行記の名作ですよ〜。
ニッキー2015年09月16日07時52分 返信する -
3作続けて拝見いたしましたっ!
こんにちは、ニッキーさん。
久しぶりの関西圏はいかがでしたか?
さて、ローテンブルクからドレスデンまで拝見いたしました。
今回のツアーは結構強行軍ですね〜。
南ドイツから首都ベルリンまで北行していく感じかな?
途中、妹さんまで体調不良になられたり
添乗員さんも具合悪そうで・・・旅行で一番かなんのはやっぱりしんどなることやもんなぁ〜。
私ら幸いに大きな病気にもならずに、無事に過ごせてきたので、それは感謝しなきゃいけませんねぇ。
ニッキーさんには珍しく、添乗員さんへの辛口コメント。
余程腹に据えかねたのかしら?
体調悪いのも割り引いても、もう少し配慮があればね。お仕事ですから、そうも言ってられないこともあるんでしょうけれど。
ローテンブルクは夜着朝発はダメですね〜。
よくパンフレットなんかでは、「麗しのローテンブルクにお泊まりいただけます!」とか書いてあるけど、どれだけ観光できるかは大事だもの。
翌日のどっちかをパスして、ローテンブルク午後発くらいなら良かったのにね。
マチュピチュなんかでも、2連泊とかうたい文句にしてあっても、夜着翌翌朝発だと、実質は1日だけだもんね。当日雨ならお終い。
だから、二日間遺跡に行けるの必死に探したんですよね。
ドレスデンは空襲で壊滅した都市だから、私も見ておきたい所の一つです。破壊からどうやって復興していったのか、そういう記憶探りたいなぁ。
ドームの一部の瓦礫なんかやっぱり考えさせられます。
旅も終盤、いよいよベルリンですか〜。
舞姫の世界ですね−、またお邪魔します。 ねいちゃRE: 大阪から戻って来ました
ねいちゃさん、こんばんは。
大阪から戻って来ました。
大変な一週間でしたが、一つ大きな役目を終えたような気持ちです。
さて、3編ご覧いただきありがとうございました。
私は旅行中時々不調に陥ります。
いつもは食欲不振ぐらいで済むのですが、今回は風邪とか咳。途中もしツアー離脱ということになったらどうしようとハラハラしました。前半がハードだったので、他にも体調を崩した人は多かったみたいですが、皆、大事には至らなくて幸いでした。
添乗員さんのことをここまで書くのは私にしては珍しいでしょう?
私は物事を比較的好意的に取る方ですが、今回に関してはこれぐらいは書かせてもらおうと思いました。これまで、お客に充実した観光をしてもらおうと精一杯努力してくれる添乗員さんばかりを見てきたので、一応連れては行くけどそれだけという添乗員さんは初めてで驚きました。
ローテンブルクは買い物と観光が楽しい街なので、いくら「城壁内のホテル」に泊まっても、夜着朝発の旅程はダメですね。半日は観光時間が欲しいところです。
ドレスデンは旧市街の80〜85パーセントが空襲等で被害を受けたそうです。日本ではめざましいスピードで戦後の復興が行われましたが、ドイツの場合、東ドイツ圏だった地域はドレスデンにしろ東ベルリンにしろ、瓦礫のまま放っておかれ東西ドイツ統一後に復興に手がつけられた所も多かったようです。2000年代に入ってようやく再建にこぎつけた所もありました。しかも自国の資金だけでなく、結構世界中からの寄付で復興資金が賄われていました。
ベルリンは舞姫の世界ですか〜。「舞姫」は高校の国語の先生が取り上げて、プリント配ってもらって読みましたが、今回は舞姫や森鴎外の足跡をたどる観光はできませんでした。自由旅行なら、そういった観光も楽しいですね。
ではまた〜。
ニッキー2015年09月13日00時29分 返信する -
こんばんは、ドイツ編もなかば?かな。
あらためて、こんばんは〜。
最近めっきり涼しくなってきましたね〜。
自転車通勤も半袖では朝は少し肌寒い感じです。
ヴィース教会・・・素敵ですねぇ。
その教会のことは全く知らなかったので、沿革を聞くと俄然行きたくなりますね。
特に青と赤の柱の装飾は、ニッキーさんが仰られるように、大胆。
かつ繊細ですね〜。うむ、見て見たい−。
常に思うのですが、やはり旅行には事前学習がいかに大事かと。
旅行記作る際の気合いでもって、学習しておけばと後悔することが多いですよね〜。
もっとも、行く前は事前準備で手一杯で、ガイドブックの域をでないんですけども。
私、今夏は旅行記でもUPしてますが、萩に行ってきたんですけど
東光寺の毛利家墓所は押さえていたのに、天照院の墓所は気づきませんでした。
時間も余裕あったのに、後で気づいてもったいないことをしたと後悔しています。
あと一学習しておけば・・・と、毎回の旅で痛感させられるんですけど
まぁそんなものかもしれません。
現地では現地のテンションもあるわけだし、その時々の選択がベストではなくともベターだったんでしょうね。
今回は念願のノイシュヴァンシュタイン城見た後だったし、マックス感は半端なかったんでしょう。
私もペルーではマチュピチュ見た達成感で、後はつけたしでしたものね。
そんなものです、それも旅ですよね〜。
ディンケルスビュールの可愛らしい町並みも、現地のニッキーさんには貪欲さに欠けたものだったってことで、仕方なかったのかもねぇー。
だから、次の旅ができるって思いましょう。(笑)
また、お邪魔しまーす。であであ。 ねいちゃRE: ちょうど半分終わりました
ねいちゃさん、こんにちは。
自転車通勤、ずっと続けていらっしゃるのですね〜。
体にも良さそうですね。
> ヴィース教会・・・素敵ですねぇ。
ローマやバチカンならいざ知らず、ドイツの農村にあんな華やかな内装の教会があるとは・・・。特にヴィース教会は外観と内部とのギャップにびっくりでした。
添乗員付きツアーは何も知らなくても連れて行ってもらえる気楽さがあり、私などはそれを期待して申し込んでいるんですが、それにしてもこの旅行は準備しなさ過ぎでした。
添乗員付きツアーでも所々でちょっとしたフリータイムがもらえることがあるので、事前に見どころを調べておくだけでもフリータイムの充実度が違って来るはず。個人旅行ではなおさら下調べは必要ですよね。
> 現地では現地のテンションもあるわけだし、その時々の選択がベストではなくともベターだったんでしょうね。
私もそう思います。時にあっさり回り過ぎたとしても、それはその時選んだ回り方だったんです。左右するのは天気だったり体調だったり、同行者の嗜好との兼ね合いだったり残り時間だったり・・・。今回のようなツアーでは、全行程気合いマックスで張り切り過ぎると、どこかでつけが来ますしね。
ねいちゃさん、萩へ行って来られたんですね。旅行記、またお邪魔しますね。
私は夏に夫と日帰りで日光へ行って来ました。東照宮の陽明門は修復中でしたが、徳川家康のお墓とご位牌を見て来ました。家光のお墓は一般公開されておらず、門までしか行けませんでした。
日光のは4トラには旅行記書いてません。今はドイツ旅行記で手一杯です。
明日は用事で日帰りで大阪へ行って来ます。
ニッキー2015年09月05日15時35分 返信する -
連日失礼します。(笑)
こんにちは。
今ちょっと仕事が暇なんで、この機会に一気にドイツ編を読破しようと企んでいます。(笑)
さて、ホーエンツォレルン家が出てきてワクワクしております。
プロイセン公から王になったお家柄。
高校の時に習って以来、面白い名前だなぁとずっと思ってました。
神聖ローマ帝国の皇帝には、ホーエンシュタウヘン家から出た皇帝もいたので、このホーエンっていうのは何だろう?っとずっと思ってたんですよね。
いまだに分からず仕舞いですけど・・・。
どうも、ここを居城にしていた一族なので、命名的にはお城の方が先なんですね。
城内の撮影禁止はちょっと寂しいですね〜、内部の劣化はそうでもないと思うんだけど、巨大なスリッパを履かせるくらいだから、厳しいのでしょうな。
それにしても、復元してくれて良かったです。
廃墟は廃墟なりにいいんだけども、想像力越えた存在は想像できませんもんね。
ノイシュヴァンシュタイン城までって遠いんですね。位置関係がイマイチわかってないのですが・・・。
私はドイツそのものにまだ行ったことはないのですが、このお城はむっちゃ有名過ぎますね、一度は見ておきたいところの一つです。
それでは、また〜 ねいちゃRE: 今回はホーエンツォレルン城
ねいちゃさん、こんにちは。
今回はホーエンツォレルン城について。
ホーエンツォレルン家にしろホーエンシュタウフェン家にしろ、あと、ホーエンシュヴァンガウ城にしろ、ホーエンと付く名前がドイツにはいろいろありますね。ホーエンツォレルン家はもともとツォレルン家というのが前身だったようです。ホーエンは「高い」という意味かな?
家系樹の間は迫力ありますよ。ホーエンツォレルン家1000年の歴史を跡継ぎ(原則長男)のみ四方の壁に絵で描いたものです。その絵がまたツタの模様になっていて美しいんです。ホーエンツォレルン家にも途中で別れて2系統あって、それぞれ当主が青と赤の○で囲まれています。途中一旦傍流に行った方がまた主流になったりしながら現在まで繋がっているんです。
ガイドさんの説明を受けましたが、すっかり忘れました。とにかく写真がないとすべて忘れてしまいますよね。私は内部のことは家系樹の間と王妃のブルーサロンと巨大スリッパしか覚えていません。
私はホーエンツォレルン城を知りませんでしたが、城ファンには有名なお城だそうです。お城には地下通路があって召使の女性がそこを通って城の内部に出入りしたという伝説があったそうです。伝説だと思っていたら、つい最近本当に地下通路が発見されたそうです。私は通りませんでしたが、見学者も通れるようになっています。ロマンですね。
ノイシュヴァンシュタイン城の旅行記も読んでくださったようで、ありがとうございました。ノイシュヴァンシュタイン城はドイツの南の端、オーストリアとの国境に近い所にあります。通常麓のホーエンシュヴァンガウの村か、近くのフュッセンという街に泊まってノイシュヴァンシュタイン城へアプローチするのですが、私たちはバスでさらに1時間離れたガルミッシュパルテンキルヘンのホテルだったので、ホーエンツォレルン城からの移動がさらに大変になったのです。バスに乗ってるだけなのに、あの日はさすがに疲れました。
今、残念な観光になったワイマールの旅行記を作成中です。旅行記を書くために調べると、いかにワイマールの一部しか見てなかったかがわかって、手が止まって進みません。(=_=)
ニッキー2015年09月04日01時30分 返信する