2015/05/04 - 2015/05/05
20位(同エリア105件中)
ニッキーさん
旅の8日目、いよいよ最終日になってしまいました。
帰国便は夕方発なので、午前中は「ゲーテ街道」にあるアイゼナハへ行き、世界遺産「ヴァルトブルク城」を観光します。
ヴァルトブルク城に関してはこれまで聞いたこともなく、私が買った「まっぷる」にはほんのわずかしか記載がありませんでした。妹が買った「るるぶ」も同様。そんな訳で私も妹もほとんど情報のない状態で訪れました。
いざ行ってみると、ヴァルトブルク城は1000年近い歴史を持つお城でした。12~13世紀には、後にワーグナーの歌劇「タンホイザー」の題材となった「歌合戦」が盛んに開かれた場所です。マルティン・ルターが新約聖書をドイツ語に翻訳した場所でもあります。ゲーテが愛しワーグナーが愛し、ノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世が憧れたお城。ドイツ人の心の故郷とも言える重要なお城でした。
見応えあって眺め良し。日本であまり知られてないのが不思議なくらい。ドイツ旅行の締めにふさわしい素晴らしいお城でした。
本旅行記はヴァルトブルク城の観光と帰国するまで。「新緑のドイツ旅行」の最終編になります。
では、ご覧ください。
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【今回の旅行スケジュール】★印が今回の旅行記で取り上げた場所
4/27(月) 14:05羽田発LH717便 18:50フランクフルト着
<フランクフルト泊>
4/28(火) リューデスハイムのつぐみ横丁散策とワインテイスティング
ライン川ランチクルーズ
ブリュール アウグストゥスブルク宮殿
ケルン ケルン大聖堂と旧市街観光
<フランクフルト連泊>
4/29(水) ハイデルベルク観光
ホーエンツォレルン城
<ガルミッシュパルテンキルヘン泊>
4/30(木) ノイシュヴァンシュタイン城
ヴィース巡礼教会
ディンケルスビュール散策
<ローテンブルク泊>
5/1(金) ローテンブルク観光
ヴュルツブルク レジデンツ宮殿
バンベルク旧市街観光
<ドレスデン泊>
5/2(土) ドレスデン観光
ベルリン 新博物館、ブランデンブルク門、ポツダム広場
<ベルリン泊>
5/3(日) ポツダム ツェツィリエンホーフ宮殿、サンスーシ宮殿
ワイマール観光
<ワイマール泊>
5/4(月) ★アイゼナハ ヴァルトブルク城
★18:05フランクフルト発LH716便で帰国へ
5/5(火) ★12:15 羽田着
- 旅行の満足度
- 5.0
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-
午前5時半。
カーテンを開けたら、空がすごい色。
ワイマールの朝は燃えるような朝焼けと共にスタートしました。 -
午前6時半。
すっかり夜が明けました。
窓の外には広大なイルム公園が広がって、心洗われるような眺めです。
イルム公園の中には古い城跡や塔、リストの夏の家やゲーテのガーデンハウスがあると言います。
ワイマールはもう少しじっくりと観光したい街でした。 -
ワイマール・レオナルドホテルの朝食は7時からです。
-
レオナルドホテルの朝食バイキングはなかなか良かったです。
卵料理や野菜、果物以外に、おかずのような料理がありました。
この写真に写っている紫色のお料理がメチャウマでした。
茹でたイカの和え物みたいなものでした。
ドイツ人がイカを食べるかどうかは怪しいので、もしかしたら別のものかもしれませんけど。 -
午前8時、ホテル出発。
ワイマールからゲーテ街道を西へ1時間少々、アイゼナハのヴァルトブルク城へ向かいます。
いよいよドイツ旅行最後の観光になります。 -
アイゼナハへ向かう途中、山の上にお城が見えました。
ドイツへ来て何度も見たこのような景色。
領邦国家が分立した長い歴史を持つドイツには至る所に古城があります。
その形態は、君主が居住する城から防衛のための要塞までさまざまですが、古城はドイツの風景とは切り離せない存在です。 -
森と草原もまたドイツに欠かせない風景です。
最近では田舎の村の風景に変化が起きていると添乗員さんが言っていました。
脱原発を決めたドイツでは、風力発電や太陽光発電が盛んで、中世の面影を残した田舎のかわいらしい家々でも、屋根の上にソーラーパネルがつくようになって来ているとのこと。 -
アイゼナハはあのヨハン・セバスチャン・バッハが生まれた街なんだと初めて知りました。
へえー、そうなんだー。
アイゼナハでもう一つ有名なものが私たちがこれから訪れる世界遺産「ヴァルトブルク城」です。
日本ではあまり名を知られていませんが、年間100万人の人が訪れる、ドイツではベスト10に入る人気のお城なのだそうです。
ヴァルトブルク城の駐車場でバスを降り、こんな坂道と階段を上って行きます。
湿気を含んだ冷たい空気が心地いいです。 -
ヴァルトブルク城へ登って行く道の途中になにやら素敵な建物が。
-
なんとホテルですって。
「ホテル・アウフ・デア・ヴァルトブルク」。
昔ながらの建物を改装した五つ星ホテルです。
レストランやカフェテラスだけでも利用できるみたいでした。ロマンティック ホテル アウフ デア ヴァルトブルク ホテル
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このホテル、ヴァルトブルク城のすぐ隣にくっつくように建っているんですよ。
ホテル自体も由緒ありそうです。 -
お城へのアプローチ、最後の方は急な階段と橋になってます。
ヴァルトブルク城へ行くためには否が応でも登らなければならない坂道です。 -
階段を登り切った先にはこの眺め。
すばらしい〜。
眼下に広がるのはアイゼナハの街でしょうか? -
振り返ると、おおー!
絶壁の上に建つヴァルトブルク城が見えました。
いろいろな建物がミックスされたような外観になっています。
ヴァルトブルク城は1067年頃にルートヴィヒ・デア・シュプリンガーによって設立されたのが始まりだと言います。
それ以来、テューリンゲン方伯の拠点として時代の移り変わりと共に増築が繰り返されてきました。ヴァルトブルク城 城・宮殿
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跳ね橋を渡ってお城の中へ。
建物内部はガイドツアーで回るようになっています。
私たちの見学は9時50分から。
時間が来るまでしばらく中庭で待たされました。
中2階みたいな場所にチケット売り場とショップがありました。
私は2ユーロ払って内部での写真撮影許可証をもらいました。 -
中庭で待ちながら周囲を見渡すと・・・
周りには15〜16世紀に建てられた木組みの建物が。 -
出窓がおもしろいです。
窓ガラスをよく見ると、「丸」をたくさん並べたような金属の枠があるのが見えます。
ますますおもしろ〜い。 -
中庭の水場。
ドラゴンの牙から水がしたたり落ちています。 -
ドラゴンから落ちた水はヴェネツィアの水鉢に落ちます。
ドラゴンの泉の前に金髪の女の子が!
なんて愛らしいのでしょう。 -
トンネルをくぐって奥の中庭へ進むと、一番奥に大きな建物(レストラン?)と白い塔、右手の庭に大砲が並んでいるのが見えました。
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ヴァルトブルク城で一番高い塔と12世紀に後期ロマネスク様式で建てられた居館(右手の建物)。
ヴァルトブルク城は一時は廃墟のようになって荒れ果てていましたが、19世紀から20世紀にかけて修復・再建されたそうです。
ところで、ヴァルトブルク城を語る時、必ず出て来る3人の偉人がいます。
「聖エリザベート」「マルティン・ルター」「ゲーテ」の3人です。
エリザベートはハンガリー王家からやって来た、テューリンゲン方伯ルートヴィヒ4世の妻です。貧しい民や病人のため尽くして尊敬を集めましたが24歳で亡くなり、死後、聖人に列せられました。
宗教改革を行ったマルティン・ルターはここヴァルトブルク城に隠れ住み、お城の中の一室で新約聖書のドイツ語訳を完成させました。それまでにもドイツ語訳はありましたが、ルターの訳は人気を得、結果、それまで一部の教養のある人にしか読めなかった聖書が庶民に広まったと言います。
この城はまたゲーテお気に入りの城でもありました。18世紀、ザクセン・ワイマール・アイゼナハ公国の宰相を務めていたゲーテは何度もヴァルトブルク城を訪れました。城と眺めの美しさに心打たれ、建物の保存を指示したそうです。
ドイツの歴史と共に歩んできたヴァルトブルク城はドイツ人の心の故郷として、知名度、人気共にドイツ有数の城なのです。
1999年には世界遺産に登録されました。
いよいよ入場します。 -
ガイドツアーはカセットデッキを抱えたスタッフが先導し、部屋ごとに日本語の解説を聞かせてくれるというもの。
オーディオガイドに慣れているので、カセットデッキを抱えて移動するのがなんだかアナログに感じてしまいましたが、このスタッフの女性が感じのいい人でした。
ドイツ語と英語は生ガイドが受けられるようですよ。
テープでは、日本語の解説の前にお琴による和旋律の短いフレーズが流れました。
中世のお城で琴の音色を聞く・・・まったくそぐわないので、メンバーの中から笑いが起こりました。
でも、笑いでその場が和んで、950年の歴史を持つお城を気負わず見学して行こうという気になりました。 -
木の天井を石の柱が支えます。
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翼のある獅子に食べられている兵士?
でもこの動物、下半身が竜みたいです。
よくわからない彫刻です。 -
「騎士の間」
石を漆喰で埋め込んだ壁、床。
天井を支える柱。
すべてが素朴です。 -
「食堂」
部屋ごとの日本語解説の前に必ず例のお琴のフレーズが流れるので、おかしくってみんなクスクス。
だから〜、この雰囲気に合ってませんって。 -
食堂にかかっていたタピストリー。
ユニコーンとグリフォンかな? -
食堂の柱はこんなのです。
最初の部屋の柱より進化しているようです。 -
次の部屋に入った瞬間、皆の間から「おおーっ」という感嘆の声が上がりました。
天井と壁をびっしりと覆い尽くす金色のモザイク画。
ここは「エリザベートの間」です。
支柱は12世紀末のものですが、モザイクは新しくて、聖エリザベートの生涯を描くべく1902〜1906年に制作されたものです。 -
灯りも素敵です。
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モザイクが金色に輝いて、神々しいまでの美しさです。
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「エリザベートの間」の暖炉。
壁に描かれているのは聖エリザベートの生涯です。 -
エリザベートはハンガリー王女として生まれ、4歳でテューリンゲンへやって来ました。
その後、テューリンゲン方伯ルートヴィヒの妻としてこの城に暮らします。
エリザベートは慈悲深く、夫が十字軍に従軍中に亡くなり若くして未亡人となった後も貧しい人々や病人に尽くしましたが、そのような行為は宮中で反感を買い、ヴァルトブルク城を追われ24歳の若さで清貧のうちに亡くなります。
死後、聖人に列せられ、聖エリザベートとして敬われています。 -
聖エリザベートの話は数々の伝説になって残っています。
その一つが「バラの奇跡」の伝説です。
ある時エリザベートは、貧しい人に分け与えようとパンをかごに入れて城を出ますが、運悪くそこを見とがめられてしまいます。ところが、かごにかぶせた布をめくってみると、パンはすべて薔薇に変わっていたという、後世に作られた伝説です。 -
次の部屋は白い壁が清々しい「礼拝堂」です。
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壁のフレスコ画は薄くなっていました。
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貧しい者を助けた聖エリザベートの善行を描いた絵のギャラリー。
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「歌合戦の間」
人が多くて写真がうまく撮れなかったため、ヴァルトブルク城でもらったカードの写真から。
柱の飾りや家具、明りに至るまで、手の込んだ美しい部屋です。
1207年、ヴァルトブルク城でその後伝説になる歌合戦が行われました。
歌合戦というとピンと来ませんが、テューリンゲン方伯ヘルマン1世の頃に盛んに行われた歌による合戦で、中世ドイツの騎士文化独特のもの。宮廷歌人・吟遊詩人が集められ、「お題」となったテーマを歌い上げて競ったものです。
19世紀、ワーグナーはこの歌合戦を題材に歌劇「タンホイザー」を作曲しました。 -
「歌合戦の間」に描かれていたフレスコ画。
19世紀初めのオーストリアの画家、モーリッツ・フォン・シュヴィントによる絵。
歌劇「タンホイザー」のヴァルトブルク城での歌合戦の場面を描いたものです。
中央の領主夫人の足もとに膝まづいているのがタンホイザーです。 -
ヴァルトブルク城の模型がありました。
一番左が城門になります。
山頂に城壁を巡らし、中庭の周りをいろいろな建物が取り囲んでいる造りです。 -
「方伯の部屋」。
つまり当主の部屋ですね。
「方伯」という爵位は私たちにはあまり馴染みがありません。
諸説ありますが、公爵の下、伯爵ぐらいかそのちょっと上ぐらいの位のようです。 -
「方伯の部屋」の重厚な窓。
窓の外に見える柱がいいですね。 -
ヴァルトブルク城で一番大きな部屋「祝宴の間」。
この部屋に入ったとたん、「タンホイザー行進曲」が流れました。
知ってます〜、この曲。
ドーシ ドーシラソ ドーシーラーソー♪
私の場合、小学校の昼休みに流れる音楽だったと思います。 -
ワーグナーの歌劇に影響され中世の騎士文化に憧れたのが、ノイシュヴァンシュタイン城を建てたルートヴィヒ2世です。
ルートヴィヒ2世はノイシュヴァンシュタイン城にこの「祝宴の間」に似せた「歌人の間」を作ってしまったほどです。
ノイシュヴァンシュタイン城の「歌人の間」の写真はこちら。
↓
http://4travel.jp/photo?trvlgphoto=38755149 -
1867年、城創建800年祭に間に合うようにお城の修復は終わり、「祝宴の間」のこけら落としにはリストのオラトリオ「聖エリザベートの伝説」が上演されたそうです。
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この大広間はリストがアドバイスしたという船底天井のおかげで音響効果がいいそうです。
今もコンサートなどに使用されています。
とても美しい部屋です。
しばらく椅子に座って部屋を鑑賞しました。 -
凝った細工の戸棚(?)。
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窓からの眺め。
ゲーテはワイマールにいた恋人のシャルロッテ・フォン・シュタイン夫人に「この城は例えようもなく美しい」と手紙を送ったそうです。
ワーグナーやリストの時代より少し前の18世紀末、当時ザクセン・ワイマール・アイゼナハ公国の宰相を務めていたゲーテは何度もヴァルトブルク城を訪れ、城の保存を指示したと言います。 -
これは確か城主の寝室だったと思います。
意外に小さなベッド。
窓辺には望遠鏡が置かれています。 -
主だった部屋を見学したところでガイドツアーは終わり、ここからは自由に見学することになりました。
続いて宝物館を見学します。
「ピエタ」。 -
天使の像ですね。
天秤のようなものを持っているので、もしかして大天使ミカエル?
でもあんまり強くなさそうだし・・・違うかも。 -
ルーカス・クラナッハ画「マルティン・ルターの肖像画」(1529年作)
オリジナルはウフィッツィ美術館にあると思うので、これはレプリカかな?
クラナッハとルターは友人同士だったので、クラナッハの手によるルターの肖像画は何枚も残っているそうです。
この宝物館にも何枚もルターの肖像画がありました。
どれを見ても同じ顔をしていたので、やっぱりこんな顔の人だったんですね。
宝物館には他にもガラスの器やらチェッカーみたいなゲーム板やらストーブやら、いろいろありました。 -
順路は宝物館を抜けてさらに続きます。
うわぁ、ハリー・ポッターみたいな廊下。
おもしろ〜い。
探検気分になります。(^_^)♪ -
渡り廊下の窓ガラス。
すごい眺め。
緑深いテューリンゲンの森が見えます。 -
渡り廊下の先に宗教改革者ルターが過ごした部屋がありました。
この部屋は修復した跡も見受けられません。
ヴァルトブルク城へ来たら、ここは必見です。
カトリック教会から異端者とされローマ教皇から破門されたマルティン・ルターが1521年から22年にかけて9か月間隠れ住んだ部屋。
ルターは何もしないで毎日を過ごしていたのではありません。
彼はこの部屋で新約聖書をドイツ語に翻訳しました。
挿し絵は友人のクラナッハが担当。
ドイツ語翻訳はすでに他にも出ていましたが、ルターの訳は人々に好まれ、当時すでに発明されていた活版印刷により、それまで一部の人しか読めなかった聖書が庶民に広まっていくきっかけになったのだそうです。
元は使用人のロバ使いの部屋だったというこの部屋。
粗末な部屋ですが、ルターが使用した机やイスが残っているのがすごいです。
緑色のものはストーブです。
壁の絵は若い頃のルターでしょうか?
ルターが悪魔に向かってインク壺を投げつけた跡が壁に残っているというのですが、どこなのかわかりません。 -
城内の見学を終えて、城門の跳ね橋まで戻って来ました。
-
城門を抜けるとこの眺め。
タイムスリップして中世から現代に帰って来たようです。 -
お城を振り返ってみました。
右手のトンネルの所が入口です。 -
イチオシ
少し離れた所に展望台があることに気づきました。
さっそく行ってみたら、ヴァルトブルク城の全体がよく見渡せました。
ヴァルトブルク城は増築が繰り返されたと言いますが、こうして見ると、いろいろな様式が見て取れます。 -
緑の屋根の建物が居館です。
-
壁から飛び出した部分があるのが面白いです。
木で支えられているだけ。
ハウルの動く城みたいです。
でも、あの部屋に住むのは結構怖そうです。 -
最後の観光地になったヴァルトブルク城は、ドイツでの知名度・人気にも関わらず、訪れるまで私たちのまったく知らないお城でしたが、とても良かったです。
この城の歴史的価値は他の追随を許しません。
ドイツ旅行の最後を締めるにふさわしいお城でした。
日本でももっと知られていいお城です。 -
最後にもう一度、お城からの景色を眺めて、これでバスへ引き返すことにします。
-
帰りはとにかくどんどん降りて行けばいいのですが、右に下りるか左に下りるか?
方向音痴の私たち、ここで迷いかけました。
人に聞いて事なきを得ました。
こんな簡単な道すら覚えられないなんて〜。(^_^; -
バスに乗ってアイゼナハの街を抜けて行きます。
山の斜面には大豪邸が並びます。 -
アイゼナハ中央駅。
-
駅舎の建物もヴァルトブルク城風のデザインになっています。(^_^
-
山の上にヴァルトブルク城が見えました。
あんな所に建っているんですね。 -
手入れの行き届いた菜の花畑の眺めとももうすぐお別れ。
目に焼きつけておきます。
バスは一路フランクフルトへ向かいます。 -
途中、休憩を入れて南西へ約3時間、フランクフルトに着きました。
午後2時、このレストランで遅い昼食です。
このレストラン、外の歩道にもテーブルが出してあり、そこで食事している人も多かったです。 -
スープは魚介類のスープかな?
こくがあります。
向こうのテーブルで、一人旅のHさんが、昨日のゲーテハウスでのお忙し見学のくだりを皆に話しています。
「お姉さまがドイツ語おできになったおかげで助かりました〜」とか何とか。
お恥ずかしい〜。
私は「一人」という言葉と「順路」を表している言葉がわかっただけなのに、英語ぺらぺらのHさんにそこまで持ち上げてもらってこそばゆいような。 -
メインはチキンのクリームシチューにぱらぱらのライス添え。
ドイツの食事は総じて美味しかったです。
ただし味付けはいずれも濃いめでした。
ビールを飲みながらでちょうどいいぐらいです。
私はビールが飲めないので、ガス入りウォーター。 -
ロールケーキ。
ドイツ最後の食事が終わりました。
寂しいけれど、これですべての旅程を終えました。
フランクフルト空港へ向かいます。 -
フランクフルト空港では一部のメンバーの席が確保できていないというトラブルがあり、一時は「席のない人はもう一泊か?」「翌日仕事のある人はどうする?」「羽田で国内線へ乗り継ぐ人は乗継便をどうする?」なんてはらはらしましたが、不思議なことに搭乗する頃にはちゃんと席が取れていました。
良かったー、これで皆揃って帰れます。
妹とは席が遠く離れましたが、隣りの人と交渉。
席を代わってもらうことができました。
午後6時5分、LH716便、定刻どおり離陸です。 -
最近は離着陸時、通信機器以外のデジタル機器は使用OKになっているため、離陸時の景色をカメラに収めることができました。
フランクフルト郊外の眺め。
黄色く見えるのは菜の花畑です。
美しいドイツの菜の花畑、忘れません。
日程が都合いいという理由で決めた今回のドイツツアー。
知識も期待もないままやって来ましたが、いざ訪れてみると、今まで知らなかったドイツの名所の数々に驚き、ドイツの魅力に取りつかれました。
ドイツの魅力・・・私は「美しい草原」「中世の街」「古城」の3点を挙げたいと思います。
念願のノイシュヴァンシュタイン城を訪れることができたことは、私にとっては今回の旅で一番の収穫になりました。
ホーエンツォレルン城、ヴァルトブルク城などお勧めのお城も見つけました。
またいつの日か、今度は季節を変えてドイツを訪れたいです。 -
機内食の夕食。
私は鶏肉のピカタミラネーゼとミラノ風スパゲティ。
メインはまったく美味しくありませんでした。 -
妹は焼肉、リンゴと醤油のたれ。
こちらはまあまあ美味しかったようです。 -
温かい朝食。
チキンとジャガイモなど。
これもまあまあでした。 -
日本アルプスの眺め。
日本へ帰って来ました。
今回の旅では咳がひどくなって大変な思いをしました。
一時はこんな調子で旅を続けられるのだろうかと不安になりましたが、なんとか無事に全行程を終えることができました。
常にサポートしてくれた妹には心から感謝しています。
ツアー旅行はメンバーとの交流が楽しいものですが、今回の旅行に関しては咳のため思うように話せなかったことが唯一心残りです。
もっとおしゃべりしたかった人がたくさんいました。
不思議な出会いもありました。
数年前に農作業中に大きな事故に遭われた男性、草刈り機が横転し下敷きになったものの、辛うじて片手だけが動かせ携帯電話に届いたと言います。自分でレスキューを要請、九死に一生を得たという経験を話してくださいました。
たまたま私、新聞の地方版でその記事を読み、助かって良かったなーと思ったので覚えていました。
まさか当のご本人と旅行でご一緒することになるとは思いませんでした。 -
午後12時20分、羽田空港に到着しました。
添乗員さんから空港にクリニックがあるという情報をもらい、荷物を受け取って直行しました。
東邦大学病院のクリニック。お薬をしっかり出してもらいました。
終わりよければすべて良し。
こうして私のドイツ旅行はめでたしめでたしで幕を閉じました。 -
最後にばらまき土産の写真をアップして旅行記を終えたいと思います。
チャック付き袋に入っているのは「ハリボ」というメーカーのグミやヌガー、ゼリー類をたくさん買って自分で詰め合わせたものです。
面白いのでいろいろな人にあげました。
どれも美味しいのですが、中にどうしても美味しいと思えないものが1種類ありまして、それを食べた人は驚いたと思います。
敢えて例えるなら、アスファルトを食べたような味と臭いとでも言いますか、石油系です。
うちに4カ月半ホームステイしたドイツ人の高校生ハウケが「ドイツには信じられないほどまずいグミがある」って言ってましたが、それがこれかもしれません。
「新緑のドイツ旅行」13編、これで完結です。
旅行記を完成させてようやく私のドイツ旅行が終わったような気がします。
お読みいただいた皆さん、ありがとうございました。
(新緑のドイツ旅行 終わり)
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この旅行記へのコメント (2)
-
- アルデバランさん 2015/10/18 15:12:27
- 違い過ぎる…
- ニッキー様 こんにちわ
「ドイツ人の心の故郷 世界遺産ヴァルトブルク城」見ました!
城の内部も外観もすべてに於いて明るくて、全く別物のようです
ニッキーさんが行かれたのは5月の午前中だったからでしょうか…
私のは季節も時間も悪かったみたいで暗い、暗い、暗すぎです…
それとも写真の腕?
まあ、明るくても、暗くてもその価値はいささかも揺るぎませんが、
イメージ違いすぎます…
カメラ買い換えようかな
アルデバラン
- ニッキーさん からの返信 2015/10/19 21:46:48
- RE: 違い過ぎる…
- アルデバランさんの旅行記、見て来ました。
明るさの違いは季節と時間の違いですよ、きっと。
私が行ったのは5月初め、新緑の季節の午前中。
お天気もそこそこ良かったと思います。
アルデバランさんが行かれたのは、山の木々が葉を落としている季節の午後遅い時間。お城の中には明りも入っていたようですし、ドイツは日の暮れるのが早いのでしょう。
でも、内部の写真は私は逆にアルデバランさんの写真がいいと思いましたよ。
私の場合、自分のカメラがドイツへ行ったとたんに故障して、慣れない妹のコンデジで撮ってます。城内で撮った写真は明るさが足りなかったのか歩きながら撮ったからか、なんと3分の2ぐらいがピンボケ写真。アップする写真に困りました。やむを得ず、多少のピンボケでも載せてしまっていますから。
それにしても、夕方山の上のお城に行く時は、帰りのことを考えておかねばならないということ、教訓になりました(笑)。お城からの帰り、真っ暗な森の中を歩くしかないってくだり。笑いました。怖〜!
ニッキー
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