amaroさんのクチコミ(62ページ)全3,113件
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
徳川家康の生母於大の方の墓がある東京・小石川の伝通院の墓所を見てまわった時に「おや」と思ったのは、徳川家光の正室孝子の墓が於大の方の孫の千姫と並ぶようにあったことでした。鷹司家から摂家出身の姫として初めて将軍の妻となりましたが、当初から家庭内離婚状態で、ほどなく大奥からも追放され、軟禁状態で残りの一生を過ごしたといいます。もちろん子どももいません。そんな扱いを受けた人が千姫の隣とは。孝子は千姫の死の6年後にこの世を去りますが、そのとき、どんなことがあったのか。家光はすでにいません。千姫は家光のおねーさん。つまり孝子の義姉です。世間一般に言われるように、弟はいくつになってもお姉ちゃんには勝てません。女としてさまざまな修羅場をくぐった千姫が不憫に思い遺言でも残したのか。いろんな想像が働きました。根拠はなんにもないんですけどね。
- 旅行時期
- 2014年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
境内に入って思わずふーっとため息が出ました。予備知識ゼロで参拝した寒川神社です。こんな立派な本殿、こんな広い境内とは想像してなかったのです。3月のなかば、特に理由もなく神社にたどり着きました。周囲は茅ケ崎市北側の住宅が広がる地域。狭い道を車で走ってると、神社の駐車場があり車を入れました。郊外なのでこのくらいの余裕はあるだろうぐらいに考えました。そして参道、山門、本殿。いずれもとても立派でした。由緒を見ると、それも当然のようです。公式に記録が残るのは850年ごろですが、400年代にも記録があり、じつに1500年以上の歴史を誇るのです。武家社会になってからも源頼朝、北條義時、武田信玄、徳川家代々らの信仰を受けており、関八州鎮護の神だったのです。いやいやまったく知りませんでした。現在は厄除けの神社として人気があるようです。何事もない平穏な日々を、としっかりお参りしてきました。
- 旅行時期
- 2015年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
もし建物が残っていたら、ブーム間違いなしと思われるのが東海道五十三次の品川宿にあった土蔵相模です。今はマンションとなっており、当時のことを示す小さな碑があるだけ。最初は見落とし、後で引っ返してやっと見つけたほどです。土蔵相模はいわゆる妓楼で幕末の志士たちのお気に入りのようでした。高杉晋作、久坂玄瑞らが1862年12月12日の夜半、品川御殿山の英国公使館を全焼させましたが、その時、泊まったのがここ。桜田門外の変で大老・井伊直弼を襲撃した浪士たちも、前夜ここに投宿し、最後の宴会をやったとのこと。それにしても惜しいのが昭和初期まで建物があったこと(昭和50年代まであったとの指摘もあります)。結局、老朽化のために取り壊され、現在はマンションです。ホントにもったいない。残っていれば重文だよなあ、ホントに。
- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
熊本洋学校教師館 (ジェーンズ邸 日赤記念館) 水前寺公園周辺
総合評価:3.0
熊本市の水前寺公園近くに明治はじめにできた洋館「洋学校教師館」がありました。明るい色に塗られた木造の洋館で、外国人教師のジェーンズ氏を迎えるため、1871年に建てられ、ジェーンズ氏は約5年、教鞭をとり男女平等などを教えました。いわゆるコロニアル風の建物ですが、長崎から呼んだ大工が建てました。どこかで見たような気がしましたが、長崎でよく見かけた造りです。西南戦争の際には総提督の有栖川宮の宿舎となりましたが、そのとき、佐野常民らが博愛社(現在の日本赤十字社)を創設。日赤の発祥の地ともなりました。館内は公開されており、洋学校関係の資料のほか、日赤関係の資料も充実してます。何度かの移築を経て、現在の場所に復元されたのは1970年です。
- 旅行時期
- 2015年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
熊本城の東側にあり何とも派手、見方によってミーハー風の雰囲気があるのが、熊本城稲荷神社です。朱に塗られた本殿はとっても鮮やか。熊本城築城の神ですが、今は生活守護の神として「白髭さん」と呼ばれ親しまれています。長い堀沿いを北側に進んだ場所にあります。加藤清正の肥後入国の際、城の守り神として勧請されました。生活守護というぐらい御利益は生活に結びついていて、開運厄除・家内安全・芸能上達・恋愛成就・受験合格などがあり、いずれも可愛いお守りもありました。受験シーズンだったせいか、合格祈願に訪れた女生徒たちの姿が目立ちました。
- 旅行時期
- 2015年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
大きな造り酒屋を思わせる真っ白な壁がとても印象的なのが、萩市の菊屋家住宅です。桂小五郎や高杉晋作の生家が残る静かな住宅街の一角にありますが、その大きさは他を圧倒しています。商家としては最古の属し、長屋門に至っては2階建てなのです。白壁も長いところで150メートルもあるとか。400年の歴史があるというのもうなづけます。菊屋家はもともと大内氏の武士でしたが、毛利家が萩入りした際に町民として町づくりに尽力、藩の御用商人となりました。立派な建物は幕府の関係者が来たときの本陣としても活用されたとか。地方にはホントにすごい家がある物ですねえ。
- 旅行時期
- 2014年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
高杉晋作や桂小五郎の生家が並ぶ萩の城下町に、高杉や伊藤博文ゆかりと看板が出ている円政寺という寺がありました。寺と言っても、入り口には鳥居があり、神仏が同居していた当時のことを思い起こしてくれます。結構、長目の参道を入っていくと、幼いころの高杉が遊んだ当時からある天狗の面や木馬などが残っていました。高杉、さらには桂小五郎の生家と目と鼻の先で、ホントに遊んでいたんでしょうね。全国でも有数の大きさという石灯籠も見所です。不思議だったのは、伊藤博文の名前が出ていたこと。伊藤といえば高杉や桂とは家格が違い、松下村塾に入るまで接点はないような気がしました、実は住職は博文の母親のいとこで1年間、預けられたのだそうです。
- 旅行時期
- 2014年12月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
地下鉄の蹴上駅に向かう途中、道路沿いで赤れんが造りのトンネルを見かけました。看板を読もうとしましたが、なにやら古い字体でよく分かりません。これが「ねじりまんぼ」と呼ばれる歴史的な建造物なのです。くぐるのは、かつて琵琶湖疏水を運行する船の行き来を助けるインクライン。トンネルは歩行者専用通路として長く使われています。ところで「ねじりまんぼ」とは全く意味不明の言葉ですが、強度を増すために天井のれんがが螺旋状に組まれているために「ねじり」。まんぼとはトンネルの意味です。ちなみにトンネル入り口上に書かれているのは「雄観奇想」という文字のようです。
- 旅行時期
- 2015年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
京都に詳しい人や地元の人はともかく、金地院というお寺をご存じですか?実は重文や特別名勝てんこ盛りのこのお寺のことを全く知りませんでした。南禅寺の散策を終えて地下鉄蹴上駅に向かって歩いていると、とても立派な山門に遭遇します。長く伸びる白壁がとても印象的です。それが金地院でした。山門横に説明のパネルがあり、方丈は重文、小堀遠州作といわれる鶴亀の庭は特別名勝、徳川家康の遺嘱という東照宮も重文と書かれているのです。残念ながらつるべ落としの冬の夕暮れ、拝観時間はすぎており、入観はかないませんでした。それほど知名度がなくても、実はびっくりという名所がある京都はホントに奥深い。1カ月ぐらいとどまって、歩き尽くしたいという気がします。
- 旅行時期
- 2015年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
京大キャンパスの東側に広がる吉田山緑地(神楽岡ともいいます)。吉田神社などがある小高い丘で鬱蒼と茂った森は歩いてみると、とても静か。標高102メートルですが、平地からの標高差はそれほどなく、息が上がることもなく登ることができました。ただ散策していて、歴史的に争いの多い京都の合戦場じゃなかったのかなという思いが頭をよぎりました。調べてみると、建武の中興のとき、足利尊氏と後醍醐天皇の間で合戦となり、戦国時代に入ると、六角義賢と松永久秀ら三好勢の間で合戦が繰り広げられていました。小高い丘なので陣を張るのにちょうどよかったんでしょう。とはいえ、ある意味、血なまぐさい歴史のあった場所。何となく違った空気を感じたのはそのせいかも。
- 旅行時期
- 2015年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月28日
総合評価:3.0
京大キャンパスの東側にある吉田山を登ったところにある吉田神社。まったく知識なしに出かけたのですが、江戸時代、全国の神社の神職の任免権を持つほど権威がある神社だったと知り、びっくりしました。参道をのぼると中腹にある広い境内の奥まったところに朱塗り鮮やかな本殿が見えてきます。1650年前後に造られた古い建築物です。菓子の神様の菓祖神社など境内のあちこちには祠がありました。歴史は古く藤原氏の氏神として800年代にはすでに建立されていたようです。室町時代末期には吉田兼倶が吉田神道を創始し、その拠点となりました。冬の一日、とても閑散としていましたが、毎年、節分の日には約800軒の露店が軒を連ね50万人もの参拝者で埋め尽くされるそうです。
- 旅行時期
- 2015年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月23日
総合評価:3.0
北条時政が娘婿、源頼朝の奥州攻めの勝利を祈願して建立した伊豆の国市の願成就院。境内の一角に時政の墓がありました。といっても当時のものが残っているわけではなく、没後800年を記念してつくられた新品の墓所でした。隅の方に何かの碑らしきものも見えますが、奥まで入れないのでよく分かりませんでした。しっかし北条時政かあ、やっぱりマイナーだなあ。
- 旅行時期
- 2015年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月23日
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投稿日 2015年05月23日
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投稿日 2015年05月23日
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投稿日 2015年05月23日
総合評価:3.0
逆立ちした狛犬が門前に置かれているのが黒住教の教祖、黒住宗忠を祀っている宗忠神社です。なぜ逆立ちなのは、説明もなくよく分かりませんが、後ろ足が空に向かって伸びていてとってもユニークです。吉田神社の裏手にあり、1937年に改築されたという拝殿は、新しい宗教らしく変わった形をしていました。黒住教は1800年代に入り、黒住宗忠が起こした宗教で幕末には朝廷の信頼を得ていたそうです。現在では私自身、ほとんどなじみがありませんけどね。
- 旅行時期
- 2015年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月23日
総合評価:3.0
日光街道が走る千住大橋のたもとにある素盞雄神社 (すさのおじんじゃ)。東京で「すさのう」と聞いてもぴんと来ませんよね。やっぱ出雲の話じゃないのかしらと思ってしまいますが、1200年以上前、開祖となる黒珍が日夜、奇岩を礼拝していると「われはすさのう大神」という二柱の神様が翁に姿を変えて現れたことで、祠を建てて祀ったのが始まりという古い神社なのです。といっても知名度を上げているのは、松尾芭蕉が「奥の細道」の旅へ出発した地点として知られていること。境内にはちょっとした芭蕉コーナーもあり、出発に際しての現代文で書かれた芭蕉の手紙の文章が掲示されていました。
- 旅行時期
- 2015年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2015年05月22日
総合評価:3.0
あまりにも新築すぎてどこかなじめない熊本城本丸御殿の中での最大の売りは「昭君の間」です。大御台所、大広間と縁側を歩いて、その突き当たりにあります。本丸の中で一番格式が高く、藩主の居間として使われていました。豪華なのはそのふすまや天井の絵。中国の漢の時代、胡の国に嫁がされた絶世の美女、王昭君の物語が描かれていますが、金箔がふんだんに使われとても鮮やかです。数年前にオープンした当初はふすま絵を見る人たちが鈴なりとなり、あちこちで「金箔はうん千万もしたんだって」と声が聞こえてました。もちろん写真もダメ。でも、今回は写真はフラッシュさえなければOKとなってました。ようやくグローバルスタンダードになってきたみたいです。
- 旅行時期
- 2015年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅























