amaroさんのクチコミ(112ページ)全3,113件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
投稿日 2013年05月28日
-
投稿日 2013年05月28日
-
投稿日 2013年05月28日
総合評価:3.0
かつての花街、神楽坂を代表する建物と言えば、坂沿いにある毘沙門天善國寺でしょう。朱塗りの建物がとってもよく映え、街が賑わう夜の時間帯にも目立ちます。決して大きなお寺ではないんですけどね。創建は1595年といいますから、徳川家康の江戸移封からまもなくです。その後、黄門様こと水戸光圀にかわいがられたほか、時間下って明治時代には泉鏡花、尾崎紅葉、北原白秋らが周辺を闊歩したとか。お参りすると、何となく若い女性の姿を多く見かけましたが、人気グループ「嵐」の二宮和也が出演したドラマのロケが行われた縁で、ファンたちの聖地にもなっているようでした。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月28日
総合評価:3.0
ようやくリニューアルした東京駅の見物に出かけ、ふと丸の内側を見ると、南口そばの白いビルの屋上に鈴なりの人。何だろうと思って入ったのが日本郵便初の商業施設「KITTE(キッテ)」でした。東京中央郵便局がリニューアルして高層ビルに変身したことは何となく知っていましたが、ショッピングセンターになっているとは。入ってみると、地上から6階までが全部、吹き抜け。郵便局のビルの真ん中をぶち抜いたみたいです。ゴールデンウイーク中とあって、人の数はものすごくエスカレーターに乗るにも長い列ができてました。最初に屋上に上りましたが、東京駅のドームなどが間近に見ることができます。その後、各階をふらふらすると、あまり見かけない店舗が多い感じがしました。今やどこのショッピングセンターに行っても、同じような店が並んで飽き飽きしますが、ちょっと雰囲気が違うのはさすが旧郵政ってことなのでしょうか。
- 旅行時期
- 2013年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
-
投稿日 2013年05月28日
総合評価:3.0
明治神宮と隣接する代々木公園。あまりに大きすぎて、ひと言で言い表せない公園ですが、若者の街、原宿・表参道の最寄り駅であるJR原宿駅すぐそばにあるなど、とってもおしゃれな公園といえます。多分、隅から隅まで見た人はほとんどいないと思いますが、広々とした公園のほか、イベント広場やスポーツ施設がある区画に分かれており、二区画をつなぐ歩道橋はロケ現場としても有名です。散策してみると、目立つのは若者グループと外国人。踊ったり、音楽を奏でたり、ハイキングしたりととっても賑やかです。グループの家族連れならいいけど、単独のファミリーだとちょっと違和感があるかな。歴史をひもとくと、戦前は陸軍の代々木練兵場。終戦後はアメリカ軍施設のワシントンハイツとなり、東京オリンピックでは代々木選手村として使われていました。公園として公開されたのは1967年と比較的、最近です。これがもっと都心にあったら、セントラルパークだったんでしょうけどね。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月22日
-
投稿日 2013年05月22日
総合評価:3.0
岸和田城そばにある旧家風の建物。お城そばだけに、由緒ある建物でお城の博物館か高級料亭みたいな使われた方をしていると思いました。ところが、次々と家族連れが入って行き、近づいてみると「がんこ岸和田五風荘」という和食のファミレスでした。建物自体はとっても由緒あります。岸和田城主・岡部氏の新御茶屋の跡で、財閥の寺田家が1929年から10年かけてつくった回遊式日本庭園と母屋、茶室などがありました。ファミレスは数年前にこちらにオープンしたようですが、見事な日本庭園を見ながらの食事はなかなかのものです。どのようないきさつがあったのかは知りませんが、立派な民家の、とても合理的な活用法に見えました。この種の建物をとてもお客さんが入りそうもない使い方をしている例を各地で見かけますが、建物って現役で使ってなんぼのものと思いませんか?
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月22日
総合評価:3.0
谷中墓地の一角に最後の将軍、徳川慶喜の墓がありました。ほかの墓と違って周囲を塀で囲まれていました。もちろん大物の墓ということもありますが、寛永寺の管理墓地になっているためのようです。塀越しに見ると、円墳状の墓が2つ並んでました。片方は奥さんのです。実はこちらに墓があることを知ったのは、増上寺の徳川家墓地公開の時の説明でした。増上寺、寛永寺以外に墓がないのは、日光の家康と谷中の慶喜だけと聞きました。徳川慶喜に対する評価はいろいろでしょうけど、明治維新後、公爵となった後、77歳まで生き延びました。考えてれば、幕末のすごい時代を生きた人の中でも、相当な長生きのような気がします。墓は大げさじゃないけど、それはそれで、いい人生だったのかもしれません。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月22日
総合評価:3.0
広大な墓地が広がる谷中の一角にフェンスで囲まれた遺構のような場所がありました。四角く並んだ礎石のようです。天王寺五重塔跡との説明のパネル。当時の写真も掲示されています。ずいぶん、古い物だろうなあと思ったら、1957年、放火によって焼失するまで建っていたのです。初代が1644年建立で、1771年に焼失後、1791年に2代目が建立されました。五重塔というからには、さぞかし広い礎石を想像しがちですが、小さな民家ほどの広さしかないのには少々、びっくりでした。幸田露伴の「五重塔」のモデルにもなったとのこと。といって「五重塔」は読んだことがないので、よく分かりませんけどね。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月21日
-
投稿日 2013年05月21日
総合評価:3.0
JR鶯谷駅近くの住居が建て込んだ下町の住宅街に正岡子規が亡くなるまでの8年間を過ごした子規庵があります。NHKのドラマ「坂の上の雲」でおなじみですが、中に入ってみると、見たとおりのまま。香川照之演じる正岡子規やもっくん演じる秋山真之の姿がよみがえってきました。小さな庭もそのままでした。もっとも、こちらは1950年の復元。関東大震災で大きく壊れて再建、1945年4月14日の空襲で焼失しました。それにしても狭い家で、ここに母八重や妹律が住み、毎日のように弟子たちが押しかけて句会が開かれていたとは。まるで安めの居酒屋に詰め込まれたような感じだったのかも。当時から下町だったのでしょうけど、住宅街とはいえ、ラブホのような建物もあり、派手な女性の姿を見かけたりして、観光としては少々?という気分になりました。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月21日
総合評価:3.0
何が何だかよく分からないまま見学が終わってしまったのが、寛永寺の徳川家霊廟でした。徳川綱吉の霊廟を示す国の重要文化財、朱塗りの勅額門は見ることができますが、あとは閉ざされたまま。天璋院篤姫の墓があることを示す写真付きパネルがあっても、どこがどうなっているのか、説明がないまま。よけいストレスです。増上寺には秀忠ら6人が埋葬されていますが、寛永寺にも同じ6人、四代家綱、五代綱吉、八代吉宗、十代家治、十一代家斉、十三代家定の墓があります。篤姫の墓は家定の隣にあるとか。将軍ごとにかなり壮大な霊廟があったようなのですが、空襲でほとんどが焼け落ちてしまい、多くは改葬されているようなのですが、詳しくは分かりませんでした。警備上の問題はあるとはいえ、もう少し情報を出してくれてもいいんじゃないかしら。
- 旅行時期
- 2012年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月21日
-
投稿日 2013年05月21日
総合評価:3.0
首都圏で美味しいマグロが食べられるスポットとして人気の三崎港一帯。帰りの際に寄るのが三崎フィッシャリーナ・ウォーフ「うらり(愛称)」です。三浦海業公社が運営し、ホールもある施設ですが、楽しいのは十数軒の店舗が並ぶ産直センターでしょう。三崎港に上がったマグロを中心に新鮮な地元海産物がいっぱい。特に店じまいの時間帯に訪れると、びっくりするぐらい値下げしたマグロがゲットできます。特に赤身のレベルは高く、あまり期待していなかったのですが「こりゃトロじゃ」と思わせる美味しさでした。
- 旅行時期
- 2010年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月21日
-
投稿日 2013年05月21日
総合評価:3.0
真珠なんて高価な物は、何度も店に足を運んでゲットするものと思っていましたけど、そうでもないのかなあ。と思ったのが、上天草市にある「天草パールセンター」に訪れたときのこと。店内にディスプレイされた高価な品々に、お土産としても無縁だなと思っていたら、観光バスが到着するたびにどどっとお入りになるお客さんたちがわいわい言いながらお買い求めなのです。もちろん大半が女性客ですけどね。詳しくは分かりませんが、日本でも有数の真珠養殖地だけに、いい物が安く買えるんでしょうかしら。
- 旅行時期
- 2009年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月21日
総合評価:3.0
2012年春、岸和田を訪れた際、蛸地蔵という面白いネーミングに惹かれて天性寺というお寺に参拝しました。お地蔵さんを祀るお寺としては全国的にも有数の大きさらしいのですが、残念ながら修復工事中で本堂の規模や雰囲気は分かりませんでした。規模自体はそう大きな寺ではありません。ところで、なぜ蛸地蔵と呼ばれるようになったかというと、豊臣の時代、岸和田城が根来・雑賀衆に攻められたとき、大タコに乗った1人の法師と数千のタコが現れて敵をなぎ倒し、数日後、城の堀から傷を負った地蔵が見つかったというエピソードからだそうです。タコに負ける武士って?という気もしないではありませんけど、実際、どんな出来事がきっかけだったのか、不思議な感じもします。
- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年05月21日
-
投稿日 2013年04月29日
総合評価:3.0
東京で死者10万人という大災害が起きたことは3度あります。最初が振り袖火事と呼ばれる明暦の大火。2つめが関東大震災で、3つめが3月10日の東京大空襲です。いずれも被害が大きかったのは、墨田区、台東区あたりの下町でした。関東大震災でもっとも悲惨だったのが旧陸軍被服廠跡。前年の移転で空き地になっていた場所に多くの人が逃げ込んだところ、炎におそわれ4万人近い人が焼死したといいます。現在、その地は横綱町公園として整備され、震災から7年後の1930年に完成した東京都慰霊堂が建っています。昭和初めの建物らしい迫力があり、中に入ってみると、何万人もの人の遺骨を安置しているためか、ちょっと違った空気を感じました。当初は震災記念堂としてつくられましたが、震災から22年後の東京大空襲で亡くなった人も合わせて安置したため、戦後、東京都慰霊堂と改名されたそうです。ホント、違った空気を感じます。
- 旅行時期
- 2013年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
-
投稿日 2013年04月28日
総合評価:3.0
解体中のグランドプリンスホテル赤坂の高層ビルの裏側にある瀟洒な洋館。かつて李氏朝鮮最後の皇太子である李垠の東京邸だった建物です。1930年の築。戦後の1955年、赤坂プリンスホテルとして開業しました。その後、チャペルやレストランとして使われていました。1度だけ結婚式で入った記憶がありますが、とっても落ち着いた雰囲気でした。歴史ある建物だけに、さすがに解体されることなくリニューアルされるそうです。
- 旅行時期
- 2011年02月
- 利用目的
- 観光
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 1人1泊予算
- 2,500円未満























