はちのすけさんのクチコミ(120ページ)全3,333件
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投稿日 2019年06月08日
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投稿日 2019年06月08日
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投稿日 2019年06月06日
総合評価:3.0
30年以上前、京都に住んでいた時、河原町に遊びに行くと三条から四条にかけて遊歩するのが楽しみだった。その河原町姉小路あたりのバス停近くにあるのが、この教会だった。ずいぶん繁華街にあるというのが印象だったが、ここに教会を構えたのが1888年というから納得がいった。河原町通は明治以降に開削された通りであり、当時は現代ほど立地が目立つ場所ではなかったのだ。建物そのものはとても新しく、観光資源という雰囲気はない。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年06月06日
総合評価:3.5
四条通から綾小路に達する小さな道。四条新町から少し西側に行くと北端がある。看板によると、踊念仏で知られる空也上人がこの地で道場を開設。折から平将門の怨念が世情を騒がせたことから空也が道場の一角に首塚を築いて将門の霊を鎮めた。このことから空也供養の道場と呼ばれたが、この「空也供養」がなまって「膏薬」と呼ばれるようになったという。一角には将門を祭る「京都神田明神」もある。石畳が整備され、ビジネスホテルの入り口も周辺の雰囲気に合わせて造られるなど観光地として整備されている。ちなみに辻子(ずし)は京都独自の言い方で、出口入口がある小路を指す。袋小路は路地(ろおじ)と呼ぶ。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2019年06月06日
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投稿日 2019年06月06日
総合評価:3.5
東西を貫く通りだが、主に川端ー堀川間が整備されている。ここは防火帯として家屋が移転した歴史があり、昭和時代から側道も含め、道幅は広かった。地下を地下鉄東西線が走っているほか、広大な駐車場、地下商店街が整備されるなど埋蔵文化財が多い京都では珍しく地下の開発も進んでいる。平成に入ってから現代的な都市景観を整えており、京都のシンボルロードの役割を果たしている。特にケヤキは美しく、これも仙台のように立派な観光地だ。木屋町との交差点辺りは噴水が整備されており、夕方はきれいだ。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年06月06日
総合評価:3.0
東京駅や日本銀行本店の設計で知られる辰野金吾が設計した建物で、第一銀行京都支店として創建された。いわゆる三条レトロのひとつだ。ここもそうだが、外観の意匠で赤レンガに白い石をめぐらせる手法は「辰野式建築」と呼ばれ、多くの後進が模倣した。ただ、現在の建物は2003年の再建だ。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年06月05日
総合評価:3.5
マンガ愛好者ではないので、あくまで観光客として立ち寄ってみた。マンガの博物館と図書館、ミュージアムショップ、カフェなどを収容する施設だ。マンガというと週刊誌に代表される文化だと思い込んでいたが、江戸時代の戯画、明治・大正・昭和の雑誌など古いものまでそろっていた。また、国内だけでなく、海外作品もずらり、だ。烏丸御池という立地の良さも相まって観光施設としても面白いかもしれない。外国人が多いのもうなずける気がする。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- コストパフォーマンス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 展示内容:
- 3.5
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投稿日 2019年06月05日
総合評価:3.0
油小路通と蛸薬師通りの交差点辺りに石碑が置かれている。織田信長の最期となった本能寺の変はこの場所で発生した事件であり、現在の本能寺は豊臣秀吉が実行した京都の再編により移転した場所だ。今は老人ホームなどがある。石碑は歴史的転換の舞台としては驚くべき小ささだが、移転した本能寺が存在するがゆえに仕方ないかもしれない。現地の石碑には「能」のつくりが「去」の文字が使われているが、これは再三の火災で焼失を繰り返したため、「ヒ=火が去る」ようにこの文字を当てているという。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 2.5
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投稿日 2019年06月05日
総合評価:3.0
いわゆる三条レトロ建築群の一つだ。三条通に面して建っているが、一部のみが残されており、あとは現代建築に改築されている。残されているのは大正3年に竣工した部分で、塔屋を含む三条柳馬場交差点に面した部分だ。設計はかの辰野片岡建築事務所。三条レトロ建築は赤レンガの印象が強いが、ここの外壁を石張りだ。文化財的な価値もさりながら、ショップや通りのおしゃれ感を増幅している。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年06月05日
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投稿日 2019年06月05日
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投稿日 2019年06月05日
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投稿日 2019年06月05日
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投稿日 2019年06月05日
総合評価:3.0
甘栗で有名な四条新京極の林万昌堂四条本店の奥にある。四条側からも新京極側からも入ることができるが、いずれも間口がとても狭い。ご本尊は地蔵菩薩。藤原明子(染殿皇后)がこのお地蔵様を拝んだところ後の清和天皇を授かったことから、安産の仏様として知られるようになったという。現地には一遍上人が念仏踊りをした場所という碑もある。普通の町なら地域のお寺や氏神様という感じの建築だが、京都の中心部であれば歴史の舞台になってしまう。やはり京都は奥が深い。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年06月05日
総合評価:3.0
京都には名水の井戸が観光地化しているケースが多々見られるが、ここもその一つだ。現地の説明によると、30数メートルの地下から湧いており、水温は年中17、18度で一定しているという。さらにここの美点は寛大に誰にも水を分けているところだ。名水を守らんが故だとは思うが、ところによっては厳しい但し書きがありうんざりするケースもあるのだが、ここは水をくむ場所が二カ所もある。参拝した時も観光客に交じって近くの人と思しき男性が蛇口から持参したタンクに注いでいた。ちょっと飲んでみたが、すっきりした飲み口だった。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年06月03日
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投稿日 2019年06月03日
総合評価:3.5
橋そのものが観光客をひきつけるのではなく、観光客をひきつけるもののそばに架かっているので渡る人が多い。古来、八坂神社の参道として多くの善男善女が歩き、新選組も幕末の志士も走り抜けた橋だ。現代は東側に八坂神社など東山一帯の観光資源や祇園のお茶屋群、南座、西側には四条河原町に木屋町、先斗町と歓楽街を抱え、交通機関も阪急、京阪、各種バスが止まるとあっては人が集まらないわけがない。橋の下の鴨川河川敷にはカップルがよく座っているが、昔からなぜか等間隔だ。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年05月30日
総合評価:3.5
清和源氏の祖である源経基を祭神とする神社。経基を祖に源氏宗家の義家、頼朝のほか木曽義仲ら、さらには足利、新田、細川、島津、徳川などそうそうたる武家が派生している。経基は天皇の六男の子であったことから「六孫王」と呼ばれ、その名が神社名となった。この日は東寺に参拝したのち、北大門から10分ほど歩いた。経基の屋敷跡を神社にしたとの言い伝えがあり、真ん中には庭園の名残のような池が。弁天様などの摂社がある。参拝客はそう多くなく、静かな神社だ。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2019年05月30日