はちのすけさんのクチコミ(117ページ)全3,638件
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投稿日 2020年02月02日
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投稿日 2020年02月02日
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投稿日 2020年02月01日
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投稿日 2020年02月01日
総合評価:3.5
見事な池泉回遊式の庭園が見どころだ。梅雨入り寸前に訪れたが、凝った配置の中で青紅葉を満喫した。内部は非公開だが、入園したところにある宸殿は非常に端整な建物。しばらく見入ってしまう<真っ直ぐさ>だ。裏側には書院があるが、その前の庭ににある水戸黄門が寄贈した灯籠とハイビヤクシンが目を引く。これは写真を見てもらうほかないが、庭を覆い尽くすような変わった木だ。池泉回遊式庭園の中心をなす氷室池にはちょうどスイレンやカキツバタが咲いており、修景のために置かれたような観音堂といい絵をつくっていた。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年02月01日
総合評価:3.5
門跡寺院らしい黄土色の筋塀をめぐらせており、風格あるたたずまいだ。古来から一帯の地名は「小野」であり、小野氏一族が栄えた場所だとされる。現地で初めて知ったが、小町はあの小野篁の孫だという。当代きっての文化人・政治家であり、あの世とこの世を行き来できたというスーパーマンだ。さらに書の小野道風のいとこらしい。伝説が残っているのはさもありなん、と思わせる小町の血筋だ。お寺を囲むように小町ゆかりの史跡が残っており、前側には歌碑や梅園、隠遁してから毎日使ったという井戸、「小町庭苑」と名付けられた寺院後背には多くの恋文を埋めたという文塚が散策路に配してある。どことなく女性的な印象があるお寺で、堂内に小町の一生を描いた現代アートの襖絵があるが、ピンク色が基調でとても華やかだ。
- 旅行時期
- 2019年07月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月29日
総合評価:3.5
御朱印ツアーで梅雨入り直前に訪問した。急な石段の上に見える新緑に囲まれた仁王門の姿は鮮やかだ。青紅葉に朱塗りがはっとするほど映えている。仁王門をくぐった本堂も紅い。聞けば、改修を終えたばかりだという。天台宗の五箇門跡寺院の一つで、御所から移築した宸殿もある。今回は自動車で行ったので、お堂の西側から境内に入る形になり、仁王門などは一度出てから上がり直した。参拝には便利な位置に駐車場があるが、紅葉を楽しみたい向きはすこし後戻りが必要。境内にあるしだれ桜は見事な枝ぶりだ。
- 旅行時期
- 2019年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月29日
総合評価:3.5
時間があれば高雄(高尾)、栂ノ尾、槇ノ尾のいわゆる「三尾」はぜひとも回りたい。その栂ノ尾にあるのが、高山寺だ。境内はぐるりと周遊するタイプで、緑葉がまぶしい参拝路だ。その中心が国宝となっている石水院。複製だが、あの鳥獣戯画が展示されており、必見だ。庭園は華やかではないが、山間の幽玄さが漂う。
- 旅行時期
- 2018年05月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月25日
総合評価:3.0
1980年に建立された観音さま。航空受難者すべての冥福を祈るために安置されたという。現地の説明版によると、東京芸術大学の西村功朝氏の作。最初は太平洋戦争で特攻隊などの航空戦で落命した人々の冥福を祈るためだったが、その後、航空受難者すべてに対象を広げた。遺族だけでなく、航空事業者の社員らも参拝するという。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年01月25日
総合評価:3.5
大覚寺の本堂に上がって最初に見える庭の向こうに建つのがこの門だ。ほうき目が見事に入った白砂の庭が広がり、石舞台の向こうに門が見える。江戸時代の建築で、正面の唐破風が印象的だ。大きな菊の御紋が目立つ。さすがは勅使がくぐる門だ。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月25日
総合評価:3.5
表側は龍安寺の石庭、裏側は有名な侘び助やつくばいなどがある。龍安寺を観賞しようと思えば本堂は上がらざるを得ない場所だ。特に石庭側は庭を立ってみるために造作されているという。本堂そのものも名建築だが、観光的には二つの庭を引き立てる名わき役でもある。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月20日
総合評価:3.5
竹の寺の通称があるだけにここの竹林は見事の一言だ。竹林だけでなく、苔も素晴らしく、青もみじの季節は視力がよくなりそうなぐらい緑にあふれている。気のせいかもしれないが、京都は東側よりも西側の方が竹林が多いような気がする。ここはそのメッカの一つだ。コンパクトだが、雑踏にあふれた嵯峨野よりも心がすっきりとする。
- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月20日
総合評価:3.5
初詣で参拝した。阪急の西院駅から少し歩いた住宅街にあり、あまり広くないが、裏側に駐車場もある。奈良の春日大社を勧請した神社で、大社同様、横に長い朱塗りの社殿が特徴だ。この神社に参拝したことで内親王の疱瘡が治ったという言い伝えがあり、疱瘡を身代わりに引き受けたとされる石が神前に。触れるとご利益があるという。何となくだが、女性の姿が多いような気もした。藤の花をあしらった御朱印帳を購入した。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年01月20日
総合評価:3.0
現地の説明によると、二・二六事件(1936年)で凶弾に倒れた斎藤実元首相が1930年、昭和恐慌から国民が自力更正する願いを込めて自費で都内に日仏寺を建立。その本殿を大覚寺門跡が1958年、この地に移築したのが霊明殿だ。平成十一年に修復されたばかりで、朱塗りが実に鮮やか。落ち着いた建築物が多い大覚寺の中で異彩を放っている。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年01月18日
総合評価:3.5
嵐山・渡月橋からまっすぐ北へ嵯峨野の方へ歩くと行き止まりのような場所に見えてくるのが、この仁王門だ。幅もある大きな二階門で、高さが約18メートルある。個人的にはこの門が見える風景は嵯峨野を代表する風景の一つだ。門の両脇には珍しく朱色に塗られたの仁王像がある。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月18日
総合評価:3.5
嵯峨野の人気スポットの一つ野宮神社の正面に建つ鳥居だ。境内の説明書きによると、木の皮をはがさず、自然のままのクヌギの木が使われている。古代の鳥居の形を今に残す様式で、3年ごとに建て替えていたという。近年はクヌギの入手が困難になっていたが、高松市の企業から防腐処理をした自然木の寄進をうけた。由緒ある鳥居だが、良縁の神様として大にぎわいの境内の中ではちょっと存在感が低いのが、残念。
- 旅行時期
- 2019年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 2.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月18日
総合評価:3.5
応仁の乱でことごとく伽藍を焼失した仁和寺だが、江戸時代に入って本格的な復旧が始まる。金堂はやはり江戸時代に建てられた御所の紫宸殿を移築したものだ。仁和寺本尊の阿弥陀三尊が安置されているが、よくよく聞くと現存する最古の紫宸殿だという。国宝に指定されており、内部は公開されていなかった。境内の奥まった場所にあるが、足を運びたい場所だ。
- 旅行時期
- 2019年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月18日
総合評価:3.5
新霊宝殿の中央に安置されているのが、国宝の弥勒菩薩だ。脇にはもう一体の弥勒菩薩像がある。通称「泣き弥勒」と呼ばれる小ぶりな像で、やはり半跏思惟像だ。マイカーだったが、駐車場は意外に広い。御朱印ツアーの一環で訪問したが、ここはオール印タイプの御朱印で、お願いすると事務員さんがパンパンと制作してくれた。
- 旅行時期
- 2018年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 3.5
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投稿日 2020年01月16日
総合評価:3.0
一見、氏神様のような小さな社が、ビルの正面に食い込むように建っている。千載和歌集などの編者として知られた歌人・藤原俊成を祭った社だ。俊成は平安末期の歌人だが、平清盛の弟で源平合戦で討ち死した平忠度とのエピソードが有名だ。都落ちの際、忠度は俊成に自作の和歌を百首以上委ね、俊成は世をはばかって「詠み人知らず」として千載和歌集に掲載したという。ビルに食い込むような立地はかなり異例だが、そうした歌人の思いが現代まで信仰される原因かもしれない。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年01月16日
総合評価:3.5
後醍醐天皇による建武の新政で、鎌倉幕府倒幕に功績を残した三木一草の一人である名和長年が討ち死にした場所に立つ。三木は長年のほか、苗字に「き」の字がつく結城親光、楠木正成、一草は苗字に「くさ」の字がつく千種忠顕をさす。長年は功績が認められて伯耆(ほう「き」)守に任じられたことから三木の一人に数えられた。付近は児童公園に整備され、碑も堂々としたものだ。後醍醐天皇が隠岐島からの脱出後、倒幕に呼応して天皇を京都まで送り届けた忠臣とされるが、長年の知名度に比してかなり立派だ。楠木正成と並び、戦前は天皇親政のシンボル的な存在だったのだろうか。石碑の下部にある「船」の石彫は、後醍醐天皇が長年に与えた帆掛け船の家紋だという。
- 旅行時期
- 2020年01月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0
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投稿日 2020年01月08日
総合評価:3.0
金閣寺、龍安寺、仁和寺と三つの世界遺産を巡る全長2・5キロの道を指す。金閣寺から龍安寺まで歩いて18分、 龍安寺から仁和寺まで同じく11分。渋滞が発生する道だけに、天気に恵まれれば徒歩を勧める。中心部とは異なる古都の自然と代表的な三つの寺院が一度に楽しめるルートだ。新しい名称で、平成3年に決まったという。途中、わら天神、妙心寺、等持院などの名刹も。途中から公共交通に乗り換えれば高尾山や嵐山・嵯峨野へも足がのばせる。
- 旅行時期
- 2018年12月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 人混みの少なさ:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 3.0























