2016/06/30 - 2016/06/30
155位(同エリア1437件中)
玄白さん
オーストリア・チェコ一ヶ月のんびり旅の個別旅行記第6弾は、天気が悪く山歩きが出来ないときの安全牌程度に考えていたザルツブルク街歩きの記録である。
バートイシュル滞在中は、ずっとハルシュタット、ゴーザウ、クリッペンシュタインなどザルツカンマーグート南部ばかり出かけていたので、バートイシュル滞在の最終日は、北西部のザンクトウォルフガングに行きシャーフベルク登山電車で頂上に行き、そこからハイキングで下り、ザンクトギルゲンまでのクルージングを楽しむつもりでいた。しかし、ゴーザウに行くとき、バス停で知り合った、やはりハイキング旅をされている我々と同年配くらいの御夫婦から、シャーフベルクは中国人観光客で激混みですよ、あまりおすすめできませんとアドバイスされた。
しからば、ザンクトウォルフガングほどの人気はないザンクトギルゲンに行き、ツヴェルファーホルンで軽く山歩きを楽しんだあと、午後ザルツブルクまで足を延ばし、ちょっぴり観光してこようかと、急遽予定を変更したのだが・・・
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス
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午前中は山歩き、午後はザルツブルク街歩きと我が家にしては詰め込みスケジュールとなった。ツヴェルファーホルンロープウェイの始発9:00より一時間ほど早めに到着し、ザンクトギルゲン村内を散策してからロープウェイに乗るつもりである。
取り立てて、どうしても見学しておきたいところがあるわけではないのだが、まずはどこの村にもある教会を覗いてみた。 -
教会内部。ここと同様小さな村オーバーアマガウで見た教会に比べると、質素な内装である。
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シャーフベルクを眺めてみようとウォフガング湖の湖岸へ行ってみる。
途中にあったモーツアルトハウス。実際にモーツアルトがここに住んでいたわけではなく、モーツアルトの母アンナが生まれた家で、彼の姉ナンネルが、この小さな村に嫁いできている。その意味では、モーツアルトと関係があるといえばあるが・・・
まだ8時半過ぎで、シャーフベルクほど人気があるわけではないのに、すでに中国人ツアー客が歩いている。 -
ウォルフガング湖の畔に出た。シャーフベルク山には雲がかかっている。こんな天気では行っても見晴らしはあまり望めそうもない。
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9時10分前になったので、ロープウェイ駅の切符売り場へ。
ここで衝撃の事態が・・・・
窓口のオバサンが、「今日は天気が悪いのでロープウェイは運休します。天気が回復すれば、動かしますがいつになるかわかりません」とのたまう。
エ〜!! 天気が悪いと言ったって、強風が吹いているわけではないし、確かにツヴェルファーホルンの頂上はガスっているが土砂降りの雨が降っているわけでもない、この程度の天気で運休かぁ・・・
後ろに並んでいたカップルも首をすくめて、スゴスゴとどこかに立ち去って行った。ハイキングガイド本には、ここのロープウェイは旧式で郷愁を誘うという記述があったが、まさかこの程度の天気で運休とは・・・ -
バス停に戻り、どうしたものか思案。予定を早めてザルツブルクに行くにしても次のバスは10:40発。一時間半以上待たねばならない。
恨めし気にツヴェルファーホルンを眺めているとガスが晴れてゴンドラが動き始めた。急いでロープウェイ乗り場に戻り切符を買おうとしたところ、点検のために動かしているのであって、営業運転しているのではない、まだいつ運転するか未定だという。 -
やれやれ。いまさらシャーフベルクに行く気にはなれず、無駄な待ち時間ができてしまうが、山歩きは断念してザルツブルクに行くことにした。
手持ち無沙汰で、バス停付近をブラブラしていると、一人のおじいちゃんが自分の方をじっと見ている。日本人が珍しいのかなと思っていたが、どうも首からぶら下げているカメラをじっと見ている。そして、話しかけてきたのである。同じニコン製のデジタル一眼なので同好の士と思ったようだ。バスが来るまで、しばしカメラ談義が始まった。
ずっとコンタックスのフィルムカメラを使っていたが、時代の流れには逆らえず、2年前にニコンのデジタル一眼に変えたという。ウィーンに住んでいて、3年前に奥さんを亡くしたが、風景写真が好きなので、一人で撮影に出かけているそうだ。昨日はゴーザウに行ったといって、撮った写真を見せてくれた。90歳になったというが、元気なご老人である。ドイツ語以外はフランス語は話せるが英語は苦手だとおっしゃる。たしかに玄白の英語と似たレベルではある。
記念に連れ合いとのツーショト写真を撮らせてもらった。 -
くだんのおじいちゃんと分かれて、ミラベル広場バス停で下車。
市がたっていたが、見物する時間はないので、まず旧市街へ。 -
新市街の通りをブラブラ歩きながら旧市街に向かう。午前中は山歩きをするので荷物は軽くしたい、ツーリストインフォメーションで地図をもらえばよいと思っていたため、ガイドブックは持って来なかったので、旧市街の方向がイマイチ不正確。
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マカルト橋を渡るつもりが、シュターツ橋に出てしまった。メンヒスベルクの丘の上に聳えるホーエンザルツブルク城砦が見えてきた。川の反対側から見る旧市街の街並みは、中世から続いている古い町並みには見えない。
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旧市街に足を踏み入れると、通りは狭く、たしかに中世の街並みという雰囲気はする。
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まずはツーリストインフォで地図や観光資料をもらうために、モーツァルト広場へ。
元がとれるか定かではなかったが、ほとんどの施設の入場が無料になるザルツブルクカード24時間券(27ユーロ)も購入しておいた。 -
広場では、子供達が巨大なチェス盤でチェスをやっている。もっとも下の写真の女の子たちはチェスの対戦をしてるのではなく、駒で遊んでいるだけのようだ。(下の写真はホーエンザルツブルク城砦見学の後に撮影)
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レジデンツとレジデンツブルネンという噴水。レジデンツ広場のシンボルである。
レジデンツとは宮殿という意味だが、ザルツブルクの場合はその主は国王や大貴族ではなく、カトリックの司教なのである。ザルツブルクの司教支配は、7世紀末にバイエルン大公テオド2世(当時のバイエルンはヴィッテルスバッハ家ではなかった)がドナウ川中流部を植民地化するための策としてまずキリスト教を布教させることを考え、ルーベルトという司教をこの地域に派遣し、司教にこの地域の支配権を認めたことに端を発する。19世紀初頭、最後の大司教ヒエロニュムス・フォン・コロレドが領主権を放棄し、オーストリアに併合されるまで、実に1100年間も世俗権力ではなく、カトリックの聖職者が支配していた町というのが、他のヨーロッパ諸都市との違いなのである。
なお、司教もしくは大司教というカトリック聖職者が世俗的な支配権を持った都市国家は、ザルツブルク以外には、ケルン、マインツ、ハンブルク・ブレーメン、アウグスブルクなど神聖ローマ帝国(現ドイツ)内の20に満たない都市だけである。 -
ザルツブルク大聖堂の外観
ザルツブルクがハプスブルク家のオーストリア、ヴィッテルスバッハ家のバイエルンという強大な世俗権力に挟まれていながら、これだけの長きに渡ってカトリックの支配権を維持できたのは、ハプスブルク家のハルシュタット岩塩鉱と同様、ザルツブルク司教がハライン岩塩鉱を抑え、岩塩を財力の基盤としてきたからに他ならない。まさにザルツブルクは塩(ザルツ)の砦(ブルク)だったのである。 -
そんな歴史を持つ旧市街中心部を抜けて、まずはザルツブルクのランドマーク、ホーエンザルツブルク城砦に向かう。
城砦はメンヒスベルクという旧市街から標高差100m強の丘の上に建てられている。旧市街の南のはずれから出ているケーブルカーを使って丘の上に行く。 -
ケーブルカーを降りて、城の北西側稜堡からザルツブルクの市街を見下ろす。眼下に旧市街、ザルツァッハ川、その奥には新市街が一望のもとだ。
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大勢の観光客が、この眺望を楽しんでいる。
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イチオシ
城壁のわずかな隙間に植物が根を下ろし、けなげに黄色い花を咲かせている。
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女子高生らしき女の子たちが楽器を抱えて出て来た。何かのイベントに参加していたのだろうか・・・
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北西側稜堡から階段を登り、大司教の居室がある城内へ。門の上には巨大な石作りの紋章が掲げられている。
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城内の見学はガイドツアーのみ。右側の城壁の入口を入ったところに受付があり、時間になったら、ツアー出発となる。ガイドツアーといってもガイドが説明するのではなく、オーディオガイドを聞きながらガイドについて歩くだけである。ガイドは見学者が良からぬ行動をとらないように見張っている(?)だけである。
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城砦建設が時代とともにどのように拡張されていったかを示すジオラマの展示
左上:
城塞の歴史は、11世紀末の神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウスの聖職叙任権闘争にさかのぼる。当時の大司教ゲプハルト・フォン・ヘルフェンシュタイン1世は、弱体化した皇帝の権力に対し、自らの地位を高めようと教皇側についたが、かの有名な「カノッサの屈辱」で、皇帝は教皇と和解。このためゲプハルトは、皇帝の報復を恐れて、城塞を築く必要に迫られたのが城砦建設のきっかけであった。
右上:
13世紀以降のザルツブルクは、ハプスブルク家、ヴィッテルスバッハ家など近隣諸国の脅威にさらされていた。15世紀後半にはこれらの攻撃に備えて、城塞の強化が図られ、4つの塔や防壁の拡張、さらに武器庫、穀物貯蔵庫が建てられた。
左下:
16世紀初頭、大司教レオンハルト・フォン・コイチャッハは、自らの権力のシンボルとして城塞を拡張。また、市内のレジデンツが危険にさらされた際に備えて、城塞の居住部分の改築を図った。こうして、城塞はさらに拡張されたが、この時期にはロマネスクから後期ゴシック様式へと建築様式が変わっている。
右下:
17世紀になると、大司教パリス・ロドロンはバロック時代にふさわしい壮大な築城工事を行ない、城塞をさらに堅固な砦とした。この時代にホーエンザルツブルクは中世の砦から近代の城塞に変貌したのである。 -
大司教レオンハルト・フォン・コイチャッハの肖像画
レオンハルトは1495年〜1519年まで大司教の座にあった。市民権を要求する中産階級を抑圧し、教会権威を最大限に利用したため領民の評判は良くなかった。
古いローマの街道を修理したり、ワイン蔵や醸造所を設立したりした。行政手腕は高く、金庫は常に満たされ、その資金を不動産や塩、金などに再投資した。
レオンハルトはケルンテン(現在のオーストリア南部)の小貴族の出身で、紋章は白い蕪である。これはレオンハルトが少年の頃、農場を経営していた父に、「土を耕すのはイヤだから僧侶になりたい」と言うと、父は怒って蕪を投げつけたという逸話からきているという。 -
レオンハルトの蕪の紋章。城内には、この蕪の紋章が50か所以上あるという。
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1994年の発掘調査で発見された12世紀前半のロマネスク様式の要塞教会の遺構。
レオンハルト・フォン・コイチャッハが防護壁増築のため、破壊してしまったらしい。 -
見学途中、廊下の窓から中庭を見下ろす。
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ツアー終盤、レック塔(見張り塔)に登る。(写真は、この後行った城砦博物館の窓から撮影したもの)
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レック塔からの眺め。南の方角
ザルツカンマーグートの山並み。左端中段に小さく写っているのは、レオポルツクローン城。ミュージカル映画「サウンドオブミュージック」のトラップ大佐の家としてロケに使われた城である。 -
ザルツブルク市街。
中央の青緑色の屋根の建物はミラベル宮殿である。 -
レックトゥルムの拷問室
城塞は政治犯の監獄として使用されていたことがある。16世紀後半の大司教だったヴォルフ・ディートリッヒという人物は、クーデターで失脚し大司教を守るための城砦のこの部屋で5年間監禁されて世を去ったという。 -
自動演奏パイプオルガンという珍しいものが展示されている。これにて、ガイドツアーは終了。
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この城砦は、11世紀の建設初期から19世紀にいたるまで、一度も武力攻撃を受けたことがなく、それぞれの時代の建築が、とても良好な状態で保存されている珍しいケースである。そんな歴史的に貴重な遺産であることが、世界遺産登録の重要な要件になっている。
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次に自由見学できる城砦博物館に行ってみる。
16〜17世紀のキッチン -
鋭い穂先が背もたれ、ひじ掛けに埋め込まれた拷問椅子。
実際に使われた場面を想像するだけで身震いするほどおぞましい。中世ヨーロッパが暗く陰湿なイメージが付きまとうのは、異端審問や魔女狩りでこの手の道具を使った拷問が行われていたという事実があるのも要因の一つであろう。ペストの蔓延などもあろうが・・・ -
タイル張りの華麗な装飾が施されたストーブ。解説パネルには16世紀に作られたものと書かれている。
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16世紀頃の大砲。市民意識が芽生え始めていた中流市民階級と大司教はしばしば衝突をしていたので、市民の暴動を抑え込むために設置されたもののようだ。
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続いてライナー博物館へ。城砦博物館とつながっているので、実質ひとつの博物館のようなものだ。ここでは、第一次世界大戦において南チロルでロシアとの戦闘に参加した「ライナー大公連隊」(第59歩兵連隊)に関するものが展示されている。この種の軍事博物館には興味がないので、ざっと眺めただけでスルーした。
しかし、おざなり見学が、肝心の見どころの一つである大司教の居間「黄金の小部屋」や「黄金の広間」を見逃してしまったのである。後で気がついたのだが、戻る気にはなれず、そのまま旧市街へ。 -
旧市街中心部に建つ大聖堂へ。
774年に前期ロマネスク様式の聖堂として創建されたが、12世紀末に後期ロマネスク様式で5つの身廊を有するバジリカ様式に建て替えられ、さらに17世紀前半にバロック様式に建て替えられた。 -
正門の脇には 2 人の守護聖人、聖ルペルトと聖ヴィジルの彫刻がある。これはどっち?
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イチオシ
中に入ると100mはあろうかという身廊の先の主祭壇の上の巨大な丸天井が目に飛び込んでくる。キューポラの窓から入り込む外の光が聖堂内の装飾に光と影を加え、荘厳な雰囲気を盛り立てている。
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主祭壇の祭壇画
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身廊の天井には夥しいフレスコ画が描かれている。
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左上、左下
主祭壇の反対側および、左右両側に5つのパイプオルガンが設置されている。聖堂自体が大変大きいので印象は薄いのだが、このパイプオルガンもヨーロッパ最大級のものだという。1000人は入れるという広い聖堂内で5つのパイプオルガンが奏でる教会音楽はさぞ迫力があるに違いない。
右上
キューポラの天井を飾る装飾
大きな聖堂内の天井の装飾を鑑賞していると首が痛くなるのも忘れる。 -
4つの翼廊に飾られた祭壇画のうちの2つ
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大聖堂の見学を終えて、レジデンツへ。大聖堂とレジデンツは回廊でつながっていて、ザルツブルクカードで無料で入ることができる。リュックサックのような荷物は事前に入口脇のロッカーに入れるように受付で指示された。
レジデンツギャラリーを経て、大司教の住居の一部である玉座の間、騎士の間、謁見の間、そしてモーツアルトが大司教の前で演奏を披露したという会議の間など絢爛豪華な部屋を見て歩く。
残念ながら、ここは撮影禁止なので写真はない。 -
レジデンツの見学を終えて外に出ると、土砂降りの雨!
雨宿りを兼ねてレジデンツ広場からザルツァッハ川方面への路地を入ったところにあったGoldgasseというホテルのカフェでティータイムだ。連れ合いの心積もりではカフェ・モーツァルトに行きたかったようだが、雨を凌ぐことが優先。 -
どんなスィーツをオーダーするのかは、連れ合いに決定権がある。注文したのは、ザルツブルクの郷土菓子「ザルツブルガー・ノッケルン」。砂糖がたっぷり入ったメレンゲとカスタードクリームをアルプスの山の如く3つ山に盛ってオーブンで焼いたものである。20分ほど時間がかかるが良いかと念を押されたが、No Problem!
ビールを飲んでケーキが焼けるのを待つ。
出てきてその大きさにびっくり、しかも4種類のアイスクリームが付いている。ウェイターにアイスクリームは注文していないというと、これはノッケルンについているのだという。とても食べきれないと思ったが、二人で何とか平らげてしまったのには自分でもびっくり! -
ノッケルンと格闘している間に土砂降りの雨が上がった。
旧市街一番の繁華街ゲトライデガッセの方に行ってみよう。
途中に、これまた有名観光スポット、モーツァルトの生家があるので、立ち寄り。
内部は今は博物館として公開されているので、入ってみる。もちろん、ザルツブルクカードで無料になる。
写真撮影は禁止なので、紹介できる写真はない。
モーツァルトが生まれた部屋、子供のときに使ったバイオリン、肖像画など多数展示されている。モーツァルトファンならば垂涎の的であろう。
入口に張ってあるQRコードを撮影して館内の解説をダウンロードすることで、日本語で書かれた解説文をスマホで読みながら見学できる。これはなかなか、良いシステムである。 -
マンホールのふたに溜まった雨水に映り込んだモーツァルトの生家
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モーツアルトの生家の前はいつも黒山の人だかりである。
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隣りにはドイツ語圏各国で見かける魚介の惣菜屋「NORDSEE」があった。品揃えは店によって差がある。ここの店はなかなか高級感がある。よほど、別荘での夕食用に買おうかとも思ったが、もう少し市内見物を続けるつもりなので我慢だ。
この辺りから西の方がゲトライゼガッセでもにぎやかな商店街が連なっている。 -
連れ合いが入りたかったというカフェ・モーツァルト
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イチオシ
どの店も鉄製の凝った意匠の看板が掲げられている。これをひとつひとつ見て歩くのが面白い。
昔、文字が読めなかった人が多かったので、看板の絵で何を売っている店かわかるようにという工夫だったようだ。 -
アメリカ生まれの世界的ハンバーガーチェーンの看板もあった。
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光の当たり具合で、ときどき振り返っては写真を撮っている。
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これは傘屋だろう。
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きりがないので、まとめてアップしておこう。
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イチオシ
通りのはずれに見えているのはブラジウス教会。その背後に見えているのが、メンヒスベルクのエレベータ。これに乗って丘の上にある近代美術館に行ける。美術館に入るつもりはなかったが、丘の上からの眺めが良いというので昇ってみよう。
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近代美術館。
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イチオシ
近代美術館の前のテラスからの眺め。
ホーエンザルツブルク城砦から旧市街中心部が一望できる。この眺めは昼間より夜景の方がきれいだろうな。バートイシュルまで帰らねばならないので、かなわぬことではあるが・・・ -
いつの間にか晴れ渡っているが、日は西に傾いてきた。
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近くに祝祭劇場があるので、ちょっと見ていこう。
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正面から。
言うまでもなくザルツブルク音楽祭のメイン会場である。観客数2000人を越える大きな劇場で、オペラ会場としてもコンサート会場としても世界的に高い評価を受けている。ザルツブルク生まれの名指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンが数多くの演奏でタクトを振っている。
旧市街の狭い土地に建てられているので、裏のメンヒスベルクの岩壁をくりぬいて建てられている。ガイドツアーで内部の見学もできるようだが、時間が合わないのでパス。 -
古そうな門。Gstatten tor」というプレートが付いていた。
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マカルト橋を渡ってミラベル庭園へ。ザルツァッハ川は雨のせいか、いつもなのかわからないが濁った水が流れている。
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橋の両脇の金網には夥しい南京錠が取り付けられている。カップル達が分かれることなくいつまでも一緒にいたいという願いを込めて取り付けていったものだろう。最近、あちこちで見かける「恋人たちの聖地」とかいうものかな。
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バートイシュルに戻る前にミラベル庭園を覗いて行こう。ここも大勢の観光客がいる。
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ここは典型的なフランス式庭園。きれいではあるが、平面的なので写真撮影は難しい。
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噴水の奥に見えるのがミラベル宮殿。
ホーエンザルツブルク城砦の拷問の部屋で書いた16世紀の大司教ヴォルフ・ディートリッヒ・フォン・ライテナウが愛人、サロメ・アルトを住まわせるために作った宮殿である。この大司教ディートリッヒは、愛人に15人の子供を産ませていて、これだけの大きな宮殿が必要だったということらしい。そもそも、カトリックの聖職者は生涯独身でなければならないという規律があったにも関わらず、妾を持つことは当たり前(正式な結婚はできないため)、聖職者の地位すら金銭で売買するという堕落した風潮が宗教改革以降も続いていたのである。
庶民にとっては、領主が世俗の王であろうが、カトリックの聖職者であろうが差は感じられなかっただろう。 -
イチオシ
ミラベル宮殿の前から旧市街方向を望む。ホーエンザルツブルク城砦、大聖堂の二つの塔が遠望できるザルツブルクを象徴する景観である。
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同じような構図だが縦位置で一枚パチリ。
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しつこくもう一枚!
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宮殿脇にあるペガサスの泉。ミュージカル映画サウンドオブミュージックでアンナがトラップ大佐の子供達と楽しく踊るシーンのロケが行われたところである。
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宮殿の一部、大理石の間のみ一般公開されているのだが、すでに公開時間4時を過ぎていたため、見ることはできなかった。しかし、大理石の間に通じる天使の階段だけは見ることができた。
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イチオシ
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イチオシ
1000年以上の長きに亘ってカトリックの聖職者が支配していた特異な都市国家、ザルツブルクであるが、中世から続く他のヨーロッパの都市と比べて特段、教会や修道院が多いというわけではない。歴代の大司教の行状は、敬虔なカトリックの聖職者にふさわしい功績を残した人物はまれで、ミラベル宮殿を造営したヴォルフ・ディートリッヒ大司教の如く、世俗の王や貴族以上に世俗的な人物の方が多かったようである。
5時過ぎのバスでバートイシュルに帰還。
ザルツカンマーグートの一週間滞在を終えて明日はチロルへ移動する。
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