2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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トロイ遺跡見学の締め括りです。遺跡発掘が続けられていましたが、復原作業までは中々手が回らないようです。トロイ遺跡見学の後、エーゲ海最大のローマ遺跡とされる、エフェス遺跡に向かいました。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
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イチオシ
整理が出来ずに、転がされたままの膨大な数の石柱です。推測ですが、アテナ神殿当たりのギリシャ様式の石柱のようです。ただし、アテナ神殿跡は、基礎部分が別の場所に残っているようです。背後に見える石積みは、年代なども分かりませんが城壁か、神殿の石壁のようです。白っぽく見える石柱の石材は、大理石のようです。(同上)
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石柱以外にも、様々な形をした遺物の石材の光景です。すべて大理石の様に見えました。推測ですが、これ等の大理石の石造遺物もアテナ神殿当たりの建物遺物ようです。アテナ神殿は、トロイが滅亡した200年ほど後に、『アレキサンダー大王(紀元前356~紀元前323年)』が築いたとする記述も目にしました。ギリシャ様式であることも納得できる時代背景です。(同上)
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右上に『The Discvery and Excabition of Troia』の英文タイトルがあった説明パネルです。『トロイアの発見と発掘』の意味のようです。左端にその貢献があったらしい三人の写真がありましたが、文字は読み取れませんでした。その一番上がシュリーマンかも知れません。一番下は、アタチュルク初代大統領のようにも見えました。(同上)
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先ほど、『アレキサンダー大王』のことに触れましたので、彼の紹介の続きです。彼は、ピリッポス2世とエペイロス王女オリュンピアスの間に生まれました。ピリッポス2世はヘーラクレースを祖とする家系で、オリュンピアスはアキレウスを祖とする家系ですから、ギリシャ世界では最大の栄光を持つ両英雄の血筋を引くとされ、家系的栄誉はギリシャ随一でした。(同上)
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紀元前342年、父のピリッポスは、アテナイからマケドニア人の学者アリストテレスを「家庭教師」として招き、紀元前340年までアレクサンドロスとその学友を教えました。紀元前338年、アレクサンドロスは一軍の将として父に従ってギリシアの南部に出兵し、カイロネイアの戦いでアテナイ・テーバイ連合軍を破りました。これが彼の初陣であり、輝かしい戦歴の序章でした。(同上)
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父が、紀元前336年に護衛のパウサニアスに暗殺され、20歳の若さでマケドニア王を継承したアレクサンドロスは、敵対者を排除してマケドニアを掌握しました。紀元前335年、父の遺志を継いでマケドニア軍を率いてペルシア東征に出発し、38,000兵を率いて小アジアに渡り、小アジアに駐屯するペルシア軍を蹴散らしながら東進を続けました。この行軍の初めの頃にトロイに立ち寄たようです。(以上、同上)
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保存状態の良い、『尖底土器』の展示です。尖底(せんてい)土器は、土器の底が尖っている円錐形もので、日本では縄文土器として知られます。主に縄文草創期から早期に作られ、北海道から九州まで広く出土しています。縄文時代の別名は新石器時代です。始期と終期とについては多くの議論があり、始期に関しては一般的に1万6000±850年前と考えられ、終期は概ね約3000年前とされます。世界史としては、新石器時代の初頭で時期はほぼ一致していて、日本をはじめ、世界で広く出土しています。(同上)
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同じく、『尖底土器』の展示です。こちらには、多くの破損部分がありました。世界に広く見られる特殊な尖底土器は、その形状に関する一般的な解釈では、土に埋めて食料などを入れていたのではないかと想定されています。その理由は、この形の方が安定させやすいというものです。しかし、熱を加えられた跡が残るものも出土していて、明確な理由は分かっていません。話は変わって、日本の縄文土器を芸術的な見地から高く評価したのは、『岡本太郎(1911~1996年)』さんでした。
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折れてしまった石柱の塔部分の展示光景です。アカンサスの彫刻がある、ギリシャ様式の石柱です。コリント式と呼ばれ、古代ギリシア建築における建築様式(オーダー)一つとなっています。この後は、すでに紹介した部分と重複もあるかも知れませんが、『ギリシャ神話』についての紹介です。ギリシャ神話は、古代ギリシャより語り伝えられた伝承文化で、多くの神々が登場し、人間のように愛憎劇を繰り広げる物語です。(同上)
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古代ギリシャ市民の教養とされ、さらに古代地中海世界の共通知識でもありました。現代では、世界的に広く知られていて、ギリシャの小学校では、ギリシャ人にとって欠かせない教養として、歴史教科の一つになっています。ギリシャ神話は、ローマ神話の体系化と発展を促進しました。プラトーン、古代ギリシャの哲学や思想、ヘレニズム時代の宗教や世界観、キリスト教神学の成立など、多方面に影響を与え、西欧の精神的な脊柱の一つとなりました。中世においても、神話は伝承され続け、その後のルネサンス期、近世、近代の思想や芸術にとって、ギリシャ神話は霊感の源泉でした。(同上)
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今日、ギリシャ神話として知られる神々と英雄たちの物語の始まりは、およそ紀元前15世紀頃に遡ると考えられています。物語は、その草創期においては、口承形式でうたわれ伝えられてきました。紀元前9世紀または8世紀頃と考えられているホメーロスの二大叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』は、この口承形式の神話の頂点に位置する傑作とされます。(同上)
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当時のヘレーネス(古代ギリシア人による彼ら自身の呼称)の世界には、神話としての基本的骨格を備えた物語の原型が存在していました。当時の人々のなかで、特に、どのような神が天に、そして大地や森に存在するかを語り広めたのは、吟遊詩人たちでした。吟遊詩人は、姿の見えない神々に関する真実の知識を、人間に解き明かす存在でした。(同上)
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神の霊が吟遊詩人の心に宿り、不死なる神々の世界の真実を伝えてくれました。そのため、ホメーロス等の作品においては、ムーサ女神への祈りの言葉が、朗誦の最初に置かれました。口承でのみ伝わっていた神話を、文字の形で記録に留め、神々や英雄たちの関係や秩序を、体系的にまとめたのは、ホメーロスより少し時代をくだる紀元前8世紀の詩人『ヘーシオドス』でした。(同上)
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彼が歌った『神統記』においても、その冒頭には、ヘリコーン山に宮敷き居ます詩神(ムーサ)への祈りが入っています。ヘーシオドスは、現存する文献のなかでは初めて系統的に神々の系譜と、英雄たちの物語を伝えました。このようにして、紀元前9世紀から8世紀頃に、『体系的なギリシャ神話』が成立したと考えられています。(同上、以上)
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白と黒色のツートンカラーのワンちゃんです。ダックスフンドとは違う犬種のようですが、足の短いところが似ていました。写真を撮った後で気が付きましたが、右後ろ脚を失ったワンちゃんかも知れません。(同上)
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斜め後ろから眺めた、『トロイの木馬』の光景です。背中に大きな荷物を背負っていましたが、3階部分になる展望台です。胴体にあたる2階部分も展望台でした。2004年のアメリカ映画の『トロイ』で使われた木馬は、現在はイーリオスに近いチャナッカレに展示されています。(同上)
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見学用に造られた『トロイの木馬』の内部へ上ることが出来る階段の光景です。上って、2階と3階から外の光景も眺めましたが、写真は撮影しなかったようです。すでにトロイ遺跡への入場料を払っていますので、自由に上り下りができました。中からの眺めより、外から眺めた方が楽しめました。(同上)
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イチオシ
正面から眺めた、『トロイの木馬』の頭部の光景です。実に可愛らしい顔をしていました。少し垂れ下がった眼が、微笑んでいるようにも見えました。木馬が完成して、ネオプトレモス、メネラーオス、オデュッセウス、ディオメーデース、ピロクテーテース、小アイアースらが乗り込み、最後にエペイオスが乗り込んで扉を閉じました。決死の覚悟だったようです。(同上)
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横から眺めた、トロイの木馬の光景です。最初にシルエットでも紹介しましたが、たてがみの造りが印象的でした。現在は観光目的の像ですから、二階と三階の窓付きの部屋を背負っています。完成した木馬を、イーリオス市内に運び込ませるためには、トロイア人に顔を知られていない者が1人で残り、敵を欺く必要がありました。この役にはシノーンが立候補しました。(同上)
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斜め前から眺めた、トロイの木馬の頭部光景です。偽計のため、ギリシア勢は寝泊りしていた小屋を焼き払い、船で近くのテネドス島に移動しました。夜が明けると、トロイア人は、ギリシア人が消えうせ、後に木馬が残されていることに気がつきました。ギリシア人が去って勝利がもたらされたと信じたトロイア人は、市内から出てきて木馬の周りに集まり、一人残ったシノーンを発見しました。(同上)
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斜め後ろから眺めた、『トロイの木馬』の光景です。トロイア人たちは、シノーンを問い詰め、ギリシア人の行方や木馬の作られたいきさつを問いただしました。拷問もあったかも知れません。しかし、覚悟のシノーンは正しいことを言わず、『ギリシャ人は逃げ去った。木馬はアテーナーの怒りを鎮めるために作ったものだ。なぜこれほど巨大なのかといえば、この木馬がイーリオス城内に入ると、この戦争にギリシャ人が負けると予言者カルカースに予言されたためである』としてトロイア人を欺き通しました。(同上)
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イチオシ
木間(このま)から眺めた『トロイの木馬』の前部光景です。シノーン欺かれたトロイア人たちは木馬を引いて市内に運び込みました。ラーオコオーンとカッサンドラーが市民たちを諫め、木馬に槍を投げつけました。その直後、海から2匹の大蛇が現れ、ラーオコオーンとその二人の息子をくびり殺したため、市民たちは考えを変えました。あくまで神話の世界での説明です。門は木馬を通すには狭かったので、壊して通しました。そして、アテーナーの神殿に奉納されました。(同上)
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トロイア人達は、その後、市を挙げて宴会を開き、人々が寝静まり、守衛さえも手薄になっていました。それを好機と木馬からオデュッセウスたちが出てきました。そして計画どおり松明でテネドス島のギリシア勢に合図を送り、彼らを引き入れました。この辺の出来事は、昔、映画でも見たことがありますので、ついつい、神話と史実との区分もなくなってしまいます。(同上)
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その後、ギリシャ勢はイーリオス市内を暴れ回りました。酔って眠りこけていたトロイア人たちは反撃することができず、アイネイアースなどの例外を除いて、ギリシャ勢に討たれてしいました。トロイアの王・プリアモスもネオプトレモスに殺され、ここにトロイアは滅亡した。プリアモスはギリシャ神話の王で、イーリオス(トロイア)の王ラーオメドーンの子で、その後を継ぎ、トロイア最後の王となりました。ホメーロスの叙事詩『イーリアス』に登場します。(同上)
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猫背になったネコさんの紹介です。『猫背(ねこぜ)』は、人間の背中が丸まって内側へ反り、頭部が前方に出た姿勢になる現象』です。ネコさんに対するものではなく、人に対する阿諛です。猫の背中のように丸くなることからの呼び名です。猫さんにとっては正常な姿勢になるようです。(同上)
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名前:『マリーゴールド』
分類:キク科マンジュギク属(コウオウソウ属)
分布:アメリカ大陸の熱帯と温帯にかけて約50種が分布。
その他:聖母マリアの祭日に咲いていたため「マリア様の黄金の花」とも呼ばれています。 -
トロイ遺跡の見学を終えて、次のエフェス遺跡に向かう途中に休憩で立ち寄ったお店です。『トロイ・オリーブハウス』の表示がありました。トルコは世界有数のオリーブ産地であり、消費地です。日本へも輸出されています。オリーブ・オイルは、現トルコの南西部が発祥の地とされています。トルコの朝ごはんには絶対に欠かせないオリーブは、味も種類も豊富です。1920年代、トルコ建国の父とされる『アタテュルク(1881~1938年)』が、南トルコの村『Yalova(ヤロヴァ)』を視察した際、この地域でオリーブを農業として力を入れていくことが決まった、と伝わります。(同上)
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『ムスタファ・ケマル・アタテュルク』は、オスマン帝国軍の将軍、トルコ共和国の元帥、初代大統領でした。アタテュルクは徹底した政教分離を行い、国からイスラム世界の最高指導者カリフを追放するなど、強硬な改革を行いました。しかし、イスラム教国を近代化させ発展させたことから、他のイスラム教国からも尊敬や敬愛を受けていて、世界中に彼の名がつけられた道路などがあります。(同上)
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トルコのガソリンスタンドの光景です。ツアーでは、途中給油を兼ねて2~3時間おきに、ガソリンスタンドに立ち寄ります。そして、15分から20分ぐらいのトイレ休憩があります。トルコは基本的にトイレが有料ですから、こうしたところのトイレの多くが無料なので、乗客もぞろぞろと降りて併設されているコンビニで必要なお水などを買いもとめます。(同上)
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ガソリンスタンドに駐車していた車だったようです。大きな車の後ろに駐車していた、頭部が価車の荷台が変わった光景でしたから、カメラが向きました。前に見える大きな車には、『TASIMA Hiz.LTD.』の表示がありましたが、アメリカベースに輸出入を手掛けている会社のようでした。(同上)
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