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エフェス遺跡紹介の続きです。この遺跡で、人類が生活していた痕跡が認められるのは、7000年前にまで遡ります。 二つの山の麓に広がる、カイストロス川が作り上げた天然の湾は、古くから生活に適した場所として機能してきました。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)

2008秋、トルコ旅行記2(13/47):10月16日(8):エフェス遺跡、トラヤヌスの泉、モザイク、ハドリアヌス神殿

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2008/10/14 - 2008/10/21

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旅行記グループ 2008秋、トルコ旅行記2(上巻)

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旅人のくまさん

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エフェス遺跡紹介の続きです。この遺跡で、人類が生活していた痕跡が認められるのは、7000年前にまで遡ります。 二つの山の麓に広がる、カイストロス川が作り上げた天然の湾は、古くから生活に適した場所として機能してきました。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)

同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
その他
  • エフェス(エフェソス)が最初に拓けたのは、現在の遺跡部分ではなく、最初に紹介した、セルチュク近郊のアルテミス神殿周辺だったようです。紀元前11世紀半ばには、アルテミス神殿が聖域として機能していたようです。伝説によれば、豊穣の女神『アルテミス』を崇拝する女性戦士の『アマゾネス』が、アルザワ王国を建設し、その首都アパサからエフェスが派生したと言われています。(同上)

    エフェス(エフェソス)が最初に拓けたのは、現在の遺跡部分ではなく、最初に紹介した、セルチュク近郊のアルテミス神殿周辺だったようです。紀元前11世紀半ばには、アルテミス神殿が聖域として機能していたようです。伝説によれば、豊穣の女神『アルテミス』を崇拝する女性戦士の『アマゾネス』が、アルザワ王国を建設し、その首都アパサからエフェスが派生したと言われています。(同上)

  • エフェスは、古代ギリシャ時代の紀元前5~4世紀頃からアルテミス信仰の地として有名になり、古代世界有数の巡礼地として発展しました。ローマ時代の紀元前1世紀頃、東地中海交易の中心の港湾都市としてエフェスは最盛期を迎えました。紀元前33年には、プトレマイオス朝最後のファラオの『クレオパトラ7世』が、マルクス・アントニウスと共にエフェソスに滞在したとも言われています。しかし、3世紀以降は度重なる大地震やアラブ人の侵入、土砂の堆積による海岸線からの後退等により、エフェスは衰退の一途を辿りました。(同上)

    エフェスは、古代ギリシャ時代の紀元前5~4世紀頃からアルテミス信仰の地として有名になり、古代世界有数の巡礼地として発展しました。ローマ時代の紀元前1世紀頃、東地中海交易の中心の港湾都市としてエフェスは最盛期を迎えました。紀元前33年には、プトレマイオス朝最後のファラオの『クレオパトラ7世』が、マルクス・アントニウスと共にエフェソスに滞在したとも言われています。しかし、3世紀以降は度重なる大地震やアラブ人の侵入、土砂の堆積による海岸線からの後退等により、エフェスは衰退の一途を辿りました。(同上)

  • 文字が刻まれたレリーフのズームアップ光景です。ギリシャ文字のようでした。『エフェス(エフェソス)』の呼び名の語源は、女性戦士の『アマゾネス』が建設した国の首都アパサから派生したと言われています。アマゾネスは、当時のギリシャ人にとっては未開の地だった、黒海沿岸部に住んでいたとされています。ギリシャ神話の英雄であるヘラクレスが、女王の持つ帯を取りに行く話があるほか、トロイア(トロイ)戦争でトロイア側に着く話などが伝えられています。(同上)

    文字が刻まれたレリーフのズームアップ光景です。ギリシャ文字のようでした。『エフェス(エフェソス)』の呼び名の語源は、女性戦士の『アマゾネス』が建設した国の首都アパサから派生したと言われています。アマゾネスは、当時のギリシャ人にとっては未開の地だった、黒海沿岸部に住んでいたとされています。ギリシャ神話の英雄であるヘラクレスが、女王の持つ帯を取りに行く話があるほか、トロイア(トロイ)戦争でトロイア側に着く話などが伝えられています。(同上)

  • 長い間、アマゾネスの存在は架空のものだと考えられてきましたが、1990年代に入ると、神話でアマゾネスの支配する地域だとされていた地域において、『戦士として埋葬された女性』の骨が相次いで発見されたようです。トロイ戦争と同じように、神話の世界の出来事が、史実として浮かび上がってきました。数千年前に存在した女性戦士は、遊牧騎馬民族・スキタイの女性だったとみられています。(同上)

    長い間、アマゾネスの存在は架空のものだと考えられてきましたが、1990年代に入ると、神話でアマゾネスの支配する地域だとされていた地域において、『戦士として埋葬された女性』の骨が相次いで発見されたようです。トロイ戦争と同じように、神話の世界の出来事が、史実として浮かび上がってきました。数千年前に存在した女性戦士は、遊牧騎馬民族・スキタイの女性だったとみられています。(同上)

  • 1988年にトゥヴァ共和国で発見された戦士の遺骨は、『13歳以下の女性』のものであることが分かりました。これらの遺体はオノや弓、鉄のナイフ、乗馬用のハーネスといった副葬品と共に埋葬されていて、女性が戦士として戦うことは珍しくなかったと示唆されています。現代では、考古学より先に、劇画や漫画の世界で人気が高くなったようです。(以上、同上)

    1988年にトゥヴァ共和国で発見された戦士の遺骨は、『13歳以下の女性』のものであることが分かりました。これらの遺体はオノや弓、鉄のナイフ、乗馬用のハーネスといった副葬品と共に埋葬されていて、女性が戦士として戦うことは珍しくなかったと示唆されています。現代では、考古学より先に、劇画や漫画の世界で人気が高くなったようです。(以上、同上)

  • 次は『トラヤヌスの泉』の紹介です。『マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス(53~117年)』は、ローマ帝国の『ネルウァ=アントニヌス朝』の第2代皇帝(在位:98~117年)』でした。文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功しました。後世からの評価も高く、その皇帝に捧げられた泉です。(同上)

    イチオシ

    次は『トラヤヌスの泉』の紹介です。『マルクス・ウルピウス・ネルウァ・トラヤヌス・アウグストゥス(53~117年)』は、ローマ帝国の『ネルウァ=アントニヌス朝』の第2代皇帝(在位:98~117年)』でした。文武の両面で辣腕を揮い、帝国内の公共施設の強化と領土の拡大に成功しました。後世からの評価も高く、その皇帝に捧げられた泉です。(同上)

  • トラヤヌスは、特に対外面ではダキア、パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図としました。イタリア本土出身者でない、初の属州生まれの皇帝でもありました。それまでは、首都ローマを含むイタリア本土出身者の最上流貴族しか、ローマ皇帝に選ばれたことはありませんでした。『ネルウァ(在位96~98年)』に始まる五賢帝時代の一人とされています。(同上)

    トラヤヌスは、特に対外面ではダキア、パルティアで功績をあげ、ローマ帝国史上最大の版図としました。イタリア本土出身者でない、初の属州生まれの皇帝でもありました。それまでは、首都ローマを含むイタリア本土出身者の最上流貴族しか、ローマ皇帝に選ばれたことはありませんでした。『ネルウァ(在位96~98年)』に始まる五賢帝時代の一人とされています。(同上)

  • 『トラヤヌスの泉』の光景が続きます。 トラヤヌスの泉は102年~104年に建立されました。オリジナルは基礎部分のみです。本来の高さは12メートルほどだったようですが、上部は縮小して復元されたものです。建設当時は、中央の池に据えられたトラヤヌス皇帝の像の足元から水が流れていたようですが、現在では像の台座と足の一部のみが当時のまま残っています。(同上)

    『トラヤヌスの泉』の光景が続きます。 トラヤヌスの泉は102年~104年に建立されました。オリジナルは基礎部分のみです。本来の高さは12メートルほどだったようですが、上部は縮小して復元されたものです。建設当時は、中央の池に据えられたトラヤヌス皇帝の像の足元から水が流れていたようですが、現在では像の台座と足の一部のみが当時のまま残っています。(同上)

  • 『トラヤヌスの泉』の周りの光景の紹介を続けながら、『トラヤヌス皇帝』の紹介に戻ります。トラヤヌスは、同時代から現在に至るまで優れた君主として尊敬を受けるローマ皇帝であり、後世の君主たちからも讃えられました。古代末期から中世にかけてのキリスト教史観でも、この名声は維持され、近代においてもギボンが『五賢帝」の一人として彼を賞賛しました。(同上)

    『トラヤヌスの泉』の周りの光景の紹介を続けながら、『トラヤヌス皇帝』の紹介に戻ります。トラヤヌスは、同時代から現在に至るまで優れた君主として尊敬を受けるローマ皇帝であり、後世の君主たちからも讃えられました。古代末期から中世にかけてのキリスト教史観でも、この名声は維持され、近代においてもギボンが『五賢帝」の一人として彼を賞賛しました。(同上)

  • トラヤヌスは53年9月18日、ヒスパニア・バエティカ属州の植民市イタリカに住む元老院議員マルクス・トラヤヌス(同名)の子として生まれました。南ヒスパニアと呼ばれ、現在のスペインのアンダルシア地方とほぼ重なる同地は、全属州でも最もローマ化の進んだ地域でした。中でもイタリカ市は特にその傾向が強く、イタリア本土からの移民者が主体の都市でした。(同上)

    トラヤヌスは53年9月18日、ヒスパニア・バエティカ属州の植民市イタリカに住む元老院議員マルクス・トラヤヌス(同名)の子として生まれました。南ヒスパニアと呼ばれ、現在のスペインのアンダルシア地方とほぼ重なる同地は、全属州でも最もローマ化の進んだ地域でした。中でもイタリカ市は特にその傾向が強く、イタリア本土からの移民者が主体の都市でした。(同上)

  • トラヤヌス家は、イタリア本土に祖先を持つ由緒正しい『古きローマ人』の家系でしたが、『属州初の皇帝』という表現によって『属州民の血を引いている』と誤解される場合も多いようです。トラヤヌス家は、ウルピウス氏族に属する一族で、父親は元老院議席を持つ上流貴族でした。トラヤヌス自身も、後にウルピウス氏族が誇りとする祖先の一人となりました。イタリカ市は、ウルピウス氏族にとってバエティカにおける根拠地として機能していました。彼らは紀元前3世紀頃からイタリカへの入植を開始しましたが、これはイタリア本土出身者が主導権を握る都市であることの証明ともされます。(同上)

    トラヤヌス家は、イタリア本土に祖先を持つ由緒正しい『古きローマ人』の家系でしたが、『属州初の皇帝』という表現によって『属州民の血を引いている』と誤解される場合も多いようです。トラヤヌス家は、ウルピウス氏族に属する一族で、父親は元老院議席を持つ上流貴族でした。トラヤヌス自身も、後にウルピウス氏族が誇りとする祖先の一人となりました。イタリカ市は、ウルピウス氏族にとってバエティカにおける根拠地として機能していました。彼らは紀元前3世紀頃からイタリカへの入植を開始しましたが、これはイタリア本土出身者が主導権を握る都市であることの証明ともされます。(同上)

  • トラヤヌスは、青年期を迎えると軍団への参加を通じて政治的キャリアを築き始め、各地を転戦する日々を送りました。父がシリア総督として現地に赴任した74年、トラヤヌスもトリブヌス・ミリトゥム(幕僚)として派遣された記録が残っているようです。(同上)<br />写真は、幅広い石畳が敷かれたクレティア通りの光景です。

    トラヤヌスは、青年期を迎えると軍団への参加を通じて政治的キャリアを築き始め、各地を転戦する日々を送りました。父がシリア総督として現地に赴任した74年、トラヤヌスもトリブヌス・ミリトゥム(幕僚)として派遣された記録が残っているようです。(同上)
    写真は、幅広い石畳が敷かれたクレティア通りの光景です。

  • トラヤヌスは、76年にはクァエストル(財務官)、84年にはプラエトル(法務官)に就任しています。86年にはヒスパニア・タラコネンシス属州に第7軍団ゲミナのレガトゥス・レギオニス(軍団長)として駐留するなど、フラウィウス朝時代に立身出世を果たしました。(同上)

    トラヤヌスは、76年にはクァエストル(財務官)、84年にはプラエトル(法務官)に就任しています。86年にはヒスパニア・タラコネンシス属州に第7軍団ゲミナのレガトゥス・レギオニス(軍団長)として駐留するなど、フラウィウス朝時代に立身出世を果たしました。(同上)

  • ライン川防衛の指揮官だった上ゲルマニア属州総督ルキウス・アントニウス・サトゥルニヌスが第14軍団ゲミナと第21軍団ラパクスを率いてドミティアヌスに対して反旗を翻すと、その鎮圧に功績をあげました。明確に歴史の表舞台に立つのは、91年のコンスル(執政官)就任に伴うローマ凱旋時です。シリア属州から建築家ダマスクスのアポロドロスを連れて帰国しました。(同上)

    ライン川防衛の指揮官だった上ゲルマニア属州総督ルキウス・アントニウス・サトゥルニヌスが第14軍団ゲミナと第21軍団ラパクスを率いてドミティアヌスに対して反旗を翻すと、その鎮圧に功績をあげました。明確に歴史の表舞台に立つのは、91年のコンスル(執政官)就任に伴うローマ凱旋時です。シリア属州から建築家ダマスクスのアポロドロスを連れて帰国しました。(同上)

  • 大型の切石を積み上げた構造物の上に、レンガを使ったらしいものが載せられていました。一見、別の建築資材を組み合わせたようにも見えましたが、上に乗ったレンガ造りの部分には、草が生えて、かなり長い年月を経過したようにも見えました。再建の手は入れられているようですが、石積みやレンガはオリジナルの品のようです。その形状から、印象に残る建物遺物でした。(同上)

    大型の切石を積み上げた構造物の上に、レンガを使ったらしいものが載せられていました。一見、別の建築資材を組み合わせたようにも見えましたが、上に乗ったレンガ造りの部分には、草が生えて、かなり長い年月を経過したようにも見えました。再建の手は入れられているようですが、石積みやレンガはオリジナルの品のようです。その形状から、印象に残る建物遺物でした。(同上)

  • 周りに、密度濃く遺跡が残っていた『クイレティア通り』の光景です。前方中央に見えるのは、『セルスス図書館』です。この後でも紹介の予定ですが、『セルスス図書館』は、エフェス遺跡でも大切な遺跡・見どころとなっている古代の図書館です。エフェス遺跡で、最も優美な建物遺跡とも称されているようです。(同上)

    周りに、密度濃く遺跡が残っていた『クイレティア通り』の光景です。前方中央に見えるのは、『セルスス図書館』です。この後でも紹介の予定ですが、『セルスス図書館』は、エフェス遺跡でも大切な遺跡・見どころとなっている古代の図書館です。エフェス遺跡で、最も優美な建物遺跡とも称されているようです。(同上)

  • 『クイレティア通り』の脇の遺跡の紹介です。石積みの遺跡が、密度濃く残されていました。エフェスは、イエス・キリストの死後、聖母マリアが余生を過ごした場所として、また、聖パウロが布教をした場所として、キリスト教にとって大切な場所にもなっているようです。(同上)

    『クイレティア通り』の脇の遺跡の紹介です。石積みの遺跡が、密度濃く残されていました。エフェスは、イエス・キリストの死後、聖母マリアが余生を過ごした場所として、また、聖パウロが布教をした場所として、キリスト教にとって大切な場所にもなっているようです。(同上)

  • ここからは、カラー・タイルを使った歩道の紹介です。裕福な人達が住んだ住んだ町の通りのようでした。最初に『タイル』について紹介します。『タイル: tile』は、一般には石や粘土からなる生地を高温で焼成し、釉薬によってデザイン性や機能性を付加した外装材、舗装材、化粧材のことです。英語の『tile』には、瓦や牌の意味もあります。また、比喩的に、規則的に分けられた平面状の区画や、繰り返しによって構成される図画の各要素のことなどのこともタイルと呼びます。(同上)

    ここからは、カラー・タイルを使った歩道の紹介です。裕福な人達が住んだ住んだ町の通りのようでした。最初に『タイル』について紹介します。『タイル: tile』は、一般には石や粘土からなる生地を高温で焼成し、釉薬によってデザイン性や機能性を付加した外装材、舗装材、化粧材のことです。英語の『tile』には、瓦や牌の意味もあります。また、比喩的に、規則的に分けられた平面状の区画や、繰り返しによって構成される図画の各要素のことなどのこともタイルと呼びます。(同上)

  • 『タイル』の語源は、ラテン語で陶製の屋根板を指す『テグラ(tegula)』に由来すると言われます。テグラは、広義には「ものを覆う」という意味があり、近世以降、屋根瓦と建築物の表面を覆う陶製の薄板の双方をテグラと呼ぶようになっています。現存する世界最古のタイルは、エジプト第3王朝、ジェゼル王が紀元前2700年に建てたサッカラの階段ピラミッドの通路に貼られた、青釉のタイルと推測されています。形状は、隙間無く敷き詰めるため正方形や長方形など四角形が多いですが、小石の形など不規則な形状のものもあります。色彩も様々であり、一枚一枚に模様があるものや、色の違うものを多数並べることで大きな絵とする場合もあります。この写真のカラー・タイルは、4種類ほどの四角のタイルが使われていました。(同上)

    『タイル』の語源は、ラテン語で陶製の屋根板を指す『テグラ(tegula)』に由来すると言われます。テグラは、広義には「ものを覆う」という意味があり、近世以降、屋根瓦と建築物の表面を覆う陶製の薄板の双方をテグラと呼ぶようになっています。現存する世界最古のタイルは、エジプト第3王朝、ジェゼル王が紀元前2700年に建てたサッカラの階段ピラミッドの通路に貼られた、青釉のタイルと推測されています。形状は、隙間無く敷き詰めるため正方形や長方形など四角形が多いですが、小石の形など不規則な形状のものもあります。色彩も様々であり、一枚一枚に模様があるものや、色の違うものを多数並べることで大きな絵とする場合もあります。この写真のカラー・タイルは、4種類ほどの四角のタイルが使われていました。(同上)

  • 現代のタイルの材質には、陶磁器、コンクリート、プラスチック、大理石など各種ありますが、写真の、古代のカラー・タイルは、陶器当たりのようです。四角なタイルを使って、複雑な曲線を持った絵柄を表現したところが、実に見事で見飽きませんでした。タイルの形状は、隙間無く敷き詰めるため正方形や長方形など四角形が多いようですが、小石の形など不規則な形状のものもあります。(同上)

    イチオシ

    現代のタイルの材質には、陶磁器、コンクリート、プラスチック、大理石など各種ありますが、写真の、古代のカラー・タイルは、陶器当たりのようです。四角なタイルを使って、複雑な曲線を持った絵柄を表現したところが、実に見事で見飽きませんでした。タイルの形状は、隙間無く敷き詰めるため正方形や長方形など四角形が多いようですが、小石の形など不規則な形状のものもあります。(同上)

  • タイルの色彩も様々であり、一枚一枚に模様があるものや、色の違うものを多数並べることで大きな絵とする場合もあります。具象的な表現を避け、抽象的・幾何学的な文様を好んだイスラム世界でも、カラー・タイルは重宝されたようです。中世以降のヨーロッパ、イスラム世界のタイルは骨董品としてコレクションの対象となっています。アンティーク・タイルは、美術館や博物館の蒐集対象となっています。(同上)

    タイルの色彩も様々であり、一枚一枚に模様があるものや、色の違うものを多数並べることで大きな絵とする場合もあります。具象的な表現を避け、抽象的・幾何学的な文様を好んだイスラム世界でも、カラー・タイルは重宝されたようです。中世以降のヨーロッパ、イスラム世界のタイルは骨董品としてコレクションの対象となっています。アンティーク・タイルは、美術館や博物館の蒐集対象となっています。(同上)

  • ここからは、『ハドリアヌス神殿』の紹介です。その名前を冠された、ハドリアヌス帝は、古代ローマ帝国の最大版図を築いたトラヤヌス帝の従弟の子として紀元後76年に生まれました。帝国内の出世街道を順調に上り、軍事面でも内政面でもめきめきと頭角を現し、117年に古代ローマ帝国の第14代皇帝に即位しました。ハドリアヌス帝に次いで、『五賢帝』の一人に数えられています。(同上)

    ここからは、『ハドリアヌス神殿』の紹介です。その名前を冠された、ハドリアヌス帝は、古代ローマ帝国の最大版図を築いたトラヤヌス帝の従弟の子として紀元後76年に生まれました。帝国内の出世街道を順調に上り、軍事面でも内政面でもめきめきと頭角を現し、117年に古代ローマ帝国の第14代皇帝に即位しました。ハドリアヌス帝に次いで、『五賢帝』の一人に数えられています。(同上)

  • ハドリアヌスは、皇帝に着いた後はトラヤヌス帝の極端な拡張路線を軟化させ、維持可能な安定化路線を目指しました。政敵も多かったために強圧的行動を取る事もあったようですが、広大な帝国の安定化、『パクス・ロマーナ(ローマによる平和)』の確立、そして数々の公共事業や名建築等、功績も多く残しました。最初に髭を生やしたローマ皇帝でもあります。(同上)

    ハドリアヌスは、皇帝に着いた後はトラヤヌス帝の極端な拡張路線を軟化させ、維持可能な安定化路線を目指しました。政敵も多かったために強圧的行動を取る事もあったようですが、広大な帝国の安定化、『パクス・ロマーナ(ローマによる平和)』の確立、そして数々の公共事業や名建築等、功績も多く残しました。最初に髭を生やしたローマ皇帝でもあります。(同上)

  • ハドリアヌス帝は、帝国各地を自ら巡った、古代有数の旅人でもあります。ハドリアヌス帝は、膨れ上がったローマ帝国を維持可能な状態にするために、自ら広大な帝国各地を巡って陣頭に立ち続けました。北はローマ人にとっては極寒の地であったブリタニア属州(イギリス)で世界遺産にも登録された『ハドリアヌスの城壁』を築きました。(同上)

    ハドリアヌス帝は、帝国各地を自ら巡った、古代有数の旅人でもあります。ハドリアヌス帝は、膨れ上がったローマ帝国を維持可能な状態にするために、自ら広大な帝国各地を巡って陣頭に立ち続けました。北はローマ人にとっては極寒の地であったブリタニア属州(イギリス)で世界遺産にも登録された『ハドリアヌスの城壁』を築きました。(同上)

  • ハドリアヌス帝は、西はトラヤヌスや自身の家の出身地でもあるヒスパニア属州(スペイン)、南は帝国の重要な穀倉地帯でもあったアフリカ属州(チュニジア・アルジェリア)や、愛人を当地で失ったエジプト属州、そして東は大国パルティアと対峙していた前線ユダヤ属州やシリア属州まで、正に縦横無尽に巡りました。(同上)<br />*写真は、『ハドリアヌス神殿』のレリーフの光景です。

    イチオシ

    ハドリアヌス帝は、西はトラヤヌスや自身の家の出身地でもあるヒスパニア属州(スペイン)、南は帝国の重要な穀倉地帯でもあったアフリカ属州(チュニジア・アルジェリア)や、愛人を当地で失ったエジプト属州、そして東は大国パルティアと対峙していた前線ユダヤ属州やシリア属州まで、正に縦横無尽に巡りました。(同上)
    *写真は、『ハドリアヌス神殿』のレリーフの光景です。

  • 軍事面・内政面のいずれでも才能を発揮したハドリアヌスですが、生まれた時代が異なればミケランジェロと腕を競う事が出来たかも知れません。実はハドリアヌスは建築にも造詣が深く、自身も色々設計したと言われています。そのパンテオンの設計は、かのミケランジェロ(1475~1564年)自身も驚かせ、そして今日までローマの顔の一つとして立ち続けています。アグリッパが建てた初代パンテオンが消失した後、紀元後126年頃にハドリアヌスが再建しました。(同上)<br />*写真は、『ハドリアヌス神殿』のレリーフのズームアップ光景です。

    軍事面・内政面のいずれでも才能を発揮したハドリアヌスですが、生まれた時代が異なればミケランジェロと腕を競う事が出来たかも知れません。実はハドリアヌスは建築にも造詣が深く、自身も色々設計したと言われています。そのパンテオンの設計は、かのミケランジェロ(1475~1564年)自身も驚かせ、そして今日までローマの顔の一つとして立ち続けています。アグリッパが建てた初代パンテオンが消失した後、紀元後126年頃にハドリアヌスが再建しました。(同上)
    *写真は、『ハドリアヌス神殿』のレリーフのズームアップ光景です。

  • ローマのパンテオンは、今日までその姿を留めている、古代ローマ唯一完全に近い形で残っている建築と言われています。壮麗な柱廊、巨大なドーム等この建築はフィレンツェの大聖堂を築くブルネレスキも参考にし、フィレンツェからローマに来てこの建物を見たミケランジェロも「これは天使の設計」と感服させた程です。(同上)<br />*ローマのパンテオンは、イタリア旅行の時に見学しました。

    ローマのパンテオンは、今日までその姿を留めている、古代ローマ唯一完全に近い形で残っている建築と言われています。壮麗な柱廊、巨大なドーム等この建築はフィレンツェの大聖堂を築くブルネレスキも参考にし、フィレンツェからローマに来てこの建物を見たミケランジェロも「これは天使の設計」と感服させた程です。(同上)
    *ローマのパンテオンは、イタリア旅行の時に見学しました。

  • ローマのパンテオンは、直径と床から天井への高さ43mが等しい球体がすっぽり収まる設計、そして天窓、二千年崩れぬ強固な工事等、まさに古代ローマを代表する驚異の建築です。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近だった、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造されました。『ラファエロ(1483~1520年)』の墓もそこにあります。(同上)

    ローマのパンテオンは、直径と床から天井への高さ43mが等しい球体がすっぽり収まる設計、そして天窓、二千年崩れぬ強固な工事等、まさに古代ローマを代表する驚異の建築です。最初のパンテオンは紀元前25年、初代ローマ皇帝アウグストゥスの側近だった、マルクス・ウィプサニウス・アグリッパによって建造されました。『ラファエロ(1483~1520年)』の墓もそこにあります。(同上)

  • ローマ中心部からテヴェレ川を挟んだ対岸に、サンタンジェロ城があります。ダン・ブラウンの小説「天使と悪魔」でも知られるローマを代表するモニュメントの一つであるこのお城も、元を辿れば、実は139年にハドリアヌスが自身の墓として建設した廟です。実際にハドリアヌス自身もここに葬られ、その後カラカラまでの数人の皇帝もハドリアヌスに続きました。城上部に上るための不思議ならせん状のスロープは、ハドリアヌス建設時のオリジナルとされます。(同上)

    ローマ中心部からテヴェレ川を挟んだ対岸に、サンタンジェロ城があります。ダン・ブラウンの小説「天使と悪魔」でも知られるローマを代表するモニュメントの一つであるこのお城も、元を辿れば、実は139年にハドリアヌスが自身の墓として建設した廟です。実際にハドリアヌス自身もここに葬られ、その後カラカラまでの数人の皇帝もハドリアヌスに続きました。城上部に上るための不思議ならせん状のスロープは、ハドリアヌス建設時のオリジナルとされます。(同上)

  • 元に戻って、『ハドリアヌス神殿』の紹介です。この神殿は、エフェスを数回訪れ、街を厚遇したハドリアヌスへの感謝の印として築かれた神殿とされます。また。ギリシャ文化を愛したハドリアヌスは、ギリシャに数度足を運び、その中心都市だったアテネを文化都市として繁栄させるため、公共事業を手掛けています。(同上)<br />*写真は、公衆トイレの光景です。なんと、古代の水洗トイレでした。

    元に戻って、『ハドリアヌス神殿』の紹介です。この神殿は、エフェスを数回訪れ、街を厚遇したハドリアヌスへの感謝の印として築かれた神殿とされます。また。ギリシャ文化を愛したハドリアヌスは、ギリシャに数度足を運び、その中心都市だったアテネを文化都市として繁栄させるため、公共事業を手掛けています。(同上)
    *写真は、公衆トイレの光景です。なんと、古代の水洗トイレでした。

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