2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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昨晩にパムッカレのホテルに到着し、暗い内にそのホテルを出発しました。今回旅行の楽しみの見学地の一つ、パムッカレは、ヒエラポリス遺跡に隣接する石灰棚の景勝地です。併せて複合世界遺産となりました。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
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昨晩、パムッカレで泊まったホテルの玄関先光景です。残念ながら、ホテル名は調べが付きませんでした。このホテルも、夜に到着して早朝出発になりましたが、次に機会があればゆっくり宿泊してみたいホテルの範疇でした。(同上)
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そのホテルの朝食のレストランと、用意された朝食の紹介です。バイキング方式でした。大きな器に用意された、作りたての調味料の数々です。その器に合わせて、大きな木のスプーンが添えられていました。(同上)
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イチオシ
ブレッド・パン類のコーナーです。色よく焼き上がったものが、山盛りになっていました。種類も五つほど揃っていましたが、自家製のようでした。見た目通りのおいしいパンでした。(同上)
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サラダ類のコーナーです。こちらには、トマトやキュウリなどが山もりの用意されていました。トマトもキュウリも、意識的に大き目にカットされているようでした。見た目より、素材の味を楽しんでくださいとのメッセージの様に見えました。(同上)
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こちらは飲み物コーナーです。おいしいコーヒーと、ジュース類が用意されていました。コーヒーは、大きなステンレス容器にたっぷり入っていましたから、熱々で頂ました。申し分のない、朝食セットでした。(同上)
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一通り揃った、バイキング方式の朝食です。左端は、紹介を端折った卵料理だったようです。右端のサラダ・ボウルには、オリーブのピクルスも入っています。残さず、全部頂きました。(同上)
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パムッカレ(ヒエラポリス)として複合世界遺産となった、自然遺産の『パムッカレ』と、社会遺産の『ヒエラポリス』の紹介です。世界遺産には、1988年に登録されました。石灰棚のパムッカレの丘の上に、ローマ帝国時代に保養地として栄えたのがヒエラポリスです。(同上)
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地元のワンちゃんたちです。足の長い、スマートな姿でした。トルコ原産の犬種は、およそ6000年前から存在していた超古代犬種『ジョパン・コペギ』とされます。その犬から分化して、トルコ中部のカンガール・ドッグとアナトリアン・シェパード・ドッグ、西部のアクバシュ、東部のカルス・ドッグが誕生したとされています。中でも、カンガール・ドッグは『犬界最強』と言われます。(同上)
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イチオシ
別の場所で撮影した、まだよちよち歩きのわんちゃんです。足腰が強そうで、鼻先が黒いところは、有名な固有種の『カンガールドッグ』に似ているようにも見えました。また、巨大な固有種の『ボスシェパード・ドッグ』にも似ているようでした。もちろん、推測に過ぎません、(同上)
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パムッカレの石灰棚の光景です。雪が積もったようにも見えるこの光景は、トルコでは『綿の宮殿(パムッカレ)』と呼ばれています。この呼び名となったのは、昔からこの辺りが、良質の綿花の一大生産地であることによります。この石灰棚の上にある『ヒエラポリス遺跡』から先に見学しましたので、この後はそのヒエラポリスの紹介です。(同上)
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『ヒエラポリス』は、パムッカレと共に『ヒエラポリス・パムッカレ』として世界複合遺産に登録されました。『ヒエラポリス』とは『聖なる都市』という意味です。ヒエラポリスは、紀元前190年にペルガモン王国のエウメネス2世によって建設された都市で、2世紀にローマ帝国の支配下に置かれました。以後、パムッカレから湧き出る温泉を利用し、帝国の保養地として繁栄しました。(同上)
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『ペルガモン王国』は、アナトリア西部に紀元前282年から紀元前133年まで存在した王国です。ヘレニズム国家の一つで、『アッタロス朝ペルガモン』とも呼ばれます。アッタロス朝の歴史は、『フィレタイロス(在位:紀元前282年~紀元前263年)』が、マケドニア王国の将軍の・リュシマコスからペルガモンの管理を任されたときに始まります。(同上)
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年表で紹介する『アッタロス朝ペルガモン王国』の歴史です。
〇紀元前282年:フィレタイロスがセレウコス朝から支配権を得る。
〇紀元前276年:ガラティア人の侵入を撃退する。
〇紀元前262年:エウメネス1世、セレウコス朝から独立する。
〇紀元前208年:第一次マケドニア戦争、共和政ローマと同盟関係を結ぶ。(同上) -
『アッタロス朝ペルガモン王国』の歴史年表の続きです。
〇紀元前200年:第二次マケドニア戦争。
〇紀元前195年:ナビス戦争。
〇紀元前192年:ローマ・シリア戦争。
〇紀元前183年:セレウコス朝の小アジア領を獲得。 -
『アッタロス朝ペルガモン王国』の歴史年表の締め括りです。
〇紀元前171年~紀元前168年:第三次マケドニア戦争。
〇紀元前133年:領土をローマに寄贈、アシア属州に編入される。
*続いて、『アッタロス朝ペルガモン王国』の歴代君主の紹介です。
〇初代君主:フィレタイロス(紀元前282年~紀元前263年) (同上) -
〇第2代君主:エウメネス1世(紀元前263年~紀元前241年)
〇第3代君主:アッタロス1世(紀元前241年~紀元前197年)
〇第4代君主:エウメネス2世(紀元前197年~紀元前159年)
〇第5代君主:アッタロス2世(紀元前159年~紀元前138年)
*写真は、ヒエラポリス遺跡の光景です。ヒエラポリスは、紀元前190年にペルガモン王国のエウメネス2世によって建設された都市です。 -
〇第6代君主:アッタロス3世(紀元前138年~紀元前133年):(最後の君主)
〇第7代君主:エウメネス3世(紀元前133年~紀元前129年):(僭主)
*『僭主』とは、本来の皇統、王統の血筋によらず、実力により君主の座を簒奪した君主のことです。写真は、ヒエラポリス遺跡の解説パネルです。(同上) -
ヒエラポリスは、2世紀にローマ帝国の支配下に置かれました。以後、パムッカレから湧き出る温泉を利用し、帝国の保養地として繁栄しました。たびたび地震が起こり損害を受けましたが、ローマ帝国の庇護のもと復興していました。しかし、支配が東ローマ帝国へと変わり、イスラム系の『セルジューク朝(1038~1157年)』が攻め込んでくると、ヒエラポリスは滅亡に向かいました。そして致命的打撃となったのが、1354年の大地震でした。都市は崩壊し、廃墟となってしまいました。トルコは、日本と同じ温泉大国ですが、同じように地震大国でもあります。(同上)
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ヒエラポリスには、ローマ帝国時代の遺跡が多く残されています。ローマ式の円形劇場は、2世紀にハドリアヌス帝によって建てられたもので、15000人から20000人を収容できる規模です。保存状態も良く、当時のローマの勢いを感じることができます。また、アポロ神殿や浴場の跡が残っています。ペルガモン王国時代はヘレニズム文化の元に栄え、以後ローマ文化、ビザンティン文化に触れてきたヒエラポリスです。(同上)
*写真は、『ビザンティン門』の光景です。北側と南側に門があり、こちらは北門になるようです。全体に2メートルの土砂堆積がありますので、入口が低くなっています。 -
ヒエラポリスには、これらの文化が残っている場所があります。その一つが、城門の外にある墓所の『ネクロポリス(死者の町という意味)』です。様々な時代様式の墓が残されています。また、円形劇場は、入退場者がスムーズに出入りしやすようにと考えて作られたために、傾斜がきつくなったようです。(同上)
*写真は、傾斜地の先に見える建物遺跡です。建物がある場所は平らなようです。 -
傾斜地の先に見える建物遺跡のズームアップ光景です。外壁にアーチ型の空間がつらななっていました。場所は、『アゴラ』の跡辺りになるようでした。アゴラは、古代ギリシアの都市国家ポリスにおいて重要な公共空間として不可欠な場所である広場を指すギリシア語が起源です。人が集まることから商取引も行なわれたため、市場としても機能しました。ローマ時代のラテン語ではフォルムに相当します。(同上)
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ヒエラポリスの歴史年表の紹介です。
〇紀元前190年:ペルガモン王国のエウメネス2世によって設立、温泉都市に。
〇紀元前133年:ヒエラポリスはローマ帝国に献上され、多文化共生都市に。
〇2~3世紀:ローマ帝国下で街は繁栄。一度は地震で崩壊するも再建。(同上)
*写真は、ヒエラポリス遺跡に転がる大理石の光景です。アゴラ跡のようです。 -
〇330年:「新ローマ」の首都をコンスタンティノープルとした後、ヒエラポリスは司教区となる。
〇1334年:大地震に見舞われ、廃墟となる。(以上、同上)
*テクトニクス論的には、トルコはユーラシアプレート、アフリカプレート、アラビアプレートが複雑に衝突している大陸衝突の活発な地域です。 -
トルコの地震についての補足説明です。トルコの国の大部分は、北アナトリア断層と東アナトリア断層という二つの横ずれ断層に囲まれた小さなアナトリアプレートの上にあります。国の西側はエーゲ海の南西に広がっていくヘレニックアークに起因する伸張テクトニクス帯の影響を受けます。東側は、ザグロス衝上造山帯の西端に位置するようです。(同上)
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ヒエラポリス遺跡の光景が続きます。この辺りは、『アゴラ』と呼ばれる、公共広場後になるようでした。『アゴラ』のことは、手元のガイドブックに、『市民が日常の買い物をする市場と政治討論や議会、文化や宗教業行事を含めた集会場』、と紹介されていました。(同上)
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イチオシ
手元のガイドブックには、『アゴラ』について、『街の中心として、広大な敷地を擁し、泉の周りでは人々が語りあった。今は、石が転がる廃墟になっている』、とも紹介されていました。石といっても、かつての遺跡に使われた大理石の柱などです。写真の手前に見えるのは、その大理石の石柱の遺物光景です。(同上)
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地面に転がったままの石柱もありましたが、この辺りの石柱は自立していました。年代を感じさせる石柱ですが、材質は白っぽい色から判断して、白色系の大理石のようです。(同上)
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右手に見えるのは、すでに紹介した、ヒエラポリス遺跡の説明パネル群です。その背後に、大きな建物施設が見えました。ヒエラポリス考古学博物館の建物の一部になる屋根です。2世紀に建造された南大浴場を利用した博物館で、ヒエラポリスから出土した彫像や石棺などを展示しています。(同上)
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名前:『チチコグサ(父子草)』:推定
分類:キク科ハハコグサ属
分布:日本、中国、朝鮮半島などが原産。
その他:ハハコグサの場合、黄色の花を咲かせまますが、チチコグサは茶色の花とされます。この花は、白色に近い色でした。(同上) -
トルコの原種らしい、『あしながワンちゃん』です。全速で走ったら、相当なスピードが出せる体系に見えました。顔付は、共通して大人しそうでしたが、たぶん狩りに使われた犬種の末裔でしょうから、怒らせると怖いかもしれません。(同上)
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