2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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エフェス遺跡見学の続きです。エフェス遺跡の中でも、とりわけ有名なのが『セルスス(ケルスス)図書館』です。125年に完成したこの図書館には、12,000冊の蔵書があったとされます。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
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- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
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- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
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『セルスス(ケルスス)図書館』近くの光景です。右手奥に、工事用の大型クレーンが見えていました。『セルススの図書館』は、『The Library of Celsus』の英語表記や、『Celsus Kutuphanesi』の表記もありました。日本語表記では『セルシウス図書館』もありますが、この旅行ブログでは、『セルスス図書館』の表記に統一しました。(同上)
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イチオシ
セルスス図書館の正面光景です。エフェス遺跡の観光スポットになっています。かつては、現在のトルコのペルガモン遺跡に含まれるベルガモンの図書館、現在のエジプトのアレクサンドリアの図書館と並ぶ、古代の三大図書館の内の一つです。アレクサンドリアの図書館は、プトレマイオス朝時代からローマ帝国時代にかけて機能していた図書館です。(同上)
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かつては、巨大な図書館施設だったことを窺わせる柱と、精巧なレリーフが美しい建物遺跡です。壮大なファサードの1階には、この後紹介する4体の女性像があり、それぞれ知恵、幸運、学問、美徳を象徴しています。残念ながら、これらはレプリカですが、オリジナルの像はウィーンのエフェソス美術館に保存展示されているようです。ウィーンでは、美術史美術館以外は、あまり記憶に残っていません。(同上)
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セルスス図書館の正面のファサードのズームアップ光景です。古代のギリシャ、ローマ、ペルシャの影響の交差点に建てられたエフェス図書館です。港湾都市とし栄えたエフェスは、紀元前1世紀にローマの文明、文化、商業、キリスト教の豊かな中心地になりました。西洋世界の最初の文明は地中海周辺の地域とも言われ、かつては南エーゲ海の沖合にあるエフェソがその中心地でした。セルスス図書館は、エフェスの遺跡から発掘されて再建された、最初の建造物の一つです。(同上)
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イチオシ
台座にギリシャ語らしい『APETH KERAΣOY』の文字があった女性像の光景です。自動翻訳では『アペス・ケラオイ』と表示されましたが、人物の特定はできませんでした。ネット検索では、『アレテーの像』の情報がありました。『アレテー』とは、魂にそなわる優れた性質・魂の優秀性や徳を示すようです。ギリシャ語の『アレテー』は、あるものの本来の機能の働きをよくするもので優秀性・卓越性を意味するようです。その『美徳』を象徴する像のようです。知恵(ソフィア)、知識(エピステーメー)、知性(エノイア)、と美徳(アレテー)の擬人化像の一つです。(同上)
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イチオシ
こちらの像には、台座に『ΣOΦIA KEAΣOY』らしい文字が表示されていました。前段の表示の『ΣOΦIA』は、『知恵(ソピアー)』を偶像化したもののようでした。古代ヘレニズム世界で、智慧を象徴する女神とも考えられました。グノーシス主義やユダヤ教などではアイオーンの名で、この世の起源に関して重要な役割を持ちます。人間の救済における元型象徴とも見なせるようです。また、キリスト教におけるソピアーは、神の知恵を表しているようです。(同上)
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残念ながら、頭部が持ち去られた像のようです。台座には『ENNOIA KEAΣOY』の文字がありました。『知性(エノイア:ENNOIA)』を象徴する像のようです。日本語としての『知性』の意味は『感覚によって得た物事を整理・判断して、新しい認識を生み出す精神の働き』です。 『知』は、『物事を見通して考える力』という意味です。『性』は、『生まれながら持っているもの』という意味です。哲学用語としての『知性』は、別の意味合いもあるかも知れません。(同上)
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最後に紹介する像も、頭部が持ち去られていました。台座の文字は『ENIΣTHMH KEAΣOY』の文字でした。『知識(エピステーメー)』を象徴する像のようです。『エピステーメー』は、『知識』という意味をもつギリシア語です。古代の哲学においてこの語は、主にドクサ(根拠のない主観的信念)に対立するものとして、『根拠ある知識、真なる知識』を指し示していました。フランスの哲学者『ミシェル・フーコー(1924~1986年)』は、とりわけ1960年代の著作において、この語に新たな意味を与えつつ使用しています。(同上)
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『セルスス図書館』についての補足説明です。その後、古代の三大図書館の『アレクサンドリアの図書館』と、『ベルガモンの図書館』についても補足説明します。まずは、『セルスス図書館』についての補足説明です。現在トルコのエフェス遺跡となっている場所には、広い大理石の道が古代世界で最大の図書館の一つに向かっています。12,000から15,000の巻物が、ギリシャ・ローマの古代都市・エフェスにあるセルスス図書館に収容されていました。(同上、続く)
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『セルスス図書館』の補足説明が、もう少し続きます。図書館の堂々としたファサードに作られた壁龕には、先に紹介した、知恵(ソフィア)、知識(エピステーメー)、知性(エノイア)、美徳(アレテー)の擬人化像が収められていました。図書館内部の床は、大理石が敷き詰められていました。2階は建物の端を周回するバルコニーで構成されています。建物の側面に沿って多くの巻物を収納するための窪みがありました。(続く)
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どのように図書館が破壊されたかについては、はっきりしない説明が残されています。その一つは、ゴート人の攻撃で燃やされたとされるものです。別の説明は、大地震で破壊されたとするものです。どちらの場合も、西暦262年には図書館は損傷しましたが、修復されて4世紀まで使われ続けたようです。多くのローマ図書館のように、セルスス図書館は非常に精巧な建築です。使用された特有の建築様式は、ハドリアヌス帝統治期間(在位117年~138年)に建設された建築美術の特徴となりました。(続く)
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その後の10世紀、ビザンチン時代(313~636年)の地震で、『セルスス図書館』は、さらに崩壊してしまいました。遺跡発掘後の1960~70年代に、大規模な修復が行われて現在の姿になりました。そのファサードに向かって、右手には二つのアーチがあります。このアーチは、マゼウスとミトリダテスの門です。この旅行記の2枚目の写真に、その一部が写っています。その外側はアゴラと呼ばれる商業市場・市民広場が広がっています。(同上)
*写真の石碑には、ギリシャ文字が記されているようでした。 -
『セルスス図書館』は、この地方(ローマ帝国アジア州)の総督をつとめた、『セルシウス』の功績を称えてその子供が墓所を覆う建物として建立したようです。『セルシウス』のフルネームは、『ティベリウス・ジュリアス・ケルスス・ポレマアヌス』、2世紀にローマの上院議員も務めた人のようです。建物は視覚の錯覚効果(錯視)を用いて、大きく見えるように作られています。具体的には、両端や二階の柱を少し細くして遠近効果を出して広く高く感じさせているようです。(同上)
*写真は、先に紹介した『ハドリアヌス神殿』の正面右手に見えていた石段かも知れません。 -
『セルスス図書館』で書物を取り扱っていた図書館員は、ローマ共和国時代とおそらくはローマ帝国時代に図書館員として世話された教養ある奴隷であった可能性があるようです。亡くなった統治者や学者の胸像は、ローマ図書館にも展示されているようですが、ケルスス図書館もおそらく例外ではないようです。(同上)
*写真は、横目で眺めた脇道の光景です。 -
『セルスス図書館』の補足説明の締め括りです。『セルスス図書館』は、本を探したり読んだりする、公共の場所としての現代の図書館と共通点があるとの指摘があります。この後紹介する『アレキサンドリア図書館』は、学者が生活し作業する場所である現代の大学とより共通点があるようです。また、ローマ図書館のモデルとなった『ペルガモン図書館』は、公共図書館でした。(以上、同上)
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次は、古代の三大図書館の一つ、『アレクサンドリア図書館』の紹介です。『プトレマイオス朝時代(紀元前305年~紀元前30年)』から『ローマ帝国時代(紀元前8世紀頃から約千年)』にかけ、エジプトのアレクサンドリアに設置されていた図書館です。古典古代世界における、最大かつ最も重要な古典古代の図書館であり、ヘレニズム時代の学問において中心的な役割を果たしました。(同上)
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『アレクサンドリア図書館』の図書館自体は、ムセイオンと呼ばれる文芸を司る9人の女神ムサ(ミューズ)に捧げられた、大きな研究機関の一部でした。現在は、建築物は何も残っていませんが、歴史的な情報源から、それを知ることが出来ます。その主要な情報が、『アリストテレス(紀元前384~紀元前322年)』の生徒、ファレラムの『デメトリウス1世(紀元前337~紀元前283年)』の功績によるものです。(同上)
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『デメトリウス1世』は、世界中の知識を収めた万能図書館を建てようとしていた『アレキサンダー大王(紀元前356~紀元前323年)』に触発されました。『デメトリオス1世』は、アンティゴノス朝第2代のマケドニア王(在位:紀元前294年~紀元前288年)』であり、アンティゴノス1世とその妻ストラトニケの間の息子です。攻城戦が巧みであったことから『攻城王』のあだ名を持ちます。(同上)
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彼は、紀元前312年にシリアに侵攻した『プトレマイオス1世(紀元前367年~紀元前282年)』にガザの戦いで敗れました。プトレマイオスは、この時デメトリオスの財産を手中に収めましたが、捕虜とともにデメトリオスに送り返しました。それに感服したデメトリオスは、その後、プトレマイオスの部将を破り7千の捕虜を得ましたが、プトレマイオスが行ったことを自らも行い、借りを返しました。(同上)
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デメトリオスは、才気溢れる武将であり、容姿端麗で勇敢、そして友情に厚い人物ではありましたが、放埓で派手好き、傲慢な面もあったようです。アレキサンダー大王時代のマケドニア王国の再建はできず、紀元前283年にデメトリオスはシリアで獄死しました。本筋に戻して、『アレクサンドリア図書館』の説明です。(同上)
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アレクサンドリアに普遍的な図書館を置く着想は、おそらくファレロンのデメトリオスの提案によるものです。デメトリオスは、アテナイ人の亡命政治家で、プトレマイオス1世時代にアレクサンドリアで暮らしていました。図書館の建設自体はプトレマイオス1世のもとで計画されましたが、実際の建設は息子のプトレマイオス2世の治世に始められたようです。(同上)
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プトレマイオス朝の王たちの、強引かつ出費を惜しまない蒐集により、速やかに膨大な数のパピルス文書が収集されました。それらがどのくらいの量なのか、いつ頃まで保管されていたのかは分かっていません。その規模の推計は4万巻から40万巻までの範囲におよび、50万巻もしくは70万巻という伝承もあるようです。アレクサンドリアは、古典古代において知識と学習の中心とみなされるようになりました。(同上)
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アレクサンドリアが注目されたのには、大図書館の存在が一役買いました。紀元前3世紀と紀元前2世紀の間、多くの重要な影響力のある学者たちが、この図書館で研究しました。そうした多数の学者の中には、ホメロスの叙事詩の標準版となる校訂を行ったエフェソスのゼノドトス、世界初の図書目録とも考えられる『ピナケス』を書いたカリマコスなどもいます。(続く、同上)
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叙事詩『アルゴナウティカ』を書いたロドスのアポロニオス、地球の円周を数百キロメートル程度の誤差で計算したキュレネのエラトステネス、ギリシア語の発音記号体系を開発し、詩の文章を初めて行ごとに分割したビュザンティオンのアリストファネス、そして広範な注解と共にホメロスの叙事詩の決定的な版を作成したサモトラケのアリスタルコスなどがいます。プトレマイオス2世の治世中、この図書館の姉妹館がセラペウムに建設されました。これは、ギリシアとエジプトの習合神の『セラピス(サラピス)』の神殿です。(同上)
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この図書館が、焼かれて破壊されたという物語は広く知られていますが、実際にはこの図書館は数世紀の間に徐々に衰退の道を辿りました。この衰退はプトレマイオス8世治世中の前145年の知識人たちの追放と共に始まりました。この時の追放の結果、図書館長であったサモトラケのアリスタルコスは職を辞し、キプロス島へ亡命しました。ディオニュシオス・トラクスとアテナイのアポロドロスを含む他の多くの学者たちは別の都市へ逃亡し、その地で講義と指導を続けました。この図書館(あるいはその蔵書の一部)は、ローマの内戦中の前48年にユリウス・カエサルが放った火によって意図せず焼失しました。しかし、この時の図書館の正確な破壊の程度は不明とされます。図書館自体は残存したか、あるいはすぐに再建されたとみられます。(同上)
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ギリシャ系の地理学者ストラボンは、紀元前20年頃にアレクサンドリアのムセイオンを訪れたと述べているほか、この時代のディデュモス・カルケンテロスの驚異的な著作活動は、少なくとも彼がこの図書館の史料の一部を参照できたことを示しているようです。この図書館は、財政的支援の欠如のため、ローマ時代の間に縮小しました。図書館の会員としての学者の雇用は、西暦260年までに終焉を迎えたようです。また、270年から275年の間にアレクサンドリア市では反乱が発生し、その影響も大きかった可能性があります。(同上)
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最後に、古代の三大図書館の一つ、『ペルガモンの図書館』の紹介です。ペルガモンは、小アジア(アナトリア:現トルコ)のミュシア地方にある古代都市です。スミュルナ(現イズミル)北方のカイコス川河畔にあり、エーゲ海から25キロメートルの位置にあります。ペルガモンは、紀元前3世紀半ばから2世紀にアッタロス朝の都として繁栄したヘレニズム時代の都市です。その外港はエライアとエフェスでした。ローマが紀元前129年に小アジアの西南部にアシア属州を設けたあと、ペルガモンは、エフェスとともに、この属州の中心都市となり、繁栄を続けました。(同上)
*写真は、エフェスの古代遺跡の光景が続いています。 -
ペルガモンのアクロポリス遺跡は、標高335メートルの丘の上にあり、一群の建造物で構成されていて、上市と呼ばれています。その下方には、中市と下市が広がっています。上市には、宮殿、トラヤヌス神殿(ローマ時代のもの)、アテーナー神殿、劇場、ゼウスの大祭壇、アゴラ、図書館、武器庫の遺跡があります。上市の遺跡の一つが、ゼウスの大祭壇です。(同上)
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ところが、ゼウスの大祭壇に遺されていた壁面彫刻などは、現在はドイツ・ベルリンのペルガモン博物館の内部に復原・展示されています。アッタロス朝(紀元前282~紀元前133年)』は、ヘレニズム王国の一つで、アレクサンドロス3世(大王)の遺将・リュシマコスの財宝を管理していたフィレタイロスの背信行為から生まれました。同上)
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ペルガモンの文化の発展の度合いは、図書館が一時アレクサンドリア図書館に次ぐ規模に達していたことに象徴されています。蔵書の作成に使われたパピルスは、品不足の影響もあって、エジプトのプトレマイオス朝から輸出を停止されたほどでした。そのため、パピルスの代替するものとして、同国で羊皮紙が生産されるようになりました。羊皮紙を表す言葉の語源はペルガモンに由来します。(同上)
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