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ギョメレ屋外博物館見学の続きです。アナトリア高原の火山活動によってできた、類(たぐい)まれな奇岩群が織りなす絶景と、初期キリスト教の貴重な遺跡が点在するカッパドキアの中でも、ギョレメは観光の拠点となる中心エリアです。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)

2008秋、トルコ旅行記2(25/47):10月18日(4):カッパドキア、ギョメレ屋外博物館、サンダル教会、トカル教会

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2008/10/14 - 2008/10/21

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旅行記グループ 2008秋、トルコ旅行記2(上巻)

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旅人のくまさん

旅人のくまさんさん

ギョメレ屋外博物館見学の続きです。アナトリア高原の火山活動によってできた、類(たぐい)まれな奇岩群が織りなす絶景と、初期キリスト教の貴重な遺跡が点在するカッパドキアの中でも、ギョレメは観光の拠点となる中心エリアです。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)

同行者
一人旅
一人あたり費用
20万円 - 25万円
交通手段
観光バス
  • 小高い場所から眺めた、カッパドキアの町中方面の光景です。ここからの眺めでは、あまり高くない白い岩山に囲まれた、盆地のような光景に見えました。今は10月ですが、その盆地内には、畑や野原などの緑の光景があり、家が点在しているようでした。(同上)

    小高い場所から眺めた、カッパドキアの町中方面の光景です。ここからの眺めでは、あまり高くない白い岩山に囲まれた、盆地のような光景に見えました。今は10月ですが、その盆地内には、畑や野原などの緑の光景があり、家が点在しているようでした。(同上)

  • 奇岩の隙間から眺めた周りの光景です。岩山には、居住跡らしい出入口が穿たれていました。『ギョレメ』は、『見えない・見てはいけない』を意味する言葉です。ギョレメ国立公園・野外博物館には、キリスト教がイスラム教の迫害から逃れるために作った教会や住居、修道院が多数残されています。ギョレメには、太古の昔から人が住み着いていましたが、時代が下り、イスラムの迫害を避けたキリスト教徒がその特殊な地形を利用して隠れ住むようになりました。(同上)

    奇岩の隙間から眺めた周りの光景です。岩山には、居住跡らしい出入口が穿たれていました。『ギョレメ』は、『見えない・見てはいけない』を意味する言葉です。ギョレメ国立公園・野外博物館には、キリスト教がイスラム教の迫害から逃れるために作った教会や住居、修道院が多数残されています。ギョレメには、太古の昔から人が住み着いていましたが、時代が下り、イスラムの迫害を避けたキリスト教徒がその特殊な地形を利用して隠れ住むようになりました。(同上)

  • ギョレメに残る最古の洞窟教会は、7世紀のものとされますが、その大半は崩壊してしまいました。抽象的な装飾しか認められなかった『偶像禁止時代(715~843年)』もありましたが、宗教芸術はこの地で大きく発達して、『カッパドキア様式』を生み出しました。教会の建造は、11世紀頃に盛んになりました。四角い平面を平屋根か丸天井で覆い、正面に小さな半円形の後陣部を置く形の教会の建造は、この時代に始まっています。(同上)

    ギョレメに残る最古の洞窟教会は、7世紀のものとされますが、その大半は崩壊してしまいました。抽象的な装飾しか認められなかった『偶像禁止時代(715~843年)』もありましたが、宗教芸術はこの地で大きく発達して、『カッパドキア様式』を生み出しました。教会の建造は、11世紀頃に盛んになりました。四角い平面を平屋根か丸天井で覆い、正面に小さな半円形の後陣部を置く形の教会の建造は、この時代に始まっています。(同上)

  • コンスタンティノープルに9~10世紀に移入された新様式は、カッパドキアに11世紀のはじめ頃に登場しました。これは、ほぼ四角い会堂の中央に4本の円柱が置かれ、床面が低くなっている形で、中央には(時には側廊にも)ドームが置かれ、正面には3つの壁がん式の後陣が設けられていました。(同上)<br />*写真は、風雨に長年月晒され、丸みを帯びた凝灰岩の岩山光景です。

    コンスタンティノープルに9~10世紀に移入された新様式は、カッパドキアに11世紀のはじめ頃に登場しました。これは、ほぼ四角い会堂の中央に4本の円柱が置かれ、床面が低くなっている形で、中央には(時には側廊にも)ドームが置かれ、正面には3つの壁がん式の後陣が設けられていました。(同上)
    *写真は、風雨に長年月晒され、丸みを帯びた凝灰岩の岩山光景です。

  • 壁面に直接描かれた文様です。キリスト教の十字架を連想させますが、その周りの円形に記された文様イスラム教のイメージもありました。手元のガイドブックには、『十字架は、偶像禁止の時代に、キリストの象徴として描かれた』と解説されていました。8世紀頃の絵のようです。(同上)

    壁面に直接描かれた文様です。キリスト教の十字架を連想させますが、その周りの円形に記された文様イスラム教のイメージもありました。手元のガイドブックには、『十字架は、偶像禁止の時代に、キリストの象徴として描かれた』と解説されていました。8世紀頃の絵のようです。(同上)

  • 『サンダル教会』の出入り口光景です。オリジナルの石造の階段が壊れたのか、金属製の出入口になっていました。ギョレメ野外博物館で一番高い場所にある教会です。教会内部の『イエスの昇天』場面の下の床に、足跡のような形があることから、サンダル教会と名付けられました。ギョレメのこの辺りでは最も小さい教会のようです。(同上)

    『サンダル教会』の出入り口光景です。オリジナルの石造の階段が壊れたのか、金属製の出入口になっていました。ギョレメ野外博物館で一番高い場所にある教会です。教会内部の『イエスの昇天』場面の下の床に、足跡のような形があることから、サンダル教会と名付けられました。ギョレメのこの辺りでは最も小さい教会のようです。(同上)

  • 『トカル教会(その1)』:『トカル・キリセ(トカル教会)』の新しく造られた出入口のようです。出入口の周りも、新しい石積みになっていました。石積みは、崩落したらしい岩肌の補修を兼ねているようでした。トカル教会は、カッパドキア地方で最大の大きさを持つ教会です。この後紹介する聖母子像などは、ビザンティン文化の中でも特筆される壁画のようです。(同上)

    『トカル教会(その1)』:『トカル・キリセ(トカル教会)』の新しく造られた出入口のようです。出入口の周りも、新しい石積みになっていました。石積みは、崩落したらしい岩肌の補修を兼ねているようでした。トカル教会は、カッパドキア地方で最大の大きさを持つ教会です。この後紹介する聖母子像などは、ビザンティン文化の中でも特筆される壁画のようです。(同上)

  • 『トカル教会(その2)』:トカル教会の出入口光景です。博物館から少し離れた場所にあり、博物館入口から50mほど下りた位置にあります。博物館と同じチケットを使って入場ができました。初めは小さな教会だったようですが、増築されて現在の規模になったようです。(同上)<br />

    『トカル教会(その2)』:トカル教会の出入口光景です。博物館から少し離れた場所にあり、博物館入口から50mほど下りた位置にあります。博物館と同じチケットを使って入場ができました。初めは小さな教会だったようですが、増築されて現在の規模になったようです。(同上)

  • 『トカル教会(その3)』:かつては、天井から留め金が釣り下がっていたため、『留め金(トカル)教会』と呼ばれています。トカル教会の特徴は、フレスコ画に貴重な材料を使った青色が使われていることです。この教会の絵の技術は素晴らしく、ビザンティン美術の傑作と言われています。セント・バジルやイエスの生涯、イエスの起こした数々の奇跡の場面が描かれています。(同上)

    イチオシ

    『トカル教会(その3)』:かつては、天井から留め金が釣り下がっていたため、『留め金(トカル)教会』と呼ばれています。トカル教会の特徴は、フレスコ画に貴重な材料を使った青色が使われていることです。この教会の絵の技術は素晴らしく、ビザンティン美術の傑作と言われています。セント・バジルやイエスの生涯、イエスの起こした数々の奇跡の場面が描かれています。(同上)

  • 『トカル教会(その4)』:『留め金(トカル)教会』の内部の壁画の光景です。先ほど紹介した、青色を使ったフレスコ画は、最上部をはじめ、背景に多く使われているようでした。壁画で表現されているイコンは、イスタンブールのアヤソフィア博物館やカーリエ博物館にあるフレスコ画やモザイク画にも通じるものがあり、トルコを脈々と流れたキリスト教文化と歴史を感じさせてくれます。(同上)

    『トカル教会(その4)』:『留め金(トカル)教会』の内部の壁画の光景です。先ほど紹介した、青色を使ったフレスコ画は、最上部をはじめ、背景に多く使われているようでした。壁画で表現されているイコンは、イスタンブールのアヤソフィア博物館やカーリエ博物館にあるフレスコ画やモザイク画にも通じるものがあり、トルコを脈々と流れたキリスト教文化と歴史を感じさせてくれます。(同上)

  • 『トカル教会(その5)』:『留め金(トカル)教会』の内部光景です。青色を使ったフレスコ画が大きく損傷し、その下地に赤色などで、直に十字架などが描かれていました。フレスコ画が剥落する前から描かれていたものかも知れません。また、このあたりはキリスト教の修道僧教育システムが始まった場所としても認められているようです。教会やチャペル以外に、食堂や倉庫など、修道僧たちの生活を感じさせる洞窟もあります。(同上)

    『トカル教会(その5)』:『留め金(トカル)教会』の内部光景です。青色を使ったフレスコ画が大きく損傷し、その下地に赤色などで、直に十字架などが描かれていました。フレスコ画が剥落する前から描かれていたものかも知れません。また、このあたりはキリスト教の修道僧教育システムが始まった場所としても認められているようです。教会やチャペル以外に、食堂や倉庫など、修道僧たちの生活を感じさせる洞窟もあります。(同上)

  • 『トカル教会(その6)』:『留め金(トカル)教会』の内部見学の前に、現地ガイドさんから事前説明を聞くツアー参加の皆さん方です。洞窟内の壁画は、4~13世紀の間に綿々と描き続けられた、貴重な壁画とされます。((同上)

    『トカル教会(その6)』:『留め金(トカル)教会』の内部見学の前に、現地ガイドさんから事前説明を聞くツアー参加の皆さん方です。洞窟内の壁画は、4~13世紀の間に綿々と描き続けられた、貴重な壁画とされます。((同上)

  • 写真は、少し小高い場所から眺めたギョメレの町の光景です。教会跡の、壁の漆喰が剥がれた下から象徴的な絵画が発見されることがよくあります。先ほど紹介したのもその一部です。動物の絵もそれぞれ意味を持っています。例えば、魚はキリストを象徴します(同上)

    写真は、少し小高い場所から眺めたギョメレの町の光景です。教会跡の、壁の漆喰が剥がれた下から象徴的な絵画が発見されることがよくあります。先ほど紹介したのもその一部です。動物の絵もそれぞれ意味を持っています。例えば、魚はキリストを象徴します(同上)

  • 魚がキリストを象徴する理由は、『救いの神の子イエス・キリスト(Iesus Kristos Teou Uios Soter)』の頭文字を集めた『ikutes』が、ギリシア語で『魚』を意味したためです。また、『鳩』は、聖霊と平和の象徴でした。『鳩』は、現代でも広く『平和のシンボル』とされています。また、ギョレメにある『エル・ナザールの谷』には「妖精の煙突」側の岸壁に「聖母の教会」があります。また、『クルチラルの谷』には、壁画はありませんが4柱式の「クルチラルの教会」が残っています。(同上)

    魚がキリストを象徴する理由は、『救いの神の子イエス・キリスト(Iesus Kristos Teou Uios Soter)』の頭文字を集めた『ikutes』が、ギリシア語で『魚』を意味したためです。また、『鳩』は、聖霊と平和の象徴でした。『鳩』は、現代でも広く『平和のシンボル』とされています。また、ギョレメにある『エル・ナザールの谷』には「妖精の煙突」側の岸壁に「聖母の教会」があります。また、『クルチラルの谷』には、壁画はありませんが4柱式の「クルチラルの教会」が残っています。(同上)

  • 遠い昔のギョレメの谷では、信仰を共にした共同体の生活が営まれていました。今日、野外博物館として管理されているこの谷の一帯には、独特の形の岩山を掘って造られたキリスト教の修道院が残されています。共同体を提唱したのは、『カエサリア(カイセリ)司教』の『聖バシル(330年頃~379年)』でした。彼は、時代の浮薄な風潮を逃れて、人里離れたところで広域に分散して修行する、小さな宗教共同体を提唱したのでした。彼は、カッパドキアの裕福なキリスト教徒の家庭に生まれ、コンスタンティノポリス、またアテナイに遊学し、哲学を学びました。(同上)

    遠い昔のギョレメの谷では、信仰を共にした共同体の生活が営まれていました。今日、野外博物館として管理されているこの谷の一帯には、独特の形の岩山を掘って造られたキリスト教の修道院が残されています。共同体を提唱したのは、『カエサリア(カイセリ)司教』の『聖バシル(330年頃~379年)』でした。彼は、時代の浮薄な風潮を逃れて、人里離れたところで広域に分散して修行する、小さな宗教共同体を提唱したのでした。彼は、カッパドキアの裕福なキリスト教徒の家庭に生まれ、コンスタンティノポリス、またアテナイに遊学し、哲学を学びました。(同上)

  • ゴリラの横顔のように見えた岩山の光景です。『カッパドキアのゴリラ岩』でネット検索をしてみましたが、写真やブログなどはヒットしませんでした。私の思い過ごしだったようです。でも、何となく似ている感じは消えません。特に、横顔や、左腕などです。(同上)

    ゴリラの横顔のように見えた岩山の光景です。『カッパドキアのゴリラ岩』でネット検索をしてみましたが、写真やブログなどはヒットしませんでした。私の思い過ごしだったようです。でも、何となく似ている感じは消えません。特に、横顔や、左腕などです。(同上)

  • 勝手に名付けた、『ゴリラ岩』があった岩山の全景です。この位置からは何の変哲もない岩山です。中間あたりにアーチ型の大きな穴がくり抜かれていました。かつては、住居として使われた跡かも知れません。(同上)

    勝手に名付けた、『ゴリラ岩』があった岩山の全景です。この位置からは何の変哲もない岩山です。中間あたりにアーチ型の大きな穴がくり抜かれていました。かつては、住居として使われた跡かも知れません。(同上)

  • 凝灰岩の一本岩を掘り抜いて建てられた教会の数は多く、365の教会が造られたという伝承もあます。その中で現在も30ほどの教会が公開されています。むき出しの荒廃した岩山を飾るのは、僅かに換気や採光のための窓や入口の開口部だけです。これは人を避けて信仰生活に専念するためであり、また11世紀頃、『ビザンティン帝国(東ローマ帝国:476~1453年)』の領内で、熾烈を極めたトルコ人による迫害を逃れるためでもありました。(同上)

    凝灰岩の一本岩を掘り抜いて建てられた教会の数は多く、365の教会が造られたという伝承もあます。その中で現在も30ほどの教会が公開されています。むき出しの荒廃した岩山を飾るのは、僅かに換気や採光のための窓や入口の開口部だけです。これは人を避けて信仰生活に専念するためであり、また11世紀頃、『ビザンティン帝国(東ローマ帝国:476~1453年)』の領内で、熾烈を極めたトルコ人による迫害を逃れるためでもありました。(同上)

  • ギョレメに教会が建てられたのは850年以降とされます。11世紀頃には内部のフレスコ画が完成しました。都のビザンティン芸術の直接の影響を受けているとはいえ極めて素朴な絵です。地元の後援者の資金提供で、専門の画家が壁画を描いていることもあり、時には肖像画入りで画家や後援者の名が残されていることもあります。綿密な学術調査によれば、この後援者は地元の有力者達だったことが判明しています。(同上)

    ギョレメに教会が建てられたのは850年以降とされます。11世紀頃には内部のフレスコ画が完成しました。都のビザンティン芸術の直接の影響を受けているとはいえ極めて素朴な絵です。地元の後援者の資金提供で、専門の画家が壁画を描いていることもあり、時には肖像画入りで画家や後援者の名が残されていることもあります。綿密な学術調査によれば、この後援者は地元の有力者達だったことが判明しています。(同上)

  • 後援者である彼らは、時折ここに集まり、大切な商談を行ったと伝わります。これらの絵は8世紀中頃から9世紀にかけて、ビザンティン一帯で行われた偶像禁止が解かれた直後に描かれたものが大半とされます。壁画は、共同体がその営みをやめた後も、水が浸透し難く温度差も余りない凝灰岩に守られて、何百年にも亘って鮮やかな色調を保ってきました。(同上)

    後援者である彼らは、時折ここに集まり、大切な商談を行ったと伝わります。これらの絵は8世紀中頃から9世紀にかけて、ビザンティン一帯で行われた偶像禁止が解かれた直後に描かれたものが大半とされます。壁画は、共同体がその営みをやめた後も、水が浸透し難く温度差も余りない凝灰岩に守られて、何百年にも亘って鮮やかな色調を保ってきました。(同上)

  • 先にも紹介しましたが、右下が少し欠けたお月さんの光景です。満月の一五夜(じゅうごや)の前の十三夜(じゅうさんや)当りか、満月を過ぎた十七夜(じゅうしちや)当たりなのか、判断をする知識を持ち合わせませんのが残念です。しかし、場所は変わっても、お月には風情を感じます。夜なら尚更です。(同上)

    先にも紹介しましたが、右下が少し欠けたお月さんの光景です。満月の一五夜(じゅうごや)の前の十三夜(じゅうさんや)当りか、満月を過ぎた十七夜(じゅうしちや)当たりなのか、判断をする知識を持ち合わせませんのが残念です。しかし、場所は変わっても、お月には風情を感じます。夜なら尚更です。(同上)

  • ギョメレ観光では、カッパドキアの絶景を空から見学できる熱気球ツアーが、カッパドキア観光のハイライトの一つとして紹介されていました。色とりどりの沢山の気球と、美しい朝焼けに染まるカッパドキアの奇岩群を上空から眺めるツアーがPRされていました。(同上)

    ギョメレ観光では、カッパドキアの絶景を空から見学できる熱気球ツアーが、カッパドキア観光のハイライトの一つとして紹介されていました。色とりどりの沢山の気球と、美しい朝焼けに染まるカッパドキアの奇岩群を上空から眺めるツアーがPRされていました。(同上)

  • カッパドキアでは、洞窟ホテルが広く紹介されています。その珍しい地形を生かして、洞窟をくりぬいて改装したホテルが数多くあります。洞窟ホテルといっても設備はきちんと整っていて、中には五つ星並みのサービスを提供しているホテルもあるようです。他では味わえない非日常体験ができる洞窟ホテルも、ギョレメ観光では人気が高いようでした。同じく、洞窟を改装して作られたレストランもありますが、こちらも手軽に利用できるようです。(同上)

    カッパドキアでは、洞窟ホテルが広く紹介されています。その珍しい地形を生かして、洞窟をくりぬいて改装したホテルが数多くあります。洞窟ホテルといっても設備はきちんと整っていて、中には五つ星並みのサービスを提供しているホテルもあるようです。他では味わえない非日常体験ができる洞窟ホテルも、ギョレメ観光では人気が高いようでした。同じく、洞窟を改装して作られたレストランもありますが、こちらも手軽に利用できるようです。(同上)

  • トルコはイスラーム圏ですが、アルコールへの規律は他のイスラーム諸国に比べて緩やかです。ギョレメを中心としたカッパドキアや大都市でしたら、苦労せずアルコールを入手することができます。この旅行ブログでも、何度も紹介できました。殊にカッパドキアは夏の日照時間が長く、葡萄が成長する大切な期間に雨が少ない、ワイン作りに大切なぶどうの栽培に適した地域とされます。(同上)

    トルコはイスラーム圏ですが、アルコールへの規律は他のイスラーム諸国に比べて緩やかです。ギョレメを中心としたカッパドキアや大都市でしたら、苦労せずアルコールを入手することができます。この旅行ブログでも、何度も紹介できました。殊にカッパドキアは夏の日照時間が長く、葡萄が成長する大切な期間に雨が少ない、ワイン作りに大切なぶどうの栽培に適した地域とされます。(同上)

  • トルコ、カッパドキアは、夏はしっかりと暑い気候ですから、赤ワインも美味しい国です。トルコのワインの歴史は古く、6000年前に遡ります。現在の中央アナトリアのハトゥッシャで栄えた、ヒッタイト文明が4000年前、さらにその前からワインが作られていました。カッパドキアには、2大ワインメーカーの『TURASAN:トラサン』と『KOCABAĞ:コジャバー』があります。(同上)

    トルコ、カッパドキアは、夏はしっかりと暑い気候ですから、赤ワインも美味しい国です。トルコのワインの歴史は古く、6000年前に遡ります。現在の中央アナトリアのハトゥッシャで栄えた、ヒッタイト文明が4000年前、さらにその前からワインが作られていました。カッパドキアには、2大ワインメーカーの『TURASAN:トラサン』と『KOCABAĞ:コジャバー』があります。(同上)

  • この奇岩の光景も見応えがありました。名前は付いていないようでしたが、ぱっくりと開いた岩戸の先に、小さなピラミッドが見えていました。勝手に名付けるなら『天岩戸とピラミッド』といったところです。ピラミッドは、富士山に読み替えてもいいようです。(同上)

    イチオシ

    この奇岩の光景も見応えがありました。名前は付いていないようでしたが、ぱっくりと開いた岩戸の先に、小さなピラミッドが見えていました。勝手に名付けるなら『天岩戸とピラミッド』といったところです。ピラミッドは、富士山に読み替えてもいいようです。(同上)

  • こちらの奇岩も面白い光景でした。7個の奇岩が斜面に並んでいました。少し気が引けますが、日本風に名付けるなら、『七人の侍』といったところです。映画の『七人の侍(しちにんのさむらい)』は、1954年に公開された日本の時代劇映画です。監督は黒澤明、主演は三船敏郎と志村喬でした。『世界の黒沢』と呼ばれるきっかけになった、歴史的名画です。(同上)

    イチオシ

    こちらの奇岩も面白い光景でした。7個の奇岩が斜面に並んでいました。少し気が引けますが、日本風に名付けるなら、『七人の侍』といったところです。映画の『七人の侍(しちにんのさむらい)』は、1954年に公開された日本の時代劇映画です。監督は黒澤明、主演は三船敏郎と志村喬でした。『世界の黒沢』と呼ばれるきっかけになった、歴史的名画です。(同上)

  • 実は『七人の侍(しちにんのさむらい)』だけでなく、もっとたくさんの数の小岩がありました。『七人の侍』に用心棒を依頼した、野武士の略奪に苦しむ人達といったところです。日本の戦国時代の天正年間(劇中の台詞によると1586年)を舞台とし、野武士の略奪に悩む百姓に雇われた7人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の襲撃から村を守るという物語です。(同上)

    実は『七人の侍(しちにんのさむらい)』だけでなく、もっとたくさんの数の小岩がありました。『七人の侍』に用心棒を依頼した、野武士の略奪に苦しむ人達といったところです。日本の戦国時代の天正年間(劇中の台詞によると1586年)を舞台とし、野武士の略奪に悩む百姓に雇われた7人の侍が、身分差による軋轢を乗り越えながら協力して野武士の襲撃から村を守るという物語です。(同上)

  • 『七人の侍』の紹介を続けます。当時の通常作品の7倍に匹敵する製作費を投じ、1年近い撮影期間をかけて作られ、興行的にも大きな成功を収めた作品でした。監督だけでなく、脚本も黒澤明が担当しました。イギリスで、シェークスピアに因む展示施設では、黒澤明が別格に扱われていました。1957年の作品『蜘蛛巣城』は、シェイクスピアの戯曲『マクベス』を、日本の戦国時代に置き換えた作品です。(同上)

    『七人の侍』の紹介を続けます。当時の通常作品の7倍に匹敵する製作費を投じ、1年近い撮影期間をかけて作られ、興行的にも大きな成功を収めた作品でした。監督だけでなく、脚本も黒澤明が担当しました。イギリスで、シェークスピアに因む展示施設では、黒澤明が別格に扱われていました。1957年の作品『蜘蛛巣城』は、シェイクスピアの戯曲『マクベス』を、日本の戦国時代に置き換えた作品です。(同上)

  • 奇岩の光景を紹介しながら、最後も『世界の黒澤』の話題で締め括ります。『蜘蛛巣城』の映画は、現代演劇の巨匠『ピーター・ブルック(1925~)』はこの作品を、全世界で作られたシェイクスピア映画の最高峰と言い切っています。また、アメリカの著名な映画監督『スティーヴン・スピルバーグ(1946~)』もこの作品を絶賛しています。(同上)

    奇岩の光景を紹介しながら、最後も『世界の黒澤』の話題で締め括ります。『蜘蛛巣城』の映画は、現代演劇の巨匠『ピーター・ブルック(1925~)』はこの作品を、全世界で作られたシェイクスピア映画の最高峰と言い切っています。また、アメリカの著名な映画監督『スティーヴン・スピルバーグ(1946~)』もこの作品を絶賛しています。(同上)

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