2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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カッパドキアのギョメレ屋外博物館の見学です。空中から景色を楽しめる熱気球が沢山揚っていました。屋外博物館の見所は、自然が造作した奇石群野自然遺産と、キリスト教会跡のフレスコ壁画などの文化遺産です。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
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- 一人旅
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- 20万円 - 25万円
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- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
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熱気球ツアーの観光案内からの紹介です。『完全に気球が立ち上がったところで、参加者たちはゴンドラに乗ります。ゴンドラには足を引っかける穴があり、ゴンドラにまたぎながら乗り込みます。スタッフが手を貸してくれるので、ご安心ください。ゴンドラに乗り込むと、パイロットから着陸態勢の説明を受けます。』(同上)
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イチオシ
熱気球ツアーの観光案内からの紹介が続きます。『着陸の際には、膝を曲げて中腰になります。何度か練習をした後に、大きな熱をゴオーと気球に吹きかけ、それが合図のようにゴンドラが地から離れていきます。上空からの景色は、地上からの景色とはスケールが全く違います。360度、自然が作り上げたこの奇岩群を見ると、自然の力に圧倒されます。ときには奇岩群すれすれの場所を通りながら、ブドウ園やキノコ岩など、いろいろな表情を見せるカッパドキア地方を空から思う存分堪能できます。』(同上)
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地上から眺めた、熱気球の光景が続きます。熱気球ツアーの観光案内の紹介の続きです。『いよいよ気球ツアーの始まりです。ゆっくり、ゆっくり上昇していきます。あたりも少しずつ明るくなってきます。はるか向こうに朝日が昇ってくる様子が目に入ってくるでしょう。日の出の瞬間と出会える時です。奇岩群の間から太陽が昇ってきて、カッパドキア地方にゆっくり光を放っていく様子が見られます。オレンジ色に染まった空を、空の帆船と呼ばれる気球がゆっくりと風の力で運んでくれます。』(同上)
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熱気球ツアーの観光案内紹介の締め括りです。『上空からの景色は、地上からの景色とはスケールが全く違います。360度、自然が作り上げたこの奇岩群を見ると、自然の力に圧倒されてしまいます。色とりどりの気球でいっぱいで、まるで空のキャンバスに色を付けたような感覚を覚えるかも知れません。ぶつからないよう上下しながら見事に移動をします。パイロットの説明を受けながら上空からのカッパドキア観光を堪能していると、あっという間に時間が過ぎてしまいます』)(同上)
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ギョレメ国立公園は、トルコのカッパドキア地方ネヴシェヒル県にある国立公園です。奇岩群と古代ローマ時代にギリシア人のキリスト教徒によって建設された地下都市があります。カッパドキア観光の中心地であり、1985年、ユネスコの世界遺産(複合遺産)に、『ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩石遺跡群』として指定されました。(同上)
*写真は、かつてのキリスト教会の出入り口になるようです。入口上部に十字架の文様が記されていました。 -
写真は、『鳩の谷』に住む鳩さんたちのようです。高い場所が好きなのか、グループで集まっていました。この後は、カッパドキアとギョレメ国立公園の紹介です。
カッパドキアには、地質学上も世界に類を見ない不思議な景観が広がっています。周辺の観光エリアは非常に広く、見どころが多数あります。「妖精の煙突」や「キノコ岩」と呼ばれる多種多様な奇岩、ギョレメ国立公園、岩窟教会をはじめとする初期キリスト教の貴重な遺跡、カイマクル・デリンクユなどの地下都市、ウチヒサルの岩の要塞、ウフララ渓谷、陶器と絨毯の名産地アヴァノス等などです。(同上) -
カッパドキアは、文化遺産と自然遺産両方の条件を満たす、世界でも数少ない複合遺産です。まるで慎重な彫刻家のような繊細さで、何千、何百もの月日をかけて自然が造り上げた岩層があり、そしてこの火山灰に覆われた一帯を、必要に応じて彫り、削って暮らした村人達です。自然と人間が一体となって創造した見事な調和の世界が、目の前に姿を現わします。(同上)
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歴史の初期以来、様々な民族が集落を形成してきたカッパドキアには、数知れない遺跡や古代都市が存在してきたことは確実です。これらの遺跡が発掘・調査され、一帯の歴史の解明に役立つ考古学的な調査活動が一日も早く実施される事が望まれています。例えば、カイセリ近郊のキュルテペ、アクサライ近郊のアジェムホユックは、今日までに発掘された非常に興味深い都市遺跡のほんの一部です。(同上)
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『カッパドキアの発掘史(その1)』:カッパドキアは、アナトリア中央部の四方を山に囲まれた高原地帯です。今からおよそ1500万年前までこのあたりは広大な内海でした。カッパドキアの近郊にある塩湖(トゥズ湖:1620平方km)は、その名残です。この内海が干上がった頃、地中海沿岸のタウロス山脈に住む旧石器狩猟民たちが、内陸部、カッパドキア地方の大部分を占める現在のコンヤ平原の肥沃な土地に向かって、移動し始めたと言われています。(同上)
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『カッパドキアの発掘史(その2)』:カッパドキア近郊のチャタル・ヒュユクの丘は、これまでに発見された中で最大の新石器時代の遺跡としてユニークなものです。発掘はまだほんの一部行われたに過ぎませんが、その出土品によって先史時代の独特な文化の担い手としてのアナトリアの役割が明らかになってきました。これらの出土品は紀元前6500年から5500年頃のものと推定され、アンカラのアナトリア文明博物館に展示されています。出土品の中で注目すべきものは人工の壁に描かれた最古の壁画です。壁画のひとつには、えんじ色の矩形が並び、ピンクに赤のふちどりの二つの山型がみられます。(同上)
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『カッパドキアの発掘史(その3)』:この絵の下の部分が居住地の図だと考えますと、上の二つ並んだ山型は『ハッサン火山(3253メートル)』と思われます。一つの山の上方に赤い点々が見えますが、ハッサン火山は紀元前2世紀まで活火山でした。そうしたことから、この壁画はこれまでのところ、噴火を描いた世界最古の絵と考えられています。(同上)
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『カッパドキアの発掘史(その4)』:遺跡発掘の結果、青銅器時代においてもアナトリアは独特の文化を創りだしていたことが分かってきました。メソポタミア地方以外の知られている国々の中では、古代の民族ハッティが最も早く文明化された国です。その言語や宗教についても知られるようになりました。紀元前2500年~紀元前2000年頃のことです。(同上)
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『カッパドキアの発掘史(その5)』:ヒッタイトの首都『ハットゥシャ』という名前には『ハッティの住むところ』という意味があります。そして、ハットゥシャから遠くない、『アラジャホユック』にある歴代のハッティ人の王の墓地からは、貴重な金や青銅の財宝が見つかり、それらは現在、『アナトリア文明博物館』に展示されています。(同上)
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『カッパドキアの発掘史(その6)』:紀元前2000年頃、インドヨーロッパ語族のヒッタイトが、ボスポラスとダーダネルスの両海峡を越えやって来て、アナトリア諸国に支配力を振るうようになりました。ハットゥシャの王家の公文書庫から出土した楔形タブレットは、まだ断片的にしか解読されていませんが、古代世界史上においてヒッタイトが極めて特殊な位置を占めていたことを示しています。(同上、以上)
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『カッパドキアの古代史(その1)』:次は、当時のカッパドキアの古代史についての紹介です。ヒッタイトがアナトリアヘやって来た頃、カッパドキアには、いくつかの小国とアッシリア(現在のイラク北部に興った帝国)との交易都市がありました。カイセリに近いキュルテペ(古代のカネシュ)は、交易都市の中でも最も重要な町でした。(同上)
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『カッパドキアの古代史(その2)』:紀元前1200年頃、ヒッタイト帝国が滅んでアナトリアの暗黒時代が始まりました。その後紀元前6世紀にリディア(首都サルディス)の属国になるまで、カッパドキアに関する消息はほとんど残されていません。紀元前6世紀半ば、リディア王クロエソスは、アケメニッド王国のキュロス大王(在位:紀元前559~紀元前530年)に敗れ、カッパドキアを失いました。(同上)
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『カッパドキアの古代史(その3)』:紀元前333年、アレクサンダー大王の遠征の後、紀元後17年にローマの属州となるまでの間、カッパドキア地方は比較的自由な時代でした。この時期、カッパドキアを支配した諸王朝の中では、アリアラテス1世(在位:紀元前350年~紀元前322年)が樹立した『アリアラテス王朝』が一番重要なものと言われています。(同上)
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『カッパドキアの古代史(その4)』:ローマ帝国も、続いてやってきたビザンティン帝国も、この地域の文化を吸収しようとはしなかったようです。その理由は、彼らの関心は、道路を確保して交易ルートを守ることと、この広大な平原の労働力をビザンティン軍のために有効に使う事にしかなかったからとされます。(同上)
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『カッパドキアの古代史(その5)』:その後、支配階級や軍隊は便利な地点に駐留し、そこに町ができていきました。ゾロパスス~現在のギュルシェヒル、ソアンドス、ペリストレマ~現ベリスルマ、コラマ~現ギョレメ、ソアンダス~現ネブシェヒルなどが、ローマとビザンティンの時代の中心都市として発達していきました。この地方の住民は、いつも岩の多い場所に好んで住んでいました。石を利用し、あるいは自然の岩を穿って、山の上や谷、深い峡谷の岸辺に家を作りそこに住んでいました。穴から地中にもぐり、岩の割れめや迷路のような隠れ家に住んでいたことから、10世紀のビザンティンの歴史家は、カッパドキアの住民はかつて世捨て人と呼ばれたと言いました。(同上)
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『カッパドキアの古代史(その6)』:住民の多くは主に農業に従事していて、特にブドウ栽培と家畜の飼育が主な仕事でしたが、農地や牧草地は町に住む地主の所有でした。住民は、作物の大部分を占領軍や、神殿の維持のために供出するよう強制されていました。2世紀にキリスト教が知られるようになった頃、カッパドキアにはさまざまな思想、哲学、東方諸宗教が入り乱れました。初期のキリスト教徒は、おそらく、ローマの宗教的迫害から逃れてきた人々で、キリスト教徒の大部分は、タウロス山脈全域を占領したアラブ人の支配からカッパドキアヘ避難してきた人々でした。(同上)
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『カッパドキアの古代史(その7)』:これらの新しい住人たちは、丘の斜面を掘り、岩を刻んで教会を造り、内部をフレスコ画で飾りました。こうしてカッパドキアの岩石地帯は修道院や修道士の祈り、教会などの大展示場の様相を呈するようになりました。11世紀後半にセルジュク族がやってきたときには、カッパドキアには1000を越える宗数的施設があったようです。カッパドキアのキリスト教社会と、イスラムのセルジュクトルコの関係は友好的でしたが、14世紀に入るとオスマン帝国に吸収されてしまいました。(同上)
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『カッパドキアの古代史(その8)』:キリスト教信者のギリシャ人たちは、後世のトルコとギリシャの人民交換政策により、1920年代にカッパドキアを離れることになりました。
『カッパドキアの宗数的背景(その1)』:この地域は交易ルートの交差点でしたから、さまざまな思想、信条、哲学、宗教が入り乱れて入ってきました。1世紀の半ばに聖パウロがここを訪れたときは、ゼウス、ミトラ、アティス、ディオニソス、地母神などの神々が崇拝されていたに違いないと考えられます。そのため、新しい宗教は、これらの既成宗教と対決しなければなりませんでした。(同上) -
『カッパドキアの宗数的背景(その2)』:聖バジル、ナジアンザスの聖ジョージ、カッパドキアのニサの人、聖グレゴリーは、これらの異教信仰と立ち向かい、当時のキリスト教思想を形成するのに力を尽くしました。中でも、聖バジルはギリシャ正教会の4人の教父の一人とされ、カッパドキアの教会にもしばしば、肖像が描かれています。他の3人は、聖ジョン・クリソストム、ナジアンザスのグレゴリー、そしてアタナシウスです。(同上)
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『カッパドキアの自然芸術(その1)』:カッパドキアの地層は地上に見られる自然の奇跡の一つです。中央アナトリアの火山が盛んに活動し、溶岩や火山灰に覆われた『堆積期』、そして火山活動の停止と共に始まった『侵食期』において、自然が持っている二つの相反する作用が作り上げた作品と言えます。ヨーロッパのアルプス山脈と同様に、南アナトリアのトロス山脈も地質年代上、新生代の第三紀(6500万~200万年前)に形成されました。(同上)
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『カッパドキアの自然芸術(その2)』:この時期、中央アナトリアでは活発な地殻の変動で深い亀裂や地盤の沈下が見られ、亀裂を這って地表に噴出しだしたマグマは、エルジェス、デヴェリ、メレンディス、ケチボイドゥラン火山を作り上げました。そして、度重なる激しい噴火の後、中央アナトリアでトロス山脈に並行して走る火山連ができあがりました。火山の吐き出した噴出物は、既に形成されていた丘や谷の上に長い時間をかけてゆっくりと降り積もり、周辺一帯は巨大な台地となりました。(同上)
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『カッパドキアの自然芸術(その3)』:エルジェス山:カイセリの南西に3,917mの雄姿を誇るエルジェス山は、アナトリアの山々の中でも屈指の高峰です。地方で最も重要な火山であり、太古の昔に始まった火山活動は歴史時代まで続きました。直径18㎞、1500km2の面積に及びます。(同上)
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『カッパドキアの自然芸術(その4)』:ハサン山:裾野から2,300m、海抜3,300mの高さにあり、アナトリアの山々の中でも優美さで名高い山です。エルジェス山と同時期に誕生しましたが、より若々しく、カッパドキアを訪れる人々を出迎えてくれます。この山の頂は、年間を通じて雪に覆われています。(同上、以上)
*写真は、「円柱教会」に残されているフレスコ画です。 -
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『ギョレメ地方屈指の三教会(円柱教会)』と『暗闇の教会:カランルク・キリセ(その1)』:
〇エルマル・キリセ(Elmalı Kilise):りんごの教会:かつて入ロの傍にりんごの木があったということからこの名で呼ばれるようになりました。
〇カランルク・キリセ(Karanlık Kilise):暗闇の教会:礼拝堂の中にほとんど光が入らないことからこの名が付きました。
〇チャルクル・キリセ(Çarıklı Kilise):サンダルの教会:フレスコ画の人物がサンダルをはいていることから、あるいは教会の床の二つの窪みが聖人の足跡とみられるからともいわれていることからこの名が付きました。(同上) -
『暗闇の教会:カランルク・キリセ(その2)』:ここには修道院が置かれていました。他のギョレメの教会同様、カランルク教会も11世紀に建てられ、建設に貢献したらしい4人の後援者の姿がフレスコ画に残されています。大きな岩山をくり貫いていくつもの部屋を作りましたが、その岩山が崩れ落ちたため、現在では玄関の拝廊部分が露出しています。本来は階段を上がって拝廊へ入っていきました。(同上)
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『暗闇の教会:カランルク・キリセ(その3)』:拝廊の奥に教会本堂があり、修道院は2階部分に設けられていました。中でも食堂は立派な造りです。拝廊に戻ると、ここは四角い大きな空間を平屋根が覆うようになっていました。現在は崩れ落ちてしまっていますが、脇に小さな明かり窓があったのではないかと考えられています。(同上)
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