2008/10/14 - 2008/10/21
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旅人のくまさんさん
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エフェソス(エフェス)遺跡では、最初にアルテミス神殿を見学しました。紀元前550年頃に、アケメネス朝ペルシャ統治下のエフェスに建設された神殿です。かつて、『世界の七不思議』に数えられましたが、現在は廃墟に近い状況になっています。(ウィキペディア、旅行ガイド・トルコ)
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 旅行の手配内容
- その他
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トロイ遺跡の見学を終えて、次に向かったのはエフェス遺跡です。トロイ遺跡からは、エーゲ海を右手に見ながら南に下った場所にエフェス遺跡があります。その中間地点にベルガマがあります。見学はできませんでしたが、ベルガマは第二のアテネと呼ばれるほど栄え、丘の上には、ヘレニズム文化の遺産の『アスクレピオン』や『アクアポリス』がある都市です。(同上)
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右手に見えている、白く見える放牧の動物は、ヒツジのようでした。ふっくらとした感じ、でしたから、綿羊のようです。家畜としての『羊』は大きく、『ラム・マトンなどの羊肉として利用される肉用種』と『モコモコした毛をウールとして利用する綿羊』に分けることがでます。(同上)
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人工の土手のような所に、『DSi』の文字が記されていました。『トルコ国家水利庁』の略称のようでした。そうすれば、やはりこの土手は、人工の堤防になるようです。推測ですが、その奥はダム湖になるようです。トルコ共和国の全ダム数は625ダムです。高さ15m以上のダムは618ダムあり、その39%は高さ30m未満です。また、全ダムの81%はアース(土造)ダムです。(同上)
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トルコの東南部を南に向かって観光バスは走っているようですから、右手はエーゲ海の光景になります。エーゲ海に面したトルコの西部地方は、ギリシャとの国境が複雑な地域です。ただし、エーゲ海の島は、ほとんどがギリシャ領で、例外は、ダーダネルス海峡の西の入口近くにあるギョクチェ島と、ボズジャ・アダ島だけがトルコ領です。(同上)
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同じく、右手に見えるのはエーゲ海です。エーゲ海は、昨年(2007年)のギリシャ・エジプト旅行の時にいくつかの島巡りをしました。海と空と島の建物が織りなす景色が素晴らしかったことが強く印象に残っています。アテネから出航し、イドラ島、ポロス島、エギナ島を巡りました。(同上)
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ベルガマとエフェソスの間には、港町として有名なイズミル(イズミール)がありますが、残念ながら素通りでした。イズミルは、エーゲ海に面するトルコ西部の都市で、人口は約400万人、イスタンブール、アンカラに次ぐトルコ第3の都市です。古来より、その美しさが『エーゲ海の真珠』と称えられる港町です。(同上)
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『イズミル』の紹介が続古代ギリシャギリシャの歴史家・ヘロドトスによれば、紀元前1000年頃にアイオリス人によって建設され、その後、イオニア人たちの手に渡り、文化的・商業的中心地として大きく発展したとします。イオニア同盟の主要な都市の一つとなりました。吟遊詩人のホメロスが暮らしていたのも、ここだったと言われます。(同上)
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『アルテミス神殿』の平面図と側面図のようです。先ほどの説明の中の『世界の七不思議』の紹介です。一般的には、古代世界の七不思議として伝承されてきた、ギザの大ピラミッド、バビロンの空中庭園、エフェソスのアルテミス神殿、オリンピアのゼウス像、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟、ロドス島の巨像、アレクサンドリアの大灯台の7つを指します。(同上)
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『世界の七不思議』の紹介が続きます。その元になったのは、ビザンチウムの『フィロン(紀元前260~紀元前180年)』の書とされます。数学者で、旅行者でした。ギリシャ語で『眺めるべきもの』といった意味の言葉が、ラテン語の『驚異、奇跡』を経て、英訳の『wonder(s)』となりました。これは、和訳では『驚かせるもの』、『賞賛すべきもの』の意味とされます。(同上)
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『世界の七不思議』は、現代ではオカルトブームなどと結びついて、『当時の土木技術のレベルを超越している』、『物理的に可能とは思えない』といった意味で解釈されることがあります。このため、七不思議の実像が誤解されることもあるようです。『世界の(古代)七大名所』あるいは、『世界の(古代)七大建築』と解釈した方が、実態に合っているようです。(同上)
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『アルテミス神殿』の紹介に戻ります。最初の神殿は、紀元前700年頃に建てられましたが、キンメリア人によって破壊された後、紀元前550年頃にリディアのクロイソス王によって再建されました。その後、紀元前356年に放火で再び失われ、紀元前323年に三度目の建築がなされました。(同上)
*写真は、古代遺跡の建築物ではなく、近代の建築物のようです。 -
世界の七不思議のリストの編纂者である、紀元前2世紀後半のシドンのアンティパトレスによる紹介文です。『私は戦車が通りうるほど広いバビロンの城壁を見、アルペイオス河畔のゼウス像を見た。空中庭園も、ヘリオスの巨像も、多くの人々の労働の結集たる大ピラミッドも、はたまたマウソロスの巨大な霊廟も見た。しかし、アルテミスの宮がはるか雲を突いてそびえているのを見たとき、その他の驚きはすっかり霞んでしまった。私は言った、「見よ、オリンポスを別にすれば、かつて日の下にこれほどのものはなかった」?アンティパトレス、「パラティン詩選集」9巻58』(同上)
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同じく世界の七不思議のリストの編纂者であるビザンチウムのフィロンもまた次のように表現しています。『エフェソスのアルテミス神殿は、神々のただひとつの家である。一目見れば、ここがただの場所ではないことがわかるだろう。ここでは、不死なる神の天上世界が地上に置かれているのである。(後略)』(同上)
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エフェソスのアルテミス神殿を発見したのは、イギリス人技師ジョン・ウッド率いる、大英博物館の考古学探検隊です。彼らは、1863年から7年にわたりエフェソスの発掘を続け、1869年12月についに深さ4m半の泥の中から神殿跡を発見しました。これは、ハインリヒ・シュリーマンがトロイアやミケーネを発掘する以前のことでした。(同上)
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イチオシ
ジョン・ウッド等がアルテミス神殿を発見したことにより、東方の古代遺跡発掘のさきがけとなりました。彼らが発見した円柱の断片などは、現在大英博物館に所蔵されています。その後の調査で、神殿は三つあり、古い神殿の跡に新しい神殿を建てていたことがわかりました。その最も古い物は、紀元前700年頃と推定されています。アルテミスはギリシアの女神です。アポローンと双子で、清純な女狩人として知られ、また、ティーターンやセレーネーに代わる月の女神です。アテネでは、クレタ島の地母神の性格を受け継いだオリンピアの女神の中で、アテーナーがアルテミスよりもあがめられていました。(同上)
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一方、エフェソスでは、アルテミスは非常に敬われていました。例えば、月の一つはアルテミスの名前を冠していて、その月には丸1ヶ月祝祭が催されました。信仰の対象はギリシャ文化以前の古い偶像でした。その元となる偶像は木製で、ギリシャのアルテミスに見られる処女性とは対照的に、豊穣多産を象徴する多数の乳房を持っていました。そして、この女神の象徴は蜂でした。(同上)
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この偶像の複製や縮小したものが古代には出回り、現在も残っています。また、その偶像は、ギリシア本土のものとは違い、エジプトや近東に見られるように、体と足が先細りの柱のようになっていて、そこから足首が出ています。足首の周りには、魚の尾鰭らしきものがあります。これは下半身が魚(=知恵の神)であることを示唆しています。(同上)
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また、エフェソスで鋳造されたコインでは、その多数の乳房を持った女神が、キュベレーの特徴として見られるように、城壁冠(胸壁形の金冠)をつけています。そして、蛇が絡み合ってできた柱、またはウロボロス(自分の尾を自分の口に入れている蛇)を積み上げたものに手を置いています。このような習合の慣習は、オリュンポスの神々をはじめとする国外の神々を吸収したものです。イオニア人の居住者たちが、エフェソスの女性とアルテミスを重ねたと考えるのは根拠が薄いようです。(同上)
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アルテミス神殿の歴史の紹介です。エフェソスの聖なる場所は、アルテミス神殿よりずっと古くからあったようです。ギリシャ人旅行家パウサニアスは、アルテミスの社はとても古くからあったと考えました。彼は、それはイオニア人の移住より何年も前にできており、アポロンの神託神殿よりも古いと確信を持って主張しました。また彼によれば、イオニア人以前のエフェソスの住人はリディア人などであったとします。(同上)
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この神殿は、紀元前550年頃にクレタの建築家ケルシプロンとその息子メタゲネスによって設計され、裕福なリディア王クロイソスの負担で建築されました。プリニウスによれば、将来起こる地震を警戒して、建設地に湿地が選ばれたといいます。このような場所に巨大な基礎を築くことはできないので、まず地下に踏み潰した木炭を敷き、さらに羊毛を敷き込みました。(同上)
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イチオシ
こうして完成した神殿は、旅行者の注目の的となり、商人・王・観光客が訪れ、彼らの多くは宝石や様々な品物を奉納してアルテミスに敬意を表しました。そして、その壮麗さは多くの礼拝者もひきつけ、アルテミス崇拝を形成しました。参考ながら、地震対策のために、建設地に湿地を選んだ理由は、現代の地震対策とは相いれないようです。(同上)
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この神殿は、避難所としても知られ、犯罪者を含め、多くの人々が身の安全のために逃げ込みました。彼らは、アルテミスの保護下にあるとみなされ、決して捕まりませんでした。また、アマゾネスがヘラクレスとディオニュソスから逃げて避難したという神話もあるようです。(同上)
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エフェスのアルテミス神殿は、紀元前356年7月21日に、ヘロストラトスによる放火で破壊されました。言い伝えによれば彼の動機は、どんな犠牲を払っても名声を得たかったということです。このことから、「ヘロストラトスの名誉」という言葉まで生まれました。これは、つまらないことや犯罪行為によって、自分の名前を有名にしようとする人のことを表します。(同上)
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事件に憤慨したエフェソスの人々は、ヘロストラトスの名前を決して残さないことを共同決定しました。しかし、ストラボンが後にこの名を書きとめたため、現在我々がその名を知ることとなりました。そして、彼らは、以前よりもはるかに立派な神殿を造ろうと考えました。まさにこの放火事件と同じ夜、アレクサンドロス3世(大王)は生まれました。(同上)
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帝政ローマのギリシア人著述家のプルタルコスは、アルテミスはアレクサンドロスの出産のことで頭がいっぱいで、燃えている神殿を救えなかったと表現しています。アレクサンドロスは後に神殿の再建費用を支払うと申し出ましたが、エフェソスの人々がこれを拒否しました。神が別の神を称えるのは適当ではないという返事だったと伝えられています。(同上)
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イチオシ
結局、アレクサンドロスの死後の紀元前323年に神殿は再建されました。その後、ローマ皇帝ガリエヌスの治世の262年、再建された神殿は、ゴート人の襲撃の中で略奪・破壊されました。「ゴート人の指導者たちは、船を操り、ヘレスポント海峡(現在のダーダネルス海峡)を越えてアジアにやってきました。多くの都市が破壊され、有名なアルテミス神殿に火をつけた」、と伝えられています。(同上)
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それから200年の間に、エフェソスの人々の大多数はキリスト教に改宗し、アルテミス神殿はその魅力を失いました。こうして、キリスト教徒によって神殿は完全に破壊されてしまいました。その残骸の石材は他の建物に使われ、神殿の跡地にはキリスト教の教会が建ちました。写真の『アルテミス神殿』の平面図と側面図は、最初に紹介しておきました。(同上)
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アルテミス神殿について記した現存する古代の資料は以下の通りとされます。
〇プリニウスの『博物誌』:『大プリニウス』とも呼ばれる古代ローマの博物学者、政治家、軍人です、ヴェスヴィオ火山の噴火で亡くなりました。
〇プルタルコスの『対比列伝』:帝政ローマのギリシア人著述家です。『対比列伝』は、古代ギリシア・ローマの著名な人物の伝記です。(同上) -
異なる記述もありますが、プリニウスによれば、神殿は、広さが縦115メートル、横55メートルで、高さ18メートルのイオニア式の柱127本からなっていました。神殿の内部は大理石の板石で飾られ、大きな入り口プロナオス・主要な広間ツェル・後方の小部屋オピトドムから構成されました。高さ15メートルのアルテミス像が置かれ、その像は木製で、顔と手足の先以外は黄金や宝石で飾られていました。(同上)
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アルテミス神殿は、多くのすばらしい芸術品を所蔵していました。絵画や、金銀に彩られた柱、そしてフェイディアスなど高名な彫刻家たちの作品が神殿を飾っていました。彫刻家たちはしばしば優れた彫刻を作ることで競争したといいます。彼らの作った彫刻の多くは、エフェスを築いたといわれているアマゾネスを表すものでした。(以上)
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