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ポーラ美術館で開催されている「SPRING わきあがる鼓動」に行ってきました。ポーラ美術館の開館以来はじめて「箱根」という土地そのものに焦点を当てた初の展覧会で、箱根町立郷土資料館が収蔵する貴重な浮世絵コレクションや町指定重要文化財の絵画を皮切りに、箱根をはじめとした東海道の風景から触発された表現を、江戸時代から現代に至るまで横断的に紹介されていまし<br />た。展覧会は5章からなりますが、旅行記(2)では、第3章以降を紹介します。<br />※作品解説は、ポーラ美術館HP等参照しています。

2026.3 SPRING わきあがる鼓動(2)

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2026/03/01 - 2026/03/01

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旅行記グループ 2026美術館・博物館

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ポーラ美術館で開催されている「SPRING わきあがる鼓動」に行ってきました。ポーラ美術館の開館以来はじめて「箱根」という土地そのものに焦点を当てた初の展覧会で、箱根町立郷土資料館が収蔵する貴重な浮世絵コレクションや町指定重要文化財の絵画を皮切りに、箱根をはじめとした東海道の風景から触発された表現を、江戸時代から現代に至るまで横断的に紹介されていまし
た。展覧会は5章からなりますが、旅行記(2)では、第3章以降を紹介します。
※作品解説は、ポーラ美術館HP等参照しています。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
交通手段
自家用車
  • 第3章 地水火風/小川待子、パット・ステア<br />陶芸家の小川待子は、鉱物の美しさに魅了され、土やガラスが熱や重力、そして長きにわたる時間の作用を受けて変容していくプロセスを、うつわや結晶体としての立体作品に留めています。

    第3章 地水火風/小川待子、パット・ステア
    陶芸家の小川待子は、鉱物の美しさに魅了され、土やガラスが熱や重力、そして長きにわたる時間の作用を受けて変容していくプロセスを、うつわや結晶体としての立体作品に留めています。

    ポーラ美術館 美術館・博物館

  • 小川待子「月のかけら 25-P」2025年

    小川待子「月のかけら 25-P」2025年

  • 小川待子「Water Disc」2024年

    小川待子「Water Disc」2024年

  • 小川待子「97-I-Ⅱ 」1997年

    小川待子「97-I-Ⅱ 」1997年

  • パット・ステア「カルミング・ウォーターフォール」1989年 ポーラ美術館<br />画家のパット・ステアは、絵具をカンヴァスに滴らせ、その流れを重力に委ねることで、偶然から生まれる律動や形象を追い求めています。

    パット・ステア「カルミング・ウォーターフォール」1989年 ポーラ美術館
    画家のパット・ステアは、絵具をカンヴァスに滴らせ、その流れを重力に委ねることで、偶然から生まれる律動や形象を追い求めています。

  • パット・ステア「ウォーターフォール・オブ・エインシェント・ゴースツ」1990年<br />両者に共通するのは、悠久の時の深淵から美を呼び覚まそうとする姿勢であり、土やガラス、あるいは絵具の顔料という素材が、人の手わざや地・水・火・風の作用を受けて変容を重ね、地上の秩序を超えた美しさを出現させる試みです。<br />

    パット・ステア「ウォーターフォール・オブ・エインシェント・ゴースツ」1990年
    両者に共通するのは、悠久の時の深淵から美を呼び覚まそうとする姿勢であり、土やガラス、あるいは絵具の顔料という素材が、人の手わざや地・水・火・風の作用を受けて変容を重ね、地上の秩序を超えた美しさを出現させる試みです。

  • 第5章 共鳴の旅―彼方へ<br />本章では、ポーラ美術館の絵画コレクションを中心に、ヨーロッパが19世紀後半から現代まで続く崩壊と再生の時代において、新たな飛躍を生んだ画家たちの創造の旅を辿ります。印象派のモネやゴッホ、ゴーガンは、光と色彩の揺らぎに対峙し、刹那の儚さと永遠への希求を絵画に託しました。スーラやシニャックは色彩の科学と出あい、水辺の光景を点描で再構築し、未来のデジタル技術を予見する律動を発見します。ルソーやルドンが描いた、意識の深層から湧き出る幻想的なヴィジョンは、果てしない世界の暗示として現れます。<br />

    第5章 共鳴の旅―彼方へ
    本章では、ポーラ美術館の絵画コレクションを中心に、ヨーロッパが19世紀後半から現代まで続く崩壊と再生の時代において、新たな飛躍を生んだ画家たちの創造の旅を辿ります。印象派のモネやゴッホ、ゴーガンは、光と色彩の揺らぎに対峙し、刹那の儚さと永遠への希求を絵画に託しました。スーラやシニャックは色彩の科学と出あい、水辺の光景を点描で再構築し、未来のデジタル技術を予見する律動を発見します。ルソーやルドンが描いた、意識の深層から湧き出る幻想的なヴィジョンは、果てしない世界の暗示として現れます。

  • クロード・モネ「散歩」1875年 ポーラ美術館<br />この作品が描かれた1875年頃、モネはパラソルをさす女性と子どもという主題を頻繁に描いていました。登場人物は、モネの妻カミーユと息子のジャンです。自然豊かなアルジャントゥイユで、幸福に満ちた生活を送っていたモネ一家の日常生活の一場面をとらえた、親密な空気の漂う作品です。本作品は、セーヌ河を挟んでアルジャントゥイユの対岸に位置する、ジュヌヴィリエで制作されたものです。晴れ渡った空と広々とした草原の広がりが、遠近法で表された並木で強調されています。光と影のコントラストのなかに人物の姿が溶け込んでいて、あたかも自然と一体化しているかのようです。青い空や強い陽射し、そして緑の草原は、夏の感覚を鑑賞者に呼び覚まします。

    クロード・モネ「散歩」1875年 ポーラ美術館
    この作品が描かれた1875年頃、モネはパラソルをさす女性と子どもという主題を頻繁に描いていました。登場人物は、モネの妻カミーユと息子のジャンです。自然豊かなアルジャントゥイユで、幸福に満ちた生活を送っていたモネ一家の日常生活の一場面をとらえた、親密な空気の漂う作品です。本作品は、セーヌ河を挟んでアルジャントゥイユの対岸に位置する、ジュヌヴィリエで制作されたものです。晴れ渡った空と広々とした草原の広がりが、遠近法で表された並木で強調されています。光と影のコントラストのなかに人物の姿が溶け込んでいて、あたかも自然と一体化しているかのようです。青い空や強い陽射し、そして緑の草原は、夏の感覚を鑑賞者に呼び覚まします。

  • クロード・モネ「サン=ラザール駅の線路」1877年 ポーラ美術館<br />19世紀の半ば頃、鉄道は著しく発達し、都市の人々は田園や海辺で休日を過ごすようになります。パリのほぼ中央に位置するサン=ラザール駅はパリで最初に建設された駅で、フランス北西部ノルマンディーの海岸に向かう路線の発着点であり、当時、フランスでもっとも多くの人々に利用されていた駅でした。モネは、戦争を避けてロンドンに亡命していた1870-1871年に目にしたターナーの作品に影響を受け、1877年の1-4月にはアルジャントゥイユを一時離れてパリに滞在し、サン=ラザール駅の連作を制作しています。この連作は、同年の第3回印象派展に出品されました。三角屋根の駅舎に発着する汽車が吐き出す煙と蒸気の様子が、力強く、いきいきとした筆使いでとらえられています。鉄道や駅をテーマとしたこのような絵画は、風景や風俗にみられる同時代性、近代性を表すものとして高く評価されています。

    クロード・モネ「サン=ラザール駅の線路」1877年 ポーラ美術館
    19世紀の半ば頃、鉄道は著しく発達し、都市の人々は田園や海辺で休日を過ごすようになります。パリのほぼ中央に位置するサン=ラザール駅はパリで最初に建設された駅で、フランス北西部ノルマンディーの海岸に向かう路線の発着点であり、当時、フランスでもっとも多くの人々に利用されていた駅でした。モネは、戦争を避けてロンドンに亡命していた1870-1871年に目にしたターナーの作品に影響を受け、1877年の1-4月にはアルジャントゥイユを一時離れてパリに滞在し、サン=ラザール駅の連作を制作しています。この連作は、同年の第3回印象派展に出品されました。三角屋根の駅舎に発着する汽車が吐き出す煙と蒸気の様子が、力強く、いきいきとした筆使いでとらえられています。鉄道や駅をテーマとしたこのような絵画は、風景や風俗にみられる同時代性、近代性を表すものとして高く評価されています。

  • クロード・モネ「セーヌ河の日没、冬」1880年 ポーラ美術館<br />モネは、1878年1月にアルジャントゥイユを離れてパリに滞在した後、8月からパリの北西約60km、メダンとジヴェルニーの間に位置する、セーヌ河の湾曲部にある小さな村ヴェトゥイユに転居しました。1878年9月、モネの最初の妻カミーユが、次男を出産後、この地で病歿しました。その年の冬、フランスを襲った記録的な寒波により、セーヌ河が氷結します。そして翌年の1月、氷が割れて水面を流れるめずらしい光景をモネは眼にするのです。自然界の異変によって生じた風景に感動した彼は、描く時間や視点を変えて繰り返し描いています。この作品では、解氷が浮かぶ水面は、後年にモネが没頭していく睡蓮の連作のように、沈みゆく夕陽に染まる空の色を映し出しています。この風景の変化と美しくも厳しい自然の姿は、妻の死に直面し、悲しみの淵に沈んでいたモネを、ふたたび制作に駆り立てたのです。

    クロード・モネ「セーヌ河の日没、冬」1880年 ポーラ美術館
    モネは、1878年1月にアルジャントゥイユを離れてパリに滞在した後、8月からパリの北西約60km、メダンとジヴェルニーの間に位置する、セーヌ河の湾曲部にある小さな村ヴェトゥイユに転居しました。1878年9月、モネの最初の妻カミーユが、次男を出産後、この地で病歿しました。その年の冬、フランスを襲った記録的な寒波により、セーヌ河が氷結します。そして翌年の1月、氷が割れて水面を流れるめずらしい光景をモネは眼にするのです。自然界の異変によって生じた風景に感動した彼は、描く時間や視点を変えて繰り返し描いています。この作品では、解氷が浮かぶ水面は、後年にモネが没頭していく睡蓮の連作のように、沈みゆく夕陽に染まる空の色を映し出しています。この風景の変化と美しくも厳しい自然の姿は、妻の死に直面し、悲しみの淵に沈んでいたモネを、ふたたび制作に駆り立てたのです。

  • クロード・モネ「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」1900年 ポーラ美術館<br />1900年冬に、モネは息子ミシェルが留学していた英国のロンドンに滞在し、「国会議事堂」の連作を描き始めました。その翌年の冬にも同地に滞在して描きつづけ、その後ジヴェルニーのアトリエで仕上げ、1904年のデュラン=リュエル画廊の個展で発表しました。モネは、議事堂の真東に位置するセント・トーマス病院のテラスからこの風景を描いています。夕陽の逆光によって議事堂は青いシルエットとなって浮び上がり、さらにテムズ河にその影を落としています。テムズの水面にたち込めた霧の揺らぎが、建物の細部や輪郭を曖昧にしています。国会議事堂、霧、テムズ河という要素はまさにロンドンを象徴するものですが、なかでも霧が創り出す複雑な光の効果がモネの心をとらえました。「霧なしではロンドンは美しい町ではありえないでしょう。…[中略]…その整然とした、重々しい街並みは、この神秘的なマントのなかで壮麗になるのです」。

    クロード・モネ「国会議事堂、バラ色のシンフォニー」1900年 ポーラ美術館
    1900年冬に、モネは息子ミシェルが留学していた英国のロンドンに滞在し、「国会議事堂」の連作を描き始めました。その翌年の冬にも同地に滞在して描きつづけ、その後ジヴェルニーのアトリエで仕上げ、1904年のデュラン=リュエル画廊の個展で発表しました。モネは、議事堂の真東に位置するセント・トーマス病院のテラスからこの風景を描いています。夕陽の逆光によって議事堂は青いシルエットとなって浮び上がり、さらにテムズ河にその影を落としています。テムズの水面にたち込めた霧の揺らぎが、建物の細部や輪郭を曖昧にしています。国会議事堂、霧、テムズ河という要素はまさにロンドンを象徴するものですが、なかでも霧が創り出す複雑な光の効果がモネの心をとらえました。「霧なしではロンドンは美しい町ではありえないでしょう。…[中略]…その整然とした、重々しい街並みは、この神秘的なマントのなかで壮麗になるのです」。

  • クロード・モネ「睡蓮の池」1899年 ポーラ美術館<br />モネは、1883年からパリの北西70kmの美しい村ジヴェルニーに移住し、ここに家を建て、庭を造成します。家の前には色とりどりの花が咲き乱れる「花の庭」を造り、1893年には家の敷地の道路を隔てた隣の土地を買い、「水の庭」を造りました。「水の庭」には、池を作り睡蓮を植え、池の上にはモネは好きだった日本の浮世絵に描かれたような日本風の太鼓橋が架けました。そして池の周りには柳、竹、桜、藤、アイリス、牡丹などさまざまな植物が植えられました。この自分がつくり上げた幻想的な庭で、モネは睡蓮の池と橋の風景を描いていますが、この作品は18点の連作のうちの1点です。この後、しだいに彼の興味は時間や天候による光の変化が、池の水面におよぼすさまざまな効果に向かっていきます。なお、モネの家と庭は、息子ミシェルが亡くなった1966年に国家に遺贈され、現在公開されています。

    クロード・モネ「睡蓮の池」1899年 ポーラ美術館
    モネは、1883年からパリの北西70kmの美しい村ジヴェルニーに移住し、ここに家を建て、庭を造成します。家の前には色とりどりの花が咲き乱れる「花の庭」を造り、1893年には家の敷地の道路を隔てた隣の土地を買い、「水の庭」を造りました。「水の庭」には、池を作り睡蓮を植え、池の上にはモネは好きだった日本の浮世絵に描かれたような日本風の太鼓橋が架けました。そして池の周りには柳、竹、桜、藤、アイリス、牡丹などさまざまな植物が植えられました。この自分がつくり上げた幻想的な庭で、モネは睡蓮の池と橋の風景を描いていますが、この作品は18点の連作のうちの1点です。この後、しだいに彼の興味は時間や天候による光の変化が、池の水面におよぼすさまざまな効果に向かっていきます。なお、モネの家と庭は、息子ミシェルが亡くなった1966年に国家に遺贈され、現在公開されています。

  • クロード・モネ「サルーテ運河」1908年 ポーラ美術館<br />1908年の9月末から12月にかけて、アメリカ人画家ジョン・シンガー・サージェントの友人の招待により、モネは妻のアリスをともなってイタリアのヴェネツィアに滞在しました。静養が目的でしたが、彼はホテル・グランド・ブリタニアで制作に没頭します。モネがヴェネツィアを描いた作品は約40点残されていますが、本作品を含む29点は、1912年5月に開催されたベルネーム=ジュヌ画廊の個展で展示されました。モネは、グラン・カナル(大運河)の近くに位置するサルーテ聖堂周辺の運河の風景を描いています。建物を照らす午後の強い光をモネはあざやかな色彩で表現していますが、その色使いは豊かでいきいきとしており、同時代のフォーヴィスムの色彩にさえ接近しています。水の都ヴェネツィアをはじめて訪れたモネは、もう一度来たいと願っていましたが、結局この旅行が最後の制作旅行となってしまいました。

    クロード・モネ「サルーテ運河」1908年 ポーラ美術館
    1908年の9月末から12月にかけて、アメリカ人画家ジョン・シンガー・サージェントの友人の招待により、モネは妻のアリスをともなってイタリアのヴェネツィアに滞在しました。静養が目的でしたが、彼はホテル・グランド・ブリタニアで制作に没頭します。モネがヴェネツィアを描いた作品は約40点残されていますが、本作品を含む29点は、1912年5月に開催されたベルネーム=ジュヌ画廊の個展で展示されました。モネは、グラン・カナル(大運河)の近くに位置するサルーテ聖堂周辺の運河の風景を描いています。建物を照らす午後の強い光をモネはあざやかな色彩で表現していますが、その色使いは豊かでいきいきとしており、同時代のフォーヴィスムの色彩にさえ接近しています。水の都ヴェネツィアをはじめて訪れたモネは、もう一度来たいと願っていましたが、結局この旅行が最後の制作旅行となってしまいました。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」1888年 ポーラ美術館<br />1888年2月、ファン・ゴッホは南仏プロヴァンスのローヌ河畔のアルルに到着しました。アルルはローマ時代からの歴史ある町で、市街には遺跡が多く残されています。ファン・ゴッホは、明るい陽光に満ちた南仏を、日本のあざやかな浮世絵の世界に重ね合わせ、憧れの日本のような場所と考えていました。彼は、ラマルティーヌ広場に面した「黄色い家」で、パリからやって来たゴーガンと約2ヵ月間生活をともにしますが、耳切り事件によって二人の共同生活は幕を閉じます。アルルに滞在した約15ヵ月間で、ゴッホは約200点の油彩画を制作しました。「ここの自然は並はずれて美しい。いたるところ完璧だ。空の穹窿と見事なブルー、太陽の輝きは硫黄が燃える青白い炎の色だ」。本作品は、アルル到着後まもなく制作されました。ヴィゲラ運河のグレーズ橋はアルルの南に位置していました。ゴッホは橋と土手の黄色、空と運河の水面の青色に加え、橋上の人物や奥に広がる低木材、ボート、洗濯女たち、水面の煌きなどにアクセントとして赤を用いています。

    フィンセント・ファン・ゴッホ「ヴィゲラ運河にかかるグレーズ橋」1888年 ポーラ美術館
    1888年2月、ファン・ゴッホは南仏プロヴァンスのローヌ河畔のアルルに到着しました。アルルはローマ時代からの歴史ある町で、市街には遺跡が多く残されています。ファン・ゴッホは、明るい陽光に満ちた南仏を、日本のあざやかな浮世絵の世界に重ね合わせ、憧れの日本のような場所と考えていました。彼は、ラマルティーヌ広場に面した「黄色い家」で、パリからやって来たゴーガンと約2ヵ月間生活をともにしますが、耳切り事件によって二人の共同生活は幕を閉じます。アルルに滞在した約15ヵ月間で、ゴッホは約200点の油彩画を制作しました。「ここの自然は並はずれて美しい。いたるところ完璧だ。空の穹窿と見事なブルー、太陽の輝きは硫黄が燃える青白い炎の色だ」。本作品は、アルル到着後まもなく制作されました。ヴィゲラ運河のグレーズ橋はアルルの南に位置していました。ゴッホは橋と土手の黄色、空と運河の水面の青色に加え、橋上の人物や奥に広がる低木材、ボート、洗濯女たち、水面の煌きなどにアクセントとして赤を用いています。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ「草むら」1889年 ポーラ美術館<br />ファン・ゴッホは、アルルでのゴーガンとの共同生活と耳切り事件ののち、サン=レミのサン=ポール精神療養院に入院しました。彼は何度か発作を起こしましたが、病気が小康状態のときには制作を行いました。彼は病室の窓から見える風景や庭の草花や木々、病院近くのオリーヴ園、糸杉のある風景などを描いています。1889年4月、彼はこの病院の庭で見たと思われる草花を主題にし、数点の作品を制作しています。<br />ゴッホはそれら数点の作品で、空も地平線もない、草花の広がる光景のみを描いていますが、この《草むら》は、そのなかでもとりわけ草の茂みを大きくクローズアップしてとらえている。彼は大地に根を張るこの草むらを、あざやかな緑、黄緑を用い、力強い線条のタッチで描いています。自然の風景の細部を見つめる観察態度には日本美術の影響も指摘されていますが、きわめて地面に近い視点から描かれた本作品は、奥行感が欠如し、平面的な画面になっています。

    フィンセント・ファン・ゴッホ「草むら」1889年 ポーラ美術館
    ファン・ゴッホは、アルルでのゴーガンとの共同生活と耳切り事件ののち、サン=レミのサン=ポール精神療養院に入院しました。彼は何度か発作を起こしましたが、病気が小康状態のときには制作を行いました。彼は病室の窓から見える風景や庭の草花や木々、病院近くのオリーヴ園、糸杉のある風景などを描いています。1889年4月、彼はこの病院の庭で見たと思われる草花を主題にし、数点の作品を制作しています。
    ゴッホはそれら数点の作品で、空も地平線もない、草花の広がる光景のみを描いていますが、この《草むら》は、そのなかでもとりわけ草の茂みを大きくクローズアップしてとらえている。彼は大地に根を張るこの草むらを、あざやかな緑、黄緑を用い、力強い線条のタッチで描いています。自然の風景の細部を見つめる観察態度には日本美術の影響も指摘されていますが、きわめて地面に近い視点から描かれた本作品は、奥行感が欠如し、平面的な画面になっています。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ「アザミの花」1890年 ポーラ美術館<br />本作品は、ゴッホ晩年の1890年6月16日または17日に、ガシェ医師の家でモティーフを見つけて描いた数点の野花の静物画のうちの1点。<br />テーブルや花瓶を区切る輪郭線は、日本の浮世絵版画の影響を感じさせます。外側に広がるアザミの鋸歯状の葉や麦穂、花瓶の同心円状のタッチや背景にみられる垂直と水平方向に交差したタッチは、ゴッホの線と色彩、画肌の効果の追究の成果を示しています。

    フィンセント・ファン・ゴッホ「アザミの花」1890年 ポーラ美術館
    本作品は、ゴッホ晩年の1890年6月16日または17日に、ガシェ医師の家でモティーフを見つけて描いた数点の野花の静物画のうちの1点。
    テーブルや花瓶を区切る輪郭線は、日本の浮世絵版画の影響を感じさせます。外側に広がるアザミの鋸歯状の葉や麦穂、花瓶の同心円状のタッチや背景にみられる垂直と水平方向に交差したタッチは、ゴッホの線と色彩、画肌の効果の追究の成果を示しています。

  • 青木美歌「Oac-PG-10」2016年<br />青木美歌「Oac-PG-230」2016年

    青木美歌「Oac-PG-10」2016年
    青木美歌「Oac-PG-230」2016年

  • 青木美歌「Indication」2015年<br />青木美歌「fjolgunarsteinn」2019年

    青木美歌「Indication」2015年
    青木美歌「fjolgunarsteinn」2019年

  • ポール・ゴーギャン「小屋の前の犬、タヒチ」1892年 ポーラ美術館<br />ゴーギャンは、1891年に初めてタヒチへ渡りました。それは画家が暮らす文明社会ではすでに失われてしまったかつての人間の営みと精神を、タヒチで見出す心の旅路でもありました。強く憧れていた南国の地で、画家は鮮やかな色彩を呈する風景、島特有のさまざまな生活の場面、人間、動物たちの姿を捉えていきました。本作品では、植物だけを材料に組み立てられた伝統的な小屋が、柔らかい質感と目の醒めるような橙色で表現され、その隣には、村人たちが大地に腰掛けておしゃべりする光景が添えられています。ゴーギャン特有の緑を主調にして斜めに平行に置かれた筆致が画面の大部分を覆っていますが、その傾いだ色とりどりの筆致は、はるかなる山裾から集落までを駆け抜ける風にそよぐ草木のざわめきを表わし、この土地固有の空気の流れと輝きを伝えています。

    ポール・ゴーギャン「小屋の前の犬、タヒチ」1892年 ポーラ美術館
    ゴーギャンは、1891年に初めてタヒチへ渡りました。それは画家が暮らす文明社会ではすでに失われてしまったかつての人間の営みと精神を、タヒチで見出す心の旅路でもありました。強く憧れていた南国の地で、画家は鮮やかな色彩を呈する風景、島特有のさまざまな生活の場面、人間、動物たちの姿を捉えていきました。本作品では、植物だけを材料に組み立てられた伝統的な小屋が、柔らかい質感と目の醒めるような橙色で表現され、その隣には、村人たちが大地に腰掛けておしゃべりする光景が添えられています。ゴーギャン特有の緑を主調にして斜めに平行に置かれた筆致が画面の大部分を覆っていますが、その傾いだ色とりどりの筆致は、はるかなる山裾から集落までを駆け抜ける風にそよぐ草木のざわめきを表わし、この土地固有の空気の流れと輝きを伝えています。

  • ポール・ゴーギャン「異国のエヴァ」1890-94年 ポーラ美術館<br />ゴーギャンは、幼少期をペルーで過ごし、船員生活を経験し、カリブ海に浮かぶ小アンティル諸島のマルティニク島にしばらく滞在しています。アルルでのゴッホとの悲劇的な共同生活の後、ゴーギャンは西欧の近代化の波のおよばない、文明化されていない世界に憧れを抱き、南国に向かう決意を固めます。本作品は、おそらくタヒチに渡る1891年以前に、1889年のパリ万国博覧会に展示されていた東洋や中東の美術に影響を受けてゴーギャンが創り上げた創造の南国の風景です。ゴーガンは、エデンの園を自分がこれから向かう南国として表現し、エヴァの容貌を母アリーヌの写真にもとづいて描いています。

    ポール・ゴーギャン「異国のエヴァ」1890-94年 ポーラ美術館
    ゴーギャンは、幼少期をペルーで過ごし、船員生活を経験し、カリブ海に浮かぶ小アンティル諸島のマルティニク島にしばらく滞在しています。アルルでのゴッホとの悲劇的な共同生活の後、ゴーギャンは西欧の近代化の波のおよばない、文明化されていない世界に憧れを抱き、南国に向かう決意を固めます。本作品は、おそらくタヒチに渡る1891年以前に、1889年のパリ万国博覧会に展示されていた東洋や中東の美術に影響を受けてゴーギャンが創り上げた創造の南国の風景です。ゴーガンは、エデンの園を自分がこれから向かう南国として表現し、エヴァの容貌を母アリーヌの写真にもとづいて描いています。

  • ポール・ゴーギャン「白いテーブルクロス」1886年 ポーラ美術館<br />ゴーギャンが、はじめてブルターニュの小さな村ポン=タヴェンを訪れたのは1886年7月です。アヴェン河口のポン=タヴェンは、かつては14基の水車と15軒の家しかない静かな村だったそうです。1860年代よりアメリカ人の画家たちが集まっていましたが、素朴な地方として注目され、訪れる人々が増えていきました。ゴーギャンは、家賃、食事込みで月60フランという良心的なグロアネクの下宿屋で絵画制作に打ち込みました。彼の周りには若い芸術家たちが集まり、この地は芸術家村となりました。芸術家たちは8月15日の聖母マリアの被昇天祭の祝祭日の慣習として、グロアネク夫人に作品を贈ることにしていました。白いテーブルクロスの上のワインデカンタ、ブルターニュの伝統的な水差し、さくらんぼ入りの器を描いた本作品も、ゴーギャンがこの慣習に習い、宿屋のために制作し贈ったものです。1892-1893年にポン=タヴェンに滞在したスイス人画家クーノ・アミエは、グロアネクの宿屋でこの作品を見た感想を残しています。「白い布の上に置かれた鉢のなかのさくらんぼ。何の気取りもない全き単純さ、それは不思議に透き通っており、そこには魔法のような輝きがあった」。

    ポール・ゴーギャン「白いテーブルクロス」1886年 ポーラ美術館
    ゴーギャンが、はじめてブルターニュの小さな村ポン=タヴェンを訪れたのは1886年7月です。アヴェン河口のポン=タヴェンは、かつては14基の水車と15軒の家しかない静かな村だったそうです。1860年代よりアメリカ人の画家たちが集まっていましたが、素朴な地方として注目され、訪れる人々が増えていきました。ゴーギャンは、家賃、食事込みで月60フランという良心的なグロアネクの下宿屋で絵画制作に打ち込みました。彼の周りには若い芸術家たちが集まり、この地は芸術家村となりました。芸術家たちは8月15日の聖母マリアの被昇天祭の祝祭日の慣習として、グロアネク夫人に作品を贈ることにしていました。白いテーブルクロスの上のワインデカンタ、ブルターニュの伝統的な水差し、さくらんぼ入りの器を描いた本作品も、ゴーギャンがこの慣習に習い、宿屋のために制作し贈ったものです。1892-1893年にポン=タヴェンに滞在したスイス人画家クーノ・アミエは、グロアネクの宿屋でこの作品を見た感想を残しています。「白い布の上に置かれた鉢のなかのさくらんぼ。何の気取りもない全き単純さ、それは不思議に透き通っており、そこには魔法のような輝きがあった」。

  • ジョルジュ・スーラ「グランカンの干潮」1885年 ポーラ美術館<br />大きさの異なる3隻の帆船が、画面の中にさまざまな角度で配されています。中央の遠景の船は正面観で、右側のものは側面観で、そして潮の満干で浜辺に取り残された左側のもっとも大きいものは斜めの軸を強く意識しながら描かれています。こうした画面の構成は、安定した調和をもたらす黄金分割に基づいており、作品全体を覆う綿密な点描の効果と相まって、英仏海峡を臨むノルマンディー地方の小村であるグランカンの情景に、厳格な性格を与えています。 著名な化学者であり、色彩の研究にも力を尽くしたミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの『色彩の同時対照の法則について』(1839年)をはじめとする著作を研究したスーラの大作《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884-1886年、シカゴ美術館)が話題を呼んだのは、最後の印象派展となった第8回印象派展でした。光学、そして色彩理論による科学的な視座から印象派の技法を再検討し、乗り越えようとしたスーラの作品を、美術批評家フェリックス・フェネオンが「新印象派」と命名したのは、同年に開催された第2回アンデパンダン展でのことです。この展覧会に《グランド・ジャット島の日曜日の午後》とともに出品されたのが本作品であり、額縁の装飾も含めた絵画制作を実践していたスーラによる、点描の縁取りが施されています。

    ジョルジュ・スーラ「グランカンの干潮」1885年 ポーラ美術館
    大きさの異なる3隻の帆船が、画面の中にさまざまな角度で配されています。中央の遠景の船は正面観で、右側のものは側面観で、そして潮の満干で浜辺に取り残された左側のもっとも大きいものは斜めの軸を強く意識しながら描かれています。こうした画面の構成は、安定した調和をもたらす黄金分割に基づいており、作品全体を覆う綿密な点描の効果と相まって、英仏海峡を臨むノルマンディー地方の小村であるグランカンの情景に、厳格な性格を与えています。 著名な化学者であり、色彩の研究にも力を尽くしたミシェル=ウジェーヌ・シュヴルールの『色彩の同時対照の法則について』(1839年)をはじめとする著作を研究したスーラの大作《グランド・ジャット島の日曜日の午後》(1884-1886年、シカゴ美術館)が話題を呼んだのは、最後の印象派展となった第8回印象派展でした。光学、そして色彩理論による科学的な視座から印象派の技法を再検討し、乗り越えようとしたスーラの作品を、美術批評家フェリックス・フェネオンが「新印象派」と命名したのは、同年に開催された第2回アンデパンダン展でのことです。この展覧会に《グランド・ジャット島の日曜日の午後》とともに出品されたのが本作品であり、額縁の装飾も含めた絵画制作を実践していたスーラによる、点描の縁取りが施されています。

  • ポール・シニャック「フリシンゲン湾」1896年 ポーラ美術館<br />海を愛したシニャックは、ヨットを自分自身で操縦してヨーロッパ各地の港に赴き、数多くの海や港の風景を描きました。彼は、生涯に30艘を越えるヨットを購入しています。フリシンゲンは、オランダの港湾都市。シニャックは、1896年、自由美学展の開幕とエミール・ヴェルハーレン主催の晩餐に出席するため、友人の画家レイセルベルヘとともにブリュッセルに行きました。その際、彼は、アントウェルペン、ブリシンゲン、フェーレ、ロッテルダム、デン・ハーグ、アムステルダム、ドルトレヒト、フォーレンダムなどのオランダの都市を訪れました。本作品は、紫、青、緑といった寒色系の繊細な色彩を用いた点描で、港の眺めと停泊する船を描き出しています。ほぼ同じ構図で、バラ色の色調で描かれた作品も残されています。

    ポール・シニャック「フリシンゲン湾」1896年 ポーラ美術館
    海を愛したシニャックは、ヨットを自分自身で操縦してヨーロッパ各地の港に赴き、数多くの海や港の風景を描きました。彼は、生涯に30艘を越えるヨットを購入しています。フリシンゲンは、オランダの港湾都市。シニャックは、1896年、自由美学展の開幕とエミール・ヴェルハーレン主催の晩餐に出席するため、友人の画家レイセルベルヘとともにブリュッセルに行きました。その際、彼は、アントウェルペン、ブリシンゲン、フェーレ、ロッテルダム、デン・ハーグ、アムステルダム、ドルトレヒト、フォーレンダムなどのオランダの都市を訪れました。本作品は、紫、青、緑といった寒色系の繊細な色彩を用いた点描で、港の眺めと停泊する船を描き出しています。ほぼ同じ構図で、バラ色の色調で描かれた作品も残されています。

  • ポール・シニャック「オーセールの橋」1902年 ポーラ美術館<br />パリから170km、フランス東部ブルゴーニュのヨンヌ県の県庁所在地オーセールの風景。おそらくはヨンヌ川の小さな中州から見た町の様子がとらえられています。どっしりとした石造りのポール・ベール橋の向こうには、サン=テティエンヌ大聖堂とサン=ジェルマン大聖堂が見えます。1902年に、シニャックはオーセールに15日間滞在しました。1900年に自動車の運転免許を取得したシニャックは、フランス中部を車で旅行しました。パリからリヨンに向かって国道6号線を走行中、オーセールに立ち寄った。彼はその後、グルノーブル、ニースに向かい、1902-1903年の冬をサン=トロペで過ごし、スケッチをもとに作品を制作しました。シニャックは、オーセールを描いた油彩画を、この作品を含めて3点残しています。<br />

    ポール・シニャック「オーセールの橋」1902年 ポーラ美術館
    パリから170km、フランス東部ブルゴーニュのヨンヌ県の県庁所在地オーセールの風景。おそらくはヨンヌ川の小さな中州から見た町の様子がとらえられています。どっしりとした石造りのポール・ベール橋の向こうには、サン=テティエンヌ大聖堂とサン=ジェルマン大聖堂が見えます。1902年に、シニャックはオーセールに15日間滞在しました。1900年に自動車の運転免許を取得したシニャックは、フランス中部を車で旅行しました。パリからリヨンに向かって国道6号線を走行中、オーセールに立ち寄った。彼はその後、グルノーブル、ニースに向かい、1902-1903年の冬をサン=トロペで過ごし、スケッチをもとに作品を制作しました。シニャックは、オーセールを描いた油彩画を、この作品を含めて3点残しています。

  • オディロン・ルドン「イカロス」1890年頃 ポーラ美術館<br />あざやかな橙色の翼のある人物が、両手で何か捧げ物を持っています。ルドンは、翼のある人物をいくつかの作品に描いています。ギリシア神話に登場するイカロスの父ダイダロスは、クレタ島のミノス王のためにラビリンス(迷宮)を造った大工の名工でしたが、後にミノス王の不興を買い、息子イカロスとともに塔に幽閉されました。二人は塔を抜け出すために、鳥の羽を集めてロウで固めた大きな翼を背中に着け、脱出を図る。父ダイダロスは、太陽の熱でロウが溶けてしまうからあまり高く飛ばないよう息子に忠告しましたが、イカロスは高く飛んで太陽に近づきすぎてしまい、ロウが溶けて翼は解体し、海に墜落します。

    オディロン・ルドン「イカロス」1890年頃 ポーラ美術館
    あざやかな橙色の翼のある人物が、両手で何か捧げ物を持っています。ルドンは、翼のある人物をいくつかの作品に描いています。ギリシア神話に登場するイカロスの父ダイダロスは、クレタ島のミノス王のためにラビリンス(迷宮)を造った大工の名工でしたが、後にミノス王の不興を買い、息子イカロスとともに塔に幽閉されました。二人は塔を抜け出すために、鳥の羽を集めてロウで固めた大きな翼を背中に着け、脱出を図る。父ダイダロスは、太陽の熱でロウが溶けてしまうからあまり高く飛ばないよう息子に忠告しましたが、イカロスは高く飛んで太陽に近づきすぎてしまい、ロウが溶けて翼は解体し、海に墜落します。

  • オディロン・ルドン「ヴィーナスの誕生」1912年頃 ポーラ美術館<br />ルドンは、ギリシア神話で語られている通り、女神ヴィーナスが成熟した大人の女性として、海の泡より誕生した様子を描いています。ボッティチェッリの≪ヴィーナスの誕生≫(1485年頃、ウフィッツィ美術館蔵)のように、女神ヴィーナスは、貝殻の上に立っておらず、霊的情熱の象徴であるゼフュロス(西風)に乗って、岸へと吹き寄せられているわけでもありません。ルドンが描くヴィーナスは貝殻の小舟に乗って、水中のような不思議な空間を漂っています。その周りには石版画集『アントワーヌの誘惑』に登場する軟体動物を想起させる、原始的な細胞にも似た奇妙な生物が浮遊しています。ルドンの想像力は、生命の起源である海の生物にも向けられています。

    オディロン・ルドン「ヴィーナスの誕生」1912年頃 ポーラ美術館
    ルドンは、ギリシア神話で語られている通り、女神ヴィーナスが成熟した大人の女性として、海の泡より誕生した様子を描いています。ボッティチェッリの≪ヴィーナスの誕生≫(1485年頃、ウフィッツィ美術館蔵)のように、女神ヴィーナスは、貝殻の上に立っておらず、霊的情熱の象徴であるゼフュロス(西風)に乗って、岸へと吹き寄せられているわけでもありません。ルドンが描くヴィーナスは貝殻の小舟に乗って、水中のような不思議な空間を漂っています。その周りには石版画集『アントワーヌの誘惑』に登場する軟体動物を想起させる、原始的な細胞にも似た奇妙な生物が浮遊しています。ルドンの想像力は、生命の起源である海の生物にも向けられています。

  • アンリ・ルソー「飛行船「レピュブリック号」とライト飛行機のある風景」1909年 ポーラ美術館<br />河岸の緑地で釣りに散歩、ピクニックなど、自由気ままに楽しむ市民たち。その背景にはルソー特有の樹木のカーテンが茜色に色づき空にやわらかくとけ込んでいます。ルソーが描いたこの行楽地はパリの東を流れるセーヌ河の支流であるマルヌ河の岸辺であり、ルソーは本作品において、その流れの湾曲部を大胆に切り取っています。マルヌ河のピクニック風景といえば、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンがこの河の岸辺でくつろぐ労働者階級の一団を被写体に収めた1938年のモノクローム写真が知られていますが、ルソーはすでに約30年前に、このパリ近郊の「20世紀的風景」を見出してあざやかに画布に描きとめました。のどかな余暇の風景の上空を見上げると、飛行船と飛行機が雲のごとく浮んでいます。飛行船「レピュブリック号」は右方向に、ライト型飛行機は左方向に、進行方向が交差するように配置されています。《エッフェル塔とトロカデロ宮殿》(1896-1898年、cat.6)で、新旧一対の記念建造物が並置されていたのと同様に、本作品でもルソーは最新型の飛行機と、一世代前の航空テクノロジーを代表する飛行船を象徴的に並べています。画家が捉えたライト型飛行機の雄姿は、ルソー研究者アンリ・セルティニにより、「大飛行機週間」を報じる『ル・プティ・ジュルナル 挿絵入り増刊号』(1909年9月5日付981号)の表紙画に描かれた車輪付きのライト型飛行機を参照したことが明らかになっています。また、フランス軍の飛行船であるレピュブリック号は、1909年9月25日に事故で墜落しており、1909年の9月に新聞各紙が飛行機と飛行船の話題でもちきりであった状況が、この風景画の空に鏡のごとく反映されているのです。同時代のジャーナリズムとルソーとの接点が窺える作品です。

    アンリ・ルソー「飛行船「レピュブリック号」とライト飛行機のある風景」1909年 ポーラ美術館
    河岸の緑地で釣りに散歩、ピクニックなど、自由気ままに楽しむ市民たち。その背景にはルソー特有の樹木のカーテンが茜色に色づき空にやわらかくとけ込んでいます。ルソーが描いたこの行楽地はパリの東を流れるセーヌ河の支流であるマルヌ河の岸辺であり、ルソーは本作品において、その流れの湾曲部を大胆に切り取っています。マルヌ河のピクニック風景といえば、写真家アンリ・カルティエ=ブレッソンがこの河の岸辺でくつろぐ労働者階級の一団を被写体に収めた1938年のモノクローム写真が知られていますが、ルソーはすでに約30年前に、このパリ近郊の「20世紀的風景」を見出してあざやかに画布に描きとめました。のどかな余暇の風景の上空を見上げると、飛行船と飛行機が雲のごとく浮んでいます。飛行船「レピュブリック号」は右方向に、ライト型飛行機は左方向に、進行方向が交差するように配置されています。《エッフェル塔とトロカデロ宮殿》(1896-1898年、cat.6)で、新旧一対の記念建造物が並置されていたのと同様に、本作品でもルソーは最新型の飛行機と、一世代前の航空テクノロジーを代表する飛行船を象徴的に並べています。画家が捉えたライト型飛行機の雄姿は、ルソー研究者アンリ・セルティニにより、「大飛行機週間」を報じる『ル・プティ・ジュルナル 挿絵入り増刊号』(1909年9月5日付981号)の表紙画に描かれた車輪付きのライト型飛行機を参照したことが明らかになっています。また、フランス軍の飛行船であるレピュブリック号は、1909年9月25日に事故で墜落しており、1909年の9月に新聞各紙が飛行機と飛行船の話題でもちきりであった状況が、この風景画の空に鏡のごとく反映されているのです。同時代のジャーナリズムとルソーとの接点が窺える作品です。

  • アンリ・ルソー「ライオンのいるジャングル」1904年 ポーラ美術館<br />嵐のなか牙をむき出しに挑みかかろうとする虎を描いた大作《不意打ち!虎のいる熱帯の嵐》(1891年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)はルソーの初めてのジャングル画として知られます。ルソーはこの脅威の完成度を誇る作品をサロン・デ・ザンデパンダンに発表するのですが、のちにナビ派の一員となる若いスイス人画家フェリックス・ヴァロットンが好評をローザンヌの地方紙に寄せるのみで、たちまち批判の渦に呑み込まれました。ジャングル画の制作は一端途切れ、7年ほどのブランクが生じました。本作品は《不意打ち!虎のいる熱帯の嵐》の3分の1程度のサイズで、横向きの猛獣を中心とした同じ構図を踏襲しています。密林を舞台にヴァリエーション豊かに表現することができるルソーの技量に感服させられる一点です。青い月夜のジャングルに野獣は静かに鎮座しています。ライオンとも豹ともとれる動物の姿は、ルソーが図版やパリ市内に散見された動物彫刻を参照したようです。野獣の獰猛さをそぎ落とし、高貴なまでに端正な姿が抽出され、滑らかな輪郭線を月の光がやさしく撫でています。中景には多種多様な植物のシルエットが、複雑な濃淡の模様を浮き上がらせ、手前には剣のように鋭く葉を伸ばす植物が、月と同質の冷たい光を妖しく放っています。背景、中景、前景を緻密な構成により織物のように組み合わせることで、ルソーは、比較的小さなカンヴァスに、果てしなく拡がるジャングルの壮観を封じ込めています。

    アンリ・ルソー「ライオンのいるジャングル」1904年 ポーラ美術館
    嵐のなか牙をむき出しに挑みかかろうとする虎を描いた大作《不意打ち!虎のいる熱帯の嵐》(1891年、ロンドン、ナショナル・ギャラリー蔵)はルソーの初めてのジャングル画として知られます。ルソーはこの脅威の完成度を誇る作品をサロン・デ・ザンデパンダンに発表するのですが、のちにナビ派の一員となる若いスイス人画家フェリックス・ヴァロットンが好評をローザンヌの地方紙に寄せるのみで、たちまち批判の渦に呑み込まれました。ジャングル画の制作は一端途切れ、7年ほどのブランクが生じました。本作品は《不意打ち!虎のいる熱帯の嵐》の3分の1程度のサイズで、横向きの猛獣を中心とした同じ構図を踏襲しています。密林を舞台にヴァリエーション豊かに表現することができるルソーの技量に感服させられる一点です。青い月夜のジャングルに野獣は静かに鎮座しています。ライオンとも豹ともとれる動物の姿は、ルソーが図版やパリ市内に散見された動物彫刻を参照したようです。野獣の獰猛さをそぎ落とし、高貴なまでに端正な姿が抽出され、滑らかな輪郭線を月の光がやさしく撫でています。中景には多種多様な植物のシルエットが、複雑な濃淡の模様を浮き上がらせ、手前には剣のように鋭く葉を伸ばす植物が、月と同質の冷たい光を妖しく放っています。背景、中景、前景を緻密な構成により織物のように組み合わせることで、ルソーは、比較的小さなカンヴァスに、果てしなく拡がるジャングルの壮観を封じ込めています。

  • アンリ・ルソー「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」1896-98年 ポーラ美術館<br />本作品には、パリ万国博覧会に関するふたつの記念碑的な建造物が見られます。ひとつは1878年のパリ万博の主会場となったトロカデロ宮殿、そしてもうひとつは1889年のパリ万博の際に建設されたエッフェル塔です。トロカデロ宮殿は1937年に取り壊されましたが、1909年に取り壊される予定であったエッフェル塔は、今もパリのシンボルとしてそびえ立っています。ロラン・バルトはこの塔を「大地と街を空に結ぶ、立った橋である」と述べていますが、水平に伸びるアンヴァリッド橋と垂直方向に伸びたエッフェル塔は、近代の技術発展による世界と空間のひろがりを表わしているかのようです。 ルソーは、1889年のパリ万博の思い出を、ブルターニュ出身の田舎者のルボセック夫妻を主人公にした3幕の軽喜劇に著わし、劇場に持っていきましたが上演を断られたといいます。この劇中で、ルボセック氏はエッフェル塔を「でっかい梯子」と呼び、塔が「柵がいっぱいついた梯子でできているとは思わなかった」と述べています。ルソー自身もエッフェル塔に驚嘆し、万博会場の異国の展示物に熱狂しました。ルソーは素朴な画家といわれるが、彼はその素朴さゆえに変貌するパリの風景や文明の産物を素直な目でとらえて描き、近代性を独自に表現しています。彼の影響によってロベール・ドローネーはエッフェル塔を描きはじめ、ピカソはルソーの独特な表現を称賛しました。

    アンリ・ルソー「エッフェル塔とトロカデロ宮殿の眺望」1896-98年 ポーラ美術館
    本作品には、パリ万国博覧会に関するふたつの記念碑的な建造物が見られます。ひとつは1878年のパリ万博の主会場となったトロカデロ宮殿、そしてもうひとつは1889年のパリ万博の際に建設されたエッフェル塔です。トロカデロ宮殿は1937年に取り壊されましたが、1909年に取り壊される予定であったエッフェル塔は、今もパリのシンボルとしてそびえ立っています。ロラン・バルトはこの塔を「大地と街を空に結ぶ、立った橋である」と述べていますが、水平に伸びるアンヴァリッド橋と垂直方向に伸びたエッフェル塔は、近代の技術発展による世界と空間のひろがりを表わしているかのようです。 ルソーは、1889年のパリ万博の思い出を、ブルターニュ出身の田舎者のルボセック夫妻を主人公にした3幕の軽喜劇に著わし、劇場に持っていきましたが上演を断られたといいます。この劇中で、ルボセック氏はエッフェル塔を「でっかい梯子」と呼び、塔が「柵がいっぱいついた梯子でできているとは思わなかった」と述べています。ルソー自身もエッフェル塔に驚嘆し、万博会場の異国の展示物に熱狂しました。ルソーは素朴な画家といわれるが、彼はその素朴さゆえに変貌するパリの風景や文明の産物を素直な目でとらえて描き、近代性を独自に表現しています。彼の影響によってロベール・ドローネーはエッフェル塔を描きはじめ、ピカソはルソーの独特な表現を称賛しました。

  • アンリ・ルソー「エデンの園のエヴァ」1906-10年頃 ポーラ美術館<br />ジャングルに裸体の人物が出現するルソーの絵画は、本作品を含めて6点ほど現存します。それぞれが固有の場(トポス)に置かれた女性像であり、一つとして同じ雰囲気を纏う裸体はありません。これはルソーが女性像を描き慣れていなかったという理由ではなく、おそらく絵画史上、もっとも強烈な女性像の一つに数えられる《蛇使いの女》(1907年、オルセー美術館蔵)に描かれた漆黒の肌の女に代表されるように、作品ごとにルソーが空想を膨らませ構想したコンセプトに沿い、唯一無二の女性像が創造されたからです。そしてそのうちの2点がエデンの園に住まう原初の女「エヴァ」と名付けられています。 本作品のエヴァ像は、それまでの宗教画に見られる「エデンの園」(paradis)の住人としてよりも、むしろ原生林、あるいは処女林を擬人化した処女エヴァとして表わされています。巨大な満月が絵画全体を透徹した光で浸し、ゆうに十種を越える奇妙な植物が複雑に絡み合う密林で、腰まで髪を垂らした野趣あふれる姿の女が大きな花を手折っています。この無垢なるエヴァは、野性というファンタジーの迷宮へと文明人の好奇のまなざしを誘う役割を果たしています。

    アンリ・ルソー「エデンの園のエヴァ」1906-10年頃 ポーラ美術館
    ジャングルに裸体の人物が出現するルソーの絵画は、本作品を含めて6点ほど現存します。それぞれが固有の場(トポス)に置かれた女性像であり、一つとして同じ雰囲気を纏う裸体はありません。これはルソーが女性像を描き慣れていなかったという理由ではなく、おそらく絵画史上、もっとも強烈な女性像の一つに数えられる《蛇使いの女》(1907年、オルセー美術館蔵)に描かれた漆黒の肌の女に代表されるように、作品ごとにルソーが空想を膨らませ構想したコンセプトに沿い、唯一無二の女性像が創造されたからです。そしてそのうちの2点がエデンの園に住まう原初の女「エヴァ」と名付けられています。 本作品のエヴァ像は、それまでの宗教画に見られる「エデンの園」(paradis)の住人としてよりも、むしろ原生林、あるいは処女林を擬人化した処女エヴァとして表わされています。巨大な満月が絵画全体を透徹した光で浸し、ゆうに十種を越える奇妙な植物が複雑に絡み合う密林で、腰まで髪を垂らした野趣あふれる姿の女が大きな花を手折っています。この無垢なるエヴァは、野性というファンタジーの迷宮へと文明人の好奇のまなざしを誘う役割を果たしています。

  • アンゼルム・キーファー「ライン川」2023年<br />第二次世界大戦後のドイツを代表するアーティストのアンゼルム・キーファーは、死と再生のテーマを大地と歴史の記憶に重ねて描き出し、揺るぎなき精神の道行きを提示しています。

    アンゼルム・キーファー「ライン川」2023年
    第二次世界大戦後のドイツを代表するアーティストのアンゼルム・キーファーは、死と再生のテーマを大地と歴史の記憶に重ねて描き出し、揺るぎなき精神の道行きを提示しています。

  • エピローグ/名和晃平「PixCell-Deer#72(Aurora)」2022年

    エピローグ/名和晃平「PixCell-Deer#72(Aurora)」2022年

  • 生命と宇宙、感性と科学技術の関係をテーマに、様々な素材の物性を活かしながら、多彩なイメージを生成する名和晃平。デジタル画像の「Pixel(画素)」と、生物の最小構成単位「Cell(細胞)」をかけ合わせた独自の概念「PixCell」を具現化した彼の彫刻は、自然の表象としての動物の剥製を、最先端の接着技術を用いて人工クリスタルボールで覆い、両者の境界を曖昧にすることで、新たな視覚体験を生み出します。

    生命と宇宙、感性と科学技術の関係をテーマに、様々な素材の物性を活かしながら、多彩なイメージを生成する名和晃平。デジタル画像の「Pixel(画素)」と、生物の最小構成単位「Cell(細胞)」をかけ合わせた独自の概念「PixCell」を具現化した彼の彫刻は、自然の表象としての動物の剥製を、最先端の接着技術を用いて人工クリスタルボールで覆い、両者の境界を曖昧にすることで、新たな視覚体験を生み出します。

  • 視点によって異なる距離感は、鑑賞者と作品との間に生まれる関係性や、作品が持つ意味合いを再考させることになります。2体の「PixCell-Deer」を対峙させ、不可視を可視化した空間が展覧会のエピローグを飾ります。<br /><br />

    視点によって異なる距離感は、鑑賞者と作品との間に生まれる関係性や、作品が持つ意味合いを再考させることになります。2体の「PixCell-Deer」を対峙させ、不可視を可視化した空間が展覧会のエピローグを飾ります。

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