2026/03/28 - 2026/03/28
438位(同エリア4598件中)
+mo2さん
国立西洋美術館でチュルリョーニス展と北斎・冨嶽三十六景展が開幕しました。早速行ってきたのでレポートします。どちらも写真撮影OKでした。
HPより~
江戸時代後期の代表的浮世絵師、葛飾北斎(1760?1849年)は、その斬新な構図と、自然や人物を生き生きと捉える卓越した表現力によって、日本国内にとどまらず西洋美術にも大きなインパクトを与えました。2017-18年に当館で開催した企画展「北斎とジャポニスム― HOKUSAIが西洋に与えた衝撃」でもご紹介したように、彼の影響は、モネやドガら印象派をはじめ欧米各地に広がり、さらにはリトアニアの代表的画家M. K. チュルリョーニスの作品にも見られます。
本展は、2024 年に井内コレクションより当館に寄託された北斎の『冨嶽三十六景』(1830?33年頃)を初披露する展覧会です。本シリーズ全46図を一挙に公開するとともに、特に高い人気を誇る2図については、それぞれ異なる摺りが1点ずつ加わります。追加されるのは、現存作の中でも際立って摺りと保存状態に優れた「神奈川沖浪裏」と、“赤富士”として知られる「凱風快晴」の希少な色変わり版、通称“青富士”の2点です。本展ではこれら合計48点を、十文字学園女子大学教授・樋口一貴氏の監修のもと、本シリーズの版下絵が描かれた順序を辿る6つのグループに分けて展示します。西洋美術を専門とする当館で北斎の代表作をご覧いただくことで、彼の作品が西洋近代の芸術家たちを惹きつけた歴史に思いを馳せつつ、その魅力を再発見していただく機会となれば幸いです。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線
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会場は企画展示室のB3Fです。
国立西洋美術館 美術館・博物館
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「富嶽三十六景」は、葛飾北斎(1760-1849)の代表作にして、浮世絵風景画全体の代表作と言えます。このシリーズは天保初年頃(1830年頃)から、西村永寿堂によって出版されました。シリーズには「神奈川沖浪裏」(通称「波間の富士」)や「凱風快晴」(通称「赤富士」)など、世界的にも大変有名な作品が含まれています。江戸時代の出版当初、タイトル通り36図が出版されましたが、非常に好評であったため、後から10図が追加され、最終的に全46図のシリーズとなりました。(当初の36図を「表富士」、追加の10図を「裏富士」と呼ぶ)。全図に富士山が描かれていますが、46様それぞれの個性的な富士山の姿は、いつまでも見飽きることがありません。「藍摺絵(あいずりえ)」と呼ばれるモノトーンの作品なども含まれ、シリーズ全体に様々な趣向が凝らされています。当時、人々の間には、富士山に対する篤い信仰がありました。富士山に集団で参拝する「富士講」が盛んに行われ、富士山に見立てた築山「富士塚」が江戸の各地に作られました。こうした社会的風潮の中で「富嶽三十六景」は生まれ、爆発的なヒット作となりました。
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Aグループ ・・・北斎の1830年頃の署名は「北斎改爲一筆」から「前北斎爲一筆」へと展開する傾向があるため、このグループの版下絵が最初に描かれた推測できます。シリーズを始めるのにふさわしく「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」「山下白雨」といったスケールの大きな絵が含まれています。
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「神奈川沖浪裏」天保元-天保3年(1830-32)頃
大いなる自然とそれに立ち向かう小さな人間。動と静、遠と近、そこに描かれた無限に広がる空間。「グレート・ウェーヴ」として世界的にも有名な一枚です。この版図が西洋に与えた衝撃は大きく、画家ゴッホは弟テオに与えた手紙の中で激賞し、作曲家ドビッシーは交響曲『ラ・メール(海)』を作曲したことなどでも知られています。くずれ砕け、迫る大波に、弄ばれる3隻の船。これらの船は「押送り(おしおくり)」と呼ばれ、伊豆や安房の方から江戸湾に入り、日本橋などの市場に鮮魚や野菜を運搬していました。富士を背景に左に向かうこれらの船は、おそらく荷を送り終えた帰りの船でしょう。灰色に暗く沈んだ空。この版では消えてしまい、見ることができませんが、保存状態の良い版には、薄い黄色の空を背景とした雲も見られます。帰りの船だとすれば、夕暮れ近い光景であろうか。あたかも同じような船に乗り、そこから波と富士を見上げるイメージを北斎は見ていたのです。この「大波」に対する着想は、これより30年ほど前に描かれた「おしおくりはとうつうせんのず」や「賀奈川沖本杢之図」にすでに見ることができます。また、ほぼ同時期に描かれた『千絵の海』「総州銚子」や『富嶽百景』「海上の不二」にも、荒れ狂う大波を描く北斎の並はずれた力量を見ることができ興味深い。 -
イチオシ
「神奈川沖浪裏」(表面)
表裏両面から鑑賞できる展示方法となっていました。 -
「神奈川沖浪裏」(裏面)
江戸の人々が浮世絵版画を手に取り、表や裏を返しながら楽しんだ感覚を追体験できます。 -
イチオシ
「凱風快晴」天保元-天保3年(1830-32)頃
通称「赤富士」とも呼ばれる世界的な名画の一枚。凱風とは南風のことをいいます。夏から秋にかけての晴れた早朝に、富士が山全体を赤く染めて輝くことがあるといいます。大胆にも画面いっぱいに大きくとらえられた富士が、青空を背景にまっ赤に染め上げられています。北斎もその光景を驚きと感動をもって見つめていたのかもしれません。この「凱風快晴」の大きな特徴のひとつが、富士の山肌に見られる版木の木目です。版木の木目を使い、画面の大きな面積を占め、ぼかしだけでは単調になりかねない富士山容の表現に、空気の流れまでも感じさせる大きな変化を与えています。 -
イチオシ
「凱風快晴」天保元-天保3年(1830-32)頃
希少な色変わり版、通称“青富士” -
「山下白雨」天保元-天保3年(1830-32)頃
「神奈川沖浪裏」「凱風快晴」とともに、冨嶽三十六景のシリーズの三役のひとつに数えられます。白雨とは夕立のこと。快晴の山頂に対し、山麓に下ると漆黒の闇に包まれ強烈に走る一瞬の稲妻が描かれ、そこに激しい雨が降っていることがイメージできます。自然に超越して、静と動をあわせ持つ、富士の雄大さ見事に表現された一枚です。『富嶽百景』「夕立の不二」には、その裾野の村に視点が移動した光景が描かれています。今日のように飛行機が無い時代にあって、富士を様々な視点からイメージできた北斎の力量に驚くばかりです。 -
「深川万年橋下」天保元-天保3年(1830-32)頃
万年橋は小名木川と隅田川との合流点に架けられた橋。海抜の低かった深川では洪水対策のため、川の両岸の石積を高くしたといいます。その石積の上に架けられた橋は、人々の視線からは本当に高い位置に見えたのでしょう。橋の下に富士を遠望する構図は、三十年前に描いた洋風版画「たかはしのふじ」に見ることができ、さらに『富嶽百景』「七橋一覧の不二」にも展開されていますが、その着想の原点は川村岷雪の『百富士』「橋下」にあるといわれています。この図では一見すると富士を見落としかねませんが、川に浮かぶ2隻の船の舳先によって富士の有る方へ視線が誘われるのも面白い。 -
「尾州不二見原」天保元-天保3年(1830-32)頃
職人が大きな桶の製作に一心に取り組んでいます。その桶を通して、遠方に小さく富士が見えます。大きな円と小さな三角形とが組み合わされた、大胆、奇抜な構図で、見る者をその円の中に引きずり込みます。その北斎の力量に驚く。画中に描かれた職人は、約15年前に刊行されている『北斎漫画』にも登場しています。 -
「甲州犬目峠」天保元-天保3年(1830-32)頃
山梨県北都留郡犬目部落にある峠より眺めた富士。犬目の地元では「遠見」という高台から見た富士を北斎が描いたと伝えられていますが、実際の風景はだいぶ違っているようです。北斎は旅人がふと目にした富士の感動を、そのまま絵にしたのではないだろうか。春霞をへだて、一面緑で覆われたゆるやかな坂道。小さく描かれた人物が、この眺望の穏やかな自然と時間の流れを強調しています。 -
「武州千住」天保元-天保3年(1830-32)頃
千住は江戸四宿のひとつですが、宿場の風景は描かず、ややはなれた隅田川上流の荒川水門脇のあたりからの光景を描いています。水門の柱越しに見える富士が描かれ、水門の柱の直線と富士の形の対比を楽しんでいるかのようです。また、その水門手前の馬の背の形が、富士と相似しているのも面白い。よく見ると馬の手綱も草鞋に結ばれて富士と対称する形を作っています。堀に釣り糸を垂らす二人の釣り人と馬と馬を引く農夫が描かれていますが、いずれもその面貌は描かれず、この図を見る者の想像力にゆだねています。この版は、茶の発色が美しく残っています。 -
「青山円座松」天保元-天保3年(1830-32)頃
この圓座枩とは青山の龍岩寺の庭中にあった笠松のこと。「枝のわたり三間あまりあり」とも記され(『江戸名所図会』)、小山のようにも見えるこの松は江戸の名所でした。実際に青山から見る富士にしては、あまりにも大きいが、富士と圓座枩との中景に描かれた霞雲が、時間と空間を超越してそびえる富士との距離を、許しているかのようです。画面右下に描かれた人物の描写も面白いが、よく見ると画面左下にも松の添え木にまじって松葉を掃除する男の姿が描かれています。 -
「東都駿台」天保元-天保3年(1830-32)頃
駿台とは神田駿河台のこと。高台から眺められる富士の姿が描かれています。空が大きく占める画中の窪んだ空間に自然と目が行きますが、そこに富士が配されています。荷を担ぐ行商人の姿や、巡礼をする物、供を連れた武家の姿、額に扇をかざす者など、画中に描かれた人物たちの躍動感も面白い。『北斎漫画』の中に登場する人物も描かれています。 -
「武州玉川」天保元-天保3年(1830-32)頃
玉川は多摩川のこと。調布あたりの風景と思われます。「青山圓座枩」のときもそうでしたが、中景の霞雲を隔てて、富士の姿があきらかに大きく描かれていますが、北斎にとって霞雲の表現は、富士との時間と空間の超越を意味するものであったようです。この図では、落款「北斎改為一筆」とあるべきところ「改」の文字が無く「北斎為一筆」となっているのは間違えなのか入れ忘れなのかは定かではない。題字の左上の板木の瑕も、この版を見る一つの手がかりになっています。 -
Bグループ・・・このグループは浮世絵出版界におけるベロ藍ブームに乗じて制作された藍摺グループであり、藍色が映える空や水を意識的に大きく描いています。署名を見ると「爲一」の「爲」の書体はAグループと同じく行書ですが「筆」の代わりに「笔」の字形を用いるのはBグループのみです。
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「相州七里浜」天保元-天保3年(1830-32)頃
七里ヶ浜は、その名の通り長く続く砂浜から、富士を眺めることのできる鎌倉の勝景地です。この「相州七里ヶ浜」もまた、先の広告に「富嶽三十六景 前北斎為一翁画 藍摺一枚 一枚ニ一景ツヽ追々出版 此絵は富士のかたちのその所によりて異なる事を示す 或は七里ヶ浜にて見るかたち・・・」とあることから、初摺りのイメージの版は藍一色で摺られたものです。 -
「武陽佃島」天保元-天保3年(1830-32)頃
佃島は元々、隅田川の河口に自然に出来た寄洲。徳川家康は幕府を江戸に置くにあたり、摂津国佃村の漁民を江戸に呼び寄せました。その後、隅田川河口の三角洲を埋め立て、島を作り、漁民達はそこに住む様になったとされます。幕府は佃島の漁民たちに、江戸近海で、優先的に漁が出来る様な特権を与えて保護したといわれており、毎年十一月から翌三月頃までは白魚漁がさかんに行われ江戸風物のひとつでした。先の広告に「富嶽三十六景 前北斎為一翁画 藍摺一枚・・・(中略)又は佃島より眺る景・・・」とあったように、「武陽佃島」は藍一色で摺られた版でしたが、この版は、後摺りで、富士の背景の空が夕日に染まる空へとアレンジされています。様々な動きを見せる、船への取材は、約15年前に刊行された『北斎漫画』に見ることができます。特に画中手前の船の積み荷の形は、富士の形と相似させているところも面白い。 -
「常州牛堀」天保元-天保3年(1830-32)頃
常州牛堀は、現在の茨城県潮来市で、霞ヶ浦に接した所。菅・茅などで編んだ苫で覆われた苫舟で生活する人々の、一日の始まりを描いたものでしょうか。川へ捨てられた米のとぎ汁の音に驚いた2羽の白鷺が飛び立っています。画面ななめいっぱいに配された船と右上の富士との大胆な構図に、北斎の力量を見ることができます。 -
「甲州石班沢」天保元-天保3年(1830-32)頃
この図を見ていると荒れ狂う海の光景をイメージしますが、石班澤は富士川上流の鰍沢のことで、釜無川と笛吹川が合わさる付近の急流です。鋭く突き出した岩の突端にたち、激しい波に向かい網を打つ漁師。その横で魚籠を守る息子。これらを形作る三角形の構図がそのまま、富士の形へと投影されています。 -
「甲州石班沢」(裏面)
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「信州諏訪湖」天保元-天保3年(1830-32)頃
よく晴れた日には、諏訪湖からも富士が眺望でき、溪斎英泉や歌川広重もその光景を残しています。画面中央にVの字に大きく描かれた二本の松。富士の形と相似するように描かれた弁財天の祠など、北斎の構図へのこだわりが感じられます。この祠のあった弁天島は江戸時代の灌漑工事で削りとられたといいます。 -
「遠江山中」天保元-天保3年(1830-32)頃
遠江は現在の静岡県。画面斜めに大きく描かれた巨大な材木と、その材木をささえる支柱。その形と相似した富士が、材木と支柱の間から見えるという、あまりにも大胆な構図に驚嘆します。画中に配された人物の描写も面白い。ありえないような技を見せ、鋸をひく職人たち。母親に背負われた赤子は、よく見ると真上の材木を一心に見つめています。さらに童子の横の焚き火の煙は洋画的な表現がほどこされ、たなびく煙の道筋は、巨大な材木と交差するように配されて画面の安定感を出すなど、北斎の力量が光る傑作です。 -
「甲州三島越」天保元-天保3年(1830-32)頃
「三島越」とは甲州から籠坂峠を越え御殿場を通り三島へ抜ける道をいったものです。画中の巨木の太いこと太いこと!その巨木と背景の富士との対比も大胆ですが、巨木に驚嘆した旅人が童心に帰り、手をつないで大きさをはかろうとするしぐさがいかにも人間らしい。画中に漂う雲の形までユニークな空気を醸し出しています。 -
「駿州江尻」天保元-天保3年(1830-32)頃
江尻は、静岡県の中部、庵原郡に属していた町。静岡市清水区の中心部にあたります。上空に舞い上がる懐紙や笠。傾いた木から舞い散る木の葉。笠を抑え、身を屈める旅人たち。画中に流れる強い風をこれほどまで巧みに描いた画家がかつていたでしょうか。それら風に翻弄される事物とは対照的に悠然とそびえる富士が、確かな存在感をもって描かれています。北斎は強い風の表現を、このシリーズ以外でもいくつか試みています。 -
「東都浅草本願寺」天保元-天保3年(1830-32)頃
現在の東京浅草本願寺のこと。もともと神田明神下にありましたが、1657年(明暦3年)の江戸の大火の後、浅草へ移転しました。大屋根をもつこの壮大な建築は、江戸庶民を驚愕させたといいます。北斎も大屋根で作業する瓦職人たちを実際よりも幾分小さく描き、屋根の大きさをやや誇張し、そんな江戸の庶民の驚きをこの図に込めたのでしょう。奴凧の描写に澄み切った青空の上空に早い風が吹いていることを感じさせます。北斎はこの図をどこから見て描いているのでしょうか。やはり北斎の並はずれた創造力が描き出した一枚です。 -
「相州梅沢左」天保元-天保3年(1830-32)頃
「梅澤左」は「梅澤在」か「梅澤庄」の誤刻だといわれています。現在の神奈川県二宮町梅沢地区あたり。夜明けにあわせ、2羽の丹頂鶴が水場より羽ばたいていく、一時の清廉な空気を描き出しています。水場の4羽の丹頂鶴は、その羽毛の描写にいたるまで、驚くべき観察がなされています。この版図には改印、版元印が認められるものがなく、藍摺りを基調としています。 -
Cグループ・・・Bグループと署名の書体を比較すると「爲」が草書に変化しています。千葉県にのぞむ東京湾の風景「上総ノ海路」と「登戸浦」を含みます。さらにこの2図は船と鳥居といったモチーフを遠近二つに配するという共通した構図法が見られます。
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「下目黒」天保元-天保3年(1830-32)頃
画面両側の小高い丘にはさまれた窪みから富士が小さく見えます。「下目黒」は現在の目黒区の一帯ですが、当時は田畑も多く、鷹狩りの場としても知られていました。画中右には武家に使える二人の鷹匠と、跪く農夫の姿。中央には農家の母子、左には丘を登る農夫が描かれ、のどかな日常の風景が描かれています。 -
「上総ノ海路」天保元-天保3年(1830-32)頃
五大力船と呼ばれる、江戸を中心に、関東周辺の海運に活躍した50~500石積級の小廻しの廻船がありました。なかでも江戸-木更津間を往復した貨客輸送の木更津船を描いたのが本図でしょう。画面には2隻の船が、精巧な描写で描かれています。側面に開いた窓からは乗客の頭が覗いています。大きく弧を描いた帆とその彼方に小さく見える富士。円く描かれた水平線は北斎が西洋から学んだものでしょうか。 -
「東海道吉田」天保元-天保3年(1830-32)頃
東海道の吉田は現在の愛知県豊橋市。その地にあった「不二見茶屋」の光景。茶屋奥の簾を上げると、そこには絵に描いたような富士の眺望がありました。軒下の看板には「御茶津希(おちゃつけ)」の文字が、さらにその下には「根元吉田ほくち」とこの地の名産であった火口(火打ち石の火を受けるもの)の文字が見えます。茶屋でくつろぐ右端の旅人の笠には「山型に巴紋」と「永」の字が、腹掛けには「寿」の字があり、版元である「永寿堂」の宣伝が、さりげなく施されています。画中左では篭屋の一人が草鞋を砧でたたいているのは、履きやすくするためであり、街道の茶屋ではよく見られた光景であったのでしょう。 -
「礫川雪の且」天保元-天保3年(1830-32)頃
礫川とは現在の文京区小石川あたりのこと。タイトルが示すように、夜半に雪の降った翌朝に、雪見、富士見を楽しむ人々の光景。富士上空には三羽の鳥が描かれています。 -
「登戸浦」天保元-天保3年(1830-32)頃
千葉県の千葉市にあり、地名は「のぼと」又は「のぶと」と呼ばれ、浅瀬に立った登戸神社の鳥居が描かれています。画中中央に大きく描かれた鳥居越しに、富士が遠望され、浅瀬で仕事に励む人々が巧みに配置されています。 -
Dグループ・・・Cグループと署名の書体を比較すると「爲」の草書がより簡略化され、画数が少なくなっています。また「前」の書体では、部首であるりっとうの筆運びが縦になっているのが特徴です。このりっとうの書き方はCグループでは「登戸浦」のみで見られるためCグループからDグループへ移行したことがわかります。
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「江戸日本橋」天保元-天保3年(1830-32)頃
画中下部に擬宝珠とそこに行き交う人々の賑わいを描くとによって日本橋の存在を示し、大胆な透視画法で描かれた街並みの先には江戸城を、さらにその霞の彼方には富士が見えます。この透視画法については『北斎漫画』で三ツワリの法としてすでに図解されています。 -
「相州箱根湖水」天保元-天保3年(1830-32)頃
箱根湖水とは芦ノ湖のこと。富士をはさみ左の山は三国山、右の山は駒ヶ岳でしょう。波ひとつない湖面と様式化された霞雲、画中に人の気配もない静寂な風景は、北斎の心象世界であるかのような不思議さがただよいます。 -
「甲州三坂水面」天保元-天保3年(1830-32)頃
御坂(三坂)からみる河口湖と富士の風景です。画中中央に描かれた富士には雪がなく、生い茂る木々の緑から初夏を思わせます。しかし、一隻の船に小さく二人の人物が描かれている以外は人の気配もなく、波ひとつない湖面には雪を抱いた富士を映し出しています。その映し出された富士の位置にも謎が残ります。夏の富士と冬の富士が、対称して描かれています。 -
「東海道程ヶ谷」天保元-天保3年(1830-32)頃
程ヶ谷は現在の横浜市保土ヶ谷区。程ヶ谷宿近くの品野坂は松並木が見事であったといいます。北斎はその松の枝振りを見事にとらえて描いています。前面の人物の描写も面白い。特に中央の馬子が、松の間から見える富士を仰ぎ眺めていますが、この男のしぐさによって、遠方の富士との距離感が一気に伝わってきます。この馬子が牽く馬や背には永寿堂の家紋が見えます。また、富士もよく見ると南側(画面左側)の斜面の雪が解けていて、描かれた季節が晩春であることがうかがえます。 -
「隅田川関屋の里」天保元-天保3年(1830-32)頃
関屋の里は、京成線関屋駅から東武線牛田駅を中心とする隅田川に面した一帯を指します。遠方に赤富士が見えます。霞の残る早朝でしょう。三騎の早馬が、田畑にのびる堤の上を疾駆しています。画中右端に描かれているのは法令などを掲示する高札場。 -
Eグループ・・・「爲」はDグループと同様に画数の少ない草書で、「前」のりっとうの筆運びは再び横方向に戻ります。「五百らかん寺さゞゐどう」では画面中央の富士に登場人物たちの視線が集中しており、いかにも「富嶽三十六景」本編36図の締めくくりらしい1図となっています。
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「御廐川岸より両国橋夕陽見」天保元-天保3年(1830-32)頃
ここは将軍の厩(うまや)があったことから、御厩川岸(おんまやがし)と呼ばれる、現在の東京、墨田川。そこから対岸を結ぶ渡し舟が、両国橋をバックに描かれています。画面中央に小さく見える富士山も、対岸の景色や橋も、色味を抑えてほとんどシルエットのようにあらわされています。陽が落ちて、だんだんと風景から色が失われていく時間です。空の黒いグラデーションや、濃い青であらわされた水から、もう夜に近い時間であることがわかります。舟の人びとを描く輪郭線にも青が使われています。彼らの多くは俯いたり、こちらに背中を向けています。あまり顔が見えないからか、むしろ彼らの視線の先の風景を、私たちも一緒に見ているような効果があるようです。タイトルには「夕陽見」とありますが、色づく夕焼けが終わった後、人びとが青のモノクロームの世界に浸っている静かな時間帯を描いているのでしょうか。 -
イチオシ
「東海道江尻田子の浦略図」天保元-天保3年(1830-32)頃
「田児の浦ゆうち出て見れば真白にぞ不二の高値に雪は零りける」(山辺赤人)『百人一首』にも詠まれた田子の浦の絶景です。遠景に見える木々の緑は三保の松原でしょう。浜辺では塩田で働く人びとの姿が小さく描かれ、近景の荒波の海にはよく見ると大小4隻の船が描かれています。雄大な富士の稜線と同じ大きさの弧で最前部の船のカーブが描かれて、富士と漁師たちの奮闘が対峙しているところも面白い。私の地元の風景で、スマホケースもこちらの作品としています。 -
「相州江の島」天保元-天保3年(1830-32)頃
片瀬海岸から江の島と富士山を望む1図です。島の中腹に見えるのは、針医の杉山検校が建立したとされる三重塔で、明治時代の廃仏毀釈で取り壊されて現存していません。建物の屋根や帆船の帆柱と綱の三角形と、富士山の三角形を対比した構図になっています。現在は江の島まで橋が架かっていますが、当時は本図のように干潮時には砂州を渡って行きました。白や青の点で波の泡やきらめきを表わす繊細な表現も使われています。芸能の神様として江戸の人々も参詣に訪れた江島弁財天の様子を伝える作品です。 -
「江都駿河町三井見世略図」天保元-天保3年(1830-32)頃
三越デパートの前身である三井越後屋があった駿河町(東京都中央区日本橋室町)は、日本橋の北に位置し、通りの中央に富士山が良く見えることで知られていました。本図でも、越後屋の立派な店舗が立ち並ぶ通りの中央に富士山が配されています。越後屋の建物は透視画法により見上げるように高さが表現されており、また屋根と富士山の三角形の反復が画面にリズムを与えています。さらに屋根の上に瓦職人、空に凧を配することで、店頭や通りの様子を省略しながらも、町の賑わいを表現しています。 -
「隠田の水車」天保元-天保3年(1830-32)頃
現在の渋谷区神宮前辺りにあった隠田村と呼ばれる農村の様子が描かれています。現在は暗渠となっていますが、当時は隠田村には水田が広がり、隠田川と呼ばれる川が流れ、いくつもの水車が見られました。本図では、車輪の中で運ばれていく水に、車輪からあふれ落ちる水、それがはねるしぶき、水車の動きでかきまわされる水や、水路を流れていく水など、様々な水の表情が描かれています。動的な水と泰然自若とした富士山の対比が面白い1図です。 -
「五百らかん寺さゞゐどう」天保元-天保3年(1830-32)頃
五百羅漢寺とは、現在の江東区大島にあった寺院です。さゞゐどうは通称で、正式名は三匝堂といいます。内部が3層のらせん構造になっていて、その構造が栄螺に似ているところから、さざい堂とも呼ばれました。本図より、最上階の回廊からの眺めは富士山までも望む絶景だったことがわかります。富士山に視線を集中させるように三匝堂の軒や回廊の手すりが描かれ、鑑賞者は背を向ける見物客の肩越しに富士山を眺めているような構図となっています。 -
Fグループ・・・署名の書体はEグループと同じですが、主版(輪郭線)がA~Eグループと異なり墨であることから、このシリーズは続編であることがわかります。「諸人登山」はシリーズの中で唯一視点を富士山中においた図であり、北斎としては「富嶽三十六景」の本当の最後の1図とする意図があったのでしょう。
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「身延川裏不二」天保元-天保3年(1830-32)頃
山梨県南部の身延山に源流を持つ身延川と、その川沿いの道を日蓮宗の大本山久遠寺方向へと進む人々が描かれています。岩山の間に見える冠雪した山は富士山ですが、身延と富士山の間には本図のような険しい岩山はなく、おそらく眼前に迫る近くの山を表現するのに誇張した形を用いたのでしょう。この切り立った岩山と湧き上がる雲、無数の点描であらわされた水流によって、身延一帯の山深い雰囲気がよく表現されています。 -
「従千住花街眺望ノ不二」天保元-天保3年(1830-32)頃
緻密な描写で日光道中(奥州道中)沿いの景観を描いています。猩々緋の附袋を被せた鉄砲と毛槍の隊列は国元へ向かう盛岡藩(南部藩)の行列と考えられています。画面奥の塀に囲まれた整然とした家並みは花街、遊郭である。近景の右方向へ進む大名行列、中景に稲刈りも終わった田圃、遠景の花街と富士、この三層をまっすぐに伸びた畦道が結ぶ。その真ん中で休息をとる二人の農婦が面白そうに行列を眺めています。 -
「駿州片倉茶園ノ不二」天保元-天保3年(1830-32)頃
駿河は御茶の名産として有名であったので、このような大規模な茶園もよく見られたのでしょう。開放的な空気の中で働く女や男たちの姿が微笑ましい。ただし、片倉がどのあたりであるかはいまだにわかっていません。画中の二頭の馬には茶園とは無関係であるはずの版元の永寿堂の家紋が見えます。これまでの版図にもあったように、このように細かいところにまで宣伝が施されているのは、浮世絵版画の世界の版元間の競争が激しいゆえの宣伝であったとの見方もあります。 -
「東海道品川御殿山ノ不二」天保元-天保3年(1830-32)頃
海に面した品川の御殿山は、飛鳥山、隅田堤などと並ぶ花見の名所で、本図でも浮かれた様子の花見客で賑わいをみせています。遊び疲れたのか、眠る子どもをおんぶする夫婦の姿も見えます。満開に咲き誇る桜が、晴れわたる空と海の青い背景に美しく映え、いかにも春爛漫といった風情があります。暖かくなって、雪に覆われていた富士の裾野の半分が顔をのぞかせています。 -
「東海道品川御殿山ノ不二」(裏面)
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「甲州伊沢暁」天保元-天保3年(1830-32)頃
本図の伊沢は、現在の甲州街道の石和にあたります。笛吹川の川岸にある宿駅で、川沿いにある石和の朝を描いており、暁という言葉にふさわしく、早朝の空気が見事に表現された作品です。朝早く宿場から出立する人の様子が、朝霞の向こうに見える富士のシルエットの前に、生き生きと描かれています。 -
「本所立川」天保元-天保3年(1830-32)頃
材木が立ち並び、それを加工する職人や、木材を積み上げる職人たちが描かれています。威勢のいい掛け声が聞こえてきそうなこの場所は、現在の墨田区南部にあたる立川(堅川)で、北斎が生まれ育った本所割下水は、この近くです。川沿いに多くの材木問屋が立ち並ぶ場所でした。右手に描かれた材木置き場の表札には「西村置場」とあります。西村は、本シリーズを出版した版元西村屋与八のことで、その左右には本シリーズの新作を売り出したという宣伝文句が書かれています。 -
「東海道金谷ノ不二」天保元-天保3年(1830-32)頃
現在静岡県島田市のあたりで、金谷宿は、大井川の西岸に位置する東海道の宿場です。江戸時代、橋がなく東海道の一大難所であった大井川は多くの浮世絵に描かれました。北斎もまた、ここで苦労する旅人を生き生きと描き出しています。自然の雄大さの前に苦労する人間の存在の矮小さを、独特の構図の中に描き出した作品です。 -
「相州仲原」天保元-天保3年(1830-32)頃
題名の「仲原」は、江戸と大磯を結ぶ中原街道の中原宿(神奈川県平塚市)のことをさします。本図はその宿場辺りから富士山を望んだものです。富士山の右下に描かれた山塊は、丹沢山脈と考えられます。図中には、川で漁をする男や昼飯を運ぶ農婦、棒手振ぼてふりなど土地の人々に混じり、橋の手前や対岸に巡礼の姿が描かれ、旅の風情を伝えています。 -
「駿州大野新田」天保元-天保3年(1830-32)頃
大野新田は、現在の静岡県富士市にあります。この付近は沼が多く、鷺などの水禽もよく見かけられたようです。本図を見ると東の空は赤く、藍と緑の淡いぼかしが加えられ、すがすがしい朝を感じさせます。芦を背に積んだ牛と共に人々が歩く様子は、日常の生活風景をとらえたもので、北斎が実際に写生をしたかのように自然に描かれています。 -
「諸人登山」天保元-天保3年(1830-32)頃
冨嶽三十六景シリーズ46枚の中で、唯一、富士の山容が描かれていない富士です。危ない足場をはうようにしながら、富士山頂に登山をする、富士講と呼ばれた富士山を信仰する人たちの姿と、岩肌から霧が湧きでる険しい富士山頂の山肌が描かれています。画面上部の岩室にうずくまる人々は暖ととっているのか。富士山頂の登山を果たしたという喜びが感じられないのはどういうわけだろうか。富士山容の美しさで綴られたシリーズの完結として、富士山頂の険しき姿をあえて描いたのでしょう。
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