2026/01/10 - 2026/01/10
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+mo2さん
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今年(2026年)最初の展覧会は、東京国立近代美術館で開催されている「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」へ行ってきました。
HPより~
新しい時代を象徴していた女性の美術家は、なぜ歴史から姿を消してしまったのか。
1950年代から60年代の日本の女性美術家による創作を「アンチ・アクション」というキーワードから見直します。当時、日本では短期間ながら女性美術家が前衛美術の領域で大きな注目を集めました。これを後押ししたのは、海外から流入した抽象芸術運動「アンフォルメル」と、それに応じる批評言説でした。しかし、次いで「アクション・ペインティング」という様式概念が導入されると、女性美術家たちは如実に批評対象から外されてゆきます。豪快さや力強さといった男性性と親密な「アクション」の概念に男性批評家たちが反応し、伝統的なジェンダー秩序の揺り戻しが生じたのです。本展では『アンチ・アクション』(中嶋泉[本展学術協力者]著、2019年)のジェンダー研究の観点を足がかりに、草間彌生、田中敦子、福島秀子ら14名の作品およそ120点を紹介します。「アクション」の時代に別のかたちで応答した「彼女たち」の独自の挑戦の軌跡にご注目ください。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線
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私の今年最初の展覧会は、東京国立近代美術館で開催されている「アンチ・アクション 彼女たち、それぞれの応答と挑戦」となりました。
東京国立近代美術館 美術館・博物館
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取り上げられているのは、以下の14名。
赤穴桂子、芥川(間所)紗織、榎本和子、江見絹子、草間彌生、白髪富士子、多田美波、田中敦子、田中田鶴子、田部光子、福島秀子、宮脇愛子、毛利眞美、山崎つる子
この中で存命なのは草間彌生だけなので、これらの方々の記憶が風化しないように繋ぎ留めるのもこの展覧会の意図の1つなのかもしれません。 -
榎本和子「記憶の時」1951年 横浜美術館(旧・大岡信コレクション[明治大学寄贈])
まずは、1作家1作品づつ紹介されていきます。横浜美術館 美術館・博物館
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福島秀子「作品109」1959年 高松市美術館
高松市美術館 美術館・博物館
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田部光子「繁殖する ( 1 )」1958-88年 福岡市美術館
福岡市美術館 美術館・博物館
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イチオシ
山崎つる子「作品|Work」1964年 芦屋市立美術博物館
芦屋市立美術博物館 美術館・博物館
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赤穴桂子「スペースに於ける物体」1958年 個人蔵
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イチオシ
芥川(間所)紗織「女 ( B )|Women・FaceⅡ」1955年 東京国立近代美術館
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毛利眞美「裸婦(B)」1957年 東京国立近代美術館
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草間彌生「No. AB.」1959年 豊田市美術館
豊田市美術館 美術館・博物館
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イチオシ
田中敦子「金のWork A」1962年 千葉市美術館
千葉市美術館 美術館・博物館
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イチオシ
宮脇愛子「作品」1967年
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田部光子「繁殖する ( 2 )」1958-88年 福岡市美術館
田部光子(1933‐2024年)は日本統治下の台湾に生まれ、1946年福岡に引き揚げ、絵画を独学し、「九州派」の主要メンバーとして活動、その後も福岡の美術界だけでなく、女性たちをも牽引してきた美術家です。福岡市美術館 美術館・博物館
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田部光子「不詳」1967-68年 福岡市美術館
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田部光子「不詳」1967-68年 福岡市美術館
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田部光子「不詳」1967-68年 福岡市美術館
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田部光子「不詳」福岡市美術館
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田部光子「ああ!寺山修司」1966年 福岡市美術館
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田部光子「作品」1962年 福岡市美術館
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混雑しておらず、写真を撮ったりじっくり作品を見たりできました。
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宮脇愛子「無題」1959-60年
宮脇愛子、旧姓荒木愛子は、幼い頃から身体が弱く、孤独で内省的な少女時代を送りました。1946年3月、小田原高等女学校(現在の神奈川県立小田原高等学校)を卒業。戦時下、小田原に疎開してきた文学青年たちが発行していた文芸同人誌にかかわります。そこで知り合った東大生で後に中央公論の編集者となる宮脇俊三(1926-2003年)と結婚、宮脇姓となります。 -
宮脇愛子「作品4」1959年
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宮脇愛子「work」1960-61年 東京国立近代美術館
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宮脇愛子「作品」1962年
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宮脇愛子「作品」1964年 公益財団法人アルカンシエール美術財団
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宮脇愛子「作品」1968年 東京国立近代美術館
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山崎つる子「作品」1958年 兵庫県立美術館
第二次世界大戦終戦直前に小林聖心女子学院英語専修科を卒業した山崎つる子は、1947年に芦屋市主催の美術講習会に参加し、講師の一人であった吉原治良に初めて出会いました。当時はまだ山崎自身が知らなかった抽象絵画についての吉原の講話と人柄に魅かれ、やがて個人的に吉原のアトリエで指導を受けるようになります。吉原への師事は、後の具体美術協会メンバーの中では嶋本昭三(1928?2013年)に次いで早かったです。 -
山崎つる子「作品」1960年 兵庫県立美術館
山崎つる子は、1954年、吉原の周囲に助言を求めて集まっていた若い画家たちと共に機関誌を刊行することになり、それを機にグループ名が具体美術協会(略称:具体)と決定され、翌年の第1回具体美術展から1968年の第21回具体美術展まで連続出品、またその他の具体主催の展覧会にはすべて出品しました。兵庫県立美術館芸術の館 美術館・博物館
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山崎つる子「作品」1961年 兵庫県立美術館
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山崎つる子「作品」1962年 兵庫県立美術館
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山崎つる子「作品」1963年 兵庫県立美術館
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山崎つる子「作品」1957/2001年 芦屋市立美術博物館
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赤穴桂子「埋もれた貝と骨」1954年 個人蔵
赤穴桂子は、戦後日本の前衛美術運動の中で活動した女性アーティストのひとりです。長いあいだ美術史の主流から見落とされてきましたが、近年の研究や展覧会で再評価が進んできています。 -
赤穴桂子「スペースに於ける物体 (B)」1958年 個人蔵
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赤穴桂子「発生Ⅰ」1961年 個人蔵
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赤穴桂子「黒の中の四角」1961年 個人蔵
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赤穴桂子「不詳」1964年頃 個人蔵
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赤穴桂子「不詳」1964年頃 個人蔵
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芥川(間所)紗織「女・顔Ⅰ」1954年 豊橋市美術博物館
芥川(間所)紗織(1924.5.24-1966.1.31)は愛知県渥美郡高師村(現・豊橋市)出身の画家。1950年代を中心に、当時はほとんどいなかった前衛の女性画家の一人であり、また「染色」という全く独自の技法で道を切り開いた作家です。豊橋市美術博物館 美術館・博物館
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芥川(間所)紗織「女・顔Ⅱ」1954年 豊橋市美術博物館
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芥川(間所)紗織「女Ⅰ」1955年 東京国立近代美術館
エネルギッシュでもあり、ユーモラスでもあり、少し怖くもあり。一度見たら忘れられない女性像です。笑っているのか、踊っているのか、叫んでいるのか、それとも驚いているのか。この強烈な印象は、キャラ立ちした造形だけでなく、あざやかな色彩の効果にもよるでしょう。この色は、絵筆で絵具を塗り重ねるのでなく、染色の技法を用いることによって得られたものです。1955(昭和30)年、岡本太郎が作家を人選した展示(第40回二科展の第九室)に芥川(間所)紗織は出品し、大きな脚光を浴びます。本作は、その展示への出品作です。 -
芥川(間所)紗織「神話 神々の誕生」1956年 東京国立近代美術館
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芥川(間所)紗織「スーツを着た男B」1961-62年 NUKAGA GALLERY
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芥川(間所)紗織「裸婦」1961-62年 NUKAGA GALLERY
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芥川(間所)紗織「黒と茶」1962年 東京国立近代美術館
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芥川(間所)紗織「スフィンクス」1964年 東京国立近代美術館
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