2025/11/28 - 2025/11/28
1387位(同エリア1630件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1802冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,552,527アクセス
- フォロワー172人
この旅行記スケジュールを元に
「富山ぶりかにバス」で富山駅まで戻ると、妻は疲れてしまったようでホテルに戻ってしまいました。こんな時に駅から至近距離のホテルで良かったと思います。身軽になったところで1人「富山県美術館」に向かいます。2人だったらタクシーでしたが1人なので当然歩いていきます。駅の北側に出るとすぐに「牛島公園」があり、その傍らには「蒸気機関車9600形静態保存車両」が見えました。写真を撮った後は公園を抜けてグーグルマップを頼りに住宅街を抜けて「富岩運河環水公園」にたどり着きます。ここまで早足だったので結構疲れました。「天門橋 展望台」まで行くと何とか日暮れ前に富山の景色を見ることが出来ました。さすがに曇天の日だったので立山連峰は雲の中で見えませんでした。閉館時間も迫っているのでそのまま「富山県立美術館」に向かいます。この美術館は建築家の内藤廣の設計ということもあり以前から来たいと思っていたところです。収蔵品についてはあまり調べていなかったのですが、コレクション展だけでもとても充実していました。こんな美術館が町の近くにあり、富山っていいなと思います。時間も無いのでコレクション展の見学をしましたが「デザインコレクション」「瀧口修造コレクション」が良かったです。一番印象に残ったのは椅子のコレクションで、ガウディの椅子に座れるのにはびっくりしました。学生時代に大判のトレーシングペーパーに三面図を描いた椅子の数々も並んでいます。その中でも一番だったのは剣持勇の「柏戸」で、これは60年前に父と山形蔵王へスキーに行った際に宿泊した「蔵王ホテル」のロビーにあったものです。ジャパニーズモダンの礎を支えたデザイナー剣持勇が1961年に「熱海ガーデンホテル」の内装を手掛けた際にデザインされ、山形の天童木工で製作されました。その後に山形県が生んだ名力士の柏戸の横綱昇進を記念してこのイスが贈呈されたことから名前も付けられています。その展示室にはポスターも数多く展示されていて、自分が仕事をしていた頃のセゾングループのポスターが懐かしかったです。瀧口修造についても興味はあってもどんな人物か具体的には知りませんでしたが、彼の所有していたものの数々にも惹かれ、もう少し勉強してみようかと思いました。満足したと思いながら三沢厚彦の「ANIMALS」シリーズのクマを見ていなかったと思い、焦りながら係員さんに場所を尋ねます。何とか日暮れ前に見ることが出来たと思いながら屋上の「オノマトペの庭」を忘れていたので再びエレベーターに乗ります。ここも何とか閉園までに見ることが出来ました。妻とは午後5時に富山駅で待ち合わせしているので、かなりの速足で戻り何とか涼しい顔をして駅に着きました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 自転車 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
「富山ぶりかにバス」で富山駅まで戻ると、妻は疲れてしまったようでホテルに戻ってしまいました。こんな時に駅から至近距離のホテルで良かったと思います。
-
妻と別れて1人で「富山県美術館」に向かうことにします。2人だったらタクシーでしたが1人なので当然歩いていきます。駅の北側に出るとすぐに「牛島公園」があり、その傍らには「蒸気機関車9600形静態保存車両」が見えました。
-
2017年12月まで「富山城址公園」に静態保存されていた9600形9628号蒸気機関車が、「牛島公園」に移設されて2021年より展示を開始したそうです。
-
現在の鉄道とは全く違った運転方法ははるかに難しいように思えます。ここからはグーグルマップを駆使して裏道やら農道のようなところを通って美術館を目指します。
-
「富岩運河環水公園」には「富山県美術館」のマスコットの「ミルゾー」がいました。「ミルゾー」は2011年に「富山県立美術館」の開館30周年に永井一正によってデザインされたものです。
-
「富岩運河(ふがんうんが)」は江戸時代には他の地方からの船舶が多く停泊していて岩瀬地区では古くから商業が盛んでした。しかし、岩瀬地区から富山城のある富山市中心部までは遠くて不便で、明治時代に入ると資材の運搬も盛んになり、岩瀬地区と富山市中心部を結ぶ水運が不可欠となりました。1918年に東岩瀬町の有志が富岩運河達成を期して富山市の有志と協議して富岩運河株式会社を組織していきます。かつては船溜まりとして富山港へ向かう船がたくさん停泊していた運河は「富岩運河環水公園」となっています。
-
時間はあまりありませんが、噴水のある「天門橋 展望台」に上がってみることにします。
富岩運河環水公園 公園・植物園
-
展望台の上からの運河公園の眺めです。方角的にも張れていれば立山連峰が見えるようです。
-
町の中心部にこのような運河を持った公園があり、近くには美術館もあるのですから、富山に住む人の文化度は非常に高いと感じます。
-
これから向かう「富山県美術館」もきれいに見渡せました。
-
運河の先には「泉と滝の広場」もありますが、1時間30分くらいで富山駅まで戻らなければなりません。毎度のことですが、自分で作ったスケジュールには10分の余裕もありません。
-
最短ルートを考えながら美術館へ急ぎます。
-
元の「富山県美術館」は昭和56年の1981年に富山県置県100周年記念事業として旧富山刑務所跡に整備された「城南公園」の一角に開館しました。
富山県美術館 美術館・博物館
-
開館より35年が経ち、老朽化などにより富山駅北側の「富岩運河環水公園」の西地区に「富山県美術館」として新築移転することとなります。
-
入館料はコレクション展であれば300円で入場することが出来ました。もっともあまり時間が無いので全部を観ることは出来ません。
-
富山県美術館の建築設計は内藤廣建築設計事務所が担当しました。高知県にある「牧野富太郎記念館」も素晴らしかったですが、この美術館の設計も素晴らしいと思いました。
-
「静物」パブロ・ピカソ
ピカソの青青の時代の絵画は好きで、バルセロナの「ピカソ美術館」には何度か通いました。マラガの「ピカソ美術館」には行きたいと思いながらもう何十年の時が過ぎています。 -
「パイプを吸う男」ジョアン・ミロ
1925年に32歳のミロがパリでも制作を始めた頃の作品で、ミロ自身が「私の夢の色」と呼んだ青や水色の背景のシリーズの1点です。バルセロナには2回、それぞれ1週間づつ滞在しながら「ミロ美術館」には行きませんでした。 -
「サンティアーゴ」大竹伸朗
大竹伸朗は若い頃から気になっていた方です。西武池袋線沿線という自分と被さった環境や自分も美大を目指したこともあったからかもしれません。お兄さんの影響も強かったようで、自分にもいろいろなものをインスパイアさせてくれる存在がいたらなと思うこともあります。 -
池袋西武の中にあった「スタジオ200」のオープン記念ポスターだったり、「西武アート・フォーラム」での個展だったり、池袋沿線に縁がある人なのだなと思ってしまいます。
-
「エトルリア人」ミケランジェロ・ピストレット
エトルリア人はイタリア半島北部から中部に紀元前9世紀から紀元前1世紀まで住んでいた先住民族で、共和政ローマによって諸都市は徐々にその支配下に入っていきます。ローマ建築に特徴的なアーチも元々はエトルリア文化の模倣といえます。昔オルヴィエートへ行った際にエトルリアの黒陶器を現代に伝えている陶芸家家族にお世話になったことを思い出します。 -
「スイレンーピンク色の花」ロイ・リキテンシュタイン
リキテンシュタインを初めて知ったのも西武美術館だったことを思い出します。販促に出入りしていた時代で、待ち時間があると美術館のチケットをいただいて美術館を観て時間を潰していました。 -
事務用のエレベーターのボタンを押したら中に堤清二会長が乗っていらしたり、名だたるコピーライターだったり、いろいろな方をお見掛けしました。
-
「戸口によりかかる娘」ジョージ・シーガル
ジョージ・シーガルも西武美術館で知った作家の1人です。1980年代のセゾングループは楽しかったなぁ。結局その後もお世話になって5年前まで仕事をさせてもらっていましたが。 -
軽井沢には夏季だけオープンする軽井沢西武という店があり、改修工事に際に「セゾン現代美術館」へ打ち合わせに行ったこともありました。当時の大会長夫人や会長夫人も軽井沢に行かれていて、陶芸をするということになって京都から大叔父や叔父が呼ばれて指導していたなんて言う話を聞いたことがあります。
-
「無限の網」草間彌生
草間彌生も若い頃西武百貨店の販促に出入りしていたと聞いたことがあります。その方は昨晩行った岩瀬町の「松月」に妻を連れて行った方で、「あの頃作品を買っておけばよかったわ。」という話を何度か聞いたことがあります。 -
「帽子」草間彌生
福岡の「福岡市美術館」収蔵の「南瓜」を思い出す色彩です。草間彌生の初めての屋外展示作品でもあります。 -
「父と子」村上炳人
一見した時はイエスを背負ったクリストフォロスの姿かと思いました。村上炳人(へいじん)は富山県高岡市出身の彫刻家だと初めて知りました。 -
平櫛田中の内弟子だったということも納得のいく作品です。平櫛田中の作品を初めて見たのは京都の国立近代美術館で、兄妹3人が京都の祖父母宅に預けられていた夏休みに叔母に連れて行ってもらったことでした。鏡獅子を目の当たりにした時の衝撃は50年以上経っても覚えています。
-
「いらつめ」村上炳人
「いらつめ」は「郎女」と書き、奈良時代以前の上代に使われた言葉です。若い女性に対して親愛の情を込めて使われました。 -
「デリーで会った少女」村上炳人
-
「シェフ」村上炳人
-
上甲ミドリという方は女子美の絵画科洋画部を卒業したようで、妻と同じ大学なのだと興味深く拝見しました。このコレクション展では美術出版社で長年に渡り編集者として活躍した上甲ミドリから託された整理と研究の途上にある膨大な資料の中から、美術作品や書簡、書籍や編集用ファイル、美術出版社関連資料などが紹介されていました。
-
「南仏コリウールの風景」金山康喜
金山康喜は東京大学経済学部大学院で数理経済学を学び、1951年にフランスへ留学しています。当時は経済学を学ぶ目的で渡仏しましたが、以前から興味のあった絵画制作に没頭することになります。ソルボンヌ大学法学部にも在籍しており、留学中に絵画の道へ進んだ異色の存在です。 -
「題不詳」棟方志功
子供の頃から家の玄関に飾ってあった棟方志功の版画を次男が欲しいと言い張って持って行ってしまったので手頃なものがないか探してもらっていましたが、大きな作品を2点買ってしまいました。そのために今回の旅でも最終日に福光を訪ねる予定にしています。が、その前にこの美術館で会うことが出来ました。 -
「デカルコマニー」瀧口修造
デカルコマニーとは水で濃淡をつけたグアッシュを紙に塗り広げ、上から重ねたもう一枚の紙に写しとる技法のことです。 -
「バーント・ドローイング」瀧口修造
瀧口はオートマティックなデッサンだけでなく、バーント・ドローイング(焼きこがし)やデカルコマニー(転写技法)、ロトデッサン(器械の回転運動により多重円を描く)など、さまざまな技法の実験を行っています。 -
瀧口は應義塾大学在学時にイギリスから帰国した教授だった西脇順三郎を通じてダダイスムや初期シュルレアリスムと出会います。次第にアルチュール・ランボーやアンドレ・ブルトンの原書にも影響を受け、実験的な詩作品も発表していきます。1930年にはブルドンの著書「超現実主義と絵画」を翻訳しますが、これは日本にとってブルトンやシュルレアリスムを最初に紹介した歴史的出版物と言われています。
-
そんな瀧口修造のコレクションが展示してあるというのでこの美術館へ来るのを楽しみにしていました。瀧口修造は富山県に生まれ、詩人であり戦後日本で最も影響力のあった美術批評家の1人です。
-
シュルレアリスムは無意識や夢や偶然を芸術の主題とし、現実や意識から個人を解放する芸術思潮で、フランスの詩人アンドレ・ブルトンが主唱しました。瀧口はシュルレアリスム風の試作を試み、日本における最初のシュルレアリスム詩人の1人であると言われています。
-
1970年代後半に富山県が美術館創設の計画を立て、美術の専門家として瀧口に相談を持ちかけていたようです。彼の死後に書斎に残された絵画、版画、オブジェや玩具、石、貝がらなど、約700点から成る瀧口修造コレクションが未亡人から寄贈され、その一部が書棚のように展示されていました。
-
澁澤龍彦に傾注していたこともありますが、瀧口修造のコレクションにも心通じるものや、自分の持っているものと同じようなものを発見すると嬉しくなってきます。
-
「ふたつのかたちによる横たわる人体:2重円」ヘンリー・ムーア
池袋西武にあった「セゾン美術館」で1992年にヘンリー・ムーアの展示会を観たことを思い出します。当時はまだ「西武美術館」だったかもしれません。この時代の西武百貨店のクリエイティブは仕事をしていても楽しいものでした。 -
部屋を移動すると今度はポスターが展示してありました。このコーナーは個別の写真撮影は出来ませんでした。並んでいるポスターはパルコだったり西武劇場など懐かしいものがたくさんありました。無印良品が立ち上がる時のイベントでは田中一光事務所など今から思えば貴重な仕事が出来ました。
-
展示室の半分はどれも見覚えのある椅子のコレクションが並んでいます。このコレクションは漠然と見てみたいという思いはありましたが、1脚づつ見ていくといろいろな想いが溢れてきます。
-
「バタフライ・スツール」柳宗理
日本の工業デザインの礎を築いたデザイナーの柳宗理によってデザインされ、1956年に発表された日本のデザインのアイコン的なスツールです。戦後に柳宗理がアメリカでイームズの成形合板技術を目の当たりにし、彼のイマジネーションと天童木工の成形合板技術によって、この美しいスツールが誕生しました。 -
「スツール」アルヴァ・アールト
フィンランドが生んだ20世紀を代表する世界的な建築家で都市計画家、デザイナーでもあります。彼の活動は建築から家具、ガラス食器などの日用品のデザイン、絵画までと多岐にわたっています。2026年最初の旅はストックホルムからヘルシンキへフェリーで行くので何か出会いがあるかもしれません。 -
「サイコロ椅子」岡本太郎
岡本太郎にも一時傾注していたことがあり、「川崎市岡本太郎美術館」や「岡本太郎記念館」、「太陽の塔」などを訪ねたことがありました。
川崎市岡本太郎美術館:https://4travel.jp/travelogue/11695835
岡本太郎記念館:https://4travel.jp/travelogue/11696652
太陽の塔:https://4travel.jp/travelogue/11723914 -
「ウィロー1」チャールズ・レ二・マッキントッシュ
マッキントッシュはスコットランドの建築家、デザイナー、画家でもあります。アーツ・アンド・クラフツ運動の推進者であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の1人でもあります。5月の英国クルーズではグラスゴーに寄港しながら、郊外へ足を延ばしたのでマッキントッシュを感じることはありませんでした。 -
「ファーガス靴工場のためのアームチェア」ヴァルター・グロピウス
近代建築の四大巨匠(ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエ)の1人とされます。世界的に知られた教育機関である「バウハウス」の創立者であり、1919年から1928年まで初代校長を務めています。 -
「ヴィラ・アストのためのアームチェア」ヨーゼフ・ホフマン
ヨーゼフ・フランツ・マリア・ホフマンはウィーン美術アカデミーに進学し、カール・フォン・ハーゼナウアーとオットー・ワーグナーの下で研鑽を積んでいます。ワーグナーの仕事場でヨゼフ・マリア・オルブリッヒの知己を得て、後にクリムトとオルブリッヒらとともにウィーン分離派を立ち上げました。 -
「ウィーン郵便貯金局のためのアームチェア」オットー・ワーグナー
オットー・ワーグナーも大好きな建築家で、ウイーンに1週間ほど滞在して数多くの建築を見学しました。アム・シュタインホフ教会や郵便貯金局は特に素晴らしかったです。この椅子は見掛けませんでしたが。
アム・シュタインホフ教会:https://4travel.jp/travelogue/10563148
郵便貯金局:https://4travel.jp/travelogue/10563154 -
「ミッドウェイ1」フランク・ロイド・ライト
フランク・ロイド・ライトとの出会いは子供の頃に京都へ帰る祖母と一緒に帝国ホテルへ行った時です。なんだか不思議な建物だなと思った記憶が薄っすらと残っています。その後明治村や池袋の自由学園、旧山邑家住宅などを見る機会もありました。
明治村:https://4travel.jp/travelogue/11704756
自由学園:https://4travel.jp/travelogue/11698193
旧山邑家住宅:https://4travel.jp/travelogue/11723890 -
「ワシリー・チェア」マルセル・ブロイヤー
この椅子は学生時代の製図の時間に大きなトレーシングペーパーに三面図を描いたので細かいディティールまでよく覚えています。 -
「LC-7」ル・コルビュジェ
コルビュジェも好きな建築家で、いろいろ見学したい場所はあるのですが、いまだにパリの「ラ・ロシュ邸」と上野の「国立西洋美術館」にしか行ったことがありません。
ラ・ロシュ邸:https://4travel.jp/travelogue/10623037 -
「LC-1またはバスキュラン・チェア」ル・コルビュジェ
スリランカのキャンディの郊外に「ヘルガズ・フォーリー」というエキセントリックな館があります。そのヘルガの叔母の建築家ミネット・デ・シルヴァがル・コルビジュエの弟子だったことを思い出しました。
ヘルガズ・フォーリー:https://4travel.jp/travelogue/11247926 -
「イームズ・ワイヤー・チェア」チャールズ&レイ・イームズ
チャールズとレイ夫婦は家具、企業プロジェクト、万国博覧会のディスプレイ、そしてカリフォルニアの自宅のデザインを通して戦後アメリカのモダンな暮らしの模範となりました。 -
「スモール・ダイヤモンド・チェア」ハリー・ベルトイア
この椅子にもいろいろな所にあったので座った記憶が残っていますが、それがどこなのか思い出せないのが残念です。 -
「カーサ・カルべットのためのスツール」アントニオ・ガウディ
バルセロナのガウディ巡りの旅でカーサ・カルべットにも行きましたが、現在も住居となっているので中には入ることが出来ませんでした。
カーサ・カルベット:https://4travel.jp/travelogue/11360326 -
「カーサ・バトリョのためのベンチ」アントニオ・ガウディ
カーサ・バトリョは最初に行った30年前は公開されておらず、2度目にしてようやく見ることが出来た思い出があります。
カーサ・バトリョ:https://4travel.jp/travelogue/11360021 -
見学したカーサ・バトリョにはこの椅子は置かれてありませんでしたが、全く角の無い扉のヌメッとした肌感が思い出されます。裏側は意外に普通なのに驚きました。
-
「柏戸」剣持勇
この椅子は1961年に熱海ガーデンホテルの内装を手掛けた際にデザインされました。
その後、山形県が生んだ名力士である柏戸の横綱昇進を記念してこのイスが贈呈され、この椅子の名の由来となっています。 -
この椅子には記憶が残っていて、4歳の頃に父といった山形蔵王の「ホテル蔵王」のロビーに置かれてありました。1961年は自分の生まれ年なので椅子と同級生というわけです。剣持勇の椅子にはもう1つホテルニュージャパンのラウンジのためにデザインされたこのラタンチェアーがあり、菊竹清訓が設計した「佐渡グランドホテル」に泊まりに行ったこともあります。
佐渡グランドホテル:https://4travel.jp/travelogue/11526627 -
「バルセロナ・チェア」ミース・ファンデルローエ
1929年のバルセロナ万国博覧会で建設されたドイツ館「バルセロナ・パビリオン(Barcelona Pavilion)」は鉄とガラスで構成され、大理石の壁を配したものです。モダニズムの空間を実現したものとして建築史上有名な建物です。この建物のためにデザインされたのがこのバルセロナ・チェアで、モダンデザインの傑作として知られています。
バルセロナ・パビリオン:https://4travel.jp/travelogue/11361629 -
「タリアセン」フランク・ロイド・ライト
フランク・ロイド・ライトは1949年に自らの邸宅である「タリアセン・ウェスト」のリビングルームのために「タリアセン ウェスト」という椅子をデザインしました。この椅子は「オリガミチェア」とも呼ばれ、一1枚の合板を折って作られているのが特徴です。 -
シモン・ゴールドベルク&山根美代子コレクションⅢ期の展示はこの美術館に遺贈されたゴールドベルク愛蔵の美術作品とともに、東京藝術大学音楽学部音楽総合研究センター所蔵のゴールドベルク旧蔵品の中から彼が身近に置いて愛でた品々を選りすぐり展示しているそうです。
-
ここにもミース・ファンデルローエの「バルセロナ・チェア」が展示してありました。
-
「彩陶人頭双耳壺」はアフリカの陶器ですが、ハンガリーの民芸のピッチャーに酷似していて面白く感じました。1回目のブダペストの旅では買い漏らしたのですが、2回目のクリスマスマーケットでは念願かなって買うことが出来ました。
-
アフリカの仮面も長年興味があり、大阪の万博公園にある「国立民族学博物館」へも行きました。パリに10日ほど滞在しながら 「ケ・ブランリ美術館」へ行かなかったことは今も悔やまれています。
-
昨日見てきた岩瀬町の古い町並みのスムシコ(簀虫籠)を思い出させるような廊下です。
-
「Animal 2017」三沢厚彦
「富山県美術館」には2016年の建設段階から制作を依頼し、屋外広場に恒久設置されている三沢厚彦の作品があります。 -
表はすでに薄暗くなってきていますが、白熊には照明が当たっているのでかえって作品が浮き上がって見えるようです。
-
3体のクマのサイズは大中小と違っていますが、さらに手の形もそれぞれ違いがあります。
-
手の形の違いにはどんな意味があるのでしょうか。肉球に触ってみたい衝動を押さえます。
-
3体は美術館の建物に対峙して置かれているように思えました。
-
屋外にありながら真白なままの姿を観るとどなたか苦労して現状維持されているのではないかと思います。
-
建物の中の白熊はさらに大きく、肉球の色もちがっています。表のクマたちと向かい合うように置かれてあります。
-
ちょっとダウンを着た妻の後ろ姿を思い出します。
-
そろそろ時間切れと思い出口に向かいながら屋上の庭園を観ていなかったことに気が付いて戻ることにします。
-
屋上庭園「オノマトペの屋上」に出てみるとすでに薄暗くなっていました。オノマトペとは音や動作、感情などを言葉で模倣して表現することです。フランス語の「onomatopée」に由来し、日本語では「擬音語」と「擬態語」の総称として使われます。
-
「つるつる」の作品を観ていると以前担当した池袋西武の屋上庭園のことを思い出しました。全体をまとめるのも大変でしたが、3台入れた遊具も最後までもめることになりました。回転させられる遊具は外側につかまっていた子供さんが振り落とされたりすることが多く、回転できないように固定するのも大変でした。60歳で離職したのでその後については分かりませんが、ヨドバシの建物になってしまって植栽も枯れたままになっているようです。
-
「ぶりぶり」は子供が大好きなアレですね。この姿は数時間後に寿司屋で再会することになりました。
-
ヨーロッパのクリスマスマーケットに行くとこんなデザインのキノコのお菓子が売っていたりします。次の旅は2週間後のドイツのクリスマスマーケット巡りですが、久し振りのドイツなので楽しみです。
-
午後5時に妻と富山駅で待ち合わせしていますが、すでに午後4時40分になっています。駆け足で駅に向かいますが、64歳にもなって何やってんだろうという気もしてきます。
富山駅 駅
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2025富山の旅
-
前の旅行記
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(3)富山ぶりかにバスに乗って新湊きっときと市場で高志の紅ガニを食...
2025/11/28~
富山市
-
次の旅行記
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(5)市電に乗ってガラス美術館を見学し、総栄通りの銀兆で富山のきと...
2025/11/28~
富山市
-
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(1)コスパ最高のフリーツアーで富山岩瀬町を目指す。
2025/11/27~
富山市
-
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(2)冬の富山の食と酒を堪能するために、岩瀬町のKoboと沙石と磯...
2025/11/27~
富山市
-
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(3)富山ぶりかにバスに乗って新湊きっときと市場で高志の紅ガニを食...
2025/11/28~
富山市
-
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(4)富岩運河環水公園から富山県美術館の椅子のコレクションに自らの...
2025/11/28~
富山市
-
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(5)市電に乗ってガラス美術館を見学し、総栄通りの銀兆で富山のきと...
2025/11/28~
富山市
-
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(6)あいの風とやま鉄道で高岡を経由し、福光駅前で自転車を借りて福...
2025/11/29~
小矢部・福光・城端
-
トラピックス 富山湾の恵みを味わう 3日間(7)棟方志功記念館「愛染苑」「鯉雨画斎」を見学し、新幹線で富山の...
2025/11/29~
小矢部・福光・城端
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
富山市(富山) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2025富山の旅
0
84