2021/06/17 - 2021/06/17
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kojikojiさん
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平日のお昼前に妻と待ち合わせして池袋でお昼を食べて、その後に自由学園明日館の見学に行くことにしました。以前は年間の限られた一定期間だけの公開で、事前の予約も必要だったと思いますが、久しぶりにホームページを覗いてみると、予約の必要も無くなっていました。午後2時から係員さんの説明もあるので、タイミングを合わせることにしました。お昼はメトロポリタンホテルの中華で冷やし中華でもと考えていましたが、満席の上に値段も2,000円以上するので諦めました。ということでホテルの隣にあるブルーオーシャングリルというイタリアンの店に入りました。平日のランチタイムでしたが、程よい混み具合で、アンティパスト盛り合わせ付きのパスタセットを注文しました。ホテルで食事する1人分で済んだのは嬉しい誤算です。自由学園の建物は以前池袋から自宅まで歩いて帰っていた頃の最短ルート上にあったので毎日のように通っていましたが、見学するのは初めてでした。また、なぜこのタイミングかというと緊急事態宣言終了後の7月の旅行で名古屋へ行く予定があり、50年振りに明治村へ行くことにしていたからです。1970年の夏休みの2回目の大阪万博の帰りに家族で犬山城と共に立ち寄りました。フランク・ロイド・ライトの設計した帝国ホテルは1970年に営業が終わり、1974年に移築が完成されているので、その時は見る事が出来ませんでしたが、1970年を遡る5年前に家族で帝国ホテルに行った事がありました。また、ヨドコウ迎賓館も30年ほど前に神戸に西武百貨店をオープンさせる長期出張中に行ったことがありました。これで日本に現存するライトの設計は制覇することになります。見学はお茶とお菓子付きの800円の物にしましたが、生徒たちが食事をした食堂の空間でお茶とお菓子が楽しめるので、絶対にこちらの方がおすすめです。午後2時からの40分ほどの学園と建築のレクチャーも勉強になったので、これに合わせていくのも良いと思います。次の機会があれば夜間の見学にも行ってみたいと思いました。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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池袋駅で妻と合流して西口のメトロポリタンホテルに向かいました。一昨年のトルコの旅行でイスタンブールのシルケジ駅の「オリエント・エクスプレス」というレストランで食事をした帰りに、このホテルの2階の「オリエント・エクスプレス」というバーにも立ち寄りました。
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昨年の暮れの石垣島の旅行では空港までの往復ともにこのホテルからのリムジンバスを利用しました。開業時から何度となく利用した思い出のあるホテルですが、残念ながら宿泊したことはありません。
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ホテル内のレストランで食事をするつもりではいましたが、意外にどこも満席なのと、平時に妻とお昼を食べるにはちょっといいお値段なのでホテルの隣の「ブルー・オーシャン・グリル」というイタリアンにしました。
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平日のパスタランチが950円で、アンティパスト盛り合わせをつけても1,050円で、コーヒーと紅茶のホットとアイスがフリードリンクです。パンが食べ放題なのもよいです。
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アンティパスト盛り合わせは追加100円なので頼まないのは損ですね。野菜スティックのピンツィモーニオとマグロのマリネとトルティージャとサラミとクリーミーなポテトサラダ。どれもドレッシングやソースの味が違って美味しかったです。
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イカとマッシュルームとフレッシュトマトのアーリオ・オーリオ。いかがたっぷりなのが嬉しいですが、個人的には少し塩味が足りない感じがしました。量は十分に多かったですが、大盛りも出来るようです。
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妻はナスのたっぷり入ったトマトソースのパスタです。こちらの方が量も多くて、マスカルポーネまで乗ってるので途中で「少し食べてみない?」とおすそ分けがあると高を括っていましたが、ぺろりと全部食べられてしまいました。
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料理が美味しかったので追加130円のデザートも注文しましたが、濃厚なカシスのジェラートが美味しいシリアルの上に乗っています。最後に熱いコーヒーもいただいて、これで1,200円ならコスパはいいと思いました。
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池袋駅方面から向かうとまずは婦人之友の社屋があります。見た瞬間に由緒ある建物で名のある建築家の作品だと感じます。建築家の遠藤楽はフランク・ロイド・ライトの右腕と呼ばれた父の遠藤新が多くを設計した自由学園の南沢キャンパスで学んでいます。
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目白ケ丘教会などの設計や施工を通じて父である遠藤新に建築を学び、父の死後はタリアセンでフランク・ロイド・ライトに学ぶことを望み、1957年に渡米します。フランク・ロイド・ライトの最後の日本人の弟子となり、自然界に対する観察と思考の方法を学んでいます。
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さてその社屋の脇の通りを挟んだ場所に自由学園明日館のエントランスがあります。10年くらい見学するタイミングを逸していましたが、ようやくここまでたどり着きました。
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エントランスの事務室がすでに重要文化財の一部です。入場料は500円で、飲み物と焼き菓子の付いた800円のチケットがおすすめです。
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最初に婦人之友社の社屋の裏手にある講堂を見学しましたが、本館である明日館の建物から紹介します。
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季節的にも暑くも無い6月の晴れた日でよかったです。
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今まで数十回と桜の木越しに表の通りから眺めていた敷地内に入れて感無量です。
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入口の事務所側から見学を始めます。まずは婦人之友社の展示室がありました。午後2時からの建物ガイドでは約40分に渡り婦人之友社と明日館についての説明がありますが、これを聞いておくとライトの建築だけではない側面が見えてくるので有意義な説明でした。
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婦人之友社は元々共に報知新聞社に勤めていた羽仁吉一と日本初のジャーナリストの松岡もと子が職場結婚して、後に立ち上げたのが女性雑誌「家庭之友」です。羽仁吉一とは再婚で6歳年上だったそうです。
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1908年に羽仁夫妻が独自に出版していた雑誌「家庭女学講義」を「婦人之友」へと改題し、同時に婦人之友社設立しています。1921年(大正10年)に読者の子への家庭的な教育を目指して、女学校としてこの地に自由学園を創立します。今年は創立100周年という年でした。
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芝生の中には立ち入れませんが、排水用のグレーチングが設けてあるので、その上を歩いて正面に回っています。雑誌社の撮影があって右手から建物の中には入れませんでした。
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元々はプレイリースタイル(草原様式 Prairie Style)と呼ばれる水平線が強調された建物だったのですが、周辺にはビルが建ってしまってその良さを感じるのは難しいと思います。
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左手にある公開講座の受付側に回ってみます。ここから続く2つの小教室は講義中で内部の見学は出来ませんでした。部屋の名前はマニャーナとドマーニでした。マニャーナはスペイン語で、ドマーニはイタリア語でどちらも「明日」の意味があります。これはこの学園の教育理念に通じるのだろうかと思いました。
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きれいな芝生と同じレベルに大谷石が敷き詰められています。そして同じ床レベルで建物の中まで続いているのが分かります。
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池袋駅方面を見ると新しいダイヤゲート池袋の構造ビルが良く見えました。
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左右対称となったコーナー部分には同じデザインの照明が置かれてあります。
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芝生と同じレベルの大谷石の床は建物の礎石部分へとつながっています。フランク・ロイド・ライトが帝国ホテルの設計時に提示された総工費は150万円で、現在の価格に置き換えると150億円くらいだそうです。それに対してこの学校の建設費用は6000円だったそうです。
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つまり現在の価値で6,600万円が予算だったそうです。そのために帝国ホテルで使用した大谷石の端材を転用したそうです。
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最終的に帝国ホテルの仕事は900万円まで予算がオーバーしてライトは解雇されてしまいます。150億円が900億円では納得いく気もします。ライトはここで得た設計費で膨大な浮世絵を購入して、アメリカに戻ってから展覧会を催したそうです。
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羽仁夫妻は1909年に生まれた三女の恵子が小学生の頃に、娘のために良い学校が欲しいと思うようになり、1921年に小学校を卒業する年に合わせて自由学園を創立します。
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1921年の1月に目白の教会で一緒だったクリスチャンの遠藤新(えんどう あらた)に学園の建設を相談し、当時帝国ホテルの設計で来日していたフランク・ロイド・ライトを紹介されます。
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紹介されたライトが予算も無い新しい学園の設計を引き受けた理由には同じ教育理念を持った叔母の存在があったそうです。叔母たちが運営する学校として設計した「ヒルサイドホームスクール」の体育館を劇場として1933年に改装した際にライトは天井から吊るすための照明をデザインしています。1952年に劇場が焼失して再建された時にはそのペンダント照明を元にしてフロアランプも製作されています。
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この建物の中央部の吹き抜けの上にはミニミュージアムがあり、そこにタルセリアン2と呼ばれるこの照明が展示してありました。
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建物の中に入りました。この建物の中には水平線と垂直線と屋根の勾配と同じ斜めのラインの3種類しか存在しません。すべてがその組み合わせで構成されていますが、唯一食堂だった現在の喫茶室の開口部を改修した際に遠藤新は師匠の残した窓枠を捨てることが出来ずに45度の窓に直して再利用しています。
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中央のホールとその左右の廊下は階段3段分床が上がっています。子供の頃の木造校舎を思い出すような懐かしさがあります。
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表の芝生と同じ床レベルで同一素材の大谷石が大教室の廊下まで続いています。建物の維持管理のために足ふきマットが敷かれてしまっているのが残念です。突き当りの会議室1921で午後2時間から職員の方の建物ガイドがありました。
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中欧のホールに到着しました。表からも分かる建物の中心部にある切妻の美しい屋根の内側です。窓ガラスに施された衣装がすべて屋根の勾配と同じことが良く分かります。
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そしてグーグルマップで確認すると分かりやすいですが、ほぼ真南に向かってこの巨大は開口部は設けてあります。見学した日は我々以外には5人ほどの方が見学に見えていましたが、誰もいない空間を2人締め出来ました。
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現在はきれいや板ガラスが嵌め込まれていますが、建設当時はもっと柔らかみのある歪みのあるガラスだったのではないでしょうか。
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ホールの西側の壁面にはフレスコ画が描かれています。この壁画は自由学園の創立10周年に卒業生と在校生の有志によって描かれたそうです。10周年を記念して選ばれた旧約聖書出エジプト記の一節「エホバ彼らの前に往きたまい、昼は雲の柱をもて彼らを導き、夜は火の柱をもて彼らを照らして、昼夜往き進ましめ給う」をテーマにしています。
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出エジプト記の言葉がヘブライ語で描かれています。このフレスコ画は長い間上塗りされて埋もれていたそうです。1999年の修復のための解体工事の最中に発見されたそうです。太平洋戦争中はこの建物は接収されて陸軍が使用していたそうです。昭和初期には軍部が擡頭すると、軍国主義のイデオロギーとして国家神道が利用されるようになり神道以外の宗教団体への圧力が強くなります。
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1936年の日独防共協定の締結などナチス・ドイツへの接近が強まっていくと、当時のドイツではナチズムと「アーリアン学説」の広まりを背景として、キリスト教はユダヤ教と同じセム系一神教(アブラハムの宗教)であることを理由として、厳しい統制を受けます。そのような時代背景においてこの壁画が塗り込められたと思うと悲しいことです。
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チャールトン・ヘストンとユル・ブリンナー、アン・バクスターなどが出演する「十戒」という映画を思い出します。聖書に書かれている紅海が割れ、その中をモーセなど出エジプトの民が海の中を進むクライマックスシーンはあまりに有名です。若い頃京都の祖母のところに遊びに行った際にテレビで放送されていたのを2人で見ていると「あたしはこの映画の海が割れるところが好きや。」と言っていたのを思い出しました。
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創立10周年の前に描いている写真が残されていたようで、額に入れられて飾られていました。
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この像は自由学園の「思想しつつ、生活しつつ、祈りつつ(Thinking,Living,Praying)」のモットーを3人の女学生が体現しています。
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1931年の昭和6年に創立10周年を記念して生徒が制作したそうです。
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単純にフランク・ロイド・ライトが設計した建物という一面で見学してはいけないなと感じます。
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ホールの北側は2段になり、食堂から上がれる上のフロアはミニミュージアムになっています。廊下と同じ天井の高さになっているのはホール南側の解放感を感じさせるための装置になっているそうです。この建築を体感するにはその当時の少女の視線になって見てくださいという係員の方の説明が印象に残りました。
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ここに並ぶ椅子のデザインが誰であるかは確定されていないそうですが、遠藤新だと言われているそうです。食堂の椅子もそうですが、座面や背板が分かれたデザインは当時の既製品の木材の規格に合わせたそうです。つまりローコストの発想だそうです。
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この建物には4か所と講堂に1か所の5つの暖炉があるそうです。公開講座などがあると全部を見ることが出来ないそうです。
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後で気が付きましたが、この暖炉と背中合わせになった食堂の暖炉は同じ煙突で繋がっているのだと思います。ただ、外観を見ている限りでは煙突を確認することは出来ませんでした。
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暖炉は消防署に届出をして年に数回実際に火を入れることがあるそうです。その時にまた見学してみたいものです。ちなみに所轄の池袋消防署まで100メートルほどしか離れていません。
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低い天井は2本の大谷石の柱で支えられています。北側は暗くなるので行灯のような照明が設けられています。ライトは照明などに日本の意匠を取り入れてはいないといったそうですが、係員の方の説明ではすべて行灯の要素が感じられるということでした。
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午後2時前に一番奥の1921という名前の付いた会議室に向かいました。ここで職員の方から自由学園の成り立ちからライトの建築までについて40分ほどの説明があります。
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窓からは西側の公開講座の催される小教室が2部屋と突き当りに受付が見えます。
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部屋の入口には木製の意匠が残されています。また、床は表の芝生と同じレベルになっています。1921年の1月にライトに依頼された設計は同年4月に開校までこぎつけますが突貫工事だったようで、後年になっての解体修復で床板を剥がすと下地組は無くて土が出て来たそうです。
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ただ、現在の建物すべてが完成したわけでは無くこの1921号室1室だけだったそうです。さらに内装は完成されてはおらず、壁は下地の板張りのままで左官はされていませんでした。そんな開校時の写真が残されていました。
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開校当時の2人用の木製机と椅子が置かれてありました。この机を少し大きくして中仕切りを入れれば、自分が使っていた学校の机と同じだなと感じました。机の横にフックがあったななどと思い出してみます。椅子のデザインもほとんど同じで背もたれにランドセルを掛けていました。
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密にならないように窓は開け放れていました。
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廊下からホール側を望むと廊下が途中で3段ほど上がっているのが分かりました。
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表の地面の高さが建物の中まで続いているのが驚きです。現在は排水の機能が設けられていますが、当時は雨水が流れ込まなかったのでしょうか。
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ホールの脇の出入り口も表から大谷石の敷石が続いていることが分かります。そして扉の枠のデザインも違うのが分かります。
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ホール横の天井にはトップライトの明り取りがあります。この枠にも意匠が凝らされています。下る階段はトイレと元々は厨房があった場所だと思います。階段を半フロア登ると食堂(現在は喫茶室)になります。
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木製の扉は採光のために開口部が大きく、当時のガラスの強度を考えると割れたり事故は無かったのだろうかと心配になります。
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建築ガイドの説明を受けた後にもう一度館内を見学してみます。
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ホールの大谷石の柱と行灯風の照明を見直してみます。
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何となくですが上高地の帝国ホテルの内装を思い出しました。設計した高橋貞太郎は帝国ホテルの新本館も設計しているので、もしかするとオマージュ的なものもあったのだろうかと勝手に想像してしまいます。
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説明を受けた後だと暖炉も違って見えてきます。
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ホールを抜けた廊下から東側を望みます。途中で木製の床から3段下がって大谷石の床が続きます。天井のトップライトは反対側と同じデザインです。
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ホール横の入口も反対側と同じデザインです。
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エントランスのお花は谷中のププラモスのもので、こちらで講座を設けているようです。トルコキキョウとアルストロメリアとスプレーマムと梅花ツツジとリモニュームのアレンジです。
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ホールを挟んだ反対側も半地下に降りる階段と半フロアあがる階段があります。
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段差のあるホール部分にも木製の扉が設けてありました。
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廊下の北側は当然暗くなるので、採光を考えられてそのほとんどが開口になっています。
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大教室の「タリアセン」はオカリナの講習会があり、館内に優しい音色が流れていてよかったです。ただ室内は見学出来ないのでもう1つの「としま」を見学します。「タリアセン」とは建築家フランク・ロイド・ライトが設計し弟子たちとともに建設した設計工房および共同生活のための建築群を指します。
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黒板が設けられていなければ教室とは思えないデザインです。
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南側が全面開口になっているのでボールタイプのペンダント照明3灯くらいでも十分な照度が取れています。
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芝生に反射した太陽光線が教室の天井まで差し込んでいる気がしました。
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教室の後ろにある棚は子供の頃の木造教室を思い出して懐かしく感じます。
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館内側の木製扉はこげ茶色ですが、表に面する側はグリーンと白いパイピングで縁取られています。これが100年前のデザインと思わせる軽やかな印象を受けます。天井にはほとんど照明器具が無いのに明るさも十分です。
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内外装で使用されている色は木部のこげ茶とベージュとグリーンです。これは樹木の色と枯れた芝生と芝生や木々の緑に由来するそうです。青々と茂った芝生に建物が映える季節ですが、冬の枯れた芝にも映えるように考えられているそうです。
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エントランスホールから階段を下った半地下のレベルから振り返ってみます。会談は6段なので1メートルほどの差異があります。
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階段の途中からなので子供の視線の高さから眺めるとこんな風に表情が変わります。
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最後に喫茶券を持って中2階に当たるホールの暖土路裏側の食堂にあがります。
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ここには印象的な木製の照明器具がいくつも吊り下げられています。
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ホールの暖炉の裏側に同じようなデザインの大谷石で出来た暖炉があります。
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フランスのロワール渓谷の古城を十数か所まわった時はそれぞれの城に生花がふんだんに生けられ、暖炉には薪がくべられて火がついていて感動したことがあります。そんなことを思い出す明日館です。
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本来この部分に出っ張った座席は無かったそうです。元々1学年でスタートした学園はどんどん生徒が増えて食堂も手狭になったそうです。そこで遠藤新がデザインして両ウイングを増築したそうです。元々は大きなガラス窓の開口だったそうですが、ライトの設計した窓を弟子の遠藤新が撤去するのを躊躇い、増築部の窓に転用したそうです。90度回転させて使用したので、この窓だけ屋根の勾配とは違った角度になっています。
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我々以外に見学されていた7名くらいの方もお茶を楽しんでいました。
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本来はちゃんとしたコップやカップでサービスされるそうですが、コロナ禍で使い捨てのカップになっていました。焼き菓子も美味しかったです。コースターには「明日館100周年」と書かれてありました。
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反対側のウイングもシンメトリーのデザインです。
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天井に吊られた照明器具を横から見てみます。天井からの振れ止めも屋根の勾配に合わせているのが分かります。
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勿体ないくらいに平日の午後はお客さんが少ないです。
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テーブルや椅子に使われた四角い色のついた意匠は、ライトのお気に入りの色「チェロキーレッド」が施されています。四角い赤はライトのマークでもあり、事務所の図面の承認印としても使われています。係員の方のお話では日本画や版画収集の趣味があり、ライトなりの落款を意味しているとのことでした。
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この椅子のデザインは遠藤新だそうですが、学園の子供たちからの依頼で椅子を制作したそうです。予算が限られているので当時の規格サイズの板幅や厚みを利用できるようにデザインしたそうです。
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お茶を飲んだ後は食堂の暖炉の裏側になる半フロアあがったミニミュージアムも見てみます。ここには帝国ホテルで使われた煉瓦が置かれてありました。2021年5月放送の「なんでも鑑定団」ではこのタイプの煉瓦の出隅タイプの物に2,500,000円という値段がついていました。
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このスペースは建物の中央部にあるホールの2階に当たるのが分かります。
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左右対称に大矢石の腰部に乗った柱の意匠と組み込まれた照明のデザインが素晴らしいです。
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ここからの眺めが個人的には一番好きです。
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見学されている人がほんの少しいらしたのもよかったです。学校の建物ですから誰もいないのは寂しいです。いつもまにかオカリナの音も止んでいました。
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竣工時に出来上がっていたのは左奥の角の部屋だけで、開校してからも工事は続けられました。正面側と左側のウイングはライトの設計ですが、右側のウイングは遠藤新の設計になるそうです。
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ホールには2名の見学の方が大窓を眺めていました。
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印象に残る後ろ姿でした。
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お待たせしました。
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長年の念願が叶った見学が出来ました。
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パリ市内16区のル・コルビュジエの設計したラ・ロッシュ邸の見学の後やバルセロナにあるミース・ファン・デル・ローエの設計したバルセロナ・パヴィリオンを見学した後のような爽快な気分です。
ラ・ロッシュ邸 https://4travel.jp/travelogue/10623037
バルセロナ・パヴィリオン https://4travel.jp/travelogue/11361629 -
屋根を低く抑えた建物が地面に水平に伸び広がる設計手法をフランク・ロイド・ライトはプレーリースタイル(草原様式)と呼びました。その手法が目指したのは建物の形を四角い箱から開放し、外部の空間とつなげることだったそうです。
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それまで外壁の一方をふさいでいた暖炉と煙突を構造体として建物の中心に据えることで、東西南北全てに向けて窓が作れるようにしました。そんなことを知ってからこの建物を見るとなるほどと思えることがたくさんあります。
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表からホールの大窓を見ると使われている斜線の角度が1つだけであるという事が分かります。オカリナの音を聞いていたせいか五線紙のようにも見えてきました。
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周囲の高層ビルが無ければよいのにと思います。外観のディティールを望遠レンズで何枚か写真に撮ってみます。
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学生時代に学校で学んだ「モジュール」という言葉が浮かんできます。
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不必要な周囲の建物を切り取ってしまうとロイドや遠藤新の設計意図がよりよく分かる気がします。
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瓦棒葺き屋根も必要以上に芯木を設けているように思えます。この屋根はつなぎ目が少ないため雨漏りに強く、一寸勾配と呼ばれる緩やかな傾斜角度でも施工可能なのと、費用も安くて済むので取り入れたのだろうと想像します。
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左右のウイングの角には大谷石の基壇と組み合わされた照明があります。
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ここにも同じ角度が踏襲されています。
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ホール内部の壁はフラットなので屋根を支える柱は全て外部に露出しています。その幅と奥行きが同じなので軽やかな印象を持たせます。
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本館の見学を終えて通りを挟んだ講堂の見学に移ります。こちらは完全に遠藤新の設計になりますが、明日館の設計コンセプトは引き継がれています。
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こちらは大谷石の腰壁が巡らされています。昔は近所にも大谷石の塀があったので個人住宅のような印象を受けます。
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外壁面の開口の窓は本館と同じ勾配の斜線が取り入れられています。講堂には本館で使われたグリーンは全くありません。
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本館のホールの外側を思い出させる柱の連続です。
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この最上階は物見台のようになっていました。
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また少しデザインが変わった扉があります。
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窓だけの場合はまた少しデザインが違います。
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エントランスの巨大なキャノピーの下に入ると、何となく守られているような気持ちになれます。
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本館と同じデザインの行灯のような照明がありました。乳半のアクリル画安っぽいですが、当初はすりガラスが嵌められていたのでしょう。
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キャノピーの部分で10センチほど1段上がっていますが、そこから講堂の内部にかけてはフラットな床が続きます。出入り口の扉や埋め込まれた天井の照明も同じデザインが踏襲されています。
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講堂の内部にも大谷石が用いられていますが、直接手に触れることが多いので、表面はなめらかに削られています。
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講堂の中心部は生徒が座る席だったのだと思います。天井の低くなった左右の側廊のような脇桟敷は学校の先生が座ったのでしょうか。その部分は1段高くなって全体が見渡せるようになっています。
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遠藤新はクリスチャンだった羽仁夫妻と教会で知り合っているのでクリスチャンだったのでしょうか。自由学園の教育理念に基づいての設計がなされたと思いますが、初めて講堂に入った印象は西洋の教会建築で感じるものと同じで、澳門やマレーシアやヴェトナムの教会を思い出しました。
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置かれた長椅子の形からも教会建築を想像したのかもしれません。
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シンプルなデザインが連続する美しさを感じます。
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北側の窓から明るい太陽光線が差し込むのに驚きました。
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照明は全部消されていましたが、驚くほど明るいです。
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保存修理工事についての説明などキャプションがいろいろ並んでいました。
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この図面が一番分かりやすいです。下段の平面図の右上に色の変わった小さい部屋があります。
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その部屋には2つの扉が設けられています。
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この部屋は物置きとして使われ、埋め込まれていたそうです。改修工事にあたりベニヤ板を剥がすと竣工当時のトイレがそのまま出て来たそうです。
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現代であれば壁側を背にして座りますが、この当時が逆に使われていたそうです。そのためにトイレットペーパーのホルダーの位置が誤って取り付けられています。
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隣の扉を開けると同じような小部屋があり、小便器からも男性用がこちらだと分かります。
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多分本館と講堂は同じ角度で屋根が設けられていると思います。
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本館のホールの窓を感じさせるデザインが2階のギャラリー席に設けられています。
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ギャラリー席からは講堂の全体が見渡せます。
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4か所に設けられた照明器具も美しいデザインです。
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塔屋へ上がる階段です。途中の扉からは小屋裏に入れますが、見学部分からは外れています。
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塔屋の見晴らし台です。高層ビルが建っていなかった頃は眺めが良かったのだと思います。
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40分の建築ガイドと20分ほどお茶を飲んで約2時間が過ぎていました。近いうちに行く名古屋の明治村への旅のプロローグが始まった気がします。秋に大阪へ行く際には芦屋まで足を延ばしてヨドコウ迎賓館を再訪したい気持ちにもなりました。
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この旅行記へのコメント (2)
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- belleduneさん 2021/06/24 09:51:06
- 自由学園で、建築史:
- kojikojiさん、自由学園を見学されたんですね。もし、通学が可能でしたら、是非建築史の授業を受講されることをお勧めします。私は6年位前から西洋建築史、日本建築史などの授業を受けています、今年からZoomでの受講も可能になりましたが、この教室で講義を聴くのは格別のものです。現在は、工学院大学の准教授に西洋建築史を古代ギリシャから始まり、現在は新古典主義までやってきました。なかなか興味深い時間です。またお邪魔します。
- kojikojiさん からの返信 2021/06/24 11:28:47
- Re: 自由学園で、建築史:
- belleduneさん
旅行記にお立ち寄りいただきありがとうございます。見学の際に公開講座のパンフレットはいただいてきました。いろいろ面白そうな講座があるので感心していました。私も今年でリタイアするので、好きな旅行以外でも何かしなければとは感じています。建築やその内装やデザインについては40年ほど仕事していたので、旅行もそんなところが主になっています。ご興味似合う旅行記もあるかもしれませんのでお時間がありましたらまたお立ち寄りください。ありがとうございます。
KojiKoji
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