2025/11/29 - 2025/11/29
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kojikojiさん
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この旅行記のスケジュール
2025/11/29
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自転車の前かご一杯になった氷見の冷凍された干物を持って「棟方志功旧居鯉雨画斎(りうがさい)」に向かいます。まずは「愛染苑」に向かい入場料をお支払いします。そして荷物を預かっていただけないか話すと事務室に通してくださいました。自転車のヘルメットとバックをソファーに置かせてもらい、干物のことを話すと快く冷蔵庫に入れてくださいました。身軽になって、まずは展示室に並ぶ棟方志功ゆかりの作品や品を見学させてもらいます。ここ数年「民藝」に強く傾注していて、閉館してしまう前の青森の「棟方志功記念館」屋翌年には「青森県立美術館」へも行き、益子の「濱田庄司記念益子参考館」、京都の「河井寛次郎記念館」へは何度も訪ねています。そしてどうしてもそれらの作品が欲しくなり、河井寛次郎や濱田庄司の作品も買い求めるようになりました。今年に至っては棟方志功の板画と倭絵を手に入れたこともあり、この福光の地へ来なければと考えていました。案内人の方による棟方志功の旧居である「鯉雨画斎(りうがさい)」を見学させていただくと感慨深いものがありました。帰りの列車の時間もあり、早々に事務所に戻り、お礼を言って荷物を受け取ると係の方が柿をいくつか妻にくださいました。旅先の小さな出会いは本当に心に残ります。駅のロータリーまで自転車で戻ると福光タクシーの女性は「大丈夫でしたか?」と事務所から出てきて心配そうです。もしかしたら転倒したのを見てらしたのかもしれません。駅員さんも気さくな方で、我々が列車に乗るのを見送ってくださいました。この日は行きの高岡駅の特別列車の車掌が感じの悪い人だったのですがそれ以外の出会った方々のおかげで楽しい思い出になりました。富山駅に戻った後は「アルビス・エスタ店」に寄って昆布締めやべっこうなど富山の郷土の味を買い求め、ホテルに戻って荷物を受け取って再び駅に戻ります。車内で食べる鱒ずしと刺身などを「順風屋」、「白えび亭」で白えびのから揚げを揚げてもらいました。たくさんの富山の味を新幹線の車内で楽しみながら東京へ戻りました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 自転車 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
「道の駅 福光」に寄り道して前かご一杯の干物を持って棟方志功記念館「愛染苑」「鯉雨画斎」に向かいます。
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枝が折れそうなほどに実った柿が青空に映えます。
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思っていたよりも時間が押していますが、何とか「棟方志功記念館 愛染苑」に到着しました。まずはこちらの見学から始めますが、荷物が一杯です。受付の女性に話しをすると事務室でリュックやヘルメットを預かってもらえました。事務所はストーブに火が入り温かく、「干物があるのですが…。」と相談すると冷蔵庫に入れてくれました。
棟方志功記念館「愛染苑」 美術館・博物館
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「流離抄板画柵 深々の柵(ふかぶかのさく)」棟方志功
「大雪となりし高志路しづけさは 深々として切なかりけり」
伯爵を返上したといえ華族育ちで京都での生活の長かった吉井が北陸の片田舎にやって来たのは大雪の年でした。雅に慣れた目には八尾は鄙に見えて寂しかったのでしょうね。 -
「鐘渓頌 落葉の柵」棟方志功
こちらは「福光美術館」の分館なので同じ作品シリーズが展示してありました。こじんまりとした展示室ですが、青森の「棟方志功記念館」の雰囲気を感じました。 -
「女人観世音板画巻」棟方志功
棟方志功は戦前に「女人芸術」創刊号の扉を飾った岡本かの子の詩「女人ぼさつ」を読んで、女人にひそむ愛憐の詩としてこの詩を長く愛誦し、昭和24年になって「女人観世音板画巻」8柵、 題字などを加え12柵を制作しました。 -
棟方志功にとって長い間あたためられてきたテーマで、ほとんど丸刀だけで制作した技法の上でも新天地を開いた作品です。昭和27年のスイスのルガノ版画展で優秀賞を受賞した作品です。
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「女人観世音板画巻」はその後晩年にいたるまで何度か摺られ、彩色され、それぞれその時代の棟方がもつ色彩の変化をよく示しています。ここの屏風には裏彩色の無いシンプルな美しさを感じます。
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薔薇見れば薔薇の笑ひ
牡丹に逢はば牡丹の威
あやめの色の優しきに優しく
女人われこそ観世音ぼさつ
柳絮直ければ即ち直く -
松厳しければわれも厳し
杉潔きに はた潔く
女人われこそ観世音ぼさつ
そよ風にそよとし吹かれ
時にはた心浮雲 -
足裏の土踏む力
女人われこそ観世音ぼさつ
人のかなしみ時には担ひ
よろこびを人に送りて
みづからを空しくはする
女人われこそ観世音ぼさつ -
ぼさつ ぼさつ 観世音
千変万化
円融無碍もて世を救ふ
女人われこそ実に観世音
岡本かの子は「観音経を語る」の著書もあるほど、観音経を愛誦し、研究していました。岡本太郎とかの子についてもう少し学ばなければと感じます。 -
「瘋癲老人日記板画柵 颯子の柵」棟方志功
谷崎潤一郎の「瘋癲老人日記(ふうてんろうじんにっき)」の息子の嫁の颯子はこんなだったのかとイメージできました。息子の嫁に性欲を覚える老人は谷崎自身だったことを思い出しました。 -
「鍵板画昨 大首」棟方志功
谷崎潤一郎は自身の著作物の装丁や挿画に並々ならぬこだわりを持ったことで知られていますが、志功はその谷崎に最も好かれた画家で装丁家のひとりだったといわれています。 -
谷崎潤一郎の作品は「陰翳礼讃」しか読んだことが無く、それ以外の作品は映画で幾つかを見ただけにとどまっています。いろいろな作家の全集をタブレットに落としただけで終わっているという情けない体たらくです。
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民芸運動の柳宗悦と河井寛次郎と浜田庄司についても紹介されていました。河井寛次郎は母方の祖父や大叔父たちが京都の陶芸家だということもあり、昔から好きな作家でした。浜田庄司やバーナード・リーチ、金城次郎と気が付いたらたくさんの陶器がまた増えてしまいました。
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「薔薇」棟方志功
志功は幼い頃より絵を描くことを好み、ほぼ独学で油彩画を手がけるようになります。18歳の時に文芸誌「白樺」に掲載されたゴッホの「向日葵」を見て感銘を受け、油彩画家を志します。志功はゴッホになれたのだろうか。 -
「城端別院太鼓堂の柵」棟方志功
太鼓堂は城端城主荒木大膳の居城の遺構であると伝えられ、元亀3年の1572年に善?寺の式台の前に建てられたとされています。福光の町にあるべき作品だと感じます。 -
「武者小路実篤の詞の柵」棟方志功
「この道より我を生かす道なし この道を歩く」は武者小路実篤が遺した言葉の中でもとりわけ有名なものの1つです。実篤は90歳で生涯を終えるまで「この道」の書画を繰り返し描いていたといいます。 -
「色絵匣 牡丹模様」棟方志功
志功が益子町の佐久間藤太郎の窯で描いた大皿を「青森県立美術館」で観たことがありますが、皿の見事さにも負けない箱に描かれた絵も魅力的でした。 -
「色紙匣 三妃乾坤一草楼」棟方志功
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「色紙匣 七宝繋文様文匣」棟方志功
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「若林珙石宛の志功の手紙」
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志功の使ったバレンも展示してあります。バレンを最後に使ったのは小学生の図工の時間だったなと思います。老後には絵を描くなり何か趣味を持とうと思いながら何もやっていない自分がいます。
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「華厳韻 箱書」棟方志功
「華厳(けごん)」とは仏教における概念で、多くの修行や功徳を積んで仏になることを指します。「華厳」の「華」は「雑華厳浄(ざっけごんじょう)」を省略した形です。これは自然界の様々な花がそれぞれ美しく咲き、世界を飾るように、1人1人が輝ける花となって世の中を美しく飾っていこうという思想を表しています。 -
「詩人柳井三千比呂氏の詩を語る会ポスター」棟方志功
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「辛夷福光支部発開紀年句談會ポスター」棟方志功
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「志功坐像」永原廣
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「鍵」谷崎潤一郎
昭和31年の1956年に中央公論に発表のあと、4か月の休載を経て12月完結し、同年中央公論社から単行本として刊行されました。装丁と挿絵は棟方志功が手掛けています。 -
「木版画 年賀状」棟方志功
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手書きの年賀状よりは木版画の方が欲しいと思った人は多かったのではないでしょうか。
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自宅に掲げていた看板には「日本藝業院 日本板画院」と墨書きされています。
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自宅に掲げられた看板は何枚もあったようです。
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「マイヨール會」
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「火の願ひ板画柵 扉の柵」
これは戦後間もなく福光で造られた作品です。志功の得意とする言葉と絵の組み合わさった作品ですが、言葉は河井寛次郎が書いています。「はだかはたらく 仕事すっぱだか」「暮しが仕事 仕事が暮し」と「火の願ひ板画柵」の中にもみられるように仕事と生活が密着した日々でした。 -
「火の願ひ板画柵」
第2次世界大戦がはじまると、窯に火を入れられない環境が続き、仕事のできない日々となりました。寛次郎はその間、熱心に言葉を書き記しています。陶芸から離れて言葉の世界に潜り、自在に遊ぶその姿が「火の願ひ」の中に溢れています。 -
「火の願ひ板画柵」
「河井寛次郎記念館」は清水の親せき宅から近いので何度も通ったことがあります。何度通っても新しい発見があるように思えます。
河井寛次郎記念館:https://4travel.jp/travelogue/11724024 -
「火の願ひ板画柵」
美の正体を探し求めると家の中にいろいろな物が溜まっていくと感じています。 -
「小品板画交貼の屏風」棟方志功
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「花深處」棟方志功
志功が好んで用いた言葉に「花深処無行跡(はなふかきところぎょうせきなし)」があります。大自然の中では人の足跡などすぐに消されてしまうということです。
志功は大乗経典の「維摩経(ゆいまきょう)」の影響を受け、作品の軸にして自我を無くすことを無限の憧憬として努力した人でした。
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「美ハいのちナリ」棟方志功
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「清匠」棟方志功
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念願の志功の自宅である「鯉雨画斎」の見学に移ります。福光にある「光徳寺」の18世住職は「白樺」を愛読して柳宗悦の文章に感銘を受け、民藝運動に関わっていったようです。運動を通じて民藝の仲間達と交流し、昭和13年に河井?次郎を介して棟方と知り合います。
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以来棟方は年に何度も福光を訪れるようになり、戦争が激化する昭和20年5月には住職のはからいにより夫婦と子ども4人の一家揃って福光へ移り住みました。棟方は疎開の当初は住職の分家に間借りしていましたか?、家中と?こにて?も絵を描いてしまう創作意欲の塊のような特性か?あったようです。
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分家の家もありとあらゆるところに描いてあったようですが、戦後になって全て張り替えられてしまったようです。「鯉雨画斎(りうがさい)」は志功が初めて持った新築の住居であったため、大変喜んで家の中の板戸や柱、風呂桶やまな板の裏まで絵を描きました。
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特にトイレには天井から壁まで菩薩や天女が生き生きと描かれています。
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母方の祖母にはたくさんのことを教わりましたが、その中に烏枢沙摩明王(うすさまみょうおう)の真言がありました。烏枢沙摩明王は不浄を焼き尽くし清浄に転じる存在であると言われトイレに貼るお札にもその名前が書かれています。
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祖母からは「道端で死んでいる動物を見たらこのお経を唱えなさい。人間と動物ではお経が違うのだから。」と教わりましたが、不浄なものが孫に移らないための心遣いだったのだと後になって知りました。
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10歳ごろに教わった真言の「オン シュリマリママリ マリシュシュリ ソワカ」を三回唱える習慣は現在まで失われずにいます。
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このトイレに描かれた菩薩や天女を見ていてそんなことを思い出しました。
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シンプルな台所に据えられたタイル張りの竈は使ったことはありませんが、懐かしさを感じます。
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真言密宗大岩山日石寺の不動明王は裏鬼門に据えて睨みを利かせていたようです。我が家の玄関には倭絵の大きな「愛染明王」を据えたので同じ考えですね。
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二間続きの和室の奥には床の間と杉戸があります。
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柳宗悦が棟方志功に贈った「ドコトテ御手ノ真中ナル」という言葉は、「御手というのは神の手でも菩薩の手でも仏の手でも良い。私がどこに在るも、どこを向くも、居るその場所が御手の真中である」という意味のようです。
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納戸の杉戸には志功の手による絵が描かれています。
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鯉が滝を登り登竜門を潜って龍になるという故事を志功は自分に重ね合わせたそうです。志功にとって家の内装の仕上げ材はキャンバスに見えたのでしょうか。子供の頃に自宅の漆喰壁にクレヨンで絵を描いてしまった時のことを思い出しました。
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こちらには鯰と亀と鰻が描かれているようですが、唐草模様のようにも見えてしまいます。一気に描いたのか柱や鴨井にまで墨が飛んでいます。
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元々は庭先に置かれてあったという浜田庄司の巨大な甕が残されていました。福光を離れる際に家財は東京へ持って行ったそうですが、この甕は底が割れていたので置いて行かれたそうです。家にある浜田庄司の大皿と同じ釉薬や唐黍文を見ると嬉しくなります。
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「鯉雨画斎築成寄悦」と書かれた枕屏風がありました。この家ができた翌年の昭和22年の1947年5月17日にお祝いの会を催したそうです。
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倉敷の大原總一郎、柳宗悦くらいしか知った名前はありません。
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こちらには河井寛次郎、浜田庄司、それ以外はガイドさんお説明によると地元の民藝の愛好家や北日本新聞社の社長や魚屋の主人まで名を連ね、志功の交流の幅が広いことがうかがえます。
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囲炉裏の炉縁は欅に拭き漆を施したのでしょうか。幅といい良い味を出しています。
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茶托や湯呑みなど気になったのでガイドさんに尋ねてみましたが、民芸風のものを後に合わせて置いているということでした。アラレの美しい釜も後になってのものだそうです。
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民芸のことや関わりのあった人々のことを考えると自在鉤まで気になってしまいます。
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河井寛次郎から贈られた京都風の神棚もあります。
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イッチンで描かれた花瓶も気になりますが、これも重要ではなさそうです。
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板戸の下には「猫まど」がありました。
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釣床(つりどこ)設えも狭い和室を有効に使う手段の1つです。風呂先屏風を置けば茶室にもなります。この家を管理している方の選んだ品々のセンスの良さを感じます。
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床に掛けられた観世音菩薩は芹沢圭介のものです。静岡にある「静岡市立芹沢銈介美術館」には長年行きたいと思いながら叶わずにいる美術館の1つです。
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昭和26年の1951年のこの場所で撮られた写真には棟方夫妻の間にホトトギス派の俳人で報知新聞富山支局長の前田普羅、月間民藝の編集者式場隆三郎、北陸銀行頭取の中田勇吉、富山市民芸館館長の安川慶一とありました。
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志功がデザインした昭和26年の北国銀行のカレンダーが貼ってありました。
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「栴檀殿」富本憲吉筆
この屋敷内にあるセンダンの木より栴檀殿と名付けられました。 -
「愛染苑」に戻り、隣接する「青花堂」へ向かいます。菰を被った石碑は冬の風物詩ですね。間もなく市内にも雪が積もるのでしょう。菰には凍結防止と風雪対策という理由があります。
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永原廣の「志功坐像」が庭先に置かれてありました。
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「青花堂」は石崎俊彦の住宅と収集品の寄贈を受け、民藝館として改装し公開しています。「青花堂」は棟方が石崎に与えた堂号で、石崎が棟方をはじめとする民藝の指導者たちとの交流の中で培った目で収集した愛蔵品の数々を展示しています。
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「青森県立美術館」には志功の描いた凧絵がありましたが、これは伝統的な津軽凧絵で三国志や水滸伝などに登場する英雄や豪傑のほか、日本の歴史上の武将を題材とした勇壮な武者絵が多く描かれます。
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鉄紗黍文の壺は浜田庄司の作品だと分かります。
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志功の描いた光背を描いた装画です。
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河井武一は河井寛次郎の甥であり、寛次郎の一番弟子でもあります。寛次郎の窯元へ修行に来ていたバーナード・リーチと共に作陶活動をし、寛次郎が没するまで40年近くにわたりその指導を受け、呉須、辰砂、飴釉、鉄釉など寛次郎の民藝芸術を伝承しました。
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これは会津の本郷焼の鰊鉢です。元々は鰊を漬け込むための器ですが、上に金物を置いて灰皿に使ったのだと分かります。同じように考えて上に金網を置いて炭を入れ、魚でも炙って食べようかと宗像窯に行った際に注文したことがあります。それきり20年以上経ちますが、出来上がったという連絡はありません。家にある棟方良一の大皿に料理を盛る度にそのことを思い出します。
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絵替わりの皿は浜田庄司の作品です。
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ここに展示されている作品の中ではこの3点が欲しいなと思いました。こういったものはちゃんと見て覚えておかないとどこかで出会っても気が付かないことがあります。
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益子の陶器市へ行く日帰りバスツアーで「益子参考館」へ行ったこと思い出します。他の旅行記に忙しくて手つかずのまま2年も旅行記をアップできていません。笠間の「春風萬里荘」もそのままで気になっています。
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一昨日行った岩瀬町の「松月」の冷酒器のデザインを思い出します。河井寛次郎も若い頃にこのような作品も造っていました。
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全ての見学を終えて事務室に戻り、お礼を言って荷物を受け取ると、70歳を過ぎたおばあさんが自転車で周っているのを不憫に思ったのか、係の女性が妻に柿をくれました。
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時間が押して行けなかった手打そばの「萱笑」の前を通過しました。
萱笑 グルメ・レストラン
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駅に向かう路地では本格的な冬が来る前に道路の融雪装置の点検が行われていました。晩秋の陽光に噴水状の水がきれいでした。
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小矢部川を越えれば駅はもうすぐです。ロータリーまで戻るとタクシー会社の女性が表まで迎えに来てくれて「大丈夫でしたか~。」と妻に駆け寄ります。もしかすると最初に転倒したのを見られていたのかもしれません。
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福光駅の駅員さんも校内の福光タクシーの方々も親切でいい思い出になりました。駅員さんには富山からよりも金沢からの方が直通のバスがありますよと教えていただきました。
福光駅 駅
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高岡行きの列車が入線すると駅員さんが見送ってくださいました。高岡駅では駅員に嫌な思いをさせられましたが、後半は良いことがありました。
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列車の中でようやく一息つけたので、早朝に鱒ずし屋さんで貰ったカットの鱒ずしを一切れづつ食べることが出来ました。こんなに小さいのと思いましたが、すきっ腹にはありがたかったです。
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車内は空いていましたが、途中駅からは休日に買い物に出掛ける外国人の方たちがたくさん乗り込んできました。きっとどこかに大きな工場でもあるのだろうと思いました。
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朝は霞んでいて良く見えなかった立山連峰がきれいに見えてきました。延々と田圃が続いていますが、すべてを刈り取らない理由はなぜなのでしょうか。
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列車の中で書いたこの日の絵ハガキをドラえもんに託します。
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麻は逆光でしたが午後になってきれいに日が当たり、ポストの上に座っているのだと分かりました。
高岡駅 駅
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無事に富山駅まで戻り、宿泊していた「ダブルツリーbyヒルトン富山」へ荷物を受け取りに行きます。
富山駅 駅
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駅前の横断歩道を渡ると夕日にピンク色に染まった立山の山並みがきれいに見えました。
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荷物を持って「アルビス・エスタ店」でお土産を物色します。カジキの昆布締めなどと一緒に「べっこう」という郷土料理も買ってみます。
電鉄富山駅ビル エスタ ショッピングモール
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富山のスーパーの質の高さは旅行前に放映していたテレビ番組で見ていたので須賀、次の旅行まで火が無いのでたくさん買えなかったのが残念です。
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その後も「つやマルシェ」で鱒ずしを買い、「白えび亭」では白えびを揚げてもらい、「順風屋」で車内で食べるお刺身を買い求めます。
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ホームに上がると往路の新幹線でも見掛けた人たちの姿がありました。皆さん同じ阪急交通社のツアーの参加者です。
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妻が選んだのは「青山総本舗」の鱒ずしでした。
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井波で育った特別栽培米の「コシヒカリ」に心地よい香りが特徴の京都「千鳥酢」、新潟産の「ササ」を使ったこだわりがあります。
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お店の方がわざわざ揚げたてを持たせてくれた白えびのから揚げは缶チューハイによく合います。日本酒を買ってこなかったのは失敗でした。
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刺身はアオリイカとバイガイとサスです。富山県ではカジキの中でもクロカワカジキを「サス」と呼んで親しまれています。やっぱり日本酒でした。
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我が家が晩御飯を広げたら周りの方からの視線が気になりました。
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往路の車内誌が新しいものに変わり、富山が特集されていました。
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行ったところがたくさん紹介されていると嬉しい気持ちになります。あっという間に東京駅に着いて、丸の内線に乗り換えて帰宅しました。ツアーの終わりを土曜日にしたのは東京駅からの乗り換えが平日のラッシュに当たらないためでした。
東京駅 駅
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次はドイツのクリスマスマーケットの旅が始まります。
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