2025/11/27 - 2025/11/27
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kojikojiさん
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11月はMSCベリッシマのポジショニングクルーズと那覇の旅11日間があり、次の12月のドイツのクリスマスマーケット巡りまで20日ほど空いていました。トラピックスのパンフレットを見ていると「深紅のブランド蟹 高志の紅ガニと天然の極上寿司「富山湾鮨」 富山湾の恵みを味わう 3日間」というツアーがあり、往復新幹線とダブルツリーbyヒルトン富山2泊、新湊きっときと市場で富山ブランド蟹「高志の紅ガニ」を食べて、天然の極上寿司「富山湾鮨」を自分で選んだ店で食べる夕食まで付いて39,900円という値段です。ダメもとで妻に「こんなツアーあるけど、富山に行ってみない?
」と聞いてみると二つ返事で「行く!行く!前から富山に行きたかった。」ということですぐに予約を入れました。2人参加だと42,900円ですがそれでもコスパ最高です。当日は東京駅で駅弁を買い込んで、缶チューハイを飲みながら9時56分発の「かがやき523号」で富山に向かいます。12時10分に富山駅に到着しましたが、車内1車両の1/3くらいは同じツアーの方のようでした。「今回のツアーは30数人らしいわよ。」なんて声が聞こえました。ホテルは駅前なのでまずは荷物を預けに行きますが、混み合いそうなので少し時間をずらしました。写真を撮っているとマネージャーらしい方が「シャッター押しましょうか。」と声を掛けてくださいます。いろいろな旅先でダブルツリーには宿泊しましたが、どこもいい印象が残っています。初日は午後だけしか時間が無いので、夕食も兼ねて岩瀬町へ行くことにしていました。ホテルを出た後は飲んで食べてなので次の旅行記で紹介することにします。駅前から路面電車に乗って「東岩瀬駅」で下車すると同じツアーらしいおばさん数名も降りてきました。ここからぶらぶらと古い町並みを「岩瀬駅」に向かって歩きます。北前船の時代に栄えた町は立派な屋敷や商家が並んでいますが、今回の旅を考えるまで全く知らないところでした。「北前船主廻船問屋 旧馬場家」を見学し、時間ぎりぎりの午後4時15分に「富山港展望台」に上ると夕日にピンク色に染まった立山連峰が美しく見えました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 観光バス 船 自転車 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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那覇から戻った5日後には新幹線に乗るべく「東京駅」に立っていました。普段であれば旅行の間が短すぎると妻に怒られるところですが、富山へは行きたかったようです。
東京駅 駅
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トラピックスのパンフレットを見ていると「深紅のブランド蟹 高志の紅ガニと天然の極上寿司「富山湾鮨」 富山湾の恵みを味わう 3日間」というツアーがあり、往復新幹線とダブルツリーbyヒルトン富山2泊、新湊きっときと市場で富山ブランド蟹「高志の紅ガニ」を食べて、天然の極上寿司「富山湾鮨」を自分で選んだ店で食べる夕食まで付いて39,900円という値段です。
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今年は国内旅行が少なく、4回で年を終えそうです。
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いつものように水筒には氷を入れて来て、駅で買った缶チューハイとまい泉のかつサンドで朝ご飯です。
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本当はこのかんぴょう巻きといなり寿司、煮物が入った玉手箱が良かったのですが、1個しか残っていませんでした。
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11月下旬でも上州の山々には黄葉が残っていました。子供の頃に父と登った妙義山の紅葉を思い出しました。
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北陸新幹線のかがやき523号は途中停車駅は長野だけなので気が付くと浅間山が見えていました。浅間山も小学生の頃に山頂まで家族で登った懐かしい山です。
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浅間山から下山する途中で蛇を捕まえてキャラメルコーンの袋に入れ、持ち歩いていた小諸の「懐古園」で弟が蛇に噛まれ、通りがかりの方にマムシだと教えてもらい大騒ぎになったこともありました。
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車両の後方半分はどうも同じ阪急交通社のお客のようでした。皆さん郵送されてきた黄色い予定表を手に持っています。「今回のツアーは30数人らしいわよ。」なんて声も聞こえてきます。
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なるほど2人組の方が多いようで、その多くは我々より上のご夫婦か年配女性の2人組のようです。これは運任せなのですが、3人席の通路側前後になってしまう方が一定数生じてしまいます。これはJRから割り当てになるので旅行会社ではどうにもならないと聞いたことがあります。
長野駅 (JR東日本) 駅
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長野を過ぎると右手には志賀高原の山々が見えてきます。高校生のスキー教室で行ったことや、その後も夜行バスのスキーツアーで何度か通った思い出があります。
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信州を巡る格安ツアーでは湯田中温泉に宿泊して、翌日の終日自由行動の際に小布施に行ったのも懐かしい思い出です。
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新幹線はすぐに日本海沿いに出て、糸魚川を越えると富山は間もなくです。
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同じ車両の後方の席に座っていた全員が富山駅で下車したので、ホテルのフロントは混むだろうと見越して少しゆっくり行くことにします。
富山駅 駅
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金沢も数日掛けてゆっくり旅したいと思いながらまだ叶えていません。金沢へ向かう新幹線を見送ります。
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駅には巨大な富山の寿司の蝋細工が置いてありました。実際ツアーに含まれていた「きときと寿司」はこれに近いネタばかりでした。
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ビックリしたのは「ますのすし本舗 源」の自動販売機でした。富山には40軒近くの鱒ずしの会社がありますが、駅周辺では夕方には売り切れてしまうことが多いのでこういった販売機も必要なんでしょうね。
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富山へ来るのは1年振りのことで、前回はクラブツーリズム社の「五箇山と東尋坊・永平寺・金沢3日間」というツアーでしたが、ほぼ宿泊するだけの滞在でした。
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「氷見漁港」で昼食を食べるはずでしたが、能登地震の被災地区に含まれることから行くことが出来なかった頃でした。今回も氷見までは足を延ばせませんが、初めてゆっくり富山を旅することが出来ます。
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今回の宿泊は駅前の「ダブルツリーbyヒルトン富山」に2泊することになります。
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富山市電は富山地方鉄道が運営しており、富山駅の南北に路線が広がっています。環状線は中心市街地を一周約28分で巡ることができ、その他にも富山大学や南富山駅を結ぶルート、岩瀬浜へ向かうルートなど全部で6路線あります。
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パトカーをイメージしたラッピングを施した路面電車「パト電」が出迎えてくれました。
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横断歩道を渡るときに立山連峰の山並みがきれいに見えました。思わず予定を変更して「雨晴海岸」に行こうかと思いました。、
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他の方々より遅れて時間差でホテルに到着しました。
ダブルツリー by ヒルトン富山 宿・ホテル
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同じ列車に乗っていた方々はすでに荷物を預けて観光に出発した様でフロントは空いていました。我々も係の方にお願いしてトランクを2つ預かっていただきました。
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妻の写真を撮っているとマネージャーらしき方が声をかけてくださり、2人の写真が撮れました。少しお話しすると以前宿泊したことのある那覇のホテルにいらしたことなどで盛り上がりました。
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身軽になったところで観光に出掛けます。時が経つにつれて山並みがよりきれいになってきました。
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富山駅に戻ったところで「富山地鉄乗車券センター」に立ち寄りました。
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ここで翌日の「富山ぶりかにバス新湊フリーきっぷ」と「市電1日乗車券」の受け取り手続きを済ませます。ぶりかにバスは阪急交通社が事前に予約をしてあるのですがこれは重要なポイントになります。
電鉄富山駅 駅
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お昼を食べに「きときと市場 とやマルシェ」にも行きました。
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本当は西町の「大喜」の本店に行きたかったのですが、時間短縮のためにこちらの店にしました。
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昭和22年の終戦後に肉体労働者のための塩分補給として、醤油を濃くしたラーメンを作ったのがきっかけで「富山ブラック」が生まれたと言われています。「大喜」はその発祥の店だということです。
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富山ブラックは以前にHISのツアーで黒部宇奈月温泉へ向かう途中の「越中境サービスエリア」で食べたことがありました。ライスを一緒に注文した方が良いと言われたのでお願いしました。まずは無事に津山に着いたので生ビールで乾杯です。
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出てきた美味しそうな中華そばですが、一口食べた途端にこれは何かの間違いではないかと思いました。醤油の中に太麺が浮いているだけのような感じで、これは食べるのは無理だと思いました。ライスが無かったら食べ進められません。こめかみのあたりの血管を流れる血の圧力を感じます。
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後で聞いたところによると地元の人の中でも好みが分かれるようです。何とかスープを切ってメンマとチャーシューでご飯を食べ進めましたが、妻は半分くらいでギブアップでした。
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「とやま観光案内所」で最終日に行く予定の「福光」について尋ねるとパンフレットがいただけました。そしてこれから向かう「岩瀬町」の地図ももらっておきます。
富山駅北停留場 駅
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富山駅からはライトトレインの富山港線(とやまこうせん)に乗って東岩瀬町まで移動しました。下車時にスイカのタッチで乗車できるので便利です。
東岩瀬停留場 駅
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我々を降ろした電車は2つ先の岩瀬浜駅に向かって走り去っていきます。帰りはその岩瀬浜駅からなので2停留所歩くことになります。
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今回の旅を予約したあとに晩御飯をどこで食べようかと考え、ネットで検索していて「松月」という料理屋さんを予約していました。その店があるのが岩瀬町というところだとは分かっていました。
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その数日後にNHKのテレビ番組「コウケンテツの日本100年ゴハン紀行・富山編」というものを観るとこの岩瀬町が非常に面白そうだということを知りました。
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録画した番組を妻に見せると興味津々だったので、この日の午後は岩瀬町で過ごし、最後に食事をしてホテルへ帰ることにしました。
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調べてみると岩瀬町は延長5年の927年に完成奏上された延喜式にも登場するほど長い歴史を持つ町だそうです。室町時代には廻船式目(日本最古の海法)によって三津七湊の1つに数えられる北国廻船の重要な港であり、江戸時代には北前船が寄港する交易地でした。
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回船問屋五大家である宮城家、馬場家、米田家、森家、畠山家が栄えましたが、明治6年の1873年の大火で、約1000戸あった家屋のうち650戸が焼失し、江戸時代の伝統的建築は失われました。
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その頃に最盛期だった五大家を中心とした回船問屋により、岩瀬独自の「東岩瀬回船問屋型」家屋として再建されたのが、現在残されている町並みです。
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通りには大きな杉玉が吊られていました。杉玉は杉の葉を球状にまとめたもので、「酒林(さかばやし)」とも呼ばれています。日本の酒蔵や酒屋の軒先に吊るされているのをよく見かけます。
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その年に初めて搾られた新酒が完成したことを知らせる役割があり、杉玉が新しく吊るされるときは青々とした緑色をしていますが、時間と共に枯れて茶色へと変化していきます。この色の変化が新酒の熟成の度合いを伝えています。
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「桝田酒造店」は「満寿泉」で知られる酒蔵です。
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脇の道を進んでみると酒蔵の建物が見えてきました。
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晩秋の青空に酒蔵の煙突が映えます。家の近所にあった銭湯も全て廃業してしまい、このような風景を見ることは無くなりました。
桝田酒造店 専門店
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財をなした商家が連なる町並みを特徴付けるのが1階の出格子と重厚な大戸です。午後2時を過ぎると柔らかい影が当たって何とも言えない雰囲気を醸し出しています。
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丸い電球の灯ったのは「つりや」という店でした。氷見漁港で江戸時代より魚商を営む「釣屋魚問屋」が富山の魚食文化をはじめさまざまな食の楽しさを発信する場所としてオープンしたそうです。昭和初期には診療所として使われていた建物が改修され、1階が物販と喫茶スペース、2階は1日1組限定の宿泊施設になっています。6人まで宿泊できるそうです。
つりや グルメ・レストラン
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「つりや」では美味しそうな干物や燻製、オイルサーディンなどがあり、後先考えずにいろいろ買い求めてしまいました。10日前に釜山の国際市場で生の明太子を買って、MSCベリッシマとその後の那覇の滞在で持ち歩くのに苦労したことは忘れてしまっています。
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明治11年の1878年に建築された「旧森家住宅」は、北前船主で廻船問屋の家です。残念ながら令和6年の能登半島地震の影響により休業しているので見学することは出来ません。
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「大戸」と呼ばれる潜り戸を持った扉は武家屋敷のようでもあります。
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東岩瀬の町並みの特徴がスムシコ(簀虫籠)です。出格子に竹すだれをはめた構造で、プライバシーの保護に役立つ建具です。竹すだれは幅7ミリから8ミリに割った竹を3ミリから4ミリ間隔で水平に並べてあります。スムシコは竹の外皮が家の内側に向くようにしているため、室内から外の様子をうかがえますが、外から中は見えない構造となっています。
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「岳」とだけ書かれた看板は釋永岳という陶芸家のアトリエのようです。急には訪ねられるような雰囲気ではないので先を急ぎます。
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見学できるのは同じ通りの並びにある「旧馬場家住宅」でした。
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馬場家は江戸後期から活躍した北前船主で廻船問屋の家です。「岩瀬五大家」の筆頭に挙げられ、北陸の「五大北前船主」の1つにも数えられています。
旧馬場家住宅 名所・史跡
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明治中頃には汽船経営に舵を切り、事業の近代化にも成功しています。また馬場家9代当主道久の妻はるは旧制富山高等学校設立のために多額の寄附をしたことも紹介されていました。
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母屋の中には立派な内蔵がありました。この蔵を見ると秋田の増田町を旅した時のことを思い出します。ここでは前蔵と呼ばれているようです。
秋田の増田町①:https://4travel.jp/travelogue/11902452
秋田の増田町②:https://4travel.jp/travelogue/11902455 -
パンフレットによると住宅は明治6年の東岩瀬の大火の後に以前の部材を用いて建てられたといわれています。東岩瀬町の中でも最大規模の住宅で、長さ30メートルのトオリニワ(屋内通路)や、33畳ものオイ(広間)など見どころも多いです。
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大広間の脇には電話ボックスまでありました。京都の母の実家にも電話ボックスがあり、母が子供の頃には近所の家宛にかかってきた電話を取り次いだりしていたようです。
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33畳のオイも広いのですが、そこから脇に4つほどの座敷が続いています。この部屋も襖を外せば大きな部屋にすることが出来ます。
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黄葉した庭木に夕日が当たりとてもきれいです。もう何週間かしたらこの庭も真白な雪に覆われるのでしょう。
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始めてきたのに何となく懐かしさを感じます。
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トオリニワ(屋内通路)の脇の広間の横の部屋が家人のいる居間だったようです。確かにこの家でどの部屋にいるかを考えると一番居心地が良さそうです。
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トオリニワ(屋内通路)を挟んだ反対側には井戸を据えた台所がありました。
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脇の階段から2階も見学することが出来ました。
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2階からは奥へ続く長い敷地が見渡せました。
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特に説明などはありませんでしたが立派な欄間彫刻は南砺市の井波の物でないかと思いました。井波へもいつか行ってみたいと思いながらまだ叶えられていません。
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夕日が差し込むこの2階の座敷もなかなか居心地が良さそうです。
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広間の畳の敷き方が変わっているので係の方に尋ねてみると、川の流れを表しているということでした。財産が川の流れのように家の中に流れ込むようにという願いだそうですが、店先側に流れているので、財産が流れ出てしまうように思えました。
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主屋のほかに前蔵・壱番蔵・弐番蔵・米蔵・西門・西塀も現存し、廻船業が盛んであった頃の面影が残っていました。その造りもやはり秋田の増田町を思い出させました。この奥には
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一番奥の旧米蔵の中には釜や発酵タンクといった醸造装置を構える「KOBO Brew Pub(コボ ブルー パブ)」がありました。急いで妻を呼びに戻りながら、NHKの番組でもコウケンテツがここを訪ねていたことを思い出しました。
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チェコ出身の醸造家とスロバキア出身の店長により立ち上げられたオリジナルビールブランド「KOBO」のクラフトビールや、北陸のクラフトビールが揃っています。タップから注がれるクラフトビールは9種類あり、飲み比べも出来ます。
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歴史ある土蔵を生かした店内には発酵タンクを囲むように10メートルを超える長さの杉の一枚板を利用したテーブルがL字型に並んでいます。
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プレミアム・ピルスナーと馬場ヴァイツェンをいただいて飲み比べします。
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一緒に注文したソーセージのピクルスです。メニューを見るとかなり本格的なチェコやドイツのビアホールで見掛ける料理がありました。
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このような巨大なテーブルを観たのはこれが2回目です。初めて見たタイのチェンライの郊外にあった「バーンダム・ミュージアム」という施設はとても面白いものでした。
バーンダム・ミュージアム:https://4travel.jp/travelogue/10819443 -
富山を代表するワイナリー「セイズファーム」のぶどうの搾り粕を使用した「セイズラガー」や、「セイズファーム」のブドウ酵母を使った「セイズIPA」、富山名産の呉羽梨で作られた「馬場ヴァイツェン」、富山の地酒を扱う満寿泉(桝田酒造店)の酒粕を使用した「ドラゴンエール」などオリジナルビール4種を試すことができるテイスティングセットも飲んでみたかったです。
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「酒商 田尻本店」の店の横には白い暖簾が掛かっていましたが、後になって「カーヴ・ユノキ」という店だったことを知りました。
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日が沈む前に地図に乗っていた「富山港展望台」に向かいました。既に太陽は真横から当たるような位置まで沈んでいます。しかもこの展望台は午後4時30分までで、エレベーターも無く階段を登らなければなりません。
富山港展望台 名所・史跡
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階段と残り15分の時間を考えて妻は諦めてしまいました。かなりのスピードで登ったので展望台まで上がると息が切れました。海の方角に陽が沈むのかと思いましたが、ちょっと方角が違ったようです。
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ここからの眺めはなんといっても立山連峰の山々です。
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到着時は青空に白い山並みが見えたので、もっと早い時間に来ても良かったと思いました。
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ただ、この夕焼けに染まった山々の姿もとても美しいものでした。
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父に紹介され大好きになったジョヴァンニ・セガンティーニ(Giovanni Segantini)の作品を思い出しました。スイスの「サン・モリッツ」にある「セガンティーニ美術館」へ夕方に行った際、自分いが誰もいない展示室で三部作を観ると機会がありました。
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その絵は「アルプス三部作: 死」というものでしたが、外から当たる夕日のためか薄いピンク色に見えたことを覚えています。父には大判の絵ハガキをお土産にしましたが、それは亡くなった後に大切にしまわれていたことが分かりました。
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そんな父が唯一かったマンガが藤子不二雄の安孫子素雄の「少年時代」でした。主人公の少年は東京から富山へ疎開していたことも思い出され、頭の中には井上陽水の曲が浮かんできます。
https://www.youtube.com/watch?v=XiF3CgYf_ns&list=RDXiF3CgYf_ns&start_radio=1
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