2015/08/22 - 2015/08/22
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kojikojiさん
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- 2,686,713アクセス
- フォロワー151人
ピカデリーのロイヤル・アカデミーの前からバスに乗ってサウス・ケンジントンの「ヴィクトリア&アルバート博物館」へやってきました。買い物した荷物もあったのでクロークに立ち寄って預けます。ここは荷物預かり1ポンドですが、博物館自体は無料なので有料パンフレットも買っておきます。もちろんドネーション箱にもお金は入れます。ここへはどうしても来たいと言う訳では無かったのですが、見ないで帰るのも癪なので予定に入れました。最初に正面から右手の回廊へ入ったのですが、ここから奥2室に並ぶ数々のレプリカには驚かされました。特に奥の並んだ2室に入るとミケランジェロのモーゼ像が迎えてくれます。これはローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会の祭壇に置かれたものです。そしてルーブル美術館やフィレンツェのアカデミア美術館の彫刻群が並びます。ひときわ大きいのはダヴィデ像で、質感はカッラーラの白大理石とは違いますが、寸分たがわない姿に驚かされます。壁にはフィレンツェの大聖堂美術館の壁面を飾るバルコニーや洗礼堂の天国の門まであります。上を見るとラヴェンナのモザイクまで…。この20年くらいで観てきたイタリアの至宝が目の前に並んでいます。更に隣の部屋のは巨大なものが押し込まれています。一目で分かるトラヤヌスの記念柱は高すぎるので2分割になっています。そしてサンティアゴ・デ・コンポステーラの大聖堂のファサード!巡礼者が堂内に入って跪いて柱に手を当てるその手の跡まで見事に再現されています。妻が美術館の人と話しているのに気づき尋ねると「日本人の方で分からないことがあれば聞いて下さいって。」すぐにその方のところに行き、このレプリカの由来をお聞きました。すると17世紀18世紀のグランド・ツアーが流行した時代に金持ちでは無いイギリス人のために時の国王が各国の王家に依頼して石膏で型を取って製作されたという事でした。ダヴィデ像などのイタリアの彫刻はイタリアで製作されたので型も残っていなく壊れたら修理も出来ないとの事でした。またその後の数百年の間にドイツの鋳鉄の棺周りの飾りは爆撃でオリジナルは残っていなかったり、トラヤヌスの塔の研究者も数百年分状態が良いのでこちらで研究する方もいるとのお話でした。また製作方法についても詳しく教えていただき、非常に勉強になったとともに、日本人の女性がイギリスの博物館で頑張っていらっしゃることを知って嬉しく思いました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 船 タクシー 徒歩 飛行機
- 航空会社
- エティハド航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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サウス・ケンジントン駅の手前でバスを降りましたが、博物館までは少し戻る感じでしばらく歩きました。
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巨大なゴシック教会のようなファサードです。上に乗ったバロック風の塔の組み合わせが面白いです。設計はジェームス・ウィリアム・ワイルドというイギリス人の建築家です。
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「パック(真夏の夜の夢から)」
ジョン・グラハム・ロッジ
「真夏の夜の夢」はウィリアム・シェイクスピアによって1590年代中頃に書かれた喜劇形式の戯曲です。全5幕からなる物語でアテネ近郊の森に足を踏み入れた貴族や職人と森に住む妖精たちが登場します。人間の男女は結婚に関する問題を抱えており、妖精の王と女王は養子を巡りけんかをしています。しかし妖精の王の画策や妖精のひとりパックの活躍によって最終的には円満な結末を迎えます。その妖精パックの姿です。 -
いろいろ買い物をしたままV&Aに来てしまったのでカメラだけ手元に残して荷物はクロークに預けました。カウンターに料金投入口があって1ポンド⇒と書いてあるので投入します。そして振り返るとバックの彫刻がこちらを向いて立っていたのでドキッとしました。
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興味のある第50室から見学を始めます。エントランスホールに向かって右ウイングの開放的な明るい空間です。
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素晴らしい彫刻が並んでいます。キャプションにある収蔵品の管理番号を公式ホームページの検索欄に入力するとその収蔵品の詳細がすぐに見つけられるので便利です。
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「プロセルピナの略奪」
ユーピテルとケレースの娘プロセルピナが冥界を司る神プルートに冥府に誘拐される場面です。母のケレースが娘がいなくなったことに気づき、娘を連れ戻そうとしますが、冥界でザクロの実を食べてしまったため、1年のうち半分を冥界で過ごし、残り半分を地上で過ごすことになります。プロセルピナが地上に戻ると春となり大地は潤います。ローマのボルゲーゼ美術館のベルニーニの彫刻は本物の人間を固めた様な想像を絶する超絶技巧で彫刻されています。 -
「イアソン」
ギリシャ神話に登場する英雄です。「アルゴ探検隊の大冒険」というレイ・ハリーハウゼンの特撮映画を思い出します。子供の頃ドキドキしながら見たものです。黒海の奥のコルキスにある伝説の黄金の羊の毛皮を持ち帰るために仲間とアルゴ号で冒険します。左手にはその黄金の羊の毛皮を持っています。 -
「スピネッタ・マラスピーナの記念碑」
スピネッタ・マラスピーナは傭兵隊長(軍の指揮官)でした。1407年に彼が亡くなると遺族は教会に記念碑を奉納します。その乗馬する形状はベローナに特有ものだそうです。当初この彫刻は明るく彩色が施され金箔も張られていたそうです。 -
「慈悲の聖母」
バルトロメオ・ブオン
ヴェネツィアの奉仕団体はこの彫刻を公会堂への入口の上に設けるために発注しました。 彼らのメンバーは聖母マリアの外套の下に庇護されています。 背後の樹の周りの予言者は聖母マリアを祝福しています。 彼らはキリストの到来を予言する巻物を持っています。そしてマリアの胸の幼子イエスとして現わされます。 アーチの形状はゴシックスタイルを反映しています。 バルトロメオ・ブオンは奉仕団体のメンバーとルネッサンス期のヴェネツィアで最も重要な彫刻家の1人でした。
マンドルラ(イタリア語でアーモンド)は全身を囲んだ一種の後光を表します。 -
「Choir screen from 'S-Hertogenbosch」
コンラッド・ファン・ノーレンベック
宗教改革前のオランダの教会に置かれていたカトリックの内陣です。プロテスタントの人々によって破壊を免れた大理石建築です。 -
イエスの人生からの6つの場面を表す彫刻が読み取れます。カナの奇跡やキリストの変容や裏切り、キリストの昇架です。これらのレリーフの下で聖パウロや聖母子、聖ヨハネの像と洗礼者ヨハネの像も確認できます。 キリストの降誕やマギの崇拝や復活と昇天など詳しく見ていくと限りが無いです。これだけ大きい物を運んできたことも凄いですが、軽く置けてしまう博物館の規模も凄いです。
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「聖母の死」
ドイツで造られた祭壇飾りの一部のようです。堅木で彫刻されその後に彩色と金彩が施されています。 -
「ブリクセンの祭壇飾り」
イタリアで造られた祭壇飾りです。中央に聖母子と右手に洗礼者ヨハネと左は聖フローリアンの姿が見えます。 -
「フェルッチの祭壇飾り」
アンドレア・フェルッチ
1493年にロベルト・サルビアーティは、アンドレア・フェルッチにフィレンツェの近郊の聖ジローラモ教会に彼女の夫ジローラモ・マティーニの墓を飾る大理石祭壇を依頼しました。 祭壇飾りは金彩で美しく塗られました。 中心のパネルは磔にされたキリストの両側に聖母マリアとマグダラのマリアを配しています。 左手には洗礼者ヨハネと聖ヒエロニムスの頭上に小円形にいる聖ヨハネです。パドヴァの聖人アントニオと聖マルコはフレームの上の2人の天使は幼子キリストの姿を崇めています。 -
「サンタ・キアーラ教会からの礼拝堂内陣(フィレンツェ)」
ジュリアーノ・ダ・サンガッロ
これはイタリア国外で見ることができる唯一のイタリアのルネッサンスチャペルです。それはサンタ・キアーラを祀るサン・フランシスコ会の修道院から来たものです。形状とスタイルはジュリアーノ・サンガッロに特有のもので、フィレンツェ人の建築家ブルネレスキの影響を受けています。 -
「受胎告知」
ジョバンニ・デッラ・ロッビア
画面の構成は絵に基づいたかもしれません。これだけの大きさのものを粘土で造って素焼きして、白い釉薬を掛けてもう一度焼成していながら全く狂いが無いことに驚かされます。 -
カスト・コートの巨大な展示スペースに入った途端、部屋の大きさに驚くと同時に置かれている彫刻群に足が止まります。この部屋には60を超えるイタリアのルネッサンス彫刻で埋め尽くされています。19世紀に造られたコピーと分かっていてもその迫力の力に衰えは感じません。ウエストン・カスト法(V&Aのガーフィールド・ウエストン財団の長年で寛大な支援を認めて名をつけられる)で写し取られた彫刻は、ほとんど人々が海外に旅行する余裕がなかった人が国内で素晴らしい彫刻に触れられるように製作されました。そして19世紀の初めには大変な人気があったそうです。
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「モーゼ」
ミケランジェロ・ブオナローティ
ミケランジェロはルネッサンス期の教皇ユリウス2世の巨大な墓廟の制作を命じられたのですが、その途中で当の教皇はサン・ピエトロ大聖堂の再建の方に興味が移り、結果的には墓全体としての計画は頓挫します。この像はローマのサン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会に納められています。この教会には聖ペテロがエルサレムの獄中でつながれていた鎖と、マメルティーノの牢獄につながれていた鎖が聖遺物として納められています。20数年前に見に行った事を思い出しました。こんなに大きかったかと思いながら気持ちが高揚してきます。同じようなコピーは数年後にスペインのフィゲラスのダリ美術館でも見ることが出来ました。 -
「瀕死の奴隷」
ミケランジェロ・ブオナローティ
これはモーゼの像と一緒にユリウス2世法王の墓のためにミケランジェロによって製作された6体の「奴隷」のうちの1体です。この作品はパリのルーブル美術館に収蔵されていて並ぶ事は絶対にないのですが、ここでは一緒に見ることが出来ます。 -
1546年ごろミケランジェロはロベルト・ストロッツィにこれらの2つの像を造りました。そしてその後フランスのフランソワ1世に順番に献上されます。フランソワから更にコーン・テーブル・アン・デ・モンモランシーに与えられて、その後モンモランシーとリシュリュー家の数人の家族の手を渡ります。1794年に「反抗的な奴隷」と「瀕死の奴隷」はフランス政府に購入され、それ以来ルーブル美術館に納められています。
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「反抗的な奴隷」
ミケランジェロ・ブオナローティ
瀕死の奴隷と共にルーブルに収蔵された作品です。 -
「ヌムール公 ジュリアーノ・デ・メディチ」
ミケランジェロ・ブオナローティ
この彫刻だけでは思い出すまでにしばらく時間がかかりました。フィレンツェのメディチ家礼拝堂の霊廟の墓の上に置かれた彫刻です。ジュリアーノとロレンツォの彫刻と墓の蓋に彫刻された「昼」と「夜」、「曙」と「夕暮れ」の対の像を思い出しました。この霊廟には3回行きましたが、霊廟は写真撮影は出来ないのでこれは貴重です。 -
「ダヴィデ」
ミケランジェロ・ブオナローティ
フィレンツェのアカデミア美術館に収蔵された有名な大理石彫刻の石膏模型は1857年にサウスケンジントン博物館(現在V&A)に届きました。この像はトスカーナ大公からヴィクトリア女王へのプレゼントだったそうです。そしてそれを得ることを国立美術館は希望していたので、女王は石膏像をすぐに博物館へ寄付します。このコピーはイタリアで造られために型は残っていなく、修復は出来ないそうです。 -
数年前にこの展示室をリニュアルする際に床を張り替えるために少し移動された以外は動かされたことは無いそうです。ダヴィデのこの像は世界中に幾つかのコピーがありますが、このコピーは本歌と見まごう出来栄えです。
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フィレンツェのサンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂付属のサン・ジョバンニ洗礼堂の扉です。ロレンツォ・ギベルティとフィリッポ・ブルネレスキのコンペによりギベルティが製作したものです。現在オリジナルは大聖堂付属美術館に収蔵されています。20年前にイタリア縦断旅行をした際にルッカに立ち寄りました。楕円形の美しいアンフィテアトロ広場で小学生のバザーが開催されていたので立ち寄りました。子供たちがフィレンツェへ社会科見学で行った時の絵が積まれていました。大抵は大聖堂と同じ大きさで描いた自分の姿のような物ばかりでした。その中に1枚だけ黒の画用紙を縦遣いでこの扉を画面全体にびっしり描いたものがありました。その絵が気に入ったので5,000リラ寄付して持ち帰りました。額装して今でもクリスマス時期に我が家で飾っています。
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25年くらいかけてイタリア中を回って見てきた物がこの部屋に集約されているような気がしてきて頭の中がくらくらしてきました。
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「説教壇」
ジョバンニ・ピサーノ
ピサのジョバンニ・ピサーノによる大理石の説教壇です。最初の説教壇はピサ大聖堂のクワイアにありましたが、 大聖堂の火事の後に説教壇は1602年に解体されました。ファンチェリによる新しい説教壇は1627年に設置されましたが、古い説教壇から彫刻の一部を再利用しました。ジョバンニ・ピサーノの説教壇の最初の様子に対する関心は19世紀に再び喚起されましたため、ピサの人彫刻家ジョヴァンニ・フォンタナが再建します。この石膏コピーは1865年に制作されたものです。 -
フィレンツェの大聖堂付属博物館に収蔵されたドナテッロの「聖歌壇」までありました。もしかしてと周りを見回しましたが、賢者ハバククや洗礼者ヨハネの像はありませんでした。
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一連のフィレンツェにある美術品が壁を飾ります。
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先に進んでいた妻に「日本人の学芸員さんがいて分からない事があったら聞いて下さいって。」と言われました。そんな話をしながら46b室から46a室に移りました。
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これを見た瞬間に目を疑い言葉を失いました。教会を壊して持って来たのかと思いました。これはサンチアゴ・デ・コンポステーラ大聖堂の「栄光の門」です。巡礼者がサンチアゴに着いてこの門の下に跪き、円柱に右手を当てて祈るのですが、数百年に渡って手形が円柱にかたどられています。その手型までもが写し取られています。
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1か月ほどかけてリスボンからポルトガルを北上してサンティアゴへたどり着いた旅の事、父が亡くなった後にサンティアゴ巡礼に出たいと思いながら果せていない事などを考えていたら胸が熱くなってきました。
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そしてローマのトラヤヌスの記念柱が2分割で置かれています。思わず妻の言う日本人の学芸員さんに声を掛けさせていただいて、このカスト・コートについてお伺いしました。先にも書きましたが19世紀のグランドツアーに行けない優秀な若者の為に各国の国王や領主に依頼して石膏型を取って石膏コピーを制作したとのことです。感極まっていたのでその手紙や型の写真を撮ってくるのを忘れたのが残念です。部屋の改修にも動かせない事など疑問に思ったことを教えていただけました。もちろんこの部屋を見てどれだけ感動したかも伝えました。
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印象に残ったお話はトラヤヌスの記念柱だと屋外に置かれているので、排気ガス公害の被害を受けていない分ここに残っている物の方が状態が良いという事と2分割されているのでこちらで研究を進める学者もいるという話もお聞きしました。それとドイツのアイアン・ワークで覆われた柩は第2次世界大戦の爆撃でオリジナルが失われていて、ここのコピーしか残っていないとのことでした。
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「ネプチューンとトリトン」
ジャンロレンツォ・ベルニーニ
ネプチューンとトリトンが出てくる物語はホメロスの叙事詩「イーリアス」でトロイとアテネの戦いの場面とゼウスが地球上で生命を奪うと誓って洪水を引き起こすためにネプチューンを呼び場面などがあります。 ネプチューンは三叉の矛で地球をたたいて洪水をおこします。 破壊が終わるとネプチューンは三叉の矛を置き、海を鎮める為にトリトンを呼びます。 -
20年前にバロックをテーマにローマを1週間ほど回ったことがあります。その時の目的の1つがベルニーニの彫刻を見ることで、かなりの時間を費やしました。お蔭でダン・ブラウンの「天使と悪魔」の映画ではすぐにどこだか分かりました。
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ボルゲーゼ美術館の「プロセルピーナの略奪」とか「アポロンとダフネ」など一連のベルニーニの作品には驚嘆しました。これは大理石の彫刻では無く、人間を石に変えたと思いました。それ以上にダフネの指先が月桂樹の枝葉に変わっていくさまは神の仕業と思えました。その時ほどの感動はこの彫刻からは感じませんでした。
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回廊には延々と彫刻が置かれてありますが、1つ1つ見ていく気力はありません。
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「テセウスとミノタウロス」
アントニオ・カノーヴァ
ミノタウロスの死骸の上に勝利したテセウスが腰掛けている姿が描写されています。テセウスの全身の疲労困憊ぶりは、恐るべき死闘の激しさを物語っていました。この作品によってカノーヴァの名前はローマで不動のものとなります。V&Aにはもう1点カノーヴァの作品が収蔵されていますが、上の階にあるので力尽きてたどり着けませんでした。でも個人的にはルーブル美術館の「アムールとプシュケ」がカノーヴァの最高傑作だと思います。 -
「The Age of Innocence」
アルフレッド・ドルーリ
この彫刻のモデルはグレイシー・ドンカスター(ドゥルーリーの友人の1人娘)でした。 4歳の姪の姿と重なって心惹かれる作品でした。 -
「洗礼者ヨハネ」
オーギュスト・ロダン
大原美術館で数十年前に見た作品でもあり、もちろんロダン美術館でも数年前に見た作品です。ここで見るよりはロダン美術館の館で見る方が印象に残ります。大原美術館のロダンの作品は児島虎二郎がパリに出向いて製作を依頼しています。この春のベルギー旅行でゲントに立ち寄った際に児島の作品を観て感銘を受けたことを思い出します。 -
ノーフォーク・ハウス・ミュージック・ルーム
18世紀のノーフォーク公爵のミュージックルームだった部屋を屋敷が1938年に解体されるときに分解してそっくり博物館に移したそうです。 -
「ギャンブル・ルーム」
ゴドフリー・サイクスが晩年にデザインし、ジェイムズ・ギャンブルが仕上げたのでギャンブル・ルームの名前がついたのでしょう。歩き過ぎて疲れたのと喉が渇いたので休憩にします。 -
イチオシ
こんな内装のレストランですが、セルフのレストランなので自由に座れます。
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イチオシ
ウィリアム・モリスのデザインした有名な「グリーン・ダイニング・ルーム」は隣です。
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ギャンブル・ルームの一番奥のステンドグラスの前に座りました。
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アントワープのドゥ・ホワイエというレストランやプラハの中央駅のカフェを思い出します。
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あまりに疲れすぎて食欲が無かったのでシードルを飲みました。パッションフルーツ&アップルもキュウイ&ライムもどちらも美味しかったです。
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お昼を過ぎていたのに何も食べなかったので後で妻に怒られました。
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博物館の中庭は夏休みの家族連れが遊ぶにはもってこいの環境です。
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日本だったら博物館の中庭で水遊びなんて考えられないですが、無料で開放しているV&Aとイギリスだからでしょうか。
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一休みした後は見学を続けます。
「ラファエロのカルトン」の部屋に来ました。ラファエロ・サンティが描いたヴァチカン宮殿のシスティーナ礼拝堂で特別な儀典のときに飾られるタペストリーの制作用下絵(カルトン)が飾られています。原寸大で10点のカルトンが描かれましたが、現存しているのはイギリス王室のロイヤル・コレクションが所蔵する7点のみで、1865年からはこの博物館へ貸し出されています。「福音書」と「使徒行伝」のエピソードがモチーフになっています。こんなものがここに収められているなんて全く知らなかったので驚きです。 -
「ラファエロのカルトン」は長くジェノヴァに保管されていましたが、イングランド王チャールズ1世として即位する王太子チャールズが、1623年に代理人を介して購入したそうです。このときの購入代金はわずか300ポンドで、カルトンが芸術作品としてではなくてタペストリーのデザイン画として販売されたようです。
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「奇跡の漁り」
ラファエロ・サンティ
ガリラヤ湖の北カナペウムの地までやって来たキリストは、ガリラヤ湖畔でペテロとアンドレの兄弟が漁をしているのに出会います。しかしいくら網を打っても魚の獲れる様子がありません。するとキリストはペテロの漁舟に乗り、岸から離れて人々に教えを説いた後に網を降ろすように言いました。ペテロは半信半疑でしたが、果たして網には多くの魚がかかり、近くにいたヤコブやヨハネまで魚を舟に揚げるのを手伝わねばならないほどでした。彼らは驚きペテロはキリストにひれ伏しました。するとキリストは、「恐れなくてよい。今からあなたは人間を獲る漁師になるのだから。」と言います。 -
「エリマスの失明」
ラファエロ・サンティ
この絵は聖パウロの最初の奇跡を表わしています。それは植民地だったキプロス総督セルギウス・パウルスの面前で行われます。総督の魔術師エリマスの目を見えなくさせるもので、この奇蹟により植民地総督のキリスト教への改宗につながりました。
これらラファエルのカルトンのキャプションには「Lent by Her Majesty The Queen」と書かれてあります。 -
「ペテロに天国の鍵を授けるキリスト」
ラファエロ・サンティ
「ペトロよ。あなたは岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。」と申し伝えます。 -
「不具の男の快癒」
ラファエロ・サンティ
この絵の主題は聖パウロと聖ペテロによる足の不自由な男の治癒です。エルサレムの美しい門のある寺院で2人は施しを求める男と出会います。しかし2人は施しを与える代わりに彼が歩くことができるようにします。 -
「アナニアの懲罰」
ラファエロ・サンティ
アナニアという男は妻のサフィラと相談して土地を売りましたが代金をごまかし、その一部を使徒たちの足もとに置きます。するとペトロは言います。「アナニアよなぜあなたはサタンに心を奪われ、聖霊を欺いて土地の代金をごまかしたのか。あなたは人間を欺いたのではなく神を欺いたのだ。」この言葉を聞くと、アナニアは倒れて息絶えます。 -
「聖パウロのアテネでの説教」
ラファエロ・サンティ
パウロが町を歩いてみると、街中にはゼウス像やアポロン像、アフローディテ像などおびただしい彫像に礼拝をささげていました。「あなたにはわたしの他に神々があってはならない。あなたは自分のために偶像を造ってはならない。」
パウロは十戒の第1番目と第2番目を胸の中で何度もつぶやきながらアテネの霊的暗黒を見て憤りを感じます。 -
「ルステラの犠牲」
ラファエロ・サンティ
パウロとバルナバは石打ちにされそうになったためやむなくイコニオムを去り、ローマの属州ガラテアのルステラにやって来ました。ルステラでパウロが生まれつき足のなえた人すと住民は彼とバルナバをヘルメスとゼウスの化身だと考えます。2人は人々が自分たちに犠牲をささげようとするのをやっとのことでとどめます。 -
「聖ステファノの石打ち」と「パウロの回心」「牢獄の聖パウロ」の3枚が残っていないのが残念です。
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面白い動物たちの彫刻が旗棒をもって立っています。
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魚までいます。ここからは上のフロアへ移動しますが、あまりに広大な建物なのでアジアやイスラムや服飾についての部屋は割愛します。後で考えると丸1日いても見切れることが出来ないと感じました。
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ドーム天井から吊られたシャンデリアはガラス彫刻家デイル・チフーリの作品です。デイル・チフーリはアメリカ人ですが、ヴェネツィアのムラーノ島でガラス制作の技法を学んでいます。その後事故で自分では作業が出来なくなってしまったそうです。これだけ巨大な物を造るのは大変だったと思います。
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昔ムラーノ島で煎茶に使える物が無いか探したことがあります。そんな都合の良いものがある訳無いのですが、その晩ホテルで寝ていて閃きました。ここで造っているのだからデザインすれば出来るかも知れない。それから徹夜でデザイン画を描いて翌日再びムラーノ島へ行きました。果してその後の1か月の旅の後に家に帰った翌日に煎茶碗と茶卓のセットが届きました。そんなことを思い出しながらシャンデリアを眺めました。
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鉄細工装飾品、アイアン・ワークのエリアです。この作品の細かい装飾には驚かされました。
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素晴らしい彫刻や超絶技巧を見ると思い出す物語があります。芥川龍之介の「夢十話」の第六夜の運慶の話です。運慶の仁王を彫り出す技を見た人が「あれは眉や鼻を鑿で作るんじゃない。あの通りの眉や鼻が木の中に埋うまっているのを鑿のみと槌つちの力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない。」というくだりです。男は試に自分でも彫り出そうとしますが「明治の木にはもう仁王は埋まっていない。」と言って終わります。ミケランジェロやベルニーニの作品を見ると昔のカッラーラの大理石は良い物が埋まっていたと思い、こういった作品を見ると昔の鉄は柔らかかったのだろうと思ってしまいます。
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2階から第50室を俯瞰します。
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イチオシ
46a室も上から眺められました。先ほどは興奮していて上を歩けるとはまったく気づきませんでした。
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イチオシ
バチカン教皇庁の中の現在ラファエロの間のアーチ型の壁面にフレスコで描かれた「アテナイの学堂」までありました。絵の模写には感動しませんが、やっぱり彫刻はリアルです。
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写し取った物と分かっていても惹かれます。
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この中央の棺を覆った黒いアイアンは第2次世界大戦中のドイツでの爆撃で失われ、オリジナルは残っていません。
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これを型取りしているときにサンチアゴの大聖堂にたどり着いた巡礼者は祈りを捧げられたのだろうかと100年以上前の人の事を考えてしまいます。
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ベルナール・パリッシーの装飾皿がありました。パリの万博に出品された作品で、これも超絶技巧ですね。横浜の真葛焼きといい昔はすごい陶工がいたものです。
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アールヌーヴォーのコーナーは実際は家具から凄い展示量なのですが、家具のひとつひとつまで見る気力も写真に撮る気力も残っていません。
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ミュシャのサラ・ベルナールのポスターがありました。
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それも「椿姫」!そう言えばロンドンに到着した日に中華街の「旺記」のビルにあったプレートのサラ・ベルナールの名前の意味が分かりません。ラハにはスラブ・エピックを見にるためにもう一度行かなければなりません。
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何も無い廊下でさえこんな装飾が施されています。
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階段の踊り場に置かれた天使の彫刻は羽が透けて今にも飛び去りそうな気がします。
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「The Mill - Girls Dancing to Music by a River」
エドワード・バーン・ジョーンズ
この角度から出ないとガラス面に光が反射して写真が撮れません。(写真が撮れないという事は見ることも出来ないという事です。)ウォレス・コレクションでもテート・ブリテンでもそうでしたが、ラファエル前派の作品の展示にはどこも問題があります。 -
アポロンの音楽に合わせて踊っている3人の上品な女性はイタリアのルネッサンスの影響を受けています。 モデルになっているのは友人と後援者とコレクター・コンスタンティン・アレキサンダーに関係する人々です。 彼のいとこのマリア・ザンバコ(1番左でポーズを取る女性)はしばらくバーン・ジョーンズの恋人でした。ラファエル前派の作家の相関図を見ると複雑で嫌になってきます。
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素晴らしい装飾の部屋が続きますが、展示してある品々を見る気力はありません。
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銀製の巨大なライオン。
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美しいライブラリーの内装はアーツ・アンド・クラフツ運動の1つの作品のようです。
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「魚を担いだ翼のあるプット」
ドナテッロ
当初は壁龕の噴水(ブリュッセルの小便小僧のような)の彫刻として造られたようで、おしっこと担いだ魚の口から水が出ることを考えられたそうです。 -
レオナルド・ダヴィンチのノートブック
鏡文字になっています。これが凄いと言われますが…。これは左利きの人でないと分からないのですが、日本語でも同じで文字を反転した方が非常に書きやすいのです。私の場合は普通は右で書きますが、左手で同じように鏡文字簡単に書けます。アルファベットならもっと簡単だと思います。 -
このゴルゴダの丘で磔刑にされたキリストと丘に群がる人々の群像は凄い迫力でした。実際はそれほど厚みは無いのですが物凄い立体感です。
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「自画像」
ヤコボ・ティントレット -
ティントレットの自画像は初めて見ました。
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「マルコ・バルバリーゴ」
ヤン・ファン・エイク -
ヴェネツィアの名門バルバリーゴ家の名前が読み取れました。彼は73代のヴェネツィア総督(ドージェ)で、弟のアゴスティーノ・バルバリーゴも74代の総督です。この絵はマルコがロンドンのヴェネツィア領事だった頃の姿です。
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「レダと白鳥」
一見美しい姿ですがゼウスが白鳥に変身して、スパルタ王テュンダレオースの妻であるレダを誘惑したというエピソードです。女好きのゼウスは白鳥に化けたり、ある時は牡牛に化けてエウロペをさらったりとんでもないことばかりしています。
まだまだ見たいところは沢山ありましたが、そろそろ時間が無くなってきました。
午前中のバッキンガム宮殿の時間ロスが大きかったです。いつかまた来るときは丸1日用意して来ようと思いました。
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2015/08/20~
ロンドン
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倫敦之旅(5)「ロック&ソール・プレイス」でフィッシュ&チップスを楽しみ、美しい邸宅の美術館で「ウォレス・コ...
2015/08/20~
ロンドン
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倫敦之旅(6)リバティー百貨店界隈からアーケード巡りの散歩をして、テムズ河畔に浮かぶ「ヒスパニョーラ号」でデ...
2015/08/20~
ロンドン
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倫敦之旅(7)テムズ河を散歩した後は「テート・ブリテン」でラファエル前派の絵画を見て夏目漱石の「草枕」を想う...
2015/08/21~
ロンドン
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倫敦之旅(8)シティの近代的なビルを見て「レドンホール・マーケット」を歩き、「ロンドン塔」でナタリー・ポート...
2015/08/21~
ロンドン
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倫敦之旅(9)セント・キャサリン・ドックの「ディケンズ・イン」でランチを食べて、「テート・モダン」で近代絵画...
2015/08/21~
ロンドン
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倫敦之旅(10)「ホース・ガース」で騎馬兵を見てバッキンガム宮殿とセント・ジェームズ・パークを散歩して、アー...
2015/08/22~
ロンドン
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倫敦之旅(11)「ヴィクトリア&アルバート博物館」の カスト・コートに驚嘆し、ラファエロのカルトンの巨大さに...
2015/08/22~
ロンドン
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倫敦之旅(12)ハロッズのエジプト風の内装に驚き、28年振りに訪れた「ミシュランビル」のビベンダムでディナー...
2015/08/22~
ロンドン
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倫敦之旅(13)二度目の正直で「バッキンガム宮殿」の衛兵交代式に臨み、王室騎馬兵と衛兵の美しさに歴史と伝統を...
2015/08/23~
ロンドン
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倫敦之旅(14)ようやくの「大英博物館」の見学は、長年の夢でありながらも3時間しか時間が取れずに不完全燃焼す...
2015/08/23~
ロンドン
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倫敦之旅(15)「コートールド美術館」でフランドル絵画と印象派の名品の数の多さに驚かされる。
2015/08/23~
ロンドン
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倫敦之旅(16)「シンプソンズ・イン・ザ・ストランド」のローストビーフを食べた後はサヴォイホテルの「アメリカ...
2015/08/23~
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