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いよいよ大洲城へ!<br /><br />大洲城と言ったら、小早川隆景や藤堂高虎の名前が浮かびますが、それ以上あまり知りませんでした。よって、今回の旅行に合わせ、チョコっとだけ勉強してきました。<br /><br />元々は鎌倉時代の後期、伊予宇都宮氏がココにお城を築城したのが始まりです。<br />伊予宇都宮氏は約200年に渡りこの地を治めますが、1575年に毛利の命を受けた大野氏に城を追われます。<br />その後、大野氏は1585年に、今度は秀吉の命を受けた小早川隆景に攻め滅ぼされます。<br />小早川隆景は、関ケ原の戦いで石田三成を裏切って徳川家康側に寝返った、あの小早川秀秋の義父です。<br />その後1595年に、やはり秀吉の家来であった藤堂高虎が入城。<br />築城の名人であった高虎がこの城を近世の城郭として整備していきました。<br />1609年には脇坂安治が高虎に代わって入城し、建物を造営。この藤堂高虎と脇坂安治の時に、この城の天守をはじめとするほとんどの建物が造られています。<br />また、脇坂の時代に、それまで大津と呼ばれていたこの地は大洲に変わっています。<br />江戸時代になると、やはり秀吉の家来であった加藤貞泰が入り、以後は加藤家が12代にわたり大洲藩主としてこの地を治め、明治維新を迎えています。

9日間で愛媛県をグルっと巡ってきました。28 大洲の街をプラプラ、いよいよ大洲城へ!

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2024/04/12 - 2024/04/20

50位(同エリア252件中)

nichi

nichiさん

この旅行記のスケジュール

2024/04/19

この旅行記スケジュールを元に

いよいよ大洲城へ!

大洲城と言ったら、小早川隆景や藤堂高虎の名前が浮かびますが、それ以上あまり知りませんでした。よって、今回の旅行に合わせ、チョコっとだけ勉強してきました。

元々は鎌倉時代の後期、伊予宇都宮氏がココにお城を築城したのが始まりです。
伊予宇都宮氏は約200年に渡りこの地を治めますが、1575年に毛利の命を受けた大野氏に城を追われます。
その後、大野氏は1585年に、今度は秀吉の命を受けた小早川隆景に攻め滅ぼされます。
小早川隆景は、関ケ原の戦いで石田三成を裏切って徳川家康側に寝返った、あの小早川秀秋の義父です。
その後1595年に、やはり秀吉の家来であった藤堂高虎が入城。
築城の名人であった高虎がこの城を近世の城郭として整備していきました。
1609年には脇坂安治が高虎に代わって入城し、建物を造営。この藤堂高虎と脇坂安治の時に、この城の天守をはじめとするほとんどの建物が造られています。
また、脇坂の時代に、それまで大津と呼ばれていたこの地は大洲に変わっています。
江戸時代になると、やはり秀吉の家来であった加藤貞泰が入り、以後は加藤家が12代にわたり大洲藩主としてこの地を治め、明治維新を迎えています。

旅行の満足度
4.5
同行者
家族旅行
交通手段
徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • ホテルをチェックアウトして、ホテルに荷物とレンタカーを預け、大洲の城下町を引き続き散策です。<br />ホテルから徒歩3分、大洲街の駅「あさもや」さんへ。<br />旧市街のど真ん中にあり、観光案内所や人力車もあります。<br />夏に開催される肱川の鵜飼はココで申し込むようですね。<br /><br />ここで少しお土産を物色。<br />地元お大洲のお菓子である「志ぐれ」を購入。<br />ホテルでチェックイン時に戴いて美味しかったお菓子です。<br />明治8年創業の冨永松栄堂さんという、地元の老舗のお菓子屋さんの和菓子です。

    ホテルをチェックアウトして、ホテルに荷物とレンタカーを預け、大洲の城下町を引き続き散策です。
    ホテルから徒歩3分、大洲街の駅「あさもや」さんへ。
    旧市街のど真ん中にあり、観光案内所や人力車もあります。
    夏に開催される肱川の鵜飼はココで申し込むようですね。

    ここで少しお土産を物色。
    地元お大洲のお菓子である「志ぐれ」を購入。
    ホテルでチェックイン時に戴いて美味しかったお菓子です。
    明治8年創業の冨永松栄堂さんという、地元の老舗のお菓子屋さんの和菓子です。

  • 赤レンガの建物が現れました。<br />ココは、大洲商業銀行の本店だった建物です。<br />明治34年(1901年)に建てられました。<br />洋式の煉瓦建築ですが、屋根は和瓦で、鬼瓦に「商」の文字が入るという和洋折衷の建物でした。

    赤レンガの建物が現れました。
    ココは、大洲商業銀行の本店だった建物です。
    明治34年(1901年)に建てられました。
    洋式の煉瓦建築ですが、屋根は和瓦で、鬼瓦に「商」の文字が入るという和洋折衷の建物でした。

  • 明治中期から大正にかけて、木蝋や製糸の製造、そして舟運による流通の拠点として大洲が隆盛を極めた時代に出来た銀行の本店です。<br /><br />大洲の経済的繁栄や当時の文化水準の高さをこんな所でも感じることができます。<br /><br />館内は、地元作家による手づくりの和小物、陶芸、雑貨等を販売していました。

    明治中期から大正にかけて、木蝋や製糸の製造、そして舟運による流通の拠点として大洲が隆盛を極めた時代に出来た銀行の本店です。

    大洲の経済的繁栄や当時の文化水準の高さをこんな所でも感じることができます。

    館内は、地元作家による手づくりの和小物、陶芸、雑貨等を販売していました。

  • 古い建物が並ぶ地域を抜けて行きます。

    古い建物が並ぶ地域を抜けて行きます。

  • 素敵な街並み残っている大洲の旧市街です。

    素敵な街並み残っている大洲の旧市街です。

  • そして、肱川沿いへ。。<br />お城の塀の延長のような演出の防波堤です。

    そして、肱川沿いへ。。
    お城の塀の延長のような演出の防波堤です。

  • 肱川橋の上から川下を眺めると、

    肱川橋の上から川下を眺めると、

  • 小高い山に上の大洲城が見えました。

    小高い山に上の大洲城が見えました。

  • 大洲市内で大きく蛇行をしてる肱川。<br />肱川が大洲城の自然のお堀になっていることが判ります。

    大洲市内で大きく蛇行をしてる肱川。
    肱川が大洲城の自然のお堀になっていることが判ります。

  • 昨夜私たちがディナーを戴いたホテルNIPPONIA大洲城下町のレストラン棟と宿泊棟を兼ねたSADA棟です。<br />古民家をリノベーションしたレストラン、素敵だったし美味しかったな~

    昨夜私たちがディナーを戴いたホテルNIPPONIA大洲城下町のレストラン棟と宿泊棟を兼ねたSADA棟です。
    古民家をリノベーションしたレストラン、素敵だったし美味しかったな~

  • レストランの前から大洲城を見上げます。

    レストランの前から大洲城を見上げます。

  • さあお城に向かって坂を上っていきましょう。<br />お天気が良く、気持ちいいです。

    さあお城に向かって坂を上っていきましょう。
    お天気が良く、気持ちいいです。

  • レストラン棟と宿泊棟を兼ねたSADA棟を振り返ります。

    レストラン棟と宿泊棟を兼ねたSADA棟を振り返ります。

  • お城に登城する武士たちは、こうやって天守を見上げながら登城していたんだろうな~~

    お城に登城する武士たちは、こうやって天守を見上げながら登城していたんだろうな~~

  • 高い石垣の上に建つ天守を見上げます。

    高い石垣の上に建つ天守を見上げます。

  • 坂を上りきりました。<br />天守は目の前!<br /><br />手前は高欄櫓ですね。

    坂を上りきりました。
    天守は目の前!

    手前は高欄櫓ですね。

  • これは天守台の石垣です。<br />地震で何度かの修復跡が残っているそうです。<br />発掘調査の結果、石垣の内側にさらにもう1列石垣が検出されており、現存する天守台の複雑な築城過程一端が明らかになったとのことです。

    これは天守台の石垣です。
    地震で何度かの修復跡が残っているそうです。
    発掘調査の結果、石垣の内側にさらにもう1列石垣が検出されており、現存する天守台の複雑な築城過程一端が明らかになったとのことです。

  • 本丸は上段と下段に分かれており、下段にこの井戸丸があります。<br />直径3.8mの井戸です。

    本丸は上段と下段に分かれており、下段にこの井戸丸があります。
    直径3.8mの井戸です。

  • 角度的にはここが天守の正面かな?<br />右は台所櫓です。

    角度的にはここが天守の正面かな?
    右は台所櫓です。

  • 天守台にお邪魔しました。<br />格子窓の下に鉄砲挟間がありますね。

    天守台にお邪魔しました。
    格子窓の下に鉄砲挟間がありますね。

  • 天守台からの北側の景色です。<br />肱川が綺麗に見えます。

    天守台からの北側の景色です。
    肱川が綺麗に見えます。

  • 望遠でアップに。<br />予讃線の鉄橋が見えます。

    望遠でアップに。
    予讃線の鉄橋が見えます。

  • 大洲城築城のジオラマがありました。

    大洲城築城のジオラマがありました。

  • ドールハウスが大好きな相方は、このジオラマに釘付けになってしまいました。

    ドールハウスが大好きな相方は、このジオラマに釘付けになってしまいました。

  • 船や馬で物資を運ぶ人、石を仕分けする人、危険な箇所に登って作業する人、川に落ちる人、<br />城を造る様々な人が人形で表現されています。

    船や馬で物資を運ぶ人、石を仕分けする人、危険な箇所に登って作業する人、川に落ちる人、
    城を造る様々な人が人形で表現されています。

  • 明治の廃城令で、大洲城も多くの建物が取り壊されましたが、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されました。<br />しかし天守は老朽化のために明治21年(1888年)に解体されてしまいました。<br /><br />今の天守は、平成16年(2004年)に復元されたものです。

    明治の廃城令で、大洲城も多くの建物が取り壊されましたが、地元住民の活動によって本丸の天守・櫓は一部保存されました。
    しかし天守は老朽化のために明治21年(1888年)に解体されてしまいました。

    今の天守は、平成16年(2004年)に復元されたものです。

  • この天守復元は、住民の保護活動や寄付に始まり、専門家らによる伝統工法を用いた技術によって、約十年の歳月をかけて復元されました。

    この天守復元は、住民の保護活動や寄付に始まり、専門家らによる伝統工法を用いた技術によって、約十年の歳月をかけて復元されました。

  • 戦後に木造で復元された四層四階の天守は日本初で、19.15mの高さは日本一だそうです。

    戦後に木造で復元された四層四階の天守は日本初で、19.15mの高さは日本一だそうです。

  • 復元にあたっては、明治時代の古写真や豊富な資料を基に、当時の姿を正確に復元されました。

    復元にあたっては、明治時代の古写真や豊富な資料を基に、当時の姿を正確に復元されました。

  • 復元に必要な多くの資料が残っていることはラッキーだったようですね。<br />地元の方々の熱意も凄かったようです。

    復元に必要な多くの資料が残っていることはラッキーだったようですね。
    地元の方々の熱意も凄かったようです。

  • 天守の窓から外を覗いたら、肱川の下流方面が見えました。

    天守の窓から外を覗いたら、肱川の下流方面が見えました。

  • これだけ立派な材木を集めるのも大変だったろうな~

    これだけ立派な材木を集めるのも大変だったろうな~

  • まだ木の新しい匂いがします。

    まだ木の新しい匂いがします。

  • 天守の屋根に取り付けられているのと同じ瓦製の鯱です。<br />市立博物館にある、寛文5年(1665年)につくられた鯱を参考に製作されました。<br />鯱は空想上の生き物で、水や雨と関係することから、火除けのまじないとして建物の最上部に取り付けられています。

    天守の屋根に取り付けられているのと同じ瓦製の鯱です。
    市立博物館にある、寛文5年(1665年)につくられた鯱を参考に製作されました。
    鯱は空想上の生き物で、水や雨と関係することから、火除けのまじないとして建物の最上部に取り付けられています。

  • 天守から南を眺めてみました。

    天守から南を眺めてみました。

  • 昨夜私たちがディナーを戴いたホテルNIPPONIA大洲城下町のレストラン棟と宿泊棟を兼ねたSADA棟が見えます。

    昨夜私たちがディナーを戴いたホテルNIPPONIA大洲城下町のレストラン棟と宿泊棟を兼ねたSADA棟が見えます。

  • 北側の景色。<br />肱川と山々が奇麗ですね。

    北側の景色。
    肱川と山々が奇麗ですね。

  • アップにすると、肱川に架かる予讃線の鉄橋が見えます。

    アップにすると、肱川に架かる予讃線の鉄橋が見えます。

  • 少し右に目を向けると肱川の対岸に大洲市の中心部が見えます。

    少し右に目を向けると肱川の対岸に大洲市の中心部が見えます。

  • こちらは肱川の上流側です。

    こちらは肱川の上流側です。

  • ココにも天守築城時のジオラマがありました。

    ココにも天守築城時のジオラマがありました。

  • 多くの職人が仕事してますね~

    多くの職人が仕事してますね~

  • 多くの方々がかかわって築城されたことがわかりますね。

    多くの方々がかかわって築城されたことがわかりますね。

  • ここは天守に隣接する高欄櫓です。

    ここは天守に隣接する高欄櫓です。

  • この高欄櫓、江戸初期には建てられていたようですが、現在の櫓は、安政4(1857)年の大地震により大破したため、江戸末期の文久元(1861)年に再建されたものです。

    この高欄櫓、江戸初期には建てられていたようですが、現在の櫓は、安政4(1857)年の大地震により大破したため、江戸末期の文久元(1861)年に再建されたものです。

  • 2階に上がってみましょう。

    2階に上がってみましょう。

  • ここが高欄櫓の2階です。

    ここが高欄櫓の2階です。

  • 2階に窓の外へ出るための廻縁(まわりえん)が設けられ、そこに本櫓の名前の由来にもなっている高欄と呼ばれる手摺が付けられている点です。

    2階に窓の外へ出るための廻縁(まわりえん)が設けられ、そこに本櫓の名前の由来にもなっている高欄と呼ばれる手摺が付けられている点です。

  • 高欄は天守につけられるのが普通で、櫓に設置された例はめずらしく、天守に次ぐ高い格式を備えた櫓と考えられます。

    高欄は天守につけられるのが普通で、櫓に設置された例はめずらしく、天守に次ぐ高い格式を備えた櫓と考えられます。

  • 高欄櫓から見上げた天守です。

    高欄櫓から見上げた天守です。

  • 素敵な景色ですね~

    素敵な景色ですね~

  • これは石落としですね。

    これは石落としですね。

  • 外に出てきました。

    外に出てきました。

  • 天守から下に降りましょう。<br />高台にあるお城は様々な景色が素敵ですね~<br /><br />ここに「暗り門」という門があったそうです。

    天守から下に降りましょう。
    高台にあるお城は様々な景色が素敵ですね~

    ここに「暗り門」という門があったそうです。

  • 「暗り門」の案内。<br />天守に向かう最後の門だったようです。

    「暗り門」の案内。
    天守に向かう最後の門だったようです。

  • 昔を想像しても今一つイメージできませんね~

    昔を想像しても今一つイメージできませんね~

  • ここには「かま櫓」と言う櫓があった所です。

    ここには「かま櫓」と言う櫓があった所です。

  • 「かま櫓」の案内です。

    「かま櫓」の案内です。

  • 一部残る石垣を見ながら下りて行きます。

    一部残る石垣を見ながら下りて行きます。

  • あそこにある像は?

    あそこにある像は?

  • 中江藤樹の像でした。<br /><br />江戸時代の初期、身分の上下をこえた平等思想を唱えた陽明学者ですよね。<br />10歳から27歳までこの大洲で過ごしていたそうです。

    中江藤樹の像でした。

    江戸時代の初期、身分の上下をこえた平等思想を唱えた陽明学者ですよね。
    10歳から27歳までこの大洲で過ごしていたそうです。

  • 石垣の上の大洲城が美しい・・

    石垣の上の大洲城が美しい・・

  • 藤棚越しに大洲城を撮影してみました。

    藤棚越しに大洲城を撮影してみました。

  • 南側からの正面の画が一番美しいかな?

    南側からの正面の画が一番美しいかな?

  • お城からレンタカーを停めてあるホテルNIPPPONIA大洲城下町へ向かって歩いていると、こんなところに出ました。<br /><br />ポコペン横丁。<br />ホーロー看板、昔ながらの車やおもちゃなど多数展示してあるタイムスリップ空間でした。

    お城からレンタカーを停めてあるホテルNIPPPONIA大洲城下町へ向かって歩いていると、こんなところに出ました。

    ポコペン横丁。
    ホーロー看板、昔ながらの車やおもちゃなど多数展示してあるタイムスリップ空間でした。

  • 私たちが泊まったNIPPPONIA大洲城下町は、大洲の街の中に宿泊施設が点在する分散型ホテルです。<br /><br />所々でNIPPPONIA大洲城下町の宿泊棟の建物が出てきます。

    私たちが泊まったNIPPPONIA大洲城下町は、大洲の街の中に宿泊施設が点在する分散型ホテルです。

    所々でNIPPPONIA大洲城下町の宿泊棟の建物が出てきます。

  • ココにもNIPPONAの宿泊棟が・・・

    ココにもNIPPONAの宿泊棟が・・・

  • 城下町の素敵な旧市街を進んでいきます。<br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br /><br />

    城下町の素敵な旧市街を進んでいきます。








  • 私たちが宿泊したNIPPONIA大洲城下町の近くの、おはなはん通りにあるこのお店で遅めのランチにすることにしました。<br /><br />「旬」さんという和食屋さんです。

    私たちが宿泊したNIPPONIA大洲城下町の近くの、おはなはん通りにあるこのお店で遅めのランチにすることにしました。

    「旬」さんという和食屋さんです。

  • こんなメニューです。

    こんなメニューです。

  • 奥に進んでみます。

    奥に進んでみます。

  • お邪魔します。

    お邪魔します。

  • 13時30分でしたが、ギリギリラストオーダーの時間で入ることができました。<br />靴を脱いで中へ。

    13時30分でしたが、ギリギリラストオーダーの時間で入ることができました。
    靴を脱いで中へ。

  • お宅の奥に案内されます。

    お宅の奥に案内されます。

  • 古民家のお座敷はほぼ満席。<br />続き間の奥の角の席に案内されます。

    古民家のお座敷はほぼ満席。
    続き間の奥の角の席に案内されます。

  • オーダーしたのは「ふるさと御膳 1100円」×2<br /><br />左は鯛の炊き込みご飯です。<br />右は夏芋と呼ばれる大洲特産の里芋と、鶏肉を煮込んだ芋炊きです。<br /><br />これ、美味しかったな~~

    オーダーしたのは「ふるさと御膳 1100円」×2

    左は鯛の炊き込みご飯です。
    右は夏芋と呼ばれる大洲特産の里芋と、鶏肉を煮込んだ芋炊きです。

    これ、美味しかったな~~

  • この扁額、伊藤博文???<br />本物??<br /><br />天守に伺ったら、「本物だったらココには置いていませんね~」・・・・

    この扁額、伊藤博文???
    本物??

    天守に伺ったら、「本物だったらココには置いていませんね~」・・・・

  • ご馳走様でした。

    ご馳走様でした。

  • NIPPONIA大洲城下町の駐車場のレンタカーに戻り出発。<br />最後に肱川の対岸から大洲城を見てみることにしました。<br /><br />肱川緑地公園です。

    NIPPONIA大洲城下町の駐車場のレンタカーに戻り出発。
    最後に肱川の対岸から大洲城を見てみることにしました。

    肱川緑地公園です。

  • 肘川の流れの奥に緑の小高い丘があってその上に大洲城が見えます。

    肘川の流れの奥に緑の小高い丘があってその上に大洲城が見えます。

  • 最後にアップ!

    最後にアップ!

  • こんな大洲城の景色を見て、大洲の旧市街をあとにしました。<br /><br />つづく

    こんな大洲城の景色を見て、大洲の旧市街をあとにしました。

    つづく

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