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松山に訪れた際の目的の一つに、「ここならではの鍋焼きうどんを戴くこと」と決めていました。<br />アルミの鍋に入った鍋焼きうどんです。<br />創業は昭和24年(1949年)。<br />戦後の物資不足時代に、丈夫で長持ちするアルミ鍋が使われるようになったそうです。<br /><br />そして秋山兄弟生誕地へ。<br />司馬遼太郎の「坂の上の雲」の愛読者としては、その主人公である3人のうちの2人の家の生誕地を訪ねることは感動的なことです。<br /><br />次に、正岡子規が17歳まで過ごした住居を、正宗寺の境内に復元した子規堂を訪ねました。<br /><br />さらにスタバの中にある坊ちゃん列車ミュージアムへ。

9日間で愛媛県をグルっと巡ってきました。⑯松山のソウルフードのアルミ鍋の鍋焼きうどんランチ~秋山兄弟生誕地~子規堂~坊ちゃん列車ミュージアム

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2024/04/12 - 2024/04/20

305位(同エリア1650件中)

nichi

nichiさん

この旅行記のスケジュール

2024/04/16

この旅行記スケジュールを元に

松山に訪れた際の目的の一つに、「ここならではの鍋焼きうどんを戴くこと」と決めていました。
アルミの鍋に入った鍋焼きうどんです。
創業は昭和24年(1949年)。
戦後の物資不足時代に、丈夫で長持ちするアルミ鍋が使われるようになったそうです。

そして秋山兄弟生誕地へ。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の愛読者としては、その主人公である3人のうちの2人の家の生誕地を訪ねることは感動的なことです。

次に、正岡子規が17歳まで過ごした住居を、正宗寺の境内に復元した子規堂を訪ねました。

さらにスタバの中にある坊ちゃん列車ミュージアムへ。

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
私鉄 徒歩
旅行の手配内容
個別手配
  • 坂の上の雲ミュージアムから徒歩10分。<br />「鍋焼きうどん ことり」さんに到着です。<br /><br />外観が昭和っぽくて素敵です。<br />

    坂の上の雲ミュージアムから徒歩10分。
    「鍋焼きうどん ことり」さんに到着です。

    外観が昭和っぽくて素敵です。

  • たまたまお客さんがどどーっとおかえりになるタイミングでお店に入りました。<br />昭和っぽさが素敵です。

    たまたまお客さんがどどーっとおかえりになるタイミングでお店に入りました。
    昭和っぽさが素敵です。

  • メニューはシンプルに、鍋焼きうどん、いなりすし の2つだけです。

    メニューはシンプルに、鍋焼きうどん、いなりすし の2つだけです。

  • お稲荷さん。<br />最後の2ケでした。

    お稲荷さん。
    最後の2ケでした。

  • やってきました!

    やってきました!

  • 蓋を開けると~~<br /><br />昆布の出汁の香りがぷ~~ん。。

    蓋を開けると~~

    昆布の出汁の香りがぷ~~ん。。

  • 麺は柔らかすぎず、しっかりとしています。<br />麵の上には牛肉。<br />スープはイリコと昆布の出汁ですね。<br />すっきりしていて美味しかったです。

    麺は柔らかすぎず、しっかりとしています。
    麵の上には牛肉。
    スープはイリコと昆布の出汁ですね。
    すっきりしていて美味しかったです。

  • 大街道にこんなものがありました。<br /><br />正岡子規の像が付いた俳句ポストです。<br />元郵便ポストなんですね。

    大街道にこんなものがありました。

    正岡子規の像が付いた俳句ポストです。
    元郵便ポストなんですね。

  • 大街道で、ちょっとアイスコーヒーブレイクです。<br /><br />大街道は松山を代表する繁華街だけあって、人通りが多いですね~

    大街道で、ちょっとアイスコーヒーブレイクです。

    大街道は松山を代表する繁華街だけあって、人通りが多いですね~

  • 次にやってきたのは、秋山兄弟の生誕地です。

    次にやってきたのは、秋山兄弟の生誕地です。

  • 司馬遼太郎の「坂の上の雲」の愛読者としては、欠かせない場所です。

    司馬遼太郎の「坂の上の雲」の愛読者としては、欠かせない場所です。

  • 300円×2名

    300円×2名

  • お邪魔します。<br /><br />ここで秋山兄弟は生まれたのか~~

    お邪魔します。

    ここで秋山兄弟は生まれたのか~~

  • 秋山兄弟の弟。<br />日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破った秋山眞之の像です。<br /><br />松山藩の下級武士の五男としてここで生まれました。<br />海軍中将まで上り詰め、正岡子規の幼馴染です。<br />戦前にアメリカの新聞記者に対し、「日本には、アメリカと事を構えるような非常識なことを考える愚か者はいない。しかし、帝国の存立を危うくすることあれば、その時こそ一隻の老朽艦を以てしても極力抗戦するであろう」と話していたのは有名な話です。<br />秋山眞之は49歳の時に病気で亡くなりますが、もう少し長生きしていたら、太平洋戦争は起きていなかったという考え方も一部あるそうです。<br /><br />NHKドラマ「坂の上の雲」では、本木雅弘さんが演じていました。

    秋山兄弟の弟。
    日露戦争の日本海海戦でバルチック艦隊を破った秋山眞之の像です。

    松山藩の下級武士の五男としてここで生まれました。
    海軍中将まで上り詰め、正岡子規の幼馴染です。
    戦前にアメリカの新聞記者に対し、「日本には、アメリカと事を構えるような非常識なことを考える愚か者はいない。しかし、帝国の存立を危うくすることあれば、その時こそ一隻の老朽艦を以てしても極力抗戦するであろう」と話していたのは有名な話です。
    秋山眞之は49歳の時に病気で亡くなりますが、もう少し長生きしていたら、太平洋戦争は起きていなかったという考え方も一部あるそうです。

    NHKドラマ「坂の上の雲」では、本木雅弘さんが演じていました。

  • 眞之の像を後ろから見ると、眞之の視線の先に馬が見えます。<br />馬に乗っているのは兄の秋山好古です。<br /><br />「坂の上の雲」の主人公3人のうち2人がココにいます。

    眞之の像を後ろから見ると、眞之の視線の先に馬が見えます。
    馬に乗っているのは兄の秋山好古です。

    「坂の上の雲」の主人公3人のうち2人がココにいます。

  • こちらが兄の秋山好古です。<br /><br />好古は三男です。<br />弟と違って兄は陸軍。<br />陸軍大将まで上り詰めました。<br />戦後は教育者として晩年は中学の校長を務めています。<br /><br />NHKドラマ「坂の上の雲」では、阿部寛さんが演じていました。

    こちらが兄の秋山好古です。

    好古は三男です。
    弟と違って兄は陸軍。
    陸軍大将まで上り詰めました。
    戦後は教育者として晩年は中学の校長を務めています。

    NHKドラマ「坂の上の雲」では、阿部寛さんが演じていました。

  • 兄の好古の視線の先には弟の眞之が座ってます。

    兄の好古の視線の先には弟の眞之が座ってます。

  • ココが秋山兄弟の生家。<br />昭和20年の空襲で焼けてしまったので、様々な資料を基に忠実に復元した建物です。

    ココが秋山兄弟の生家。
    昭和20年の空襲で焼けてしまったので、様々な資料を基に忠実に復元した建物です。

  • 入口の土間で、映像を拝見しました。<br /><br />父親は松山藩の下級武士。<br />少し貧しかったようです。<br />この小さな家で、6人子供がいる8人で暮らしていたのですね。<br /><br />藩では徒目付(かちめつけ)という役職で、城内警護や登城者の監察、城下町の内偵などの隠密活動も行っていたそうです。<br /><br />よって、下級武士であるにもかかわらず、呼ばれればすぐに登城する必要があったため、城の近くに居を構えていたそうです。<br /><br />勉強熱心で教養豊かだったため、廃藩後は県の教師などを務めたそうです。

    入口の土間で、映像を拝見しました。

    父親は松山藩の下級武士。
    少し貧しかったようです。
    この小さな家で、6人子供がいる8人で暮らしていたのですね。

    藩では徒目付(かちめつけ)という役職で、城内警護や登城者の監察、城下町の内偵などの隠密活動も行っていたそうです。

    よって、下級武士であるにもかかわらず、呼ばれればすぐに登城する必要があったため、城の近くに居を構えていたそうです。

    勉強熱心で教養豊かだったため、廃藩後は県の教師などを務めたそうです。

  • 土間の台所です。

    土間の台所です。

  • 鴨居に長刀と槍が掛かっていますね。

    鴨居に長刀と槍が掛かっていますね。

  • 家には上がれないので、庭から家の中を拝見します。

    家には上がれないので、庭から家の中を拝見します。

  • 6畳×2、8畳×2+台所<br />この家に家族8人かぁ~~<br /><br />この和室の真ん中には火鉢がありますね。<br />みんなで囲んだのでしょうね。

    6畳×2、8畳×2+台所
    この家に家族8人かぁ~~

    この和室の真ん中には火鉢がありますね。
    みんなで囲んだのでしょうね。

  • この和室も落ち着いた部屋ですね。<br /><br />鴨居にかかっている扁額ですが、、<br />

    この和室も落ち着いた部屋ですね。

    鴨居にかかっている扁額ですが、、

  • 「一以貫之」<br />いちもってこれをつらぬく<br /><br />秋山好古の晩年の書です。<br /><br />「誠実や思いやりのことを頭で知ることではなく、生涯実行すること」という意味の孔子の言葉ですが、好古の考えでもあったようです。

    「一以貫之」
    いちもってこれをつらぬく

    秋山好古の晩年の書です。

    「誠実や思いやりのことを頭で知ることではなく、生涯実行すること」という意味の孔子の言葉ですが、好古の考えでもあったようです。

  • 床の間の掛け軸にかかっていたこの書<br /><br />「静以安人」<br />せいをもってひとをやすんず<br /><br />これも好古の書です。<br />「物静かなことは、人の心を安らかにする」<br />と言う意味です。<br /><br /><br /><br />

    床の間の掛け軸にかかっていたこの書

    「静以安人」
    せいをもってひとをやすんず

    これも好古の書です。
    「物静かなことは、人の心を安らかにする」
    と言う意味です。



  • 秋山兄弟、産湯の井戸です。<br />左には、秋山好古の好物だったイチジクの木が植わっています。

    秋山兄弟、産湯の井戸です。
    左には、秋山好古の好物だったイチジクの木が植わっています。

  • ココにも俳句ポスト。

    ココにも俳句ポスト。

  • 秋山兄弟生誕地をあとにしたシニア夫婦は、大街道より路面電車に乗ります。

    秋山兄弟生誕地をあとにしたシニア夫婦は、大街道より路面電車に乗ります。

  • たまたま運転席の真後ろに立ったので、前を撮影しました。<br />正面は松山城の三の丸の緑ですね。<br />

    たまたま運転席の真後ろに立ったので、前を撮影しました。
    正面は松山城の三の丸の緑ですね。

  • 大街道駅から県庁前駅、市庁舎前駅経由で、松山市駅にやってきました。

    大街道駅から県庁前駅、市庁舎前駅経由で、松山市駅にやってきました。

  • ここは路面電車の終点駅です。

    ここは路面電車の終点駅です。

  • ココは、土日祝のみ運行される、坊ちゃん列車の出発駅でもあります。<br /><br />右の看板に、「日本最初の軽便鉄道」の表記があります。

    ココは、土日祝のみ運行される、坊ちゃん列車の出発駅でもあります。

    右の看板に、「日本最初の軽便鉄道」の表記があります。

  • 松山市駅から徒歩3分。<br />子規堂にやってきました。<br />正岡家の菩提寺である正宗寺の境内にあります。<br /><br />正岡子規がシルエットになってますね。

    松山市駅から徒歩3分。
    子規堂にやってきました。
    正岡家の菩提寺である正宗寺の境内にあります。

    正岡子規がシルエットになってますね。

  • 入場料は、50円×2名<br /><br />昔の切符になっています。<br />明治21年10月28日 松山-三津間(6.8キロメートル)運転開始ですので、その日の切符なのですね~~

    入場料は、50円×2名

    昔の切符になっています。
    明治21年10月28日 松山-三津間(6.8キロメートル)運転開始ですので、その日の切符なのですね~~

  • 正岡子規が17歳まで過ごした住居を、境内に復元した文学資料館です。

    正岡子規が17歳まで過ごした住居を、境内に復元した文学資料館です。

  • 建物の前に子規の像。<br />17歳で東京に旅立った子規の銅像ですね。<br /><br />さあ子規堂の中へ。

    建物の前に子規の像。
    17歳で東京に旅立った子規の銅像ですね。

    さあ子規堂の中へ。

  • 子規や親交の深かった夏目漱石らに関係する原稿などの文学資料が展示されています。

    子規や親交の深かった夏目漱石らに関係する原稿などの文学資料が展示されています。

  • 子規が松山中学に入学した際に増築して作ってもらった三畳の勉強部屋です。

    子規が松山中学に入学した際に増築して作ってもらった三畳の勉強部屋です。

  • 子規の三畳の勉強部屋の説明書きです。<br />確かに、天井が無い。。。

    子規の三畳の勉強部屋の説明書きです。
    確かに、天井が無い。。。

  • ココは六畳の居間です。

    ココは六畳の居間です。

  • 家具も昔のものですね。

    家具も昔のものですね。

  • 最初、子規は、先ほど見た玄関わきの三畳ができるまで、この居間の片隅でこのような机を置いて勉強していました。

    最初、子規は、先ほど見た玄関わきの三畳ができるまで、この居間の片隅でこのような机を置いて勉強していました。

  • 庭を見ながら勉強していたのかな~?

    庭を見ながら勉強していたのかな~?

  • 子規筆<br /><br />薬物帳と草花帳が展示されていました。

    子規筆

    薬物帳と草花帳が展示されていました。

  • 子規が病気になって、枕に頭をつけながら描いたという、薬物帳と草花帳の2冊。<br />画が上手いですね。

    子規が病気になって、枕に頭をつけながら描いたという、薬物帳と草花帳の2冊。
    画が上手いですね。

  • こんな額が展示されていました。<br />子規はこうやって描いていたのですね~

    こんな額が展示されていました。
    子規はこうやって描いていたのですね~

  • 子規堂を出ました。

    子規堂を出ました。

  • 子規堂を出ると、子規のレリーフがありました。<br />有名な横顔ですね。

    子規堂を出ると、子規のレリーフがありました。
    有名な横顔ですね。

  • 坊ちゃん列車が展示されています。

    坊ちゃん列車が展示されています。

  • 夏目漱石が松山へ教師として赴任したのは明治28年。<br />まさにこの列車に乗っていたのですね。

    夏目漱石が松山へ教師として赴任したのは明治28年。
    まさにこの列車に乗っていたのですね。

  • 夏目漱石の小説「坊つちやん」の中で「マッチ箱のような汽車」と紹介されています。

    夏目漱石の小説「坊つちやん」の中で「マッチ箱のような汽車」と紹介されています。

  • 中に入ってみました。<br />木のベンチシートだったのですね。<br /><br />小説の中の主人公ぼっちゃんがこの軽便鉄道を利用していたことから、坊ちゃん列車と呼ばれるようになったとのことです。

    中に入ってみました。
    木のベンチシートだったのですね。

    小説の中の主人公ぼっちゃんがこの軽便鉄道を利用していたことから、坊ちゃん列車と呼ばれるようになったとのことです。

  • 子規と野球の碑です。<br />野球のルールや技術を記述で解説し、我が国の野球の先駆者です。<br />現代でも普通に使われている野球用語は、子規がつくった言葉です。<br /><br />打者、走者、四球、死球、直球、飛球<br /><br />知らなかったな~~<br /><br />また、子規の幼少の頃の名前は幼名である「升(のぼる)」でした。<br />それにちなんで、野球に関する俳句を詠む際、「野球」という雅号(名前)で、「のぼーる」と読ませていました。<br />面白いですね~

    子規と野球の碑です。
    野球のルールや技術を記述で解説し、我が国の野球の先駆者です。
    現代でも普通に使われている野球用語は、子規がつくった言葉です。

    打者、走者、四球、死球、直球、飛球

    知らなかったな~~

    また、子規の幼少の頃の名前は幼名である「升(のぼる)」でした。
    それにちなんで、野球に関する俳句を詠む際、「野球」という雅号(名前)で、「のぼーる」と読ませていました。
    面白いですね~

  • ここにも俳句ポスト。

    ここにも俳句ポスト。

  • 句碑がありました。<br />高浜虚子ですね。<br /><br />でも達筆すぎて読めない。。。。

    句碑がありました。
    高浜虚子ですね。

    でも達筆すぎて読めない。。。。

  • 笹啼きが初音になりし頃のこと<br /><br />笹啼きとは、ウグイスがまだちゃんと啼けない様子なのだそうです。<br />正岡子規の友人である柳原極堂と子規が創刊した雑誌ホトトギスは、その後高浜虚子が引き継いでいました。<br />600号記念会がココ正宗寺で開催され、高浜虚子がその際に詠んだ句です。<br />「ホトトギス」発足の頃を、ウグイスの「笹啼き」にたとえたのだそうです。<br />お洒落ですね~~

    笹啼きが初音になりし頃のこと

    笹啼きとは、ウグイスがまだちゃんと啼けない様子なのだそうです。
    正岡子規の友人である柳原極堂と子規が創刊した雑誌ホトトギスは、その後高浜虚子が引き継いでいました。
    600号記念会がココ正宗寺で開催され、高浜虚子がその際に詠んだ句です。
    「ホトトギス」発足の頃を、ウグイスの「笹啼き」にたとえたのだそうです。
    お洒落ですね~~

  • 子規堂をでて、坊ちゃん列車ミュージアムに向かう途中、前日に訪れた松山城の天守が見えました。

    子規堂をでて、坊ちゃん列車ミュージアムに向かう途中、前日に訪れた松山城の天守が見えました。

  • 坊ちゃん列車ミュージアムにやってきました。<br />伊予鉄の本社の一階にあります。<br />なんと入口はスターバックスから。。<br />入場は無料です。

    坊ちゃん列車ミュージアムにやってきました。
    伊予鉄の本社の一階にあります。
    なんと入口はスターバックスから。。
    入場は無料です。

  • ココに展示されているのは、伊予鉄道一号機関車の原寸模型です。<br />明治21年(1888年)から昭和29年(1954年)まで67年間にわたり松山の平野を走り続けました。<br />坊ちゃんが乗っていた客車を引っ張っていた機関車ですね。

    ココに展示されているのは、伊予鉄道一号機関車の原寸模型です。
    明治21年(1888年)から昭和29年(1954年)まで67年間にわたり松山の平野を走り続けました。
    坊ちゃんが乗っていた客車を引っ張っていた機関車ですね。

  • 伊予鉄道の歴史です。<br />明治20年(1887年)に創立された、南海電鉄に次いで日本で2番目に古い歴史を持つ民鉄です。<br /><br />松山の港(三津)と松山の街を船運に代わって結んだのがその始まりなんですね。

    伊予鉄道の歴史です。
    明治20年(1887年)に創立された、南海電鉄に次いで日本で2番目に古い歴史を持つ民鉄です。

    松山の港(三津)と松山の街を船運に代わって結んだのがその始まりなんですね。

  • 初代社長の小林信近<br /><br />かなり苦労を重ねて鉄道会社をスタートさせ、その後は松山商工会議所、伊予銀行、四国電力の創立、そして高浜港の開港など、明治時代の愛媛経済の基盤を造った方なのですね。<br />愛媛の偉人だ~~

    初代社長の小林信近

    かなり苦労を重ねて鉄道会社をスタートさせ、その後は松山商工会議所、伊予銀行、四国電力の創立、そして高浜港の開港など、明治時代の愛媛経済の基盤を造った方なのですね。
    愛媛の偉人だ~~

  • この小さな機関車が街中で客車や貨車を引っ張っていたのですね~

    この小さな機関車が街中で客車や貨車を引っ張っていたのですね~

  • 模型が精巧です。

    模型が精巧です。

  • このつり革、面白い!

    このつり革、面白い!

  • ここは、スターバックの店内であることを忘れます。

    ここは、スターバックの店内であることを忘れます。

  • シニア夫婦はスタバの席に座ってコーヒー飲みながら機関車を眺めます。

    シニア夫婦はスタバの席に座ってコーヒー飲みながら機関車を眺めます。

  • コーヒー飲んだ後は、目の前の松山市駅にやってきました。<br />伊予電鉄のメインの駅です。<br />駅ビルには大きな高島屋があって、高島屋の屋上には観覧車がありました。<br /><br />元々は松山駅でしたが、その後国鉄が開通し、少し離れたところに駅ができてそちらが松山駅になることになり、伊予鉄道の松山駅は松山市駅になりました。

    コーヒー飲んだ後は、目の前の松山市駅にやってきました。
    伊予電鉄のメインの駅です。
    駅ビルには大きな高島屋があって、高島屋の屋上には観覧車がありました。

    元々は松山駅でしたが、その後国鉄が開通し、少し離れたところに駅ができてそちらが松山駅になることになり、伊予鉄道の松山駅は松山市駅になりました。

  • 松山市駅からは、横河原線、郡中線、高浜線の3線が運行されています。

    松山市駅からは、横河原線、郡中線、高浜線の3線が運行されています。

  • プラットホームは2つあって、3番線まであります。<br />横河原線、郡中線、高浜線の3線ですね。<br /><br />このあと、この駅の上にある伊予高島屋の店内をプラプラしました。<br />賑わっていました!<br />東京や横浜の百貨店は元気がないけど、地方は元気なんですね~<br />素晴らしい!

    プラットホームは2つあって、3番線まであります。
    横河原線、郡中線、高浜線の3線ですね。

    このあと、この駅の上にある伊予高島屋の店内をプラプラしました。
    賑わっていました!
    東京や横浜の百貨店は元気がないけど、地方は元気なんですね~
    素晴らしい!

  • 松山城の三の丸に向かって歩いてみました。<br /><br />つづく

    松山城の三の丸に向かって歩いてみました。

    つづく

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