![別子銅山は、元禄4年(1691年)の開坑から昭和48年)1973年の閉山まで283年間、日本の三大銅山の一つとして栄えました。<br />かつては1万人以上の方々が暮らした鉱山都市で、かなり賑わっていたそうです。<br />その鉱山都市にはいくつかのエリアがあり、各エリア及び坑道の間を鉱山列車の線路が張り巡らされていました。<br /><br />鉱山が閉山となり、多くは森の中に眠っていますが、今では、端出場ゾーンと東平ゾーンが公開されています。<br />今回はマイントピア別子からツアーバスで東平ゾーンに行ってみました。<br />所要時間は往復の乗車時間を含めて約2時間。<br />東平ゾーンは、山奥にある独立した空中都市のようで、かつては3700人が暮らした街です。様々な鉱山施設、そして鉱山で働く人のための社宅だけでなく、学校や病院、郵便局や娯楽場までありました。<br />その遺構の一部をガイドさんについて廻ってみました。<br /><br />最初に訪れた東平歴史資料館では昔の写真をじっくり拝見しました。<br />かつてココには鉱山都市があって人々の生活があったことがよくわかりました。<br /><br />鉱山から搬出された鉱石は、東平の貯鉱庫に集められ、選鉱場で女性たちによって手作業で岩石と鉱石に分けられました。<br />そして順次索道で黒石駅(先ほど訪れた端出場の近く)まで降ろされました。<br /><br />石積みづくりの遺構は、要塞のようでした。<br /><br />マイントピア別子でランチを済ませ、端出場の旧水力発電所にも寄りましたが、鉱山が鉄道や発電と様々な横展開の発展につながり、それぞれが住友グループの源になっていったのがわかりました。](https://cdn.4travel.jp/img/thumbnails/imk/travelogue_album/11/90/51/650x_11905171.jpg?updated_at=1717462761)
2024/04/12 - 2024/04/20
8位(同エリア106件中)
nichiさん
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別子銅山は、元禄4年(1691年)の開坑から昭和48年)1973年の閉山まで283年間、日本の三大銅山の一つとして栄えました。
かつては1万人以上の方々が暮らした鉱山都市で、かなり賑わっていたそうです。
その鉱山都市にはいくつかのエリアがあり、各エリア及び坑道の間を鉱山列車の線路が張り巡らされていました。
鉱山が閉山となり、多くは森の中に眠っていますが、今では、端出場ゾーンと東平ゾーンが公開されています。
今回はマイントピア別子からツアーバスで東平ゾーンに行ってみました。
所要時間は往復の乗車時間を含めて約2時間。
東平ゾーンは、山奥にある独立した空中都市のようで、かつては3700人が暮らした街です。様々な鉱山施設、そして鉱山で働く人のための社宅だけでなく、学校や病院、郵便局や娯楽場までありました。
その遺構の一部をガイドさんについて廻ってみました。
最初に訪れた東平歴史資料館では昔の写真をじっくり拝見しました。
かつてココには鉱山都市があって人々の生活があったことがよくわかりました。
鉱山から搬出された鉱石は、東平の貯鉱庫に集められ、選鉱場で女性たちによって手作業で岩石と鉱石に分けられました。
そして順次索道で黒石駅(先ほど訪れた端出場の近く)まで降ろされました。
石積みづくりの遺構は、要塞のようでした。
マイントピア別子でランチを済ませ、端出場の旧水力発電所にも寄りましたが、鉱山が鉄道や発電と様々な横展開の発展につながり、それぞれが住友グループの源になっていったのがわかりました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
マイントピア別子で端場出ゾーンをぐるっと回ってきた私たちシニア夫婦は、予約済みの東平に向かうバスに乗ります。
出発10分前にバス乗り場に到着!
このマイクロバスが東平ゾーンへのツアーバスですね。
チケットを見せて私たちシニア夫婦は乗車。
しばらくしてマイクロバスは満になり出発しました。 -
元々は1万人以上の方々が暮らした鉱山都市です。から約11km山の奥深くに入った所にある東平ゾーン。
約30分で到着しました。
標高は750m。
先ほどの端出場エリアが標高330mでしたので、約420m上がってきたことになります。
先ほどより少し気温も下がりました。
上に見える煉瓦の建物は、保安本部の跡です。
元々は明治35年(1902年)にできた変電所です。
その後、事務所&電話交換所となり、明治38年(1905年)からは消防と警備の保安本部になりました。 -
ココの駐車場は広いです、
でもココまで来る道は狭く、断崖絶壁の道で、車がすれ違うのは困難です。
マイクロバスには先導車がいて、車がすれ違えるように誘導していました。
マイクロバスを降りて、ガイドさんについてみんなで移動します。 -
駐車場から上に見えるレンガの建物は、保安本部あった建物です。
-
桜が満開ですね。
-
まずは東平歴史資料館に伺いました。
入場は無料で撮影可でした。
ガイドさんの説明を聞きながら拝見しました。
江戸時代に発見された別子銅山。
明治時代に入り、殖産興業を掲げる政府の意を受け、住友が別子銅山を運営します。
採掘技術、鉱石の運搬、精錬技術、それに伴う発電と、どんどん近代化が図られ、技術が進歩していきます。 -
これがかつての東平(当なる)地区の写真です。
こうやって見ると、斜面にある都市ですね~
採鉱本部、保安本部、貯鉱庫、選鉱所、索道基地 などの鉱山施設。
保育園、小学校、娯楽場、病院、郵便局、社宅 などの生活施設。
急斜面に街がありますね~
かつては3700人もの人々が暮らした東平ゾーンです。
鉱山集落としての東平は大正5年から徐々に大きくなり、明治38年に東平に選鉱場ができてさらに大きな街となり、昭和43年まで存在していました。
それまでの選鉱場はさらにこの山の奥にあり、東延と呼ばれた場所。
現在はすっかり森の中に埋もれた古代遺跡のように眠っていて、その神秘的な姿が近年人気を博しているのだとか。。。 -
模型で別子銅山の東平ジーンを含めた上部の説明を受けました。
-
これは娯楽場の模型です。
旅芸人や歌舞伎の一座が来ると多くの観客で盛り上がったそうです。
戦後は映画の上映もあったそうです。 -
小学校の模型です。
大きいですね。 -
斜面を切り開いてこうやって社宅が建てられていたのですね。
各戸の窓から出ている棒は洗濯物を干すための棒です。
敷地が狭いため、窓から棒を縦に出していたんだそうです。 -
かつての東平の人々の生活の写真が展示されていました。
撮影可でした。
こんな険しい斜面の街です。
さすが鉱山の街です。 -
街のど真ん中に鉱石を運ぶ施設があります。
-
鉱山都市である東平の子供たち。
子供たちの奥は段々畑ではありません。
急斜面に並ぶ社宅です。 -
急斜面にある鉱山都市ですから、坂道が多いですね。
これが人々の日常だったのですね。 -
南国四国でも標高の高い東平では冬に雪が降ります。
斜面の街では大変だったでしょうね~ -
鉱山都市東平のお母さんたち。
ヘルメットかぶってトロッコに乗るお母さんたち。
買物に並ぶお母さんたち。
運動会で盛り上がるお母さんたち。 -
鉱山都市東平のお父さんたち。
-
この建物は、住友別子病院です。
※マイントピア別子のレストランに掲示されていた写真です。
撮影OKでした。 -
こんな街並みだったのですね~
※マイントピア別子のレストランに掲示されていた写真です。
撮影OKでした。 -
東平における生活道具。
郵便局の看板がありました。 -
かつてこの山奥の厳しい場所に、人々の生活があったことを示す興味深い展示を拝見しました。
-
採掘された鉱石を運んだ別子鉱山鉄道。
これは明治26年に開通した上部線です。
最初は牛車で鉱石を運んでいましたが、日本初の山岳鉄道となる上部鉄道(角石原~石ヶ山丈)と下部鉄道(端出場~惣開)を開通させています。
官設鉄道(現在のJR予讃線)ができる30年も前に造られているのがすごい!
住友、すごい! -
鉱山列車のトンネル跡の中に、実際に使われた鉱山運搬機が展示されていました。
-
昭和13年(1938年)から昭和48年(1973年)の閉山まで、ココ東平の坑口からさらに山奥に入った日浦抗口の間4000mの坑内を行き来する人々が乗った人車です。
-
坑木の運搬台車です。
坑内の支柱などで使用される木材を運びました。 -
三角坑車
坑内から運び出される鉱石などを運搬した鉱車です。 -
このトンネルを鉱山鉄道が走っていたのですね・・・
-
ガイドさんの説明が詳しくて面白い。。。。
ガイドさんのあとについて見晴らしのいい場所に移動します。 -
おお~~
の新居浜の街から海まで見えます。
鉱石はあそこの製錬所まで運ばれていたのですね。
手前に見えるのはこの東平ゾーンの鉱山施設です。
今では日本のマチュピチュと言われているそうです。 -
新居浜の街と瀬戸内海をアップで!
-
鉱山施設をアップで!
選鉱場跡と貯鉱庫跡が見えています。
石づくりですね~ -
選鉱場跡と貯鉱庫跡の上まで歩いて来ました。
-
急斜面に鉱山施設があったことがわかります。
-
後ほどあそこまで下りるそうです。
-
急階段を降りて行きます。
この階段の所には、インクラインがありました。
インクラインは傾斜面にレールを敷き,荷物を台車にのせて引き上げる設備のことです。
よく、ダムで見るやつです。
インクラインの跡地を利用して、220段の階段が造られました。 -
これがココにあったインクライン。
看板を撮影しているので上手く撮れません。
鉱山鉄道で運ばれてきた鉱石をを降ろす鉄道の駅と、鉱石を下に運ぶ索道の駅の間に造られました。
資材や生活用品の上げ下ろしに使われたようです。
当時の別子銅山では様々な場所でこのインクラインがあったそうです。
長さ95m 角度は21度。 -
ガイドさんについてみんなで階段を降りて行きます。
-
それにしてこの左右の石垣、立派ですね~
この左の石垣の上に、保育園があったそうです。 -
お城みたい。。。
-
ちょうど山桜が咲いています。
-
200段の階段を一番下まで降りて、
-
右側を振り返ると、、
-
なるほど、日本のマチュピチュね~~
マチュピチュというより日本固有のものとして凄いと思うけど。。。
近代化産業遺産に指定されている建造物がいくつもあります。 -
ココから下に見えるのは、社宅の跡だそうです。
急斜面に苦労して平らな場所を造って街を造っていたのですね~ -
ここが索道駅の跡です。
言葉で聞いても今一つ実感がわかず、そもそも索道ってどんなものだったのか?
ガイドさんに伺ってみました。 -
そしたらこんなものを見せてくださいました。
現地の看板の中の写真ですが、これが索道。
こうやって籠のようなものに鉱石を入れて運んでいたのですね。
当初は黒石まで3,575m、昭和初期には少し短縮されて端出場までの2,717mの距離を索道が走っていたそうです。
イメージがわきました。 -
索道駅の周りには多くのツツジが咲いていました。
綺麗ですね~~ -
ここが選鉱場の跡です。
-
女性たちが手作業でこうやって鉱石と岩石を分けていたのですね。
ココで分けられた鉱石が索道で下に運ばれて行ったのですね。 -
で、このド~んと存在感を見せる石積みの建物が、貯鉱庫の跡です。
要塞みたい。。。 -
坑道から鉱山鉄道で運ばれてきた鉱石はココで一度保管されたのですね。
そしてここから選鉱場に運ばれていました。 -
それにしても立派な石積みですね。
-
先ほど降りてきた200段の階段をみんなで登ります。
-
左右にはこんな立派な石積み。。
-
端出場に戻る途中のマイクロバスからの景色です。
これは段々畑ではありません。
住宅(社宅)の跡です。
最盛期には3700人もの人々が暮らした東平ゾーンですからね~ -
こんな感じでココに社宅が建っていたのですね。
-
マイクロバスは深い山の中の細い道を下りて行きます。
車がすれ違うのが困難なため、マイクロバスには先導車がいて、対向車が来ると、すれ違える場所で停まって待つように促してくれています。
所要時間は約2時間(内移動時間30分×2)でした。
ガイドの方の知識が豊富で面白かったです。 -
東平ゾーンのガイドツアーは終了。
マイントピア別子に戻ってきました。
ガイドさんにお礼を申し上げ、シニア夫婦はランチへ。
マイントピア別子の鉱山鉄道の乗り場の隣にレストランがありました。 -
こんなメニューでございます。
-
私は
別子ししカレー
1250円
猪のお肉はやわらかかったです。 -
相方は
ロースかつ鍋
1380円 -
ランチを戴いてお腹がいっぱいになった私たちシニア夫婦は、マイントピア別子の中をプラプラ散策。
この建物は?
泉寿亭という昭和12年にできた住友の迎賓館のようです。
京風数寄屋造りの純和風の建物です。 -
国領川にかかる橋ですが、今は渡れません。
-
橋の先にには重厚なレンガ造りの坑口が見えます。
採掘した鉱石を坑道を通ってこの橋を通って手前の橋出場まで運んでいたのですね。 -
この坑道の先は、大坑道につながっていたそうです。
-
国領川を挟んで反対側に見える、煉瓦造りの旧端出場水力発電所に向かいます。
この発電所も近代化産業遺産に指定されています。 -
国領川を渡って対岸を川沿いに下って行きます。
-
これだ~~
-
昨年より中が公開になった旧端出場水力発電所です。
-
立派な煉瓦づくりですね~
-
中に入ると、ど~んと発電のための機械が並んでます。
-
鉱山がどんどん大きくなってくると、様々な動力源として、どんどん電気の使用量も増えて行きました。
-
ココ端出場には明治30年代に火力発電所が設けられましたが、明治45年にそれに代わってより発電量の多い水力発電所が竣工しました。
-
落差597メートルの落差で出力1,500キロワットの発電機2機を回転させていました。
-
窓がカッコいい~
-
縦書きの標語がいいですね~
「災害も事故も出すまいこの職場」 -
この中にペるトン水車があって、597m先の高所から流れてきた水で回転しているのですね。
後ほどこの水車を下から見上げることができました。 -
この鉄管、高所から流れてくる水の水圧に耐えられる鉄管が設置されています。
-
ガヴァナー
調速機
これによって回転数を一定に保つらしい。。。
手書きの縦書き表記が面白い。 -
ドイツのシーメンス製の発電機だ~~
-
今は静かだけど、稼働時は大きな機械音がしていたんだろうな~
-
2階に上がってみました。
-
窓から先ほどの発電機が並んだ1階が見えます。
-
1階の機械を俯瞰で見ることができます。
-
この手前の発電機が建設当時(明治45年)の発電機です。
残りの3つは、昭和40年代の周波数変換器だんだそうです。 -
古い配電盤ですね~
-
この制御盤、大理石です。
ひえ~~~ -
ココで多くの人が働いていたのでしょうね~
-
一度外に出て、
-
建物の下に廻り、この穴の中に入ります。
排水溝を見せるために、わざわざデッキを造ったのですね。 -
ちょうど建物の下に入ることになります。
-
穴の中にペルトン水車を見に行きます。
-
この奥ですね。
-
奥まで行って上を見上げると、
これがペルトン水車ですね。
高所から流れてきた水でこの水車を廻し発電するのですね。 -
外に出ると、
-
国領川をはさんで対岸にマイントピア別子が見えます。
-
明治にできた煉瓦の建物、素敵ですね~
-
最後に旧発電所の裏側へ。
ココには以前、太い鉄管があり、上の貯水槽から597mの落差で勢いよく水が流れ落ち、先ほどのペルトン水車を廻して発電していました。
その太い鉄管は今は撤去されていますが、おそらく石垣の穴ですね。
その奥には鉄管の台座が見えます。
この斜面にあることを想像してみました。
マイントピア別子をあとにしました。
つづく
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