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今回の旅行の目的の一つである、「坂の上の雲ミュージアム」へ行くこと。<br />司馬遼太郎の名作であるこの本、私は大学1年の時、相方は高校3年の時に読んだ本です。<br />今回の旅行を計画してから実家に行って読み直し始めたのですが、全8巻のうち5巻までしか読めませんでした。。。<br /><br />「敗戦が国民に理性を与え、 勝利が国民を狂気にする」<br />この言葉が心に残っていたのですが、ミュージアムの出口この言葉が掲示されていたのが印象的でした。<br /><br />そして、坂の上の雲ミュージアムで松山市内のガイドツアーに参加しました。<br />何とたまたま私たち2人きりの無料ガイドツアーです。<br />ガイドさんは年配の元教師の方で、ご説明が判りやすくて面白い!<br />じっくり萬翠荘の中を巡ったあと、夏目漱石が英語を教えていた松山中学校・勝山学校の跡や、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の中で、主人公が最初に泊まった「山城屋」のモデルとなった「きどや旅館」の跡地。そして夏目漱石が正岡子規と一緒に下宿していた「愚陀仏庵」の跡にも連れて行ってくれました。<br />

9日間で愛媛県をグルっと巡ってきました。⑮松山市内散策 坂の上の雲ミュージアム~参加者は私たちシニア夫婦だけの街のガイドツアーに参加。

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2024/04/12 - 2024/04/20

284位(同エリア1657件中)

nichi

nichiさん

この旅行記のスケジュール

2024/04/16

この旅行記スケジュールを元に

今回の旅行の目的の一つである、「坂の上の雲ミュージアム」へ行くこと。
司馬遼太郎の名作であるこの本、私は大学1年の時、相方は高校3年の時に読んだ本です。
今回の旅行を計画してから実家に行って読み直し始めたのですが、全8巻のうち5巻までしか読めませんでした。。。

「敗戦が国民に理性を与え、 勝利が国民を狂気にする」
この言葉が心に残っていたのですが、ミュージアムの出口この言葉が掲示されていたのが印象的でした。

そして、坂の上の雲ミュージアムで松山市内のガイドツアーに参加しました。
何とたまたま私たち2人きりの無料ガイドツアーです。
ガイドさんは年配の元教師の方で、ご説明が判りやすくて面白い!
じっくり萬翠荘の中を巡ったあと、夏目漱石が英語を教えていた松山中学校・勝山学校の跡や、夏目漱石の小説「坊っちゃん」の中で、主人公が最初に泊まった「山城屋」のモデルとなった「きどや旅館」の跡地。そして夏目漱石が正岡子規と一緒に下宿していた「愚陀仏庵」の跡にも連れて行ってくれました。

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
徒歩
  • 朝のホテルの部屋からの景色です。<br />山の中腹に国重要文化財 萬翠荘が見えます。

    朝のホテルの部屋からの景色です。
    山の中腹に国重要文化財 萬翠荘が見えます。

  • 山の上には昨日訪れた松山城が見えます。

    山の上には昨日訪れた松山城が見えます。

  • 着替えて支度して、ホテルの朝食へ。

    着替えて支度して、ホテルの朝食へ。

  • ビュッフェ形式です。

    ビュッフェ形式です。

  • 地のものも多く、楽しいです。<br />ここで4泊ですので4回朝食を戴きました。<br />さすが最後の方は飽きたな~

    地のものも多く、楽しいです。
    ここで4泊ですので4回朝食を戴きました。
    さすが最後の方は飽きたな~

  • もちろん、ライブキッチンでオムレツもお願いできます。

    もちろん、ライブキッチンでオムレツもお願いできます。

  • ホテルのすぐ近くにある「坂の上の雲ミュージアム」へ。<br /><br />司馬遼太郎の名作であるこの本、私は大学1年の時、相方は高校3年の時に読んだ本です。

    ホテルのすぐ近くにある「坂の上の雲ミュージアム」へ。

    司馬遼太郎の名作であるこの本、私は大学1年の時、相方は高校3年の時に読んだ本です。

  • ミュージアムの中から萬翠荘が見えます。

    ミュージアムの中から萬翠荘が見えます。

  • 窓に寄って改めて・・・

    窓に寄って改めて・・・

  • 建築家・安藤忠雄氏によって建てられたこのミュージアムは、地下1階、地上4階建てです。<br />なかなかお洒落でカッコいい建物です。<br />ミュージアムの展示物は撮影禁止ですが、建物は撮影OKで、OK場所の表示があります。

    建築家・安藤忠雄氏によって建てられたこのミュージアムは、地下1階、地上4階建てです。
    なかなかお洒落でカッコいい建物です。
    ミュージアムの展示物は撮影禁止ですが、建物は撮影OKで、OK場所の表示があります。

  • 「敗戦が国民に理性を与え、 勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものは誠に不思議なものである」<br />凄い言葉だな~~<br /><br />歴史を題材にしてフィクションを書いたのではないそうです。<br />書いたことはすべて事実であり、確認できなかったことは書かなかったとも。。。

    「敗戦が国民に理性を与え、 勝利が国民を狂気にするとすれば、長い民族の歴史からみれば、戦争の勝敗などというものは誠に不思議なものである」
    凄い言葉だな~~

    歴史を題材にしてフィクションを書いたのではないそうです。
    書いたことはすべて事実であり、確認できなかったことは書かなかったとも。。。

  • 江戸から明治と言う、日本にとって画期的な変化がある時代の物語。<br />西洋に追いつこうとするあまり、様々な無理があったようで、歪も生んでいる様子がわかるミュージアムです。<br /><br />正岡子規が俳句を詠んでいる横で相方も。。。

    江戸から明治と言う、日本にとって画期的な変化がある時代の物語。
    西洋に追いつこうとするあまり、様々な無理があったようで、歪も生んでいる様子がわかるミュージアムです。

    正岡子規が俳句を詠んでいる横で相方も。。。

  • 館内放送が流れ、松山の街歩きツアーが行われるようです。<br />「さんかしてみようか?」<br />と言うことで集合場所に向かうと、参加者は私たちシニア夫婦のみでした。

    館内放送が流れ、松山の街歩きツアーが行われるようです。
    「さんかしてみようか?」
    と言うことで集合場所に向かうと、参加者は私たちシニア夫婦のみでした。

  • 10分ほど待って、松山市内散策ツアースタート。<br />ガイドさんを私たちシニア夫婦で貸し切りです。<br />ガイドさんは元学校の先生の方で、話がわかりやすい方でした。

    10分ほど待って、松山市内散策ツアースタート。
    ガイドさんを私たちシニア夫婦で貸し切りです。
    ガイドさんは元学校の先生の方で、話がわかりやすい方でした。

  • 萬翠荘の管理人舎です。

    萬翠荘の管理人舎です。

  • まずは、坂の上の雲ミュージアムのお隣の萬翠荘へ。

    まずは、坂の上の雲ミュージアムのお隣の萬翠荘へ。

  • 伊予松山藩の北の境界にあった碑と北の境界にあった碑がココに並んでます。

    伊予松山藩の北の境界にあった碑と北の境界にあった碑がココに並んでます。

  • 萬翠荘に向かう庭の坂の途中にこんな句碑がありました。<br /><br />城山や筍のびし垣の上<br /><br />わかりやすいそのままの意の句ですね。<br />正岡子規の親友だった柳原極堂と言う方の句碑です。<br />ほととぎすに掲載になった句だそうですね。

    萬翠荘に向かう庭の坂の途中にこんな句碑がありました。

    城山や筍のびし垣の上

    わかりやすいそのままの意の句ですね。
    正岡子規の親友だった柳原極堂と言う方の句碑です。
    ほととぎすに掲載になった句だそうですね。

  • 今度は大きな石。<br /><br />正岡子規が子供のころ、大原観山と言う松山藩の儒学者とこの石の上で囲碁を楽しんでいたそうです。

    今度は大きな石。

    正岡子規が子供のころ、大原観山と言う松山藩の儒学者とこの石の上で囲碁を楽しんでいたそうです。

  • またまた句碑が現れました。<br /><br />なつかしき 父の故郷月もよし<br /><br />高浜年男という高山虚子の長男の方の句で、なんと正岡子規が名付け親なんだそうです。

    またまた句碑が現れました。

    なつかしき 父の故郷月もよし

    高浜年男という高山虚子の長男の方の句で、なんと正岡子規が名付け親なんだそうです。

  • 元々は松山城の家老のお屋敷があった場所で、下はお庭だった所だそうです。

    元々は松山城の家老のお屋敷があった場所で、下はお庭だった所だそうです。

  • 石橋が見えます。

    石橋が見えます。

  • ガイドさんのあとについて進みます。<br /><br />普段、句碑はチラッと見るぐらいですが、ガイドさんが一緒だと、説明を聞きながらひとつひとつじっくり見てしまいます。

    ガイドさんのあとについて進みます。

    普段、句碑はチラッと見るぐらいですが、ガイドさんが一緒だと、説明を聞きながらひとつひとつじっくり見てしまいます。

  • ここに夏目漱石の下宿先であった「愛松亭」があったそうです。<br />ちょっと驚きです!<br /><br />今は「愛松亭」というコカフェがありました。

    ここに夏目漱石の下宿先であった「愛松亭」があったそうです。
    ちょっと驚きです!

    今は「愛松亭」というコカフェがありました。

  • 「愛松亭」があったことを記す石碑です。

    「愛松亭」があったことを記す石碑です。

  • で、坂を上りきると、立派な萬翠荘が目の前に。。。

    で、坂を上りきると、立派な萬翠荘が目の前に。。。

  • 庭の隅っこにあるのは?

    庭の隅っこにあるのは?

  • 藩政時代の井戸だそうです。

    藩政時代の井戸だそうです。

  • 萬翠荘に入ってみましょう。<br />ちゃんと車寄せがありますね~

    萬翠荘に入ってみましょう。
    ちゃんと車寄せがありますね~

  • 入口には人力車。

    入口には人力車。

  • お邪魔しま~す!

    お邪魔しま~す!

  • ガイドツアーには入場料も含まれています。

    ガイドツアーには入場料も含まれています。

  • 萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫で、伯爵であった久松定謨が別邸として建てた建物です。<br /><br />建物に入ると、中央に階段がある玄関ホール。

    萬翠荘は、大正11年(1922年)旧松山藩主の子孫で、伯爵であった久松定謨が別邸として建てた建物です。

    建物に入ると、中央に階段がある玄関ホール。

  • この柱、玄関ホールの左右にあるのですが、岡山産の万成石という花崗岩の一種でできているそうです。

    この柱、玄関ホールの左右にあるのですが、岡山産の万成石という花崗岩の一種でできているそうです。

  • これが入ってきた玄関のドア。<br />ステンドグラスも凝ってる。

    これが入ってきた玄関のドア。
    ステンドグラスも凝ってる。

  • 広間から右に入るとそこは謁見も間です。

    広間から右に入るとそこは謁見も間です。

  • この次に間に行く扉の上にある絵、神奈川台場の絵です。<br />勝海舟が設計し、松山藩が築造しています。<br /><br />横浜から来ている私たちシニア夫婦には身近な場所です。<br />船溜まりがある台場で、全国でも珍しい台場です。<br />今はコットンハーバーという超高層マンションが数棟建つエリアです。。

    この次に間に行く扉の上にある絵、神奈川台場の絵です。
    勝海舟が設計し、松山藩が築造しています。

    横浜から来ている私たちシニア夫婦には身近な場所です。
    船溜まりがある台場で、全国でも珍しい台場です。
    今はコットンハーバーという超高層マンションが数棟建つエリアです。。

  • 謁見の間の入口ドアの上にも昔のままのステンドグラス。

    謁見の間の入口ドアの上にも昔のままのステンドグラス。

  • 立派な大理石のマントルピースがあります。<br /><br />大鏡はベルギー製。<br />萬翠荘の建設当時、ガラスを平面に研磨する技術はベルギーにしかなかったそうです。<br />鏡は顔を写すためのものではありません。<br />シャンデリアを反射させ、明るくすることと、部屋を広く見せるためでもあります。

    立派な大理石のマントルピースがあります。

    大鏡はベルギー製。
    萬翠荘の建設当時、ガラスを平面に研磨する技術はベルギーにしかなかったそうです。
    鏡は顔を写すためのものではありません。
    シャンデリアを反射させ、明るくすることと、部屋を広く見せるためでもあります。

  • これも昔のままの照明です。

    これも昔のままの照明です。

  • 隣の部屋は晩餐の間。<br />食堂ですね。

    隣の部屋は晩餐の間。
    食堂ですね。

  • 晩餐の間にも立派な大理石のマントルピース。

    晩餐の間にも立派な大理石のマントルピース。

  • 水晶のシャンデリアだそうです。

    水晶のシャンデリアだそうです。

  • 玄関ホールに戻ってきました。

    玄関ホールに戻ってきました。

  • 階段の手すりは継ぎ目の無い南洋チーク材の一本木だそうです。<br />Rが付いているのにすごいな~~

    階段の手すりは継ぎ目の無い南洋チーク材の一本木だそうです。
    Rが付いているのにすごいな~~

  • 2階に上がってみましょう。

    2階に上がってみましょう。

  • 階段の踊り場のステンドグラスの前から撮影。<br /><br />下には玄関ホール。<br />上には2階が見えます。

    階段の踊り場のステンドグラスの前から撮影。

    下には玄関ホール。
    上には2階が見えます。

  • 2階に上がってから踊り場のステンドグラスをじっくり拝見。<br />帆船がカッコいい~

    2階に上がってから踊り場のステンドグラスをじっくり拝見。
    帆船がカッコいい~

  • 素敵ですね~

    素敵ですね~

  • 2階へ。

    2階へ。

  • バルコニーに出てみました。

    バルコニーに出てみました。

  • バルコニーから建物の外側を見ることができます。<br />お洒落ですね~

    バルコニーから建物の外側を見ることができます。
    お洒落ですね~

  • 2階には、いくつかの居室と、

    2階には、いくつかの居室と、

  • 寝室が並んでます。

    寝室が並んでます。

  • このボタン、人を呼ぶためのボタンです。<br />大正時代にこのようなものがあったなんてすごいですね。

    このボタン、人を呼ぶためのボタンです。
    大正時代にこのようなものがあったなんてすごいですね。

  • 外に出て振り返って外観を改めてじっくり拝見します。

    外に出て振り返って外観を改めてじっくり拝見します。

  • 愛媛県庁です。

    愛媛県庁です。

  • 正面から・・・<br /><br />1929年に完成した本館です。

    正面から・・・

    1929年に完成した本館です。

  • 愛媛のPRのために使われている<br />みきゃん号

    愛媛のPRのために使われている
    みきゃん号

  • 県庁の奥にあるのは、愛媛県議会の議事堂だそうです。

    県庁の奥にあるのは、愛媛県議会の議事堂だそうです。

  • 目の前を市電が駆け抜けます。<br />市電がある街っていいですね~

    目の前を市電が駆け抜けます。
    市電がある街っていいですね~

  • ガイドさんに、こんなところに連れて来て頂きました。

    ガイドさんに、こんなところに連れて来て頂きました。

  • 松山中学校・勝山学校跡<br />に連れて来て頂きました。

    松山中学校・勝山学校跡
    に連れて来て頂きました。

  • 実際の学校があった場所は、この県庁前の、お堀の目の前の国道379号線になっている所です。

    実際の学校があった場所は、この県庁前の、お堀の目の前の国道379号線になっている所です。

  • 松山中学校・勝山学校跡の在りし日の写真です。<br />正岡子規や秋山真之が通った学校です。<br />そして夏目漱石はここで英語の教師だったわけです。<br /><br />その前は、松山藩の藩校である明教館があった所です。

    松山中学校・勝山学校跡の在りし日の写真です。
    正岡子規や秋山真之が通った学校です。
    そして夏目漱石はここで英語の教師だったわけです。

    その前は、松山藩の藩校である明教館があった所です。

  • トラムが県庁の前からお堀の前の左カーブに差し掛かりました。<br />そこに松山中学・勝山学校があったのですね。

    トラムが県庁の前からお堀の前の左カーブに差し掛かりました。
    そこに松山中学・勝山学校があったのですね。

  • 右の建物はNTT西日本ですが、その前に「漱石ゆかりの松山中学校跡」の碑が建ってます。

    右の建物はNTT西日本ですが、その前に「漱石ゆかりの松山中学校跡」の碑が建ってます。

  • ガイドさんが次に連れてきてくださったのは、松山市立番町小学校。<br />ココは何?<br /><br />勝山学校は、尋常小学校、国民学校を経て、戦後に番町小学校になったのですね。

    ガイドさんが次に連れてきてくださったのは、松山市立番町小学校。
    ココは何?

    勝山学校は、尋常小学校、国民学校を経て、戦後に番町小学校になったのですね。

  • ガイドさんが、この勝山学校の主な卒業生のお名前を見せてくださいました。<br /><br />正岡子規や高浜虚子のお名前の他、面白い所では、伊丹万作さんのお名前があります。<br />この方、伊丹十三さんの御父上だそうです。

    ガイドさんが、この勝山学校の主な卒業生のお名前を見せてくださいました。

    正岡子規や高浜虚子のお名前の他、面白い所では、伊丹万作さんのお名前があります。
    この方、伊丹十三さんの御父上だそうです。

  • ガイドさんが次に連れてきてくださったのは、街中のポツンとあった看板です。<br /><br />ココにはなんと、「きどや旅館」があったのですね。<br />夏目漱石の小説「坊っちゃん」の中で、主人公が最初に泊まった「山城屋」のモデルです。<br />そして、漱石自身が松山に英語教師として赴任した際、この「きどや旅館」に宿泊しています。<br />司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中では、江田島の海軍兵学校にいた秋山真之が、正岡子規の病状を見舞うために松山に帰省した際に宿泊した旅館として描かれています。

    ガイドさんが次に連れてきてくださったのは、街中のポツンとあった看板です。

    ココにはなんと、「きどや旅館」があったのですね。
    夏目漱石の小説「坊っちゃん」の中で、主人公が最初に泊まった「山城屋」のモデルです。
    そして、漱石自身が松山に英語教師として赴任した際、この「きどや旅館」に宿泊しています。
    司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中では、江田島の海軍兵学校にいた秋山真之が、正岡子規の病状を見舞うために松山に帰省した際に宿泊した旅館として描かれています。

  • ガイドさんが在りし日の「きどや旅館」の写真を見せてくださいました。

    ガイドさんが在りし日の「きどや旅館」の写真を見せてくださいました。

  • こんな街中の一角です。<br />今はマンションになっていました。

    こんな街中の一角です。
    今はマンションになっていました。

  • 今度ガイドさんが連れて来てくださったのは、あの「愚陀仏庵」の跡です。<br />夏目漱石が松山に英語教師として赴任した際に宿泊していた下宿屋さんです。<br /><br />今は駐車場になっています。

    今度ガイドさんが連れて来てくださったのは、あの「愚陀仏庵」の跡です。
    夏目漱石が松山に英語教師として赴任した際に宿泊していた下宿屋さんです。

    今は駐車場になっています。

  • 在りし日の愚陀仏庵の写真です。<br /><br />漱石はココで親友であった正岡子規と共同生活をしていたのですね~<br />愚陀仏庵は、残念ながら空襲で焼けちゃったそうです。<br />

    在りし日の愚陀仏庵の写真です。

    漱石はココで親友であった正岡子規と共同生活をしていたのですね~
    愚陀仏庵は、残念ながら空襲で焼けちゃったそうです。

  • ちゃんと碑が建ってました。

    ちゃんと碑が建ってました。

  • 最後に大街道へ。。

    最後に大街道へ。。

  • 大街道の入口には、ファーストビルというビルがあって、カラオケとボーリング場があるビルですが、以前は新栄座という映画館があり、その前は芝居小屋だったそうです。<br />夏目漱石はこの新栄座で狂言を観ていたようで、正岡子規は新栄座ができたことを明治22年に帰省した際に記しています。

    大街道の入口には、ファーストビルというビルがあって、カラオケとボーリング場があるビルですが、以前は新栄座という映画館があり、その前は芝居小屋だったそうです。
    夏目漱石はこの新栄座で狂言を観ていたようで、正岡子規は新栄座ができたことを明治22年に帰省した際に記しています。

  • 在りし日の新栄座の写真です。<br />賑わってますね~~

    在りし日の新栄座の写真です。
    賑わってますね~~

  • この右がそのファーストビル(新栄座があった所)です。

    この右がそのファーストビル(新栄座があった所)です。

  • 坂の上の雲ミュージアムで参加した松山のガイドツアーはおしまいです。<br />楽しかったな~~<br />約2時間弱でしたが、あっという間でした。<br /><br />つづく

    坂の上の雲ミュージアムで参加した松山のガイドツアーはおしまいです。
    楽しかったな~~
    約2時間弱でしたが、あっという間でした。

    つづく

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