2024/06/13 - 2024/06/14
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この旅行記のスケジュール
2024/06/13
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その他での移動
ロープウェイ乗り場の山麓駅
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その他での移動
リフトで城山に登ります
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徒歩での移動
まだまだ続くよ、上り坂
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天神櫓
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ANAクラウンプラザ松山
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この旅行記スケジュールを元に
松山城は12年前にも登っているのですが、団体の一員だったためにマイペースで見ることができませんでした。
今回は一人で登城し、ゆっくりと楽しみました。
その時は、まさか1ヶ月後に土砂崩れが発生するとは思いもしませんでした。
相場の格言に「上り坂、下り坂、時には「まさか」がある」と言われますが、本当に油断は禁物だと感じました。
1日目
羽田空港から松山空港へ。バスで道後温泉へ移動、市内で仕事をしてから道後温泉を観光。道後温泉泊。
2日目
朝、仕事。松山城に登城。その後に仕事。松山泊。
3日目
宇和島へ移動し、宇和島城に登城。
下灘で夕陽を見る。松山泊。
4日目
松山市内を観光、丸亀へ移動し、宿泊。
5日目
丸亀城に登城。讃岐うどん発祥の地を見て、塩江温泉に泊まる。
6日目
法然寺に参拝してから、平賀源内の街を歩く。夜は仕事。高松泊。
7日目
雨上がりの高松空港から大雨の羽田空港へ、帰宅。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
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朝一で仕事を済ましたので、これから松山城に登ります。市電の警察署前電停からロープウェイ乗り場まで歩きます。
松山市のマンホール蓋。市の花ヤブツバキと外周に「伊予かすり」をデザインしています。珍しい標語入りバージョンです。 -
松山市のマンホール蓋。
こちらはカラーバージョンです。 -
東雲神社の参道です。
文政6年(1823年)に松山藩11代藩主の松平定通公が、藩祖松平定勝公の神霊を祀るために創建しました。朝から冠山に登山したので、坂下から拝しました。 -
二等水準点。
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加藤嘉明公騎馬像。
関ヶ原の戦いの功により伊予松山藩20万石の大名となった加藤嘉明公は、平野の中央に位置する勝山に城を築くことを決めて、慶長7年(1602)築城を開始、翌年には勝山を「松山」と命名しました。寛永4年(1627)、会津40万石に転封となり、未完成のまま離れることになりました。 -
加藤嘉明公騎馬像。高さ240cm。
彫刻家の田畑功氏が制作しました。
先週見た小諸市・寅さん会館の車寅次郎像も田畑功氏の作品です。
よろしければ、小諸の旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11908045 -
ロープウェイ乗り場の山麓駅に到着、いよいよ松山城に登ります。
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ロープウェイ乗り場のあるビルに大きな垂れ幕がかかっています。
秋山好古・秋山真之兄弟です。 -
入り口の脇に、坊っちゃんとマドンナの像がありました。
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令和2年3月に松山中央ライオンズクラブが寄贈しました。
松山市出身の墨絵イラストレーター・茂本ヒデキチ氏の作品をモチーフにして、こちらも彫刻家の田畑功氏が制作しました。 -
12年前、どこで見たのか記憶が曖昧でしたが、やっと謎が解決しました。
よろしければ12年前の旅行記もご覧ください。写真が少ないので、サクッと見終わります。
https://4travel.jp/travelogue/11622032
この絵は墨絵イラストレーター・茂本ヒデキチ氏の作品。 -
松山城の鯱。
口を開けた阿形(左)は南棟、口を閉じた吽形(右)は北棟にありました。阿形は大正14年(1925年)4月、吽形はそれよりも古いと推定されています。
鯱の頭は龍虎、背には鋭い棘があり、口から水を吹いて建物を守るとされる火除けの守り神です。 -
砥部焼水琴窟。
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大名行列を描いた大羽子板。
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正岡子規と母・八重の写真が展示されていました。
壮年から晩年の写真しか見たことがなかったので、ちょっと感動しました。 -
子規の子守歌。
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松山市街の夜景。
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たぶん加藤嘉明公。
墨絵イラストレーター・茂本ヒデキチ氏の作品。 -
よしあきくん。松山城のヒーローですね。
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柱にはよしあきくん。
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ずいぶん寄り道しましたが、リフトで城山に登ります。
お城があるので、通称は城山(しろやま)ですが、正式には「勝山」、標高
132mです。国の史跡に指定されています。
足下にはネットが張られているので安全です。そして、ネットには大きな標語があります。「鈍行で行け、周りが良く見える」これらも道後温泉駅で見たのと同じ、2020年「だから、ことば大募集」の優秀賞を受賞した作品です。 -
天守が見えました。
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城山の8合目まで登ります。
ロープウェイもリフトも料金は一緒です。往復券が520円で、どちらに乗ることも可能です。 -
山頂駅のある長者ヶ平から天守までは歩いて約10分らしい。
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登り始めると堅固な石垣が聳えています。
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石垣と木々の間から櫓が見えました。
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石垣と櫓。
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櫓の石落とし。
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本丸南側の広場まで上がりました。
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二之丸史跡庭園(恋人の聖地)へ下りる道です。
一人旅なので、下りません。 -
まだまだ続くよ、上り坂。
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見事な反りです。
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やっと門が見えました。
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戸無門。
大手入口に現存する高麗門、折り返し登城道の終点に位置します。江戸時代に建造された門で、重要文化財です。
敵を筒井門へ誘い込むため、戦略的な意味合いで当初から門扉を設置していませんでした。 -
南に開けています。
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筒井門。登録有形文化財。
防備上で最も重要堅固な意味合いを持つのが筒井門と隠門です。門の上には続櫓があり、松山城の守りの堅牢さを象徴しています。昭和46年に復元されました。 -
隠門。
隠門は筒井門の石垣の陰に隠された埋門形式の櫓門で、敵の背後を急襲する構えとなっています。江戸時代の建造で重要文化財です。 -
筒井門を過ぎると広場になっています。
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正面の石垣には狭間が設けられ、敵を迎え撃ちます。
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太鼓門。
太鼓門は、6.9mの石垣の上に建造されました。昭和47年に再建された門ですが、登録有形文化財に指定される見込みとなっています。 -
狭間。
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狭間。
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井戸。
南北2つの峰を埋め立てて本丸広場を作った際に、谷底にあった泉を囲むように石を積み上げて造られたと伝伝わっています。井戸の直径は2m、深さは44.2mですが、当時の技術ではこの深さまで掘ることができなかったといわれています。 -
本丸に出ました。
加藤嘉明公に代わって出羽上山から入封した蒲生忠知公が松山城を完成させました。その後、徳川家康公の甥にあたる松平定行公が伊勢桑名から15万石で入封し、明治維新まで続きました。
天明4年(1784年)元日に落雷で焼失し、安政元年(1854年)に落成した天守が現存しており、日本最後の城郭建築とされています。 -
よしあきくん。
松山城の別名は「金亀城」。昔は山麓の内堀が深い淵になっており、築城中に金色の亀が目撃されたという伝説が由来となっています。 -
本丸の中でも天守や小天守など城の中枢となる建造物が集中している区域を本壇と呼び、本丸よりさらに約8m高く石垣が築かれています。
天守に至るまでは、石垣や櫓に囲まれた進入路をいくつもの門をくぐりながら進まなければなりません。 -
天守。
大正12年(1923年)に旧藩主家当主の久松定謨氏が松山城の払い下げを受け、4万円(現在の価値で約4億円)の維持費を添えて松山市に寄付しました。 -
三重三階地下一階附の建物で、重要文化財。
ここから見る天守が一番美しいと、ガイドさんが説明しているのが聞こえました。 -
一ノ門。重要文化財。
天守に通じる本壇最初の門で、木割も大きく豪放な構えとなっています。
上方からの攻撃が容易な高麗門で、扉の上下が縦格子になっており、外をのぞき見ることができます。天明6年(1786年)に再建。 -
二ノ門。重要文化財。
薬医門の形式で、一ノ門と二ノ門との間は「枡形」になっており、四方から敵を攻撃できます。嘉永5年(1852年)に再建。 -
三ノ門。重要文化財。
構造様式は一の門と同様で、門扉は横板張りの上部に竪格子が付けられ、その上に格子欄間があります。嘉永5年(1852年)の再建と考えられています。 -
筋鉄(すじがね)門。登録有形文化財。
天守玄関がある中庭を防衛する重要な門で、櫓門型式です。この門の櫓は小天守と天守をつなぎ、三ノ門から侵入する敵の正面を射撃する構えとなっています。 -
筋鉄門東塀。重要文化財。
一ノ門南櫓、二ノ門、小天守を守っています。 -
小天守(こてんしゅ)。登録有形文化財。
二重二階の櫓で、大手・搦手を防衛します。
昭和8年(1933年)、放火により小天守、南北隅櫓、多聞櫓、十間廊下などを焼失。
昭和43年(1968年)に木造で再建復元しました。 -
天守入り口。
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内部には歴代城主の甲冑や刀、古文書などが展示されています。
十間廊下に名刀が展示されていました。 -
昭和30年、人間国宝に認定された刀鍛冶の龍泉貞次(本名:高橋)氏の写真。
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久松家伝来の槍。
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3代藩主松平定長公が着用したと伝わる鉄板黒漆塗紺絲素懸威最上胴丸(鎧)。
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日本刀を持って、その重さを実感しました。
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多門櫓へ向かう廊下。
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三葉葵と梅鉢の紋が付いた長持。将軍家から下賜されたもののようです。
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慶応3年(1867年)、13代藩主松平勝成公は家督を養子・定昭公に譲りましたが、翌年1月、鳥羽・伏見の戦いで幕府側に与していたことから勝成公が再勤(15代)を命ぜられました。
松平勝成公と定昭公は、常信寺に謹慎し、「赤心報国」をしたためて恭順の意を示したことで、松平家の家名と松山藩を守りました。 -
侍の似顔絵。天守再建のとき、大工が描いたとされています。
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石落とし。
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鎧を着用できるコーナーがありました。
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かなり重くて、一人で着用するのは大変でした。籠手や臑当もありましたが、省略しました。
写真は通りかかったご婦人にお願いしたものです。 -
鎧の下に着用する鎖帷子。
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天守へ上る急階段。
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天守最上階からは360度の眺望があります。
本来、天守は戦闘のときに使う場なので、生活の場ではないため厠もありません。
ところが、この天守は畳の敷ける構造になっていたり、床の間や襖を入れるための敷居もあります。どんな理由があったのでしょうか。 -
東には遠く石鎚山が見えるらしいのですが。
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南は松山市街中心部と遠くに皿ヶ嶺連峰。
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西向きには伊予灘、正面に興居島。
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北側は市街地。瀬戸内海も見えるらしいです。
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天守から下りる階段は上るときよりも恐ろしいほど急でした。
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学問の神様を祀る「天神櫓」です。
本壇の鬼門(東北隅)にあたるため、城の安泰を祈り久松松平氏の祖先神である天神(菅原道真)をお祀りしています。
元は具足櫓(甲冑を収納する櫓)として使われていました。 -
難攻不落の「落ちない城」と「学問の神様」は合格祈願にもぴったりと言われています。
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小天守。
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長者ヶ平まで下りて行きます。
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帰りも待ち時間のないリフトに乗りました。
無事に松山城登城を完了しました。 -
夕方からの仕事を終えて、ANAクラウンプラザ松山アネックスに泊まりました(翌朝撮影)。
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客室。
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客室。
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朝、部屋からの眺望。日本基督教団 松山番町教会。
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朝食会場からの眺望。城山や萬翠荘が見えています。
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朝食会場からの眺望。重要文化財の萬翠荘です。
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美味しい朝食をいただきました。ANAの朝カレーは特に美味しいんです。
朝食で力をつけて、今日は宇和島城に登ります。
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