2024/06/14 - 2024/06/14
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この旅行記のスケジュール
2024/06/14
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電車での移動
松山駅
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電車での移動
宇和島駅
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藩老桑折氏武家長屋門(城山北登城口)
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徒歩での移動
緩やかな坂道を登る
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長門丸跡(児童公園)
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徒歩での移動
敵を寄せ付けない急な石段を登る
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櫛形門跡
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徒歩での移動
山道を下りる
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式部丸跡
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バスでの移動
バスで移動
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宇和島駅前の宇和島闘牛の像
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この旅行記スケジュールを元に
関東に住んでいると、どうしても西日本へ行く機会が少ないです。
愛媛県で行ったことがあるのは松山と今治だけで、いろいろ回ってみたいけどお金も時間も足りません。
そこで、今回は宇和島城を目的としました。
現在、明治維新前からの天守が現存している城は、以下のわずか12城です。☆印は国宝です。
弘前城(青森県)
松本城(長野県)☆
丸岡城(福井県)
犬山城(愛知県)☆
彦根城(滋賀県)☆
姫路城(兵庫県)☆
松江城(島根県)☆
備中松山城(岡山県)
丸亀城(香川県)
伊予松山城(愛媛県)
宇和島城(愛媛県)
高知城(高知県)
今回の愛媛・香川の旅では、松山城再訪と宇和島城、丸亀城への登城を目指します。
1日目
羽田空港から松山空港へ。バスで道後温泉へ移動、市内で仕事をしてから道後温泉を観光。道後温泉泊。
2日目
朝、仕事。松山城に登城。その後に仕事。松山泊。
3日目
宇和島へ移動し、宇和島城に登城。
下灘で夕陽を見る。松山泊。
4日目
松山市内を観光、丸亀へ移動し、宿泊。
5日目
丸亀城に登城。讃岐うどん発祥の地を見て、塩江温泉に泊まる。
6日目
法然寺に参拝してから、平賀源内の街を歩く。夜は仕事。高松泊。
7日目
雨上がりの高松空港から大雨の羽田空港へ、帰宅。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
-
出張の目的は無事に完了したので、本日からは気ままに旅を続けられます。
松山駅から宇和島城を目指します。
大街道電停に坊ちゃん列車の時刻表がありました。
坊っちゃん列車は1乗車、大人1,300円、小児650円です。 -
予約していたホテル松山ヒルズJR駅前店に立ち寄り、荷物を預かって貰いました。
ANAクラウンプラザ松山に比べてかなり庶民的なホテルです。 -
JR松山駅前には「非核平和宣言都市」のモニュメントがあります。
核保有国の偉い方々は、撃たれる耳はあっても、聞く耳を持っていませんからね。 -
JR予讃線の松山駅。
明治21年(1888年)に開業した伊予鉄道の松山駅(現在の松山市駅)に遅れること実に39年、昭和2年(1927年)に開業しました。
なるほど、こちらは寂れているわけです。 -
正岡子規の句碑。
春や昔 十五万石の 城下哉 -
富安風生の歌碑。
石鎚も 南瓜の花も 大いなり -
駅構内のバリィさん。
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市内観光をするだけだと、JR松山駅を利用する機会はないかも。
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四国ですから、やなせたかしさんリスペクト。
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同じホームに、反対方向へ向かうそれぞれの列車が停車しています。
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宇和島行きの特急宇和海7号に乗ります。
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ほとんど山の中を通って宇和島駅に到着しました。
JR予讃線とJR予土線が乗り入れています。
大正3年(1914年)10月、宇和島鉄道(軽便鉄道)の駅として開業しました。当時は現在地よりも500mほど北にありました。
現在の駅舎は平成10年(1998年)4月2日開業。JRホテルクレメント宇和島と一体です。 -
宇和島駅から宇和島城の登城口までは約800m。
普通なら歩くのですが、6月中旬にしては暑すぎるのでバスに乗りました。 -
お茶撰橋。ここが一番近いバス停です。
かつてお茶の選別場があったらしいです。 -
宇和島市のマンホール蓋。
宇和島の闘牛をデザインしています。
昭和50年(1975年)に造られた宇和島市営闘牛場で、年5回の興行が行われています。 -
宇和島市のマンホール蓋。
西日本地方に残る牛鬼伝説に因む宇和島牛鬼祭りをデザインしています。 -
津波予測の表示がありました。
もう少し目立つようにした方が良いのでは。 -
登城口は山の北東側にあります。
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藩老桑折氏武家長屋門。
城山北登城口にある門は、宇和島藩の家老、桑折氏の長屋門として使用されていた門を移築しています。移築に際してかなり縮小し、間口15m、奥行4.1mとなっています。門の向かって右室は馬屋で、左室は門番と家付の使用人などが居住していました。江戸時代中頃の建物。 -
コインロッカーがありました。
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竹杖が置いてあります。
一本借りていきましょう。 -
天守まで15分らしい。
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いきなり石段から始まります。
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緩やかな右ルートを選択。
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これでも緩やかな坂道です。
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やっと緩やかな道に出ました。
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宇和島城の道には柵などがないので、落ちたらお終いです。
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苔生した石垣が続きます。
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長門丸石垣。
寛文4年(1664年)~11年(1671年)にかけて、宇和島城大改修のものと推測。
樹木が生い茂っているので、少し涼しいです。 -
石垣。角には整形された石を積み上げています(算木積み)。
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平坦な場所に出ました。
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中井コッフ歌碑。
宇和島生まれの医師で歌人。38歳の時、脳卒中で右半身不随となるも医道と歌道に励んだ方です。
夕山ニ 鳴きのこりたる 鳥の声
一つひゞきて 静なるか母 -
宇和島城 長門丸跡。
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長門丸の由来は、藤堂高虎の重臣の名前だそうで、城内では最も広い曲輪です。
現在は配水池と児童公園になっています。 -
休憩所もありました。
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天守まで6分らしい。
ここまで来るのに20分以上かかっているのに、無理でしょ。 -
天守を目指して登ります。
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この石段を上ると。
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城山郷土館がありました。
休憩がてら見学しましょう。
ここは藤兵衛丸跡。 -
宇和島なのに伊達?
入場無料なのが嬉しいです。 -
城山郷土館として使用されている建物は、幕末に三の丸内に建てられた武器庫(山里倉庫)を移築したものです。
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城山郷土館。ここでこの山の名前を知りました。
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大型モニターで郷土芸能が放映されていました。
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宇和島の文学散歩マップ。
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山里倉庫の棟札。弘化2年12月。
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宇和島の偉人、ゆかりの人々コーナー。
ここで伊達家との関係を知りました。
伊達秀宗公は、仙台藩主伊達政宗公の長子でしたが、政宗公と正室愛姫との間に忠宗が生まれ、秀宗公の立場は微妙でした。
幕府は政宗公の戦功と秀宗公の忠義に報いると理由を付けて、慶長19年(1614年)12月、伊達秀宗公に伊予宇和島藩10万石を与えました。
これが宇和島藩伊達家の始まりで、仙台藩の支藩ではありませんでした。
以後、9代藩主伊達宗徳公まで続きました。 -
松根東洋城(まつね とうようじょう)は明治生まれの詩人です。
夏目漱石の門下生で、正岡子規とも親しく、永く活動しました。昭和39年没。 -
ゆかりのある人々を紹介するコーナー。
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天守の方向へ進みます。
実は右へ進む道もあるのですが、標識は何もありません。 -
崖下に井戸丸門跡が見えました。
宇和島城には3つ井戸があり、もっとも重要な井戸があった曲輪です。
井戸の直径は2.4m、深さ11m。海に近いにも関わらず真水が出たそうです。 -
まだまだ登りが続きます。
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しばらく登ると石垣がありました。
手前は御書物矢倉跡、奥は御弓矢倉跡です。 -
敵を寄せ付けない急な石段。
上から攻めたら、逃げられません。 -
本丸石垣にたどり着きました。野面積みの石垣です。
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二の丸跡。夏のような日差しで、とても暑い日でした。
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二の丸跡に錆びたレールがありました。
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本丸の石垣があります。
空にはトンビが飛んでいます。ピーヒョロロ。 -
西側に宇和島湾が見えています。
現在は市街地が広がっていますが、築城当時は城の真下まで海が迫っており、海と堀で守られていました。 -
二の丸からの本丸への石段。
ここには本丸への唯一の門として櫛形門がありました。 -
本丸跡の広場に出ました。
御台所跡。 -
藤堂高虎が文祿4年(1595年)に入城した際は砦のようだったらしく、慶長6年(1601年)に天守を築きました。その時の宇和島城は三重三階の「望楼型天守」でした。
宇和島伊達家が城主となりましたが、老朽化が進んだことから2代宗利公は寛文元年(1661年)から城を大改修し、寛文6年(1666年)に現存する三重三階の「層塔型天守」を完成しました。
別名、鶴島城と呼ばれます。 -
2mほどの高さの天守台の上に三重三階で白漆喰総塗籠めの天守。高さ15.72m(礎石~大棟)。
唐破風の付いた玄関から入城します。 -
左から、豊臣秀吉、伊達秀宗、伊達政宗の甲冑(レプリカ)です。
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7代伊達宗紀(むねただ)公の写真。
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8代伊達宗城公の写真。
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天守の雛形が置かれています。
万延元年(1860年)の大修理のときに作られた1/10サイズです。 -
2階への階段は途中の踊り場から直角に曲がっています。
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墨絵イラストレーター茂本ヒデキチ氏制作の屏風。
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太鼓矢倉(櫓)にあった大太鼓。明け六つ、暮れ六つの時報として鳴らされていました。
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最上階へ上る階段。
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最上階は、猿頬天井でかなり狭い感じです。
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宇和島城を描いた金屏風(レプリカ)。宇和島城を南西方向から俯瞰しています。
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天守からの眺望、東方向。前方の山は鬼ヶ城連山です。
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南方向。左の市立病院と右の宇和島東高校の間に伊達博物館がありますが、わかりませんね。
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西方向。宇和島湾が見えます。
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北方向。正面の丘に闘牛場のドームが見えます。
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北東方向に線路が見えています。
中央奥のベージュ色した建物が宇和島駅ビル・JRホテルクレメント宇和島です。 -
天守から下りる階段です。急すぎて危ないので、後ろ向きに下りました。
この時です。天守まで響きわたる大きな声。
えーっ、紛れもなく知人のSさんの声。
Sさんは、伊達の本家・仙台の方ですから、宇和島城に来られるのは不思議なことではないのですが、それにしても驚きました。
これまでも思わぬ所で何度か会っているのですが、いつもアクティブなSさんにパワーをもらいました。 -
ミッションが完了したので、山を下ります。
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山道を下ります。
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城山郷土館まで戻りました。
ここからは、案内表示はありませんが山の南側へ下りていきます。 -
二ノ丸跡で見たレールがここまで繋がっているようです。
荷物の運搬だけでなく、乗用可能だったみたいです。 -
緩やかな坂道が続いています。
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案内表示がないので少し不安です。
もちろん、誰とも遭遇しません。 -
左は通行禁止。
右へ進みます。 -
石垣が出てきました。
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さらに下ります。
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式部丸跡。
てっきり紫式部に関係しているのかと思ったら、伊達家家臣の山崎式部に因んでいるようです。 -
式部丸跡には井戸の遺構がありました。
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紫陽花が咲いていました。
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式部丸跡から代右衛門丸跡の高石垣が見えます。藤堂高虎の家臣矢倉大右衛門に因んでいます。
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まだまだ下っていきます。
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式部丸の石垣。
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上り立ち門が見えてきました。
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往時は上り立ち門が正規の登城口でした。
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竹杖を返しました。ありがとうございました。お陰様で城山を縦走できました。
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宇和島城の上り立ち門です。
武家の正門とされる薬医門形式で、城山南側の搦手道口に位置しています。
国内に現存する薬医門としては最大級の規模です。建築年代は特定されていないものの、藤堂高虎の天守築造と同時期の可能性があります。市指定有形文化財。
宇和島城で国の重要文化財に登録されているのは、天守と上り立ち門の二つです。 -
門の前には児島惟謙(こじま これかた)像が立っています。
明治24年(1891年)に起きた「大津事件」の際、大審院長として司法権の独立を守り抜き、「護法の神様」と高く評価された方です。 -
宇和島城にあったチラシを頼りに宇和島市立伊達博物館まで歩きました。
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宇和島市立伊達博物館は、9代続いた伊達家伝来の貴重な史料や、宇和島に関する文化遺産などを展示しています。
昭和49年(1974年)の開業から50年が経ち、老朽化対策として移転が予定されています。
開館は午前9時~午後5時まで、火曜日定休。大人600円(65歳以上は400円)。 -
伊達宗城侯像。幕末の四賢侯ととして知られています。
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博物館の場所は、江戸中期の縮景風池泉回遊式庭園の一部でした。
その名残りをとどめる庭です。 -
芝 不器男の句碑。
白藤や 揺りやみしかば うすみどり
俳句に万葉調を導入し、「現代俳壇の彗星」と言われましたが26歳で夭折しました。名前は本名。 -
展示室内は撮影厳禁で、すでに忘却の彼方に去ってしまいました。
大汗かきながら来たのに(400円も払ったのに)大ガッカリです。 -
入口の扉には宇和島伊達家の家紋がありました。
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兜を被って記念写真だけが唯一の想い出です。
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城山の南側から見た宇和島城。
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宇和島駅前に大きな牛の像がありました。
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宇和島闘牛の像。平成7年に設置されました。制作は四津井工房(富山県高岡市)。
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宇和島鉄道1号形蒸気機関車(レプリカ)。
「宇和島城築城400年祭」と「鉄道唱歌(大和田建樹・作詞)誕生100周年」を記念して、平成12年(2000年)5月に設置されました。 -
宇和島鉄道は、軌間762 mmの軽便鉄道で、大正3年(1914年)5月に試験走行、同年10月に宇和島~近永間の17.3kmが開業しました。
この機関車は、ドイツのオーレンシュタイン・ウント・コッペル社が製造した特殊狭軌線用タンク式蒸気機関車ケ220形を、可能な限り忠実に再現したものです。 -
駅構内にはコインロッカーや自動販売機がありました。
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特急宇和海20号に乗って松山駅へ戻ります。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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