2024/06/17 - 2024/06/18
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FUKUJIROさん
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この旅行記のスケジュール
2024/06/17
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電車での移動
ことでんに乗って琴電志度駅に到着
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徒歩での移動
讃岐街道を歩く
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自性院で平賀源内の墓にお参りしました
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JR志度駅
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電車での移動
ことでん志度線
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高松築港駅
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ホテルエリアワン高松
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この旅行記スケジュールを元に
江戸時代中期に活動していた平賀源内をなんとなく江戸の人だと思っていたのですが、出身地は讃岐国寒川郡志度浦、讃岐高松藩に仕えた足軽身分の白石家の三男でした。
寛延元年(1748年)に父の死により21歳で家督を継いだものの、宝暦6年(1756年)には妹夫婦に家督を譲り江戸に下っています。
その後は、商品売買や鉱山開発、興行催行、劇作家など様々な活動をしました。
平賀源内の墓所は、東京都台東区橋場二丁目の旧総泉寺墓地(昭和18年に国の史跡に指定)と香川県さぬき市志度にある白石家の菩提寺・自性院にあります。
外国人観光客はゼロ、お遍路さんはかなりいました。
愛媛と香川の旅も無事に過ごすことができました。拙い旅行記をお読みいただきましたみなさまに感謝いたします。
1日目
羽田空港から松山空港へ。バスで道後温泉へ移動、市内で仕事をしてから道後温泉を観光。道後温泉泊。
2日目
朝、仕事。松山城に登城。その後に仕事。松山泊。
3日目
宇和島へ移動し、宇和島城に登城。
下灘で夕陽を見る。松山泊。
4日目
松山市内を観光、丸亀へ移動し、宿泊。
5日目
丸亀城に登城。讃岐うどん発祥の地を見て、塩江温泉に泊まる。
6日目
法然寺に参拝してから、平賀源内の街を歩く。夜は仕事。高松泊。
7日目
雨上がりの高松空港から大雨の羽田空港へ、帰宅。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ JRローカル 私鉄 徒歩
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高松琴平電気鉄道の瓦町駅から志度線に乗って琴電志度駅へ移動します。
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琴電志度駅に移動しました。
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琴電志度駅は、琴平電気鉄道志度線の終着駅なので、ここで線路が終わっています。
また、ホームが短いため、2両編成でも瓦町方向の運転室扉がホームからはみ出してしまいます。軌間は1435mm。 -
ホームから見た琴電志度駅の駅舎。
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琴電志度駅。
明治44年(1911年)11月、東讃電気軌道の志度駅として開業。
昭和6年(1931年)5月に移設し、志度駅前駅に改称。この時の木造駅舎と思われます。 -
曇り空に変わってきました。
天気予報では低気圧が発達し夕方から雨、だんだん強くなり、明朝は嵐の予報です。
飛行機は飛ぶのかしら、不安です。 -
まずは平賀源内記念館を目指します。
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歩いて3分で平賀源内記念館に到着。
江戸の人々を驚かしたエレキテル(摩擦起電機)をはじめ、源内焼の陶器、絵画、戯作、遺品などが展示され、別館では薬草園、銅像、旧邸などが見られるようです。 -
またもや大ボケしました。
月曜日は休館日でした。
平賀源内が活躍したのは、江戸時代中期、10代将軍徳川家治公の時代でした。むしろ、老中田沼意次の時代と言った方がわかりやすいかもしれません。
田沼意次は、幕府財政を立て直すために新田開拓をはじめ、鉱山開発や新規事業にも精力的に取り組みましたので、平賀源内にはチャンスが多かったのだろうと思います。 -
気を取り直して塀に張ってある観光マップを見ます。
このまま先へ進むと八十六番札所の志度寺があり、その手前には平賀源内の墓があるので、行ってみましょう。
反対方向へ進むと、平賀源内旧宅があります。 -
こんな感じの道ですが、讃岐街道です。
5~6分歩きました。 -
志度のマンホール蓋。合併前のもので、旧志度町の多和神社秋大祭をデザインしています。
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以志や旅館。
さぬき市観光協会のHPによると、明治時代創業で、建物は登録有形文化財に認定されています。
隣接する「以志や」で食事をすることが出来ます。さぬき市が誇る平賀源内にちなんだ源内定食が名物とのことです。 -
船番所跡。1754年から幕末まで、船番所がありました。
この建物も古そうですが、当時の建物ではないでしょう。 -
平賀源内を支援していた志度村の庄屋・渡辺桃源の屋敷跡です。当時の敷地はとても広く、志度湾に面した北側には3階建ての臨江邸があったそうです。
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志度寺の山門が見えました。
参道の両脇にあるのは支院でしょうか。 -
自性院の山門。
志度寺仁王門の右側手前にあります。
正式な名称は、真言宗善通寺派の微雲窟 自性院 常楽寺(びうんくつ じしょういん じょうらくじ)。 -
山門を入り、すぐ右手にあります。
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平賀源内國倫之墓。
こちらは白石家(平賀家)の菩提寺であり、墓は義弟である平賀権太夫の建立とされます。毎年12月18日には、追善法要が執り行われます。 -
弘法大師像。
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天正年間(1575年頃)に当地に来住した摂津源氏の豪族・多田和泉守一族の創建と伝わります。志度寺七塔頭の一つでした。
御本尊は不動明王ですが、本堂内正面には弘法大師を祀っています。これは本堂の場所が元は志度寺の御影堂跡と伝わっているからです。
本堂は平成2年(1990年)に再建されましたが、平成22年1月9日に失火、本堂と客殿を全焼しました。
現在の建物はその後に再建されたものです。 -
客殿。
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塀に沿って石仏が並んでいました。
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圓通寺の山門です。
自性院の真向かいにあります。真言宗善通寺派。 -
本堂です。
開基は奈良時代の僧行基です。志度寺の七塔頭の一つ「西林坊」として堂宇が建立されました。
四百余年前の明暦年間、志度寺の住職であった宥忍和尚が、自らの隠居所として西林坊に移って中興、以来歴代住職の隠居所となります。江戸時代の中頃に志度寺より独立、西林坊を改め福聚山 世尊院 圓通寺(ふくじゅざん せそんいん えんつうじ)としました。
御本尊は聖観世音菩薩です。
安永年間(約250年前)に観音堂(現在の本堂)を建立しました。 -
聖観世の扁額。
聖観世音菩薩のご真言は「オン アロリキャ ソワカ」。 -
客殿。
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扁額は地蔵尊。客殿の背後には地蔵堂があります。
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石塔。
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志度寺の山門、仁王門です。国指定重要文化財。
全国的にも珍しい三棟造りの堂宇で、本堂とともに讃岐藩主松平頼重公により寄進されました。 -
結界石。不許酒肉五辛入門内。
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境内案内図。志度寺の境内は樹木によって視界が遮られており、堂宇が込み入っているので案内図がないと迷子になります。
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三間一戸の八脚門。
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五重塔。
地元出身の実業家・竹野二郎氏の寄進により昭和50年(1975年)5月に落成しました。高さ33m。御本尊は県指定有形文化財の胎蔵大日如来坐像。像高101cm、欅材の一木造、漆箔。
塔の周辺は樹木が密生していて見えないため、、この位置からが一番良く見えました。 -
木造金剛力士像と大草鞋。
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運慶作と伝わる木造金剛力士像(阿形)。
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木造金剛力士像と大草鞋。
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木造金剛力士像(吽形)。
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開創はとても古く推古天皇33年(625年)、四国霊場屈指の古刹です。
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補陀洛山 清浄光院 志度寺(ふだらくさん せいじょうこういん しどじ)。
仁王門の扁額は補陀洛山。 -
仁王門から先は樹木が生い茂っています。
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五重大塔建立嘆徳頌。竹野二郎氏の功績などが刻まれています。
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境内のあちらこちらに石仏が置かれていました。
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鐘楼堂。老朽化のため、修復工事中でした。
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さぬき市観光協会では、お遍路の旅を締めくくる五つのお寺「屋島寺」「八栗寺」「志度寺」「長尾寺」「大窪寺」を巡る旅をPRしています。
約38km、歩くと9時間以上を要します。 -
志度寺境内は讃岐遍路道として國の史跡になっています。
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石仏。
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書院、曲水式庭園、無染庭(むぜんてい)へ通じる門。
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書院。 浄瑠璃「花上野誉の石碑」の舞台となった場所です。
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曲水式庭園は室町時代の作庭で、天に向かう石組が特徴とのことです。
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書院の正面に作庭された無染庭は、昭和を代表する庭園家の重森三玲氏の作で禅式枯山水庭の定型を採りいれています。
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不動明王。
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本堂。
1400年の昔、海洋技能集団海人族の凡園子(おおしそのこ)が霊木を刻み、十一面観音像を彫り、精舎を建てたのが始まりと云われています。
後に藤原鎌足の息子、不比等が妻の墓を建立し「死度道場」と名づけました。さらにその息子房前は、持統天皇7年(693年)に僧行基とともに堂宇を拡張し、学問の道場として栄えました。弘仁年間、弘法大師が伽藍の修理にあたりました。
室町時代には、四国管領の細川氏の寄進により繁栄するも戦国時代に荒廃。
寛文10年(1671年)、高松藩主松平頼重公の寄進により本堂・仁王門を再建しました(国指定重要文化財)。
本堂は、桁行七間、梁間五間、入母屋造。 -
毎年、7月16日と17日の午前、本尊と脇仏を開帳をしています。
堂内向かって右奥に凡薗子尼像が鎮座しています。 -
本堂、その奥に大師堂。
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大師堂。
以前は中に入れたそうですが、現在は外から参拝します。
入れ替わり立ち替わりお遍路さんが経を唱えていました。 -
弘法大師の額絵が掲げられています。
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閻魔堂。県指定有形文化財。
志度寺縁起によると、この閻魔大王は、本尊の十一面観音と同体とされ(通常は地蔵菩薩の化身)、頭上に十一面の仏面を頂くお姿で、極楽往生・蘇生の閻魔とされています。室町時代の作で、左右に司録・司命を従えています。毎月17日開帳。 -
閻魔堂の額。
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奉納四国八十八箇処光明宣言一億萬遍。大きな石碑です。
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菅原道真公を祀っている祠です。
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奪衣婆堂。県指定有形文化財。
高松藩主松平頼重公の寄進により寛文11年(1672年)に建立。
奪衣婆は三途の川のほとりで死者の衣を剥ぎ取り、それを衣領樹(えりょうじゅ)の枝に掛けて、生前の罪の重さを量るといわれています。脇侍は地蔵菩薩・太山府君。
本来はこちらに参拝してから閻魔堂を参拝するのが正しいそうです。 -
五重塔が見えました。
四国霊場にある五重塔は、31番竹林寺、70番本山寺、75番善通寺とこちら86番志度寺の4ヶ寺です。 -
海女の墓は、海女の玉取り伝説に因んだ古跡です。
時は1300余年前、藤原鎌足が亡くなり、唐の第三代皇帝・高宗に嫁いでいた娘は父の追善のため、三つの宝物を贈りました。しかし、都への船が志度浦にさしかかると、三つの宝物のうち「面向不背(めんこうふはい)の玉」が竜神に奪われてしまいました。
鎌足の子の不比等は玉を取り戻すため、身分を隠して志度へ来ました。海女と契り、一子房前をもうけた不比等は、数年後に素性を明かし、玉の奪還を海女に頼みました。海女は「わたしが玉を取り返してきましょう。その代わり、房前を藤原家の跡取りに約束してください」と言い、竜宮に潜入しました。
腰に命綱をつけた海女の合図があり、不比等が綱をたぐると、海女の手足は竜神に食いちぎられていましたが、十文字に切った乳房の下には、玉が隠されていました。
やがて房前は藤原家を継ぎ、大臣に出世しました。不比等から母の死の真相を聞かされた房前は志度を訪問し、千基の石塔を志度寺に建てて菩提を弔ったと伝わっています。
海女の命日である旧暦6月16日には志度寺で十六度市という市が開かれていました。現在は、月遅れの7月16日に志度の十六度市が開催されています。
以前に新潟県を訪れた際、藤原房前が母・藤原先妣尼の菩提を弔うために創建した尼寺が、後の雲洞庵(南魚沼市)と知りました。
よろしければ、その時の旅行記もお読みください。
https://4travel.jp/travelogue/11779548 -
ここに顔はめパネルを設置してるのは、少し場違いな気がします。
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海女の墓、五輪塔群。
藤原房前が母を弔うために千基の石塔を建立したと伝わり、現在も20数基の石塔が残っています。さぬき市指定史跡。 -
生駒親正の墓所。
生駒親正は、織田信長の従兄弟にあたる武将。文禄4年(1595年)に讃岐国12万6千200石を与えられ、高松城と丸亀城を築城しました。
関ヶ原の戦いでは、自身は西軍に、子の一正は東軍に与し、生駒家が存続できるよう配慮したとも言われています。
海女の墓を囲む柵の奥に墓所があります。さぬき市指定史跡。 -
高浜年尾の句碑。
盆に来て 海女をとむらふ 心あり
高浜虚子の長男です。 -
駐車場の隅におみやげ自販機がありました。
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お守りも買えます。
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駅へ戻ります。
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JR志度駅まで来ました。
1925年(大正14年)8月1日に鉄道省高徳線の駅として開業。
1998年(平成10年)4月17日に現在の橋上駅舎が竣工しました。 -
平賀源内さんのイラスト画を飾ってある、と思ったらさぬきワイナリーのPRでした。
何か関係あるのかなと思い調べてみたら、平賀源内が主宰した「薬品会」を切っ掛けに、高松藩の命で源内が薬種採集を行うこととなり、栗林公園の薬草園整備にも関係したようです。
その栗林公園で実った「梅」の実を仕込んだ「栗林公園の梅ワイン」という商品をさぬきワイナリーが製造しているというご縁でした。 -
海女の玉取伝説の碑。
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JR志度駅まで来たけれど、結局ことでんに乗ることにしました。
志度線のカラーはピンク色です。 -
高松築港駅に来ました。ことでんには、高松駅がなく、すぐ近くに高松築港駅があります。
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これはアザラシで間違いないでしょう。
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高松市のマンホール蓋。
屋島の合戦において、源氏の武将・那須与一が、平氏側の船上に掲げられた扇の的を見事に射抜いたという平家物語の一幕をデザインしたものです。 -
「第3回たいせつな下水道作品展」でのマンホール型絵画入賞作品を張り付けたデザインマンホール蓋です。
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高松駅前のホテルエリアワン高松に宿泊します。
電子レンジやコインランドリー、宿泊者専用レンタサイクルもあります。 -
ミニツインルーム。
1人ではかなり余裕です。 -
駅前なのにリーズナブルな料金、部屋も広めでした。
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夜中は激しい雨でしたが、朝にはだいぶ回復してきました。
ホテルの朝食は、駅ビル内のパン屋さん「リトルマーメイド」です。
部屋に持ち替えることもできますが、小雨が降っていたので、ホテルをチェックアウトしてから利用しました。 -
焼き立てパン2ヶとドリンクのセットメニュー。ロールサンドとカレーパン、コーヒーをいただきました。
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JR高松駅の駅舎は、高松駅のイメージキャラクター「たかまつえきちゃん」。
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高松駅の駅前広場。
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高松シンボルタワーは、四国で最も高い151.3mの複合商業施設です。29Fの展望室からは、高松市街地はじめ、瀬戸内海や屋島を眺めることができるそうです。
平成16年(2004年)2月竣工。年中無休・入場無料。利用時間10:00 ~ 22:30。 -
高松空港行きのバスに乗ります。
バス乗り場は、駅前広場の先にあります。 -
高松空港に到着。
讃岐の石・サヌカイトが展示されています。
とても堅く、たたくとカンカンと金属音を出すので、俗に「カンカン石」と呼ばれるそうで、割ると鋭利な割れ口を呈することから縄文~弥生時代には矢じりや石刀などに使われました。 -
雨が止んできたので、定時に飛びそうです。嵐にならず、助かりました。
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JA478便。帰りもB737-800です。
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羽田空港は土砂降りでしたが、無事に着陸できました。これで愛媛と香川の旅はお終いです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (4)
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- jijidarumaさん 2024/10/06 18:51:45
- 志度寺の近藤勇!?
- FUKUJIROさん、
今晩は。
何時も精力的な旅をされていて、出張のついでとは思えません。
四国は学生時代に訪れた少林寺拳法の總本山の多度津、合宿した新居浜
ぐらいから知りませんから、一度はと思っていますが。
さて、偶々、目にした志度寺の不動明王(個人的には不動明王が好きで)
が、新撰組局長の「近藤勇」!によく似ているように思いました(笑)。
私は東京は三多摩の出ですから、小さい時から今に至るまで新撰組オシです。
図らずも、不動明王の姿で、「近藤勇」!が四国に居わすとは思いも
しませんでした。
それではまた。
jijidaruma
- FUKUJIROさん からの返信 2024/10/12 05:22:37
- Re: 志度寺の近藤勇!?
- jijidarumaさん、こんにちは。
いつもお読みいただきましてありがとうございます。
また、私もjijidarumaさんの旅行記を楽しく拝見しております。
還暦を過ぎて、定年も過ぎたのですが、出張がしたくて会社にしがみついてる様なものです。だいぶドライな社会になりましたが、古い人が良いと言っていただける先様もありますので、何とか仕事になっております。
昔は出張先での飲み食いが楽しみでしたが、体調を崩してからは物見遊山の旅を続けております。
私の守本尊が不動明王なので、お褒めいただいて嬉しいです。
四国も良いところです。観光地がいっぱいあります。お遍路をしなくても大丈夫です。
東日本大震災の後に津波被害を調査したことがあります。いずれ発生することが確実な南海トラフ地震に備えて、今を記憶しておきたいとも思っています。
これからもどうぞよろしくお願いします。
FUKUJIRO拝
-
- おくさん 2024/10/06 12:22:42
- 志度寺
- こんにちは、2年前にニセ遍路で寄りました。
平賀源内の墓があるのを知らなかったので、案内板を見てビックリしました。
意外だったので私もすぐネットで調べたら東京にも墓があるんですね。
分骨ってことでしょうか?
ちょっとドロドロした過去を想像しちゃいました。
大昔にnhkで平賀源内のドラマをずっと見ていたので割りと身近でした。
主役の男性の顔は覚えていますが名前は失念です。
でも女優は中野良子だったと思います。
役名は確か「くれないさん」だったような?
- FUKUJIROさん からの返信 2024/10/06 16:10:55
- Re: 志度寺
- おくさんさん、こんにちは。
いつもお寄りいただきましてありがとうございます。
平賀源内は関東や東北の鉱山開発をしたイメージが強くて、江戸の人だと思い込んでいました。
江戸で最期を迎えたようですので、台東区のお墓が元になっていると思います。
讃岐の出というのは、意外ですよね。そういう発見が楽しくて、あちらこちらを歩いています。
おくさんさんのサンティアゴ・デ・コンポステーラは凄いの一言しかありません。
ますますのご健勝をお祈りいたします。
これからもどうぞよろしくお願いします。
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