2024/06/16 - 2024/06/17
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FUKUJIROさん
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旅も5日目となると、そろそろ畳の部屋で寝たいもの。FUKUJIROのお財布でも泊まれそうな宿を探したら、高松市の郊外に「讃岐の奥座敷」と呼ばれていた山間の温泉を見つけました。
塩江(しおのえ)温泉郷は、阿讃の山懐に抱かれた湯の里で、開湯は約1300年前の奈良時代初期と云われています。僧行基が当地に来たとき病に罹り、治療も神仏への祈りも効果がありませんでしたが、一人の聖が不思議な霊水を教え、行基がその霊水に数回浸ったところ、全快したそうです。
その後、弘法大師もこの地で修行し、万人に湯治を勧めたという話が残されています。また、源平合戦で敗れた平家の落人伝説もあるようです。
そんな塩江温泉郷ですが、アクセスはちょっと不便でした。高松市内からは南へ約25km、車だったら約40分なんですが、電車はなく、市内からのバス便も非常に少ないです。
塩江美術館では、外国人観光客はゼロ、日本人の親子が1組だけいました。
1日目
羽田空港から松山空港へ。バスで道後温泉へ移動、市内で仕事をしてから道後温泉を観光。道後温泉泊。
2日目
朝、仕事。松山城に登城。その後に仕事。松山泊。
3日目
宇和島へ移動し、宇和島城に登城。
下灘で夕陽を見る。松山泊。
4日目
松山市内を観光、丸亀へ移動し、宿泊。
5日目
丸亀城に登城。讃岐うどん発祥の地を見て、塩江温泉に泊まる。
6日目
法然寺に参拝してから、平賀源内の街を歩く。夜は仕事。高松泊。
7日目
雨上がりの高松空港から大雨の羽田空港へ、帰宅。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 私鉄 徒歩
-
高松空港からタクシーを走らせて、ホタルと文化の里公園に立ち寄りました。
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熊野俊一画伯顕彰の碑がありました。
塩江美術館の開設にあたり、塩江町出身の画家・熊野俊一氏から約350点の作品寄贈を受けました。 -
高松市塩江美術館。
平成6年(1994年)4月25日に、塩江町がホタルと文化の里公園の中核施設として建設しました。
平成17年(2005年)に高松市と合併、高松市塩江美術館へ名称を変更しました。 -
敷地にはいろいろなオブジェや石碑などがありました。
Paradise Wind(楽園の風)。
アキタ・タタ氏の作品、1996年。 -
文部大臣を務めたこともある有馬朗人氏の句碑。
乾坤に 命吹雪ける 蛍かな -
屋島の合戦で敗れた平氏の落人達が命からがら逃げてきたことを詠んだ詩。
落ち延びて 行く宛もなき都鳥 この山陰ぞ こころ泰原
揮毫は、大西きくゑ氏。 -
金子兜太氏の句碑。
讃岐塩江 昼の蛍を いただきぬ -
美術館の裏にTシャツが干してありました。
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竹を編んで作ったトンネルです。
なぜ、こんなトンネルがあるのかと不思議でしたが、かつて、ことでんの仏生山駅から塩江温泉郷まで塩江温泉鉄道が通っており、そこには4つのトンネルがあったそうで、そのイメージで作られています。 -
高松市塩江美術館。
開館は9時~17時、月曜日休館。
常設展は通常300円ですが、65歳以上を証明できるものを提示すると無料。 -
高松市塩江美術館の配置図。
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石のオブジェ。
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館を一回りしましょう。
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Tシャツが干してあるように見えたこれも作品でした。
生活圏。
中井弘二郎氏の作品、2010年。 -
これも作品らしい。
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これも作品らしい。
私は作者の意図がわかりません。 -
常設展は、熊野俊一氏が寄贈した作品を中心に、川島猛氏や小林正六氏の作品など約30点を展示していました。熊野俊一氏が欧州旅行で作風を転換した一連の作品とそれ以後の作品が展示されていました。
FUKUJIROには、炭鉱内に立つ2人の鉱夫を描写した「高萩炭鉱」が圧巻でした。
よろしければ高萩炭礦資料館を訪問した旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11801465 -
企画展は、現代アート家・渋田薫氏の特集で、一部は撮影可でした。
こちらの作品群は、隣り合う壁面に熊野俊一氏の作品群が展示され、それをオマージュした渋田氏の作品です。 -
マッターホーン、2024年。
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リカピトス、2024年。
ギリシャの首都アテネにある標高277mの丘で、アテネ市街を見下ろす景勝地。 -
ニースの街、2024年。
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ニースの海岸通り、2024年。
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パスチャーの港、2024年。
熊野俊一画伯の絵と全く同じモチーフですが、背景に高い山が聳えている港町の風景が見えるでしょうか? -
讃岐の奥座敷、塩江温泉郷の新樺川観光ホテル。
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私の部屋は西館でした、かなり離れているみたい。
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本館と西館をつなぐ長い廊下。
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廊下の天井には切り絵が飾られています。
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四国八十八ヶ寺の切り絵です。
一番札所 霊山寺。 -
八十八番札所 大窪寺。
車だと、このホテルまから20分位です。 -
高野山。総本山 金剛峯寺。
廊下の切り絵でバーチャル札所巡りができました。 -
廊下は続きます。
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廊下にありました。
FUKUJIROは、浴衣の大を持って行きます。 -
まだまだ続いています。
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和室8畳。
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川に面した明るい部屋です。
早速お風呂に行きましょう。 -
四国随一 べっぴんの湯(壁のポスターを転写)。
無色透明の湯は、お肌をつるつるに「美肌づくりの湯」または讃岐「べっぴんの湯」と呼ばれています。アルカリ性(PH値 9.12)。 -
休憩室のマッサージチェアは15分200円と安かったので2回も使いました。
30分間、利用者ゼロでした。 -
これは、アシカかオットセイか、アザラシかも。
鰭脚類って、なかなか難しい。ミルクボーイも悩んでいましたね。 -
香川県出身の笠置シヅ子さんが主人公でした(ポスターを複写)。
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夕食は、本館のお食事処の「和食会席 橘」でいただきました。
これは一番リーズナブルな「梅」です。梅でも満足できました。 -
銘柄を写してなかった(泣)。
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デザートもいただきました。
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部屋からは眼下を流れる香東川が見えます。
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全客室に塩江温泉のかけ流し温泉を引いています。
いつでも温泉を満喫できます。
本館まで行くのがおっくうだったので、朝風呂は部屋のお風呂に入りました。 -
朝食はシンプル。
美味しくいただきました。 -
かつて仏生山(ぶっしょうざん)駅から塩江温泉郷まで、塩江温泉鉄道(総延長16.2km)が通っていました。その廃線跡の道路をガソリン道と呼んでいます。
塩江温泉鉄道は昭和4年(1929年)に開業、経営難により昭和16年に廃止となりました。非電化で軌間1,435mmを採用した国内唯一の鉄道線でした。当時の機関車はガソリンエンジンだったので、ガソリン道と言うそうです。 -
浄土宗開宗850年の記念の年に法然寺に来ることができました。
南無阿弥陀仏。参道の先に黒門が見えます。
此岸から彼岸(西方浄土)へと向かう二河白道図を具現化して配置した壮大な風景。
二河とは前池・蓮池(現仏生山小学校)、白道は十王堂前から黒門へと続く参道(150メートル)。 -
黒門。
古来この門から内側は極楽浄土とされてきました。
黒塗りの門、藩窯・理兵衛焼の柿釉風瓦でしたが、現在の門は平成2年(1990年)に古来の形式で再建しました。 -
広庭。広庭は駐車場を兼ねています。
広庭から先は、山上の松平家墓所に向かう道、三仏堂に向かう道、本堂へ向かう道に分かれていて、それぞれに門があります。 -
五重塔。黒門を潜ると正面に見えます。
初代藩主・松平頼重公(水戸黄門の兄)の悲願でありましたが、実現までには長い時間がかかり、340年後の平成23年(2011年)に完成しました。
法然上人800年・親鸞聖人750年大遠忌記念事業として実現しました。 -
塀に案内図がありました。
三つの門は、左(南)に仁王門、中央に涅槃門、右(北)に本堂門があります。 -
仁王門。
延宝2年(1674年)に作られた一対の金剛力士像が睨みを利かせています。 -
金剛力士像(阿形)。京都の仏師・赤尾兵部らが造りました。
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金剛力士像(吽形)。
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仁王門の先には灯籠が立ち並び、石段の上に見えているのは文殊楼です。
ここから先は、仁王門→四天王堂唐門(跡)→二尊堂(跡)→文殊楼→来迎堂→般若台(松平家墓所)へ向かうのですが、まず本堂にお参りしましょう。 -
涅槃門。切妻造り本瓦葺きの八脚門です。
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涅槃門には「法然寺」の扁額が掲げられています。
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涅槃門の正面には三仏堂(涅槃堂)があります。
三仏堂の由来は、阿弥陀如来坐像(中尊)・釈迦如来坐像・弥勒菩薩坐像を本尊とすることです。
堂内には身丈九尺の木造釈迦涅槃像が安置されているところから涅槃堂とも呼ばれています。釈迦の生前の姿が立釈迦で、亡くなった姿が寝釈迦です。
「嵯峨の立釈迦、讃岐の寝釈迦」と称されるものですが、松平頼重公の正室である晧月院殿の菩提を弔うために作られたとされています。
この涅槃像を中心に、空中には雲に乗る釈迦の母・摩耶夫人、周囲には嘆き悲しむ十大弟子や動物の彫像五二類などが安置され、「涅槃図」を立体的に表現したもので、非常に珍しい立体涅槃図です。 -
本堂門。切妻造の本瓦葺きで、間口二間、奥行き二間、高さ一丈七尺五寸の四脚門です。寛文年間(1661~73年)の建築とみられ、平成3年(1991年)に本堂と共に改修されました。
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弘法大師堂。本堂門を潜るとすぐ左側にあります。
江戸時代の四国遍路道指南では、第八十三番一宮寺から第八十四番屋島寺まで直行せずに、仏生山法然寺を経由する道も紹介されています。
このためか、法然寺は浄土宗にも関わらず、弘法大師堂があります。もちろん、御本尊は弘法大師です。 -
弘法大師堂の壁に法然寺五重塔建立プロジェクトのポスターがありました。
五重塔は、平成23年(2011年)1月、現代の宮大工たちによって完成しました。 -
右手に打出小槌を持つ「出世大黒天」です。
まばらに金箔が張られています。五穀豊穣、開運招福、災難消滅の福徳があるそうです。 -
庫裏。堂宇内の見学や三仏堂(涅槃堂)の寝釈迦を拝観するときはこちらで申し込みをします。
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庫裏の入り口。
拝観時間は、9~16時(書院・本堂・三仏堂内部)、拝観料は350円(書院・本堂・三仏堂内部/小学生以下無料)です。 -
讃岐の寝釈迦(イラスト)。
「法然と極楽浄土展」が開催されているので2年間位は戻って来ませんと言われてしまいました。
令和6年は法然上人が浄土宗を開宗して850年に当たり、釈迦涅槃像群の大部分が法然寺を離れていることを失念していました。
東京国立博物館 令和6年4月16日~6月9日
京都国立博物館 令和6年10月8日~12月1日
九州国立博物館 令和7年10月7日~11月30日
ボケるとは怖いものです。
法然寺では撮影禁止ですが、東京開催では撮影可能だったようですので、京都か九州へ遠征しようと考えています。 -
書院。
明治24年(1891年)改築。
浄土宗寺院では珍しい親鸞忌が行われるそうです。
寝釈迦を拝観できないため、書院と本堂は(無料で)自由に見学してくださいと言われました。 -
書院の玄関。
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玄関の飾り。
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五重塔の模型もありました。1/20位かな。
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本堂へ続く廊下。
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仏生山 来迎院 法然寺(ぶっしょうざん らいげいいん ほうねんじ)の本堂です。
承元元年(1207年)、後鳥羽上皇の命により念仏停止とされ、法然上人は75歳にも関わらず讃岐国へ配流されました。小松庄の生福寺で10ヶ月間を過ごしました。
400年の時を経て、浄土宗に帰依していた高松藩・初代藩主の松平頼重公は、法然上人の徳を慕って上人ゆかりの生福寺を高松に移し、藩主家菩提寺としました。
元和元年(1615年)に幕府は寺院法で新寺建立を禁止していため、生福寺を移築再建したそうです。
寛文10年正月25日に三十三門二十四宇の堂塔が完成、江戸小石川伝通院前住職真誉相閑を中興とし、仏生山来迎院法然寺と号しました。独特の伽藍配置で、極楽浄土をこの世に現す寺としました。 -
本堂。明治40年再建。
内陣には法然上人が一刀彫るたびに三度礼拝しながら作成したという御本尊の「法然上人一刀三礼の秘仏」と伝わっています。
上人配流のお姿像(波乗りの法然上人像)、親鸞聖人像、善導大師像、来迎阿弥陀三尊像などが安置されています。 -
祖師堂へ続く廊下。行き止まりでした。
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本堂と祖師堂の間には小さな池があります。
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祖師堂。
西壇に法然像、東壇に松平頼重僧形像と歴代住職像を祀っています。
本堂と三仏堂の間にある細長い堂宇。 -
祖師堂の前に水子地蔵尊。
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蓮。
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忠学上人堂。
第八世住職忠学上人は、お産で苦しむ女性を次々と救う不思議なお力がありました。
以来、安産祈願のお堂として祀られています。 -
御本尊は忠学上人。
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三仏堂(涅槃堂)。
御本尊の三仏、阿弥陀如来坐像(中尊)・釈迦如来坐像・弥勒菩薩坐像が、「讃岐の寝釈迦」を見守っています。 -
三仏堂の内陣奥に、御本尊の三仏、中央に阿弥陀如来座像(現在)・左に釈迦如来座像(過去)・右に弥勒菩薩座像(未来)を安置しています。香川県指定有形文化財。
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法然寺五重塔は、法然上人八百年・親鸞聖人七百五十年大遠忌の記念事業として平成23年(2011年)1月25日年に落慶しました。高さ24.95m。
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五重塔は、8月16日と12月31日の万灯会に際して、日没頃から約1時間ほど内部の拝観が出来るそうです。塔を貫くように心柱にはご住職の筆で「南無阿弥陀仏」と浄土宗の宗旨が刻まれています。
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須弥山を模した山上に般若台(松平家墓所)が設けられています。
境内地全体(法然寺墓地を除く)が平成31年(2019年)2月26日、「高松藩主松平家墓所」として国の史跡に指定されました。 -
来迎堂に達する石段は137段。極楽浄土にいたる階段を一歩一歩登ります。
この上の広くなっている場所には二尊堂がありました。御本尊に阿弥陀如来像と釈迦如来像を祀ることから二尊堂と呼ばれましたが、平成26年(2014年)に焼失。 -
石段の両側に紫陽花。
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文殊楼(鐘楼門)。
文殊楼の名前は下層正面の天井近くの仏壇に文殊菩薩の小さな像を祀っていたことに由来します。
建物の上層部分には梵鐘が吊ってあり、鐘楼門とも呼ばれています。
現在の梵鐘は昭和24年(1949年)に再鋳造され、鐘の設計は梵鐘研究の第一人者であった青木一郎博士が行いました。鐘の表面には日本画家・福井平八郎が「平和の鳩」を描き、歌人・吉井勇の歌が刻まれています。
毎夕、仏生山に鳴り響く鐘の音。聞いてみたかったです。 -
向かって右側に仏教を守護する梵天立像。
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左側に帝釈天立像。
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文殊楼から仁王門をみたところ。
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とても幅の狭い階段が続きます。
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来迎堂。
参道石段の終着点です。極楽浄土に近づきました。南無阿弥陀仏。 -
来迎堂の御本尊は阿弥陀如来像。
この阿弥陀如来像は唐招提寺から招来し、後陽成天皇感得の仏舎利を収めてあると伝わります。二十五菩薩は田村神社の延宝の神仏分離の時に同神社から遷したものと言います。 -
石垣で囲われた般若台。
法然上人を中心に、松平頼重公の父・徳川頼房公をはじめ、高松藩松平家一族の墓石222基があります。 -
般若台の門。
通常は非公開、各藩主の命日のみ公開されます(年10日)。 -
般若台の門から先の様子。
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般若台下からの眺望。
平池。久安年間(1145~51年)に造られた溜池です。 -
日山、標高 192m。
-
手前が六ツ目山、標高 317m。奥が伽藍山、標高 216m。
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来迎堂から文殊楼へ下りる石段は、幅が狭い上に急なので、別の道を探します。
-
墓地。
-
墓地の中を下りる道がありました。
だいぶ緩やかです。 -
法然寺を中興開山した眞誉相閑上人は、法然上人の遺跡復興と藩主の寺としての寺格位置づけのため、「仏生山法然寺条目」38ヶ条を定めました。
般若台以外であれば、宗派や身分を問わず、希望する者は誰でも墓をつくることができるとしました。 -
法然寺は浄土宗の寺ですが、この定めに則り、あらゆる宗派の供養・回向を続けています。
しかしながら、急な斜面にあり、墓参りも大変そうです。荒れ果てたお墓もたくさんありました。 -
如来塔。
昭和15年に全国無縁墓研究家であり墓相学の大家でもある松崎整道師が来られた際、無縁墓の多いことを嘆かれて、当時のご住職細井照道上人に無縁墓の建立を勧めたそうです。照道上人は如来塔と命名しました。 -
奉為宗祖圓光大師六百五十回御忌之塔。
-
極楽浄土から俗世界に戻ってしまいました。
帰郷するのは翌日ですが、観光するのはこの日が最終日なので、先を急ぎましょう。
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