2024/06/12 - 2024/06/13
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FUKUJIROさん
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この旅行記のスケジュール
2024/06/12
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飛行機での移動
松山空港
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バスでの移動
道後温泉駅前
-
電車での移動
道後温泉駅
-
宝厳寺(一遍上人生誕地)
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徒歩での移動
上人坂(ネオン坂跡)
-
放生園の足湯
2024/06/13
-
冠山
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この旅行記スケジュールを元に
12年ぶりに松山に出張しました。
最近は遠方への出張が少ないので、仕事よりも自分のリフレッシュをメインに出かけてきました。まあまあ頻繁にリフレッシュしているような気もしますが、持病のメニエール病には転地療養が効果的だと主治医のお墨付きがあるので、誰にも止められません。
初日の本編は気合が入りすぎて写真が多くなりました。
世間ではインバウンドがすごいらしいのですが、四国に来る外国人観光客はかなり少ないようで、空港と下灘駅以外ではほとんど見かけませんでした。
1日目
羽田空港から松山空港へ。バスで道後温泉へ移動、市内で仕事をしてから道後温泉を観光。道後温泉泊。
2日目
朝、仕事。松山城に登城。その後に仕事。松山泊。
3日目
宇和島へ移動し、宇和島城に登城。
下灘で夕陽を見る。松山泊。
4日目
松山市内を観光、丸亀へ移動し、宿泊。
5日目
丸亀城に登城。讃岐うどん発祥の地を見て、塩江温泉に泊まる。
6日目
法然寺に参拝してから、平賀源内の街を歩く。夜は仕事。高松泊。
7日目
雨上がりの高松空港から大雨の羽田空港へ、帰宅。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JALグループ 私鉄 徒歩
-
羽田空港。搭乗するB737-800です。
半年ぶりの飛行機でワクワクします。 -
東京湾上空。
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一眠りしてたら琵琶湖上空です。
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今日は琵琶湖大橋がはっきり見えています。
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その後もボーッとしてたら、早くも着陸体制です。
手前が倉橋島、その奥が江田島。この後でターンしてもう少しで松山空港です。 -
松山空港では、みきゃんが出迎えてくれました。
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松山市内へはバスで移動します。
空港リムジンバスより22%も安い路線バスで道後温泉へ向かいます。 -
伊予鉄バス。
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普通の路線バスですが、空いているのでリムジンバスよりもゆったりできます。
見たらリムジンバスは満席でした。 -
松山城が見えました。明日、12年ぶりに登城します。
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道後温泉駅前に到着。ここで下車したのは私だけでした。普通の観光客は路線バスを使いませんね。
駅前の引き込み線には復元された「坊っちゃん列車」1号機関車があります。
平成13年(2001年)に伊予鉄道は初代の坊っちゃん列車をモデルにディーゼル機関車として市内走行を復活しました。 -
坊ちゃん列車が展示されています。
道後温泉駅からJR松山駅前停留場までを1日4往復しています。
道後温泉駅のチケットカウンターでは毎朝8時30分より当日分の整理券を配布しています。 -
道後温泉駅の留置線には、3両編成が停車していました。
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一六タルトの広告車両。
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お~いお茶の広告車両。
車体上部に「終わった恋に寄りそってくれたのは千年前のことばだった。」とあります。
何だろうと思い調べたら、令和2年(2020年)に行われた「だから、ことば大募集」の優秀賞を受賞した作品の一つが書かれていました。
松山市は正岡子規をはじめ多くの文人を輩出しているし、夏目漱石の「坊っちゃん」の舞台となっているので、こんな企画が行われたみたいです。 -
伊予鉄道松山市内線・城南線の終点なので、車止めがあります。
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伊予鉄道松山市内線・城南線は複線なので、終点の道後温泉駅で乗客を降ろした後、留置線に入って上下線を入れ替えていました。
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道後温泉駅前広場。
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広場の先に、今夜泊まるホテルが見えていました。
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オーベルジュ道後。リュック預けてからトイレも使わせてもらいました。
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すぐ側の 伊予食堂・おとらで昼食にしました。
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メニューの表紙。
うどんや釜飯がいろいろありました。 -
釜揚げちりめん丼¥1,210をいただきました。
ビールを飲んだら美味しいだろうと思うほど暑かったのですが、仕事を控えていたので我慢しました。
美味しくて満腹です。 -
坊っちゃんカラクリ時計。平成6年(1994年)に道後温泉本館建設100年周年記念事業の一環として作られました。総工費は約1億円らしいです。
午前8時から午後10時までの間、1時間ごとに上演されます。まったくタイミングが合わず、見られませんでした。 -
道後温泉駅前は、かつて伊佐爾波神社の境内の御手洗川の引水をたたえた「放生池」があり、この池を埋め立てて作られた広場が放生園です。
平成14年12月に、誰でも入れる足湯が造られました。道後温泉本館で使用されていた湯釜が置かれ、そこからお湯が出ています。6:00~23:00まで、無料。 -
俳句ポスト。定期的に投句の中から優秀作を選句し、句集に掲載するほか、記念品が贈られたりするそうです。
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柳原極堂の句碑。
春風や ふね伊予に寄りて 道後の湯 -
正岡子規像。
-
正岡子規像。
平成27年(2015年)3月20日に建立。
野球青年だった子規の姿をイメージしています。 -
森盲天外の句碑
伊予とまうす 国あたたかに いで湯わく -
道後温泉駅。
明治28年(1895年)8月22日、道後鉄道(軽便鉄道)の駅として開業しました。
現在の駅舎は、昭和61年(1986年)5月31日、旧駅舎の建材を活用して、再現・再築されました。伊予鉄道は市内線の停留場を「電停」と呼ぶのですが、唯一「駅」と呼ばれています。 -
さて、市内に出て仕事です。
伊予鉄道松山市内線には新旧いろいろな電車が走っていますが、底床の新型車両は、静かで揺れません。SUICAが使えました。 -
仕事を済ましてホテルに戻りました。
夏至が近いので明るいですが、夕方です。
伊佐爾波神社の大鳥居です。 -
伊佐爾波神社の参道ですが、伊佐爾波坂と呼ばれています。
-
伊佐庭如矢翁生誕碑。
明治23年(1890年)、道後湯之町の初代町長。
生誕190年に当たる令和2年、ふなやホテルの敷地内に建立されました。
現在はホテルになっていますが、この地に生家があったそうです。 -
伊佐庭如矢(いさにわゆきや)翁生誕碑。
自らは無給とし、その給料分を老朽化していた道後温泉本館の改築に充てました。また現在の伊予鉄道の建設に尽力し、道後温泉発展の礎を築いた人物です。 -
伊佐爾波神社の看板と石灯籠。
-
伊佐爾波神社の石段。
遠くから見ると、垂直の壁のように見えます。
12年前の私は、見上げただけで挫折していました。 -
今回は上っています。楼門までもう少し。
-
石段の上からの眺望です。135段でした。
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伊佐爾波神社の楼門(国指定重要文化財)。
創建不詳ですが、清和天皇(858~876年)の御代に奈良大安寺の僧・行教が、伊予の国司に請い、道後に八社八幡宮を建立した中の一社と伝わります。
元々、この地は神功皇后と仲哀天皇が御来湯の際の行宮跡といわれています。 -
令和六年大絵馬。
東洋の「龍」vs 西洋の「ドラゴン」が描かれています。 -
楼門。
坂の下から見えているのが楼門です。
現在の社殿は、江戸時代に松山藩主松平定長公が造営しました。
京都の石清水八幡宮を模したと言われ、寛文7年(1667年)5月15日に遷宮式が挙行されました。3ヶ年間に、大工697人、延べ69,017人が建造に当たりました。 -
伊佐爾波神社拝殿。
主祭神は、神功皇后、応神天皇、仲哀天皇、三柱姫大神(みはしらのひめおおかみ)です。 -
伊佐爾波神社の扁額。
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高良玉垂社(拝殿北側)。
武内宿禰命をお祀りしています。長寿、厄除の神様として知られています。 -
楼門から左右に回廊が巡り、御本殿を四方から囲んでいます。
ただの板のように見えますが、算額です。文字が消えそうです。
小嶌又兵衛、文化9年(1812年)。75×105㎝。 -
算額。
和田榮太郎、天保8年(1837年)。99×127㎝。 -
算額(復元)。
関家喜多次、文政6年(1823年)。
算額は全国的に希少なもので、愛媛県内には34面、伊佐爾波神社にはその内の22面が残されています。 -
回廊から見た御本殿(国指定重要文化財)。
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敬天愛人の額。岸信介敬書。
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騎馬武者像。「八幡太郎の図」 昭和9年12月吉祥日。
兜の吹返(吹き返し)、着物の袖、袴に「笹竜胆」の紋が見えます。 -
旅順背面総攻撃之図。明治39年10月吉日。
-
「佐々木高綱 宇治川乃先陣」。昭和14年10吉日。
-
和藤内虎退治絵馬。
豊臣秀吉の家臣・加藤清正が、虎退治をした逸話を描いています。 -
四十七士像。
-
大唐人神輿(おおとうじんみこし)。
分厚いビニールで覆われ、残念ながら見えませんでした。 -
常盤新田霊社(拝殿南側)。
新田義宗、脇屋義治、松平定長(松山藩3代藩主)をお祀りしています。
新田義宗は新田義貞の子で従兄弟の脇屋義治とともに鎌倉幕府と戦いました。 -
社殿の後ろには大きな駐車場がありました。1時間以内は無料。
135段の伊佐爾波坂を登らずにお参りすることが出きたのですね。 -
駐車場の隅に、久保斎の歌碑がありました。
栗の花に 雨滲み通り いろ深し あさきゆめこそ 深く夢みよ -
一遍上人生誕地 時宗 宝厳寺の案内板がありました。
行ってみましょう。 -
かなり急な石段を下ります。
-
宝厳寺(ほうごんじ)。
松山市道後湯月町にある時宗の寺院です。開祖一遍の生誕地で、詳しくは豊国山 遍照院 宝厳寺と称します。
一遍は延応元年(1239年)、伊予の豪族・河野通信の第3子・通広として誕生しました。その生涯は国宝「一遍聖絵」により伝わっています。
寺伝では天智天皇4年(665年)、越智守興が天台宗の誓願院として創建。往時は12の支院があったそうです。正応5年(1292年)、一遍の弟・仙阿が時宗の寺として宝厳寺を再興しました。愛媛県指定史跡。 -
一遍上人御真筆の「南無阿弥陀佛」の碑。
-
山門。
-
平成25年(2013年)8月10日の火災により本堂が全焼、国の重要文化財であった「木造一遍上人立像」も焼失しました。
平成28年(2016年)5月14日、時宗法主・他阿真円上人による落慶法要が執り行われました。再建された本堂は幅約16m、奥行き約12m、高さ約10m。
御本尊の阿弥陀如来三尊像は松山市内の仏師・南雲氏が製作しました。 -
豊国山の扁額。
-
一遍上人堂も新築されました。
愛媛銀行が創業100周年記念として寄進し、堂内にはブロンズの上人像を安置したほか、一遍上人の半生を描いた国宝「一遍上人絵伝」のレプリカやパネルが展示されているそうで、公開もされています。FUKUJIROは遅い時刻に訪問したため、拝観できませんでした。
一遍上人堂は幅・奥行き各約5.8m、高さ約6m。 -
一遍上人歌碑。
身越数つる す徒累心越 寿轉川連半
於裳日なき世耳 すみ曽めの袖
弘安3年(1280年)秋、一遍上人は白河の関を越えて、奥州の江刺に至り、祖父河野通信の墓前に詣でました。
歌碑は、平成2年(1990年)年、上人の生誕七百五十年、没後七百年を記念して建立。筆跡は、「一遍聖絵」巻五から採られたものです。 -
訳文。
-
川田順歌碑。
東京市浅草区の生まれ。東京帝国大学で小泉八雲の薫陶を受けました。後任教授の夏目漱石を「あんなもん問題になりゃしない」と評し、法学に転向したのですが、私生活では終生不倫癖が治らなかった人です。 -
黒田杏子句碑。
稲光 一遍上人 徒跣
平成22年(2010年)年9月建立。筆跡は自筆。 -
「恕」。
相手を思いやって許すの意。 -
河野静雲句碑。
あとやさき 百寿も露の いのち哉 -
酒井黙禅句碑。
子規忌過ぎ 一遍忌過ぎ 月は秋
9月19日は子規忌、9月23日は一遍忌。
-
斎藤茂吉歌碑。
あかあかと一本の道通りたり
霊剋たまきわる
わが命なりけり
茂吉は昭和12年5月12日に参拝しています。茂吉の死後、歌人の山上次郎は、茂吉の遺髪をここに納めました。文字は茂吉の自筆。平成3年3月15日建立。 -
正岡子規句碑。
色里や 十歩者なれて 秋の風
明治28年(1895年)、子規は従軍記者として中国遼東半島に赴いた帰路、船中で喀血をして重篤となりました。小康を得て、親友夏目漱石が中学教師として赴任していた故郷松山に帰ったときの句です。
当時から宝厳寺の坂下には遊郭が栄えていました。 -
上人坂を下ります。かつてはネオン坂と呼ばれていました。
明治の頃に松ヶ枝町と呼ばれていたこの通りには松ヶ枝遊郭があり、たいそう栄えていたようで、夏目漱石 の小説「坊ちゃん」の一節にも出てきます。 -
上人坂の途中から宝厳寺。
-
今っぽいノボリ。
22軒が営業していた松ヶ枝遊郭ですが、昭和33年(1958年)の赤線廃止によりだんだんと廃業していきました。 -
ネオン坂の入り口には大きな石碑がありました。
かつてはこの辺りに団子屋があったようで、夏目漱石は、2本で7銭だったと書いています。
2010年頃まではここに「ネオン坂」と書かれたアーチが残っていたそうです。 -
道後温泉本館。修復工事中でした。
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道後温泉本館。修復工事中でした。
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道後温泉本館。修復工事中でした。
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道後のマンホール蓋。道後温泉本館と火の鳥をデザインしています。
火の鳥は、飛鳥乃湯泉と再生をイメージしているようです。 -
道後温泉駅前に戻りました。
観光のボンネットバスが停車していました。 -
オーベルジュ道後602号室に泊りました。
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オーベルジュ道後の客室。
2食付きで\13,910+入湯税\150です。
wifiはロビーのみ利用可となっています。 -
客室。
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バスルームもありますが、大浴場を利用しました。
アルカリ性単純温泉、歩きまわった一日の疲れが取れました。 -
最上階の部屋からは道後温泉駅前広場が見えました。
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夕食は1階にあるイタリアレストラン/イル・ポジターノでした。
折角なので、お薦めの中からドーゴブロッサム(ジン+ミカンジュース)をいただきました。美味しくて飲み過ぎてしまいそうです。 -
イル・ポジターノは、空いていました。
温泉旅館が多いから、食事も出されるでしょうね。 -
夕食はコース料理でした。
とても美味しくいただきました。 -
夜の正岡子規像です。
-
放生園の足湯です。
道後温泉本館と同じ泉質で、源泉かけ流し。本館で明治24年から昭和29年まで使用されていた湯釜からお湯が出ています。泉質はアルカリ性単純温泉(低張性アルカリ高温泉)。 -
FUKUJIROの足です。恐縮です。
誰も入っていなかったので、一人で浸かっていたら外国人の母子がやって来ました。片言ながらも国際交流していると、地元のお爺さんが来ました。香川の出だそうですが、道後に住んで50年以上という方でした。
お爺さんが移ってきた頃は、松ヶ枝遊郭は非公式ながら続いていたそうで、遊郭目当ての団体客も多かったようです。「取り締まりが厳しくなって、潰れたよ。だけど今でも特殊浴場はいっぱいあるよ」なんて話を聞きました。 -
夜の道後温泉駅。
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夜のアーケード街(道後商店街)。
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ホテルの部屋から、今宵の月は月齢6日。
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朝になりました。
朝食前に冠山に上ります。 -
頂上には湯神社があります。
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冠山は標高57mです。
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山頂目指して朝飯前から登山です。
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山頂に出ました。大きな駐車場になっています。
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手水舎があります。
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中嶋神社。
昭和32年(1957年)3月、四国4県の製菓業者が兵庫県豊岡市にある中嶋神社から田道間守命(たじまもりのみこと)を勧請して創建されました。
田道間守命は垂仁天皇の勅命を受けて不老不死の霊菓・非時香果(ときじくのみ)を探しました。田道間守命が持ち帰った非時香菓は橘で、当時は最上級品とされていたことから、田道間守命は菓子の祖神、柑橘の祖神と崇められています。 -
児守社。中嶋神社と湯神社の間にあります。
往古、松山城東麓にありましたが、築城の際に湯神社の末社の河野霊神に合祀しました。 鎮疫神は、安政6年に流行した悪病を鎮めるため勧請しました。 -
湯神社。
道後温泉の鎮守として大国主命と少彦名命をお祀りしています。
宝永大地震(1707年)で湯が止まったとき、祈祷を行ったところ再び湧出が始まったと伝わっています。 -
湯神社の扁額。
湯の神様にちなんだ様々なご利益があるとされています。
御相殿の出雲崗神社は、素盞鳴命・稲田姫命を奉斎する別の神社でしたが、明治4年に再び相殿となりました。 -
社殿の脇に慰霊碑が建っていました。
昭和57年11月建立。395柱が納められています。
揮毫は、衆議院議員を経て松山市長に就いていた中村時雄氏です。 -
空の散歩道。駐車場の外周にある遊歩道です。
-
空の散歩道(足湯)。
東屋、ベンチ、源泉掛け流しの足湯がありました。
足湯は6~21時、年中無休(12月に臨時休業日あり)、無料。 -
道後温泉本館の全景が見えました。国の重要文化財。
-
道後温泉本館の方へ下りる道もあります。
-
塔屋の上の鳳凰もはっきり見えます。
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道後温泉本館。
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神の湯本館棟。明治27年(1894年)に竣工した3階建て、1階は浴場、2階と3階は休憩室、3階の北西端には夏目漱石が使用した「坊っちゃんの間」があるそうです。
工事中でしたが、浴場は営業していました。 -
又新殿御成門。明治32年(1899年)に竣工した日本で唯一の皇室専用浴室を設けた建物です。木造3階建て、2階には「玉座の間」があるそうです。
-
又新殿(ゆうしんでん)御成門の飾り。
-
冠山。空の散歩道(足湯)が見えます。
-
玄関棟の唐破風玄関。
-
朝飯前の散歩から戻り、ホテルで朝食をいただきました。
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