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四国霊場第38番札所である蹉足它山 補陀洛院 金剛福寺(※足它で一文字、さださん ふだらくいん こんごうふくじ)は、弘仁13年(822年)嵯峨天皇の勅願によって、弘法大師が三面千手観音を本尊として弘仁14年(823年)に開山しました。<br />唐の長安で伝法阿闍梨位の灌頂を受けた空海(弘法大師)は、大同元年(806年)に帰国の途につき、その時に日本に投げた五鈷杵(ごこしょ)の一つがこの地に飛来しました。五鈷杵を探しに来た空海があまりの難所に足を引き摺ったことから足摺岬と云われるようになりました(異説あり)。<br />空海は、この地が補陀洛(インドにあるという観音様の浄土)へと通じる場所だとして開山したことから、後の時代には足摺岬から小舟に乗って補陀洛を目指す「補陀洛渡海」が行われました。<br />足摺岬全体が金剛福寺の境内で、その広さは約12万m2(東京ドーム2.5個分)もあります。岬の周辺には弘法大師の七不思議が伝わっています。<br />金剛福寺は13~14世紀に3度の火災に見舞われており、現在の建造物や仏像群は、延慶3年(1310年)の火災の後に再建されたものです。<br /><br />1日目 <br />成田空港から高知龍馬空港へ飛ぶ。<br />高知市内を街ブラして龍馬が生まれたまち記念館を見学。<br />2日目<br />レンタカーで足摺岬へ走る。<br />足摺岬の七不思議と金剛福寺を観光。<br />ジョン万次郎の生家と資料館を訪問。<br />その後、竜串海岸に宿泊。<br />3日目<br />見残し海岸を諦めて、四万十市観光に変更して、高知市内へ戻る。<br />4日目<br />ゆっくり出立して、浦戸湾のんびりクルーズで観光。<br />高知龍馬空港から成田空港へ飛び、帰宅。<br /><br />コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過し感染していないことを確認してから旅行記を公開しています。

高知再訪(3)四国最南端の霊場・金剛福寺

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2021/04/30 - 2021/04/30

21位(同エリア245件中)

旅行記グループ 四国の旅

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71

FUKUJIRO

FUKUJIROさん

四国霊場第38番札所である蹉足它山 補陀洛院 金剛福寺(※足它で一文字、さださん ふだらくいん こんごうふくじ)は、弘仁13年(822年)嵯峨天皇の勅願によって、弘法大師が三面千手観音を本尊として弘仁14年(823年)に開山しました。
唐の長安で伝法阿闍梨位の灌頂を受けた空海(弘法大師)は、大同元年(806年)に帰国の途につき、その時に日本に投げた五鈷杵(ごこしょ)の一つがこの地に飛来しました。五鈷杵を探しに来た空海があまりの難所に足を引き摺ったことから足摺岬と云われるようになりました(異説あり)。
空海は、この地が補陀洛(インドにあるという観音様の浄土)へと通じる場所だとして開山したことから、後の時代には足摺岬から小舟に乗って補陀洛を目指す「補陀洛渡海」が行われました。
足摺岬全体が金剛福寺の境内で、その広さは約12万m2(東京ドーム2.5個分)もあります。岬の周辺には弘法大師の七不思議が伝わっています。
金剛福寺は13~14世紀に3度の火災に見舞われており、現在の建造物や仏像群は、延慶3年(1310年)の火災の後に再建されたものです。

1日目
成田空港から高知龍馬空港へ飛ぶ。
高知市内を街ブラして龍馬が生まれたまち記念館を見学。
2日目
レンタカーで足摺岬へ走る。
足摺岬の七不思議と金剛福寺を観光。
ジョン万次郎の生家と資料館を訪問。
その後、竜串海岸に宿泊。
3日目
見残し海岸を諦めて、四万十市観光に変更して、高知市内へ戻る。
4日目
ゆっくり出立して、浦戸湾のんびりクルーズで観光。
高知龍馬空港から成田空港へ飛び、帰宅。

コロナ禍のため、帰宅後2週間以上経過し感染していないことを確認してから旅行記を公開しています。

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
3万円 - 5万円
交通手段
レンタカー 徒歩
旅行の手配内容
個別手配

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  • 金剛福寺。金剛福寺は、歩き遍路には大変厳しい四国最南端の霊場です。<br />歩いてここまで来られた方は特別な感慨でしょう。

    金剛福寺。金剛福寺は、歩き遍路には大変厳しい四国最南端の霊場です。
    歩いてここまで来られた方は特別な感慨でしょう。

  • 金剛福寺。自動車で来ても高知駅前から約4時間かかりました。

    金剛福寺。自動車で来ても高知駅前から約4時間かかりました。

  • 足摺山と書かれた石柱。

    足摺山と書かれた石柱。

  • 第37番札所 岩本寺から約90km離れていて、3日3晩の行程だそうで、次の第39番札所 延光寺までも約60kmの長い道のりがあります。

    第37番札所 岩本寺から約90km離れていて、3日3晩の行程だそうで、次の第39番札所 延光寺までも約60kmの長い道のりがあります。

  • 蓮池。「修行の道場・土佐」において、金剛福寺は最も過酷な修行です。<br />歩き遍路の方を往路に3人、そして翌日に5人見ました。

    蓮池。「修行の道場・土佐」において、金剛福寺は最も過酷な修行です。
    歩き遍路の方を往路に3人、そして翌日に5人見ました。

  • 蓮の花。

    蓮の花。

  • 仁王門。<br />寛文4年(1664年)、土佐藩2代藩主山内忠義の寄進で造られました。

    仁王門。
    寛文4年(1664年)、土佐藩2代藩主山内忠義の寄進で造られました。

  • 仁王門には嵯峨天皇の勅額「補陀洛東門」が掲げられています。<br />足摺岬は観音菩薩の住む補陀洛界に最も近いと信じられていました。

    仁王門には嵯峨天皇の勅額「補陀洛東門」が掲げられています。
    足摺岬は観音菩薩の住む補陀洛界に最も近いと信じられていました。

  • 左右の金剛力士像は安芸宮島の仏師空源(くうげん)の作と伝わります。

    左右の金剛力士像は安芸宮島の仏師空源(くうげん)の作と伝わります。

  • 空源は、戦国時代後半から江戸時代の初期の僧。<br />一般的な金剛力士像と違ってユーモラスな表情です。<br />

    空源は、戦国時代後半から江戸時代の初期の僧。
    一般的な金剛力士像と違ってユーモラスな表情です。

  • 仁王門から見える参道。

    仁王門から見える参道。

  • 仁王門の内側に掲げられている蹉足它山(※足它で一文字、さださん)の扁額。

    仁王門の内側に掲げられている蹉足它山(※足它で一文字、さださん)の扁額。

  • 手水。周りを奇石でに囲んでいます。<br />現在、水は出ていませんので、手前の消毒薬でお清めしました。

    手水。周りを奇石でに囲んでいます。
    現在、水は出ていませんので、手前の消毒薬でお清めしました。

  • 手水は、石造りの龍。

    手水は、石造りの龍。

  • 参道の大師亀。七不思議の一つ、亀呼場の伝説に因む亀さんです。<br />頭を撫でながらお祈りするとご利益があるそうです。

    参道の大師亀。七不思議の一つ、亀呼場の伝説に因む亀さんです。
    頭を撫でながらお祈りするとご利益があるそうです。

  • 本堂。真言宗豊山派。<br />ご本尊の三面千手観世音菩薩は高さ約1.6mの檜材寄せ木造りで、毎年正月三が日だけ開帳されます。

    本堂。真言宗豊山派。
    ご本尊の三面千手観世音菩薩は高さ約1.6mの檜材寄せ木造りで、毎年正月三が日だけ開帳されます。

  • ご利益は病気平癒、長寿、夫婦円満などです。

    ご利益は病気平癒、長寿、夫婦円満などです。

  • 本堂に掲げられている額。

    本堂に掲げられている額。

  • 昨年6月に高知県立歴史民俗資料館で金剛福寺の企画展が開催され、南北朝時代に造られた仏像など約60点が展示されました。これらの仏像は、17年の歳月をかけて修復されました。(NHKのニュース映像より)

    昨年6月に高知県立歴史民俗資料館で金剛福寺の企画展が開催され、南北朝時代に造られた仏像など約60点が展示されました。これらの仏像は、17年の歳月をかけて修復されました。(NHKのニュース映像より)

  • 本尊(非展示)の両脇に立つ不動明王(奥)と毘沙門天(手前)は像高130~140cmで、内部に暦応5年(1342年)の銘が見つかりました。千手観音に従う28部衆は、像高70cm前後。昨年6月の展示会はコロナ禍で移動できませんでしたね。<br />

    本尊(非展示)の両脇に立つ不動明王(奥)と毘沙門天(手前)は像高130~140cmで、内部に暦応5年(1342年)の銘が見つかりました。千手観音に従う28部衆は、像高70cm前後。昨年6月の展示会はコロナ禍で移動できませんでしたね。

  • 愛染堂。ご本尊は、煩悩を悟りの心に高めて下さる愛染明王坐像と子どもが授かるという十一面観音菩薩の化身とされる歓喜天像が祀られています。御利益は良縁、夫婦円満、病気平癒など。

    愛染堂。ご本尊は、煩悩を悟りの心に高めて下さる愛染明王坐像と子どもが授かるという十一面観音菩薩の化身とされる歓喜天像が祀られています。御利益は良縁、夫婦円満、病気平癒など。

  • 愛染堂と十三重塔の間に薬師如来像が祀られています。

    愛染堂と十三重塔の間に薬師如来像が祀られています。

  • 十三重塔。元の塔は土佐藩2代藩主山内忠義の寄進で造られましたが、現在の塔は平成15年9月に建てられました。

    十三重塔。元の塔は土佐藩2代藩主山内忠義の寄進で造られましたが、現在の塔は平成15年9月に建てられました。

  • 土台には鯨や魚のレリーフが彫られています。

    土台には鯨や魚のレリーフが彫られています。

  • 土台には鯨や魚のレリーフが彫られています。

    土台には鯨や魚のレリーフが彫られています。

  • 幾多の苦難を乗り越えてきた先人の漁業関係者に対する感謝の言葉が刻まれています。

    幾多の苦難を乗り越えてきた先人の漁業関係者に対する感謝の言葉が刻まれています。

  • 水掛地蔵。

    水掛地蔵。

  • 白山神社(白皇権現)への参道。元来、白皇山山頂に白皇権現が祀られていましたが、神仏分離によって佐田山神社となり、大正5年に白山洞門の白山権現と合祭されて白山神社となりました。

    白山神社(白皇権現)への参道。元来、白皇山山頂に白皇権現が祀られていましたが、神仏分離によって佐田山神社となり、大正5年に白山洞門の白山権現と合祭されて白山神社となりました。

  • 行者道の前から、仁王門(中央)を見ています。その右に弁天堂があります。

    行者道の前から、仁王門(中央)を見ています。その右に弁天堂があります。

  • 行者堂。ご本尊は役小角の像。<br />お堂の周りに様々な仏像が配されています。

    行者堂。ご本尊は役小角の像。
    お堂の周りに様々な仏像が配されています。

  • 十一面千手観音菩薩座像。

    十一面千手観音菩薩座像。

  • 虚空蔵菩薩座像。

    虚空蔵菩薩座像。

  • 不動明王座像。

    不動明王座像。

  • 神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の額が掲げられています。神変大菩薩とは、修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづぬ)= 役行者のことです。

    神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)の額が掲げられています。神変大菩薩とは、修験道の開祖といわれる役小角(えんのおづぬ)= 役行者のことです。

  • 金剛福寺の守護神が祀られている権現堂。<br />柵で囲われていて、近寄れませんでした。

    金剛福寺の守護神が祀られている権現堂。
    柵で囲われていて、近寄れませんでした。

  • 熊野権現をお祀りしています。

    熊野権現をお祀りしています。

  • 権現堂の前から、藍染め堂(左)、本堂(右)。

    権現堂の前から、藍染め堂(左)、本堂(右)。

  • 大師堂。

    大師堂。

  • 石仏が並んでいます。

    石仏が並んでいます。

  • 開創1200年記念の五鈷杵(ごこしょ)。<br />空海が投げた五鈷杵の一つがこの地に飛来しました。

    開創1200年記念の五鈷杵(ごこしょ)。
    空海が投げた五鈷杵の一つがこの地に飛来しました。

  • 大師堂。コロナ禍だからかどうか、お遍路さんは少数でしたが、皆さん大師堂で熱心にお参りされていました。

    大師堂。コロナ禍だからかどうか、お遍路さんは少数でしたが、皆さん大師堂で熱心にお参りされていました。

  • 弘法の扁額が掲げられており、弘法大師像が鎮座されています。

    弘法の扁額が掲げられており、弘法大師像が鎮座されています。

  • 大師堂の前から、右に鐘楼堂、中央奥に本堂が見えます。

    大師堂の前から、右に鐘楼堂、中央奥に本堂が見えます。

  • 鐘楼堂。二つの鐘が安置されているそうです。

    鐘楼堂。二つの鐘が安置されているそうです。

  • 弁天堂。芸術、学問、蓄財の神様として弁財天が祀られています。

    弁天堂。芸術、学問、蓄財の神様として弁財天が祀られています。

  • 仁王門。

    仁王門。

  • 弁天堂から、池を挟んで愛染堂。

    弁天堂から、池を挟んで愛染堂。

  • 右に本堂、左に愛染堂。

    右に本堂、左に愛染堂。

  • 龍棲池の鯉。鯉は険しい滝を登り、龍に成るという故事に因んでいるのでしょうか。

    龍棲池の鯉。鯉は険しい滝を登り、龍に成るという故事に因んでいるのでしょうか。

  • 修行大師の像。

    修行大師の像。

  • 修行大師の像。

    修行大師の像。

  • 右に十三重塔、左に権現堂、その奥に大師堂が見えています。<br />本堂から池の畔を一回りしました。

    右に十三重塔、左に権現堂、その奥に大師堂が見えています。
    本堂から池の畔を一回りしました。

  • 本堂の右側に、手前から護摩堂、九輪宝塔、多宝塔が並んでいます。

    本堂の右側に、手前から護摩堂、九輪宝塔、多宝塔が並んでいます。

  • 護摩堂(不動堂)、毎月28日に護摩が焚かれます。

    護摩堂(不動堂)、毎月28日に護摩が焚かれます。

  • 九輪宝塔。多宝塔の手前に九輪宝塔が建っています。かっての層塔の相輪と云われ、応安8年(1375年)の銘があるそうです。痛みが激しいため、平成の大修理の際にここに建てられました。

    九輪宝塔。多宝塔の手前に九輪宝塔が建っています。かっての層塔の相輪と云われ、応安8年(1375年)の銘があるそうです。痛みが激しいため、平成の大修理の際にここに建てられました。

  • 多宝塔。清和天皇の供養のために源氏一門の多田満仲公が建立しました。<br />現在の塔は明治13年に再建(大修理)したもので、高さ17m、一辺5mです。ご本尊は胎蔵界の大日如来をお祀りしています。

    多宝塔。清和天皇の供養のために源氏一門の多田満仲公が建立しました。
    現在の塔は明治13年に再建(大修理)したもので、高さ17m、一辺5mです。ご本尊は胎蔵界の大日如来をお祀りしています。

  • 芭蕉句碑(左)と和泉式部逆修塔(右、高さ165cm)。<br />句碑は「けふはかり 人もとしよれ 初時雨」が刻まれています。<br />この句は、全国各地に句碑が建てられていて、私が今年3月に訪れた埼玉県鴻巣市の勝願寺にもありました。お時間がありましたお読みください。<br />https://4travel.jp/travelogue/11680433<br />和泉式部は平安時代の女流文学者ですが、後に髪を切って尼僧になったと伝えられています。逆修とは生前に仏事を行って死後の冥福を祈ることで、この場所に式部の黒髪が埋めてあると云われています。<br />ただし、この塔は鎌倉期の作とされています。

    芭蕉句碑(左)と和泉式部逆修塔(右、高さ165cm)。
    句碑は「けふはかり 人もとしよれ 初時雨」が刻まれています。
    この句は、全国各地に句碑が建てられていて、私が今年3月に訪れた埼玉県鴻巣市の勝願寺にもありました。お時間がありましたお読みください。
    https://4travel.jp/travelogue/11680433
    和泉式部は平安時代の女流文学者ですが、後に髪を切って尼僧になったと伝えられています。逆修とは生前に仏事を行って死後の冥福を祈ることで、この場所に式部の黒髪が埋めてあると云われています。
    ただし、この塔は鎌倉期の作とされています。

  • 金剛福寺を参拝しましたが、旅行記を纏めるに当たって堂宇の位置関係が分かり難かったので、YAHOOの地図を元に境内図を作りました。

    金剛福寺を参拝しましたが、旅行記を纏めるに当たって堂宇の位置関係が分かり難かったので、YAHOOの地図を元に境内図を作りました。

  • 左端の白い建物は公衆トイレなのですが、この案内表示を見て、七不思議が残っていることに気づいて慌てました。

    左端の白い建物は公衆トイレなのですが、この案内表示を見て、七不思議が残っていることに気づいて慌てました。

  • ゆるぎ石。空海が金剛福寺を建てるときに発見した石で、この石の揺れ具合で孝心を試すとされています。

    ゆるぎ石。空海が金剛福寺を建てるときに発見した石で、この石の揺れ具合で孝心を試すとされています。

  • 不増不滅の手水鉢。<br />賀登上人と弟子の日円上人が補陀落渡海しようとした時、先に弟子の日円上人が渡海してしまったことを悲しみ、賀登上人がこの岩へ身を投げ出し、落ちる涙が不増不滅の水になったと伝わっています。弘法大師には関係ないみたいです。

    不増不滅の手水鉢。
    賀登上人と弟子の日円上人が補陀落渡海しようとした時、先に弟子の日円上人が渡海してしまったことを悲しみ、賀登上人がこの岩へ身を投げ出し、落ちる涙が不増不滅の水になったと伝わっています。弘法大師には関係ないみたいです。

  • 不増不滅の手水鉢。岩の上に窪みがあるようですが、見えません。

    不増不滅の手水鉢。岩の上に窪みがあるようですが、見えません。

  • 犬塚。生まれ変わって城の主となって世の平和をもたらすことを願った僧が、右手に南無阿弥陀仏の文字を書いて身を投じたため、僧を慕っていた犬は僧を待ち続けて息絶えてしまった。それを知った村人たちが犬塚をつくり供養しました。

    犬塚。生まれ変わって城の主となって世の平和をもたらすことを願った僧が、右手に南無阿弥陀仏の文字を書いて身を投じたため、僧を慕っていた犬は僧を待ち続けて息絶えてしまった。それを知った村人たちが犬塚をつくり供養しました。

  • 根(寝)笹。<br />この地に生えている笹は、これ以上大きくならない笹だといわれています。

    根(寝)笹。
    この地に生えている笹は、これ以上大きくならない笹だといわれています。

  • 潮の満干の手洗鉢。岩の窪みに溜まった水が、潮が満ちると増え、干潮になると減ると云われています。

    潮の満干の手洗鉢。岩の窪みに溜まった水が、潮が満ちると増え、干潮になると減ると云われています。

  • 確かに水がありますが、いつまでも見ているわけにもいかず、離れました。

    確かに水がありますが、いつまでも見ているわけにもいかず、離れました。

  • 潮の満干の手洗鉢は断崖の上にあり、灯台が見えました。

    潮の満干の手洗鉢は断崖の上にあり、灯台が見えました。

  • また森に入り、亀石を探します。

    また森に入り、亀石を探します。

  • 遊歩道から少し入ったところに亀石がありました。

    遊歩道から少し入ったところに亀石がありました。

  • 亀石。弘法大師が亀を呼んだという亀呼場の方を向いています。<br />また、男の一物になぞらえて、男女が撫でると性が強くなるといわれているそうです。一人でも撫でてしまいました。

    亀石。弘法大師が亀を呼んだという亀呼場の方を向いています。
    また、男の一物になぞらえて、男女が撫でると性が強くなるといわれているそうです。一人でも撫でてしまいました。

  • もう一度足摺岬灯台を見て、見納めです。<br />今日の宿は竜串海岸に予約してあるので、その途中にあるジョン万次郎先生の生家と記念館に立ち寄ります。<br />ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

    もう一度足摺岬灯台を見て、見納めです。
    今日の宿は竜串海岸に予約してあるので、その途中にあるジョン万次郎先生の生家と記念館に立ち寄ります。
    ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (1)

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  • ねんきん老人さん 2021/06/18 17:18:44
    やっぱり写真が違います。
     FUKUJIRO さん、フォローしてくださって、ありがとうございます。
     「高知再訪(3)」を拝読しました。 私も4年前に金剛福寺にお参りしましたので、記述の一行々々に頷きながら読み進みましたが、今回も掲載された写真に見入ってしまいました。
     私も金剛福寺で沢山の写真を撮っていますし、ほかの方がそこで撮られた写真も沢山拝見していますが、どうもFUKUJIROさんの写真と違うのです。
     そして気がついたのですが、FUKUJIRO さんはジョン万次郎の像にしても弘法大師や各仏像にしても、被写体への敬意を持っておられるのではないかということです。
     私もいろんな所で銅像などの写真を撮りますし、四国遍路では無数といってもいいくらい弘法大師像の写真を撮りました。 ですが、今FUKUJIRO さんの写真を拝見していて気づいたのは、私がそういうものを単に風景の一つとして、あるいはここに来た記念という意識で撮っていたのではないかということです。
     その点、FUKUJIRO さんは被写体に心も体も近づいて、ときには真正面から被写体への敬意を持って撮っていらっしゃるのですね。 ですから、私のように背景に雑多な建物などが写っておらず、像そのものの表情までもがくっきりと写っているのだと思います。
     近日中に近くにある銅像・石像などを対象に、これまでとは違った距離感、アングルを意識して撮ってみたいと思います。
     ありがとうございました。

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