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2022年3月12日(土)11時40分過ぎ、平塚海岸の東隣にある平塚新港に到着。相模川河口部の西にあるマリーナが併設された漁港。数年前に大規模リニューアルが行われたために「新港」と呼ばれている。愛称はひらつかタマ三郎漁港。<br /><br />ひらつかタマ三郎とは平塚の漁業をPRするキャラクターで、2014年に東海大学教養学部芸術学科デザイン学課程の池村研究室の学生たちが考案した。ちまたのゆるキャラとはひと味違う、荒くれ漁師をイメージしている。モデルは漁港にたむろする猫たち。<br /><br />上述のようにこの港は相模川河口部にあるが、相模川は世界遺産富士山の伏流水を水源とする忍野八海、山中湖に源を発する一級河川。山梨県内の呼称は桂川で、源流のひとつである山中湖の北の石割神社のご神木の桂の巨木に由来している。<br /><br />富士山北麓から大月まで北に流れ、中央本線沿いに東に流れ、相模湖の手前で神奈川県に入る。相模原市の東で流れを南に変えて、厚木を抜けて相模湾に注ぐ。全長109㎞。<br /><br />河口近くの下流部では、馬入川(ばにゅうがわ)とも呼ばれ。平塚の紹介の項で書いたように、鎌倉時代に相模川を渡る東海道に初めて橋が架けられた時、落成供養に臨んだ源頼朝が乗った馬が暴れて落ちたという伝説に因む。ただしこれも前述したが当時の川の流れはもっと東だったと云われる。<br /><br />約600万年前に海底火山の島だった丹沢が日本(本州弧)にぶつかり、その境目に挟まれた海がやがて今の相模川になった。川の名前は大化改新でこの辺りが相模国と呼ばれたことから来ている。ただ、昔は鮎が多くいたので鮎河と呼ばれていた。江戸時代からは多摩川と並ぶ鮎の名産地とされ、将軍家への献上鮎として江戸本丸城に上納されていた。<br /><br />戦国時代に開かれた舟運は、江戸時代になると盛んになり、木材の運搬などに広く利用された。また、江戸時代には幕府が街道整備に力を注ぎ、相模川のように川幅の大きい河川は、防衛上架橋せず、関所と同じように検問所としての役割を担っていた。そのため、相模川には多くの渡しが設けられ、公用、私用で移動する旅客や物資輸送には様々な渡船が活躍していた。<br /><br />河口に一番近いところに架かる橋はトラスコ湘南大橋。元々1936年(昭和11年)に湘南道路の一部として架けられた湘南大橋だが、2010年から工具や屋外作業現場用機具などの卸売企業であるトラスコ中山がネーミングライツを獲得し現在名となった。橋への命名権導入は全国初。現在の橋は下り線が1986年に、上り線が2010年に架けられた2代目。全長698m。<br /><br />橋のすぐ北側には船着場と釣り場。船着場は釣り船が使うようだ。釣り場は馬入川で最も有名なポイントだそうで、シーバスやチヌ(クロダイ)、メッキ(ロウニンアジ)、ハゼ、コノシロ(コハダ)、キス、ウナギなどが釣れるらしい。<br /><br />川の向こう側は茅ヶ崎市になる。すぐ向かいに見えるのは湘南シーサイドカントリー倶楽部。1967年に9ホールで開業したゴルフ場。現在は18ホールあり、パー72、6,171ヤード。コース面積は広くなく、全体的にフラットなコースだが、松林がコースをセパレートし、難易度は高いそうだ。もちろん、プレーしたことない。<br /><br />赤い橋は13番ホールのティーとグリーンの間の橋で、ティーショットは風の影響も大きいのでプレッシャーが掛かるようだ。流れている川は慶応SFCキャンパスの北から流れ出している小出川。全長11㎞余りで、かつては赤池川とも呼ばれていた。<br /><br />ゴルフ場の奥に見えている白いアーチは湘南ベルブリッジのもの。国道1号・468号バイパスの新湘南バイパスが小出川を越える橋。1995年完成で、橋の長さは246.5mで、橋桁を横架したローゼアーチから伸びる斜張橋ケーブルにより橋桁を支持する特殊な形式。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9934139796655955&amp;type=&gt;1&amp;l=223fe1adec<br /><br />川沿いに少し遡ると須賀港(平塚漁港)がある。江戸時代、幕府公認の相模湾に廻船が立ち寄る7つの湊(七之浦)の一つ。相模の国の物流の集散地で、当時江戸へ送っていた相州小麦・大豆はブランド品で、全国各地の醤油や味噌の原料となっていた。また、当時人気のあった大山(現伊勢原市)詣りの海の玄関口としても多くの人で賑わった。<br /><br />天保年間には平塚宿より須賀村の方が人口が多かったが、1887年(明治20年)に鉄道が開通すると船便は寂れ、漁船だけの港となった。1952年(昭和27年)に平塚漁港に改称。現在は釣り場としても人気で、ハゼ釣りの人気スポットともなっている。<br /><br />船溜まりの南東、馬入川との水路の南側には港稲荷神社。宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)を祀る、赤い小さな鳥居が並ぶお稲荷さん。手前には出笹稲荷もある。出笹稲荷の左手の社の中には石塔。さらに境内には1965年に仲町氏子が建立した石碑もある。正面石段の左手の玉垣には土地柄「河野洋平」の名も。元々は仲町稲荷と出笹稲荷の2つの講中だったものを平塚漁港として整備された後に合祀したようだ。<br /><br />船溜まりをグルっと回り込んで朝霞河畔緑地(北東部の堤防)に回ると平塚八景湘南潮来の石碑や説明版がある。この辺り、馬入川一帯は、湘南潮来と呼ばれる広々とした水郷地帯で、平塚八景の一つになっている。平塚海岸の平塚砂丘の夕映えのことは書いたが、あとの5つは金目川と観音堂、七国峠・遠藤原、霧降りの滝・松岩寺、森の前鳥神社、八幡山公園。<br /><br />その向かいには相州須賀湊の碑と舟繋石。舟繋石は何の説明もないが、千石船の繋留などに利用されたものと思われる。相州須賀湊の碑は1966年の建立。碑には須賀港の歴史が刻まれている。その奥には平塚漁港周辺堤防竣工記念碑。1990年に建てられたもののようだ。突き当りに石造りの神社があるが、名前も由緒も調べたけれど分からない。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9934229519980316&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />馬入川沿いをさらに遡り、河川敷に降りて東海道本線の馬入川橋梁と国道1号線の馬入橋を潜る。馬入川橋梁は下流側からだと、旅客下り線の単線、少し間が空いて貨物下り線と旅客上り線の複線、さらに貨物上り線の単線とある。<br /><br />元々は間が空いてる部分に木橋の複線が掛かっていたのだが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊した。複線の鉄橋はその復旧で1926年(大正15年)に架けられたもので、その上流の単線鉄橋が1928年(昭和3年)、少し離れた一番下流の鉄橋は1965年(昭和40年)架橋。<br /><br />国道1号線の馬入橋は1980年に架橋された4代目の橋。全長536m。かながわの橋100選に選定されている。ちなみに初代の橋が架けられたのは1878年(明治11年)で木桁橋だった、その後1911年(明治44年)に鋼橋に掛け替えられたが関東大震災で架け替え工事中の橋もろとも崩壊。急遽陸軍が架橋したものが3代目となった。<br /><br />国道1号線を潜って堤防を越えて西側に降りていくとホテルサンライフガーデンの施設が広がる。1980年にホテルサンルート平塚として開業したホテル。現呼称になったのは1999年。ホテル横に止まってるボンネットシャトルバスが可愛い。<br /><br />本館の前に明治天皇馬入御小休所趾の碑が建っているが、ここは明治の実業家杉山久五郎の屋敷があったところで、明治天皇は2回立ち寄られている。この碑は1940年(昭和15年)に杉山家の子孫が建立したもの。また、ここは江戸時代に川越を管理していた馬入渡川会所が置かれていたところでもあり、その跡の碑も建っている。<br /><br />敷地内にある結婚式場のグランドビクトリア湘南は1877年に建てられたスコットランド(Scotland)アービン(Irvine)のドレックホーン(Dreghorn)教会を移築したもの。1995年から移築が開始され、1999年にオープンした。浜崎あゆみの名曲「M」のPVが撮影されたのはこのチャペル。川会所の碑の後ろに上のプレジャーボートはグランドビクトリアと云う名で、このチャペルの1階に湘南マリーナと云う会社が入っているのでその関係らしい。<br /><br />敷地内にはホテル別館として1830年代のヴィクトリア王朝時代の洋館を移築した石造りの中華レストランもある。2007年オープン。ブリーズ・オブ・チャイナ バーチランド(Breeze of China Birchland)と云い、移築元がバーチランドと云う場所で、それを名前にしている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9934263086643626&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />東海道平塚宿へ向かうが、続く

神奈川 平塚 馬入川(Banyu-gawa River,Hiratsuka,Kanagawa,Japan)

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2022/03/12 - 2022/03/12

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月12日(土)11時40分過ぎ、平塚海岸の東隣にある平塚新港に到着。相模川河口部の西にあるマリーナが併設された漁港。数年前に大規模リニューアルが行われたために「新港」と呼ばれている。愛称はひらつかタマ三郎漁港。

ひらつかタマ三郎とは平塚の漁業をPRするキャラクターで、2014年に東海大学教養学部芸術学科デザイン学課程の池村研究室の学生たちが考案した。ちまたのゆるキャラとはひと味違う、荒くれ漁師をイメージしている。モデルは漁港にたむろする猫たち。

上述のようにこの港は相模川河口部にあるが、相模川は世界遺産富士山の伏流水を水源とする忍野八海、山中湖に源を発する一級河川。山梨県内の呼称は桂川で、源流のひとつである山中湖の北の石割神社のご神木の桂の巨木に由来している。

富士山北麓から大月まで北に流れ、中央本線沿いに東に流れ、相模湖の手前で神奈川県に入る。相模原市の東で流れを南に変えて、厚木を抜けて相模湾に注ぐ。全長109㎞。

河口近くの下流部では、馬入川(ばにゅうがわ)とも呼ばれ。平塚の紹介の項で書いたように、鎌倉時代に相模川を渡る東海道に初めて橋が架けられた時、落成供養に臨んだ源頼朝が乗った馬が暴れて落ちたという伝説に因む。ただしこれも前述したが当時の川の流れはもっと東だったと云われる。

約600万年前に海底火山の島だった丹沢が日本(本州弧)にぶつかり、その境目に挟まれた海がやがて今の相模川になった。川の名前は大化改新でこの辺りが相模国と呼ばれたことから来ている。ただ、昔は鮎が多くいたので鮎河と呼ばれていた。江戸時代からは多摩川と並ぶ鮎の名産地とされ、将軍家への献上鮎として江戸本丸城に上納されていた。

戦国時代に開かれた舟運は、江戸時代になると盛んになり、木材の運搬などに広く利用された。また、江戸時代には幕府が街道整備に力を注ぎ、相模川のように川幅の大きい河川は、防衛上架橋せず、関所と同じように検問所としての役割を担っていた。そのため、相模川には多くの渡しが設けられ、公用、私用で移動する旅客や物資輸送には様々な渡船が活躍していた。

河口に一番近いところに架かる橋はトラスコ湘南大橋。元々1936年(昭和11年)に湘南道路の一部として架けられた湘南大橋だが、2010年から工具や屋外作業現場用機具などの卸売企業であるトラスコ中山がネーミングライツを獲得し現在名となった。橋への命名権導入は全国初。現在の橋は下り線が1986年に、上り線が2010年に架けられた2代目。全長698m。

橋のすぐ北側には船着場と釣り場。船着場は釣り船が使うようだ。釣り場は馬入川で最も有名なポイントだそうで、シーバスやチヌ(クロダイ)、メッキ(ロウニンアジ)、ハゼ、コノシロ(コハダ)、キス、ウナギなどが釣れるらしい。

川の向こう側は茅ヶ崎市になる。すぐ向かいに見えるのは湘南シーサイドカントリー倶楽部。1967年に9ホールで開業したゴルフ場。現在は18ホールあり、パー72、6,171ヤード。コース面積は広くなく、全体的にフラットなコースだが、松林がコースをセパレートし、難易度は高いそうだ。もちろん、プレーしたことない。

赤い橋は13番ホールのティーとグリーンの間の橋で、ティーショットは風の影響も大きいのでプレッシャーが掛かるようだ。流れている川は慶応SFCキャンパスの北から流れ出している小出川。全長11㎞余りで、かつては赤池川とも呼ばれていた。

ゴルフ場の奥に見えている白いアーチは湘南ベルブリッジのもの。国道1号・468号バイパスの新湘南バイパスが小出川を越える橋。1995年完成で、橋の長さは246.5mで、橋桁を横架したローゼアーチから伸びる斜張橋ケーブルにより橋桁を支持する特殊な形式。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9934139796655955&type=>1&l=223fe1adec

川沿いに少し遡ると須賀港(平塚漁港)がある。江戸時代、幕府公認の相模湾に廻船が立ち寄る7つの湊(七之浦)の一つ。相模の国の物流の集散地で、当時江戸へ送っていた相州小麦・大豆はブランド品で、全国各地の醤油や味噌の原料となっていた。また、当時人気のあった大山(現伊勢原市)詣りの海の玄関口としても多くの人で賑わった。

天保年間には平塚宿より須賀村の方が人口が多かったが、1887年(明治20年)に鉄道が開通すると船便は寂れ、漁船だけの港となった。1952年(昭和27年)に平塚漁港に改称。現在は釣り場としても人気で、ハゼ釣りの人気スポットともなっている。

船溜まりの南東、馬入川との水路の南側には港稲荷神社。宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)を祀る、赤い小さな鳥居が並ぶお稲荷さん。手前には出笹稲荷もある。出笹稲荷の左手の社の中には石塔。さらに境内には1965年に仲町氏子が建立した石碑もある。正面石段の左手の玉垣には土地柄「河野洋平」の名も。元々は仲町稲荷と出笹稲荷の2つの講中だったものを平塚漁港として整備された後に合祀したようだ。

船溜まりをグルっと回り込んで朝霞河畔緑地(北東部の堤防)に回ると平塚八景湘南潮来の石碑や説明版がある。この辺り、馬入川一帯は、湘南潮来と呼ばれる広々とした水郷地帯で、平塚八景の一つになっている。平塚海岸の平塚砂丘の夕映えのことは書いたが、あとの5つは金目川と観音堂、七国峠・遠藤原、霧降りの滝・松岩寺、森の前鳥神社、八幡山公園。

その向かいには相州須賀湊の碑と舟繋石。舟繋石は何の説明もないが、千石船の繋留などに利用されたものと思われる。相州須賀湊の碑は1966年の建立。碑には須賀港の歴史が刻まれている。その奥には平塚漁港周辺堤防竣工記念碑。1990年に建てられたもののようだ。突き当りに石造りの神社があるが、名前も由緒も調べたけれど分からない。
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馬入川沿いをさらに遡り、河川敷に降りて東海道本線の馬入川橋梁と国道1号線の馬入橋を潜る。馬入川橋梁は下流側からだと、旅客下り線の単線、少し間が空いて貨物下り線と旅客上り線の複線、さらに貨物上り線の単線とある。

元々は間が空いてる部分に木橋の複線が掛かっていたのだが、1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊した。複線の鉄橋はその復旧で1926年(大正15年)に架けられたもので、その上流の単線鉄橋が1928年(昭和3年)、少し離れた一番下流の鉄橋は1965年(昭和40年)架橋。

国道1号線の馬入橋は1980年に架橋された4代目の橋。全長536m。かながわの橋100選に選定されている。ちなみに初代の橋が架けられたのは1878年(明治11年)で木桁橋だった、その後1911年(明治44年)に鋼橋に掛け替えられたが関東大震災で架け替え工事中の橋もろとも崩壊。急遽陸軍が架橋したものが3代目となった。

国道1号線を潜って堤防を越えて西側に降りていくとホテルサンライフガーデンの施設が広がる。1980年にホテルサンルート平塚として開業したホテル。現呼称になったのは1999年。ホテル横に止まってるボンネットシャトルバスが可愛い。

本館の前に明治天皇馬入御小休所趾の碑が建っているが、ここは明治の実業家杉山久五郎の屋敷があったところで、明治天皇は2回立ち寄られている。この碑は1940年(昭和15年)に杉山家の子孫が建立したもの。また、ここは江戸時代に川越を管理していた馬入渡川会所が置かれていたところでもあり、その跡の碑も建っている。

敷地内にある結婚式場のグランドビクトリア湘南は1877年に建てられたスコットランド(Scotland)アービン(Irvine)のドレックホーン(Dreghorn)教会を移築したもの。1995年から移築が開始され、1999年にオープンした。浜崎あゆみの名曲「M」のPVが撮影されたのはこのチャペル。川会所の碑の後ろに上のプレジャーボートはグランドビクトリアと云う名で、このチャペルの1階に湘南マリーナと云う会社が入っているのでその関係らしい。

敷地内にはホテル別館として1830年代のヴィクトリア王朝時代の洋館を移築した石造りの中華レストランもある。2007年オープン。ブリーズ・オブ・チャイナ バーチランド(Breeze of China Birchland)と云い、移築元がバーチランドと云う場所で、それを名前にしている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9934263086643626&type=1&l=223fe1adec


東海道平塚宿へ向かうが、続く

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