掛川旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2022年3月13日(日)10時前、掛川城御殿を出ると、玄関から見て奥、御殿の北西に二の丸茶室がある。<br /><br />2002年にオープンした景観と調和した趣のある茶室。木造平屋建、一文字葺の伝統的な数寄屋造りの建物が天守閣のすぐ下に建てられた。茶室内には格調の高い小間「桔梗庵」と気軽にお茶が楽しめる立札席、筧の音を耳に太鼓木魚を臨める広間を備えており、芝庭が広がる平面的な日本庭園は無料開放されている。<br /><br />有料で日本国内でも有数の生産量を誇る掛川茶の煎茶や抹茶を楽しむことが出来る。お茶には地元で作られたお菓子が添えられており、天気のいい日には日本庭園や天守閣や御殿を眺めながら、ゆったりととしたひとときを過ごすことが出来る。<br /><br />七夕茶会やお月見茶会など季節の茶会イベントも催しており、また、茶道愛好家のために、茶事、茶会の部屋の貸し出しも行っている。<br /><br />また、2012年からは将棋の王将戦七番勝負の第1局が二ノ丸茶室で行われるのが恒例となっている。この年(2022年)の1月9日から10日に掛けて行われた王将戦では渡辺明三冠と藤井聡太四冠が対戦し、この初戦を制した藤井四冠が4連勝で王将位を奪取し五冠となった。<br /><br />二の丸茶室から掛川御殿の北側に進むと二の丸美術館。1998年に煙草道具、印籠、刀装具、書画などの細密工芸品を主とする「木下コレクション」と近代日本画を収集した「鈴木コレクション」を基に設立された。<br /><br />「木下コレクション」は掛川市出身の実業家、木下満男氏の約2300点を越えるコレクションで、亡くなった翌年の1997年に掛川市に寄贈されたもの。氏は1932年生まれ。掛川市の出身で、精密機械の検査機器などを製造する会社や不動産会社を東京で設立し、実業家として成功を収めた。<br /><br />「鈴木コレクション」は同じく掛川市の実業家、鈴木始一氏が1985年に亡くなる前の1979年に掛川市に寄贈したもの。氏は1902年生まれ。袋井市の出身で、掛川市内に工場を持つ会社などを設立し、製袋業界の発展に大きな業績を残した。特に麻を利用していた米袋を、全国規模でクラフト紙に転換したことは大きな功績と云われる。<br /><br />その他、掛川由来の文物・郷土の歴史・現代作家等の展示にも力を入れており、歴史・古典物に限らずあらゆるジャンルの作品の展示・収集を行っている。<br /><br />美術館の二の丸茶室側の前には、掛川駅前にも作品が飾られていた掛川出身の世界的屋外芸術作家ジュン・スズキ(鈴木淳)氏の石の阿吽像がある。2つの石で造られた作品で、一つは石の上部にスペースがあり、もう一つは石の上部がずらされている。<br /><br />スペースを空けているのが阿像で、ずれているのが吽像だろうか。説明板によると復元前の掛川城跡にも狛犬型の阿吽像があったそうで、1994年の天守閣の復元に合わせて掛川の新たな守護として飾られたそうだ。<br /><br />美術館の東の端の前にはエノキとクロガネモチ、2種類の木が一つになった珍しい合着木がある。幹周り349㎝、樹高12.5mの樹齢100年以上の巨木で、2つの木の名前から1999年に「エノキモチ」と命名された。絵の気持ちとも読め、美術館の作品に想いを巡らせ温かく見守るとともに、来館者にも絵の気持ちを大切にしながら美術鑑賞を楽しんでもらえるように語りかけている。<br /><br />エノキモチを過ぎて北側に曲がると掛川ステンドグラス美術館がある。2015年に市内の医師鈴木正昭氏の寄贈を受けてオープンした国内初の公立ステンドグラス美術館。コレクションは19世紀末イギリスのヴィクトリア時代の作品と、フランスのバラ窓あわせて約70点で構成。多様な技法や図像を楽しむことが出来る。<br /><br />また、ステンドグラスを製作する体験講座やコンサートなども開催しており、2017年度には来館者数は10万人を突破している。西側に公園が整備されており、建物の外からもステンドグラスの美しさを楽しむことが出来る。<br /><br />その北側に広がるのが旧松本家邸宅の竹の丸。1936年(昭和11年)に松本家が東京へ転居することになり、掛川市に寄贈され、2007年に市の文化財指定となり、修復工事の後、2009年から有形文化財として一般公開されている。また、部屋の貸し出しも行っている。<br /><br />江戸時代より続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が1903年(明治36年)に本宅として建築した建物。桁行10間、梁間7間半の平屋建寄棟造。離れは大正末期から昭和初期にかけて、平屋建から二階建に増築されている。建具や欄間、取っ手などの小物に至るまで、材や意匠が素晴らしく、近代和風建築の美しさと松本家の建築に対するこだわり、それに応える職人の技術の高さを見ることが出来る。<br /><br />元々この辺りには、山内一豊が城を拡張した際に造成された曲輪で、天守閣や本丸など城の中心部に通じる道筋にあたり、防衛上重要な場所であったことから、家老など重臣の屋敷地に割り当てられていた。北側に城中防御の大藪があったことから竹の丸と呼ばれていた。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10019844221418845&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />最後に大日本報徳社に寄って、帰路に付くが、続く

静岡 掛川城 二の丸(Outer Citadel,Kakegawa Castel,Kakegawa,Shizuoka,Japan)

0いいね!

2022/03/13 - 2022/03/13

519位(同エリア532件中)

旅行記グループ 静岡・平塚

0

0

ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月13日(日)10時前、掛川城御殿を出ると、玄関から見て奥、御殿の北西に二の丸茶室がある。

2002年にオープンした景観と調和した趣のある茶室。木造平屋建、一文字葺の伝統的な数寄屋造りの建物が天守閣のすぐ下に建てられた。茶室内には格調の高い小間「桔梗庵」と気軽にお茶が楽しめる立札席、筧の音を耳に太鼓木魚を臨める広間を備えており、芝庭が広がる平面的な日本庭園は無料開放されている。

有料で日本国内でも有数の生産量を誇る掛川茶の煎茶や抹茶を楽しむことが出来る。お茶には地元で作られたお菓子が添えられており、天気のいい日には日本庭園や天守閣や御殿を眺めながら、ゆったりととしたひとときを過ごすことが出来る。

七夕茶会やお月見茶会など季節の茶会イベントも催しており、また、茶道愛好家のために、茶事、茶会の部屋の貸し出しも行っている。

また、2012年からは将棋の王将戦七番勝負の第1局が二ノ丸茶室で行われるのが恒例となっている。この年(2022年)の1月9日から10日に掛けて行われた王将戦では渡辺明三冠と藤井聡太四冠が対戦し、この初戦を制した藤井四冠が4連勝で王将位を奪取し五冠となった。

二の丸茶室から掛川御殿の北側に進むと二の丸美術館。1998年に煙草道具、印籠、刀装具、書画などの細密工芸品を主とする「木下コレクション」と近代日本画を収集した「鈴木コレクション」を基に設立された。

「木下コレクション」は掛川市出身の実業家、木下満男氏の約2300点を越えるコレクションで、亡くなった翌年の1997年に掛川市に寄贈されたもの。氏は1932年生まれ。掛川市の出身で、精密機械の検査機器などを製造する会社や不動産会社を東京で設立し、実業家として成功を収めた。

「鈴木コレクション」は同じく掛川市の実業家、鈴木始一氏が1985年に亡くなる前の1979年に掛川市に寄贈したもの。氏は1902年生まれ。袋井市の出身で、掛川市内に工場を持つ会社などを設立し、製袋業界の発展に大きな業績を残した。特に麻を利用していた米袋を、全国規模でクラフト紙に転換したことは大きな功績と云われる。

その他、掛川由来の文物・郷土の歴史・現代作家等の展示にも力を入れており、歴史・古典物に限らずあらゆるジャンルの作品の展示・収集を行っている。

美術館の二の丸茶室側の前には、掛川駅前にも作品が飾られていた掛川出身の世界的屋外芸術作家ジュン・スズキ(鈴木淳)氏の石の阿吽像がある。2つの石で造られた作品で、一つは石の上部にスペースがあり、もう一つは石の上部がずらされている。

スペースを空けているのが阿像で、ずれているのが吽像だろうか。説明板によると復元前の掛川城跡にも狛犬型の阿吽像があったそうで、1994年の天守閣の復元に合わせて掛川の新たな守護として飾られたそうだ。

美術館の東の端の前にはエノキとクロガネモチ、2種類の木が一つになった珍しい合着木がある。幹周り349㎝、樹高12.5mの樹齢100年以上の巨木で、2つの木の名前から1999年に「エノキモチ」と命名された。絵の気持ちとも読め、美術館の作品に想いを巡らせ温かく見守るとともに、来館者にも絵の気持ちを大切にしながら美術鑑賞を楽しんでもらえるように語りかけている。

エノキモチを過ぎて北側に曲がると掛川ステンドグラス美術館がある。2015年に市内の医師鈴木正昭氏の寄贈を受けてオープンした国内初の公立ステンドグラス美術館。コレクションは19世紀末イギリスのヴィクトリア時代の作品と、フランスのバラ窓あわせて約70点で構成。多様な技法や図像を楽しむことが出来る。

また、ステンドグラスを製作する体験講座やコンサートなども開催しており、2017年度には来館者数は10万人を突破している。西側に公園が整備されており、建物の外からもステンドグラスの美しさを楽しむことが出来る。

その北側に広がるのが旧松本家邸宅の竹の丸。1936年(昭和11年)に松本家が東京へ転居することになり、掛川市に寄贈され、2007年に市の文化財指定となり、修復工事の後、2009年から有形文化財として一般公開されている。また、部屋の貸し出しも行っている。

江戸時代より続く葛布問屋「松屋」を営んでいた松本家が1903年(明治36年)に本宅として建築した建物。桁行10間、梁間7間半の平屋建寄棟造。離れは大正末期から昭和初期にかけて、平屋建から二階建に増築されている。建具や欄間、取っ手などの小物に至るまで、材や意匠が素晴らしく、近代和風建築の美しさと松本家の建築に対するこだわり、それに応える職人の技術の高さを見ることが出来る。

元々この辺りには、山内一豊が城を拡張した際に造成された曲輪で、天守閣や本丸など城の中心部に通じる道筋にあたり、防衛上重要な場所であったことから、家老など重臣の屋敷地に割り当てられていた。北側に城中防御の大藪があったことから竹の丸と呼ばれていた。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10019844221418845&type=1&l=223fe1adec


最後に大日本報徳社に寄って、帰路に付くが、続く

PR

0いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

旅行記グループ

静岡・平塚

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

タグから国内旅行記(ブログ)を探す

PAGE TOP