2022/03/12 - 2022/03/12
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ちふゆさん
2022年3月12日(土)、この日は静岡から平塚へ日帰り。朝8時過ぎに静岡駅へ(下の写真1)。昨日は気付かなかったが、東照宮三百年祭記念塔が建っている(下の写真2)。1915年(大正4年)に家康300年忌を記念して三百年祭奉斎会によって建立されたもの。
その時の設置場所は静岡駅北側の伝馬町に設置されていたが、1940年の静岡大火後の区画整理に伴い、駅西の宝台院近くにあった跨線橋の宝台橋の北側昇り口左側歩道脇に移され、さらに鉄道の高架化に伴う宝台橋の撤去に伴い現在の位置に移つされた。
8時7分発の熱海行に乗車(下の写真3)。静岡から以東の東海道線が国府津から開通したのは1889年(明治22年)。ただし、この時は現在の御殿場線経由だった。現在のルートになったのは1934年(昭和9年)に丹那トンネルが完成してから。
9時半過ぎに熱海で小田原行に乗り換えると相模湾を北上し神奈川県に入る。神奈川県は県庁所在地を横浜市に置く、関東地方の南西部に位置する県で首都圏の一角を成す。東西約78km、南北約60km、面積は約2400平方kmで、47都道府県中5番目に小さい。西は丹沢山地で山梨県、箱根山地で静岡県と接する。東は東京湾に面し、東京湾アクアラインを介して千葉県と連絡する。南は相模湾に面し、三浦半島が太平洋に突出している。
人口は920万人を超え、東京都に次ぎ多い。33の市町村数があり、村も一つ(清川村)がある。県内の政令指定都市は横浜市、川崎市、相模原市と全国で唯一3市あり、県人口のおよそ3分の2がこの3誌に集中している。さらに横須賀市が中核市、小田原市・大和市・平塚市・厚木市・茅ヶ崎市の5市は施行時特例市。
かつての相模国全域と武蔵国の一部。神奈川の名は東海道筋に古くから栄えた宿場町神奈川宿および幕末に置かれた神奈川奉行所に由来する。これら「神奈川」の由来は、現在の京急東神奈川駅近くを流れていた長さ300mほどの小川で、今は道路になっている。
その川の名の由来は水源が分からないことから「上(かみ)がない川」と呼ばれ、それがいつしか「かな川」になったという説や、日本武尊が東方へおもむく際、かかげた宝剣が川水に金色燦然と映ったことから「金川(かながわ)」と命名、その後、源頼朝がその風光を賞し、これを神に大いに示すべきとしたことから「神大示川」、さらに「神奈川」に変化したという説などがある。
古くから農業や漁業が盛んで、貝塚、集落址、古墳、横穴墓など遺跡が7500か所もある住みやすい土地だった。平安時代の中頃から、在地の有力者の中から領主階級が成長し、荘園を名目的に中央の貴族や大寺社に寄進し、みずからは荘司として実権を握り、次第に武士化して行った。
そうした中で源頼朝が、このような東国武士団の支持を得て鎌倉に幕府を開き、武家政権の基礎を作った。鎌倉には鶴岡八幡宮を筆頭に神社仏閣が多数建立され、鎌倉五山も整備され、武士の都として機能したが、約150年後に新田義貞の鎌倉攻めにより滅亡する。
戦国時代になると北条早雲が台頭し、後北条氏が小田原を拠点に栄えるが、秀吉の小田原攻めで滅亡し、領土は家康のものとなり、家康は拠点を小田原から江戸に移した。江戸時代には東海道が整備され、東京湾沿岸部の開発が進んだ。幕末には浦賀沖に黒船が来訪し、やがて横浜港が開港される。
神奈川県の成立は明治維新後の1868年で、元々は1859年の開港に合わせて設置された神奈川奉行がルーツ。1868年に入り、まず横浜裁判所となり、神奈川裁判所、神奈川府を経て、9月に神奈川県となった。ただし、この時点では現在の県域とは全く違い、現在の神奈川県の原形が完成したのは1876年(明治9年)。最終的には1893年(明治26年)に多摩3郡が東京府へ再移管され、現在の県域が確定した。
京浜工業地帯を形成し、太平洋ベルトの中核でもある。川崎、横浜、藤沢などで工業が発達し、日本の工業生産額の約3分の2を占める。自動車工業、造船業、化学工業、重化学工業などが盛ん。横浜港、川崎港、横須賀港の3港合計の貿易額は、全国の輸出額の13.6%、輸入額は9.2%を占める。
農業は大都市近郊であることから鮮度が重要視される野菜や果実、牛乳といった生鮮食料の生産が多い。市町村別では三浦市や横浜市が多い。遠洋・沖合・沿岸漁業が盛んで、三崎漁港の漁獲量は全国でもトップクラス。
プロ野球の横浜DeNAベイスターズ(BayStars;横浜市)やサッカーの横浜F・マリノス(Marinos;横浜市・横須賀市・大和市)、川崎フロンターレ(Frontale;川崎市)、横浜FC(横浜市)、湘南ベルマーレ(Bellmare;平塚市など)にBリーグの横浜ビー・コルセアーズ(B-Corsairs;横浜市)、川崎ブレイブサンダース(Brave Thunders;川崎市)、ラグビーの横浜キヤノンイーグルス(Eagles;横浜市)、三菱重工相模原ダイナボアーズ(DYNABOARS;相模原市)、アメフトの富士通フロンティアーズ(Frontiers;川崎市)などが神奈川県に本拠地を置く。
横浜や鎌倉、横須賀、三浦、湘南海岸、小田原、箱根など観光地は多い。私も住んではいないが、川崎の事務所に合計4年ほど勤めていたこともあって、結構多くの場所に行っている。
神奈川県出身および関連が深い有名人もかなり多く、列挙するとキリがないので個々の自治体の時に触れたいが、これまで行ったとこのことを書く日が来ないような気はする・・・
根府川を過ぎると右手に相模湾が広がる(下の写真4)。少し手前の真鶴岬から三浦半島の城ヶ島以北にかけての海域を指し、富山湾、駿河湾とともに日本3大深湾と呼ばれ、深いところで1000m以上の水深がある。
10時前、右手先に小田原城が見えて来る(下の写真5)。10年前、2002年の7月に登ったわ。懐かしい。小田原でもう1回乗り継ぐ。3ヶ月ほど前、天皇杯決勝に行った時にはここでJRが止まって、急遽小田急線に乗り換えたわ。
小田原の2つ先の国府津までが横浜から開通したのは1887年(明治20年)。その2年後には静岡まで延伸されたが、前述のように当時は現在の御殿場線経路だった。国府津・小田原間は1920年(大正9年)に開通、2年後に真鶴まで、さらに2年後に湯河原まで延伸され、熱海までは1925年(大正14年)に開通した。
10時20分前、予定通り平塚に到着。平塚市唯一の駅だが、平塚市は神奈川県のほぼ中央、相模川右岸(西側)に位置し、南は相模湾に面する。神奈川県では横浜・横須賀・川崎に次いで4番目、湘南地区および相模川より西の地域では初めて市となるなど戦後早くから商工業都市として発展した町。
平塚は鎌倉初期から記録に残る地名。平安時代の857年に桓武天皇の三代孫、高見王の娘政子(真砂子)が東国へ向かう旅をした折、この地で逝去し、その棺をここに埋め、墓として塚を築いた。その塚の上が平らになったので平塚という地名が起こったとう云う。江戸時代に編纂された「新編相模国風土記稿」に基づく説。
源頼朝が亡くなった要因になったと云われる落馬は相模川に架かった橋の上だったとも云われるが、この頃の相模川はもっと東の茅ヶ崎市を流れていたとも云われる。戦国時代の1512年に 北条早雲が三浦氏の岡崎城を攻略、以降、後北条氏の領するところとなる。1590年には徳川家康が入封。1596年には徳川将軍家の別荘である中原御殿が建てられたが、明治維新後に廃棄された。
戦争中には軍直轄の軍需工場が密集していた平塚市は7月16日に大空襲を受け、当時の市域の面積の約8割、戸数の約6割を焼失した。このとき落とされた爆弾の数は東京都八王子に次いで多かった。
現在の平塚市の面積は約68平方㎞で、神奈川県の33市町村の中では13番目。藤沢市よりわずかに狭い。海岸線に接するのは東の相模川から西の金目川(花水川)の間の約3㎞だが、大磯丘陵の北西部に丘陵地帯が大きく広がっている。相模川を挟んで茅ヶ崎市と寒川町、北の厚木市、伊勢原市、秦野市、東の中井町。二宮町、大磯町と接する。
人口は約26万人で、県内では隣の茅ヶ崎市よりわずかに多くて6番目に多い。3つの政令指定都市以外では藤沢市、横須賀市に次ぐ。この30年くらいは大きな増減はないが、他の自治体同様に老齢人口が増えている。
1889年(明治22年)の町村制施行に伴い平塚町が成立。1929年(昭和4年)には須馬町と新設合併し、改めて平塚町が発足。1932年(昭和7年)に市制施行して平塚市となる。戦後に周辺町村を何度かに分けて編入し、現在の市域になったのは1957年(昭和32年)。
江戸時代には東海道7番目にあたる宿場町として栄え、広大な平野があることから農業も盛んだった。明治に入り東海道本線が開通し、軍需工場の設置が行われると民生の近代工業も盛んとなり、数々の企業を生み出し、また誘致した。戦後には軍需工場跡地に多くの車両・化学関係の工場がある。そう云えば2000年代前半から中頃には結構出張で来たことあるのを思い出した。
東川篤哉の平塚おんな探偵の事件簿の舞台。映画「八日目の蝉」では井上真央演じる主人公の住んでいる町が市内日向岡の住宅街で撮影された。観光で訪れるのは初めて。
著名な出身者としては現在(2023年7月)のデジタル大臣、河野太郎は父、河野洋平から平塚市に在住。女優の河合美智子に俳優の脇知弘は五領ヶ台高校(現平塚湘風高校)の卒業。元マラソン選手の小幡佳代子は土屋小、土沢中学卒業。
レンタサイクルを借りて海岸に向かうが、続く
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