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2022年3月11日(金)5時10分頃、静岡浅間神社に続く浅間通りから御幸(みゆき)通りを歩く。御幸通りは静岡駅北口の国道1号線合流点から、浅間通りの合流点の先の中町交差点までの間、約900mの通りで、1930年(昭和5年)に静岡市一の大通りとして開通した際に、昭和天皇が最初に通られたことから命名された。<br /><br />5分ほどあるくと左手に静岡県庁。駿府城の三の丸だったところで、外堀(三の丸堀)を横切って正面に建つのが1937年(昭和12年)に建てられた本館。地上5階建てで、3階に議場がある。1934年の懸賞設計当選案に基づき中村與資平が実施設計。コンクリート造りのビルに瓦屋根を載せた帝冠様式とよばれる和洋折衷の建築物で、上から見ると日の形になっている。登録有形文化財。<br /><br />左手に1974年完成の、地上10階地下1階建てで教育委員会等が入居する西館、右手に1970年完成の、地上16階建てで文化・観光部等が入居する東館、その奥に1996年完成の、地上21階地下2階建てで県危機管理部、危機管理センターや警察本部、通信指令本部などが入居する別館が建つ。<br /><br />県庁前の交差点の南西には静岡市役所。静岡庁舎本館は1934年(昭和9年)に建てられたもので、鉄筋コンクリート造4階建ての上に2層の塔屋を重ね、望楼を置き、塔頂にドームを載せている。このドームは通称「あおい塔」とも呼ばれる。設計を行った中村與資平が「市の王冠としての意味」を担うものとして提案した。塔頂までの高さは42.4mで、ドームは緑ベースにモザイクタイルが貼られ、星型等のモザイクが施されている。<br /><br />外壁は象牙色のタイル貼りで,各所にテラコッタが用いられている。ポーチからホールにかけての部分や望楼部分などに特に優れたデザイン上の工夫が見られる。国の登録有形文化財。<br /><br />この交差点の静岡市役所の角には駿府町奉行所跡の碑が建つ。駿府町奉行は町政全般の掌握から訴えの裁き、城下の警備、府中宿の管理など、駿府の町民生活に直接関わる広範囲な業務を担っていた老中直属の組織のこと。<br /><br />江戸初期の1632年に駿府城大手御門前の大手組と城の北東、現在の駿府町のいこいの広場近くにあった外堀(三の丸堀)に架かる横内御門近くの横内組の2ヶ所が設置されたが、横内組は江戸中期の1702年に廃止され、大手組のみ明治維新まで存続した。駿府町奉行は無事任務を努めあげると、やがて大坂町奉行や京都町奉行に抜擢される旗本のエリートの登竜門だった。<br /><br />大手組には与力6騎、同心60人、それに清水港に入港する船舶の事を取り仕切る水主(かこ)50人が配置されていた。「東海道中膝栗毛」の作者、十返舎一九はその同心重田氏の子供で、市役所より少し南の両替町に生家の碑がある。<br /><br />また、静岡の由来を記した石碑もある。さらに御用水と町方用水の説明もある。実際に市役所の前、一部暗渠になっているのが御用水とのこと。また、市役所前に建つ3基のガス燈は1989年に静岡市市政施工100周年と市庁舎本館改修工事落成を祝して静岡ガスが寄贈したもの。1910年(明治43年)に静岡でのガス事業が開始され、市内6ヶ所にガス燈が灯されたそうだ。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9893846917351910&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />駅の南側のホテルにチェックインして、登呂遺跡を目指すが、続く

静岡 御幸通り(Miyuki Street,Shizuoka,Japan)

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2022/03/11 - 2022/03/11

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月11日(金)5時10分頃、静岡浅間神社に続く浅間通りから御幸(みゆき)通りを歩く。御幸通りは静岡駅北口の国道1号線合流点から、浅間通りの合流点の先の中町交差点までの間、約900mの通りで、1930年(昭和5年)に静岡市一の大通りとして開通した際に、昭和天皇が最初に通られたことから命名された。

5分ほどあるくと左手に静岡県庁。駿府城の三の丸だったところで、外堀(三の丸堀)を横切って正面に建つのが1937年(昭和12年)に建てられた本館。地上5階建てで、3階に議場がある。1934年の懸賞設計当選案に基づき中村與資平が実施設計。コンクリート造りのビルに瓦屋根を載せた帝冠様式とよばれる和洋折衷の建築物で、上から見ると日の形になっている。登録有形文化財。

左手に1974年完成の、地上10階地下1階建てで教育委員会等が入居する西館、右手に1970年完成の、地上16階建てで文化・観光部等が入居する東館、その奥に1996年完成の、地上21階地下2階建てで県危機管理部、危機管理センターや警察本部、通信指令本部などが入居する別館が建つ。

県庁前の交差点の南西には静岡市役所。静岡庁舎本館は1934年(昭和9年)に建てられたもので、鉄筋コンクリート造4階建ての上に2層の塔屋を重ね、望楼を置き、塔頂にドームを載せている。このドームは通称「あおい塔」とも呼ばれる。設計を行った中村與資平が「市の王冠としての意味」を担うものとして提案した。塔頂までの高さは42.4mで、ドームは緑ベースにモザイクタイルが貼られ、星型等のモザイクが施されている。

外壁は象牙色のタイル貼りで,各所にテラコッタが用いられている。ポーチからホールにかけての部分や望楼部分などに特に優れたデザイン上の工夫が見られる。国の登録有形文化財。

この交差点の静岡市役所の角には駿府町奉行所跡の碑が建つ。駿府町奉行は町政全般の掌握から訴えの裁き、城下の警備、府中宿の管理など、駿府の町民生活に直接関わる広範囲な業務を担っていた老中直属の組織のこと。

江戸初期の1632年に駿府城大手御門前の大手組と城の北東、現在の駿府町のいこいの広場近くにあった外堀(三の丸堀)に架かる横内御門近くの横内組の2ヶ所が設置されたが、横内組は江戸中期の1702年に廃止され、大手組のみ明治維新まで存続した。駿府町奉行は無事任務を努めあげると、やがて大坂町奉行や京都町奉行に抜擢される旗本のエリートの登竜門だった。

大手組には与力6騎、同心60人、それに清水港に入港する船舶の事を取り仕切る水主(かこ)50人が配置されていた。「東海道中膝栗毛」の作者、十返舎一九はその同心重田氏の子供で、市役所より少し南の両替町に生家の碑がある。

また、静岡の由来を記した石碑もある。さらに御用水と町方用水の説明もある。実際に市役所の前、一部暗渠になっているのが御用水とのこと。また、市役所前に建つ3基のガス燈は1989年に静岡市市政施工100周年と市庁舎本館改修工事落成を祝して静岡ガスが寄贈したもの。1910年(明治43年)に静岡でのガス事業が開始され、市内6ヶ所にガス燈が灯されたそうだ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9893846917351910&type=1&l=223fe1adec


駅の南側のホテルにチェックインして、登呂遺跡を目指すが、続く

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