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2022年3月11日(金)4時20分過ぎ、静岡浅間神社に到着。静岡市街地に接する賎機山の麓にあり、「おせんげんさん」として親しまれている神社。静岡浅間神社は総称で、実際には神部神社・浅間神社(二社同殿)及び大歳御祖神社の三社から成る。<br /><br />三社は鎮座以来独立の神社として扱われ、江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕して来た。1888年(明治21年)、三社別々に国幣小社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社となった。現在は一つの法人格となっている。<br /><br />神部(かんべ)神社は第10代崇神天皇の時代、約2100年前に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座され、平安時代には駿河国総社となった。この地方最古の神社。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命(おおくにぬしのみこと))。<br /><br />浅間(あさま)神社は全国にある浅間神社の一社。平安時代の901年、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。祭神は木之花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)。<br /><br />個別の浅間神社は「あさま」と読むが、神社全体を指す場合は「せんげん」となる。元々は「あさま」だったのに「浅間」の字を当て、後世音読して「せんげん」と呼ばれるようになった。元々の「あさま」は一説では火山を指すとのこと。<br /><br />大歳御祖(おおとしみおや)神社は第15代応神天皇の時代、約1700年前の鎮座と伝えられる。元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神で、奈古屋神社と称された。祭神は大歳御祖命(おおとしみおやのみこと=神大市比売命(かむおおいちひめ))。<br /><br />社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の重要文化財に指定されている。この社殿群は徳川幕府が1804年より60年の歳月と約10万両の巨費を投じて建造されたもので、彫刻された花鳥霊獣類は繊細を極めている。<br /><br />長谷通りに建つ石鳥居の前、総門を抜けて境内に入る。石鳥居は江戸前期の1634年に建てられたものだが、道路拡幅に伴って場所は移動されている。岡山犬島の石で造られている。<br /><br />総門は江戸時代後期の1817年に建てられたもの。木造平屋建て、切妻、本瓦形銅板葺の、三間一戸、桁行3間、張間2間の八脚単層門。外壁は朱色で彩られているが華美な装飾は少なく質実な建物。26棟の国の重文の一つ。<br /><br />総門を抜けると正面に楼門。江戸時代後期の1816年に建てられたもので、楼門入母屋、本瓦形銅板葺、三間一戸の八脚楼門形式。上層部には高欄が回り、細部には精緻な彫刻が施され、下層部両脇には随神像が安置されている。下層部中央上部にある「水呑の龍」は名工として知られた左甚五郎作と伝えられるもので、1773年の火災の際には龍が池の水を飲み社殿に吹きかけ火事を防いだと云う。この門も26棟の国の重文の一つ。<br /><br />総門手前左手の御神水井戸は三代将軍家光が静岡浅間神社の社殿を造営した時点で既に存在していたものと推定されている。さらに、家康が幼少期の今川家の人質時代に参拝した際に手水として利用したとも云われている。<br /><br />この井戸水は祭祀に使われる霊水である事から「御神水」と称され疫病退散、延命長寿にも御利益があるとして信仰の対象にもなっていた。明治時代以降は空井戸となっていたが、近年上屋が建設され、旧観が整えられた。奥には古神札納所がある。<br /><br />総門の反対側(北隣)の神厩舎は幕末の1861年に建てられたもの。昔は神馬が飼われていたが、現在は木彫の神馬が安置されている。桁行3間、梁間2間で、切妻、桟瓦葺、平入の木造平屋建て。外壁は真壁造り板張りで、朱色、建具が黒色に彩色され、華美な装飾が無く屋根の仕上げも他の社殿と比べると質素のものが採用されている。26棟の国の重文の一つ。<br /><br />楼門を抜けると左右に手水舎。なんで2つあるのかと不思議に思うが、最初に書いたように神部神社と浅間神社は二社同殿になっているのだが、手水舎だけは独立しており、楼門を抜けて右側が神部神社の、左手が浅間神社の手水舎。同じ構造で、木造平屋建て、切妻、本瓦形銅板葺で外壁は四隅柱のみの吹き放し。妻面や蟇股などには彫刻を施し極彩色で彩り、手水鉢には龍の彫刻が施されている。<br /><br />正面に舞殿。江戸時代後期の1820年に造営されたもので、大拝殿の正面に配されている。木造平屋建て、入母屋、銅板葺、妻入で桁行3間、梁間2間。正面軒唐破風付きで金の金物や立川流の彫刻が随所に施されているものの、彩色がなく回廊内部の境内では唯一素木造りとなっている。これも26棟の国の重文の一つ。<br /><br />その奥の大拝殿は江戸時代後期の1814年に造営されたもので高さ25mにも及ぶ二階建てで浅間造と呼ばれ、木造神社建築としては出雲大社本殿より高く、日本一の威容を誇る。切妻、本瓦形銅板葺で桁行7間、梁間4間。屋根には千鳥破風と入母屋の楼閣が設けられ、建物全体に精緻な彫刻が施され極彩色で彩られ、金物は金箔で仕上げられ、境内を象徴する大規模社殿建築となっている。<br /><br />大拝殿の両サイドにはこれも26棟の国の重文の一つの回廊が続く。江戸時代後期の1813年に建てられたもので、神部・浅間神社の本殿、大拝殿、舞殿を取り囲んでいる。本瓦形銅板葺で、外壁は朱色、建具は黒で彩色され、主要の建物とは異なり華美な装飾が少なく、聖域を守る結界の一翼を担っている。<br /><br />南回廊が総延長28間、北回廊が総延長29間で共に張間2間。接続する神饌所及び西の間は木造平屋建て、入母屋、本瓦形銅板葺で桁行7間、張間3間、神符調整所及び直会所は木造平屋建て、入母屋、本瓦形銅板葺で桁行7間、張間3間となっている。<br /><br />大拝殿の奥には神部神社と浅間神社の本殿が建つが、この大拝殿からは見えない。いったん楼門を出て北回廊の外側(下の写真)を周っていくと、大拝殿の後ろの高台に建っているのが見える。江戸時代後期の1813年に造営されたもので、これももちろん国の重文。<br /><br />周囲は透塀(総瓦棒銅板葺で中央7間、両サイドがそれぞれ延長15間)で囲われ、それぞれの神社本殿に対して中門(本瓦形銅板葺で桁行1間、梁間1間の向唐門)が配されている。本殿は中央が1間相の間で、総桁行が7間、本瓦形銅板葺の比翼三間社流造。北側が神部神社本殿、南側が浅間神社本殿となっている。ほとんど見えない。<br /><br />北回廊の西側、本殿の北側になるが、玉鉾神社がある。江戸中期以降の日本を代表する4人の国学者、羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長・平田篤胤を祀っており、学業成就、合格祈願に霊験あらたかとされている。1876年(明治9年)に県内の神官により創祀されたが、現在の社殿は伊勢神宮の御古材を使って1976年に再建されたもの。<br /><br />北回廊の北側にはこれも重文の少彦名神社がある。この社は古くから神仏習合し、薬師如来像と十二神将像が安置され神宮寺薬師社と称していた。神仏分離令により仏像などが臨済寺に移され神部神社境内社少彦名神社となった。祭神は少彦名命で相殿として神部神社末社の14柱を祀っている。<br /><br />県内唯一の医薬の神であり、医療・薬業の守護神。病気平癒・身体健全の霊験あらたか。また御酒の神として、さらには芸能を広め民生を整えられたことにより芸能の神として信仰されている。<br /><br />現在の社殿は江戸末期の1850年に建てられたもの。本瓦風銅板葺、入母屋の木造平屋建てで桁行3間、梁間2間。外壁は真壁造黒漆喰仕上げ、木鼻や組物、蟇股、桁などは極彩色で彩られている。江戸時代末期に建てられた御堂建築の遺構として大変貴重な存在。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9876070875796181&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />静岡浅間神社後半の賎機山、大歳御祖神社に続く

静岡 静岡浅間神社(Sengen-jinja Shrine,Shizuoka,Japan)

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2022/03/11 - 2022/03/11

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月11日(金)4時20分過ぎ、静岡浅間神社に到着。静岡市街地に接する賎機山の麓にあり、「おせんげんさん」として親しまれている神社。静岡浅間神社は総称で、実際には神部神社・浅間神社(二社同殿)及び大歳御祖神社の三社から成る。

三社は鎮座以来独立の神社として扱われ、江戸時代まではそれぞれ別の社家が奉仕して来た。1888年(明治21年)、三社別々に国幣小社に昇格した。戦後は神社本庁の別表神社となった。現在は一つの法人格となっている。

神部(かんべ)神社は第10代崇神天皇の時代、約2100年前に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座され、平安時代には駿河国総社となった。この地方最古の神社。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと=大国主命(おおくにぬしのみこと))。

浅間(あさま)神社は全国にある浅間神社の一社。平安時代の901年、醍醐天皇の勅願により富士山本宮浅間大社より総社神部神社の隣に勧請され、以来冨士新宮として崇敬されてきた。祭神は木之花咲耶姫命(このはなのさくやひめのみこと)。

個別の浅間神社は「あさま」と読むが、神社全体を指す場合は「せんげん」となる。元々は「あさま」だったのに「浅間」の字を当て、後世音読して「せんげん」と呼ばれるようになった。元々の「あさま」は一説では火山を指すとのこと。

大歳御祖(おおとしみおや)神社は第15代応神天皇の時代、約1700年前の鎮座と伝えられる。元々は安倍川河畔の安倍の市(古代の市場)の守護神で、奈古屋神社と称された。祭神は大歳御祖命(おおとしみおやのみこと=神大市比売命(かむおおいちひめ))。

社殿は江戸時代後期を代表する漆塗極彩色が施された壮麗なもので、計26棟が国の重要文化財に指定されている。この社殿群は徳川幕府が1804年より60年の歳月と約10万両の巨費を投じて建造されたもので、彫刻された花鳥霊獣類は繊細を極めている。

長谷通りに建つ石鳥居の前、総門を抜けて境内に入る。石鳥居は江戸前期の1634年に建てられたものだが、道路拡幅に伴って場所は移動されている。岡山犬島の石で造られている。

総門は江戸時代後期の1817年に建てられたもの。木造平屋建て、切妻、本瓦形銅板葺の、三間一戸、桁行3間、張間2間の八脚単層門。外壁は朱色で彩られているが華美な装飾は少なく質実な建物。26棟の国の重文の一つ。

総門を抜けると正面に楼門。江戸時代後期の1816年に建てられたもので、楼門入母屋、本瓦形銅板葺、三間一戸の八脚楼門形式。上層部には高欄が回り、細部には精緻な彫刻が施され、下層部両脇には随神像が安置されている。下層部中央上部にある「水呑の龍」は名工として知られた左甚五郎作と伝えられるもので、1773年の火災の際には龍が池の水を飲み社殿に吹きかけ火事を防いだと云う。この門も26棟の国の重文の一つ。

総門手前左手の御神水井戸は三代将軍家光が静岡浅間神社の社殿を造営した時点で既に存在していたものと推定されている。さらに、家康が幼少期の今川家の人質時代に参拝した際に手水として利用したとも云われている。

この井戸水は祭祀に使われる霊水である事から「御神水」と称され疫病退散、延命長寿にも御利益があるとして信仰の対象にもなっていた。明治時代以降は空井戸となっていたが、近年上屋が建設され、旧観が整えられた。奥には古神札納所がある。

総門の反対側(北隣)の神厩舎は幕末の1861年に建てられたもの。昔は神馬が飼われていたが、現在は木彫の神馬が安置されている。桁行3間、梁間2間で、切妻、桟瓦葺、平入の木造平屋建て。外壁は真壁造り板張りで、朱色、建具が黒色に彩色され、華美な装飾が無く屋根の仕上げも他の社殿と比べると質素のものが採用されている。26棟の国の重文の一つ。

楼門を抜けると左右に手水舎。なんで2つあるのかと不思議に思うが、最初に書いたように神部神社と浅間神社は二社同殿になっているのだが、手水舎だけは独立しており、楼門を抜けて右側が神部神社の、左手が浅間神社の手水舎。同じ構造で、木造平屋建て、切妻、本瓦形銅板葺で外壁は四隅柱のみの吹き放し。妻面や蟇股などには彫刻を施し極彩色で彩り、手水鉢には龍の彫刻が施されている。

正面に舞殿。江戸時代後期の1820年に造営されたもので、大拝殿の正面に配されている。木造平屋建て、入母屋、銅板葺、妻入で桁行3間、梁間2間。正面軒唐破風付きで金の金物や立川流の彫刻が随所に施されているものの、彩色がなく回廊内部の境内では唯一素木造りとなっている。これも26棟の国の重文の一つ。

その奥の大拝殿は江戸時代後期の1814年に造営されたもので高さ25mにも及ぶ二階建てで浅間造と呼ばれ、木造神社建築としては出雲大社本殿より高く、日本一の威容を誇る。切妻、本瓦形銅板葺で桁行7間、梁間4間。屋根には千鳥破風と入母屋の楼閣が設けられ、建物全体に精緻な彫刻が施され極彩色で彩られ、金物は金箔で仕上げられ、境内を象徴する大規模社殿建築となっている。

大拝殿の両サイドにはこれも26棟の国の重文の一つの回廊が続く。江戸時代後期の1813年に建てられたもので、神部・浅間神社の本殿、大拝殿、舞殿を取り囲んでいる。本瓦形銅板葺で、外壁は朱色、建具は黒で彩色され、主要の建物とは異なり華美な装飾が少なく、聖域を守る結界の一翼を担っている。

南回廊が総延長28間、北回廊が総延長29間で共に張間2間。接続する神饌所及び西の間は木造平屋建て、入母屋、本瓦形銅板葺で桁行7間、張間3間、神符調整所及び直会所は木造平屋建て、入母屋、本瓦形銅板葺で桁行7間、張間3間となっている。

大拝殿の奥には神部神社と浅間神社の本殿が建つが、この大拝殿からは見えない。いったん楼門を出て北回廊の外側(下の写真)を周っていくと、大拝殿の後ろの高台に建っているのが見える。江戸時代後期の1813年に造営されたもので、これももちろん国の重文。

周囲は透塀(総瓦棒銅板葺で中央7間、両サイドがそれぞれ延長15間)で囲われ、それぞれの神社本殿に対して中門(本瓦形銅板葺で桁行1間、梁間1間の向唐門)が配されている。本殿は中央が1間相の間で、総桁行が7間、本瓦形銅板葺の比翼三間社流造。北側が神部神社本殿、南側が浅間神社本殿となっている。ほとんど見えない。

北回廊の西側、本殿の北側になるが、玉鉾神社がある。江戸中期以降の日本を代表する4人の国学者、羽倉東麿・岡部真渕・本居宣長・平田篤胤を祀っており、学業成就、合格祈願に霊験あらたかとされている。1876年(明治9年)に県内の神官により創祀されたが、現在の社殿は伊勢神宮の御古材を使って1976年に再建されたもの。

北回廊の北側にはこれも重文の少彦名神社がある。この社は古くから神仏習合し、薬師如来像と十二神将像が安置され神宮寺薬師社と称していた。神仏分離令により仏像などが臨済寺に移され神部神社境内社少彦名神社となった。祭神は少彦名命で相殿として神部神社末社の14柱を祀っている。

県内唯一の医薬の神であり、医療・薬業の守護神。病気平癒・身体健全の霊験あらたか。また御酒の神として、さらには芸能を広め民生を整えられたことにより芸能の神として信仰されている。

現在の社殿は江戸末期の1850年に建てられたもの。本瓦風銅板葺、入母屋の木造平屋建てで桁行3間、梁間2間。外壁は真壁造黒漆喰仕上げ、木鼻や組物、蟇股、桁などは極彩色で彩られている。江戸時代末期に建てられた御堂建築の遺構として大変貴重な存在。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9876070875796181&type=1&l=223fe1adec


静岡浅間神社後半の賎機山、大歳御祖神社に続く

  • 北回廊外側

    北回廊外側

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