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2022年3月11日(金)5時45分頃、駿府城公園、静岡浅間神社を周ってから静岡駅西口近くのホテルにチェックインした後、静岡駅南口からバスで登呂遺跡に向かう(下の写真1)。この南口バス停の近くにはフランス印象派の画家のルノワールが晩年に若手彫刻家リシャール・ギノの力を借りて製作した彫刻作品が2体設置されている。<br /><br />「洗濯する女」像(1917年原型、1989年鋳造)(下の写真2)と「勝利のヴィーナス」像(1913-15年原型、1990年鋳造)で、1994年に静岡駅南口広場整備の際、世界中で多くの人に親しまれているルノワールの作品を広場のシンボルとして設置したもの。<br /><br />前述したが、静岡駅の南側は駿河区。2005年に誕生した静岡市の3つの行政区の一つ。区名の由来は駿河国と駿河湾。市民公募の段階では南区の方が多かったが(3位は登呂区)、最終市民投票では駿河区、美波区、弥生区の3つになり、駿河区が選ばれた。自治体名に令制国名を採用する事例は日本各地で多いが、政令指定都市の行政区名になるのは広島市の安芸区に次いで2番目。<br /><br />合併する前の旧静岡市域の東海道本線以南エリアと旧長田村域が区域。西は焼津市、藤枝市、北は葵区、東は清水区、南は駿河湾に接する。その地勢は、西の焼津市境の満観峰や、東の清水区境の日本平など丘陵に挟まれ、中央部の静岡平野に住宅街を形成し、安倍川が流れている。面積は約73平方kmで、静岡市の3つの区の中で最少。静岡県の43の市区町村中31番目。<br /><br />人口は約21万人で、静岡市の3つの区の中では最少だが、静岡県の市区町では静岡市と浜松市全体は除くと5番目に多い。静岡市以外で多いのは富士市と浜松市中区。近年は増減はほとんどない。<br /><br />区内の有名地としては久能山東照宮にこれから向かう登呂遺跡など。また、静岡新聞社や静岡放送、静岡第一テレビ、テレビ静岡などもマスコミが区内にある。模型メーカー・タミヤの本社も区内。<br /><br />6時5分前、静岡駅南口から駿河湾まで南南東にほぼ真っ直ぐ続く石田街道の登呂遺跡入口でバスを降りる(下の写真3)。ここから東に5分ほど歩くと登呂遺跡に到着。弥生時代の集落・水田遺跡で、国の特別史跡に指定されており、教科書にも載っている。戦時中の1943年(昭和18年)に軍事工場建設の際発見された。<br /><br />弥生時代後期、1世紀頃の集落と推定されている。登呂はこの地域の小字で、田んぼの湿地帯の泥を「トロ」というところからこの地名になったとされる。<br /><br />安倍川の分流の洪水時に押し流された土砂が堆積し、自然に形成された堤防の上に造られている。発見された集落には、北東から南西の方向に広がる微高地を利用して住居12棟、高床倉庫2棟が建っており、水田がその南に造られている。<br /><br />遺跡は、登呂公園として整備され、住居などが復元されているほか、遺跡についての資料がある静岡市立登呂博物館が隣接して建てられている。<br /><br />公園の北側には北側ガイダンス施設があるが、もう6時過ぎなので閉まっている。その南に広がるのが東側居住域。ここには住居4棟と高床倉庫2棟、祭殿が復元されている。復元は1951年から順次行われたが、その後火災に遭い、現在のものはその後に再建されたもの。<br /><br />東側居住域の南には復元水田が広がる。太い畝で大きく区画された中が細い畝で小さく区画している。その西側には登呂博物館と芹沢銈介美術館があるが、いずれも開館時間は終わっている。<br /><br />登呂博物館は1955年に開館した静岡考古館を前身として1972年に開館したもの。現在の建物は2010年に全面リニューアルオープンしたもの。1階の弥生体験展示室は入館無料で弥生時代の復元装束を着たり、復元農具や土器に触れたり出来る体験型施設。2階は有料で、常設展示室と年4回の企画展を開催する企画展示室がある。屋上テラスからは登呂公園の復元集落や水田を見渡せる。屋外では、市民参加型の水田での米づくり体験や企画展示の関連講演会、夏休みイベントなどを開催している。<br /><br />芹沢銈介美術館は国の重要無形文化財に指定された染色技術である「型絵染」の技術保持者で、人間国宝に認定された芹沢銈介(けいすけ)氏を顕彰し、その作品などを展示している。1981年オープン。芹沢氏は1895年(明治28年)5月、静岡市本通(現葵区)生まれで、静岡市名誉市民。1984年88歳で死去。<br /><br />美術館の前には「芹沢銈介の功績をたたえる碑」も建っている。1986年に建てられたもの。また、その近くに登呂の火起こし像もある。こちらは1974年に建てられたもの。その前は西側居住域で、こちらにも住居1棟と高床倉庫1棟が復元されている。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9893868754016393&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />15分くらいしか登呂遺跡にはいなかったのだが、この時期はもう暗い。戻りはバスに乗らず歩いて戻る。7時くらいにホテルの近くまで戻り、マグロを食べようと思ってた店に行くと、あれ、やってない。コロナ禍が始まって2年以上経ったが、まだまだなんだと、普段外に出ないので改めて思う。<br /><br />で、諦めて他の店を探すのだが、やってる店が少ないのか、満員の店ばかりでなかなか入れる店がない。20分くらいウロチョロしてようやく入れたのが駅南酒場餃子研究所。まあ、名物らしい手羽先餃子と、これは間違いなく名物の静岡おでんを地酒で戴けたので正解かな? コロナ禍の影響で8時で営業終了とのことで慌ただしい夕食だった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9893882704014998&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />8時半にはホテルに戻り、1日目終了。2日目に続く

静岡 登呂遺跡(Toro Archaeological Site,Shizuoka,Japan)

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2022/03/11 - 2022/03/11

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月11日(金)5時45分頃、駿府城公園、静岡浅間神社を周ってから静岡駅西口近くのホテルにチェックインした後、静岡駅南口からバスで登呂遺跡に向かう(下の写真1)。この南口バス停の近くにはフランス印象派の画家のルノワールが晩年に若手彫刻家リシャール・ギノの力を借りて製作した彫刻作品が2体設置されている。

「洗濯する女」像(1917年原型、1989年鋳造)(下の写真2)と「勝利のヴィーナス」像(1913-15年原型、1990年鋳造)で、1994年に静岡駅南口広場整備の際、世界中で多くの人に親しまれているルノワールの作品を広場のシンボルとして設置したもの。

前述したが、静岡駅の南側は駿河区。2005年に誕生した静岡市の3つの行政区の一つ。区名の由来は駿河国と駿河湾。市民公募の段階では南区の方が多かったが(3位は登呂区)、最終市民投票では駿河区、美波区、弥生区の3つになり、駿河区が選ばれた。自治体名に令制国名を採用する事例は日本各地で多いが、政令指定都市の行政区名になるのは広島市の安芸区に次いで2番目。

合併する前の旧静岡市域の東海道本線以南エリアと旧長田村域が区域。西は焼津市、藤枝市、北は葵区、東は清水区、南は駿河湾に接する。その地勢は、西の焼津市境の満観峰や、東の清水区境の日本平など丘陵に挟まれ、中央部の静岡平野に住宅街を形成し、安倍川が流れている。面積は約73平方kmで、静岡市の3つの区の中で最少。静岡県の43の市区町村中31番目。

人口は約21万人で、静岡市の3つの区の中では最少だが、静岡県の市区町では静岡市と浜松市全体は除くと5番目に多い。静岡市以外で多いのは富士市と浜松市中区。近年は増減はほとんどない。

区内の有名地としては久能山東照宮にこれから向かう登呂遺跡など。また、静岡新聞社や静岡放送、静岡第一テレビ、テレビ静岡などもマスコミが区内にある。模型メーカー・タミヤの本社も区内。

6時5分前、静岡駅南口から駿河湾まで南南東にほぼ真っ直ぐ続く石田街道の登呂遺跡入口でバスを降りる(下の写真3)。ここから東に5分ほど歩くと登呂遺跡に到着。弥生時代の集落・水田遺跡で、国の特別史跡に指定されており、教科書にも載っている。戦時中の1943年(昭和18年)に軍事工場建設の際発見された。

弥生時代後期、1世紀頃の集落と推定されている。登呂はこの地域の小字で、田んぼの湿地帯の泥を「トロ」というところからこの地名になったとされる。

安倍川の分流の洪水時に押し流された土砂が堆積し、自然に形成された堤防の上に造られている。発見された集落には、北東から南西の方向に広がる微高地を利用して住居12棟、高床倉庫2棟が建っており、水田がその南に造られている。

遺跡は、登呂公園として整備され、住居などが復元されているほか、遺跡についての資料がある静岡市立登呂博物館が隣接して建てられている。

公園の北側には北側ガイダンス施設があるが、もう6時過ぎなので閉まっている。その南に広がるのが東側居住域。ここには住居4棟と高床倉庫2棟、祭殿が復元されている。復元は1951年から順次行われたが、その後火災に遭い、現在のものはその後に再建されたもの。

東側居住域の南には復元水田が広がる。太い畝で大きく区画された中が細い畝で小さく区画している。その西側には登呂博物館と芹沢銈介美術館があるが、いずれも開館時間は終わっている。

登呂博物館は1955年に開館した静岡考古館を前身として1972年に開館したもの。現在の建物は2010年に全面リニューアルオープンしたもの。1階の弥生体験展示室は入館無料で弥生時代の復元装束を着たり、復元農具や土器に触れたり出来る体験型施設。2階は有料で、常設展示室と年4回の企画展を開催する企画展示室がある。屋上テラスからは登呂公園の復元集落や水田を見渡せる。屋外では、市民参加型の水田での米づくり体験や企画展示の関連講演会、夏休みイベントなどを開催している。

芹沢銈介美術館は国の重要無形文化財に指定された染色技術である「型絵染」の技術保持者で、人間国宝に認定された芹沢銈介(けいすけ)氏を顕彰し、その作品などを展示している。1981年オープン。芹沢氏は1895年(明治28年)5月、静岡市本通(現葵区)生まれで、静岡市名誉市民。1984年88歳で死去。

美術館の前には「芹沢銈介の功績をたたえる碑」も建っている。1986年に建てられたもの。また、その近くに登呂の火起こし像もある。こちらは1974年に建てられたもの。その前は西側居住域で、こちらにも住居1棟と高床倉庫1棟が復元されている。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9893868754016393&type=1&l=223fe1adec

15分くらいしか登呂遺跡にはいなかったのだが、この時期はもう暗い。戻りはバスに乗らず歩いて戻る。7時くらいにホテルの近くまで戻り、マグロを食べようと思ってた店に行くと、あれ、やってない。コロナ禍が始まって2年以上経ったが、まだまだなんだと、普段外に出ないので改めて思う。

で、諦めて他の店を探すのだが、やってる店が少ないのか、満員の店ばかりでなかなか入れる店がない。20分くらいウロチョロしてようやく入れたのが駅南酒場餃子研究所。まあ、名物らしい手羽先餃子と、これは間違いなく名物の静岡おでんを地酒で戴けたので正解かな? コロナ禍の影響で8時で営業終了とのことで慌ただしい夕食だった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9893882704014998&type=1&l=223fe1adec


8時半にはホテルに戻り、1日目終了。2日目に続く

  • 写真1 静岡駅南口

    写真1 静岡駅南口

  • 写真2 「洗濯する女」像

    写真2 「洗濯する女」像

  • 写真3 登呂遺跡入口

    写真3 登呂遺跡入口

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