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2022年3月12日(土)1時50分頃、豚バラ定食の昼食を食べて平塚八幡宮へ移動する。平塚駅の北、旧東海道の北側を並行して東西に走る国道1号線の北側にある。境内東側が八幡山公園となっており、裏手には平塚市役所、平塚市博物館、平塚市美術館がある。<br /><br />かつての平塚新宿・八幡村・馬入村、3村の鎮守で、相模国の第5の宮。古墳時代、仁徳天皇の時代(380年)に創建され、古くは鶴峯山八幡宮と云われ、誉田別尊、神功皇后、武内宿禰を祀る。一国一社の八幡宮、鎮地大神とも称えられた。1192年には源頼朝が妻の懐妊祝いに神馬を奉納した。<br /><br />戦国時代の1566年に北条氏康が陣所を置いたため武田信玄によって焼かれたが、安土桃山から江戸時代に掛けての慶長年間(1596年から1615年)に徳川家康によって再建された。1873年(明治6年)に社名を八幡神社とし、1978年に平塚八幡宮に改称。現在の祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰命の3柱。<br /><br />国道一号沿い、まずは南東角に車御祓所の鳥居がある。その少し西に堂々たる赤い一の鳥居。そして、一の鳥居を抜けるとすぐに西御池と東御池の間に架かる石橋を渡る。東御池には中島があり、橋の先から小橋が架かる。中島には鶴峯山稲荷社が祀られている。1953年に鎮座されたもので、元宮は八幡宮の北東、八幡地区の八坂神社境内の川余稲荷で、氏子の願いによって分霊された。鶴峯山は平塚八幡宮の古称。<br /><br />そのまま北に表参道を進むとおみくじ掛けに手水舎。おみくじ掛けは木の周りを干支を記した立て看板が囲んでいる。表参道の上には何なのかは分からなかったが、飾り付けが並んで綺麗。表参道の奥は二の鳥居。かつて、この鳥居は東海道沿いに建っていたもの。江戸中期の1765年の建立で、幕末の1860年に再建されている。<br /><br />二の鳥居を抜けると正面に拝殿・幣殿・本殿を連結した権現造の御殿。1928年の建立。御殿手前の左側には2020年に建てられた神厩舎があり、2019年5月生まれの神馬皐月がいる。2019年11月に天皇陛下御即位奉祝記念事業の一環として岐阜の高山市からやってきた牝馬。<br /><br />御殿の反対側、右手には神明社・若宮社・諏訪社が並ぶ。神明社は祭神が天照大御神、事代主神、徳川家康公で、ご利益は出世・商売繁盛。若宮社は祭神が仁徳天皇で、ご利益は子育・子供の守り神、そして諏訪社の祭神は建御名方神で、ご利益は開運・交通安全。<br /><br />御殿は右手の奥から「うらまいり」で裏側を廻ることが出来る。廻っていくとまずは北参道があり北参道の鳥居が建っている。御殿のちょうど裏側に拝所がある。本殿が迫っており、神様に一番近い位置でお参り戴けるとのこと。<br /><br />御殿を廻りこんで戻って来ると太子堂、忠魂碑、日露戰役記念碑、浅間社、道祖神が並ぶ。太子堂は聖徳太子をお祀りしたもの。<br /><br />忠魂碑には西南戦争1柱、日清戦争1柱、北清事変1柱、日露戦争4柱の計7柱の英霊が刻まれており、その後の満州事変から太平洋戦争までの326柱の英霊も合祀されている。1928年(昭和3年)に弁財天社の奥に建立されたもので、2015年に現在地に移された。日露戰役記念碑は1909年(明治42年)に一の鳥居の右手に建てられたものだが、忠魂碑と同時期にここに移された。<br /><br />浅間社は木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)をお祀りするもので、安産・女性の守り神。八幡宮のすぐ西にある崇善小学校近くの浅間山から遷祀されたもの。地区名「浅間町」の由来とされる。なお、今の社は、江戸末期の1848年に再建されたもの。道祖神は疫病・性病除けの神。<br /><br />御殿の左手には大小の神輿が納められた神輿殿と、人形感謝祭で引き取られた人形が飾られたスペースが作られていた。<br /><br />西御池の方に戻っていくとお金を浄めることができる浄銭池があり、奥の龍の口から水が流れ出している。池の中にある聖願臼はお金を洗うためのもの? 池の中に入らないと近づけないが・・・<br /><br />西御池へ進むと平塚弁財天社がある。市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしている。2011年に市北部、岡崎地区の駒形神社境内の弁財天社より分霊し勧請したもの。「湘南ひらつか七福神」の弁財天とされる。この道は西参道で、鳥居をくぐって境内を後にする。<br /><br />最初に書いたように境内東側が八幡山公園となっているが、通り掛かりに見上げると立派な洋館が建っている。八幡山の洋館と呼ばれる旧横浜ゴム平塚製造所記念館。元々は八幡宮の北側一帯に1907年(明治40年)に完成した日本火薬製造(日本爆発物製造)の火薬製造所の英国人支配人の執務室あるいは住居として建設された。1911年(明治44年)に火災で焼失し再建されたとも云われる。いずれにせよ平塚市内では唯一、神奈川県内でも数少ない明治時代の洋風建造物。<br /><br />1919年(大正8年)に製造所は海軍が買収し、海軍火薬廠となり、この建物は高等官クラブ(横須賀水交社平塚集会所)として使用される。戦後、米軍により接収され、1950年(昭和25年)に横浜ゴムが、本建物を含む一部敷地の払い下げを受ける。この建物は主に応接室や会議室として使用されたが、2004年に平塚市へ無償贈与され、八幡山公園に移築され、今後の保存と活用のため復元された。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9950829471653654&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />2時過ぎ、八幡山公園の1㎞ほど北にある平塚市総合公園へ。元々は旧農林省の果樹試験場本場があったところで、筑波研究学園都市へ移転後に平塚市立の都市公園として整備された。1991年完成。なお、さらに遡れば上述の海軍火薬廠の一部だった。<br /><br />公園内には、本格的なスポーツ施設として平塚球場、平塚競技場、平塚総合体育館、温水プール、テニスコートが整備され、子供向け施設のふれあい動物園や、木製遊具のあるわんぱく広場、その他に日本庭園、さくらの広場などがある。球場と競技場の間にある流れの広場は大きな岩の形をした噴水のある池など約110mあり、3月始めと云うのに小さな子供たちで大賑わいだった。<br /><br />平塚競技場は1987年開場の平塚市が所有・運営管理する陸上競技場・球技場。2021年から首都圏と静岡県を中心にLPガスやガス機器の販売を行うレモンガス(株)が命名権を獲得し、レモンガススタジアム平塚(略称:レモンS)と呼ばれる。それ以前はBMW JAPANの正規ディーラーのモトーレン東洋が命名権を取得して、Shonan BMWスタジアム平塚(略称:BMWス)と呼ばれていた。<br /><br />トラックは全天候舗装、400m×8レーンで日本陸上競技連盟第2種公認。2010年にオーロラビジョンが設置された。現在の収容人員は15,690人。屋根はメインスタンドの中央付近にのみ設置で、Jリーグからの是正勧告を受けているが具体化してない。<br /><br />東京に住んでた間の2007年に2回来たことがある。J2だったベルマーレの試合で、1試合はサンガ戦でサンガが4-2で勝った。もう1試合はセレッソ戦でベルマーレが2-1で勝った。ちなみにサンガはこの年J2 3位で、J1 16位のサンフレッチェとの入替戦を制してJ1に昇格した。<br /><br />3時から、このスタジアムでは2回目となる湘南ベルマーレ対京都サンガF.C.の試合を観戦。ベルマーレ(Bellmare)は1994年にフジタ工業サッカー部を前身としてベルマーレ平塚の名称でJリーグへ加盟。2000年に湘南ベルマーレへクラブ名称を変更した。チーム名はラテン語の美しい(bellum、ベルム)と海(Mare、マーレ)の2つの単語を合わせた造語。<br /><br />湘南は一般的には相模川の河口を中心とする平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町の5市3町を指すが、ベルマーレの現在のホームタウンはこれらに加えて厚木市、小田原市、鎌倉市、南足柄市、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町、箱根町、真鶴町、湯河原町の合計9市11町となっている。<br /><br />前身のフジタ工業(その前身は藤和不動産)時代はリーグ優勝3回、天皇杯優勝2回。ベルマーレとなった後も天皇杯とJリーグカップをそれぞれ1回制している。天皇杯優勝の翌年はアジアカップウィナーズカップも制している。J2優勝は2回。中田英寿が高校卒業後の1995年からペルージャ(Perugia)移籍まで所属した。GKの小島伸幸、FWの野口幸司に町野修斗、DFの岩本輝雄に名良橋晃、MFの遠藤航などが在籍。<br /><br />試合は前半はベルマーレの一方的なペースも後半開始直後にサンガのウタカ(Utaka)が決めて先制。しかし、後半25分にベルマーレも町野が決めて追い付き、最後はサンガが1人退場者を出しながら耐えて1-1のドローに終わった。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7383602788376348&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />試合終了が遅れて5時5分を過ぎたが、さっさと駅に戻り、20分過ぎにレンタサイクルを返却5時29分の東海道線下り電車に乗車(下の写真2)。沼津で乗り継ぎ7時半過ぎに静岡駅に戻る。<br /><br />到着後、今日こそは美味しい魚を食べながら一杯と思ってたのだが、考えてみれば昨日の店もそうだったのだが、駅周りの店何軒も回るが、みんな8時でオーダーストップと云うことで、参った。想定外やったわ・・・ そう云えば、まだこの時期はコロナ禍の影響、大きかったんや・・・<br /><br />と云うことで、結局はコンビニで買ったビールや弁当をホテルの部屋で食べると云うわびしい夕食になった。そんなことが分かってれば、平塚かどっかで食べてくればよかったと思っても時すでに遅し・・・<br /><br /><br />以上で、2日目終了。3日目に続く

神奈川 平塚八幡宮(Hiratsuka Hachimangu Shrine,Kanagawa,Japan)

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2022/03/12 - 2022/03/12

748位(同エリア807件中)

旅行記グループ 静岡・平塚

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月12日(土)1時50分頃、豚バラ定食の昼食を食べて平塚八幡宮へ移動する。平塚駅の北、旧東海道の北側を並行して東西に走る国道1号線の北側にある。境内東側が八幡山公園となっており、裏手には平塚市役所、平塚市博物館、平塚市美術館がある。

かつての平塚新宿・八幡村・馬入村、3村の鎮守で、相模国の第5の宮。古墳時代、仁徳天皇の時代(380年)に創建され、古くは鶴峯山八幡宮と云われ、誉田別尊、神功皇后、武内宿禰を祀る。一国一社の八幡宮、鎮地大神とも称えられた。1192年には源頼朝が妻の懐妊祝いに神馬を奉納した。

戦国時代の1566年に北条氏康が陣所を置いたため武田信玄によって焼かれたが、安土桃山から江戸時代に掛けての慶長年間(1596年から1615年)に徳川家康によって再建された。1873年(明治6年)に社名を八幡神社とし、1978年に平塚八幡宮に改称。現在の祭神は応神天皇、神功皇后、武内宿禰命の3柱。

国道一号沿い、まずは南東角に車御祓所の鳥居がある。その少し西に堂々たる赤い一の鳥居。そして、一の鳥居を抜けるとすぐに西御池と東御池の間に架かる石橋を渡る。東御池には中島があり、橋の先から小橋が架かる。中島には鶴峯山稲荷社が祀られている。1953年に鎮座されたもので、元宮は八幡宮の北東、八幡地区の八坂神社境内の川余稲荷で、氏子の願いによって分霊された。鶴峯山は平塚八幡宮の古称。

そのまま北に表参道を進むとおみくじ掛けに手水舎。おみくじ掛けは木の周りを干支を記した立て看板が囲んでいる。表参道の上には何なのかは分からなかったが、飾り付けが並んで綺麗。表参道の奥は二の鳥居。かつて、この鳥居は東海道沿いに建っていたもの。江戸中期の1765年の建立で、幕末の1860年に再建されている。

二の鳥居を抜けると正面に拝殿・幣殿・本殿を連結した権現造の御殿。1928年の建立。御殿手前の左側には2020年に建てられた神厩舎があり、2019年5月生まれの神馬皐月がいる。2019年11月に天皇陛下御即位奉祝記念事業の一環として岐阜の高山市からやってきた牝馬。

御殿の反対側、右手には神明社・若宮社・諏訪社が並ぶ。神明社は祭神が天照大御神、事代主神、徳川家康公で、ご利益は出世・商売繁盛。若宮社は祭神が仁徳天皇で、ご利益は子育・子供の守り神、そして諏訪社の祭神は建御名方神で、ご利益は開運・交通安全。

御殿は右手の奥から「うらまいり」で裏側を廻ることが出来る。廻っていくとまずは北参道があり北参道の鳥居が建っている。御殿のちょうど裏側に拝所がある。本殿が迫っており、神様に一番近い位置でお参り戴けるとのこと。

御殿を廻りこんで戻って来ると太子堂、忠魂碑、日露戰役記念碑、浅間社、道祖神が並ぶ。太子堂は聖徳太子をお祀りしたもの。

忠魂碑には西南戦争1柱、日清戦争1柱、北清事変1柱、日露戦争4柱の計7柱の英霊が刻まれており、その後の満州事変から太平洋戦争までの326柱の英霊も合祀されている。1928年(昭和3年)に弁財天社の奥に建立されたもので、2015年に現在地に移された。日露戰役記念碑は1909年(明治42年)に一の鳥居の右手に建てられたものだが、忠魂碑と同時期にここに移された。

浅間社は木花開耶姫命(このはなのさくやひめ)をお祀りするもので、安産・女性の守り神。八幡宮のすぐ西にある崇善小学校近くの浅間山から遷祀されたもの。地区名「浅間町」の由来とされる。なお、今の社は、江戸末期の1848年に再建されたもの。道祖神は疫病・性病除けの神。

御殿の左手には大小の神輿が納められた神輿殿と、人形感謝祭で引き取られた人形が飾られたスペースが作られていた。

西御池の方に戻っていくとお金を浄めることができる浄銭池があり、奥の龍の口から水が流れ出している。池の中にある聖願臼はお金を洗うためのもの? 池の中に入らないと近づけないが・・・

西御池へ進むと平塚弁財天社がある。市杵嶋姫命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしている。2011年に市北部、岡崎地区の駒形神社境内の弁財天社より分霊し勧請したもの。「湘南ひらつか七福神」の弁財天とされる。この道は西参道で、鳥居をくぐって境内を後にする。

最初に書いたように境内東側が八幡山公園となっているが、通り掛かりに見上げると立派な洋館が建っている。八幡山の洋館と呼ばれる旧横浜ゴム平塚製造所記念館。元々は八幡宮の北側一帯に1907年(明治40年)に完成した日本火薬製造(日本爆発物製造)の火薬製造所の英国人支配人の執務室あるいは住居として建設された。1911年(明治44年)に火災で焼失し再建されたとも云われる。いずれにせよ平塚市内では唯一、神奈川県内でも数少ない明治時代の洋風建造物。

1919年(大正8年)に製造所は海軍が買収し、海軍火薬廠となり、この建物は高等官クラブ(横須賀水交社平塚集会所)として使用される。戦後、米軍により接収され、1950年(昭和25年)に横浜ゴムが、本建物を含む一部敷地の払い下げを受ける。この建物は主に応接室や会議室として使用されたが、2004年に平塚市へ無償贈与され、八幡山公園に移築され、今後の保存と活用のため復元された。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9950829471653654&type=1&l=223fe1adec

2時過ぎ、八幡山公園の1㎞ほど北にある平塚市総合公園へ。元々は旧農林省の果樹試験場本場があったところで、筑波研究学園都市へ移転後に平塚市立の都市公園として整備された。1991年完成。なお、さらに遡れば上述の海軍火薬廠の一部だった。

公園内には、本格的なスポーツ施設として平塚球場、平塚競技場、平塚総合体育館、温水プール、テニスコートが整備され、子供向け施設のふれあい動物園や、木製遊具のあるわんぱく広場、その他に日本庭園、さくらの広場などがある。球場と競技場の間にある流れの広場は大きな岩の形をした噴水のある池など約110mあり、3月始めと云うのに小さな子供たちで大賑わいだった。

平塚競技場は1987年開場の平塚市が所有・運営管理する陸上競技場・球技場。2021年から首都圏と静岡県を中心にLPガスやガス機器の販売を行うレモンガス(株)が命名権を獲得し、レモンガススタジアム平塚(略称:レモンS)と呼ばれる。それ以前はBMW JAPANの正規ディーラーのモトーレン東洋が命名権を取得して、Shonan BMWスタジアム平塚(略称:BMWス)と呼ばれていた。

トラックは全天候舗装、400m×8レーンで日本陸上競技連盟第2種公認。2010年にオーロラビジョンが設置された。現在の収容人員は15,690人。屋根はメインスタンドの中央付近にのみ設置で、Jリーグからの是正勧告を受けているが具体化してない。

東京に住んでた間の2007年に2回来たことがある。J2だったベルマーレの試合で、1試合はサンガ戦でサンガが4-2で勝った。もう1試合はセレッソ戦でベルマーレが2-1で勝った。ちなみにサンガはこの年J2 3位で、J1 16位のサンフレッチェとの入替戦を制してJ1に昇格した。

3時から、このスタジアムでは2回目となる湘南ベルマーレ対京都サンガF.C.の試合を観戦。ベルマーレ(Bellmare)は1994年にフジタ工業サッカー部を前身としてベルマーレ平塚の名称でJリーグへ加盟。2000年に湘南ベルマーレへクラブ名称を変更した。チーム名はラテン語の美しい(bellum、ベルム)と海(Mare、マーレ)の2つの単語を合わせた造語。

湘南は一般的には相模川の河口を中心とする平塚市、藤沢市、茅ヶ崎市、秦野市、伊勢原市、寒川町、大磯町、二宮町の5市3町を指すが、ベルマーレの現在のホームタウンはこれらに加えて厚木市、小田原市、鎌倉市、南足柄市、中井町、大井町、松田町、山北町、開成町、箱根町、真鶴町、湯河原町の合計9市11町となっている。

前身のフジタ工業(その前身は藤和不動産)時代はリーグ優勝3回、天皇杯優勝2回。ベルマーレとなった後も天皇杯とJリーグカップをそれぞれ1回制している。天皇杯優勝の翌年はアジアカップウィナーズカップも制している。J2優勝は2回。中田英寿が高校卒業後の1995年からペルージャ(Perugia)移籍まで所属した。GKの小島伸幸、FWの野口幸司に町野修斗、DFの岩本輝雄に名良橋晃、MFの遠藤航などが在籍。

試合は前半はベルマーレの一方的なペースも後半開始直後にサンガのウタカ(Utaka)が決めて先制。しかし、後半25分にベルマーレも町野が決めて追い付き、最後はサンガが1人退場者を出しながら耐えて1-1のドローに終わった。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.7383602788376348&type=1&l=223fe1adec

試合終了が遅れて5時5分を過ぎたが、さっさと駅に戻り、20分過ぎにレンタサイクルを返却5時29分の東海道線下り電車に乗車(下の写真2)。沼津で乗り継ぎ7時半過ぎに静岡駅に戻る。

到着後、今日こそは美味しい魚を食べながら一杯と思ってたのだが、考えてみれば昨日の店もそうだったのだが、駅周りの店何軒も回るが、みんな8時でオーダーストップと云うことで、参った。想定外やったわ・・・ そう云えば、まだこの時期はコロナ禍の影響、大きかったんや・・・

と云うことで、結局はコンビニで買ったビールや弁当をホテルの部屋で食べると云うわびしい夕食になった。そんなことが分かってれば、平塚かどっかで食べてくればよかったと思っても時すでに遅し・・・


以上で、2日目終了。3日目に続く

  • 写真1 八幡山の洋館

    写真1 八幡山の洋館

  • 写真2 平塚駅下り線ホーム

    写真2 平塚駅下り線ホーム

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