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2022年3月12日(土)12時50分過ぎ、東海道平塚宿の京方見附跡より少し北東にある春日神社へ。創祀年代等は不明。かつては黒部宮と号して花水川左岸の十間坂に鎮座していたが、津波による海岸線の浸入で現在地に移転したと伝えられる。<br /><br />鎌倉時代の始め、1191年に源頼朝が馬入川の橋供養の祈願所に定め、翌年、夫人・北条政子の安産祈願のため神馬を奉納したと伝えられる。江戸期には平塚宿の鎮守として祀られ、1649年には江戸幕府より社領6石の御朱印状を受領した。<br /><br />明治初年の神仏分離令が出るまでは、平塚山廣藏寺と神仏習合であったことから、境内に鐘楼があるのが特徴。祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのかみ)と比売神(ひめのかみ)の春日四神を祀る。<br /><br />南面して建つ石造りの一ノ鳥居は1932年(昭和7年)建立のもの。入ってすぐ左手の手水舎の前には平塚宿鎮守と刻まれた社標柱が建つ。左手社務所の奥にニノ鳥居。こちらは1997年建立と新しい。右手には上述したように鐘楼が建つ。ニノ鳥居を受けた先に拝殿のある社殿。<br /><br />ニノ鳥居前の石製狛犬は幕末の1843年建立のもので、石工は江戸高砂町河岸の井筒屋千太郎。向かって右側の阿形像は子獅子に乳を飲ませ、左側の吽形像は子獅子を抱く体となっており、変化に富んだその像容は江戸時代後期の特徴を表すと共に市内に現存する狛犬の中でも秀逸なものの一つとなっている。<br /><br />境内には摂社・末社が多い。右手の春日稲荷神社は家の相続・繁栄と火難除・盗難除などとして信仰されたもので、1985年に復元・復興された。社殿の右手奥には春日龍宮社と春日龍王神社。龍宮社は水の神として宗像3女神を祀る。龍王神社は別当寺である平塚山廣蔵寺の火事で焼失した山の龍神を復興・再建したもの。<br /><br />社殿の左手にはまとめて復興された3摂社と7末社。摂社は山王神社、疱瘡神社、妙義神社で、末社は金毘羅社、住吉神社、御嶽神社、幸神社、道祖神社、白山神社と黒部宮。社殿の左手奥には春日天満宮と毘沙門堂。さらに奥の厄割石は社務所で売ってるカワラケに息を吹きかけて、この石にぶつけて割ると厄が払われるとのこと。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9950784638324804&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />春日神社を出て、前の道を東へ辿ると西仲町公園を挟んで平塚の塚緑地がある。平成初期に造られた比較的新しい公園だが、ここが平塚の最初の説明で書いたようにこの地で亡くなった高見王の娘政子(真砂子)の棺が埋葬された場所で、後に塚上の平らな姿から地名「平塚」が起こった地名発祥の地とされる。改めて書くが、高見王は桓武天皇の三代孫で、この出来事が起こったのは平安時代の857年。<br /><br />平塚の塚緑地の碑が建つ横の門を入ると、突き当りの右側が石造りの囲いに囲まれた高さ1mほどの塚になっており、そこに平塚の碑が建っている。傍らの松の巨木は、政子が葬られて以来三代目とされる。<br /><br />その左側には1957年(昭和32年)に1100年祭に際し建立された平塚市長戸川貞雄揮毫による由来碑と、1920年(大正9年)に建てられた神奈川県知事有吉忠一撰文、徳川頼倫題額揮毫の平塚碑がある。<br /><br />この緑地の東側と北側は松雲山要法寺の敷地になっているが、共に元々は鎌倉幕府執権・北条泰時の次男の北条泰知(平塚左衛門尉泰知)の宅地だった。泰知は1282年に身延山久遠寺から池上本門寺に向かう日蓮上人を屋敷にお迎えし、館を献上して寺とした。その後廃絶するが、安土桃山時代に身延山久遠寺17世の日新が再興した。<br /><br />緑地前を東に進んだところにある山門を入ると正面に本堂がある。鉄筋コンクリート造なので、近年の建立。本堂に向かって右手には「久遠慈愛」観音や十三重石塔、毘沙門尊天像、子育地蔵尊などが建っている。毘沙門尊天像は湘南ひらつか七福神の一つ。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9950798494990085&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />1時を過ぎたので、昼を食べることとする。行こうと思ってた店がこれもコロナ禍の所為か開いてなかったので、良さそうなところを探して回り、旧東海道の湘南スターモールの駅前近くの北海道十勝豚丼なまらうまいっしょ!平塚駅北口店へ。<br /><br />平塚で、何故北海道十勝豚丼とも思ったが、聞いたことない店だし食べてみることとにしたら、完全に神奈川ローカルのチェーンだったようで、まあ良かった。2009年に本厚木店をオープンし、現在は県内に6店舗。平塚駅北口店は2014年に3店舗目としてオープン。<br /><br />2007年に統括店長を務める宮崎裕之さんが北海道をバイクで旅をしていた時に、たまたま立ち寄った店で豚丼を食べたのがきっかけだそうで、「なまら うまいっしょ」北海道の方言で「とても おいしい」と云う意味。<br /><br />豚丼は北海道十勝地方・帯広の名物料理。 昭和初期に帯広市内の食堂で炭火であぶった豚肉に鰻の蒲焼き風の甘辛いたれをかけ、ご飯にのせて作ったのが始まりと云う。 この店の肉は国産リブロースや上バラ肉を使い、チルドで仕入れる。コメはコシノヒカリ、炭は備長炭に加え、専用のたれを使うそうだ。<br /><br />ランチ限定メニューの国産豚バラ焼定食836円を食べる。結構な量の豚バラ焼肉にたっぷりのキャベツ、ネギと削り節が乗った冷やっこに、ご飯とみそ汁。甘辛タレのキャベツも冷ややっこも美味しかった。これは正解やったな。肉も<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9950811811655420&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />平塚八幡宮からレモンガススタジアムへ向かうが、続く

神奈川 平塚 春日神社・平塚の塚・要法寺(Hiratsuka Mound,Kanagawa,Japan)

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2022/03/12 - 2022/03/12

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月12日(土)12時50分過ぎ、東海道平塚宿の京方見附跡より少し北東にある春日神社へ。創祀年代等は不明。かつては黒部宮と号して花水川左岸の十間坂に鎮座していたが、津波による海岸線の浸入で現在地に移転したと伝えられる。

鎌倉時代の始め、1191年に源頼朝が馬入川の橋供養の祈願所に定め、翌年、夫人・北条政子の安産祈願のため神馬を奉納したと伝えられる。江戸期には平塚宿の鎮守として祀られ、1649年には江戸幕府より社領6石の御朱印状を受領した。

明治初年の神仏分離令が出るまでは、平塚山廣藏寺と神仏習合であったことから、境内に鐘楼があるのが特徴。祭神は天児屋根命(あめのこやねのみこと)、武甕槌命(たけみかづちのみこと)、経津主命(ふつぬしのかみ)と比売神(ひめのかみ)の春日四神を祀る。

南面して建つ石造りの一ノ鳥居は1932年(昭和7年)建立のもの。入ってすぐ左手の手水舎の前には平塚宿鎮守と刻まれた社標柱が建つ。左手社務所の奥にニノ鳥居。こちらは1997年建立と新しい。右手には上述したように鐘楼が建つ。ニノ鳥居を受けた先に拝殿のある社殿。

ニノ鳥居前の石製狛犬は幕末の1843年建立のもので、石工は江戸高砂町河岸の井筒屋千太郎。向かって右側の阿形像は子獅子に乳を飲ませ、左側の吽形像は子獅子を抱く体となっており、変化に富んだその像容は江戸時代後期の特徴を表すと共に市内に現存する狛犬の中でも秀逸なものの一つとなっている。

境内には摂社・末社が多い。右手の春日稲荷神社は家の相続・繁栄と火難除・盗難除などとして信仰されたもので、1985年に復元・復興された。社殿の右手奥には春日龍宮社と春日龍王神社。龍宮社は水の神として宗像3女神を祀る。龍王神社は別当寺である平塚山廣蔵寺の火事で焼失した山の龍神を復興・再建したもの。

社殿の左手にはまとめて復興された3摂社と7末社。摂社は山王神社、疱瘡神社、妙義神社で、末社は金毘羅社、住吉神社、御嶽神社、幸神社、道祖神社、白山神社と黒部宮。社殿の左手奥には春日天満宮と毘沙門堂。さらに奥の厄割石は社務所で売ってるカワラケに息を吹きかけて、この石にぶつけて割ると厄が払われるとのこと。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9950784638324804&type=1&l=223fe1adec

春日神社を出て、前の道を東へ辿ると西仲町公園を挟んで平塚の塚緑地がある。平成初期に造られた比較的新しい公園だが、ここが平塚の最初の説明で書いたようにこの地で亡くなった高見王の娘政子(真砂子)の棺が埋葬された場所で、後に塚上の平らな姿から地名「平塚」が起こった地名発祥の地とされる。改めて書くが、高見王は桓武天皇の三代孫で、この出来事が起こったのは平安時代の857年。

平塚の塚緑地の碑が建つ横の門を入ると、突き当りの右側が石造りの囲いに囲まれた高さ1mほどの塚になっており、そこに平塚の碑が建っている。傍らの松の巨木は、政子が葬られて以来三代目とされる。

その左側には1957年(昭和32年)に1100年祭に際し建立された平塚市長戸川貞雄揮毫による由来碑と、1920年(大正9年)に建てられた神奈川県知事有吉忠一撰文、徳川頼倫題額揮毫の平塚碑がある。

この緑地の東側と北側は松雲山要法寺の敷地になっているが、共に元々は鎌倉幕府執権・北条泰時の次男の北条泰知(平塚左衛門尉泰知)の宅地だった。泰知は1282年に身延山久遠寺から池上本門寺に向かう日蓮上人を屋敷にお迎えし、館を献上して寺とした。その後廃絶するが、安土桃山時代に身延山久遠寺17世の日新が再興した。

緑地前を東に進んだところにある山門を入ると正面に本堂がある。鉄筋コンクリート造なので、近年の建立。本堂に向かって右手には「久遠慈愛」観音や十三重石塔、毘沙門尊天像、子育地蔵尊などが建っている。毘沙門尊天像は湘南ひらつか七福神の一つ。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9950798494990085&type=1&l=223fe1adec

1時を過ぎたので、昼を食べることとする。行こうと思ってた店がこれもコロナ禍の所為か開いてなかったので、良さそうなところを探して回り、旧東海道の湘南スターモールの駅前近くの北海道十勝豚丼なまらうまいっしょ!平塚駅北口店へ。

平塚で、何故北海道十勝豚丼とも思ったが、聞いたことない店だし食べてみることとにしたら、完全に神奈川ローカルのチェーンだったようで、まあ良かった。2009年に本厚木店をオープンし、現在は県内に6店舗。平塚駅北口店は2014年に3店舗目としてオープン。

2007年に統括店長を務める宮崎裕之さんが北海道をバイクで旅をしていた時に、たまたま立ち寄った店で豚丼を食べたのがきっかけだそうで、「なまら うまいっしょ」北海道の方言で「とても おいしい」と云う意味。

豚丼は北海道十勝地方・帯広の名物料理。 昭和初期に帯広市内の食堂で炭火であぶった豚肉に鰻の蒲焼き風の甘辛いたれをかけ、ご飯にのせて作ったのが始まりと云う。 この店の肉は国産リブロースや上バラ肉を使い、チルドで仕入れる。コメはコシノヒカリ、炭は備長炭に加え、専用のたれを使うそうだ。

ランチ限定メニューの国産豚バラ焼定食836円を食べる。結構な量の豚バラ焼肉にたっぷりのキャベツ、ネギと削り節が乗った冷やっこに、ご飯とみそ汁。甘辛タレのキャベツも冷ややっこも美味しかった。これは正解やったな。肉も
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平塚八幡宮からレモンガススタジアムへ向かうが、続く

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