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2022年3月13日(日)朝の10時前、掛川城の竹の丸の向い(南側)にある大日本報徳社へ。二宮尊徳の報徳思想を信条とする日本の公益社団法人で、全国44の報徳社を統括している。1875年(明治8年)設立の遠江国報徳社を起源とし、1909年(明治44年)に設立。ここに本部を置いている。<br /><br />報徳思想とは、小田原藩家老家の財政改革や下野国桜町の農村復興運動を指揮した二宮尊徳が、自身の思想を体系化した経済学説・思想の一つ。彼が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した豊かに生きるための知恵。<br /><br />経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説いている。神仏儒を、究極的には一つにいたる異なる道に過ぎないと位置づけ、神仏儒それぞれの概念を自由に組み合わせて説かれている。そのため、報徳の教えを報徳教と呼ぶことがあっても宗教を意味するものではない。<br /><br />ちなみに、高校野球の強豪である兵庫県の報徳学園はこの思想の実践者であった大江市松が創立した学校で、徳を以って徳に報いる一円融合の和の精神をもとに、ヒューマニズム豊かな個性ある人間形成を教育目標としている。<br /><br />二宮尊徳(金治郎、金次郎)は江戸時代後期の経世家、農政家、思想家。江戸後期の1787年に現在の小田原市栢山で、裕福な百姓の長男として生まれる。1818年に小田原藩家老服部家の家政改革を託され、財政改革を行う。さらに1837年からの小田原藩領下野(しもつけ)桜町の農村復興にも成功。<br /><br />二宮金次郎と云えば、私には小学校の銅像。私が通った小学校にもあったし、今でも近所の小学校にも建ってる。薪を背負いながら本を読んで歩く姿は、自主的に国家に献身・奉公する国民の育成を目的とした戦前の国の施策により全国に普及し1000体以上が建てられたとも云う。近年モンペアにスマホ歩きを増長するとか、訳の分からないいちゃもんを付けられて撤去されたものも多いとか・・・<br /><br />これらの経験をもとに報徳仕法とよばれる独自の農村改良策をもって小田原ほか烏山・下館・相馬各藩の疲弊した農村約600村を再建した。ついで1853年日光神領の立直しに取かかりるが、奔走中に没した。その思想と業績は明治以後も報徳社が受け継いだ。<br /><br />この一帯は江戸時代までは掛川藩士の屋敷があった。廃藩置県後に二宮尊徳の弟子の岡田良一郎が1879年(明治11年)に設立した掛川農学社の所有地となり、現在大講堂のある場所は農学社学寮が建てられ、周辺に無尽蔵舎、土蔵などが建てられた。<br /><br />1885年(明治17年)この農学社が遠江国報徳社の第3館となり、上述のように1924年(明治44年)に大日本報徳社となり、ここが本部となった。<br /><br />二の丸美術館とステンドグラス美術館の間に面した西側からも入れるが、敷地の東側にある門が正門。道徳門・経済門と刻まれている正門左右の門柱は1909年(明治42年)の建立。道徳と経済の調和した社会づくりをめざす、報徳の教えを象徴している。静岡県の指定文化財。<br /><br />正門を抜けた正面に建っているのが大講堂。大日本報徳社の中心的な建物。1903年(明治36年)に遠江国報徳社 農学社公会堂として建てられたもの。公会堂として建てられた建物としては日本で2番目の建築で、現存する公会堂としては最古の建築物。国の重要文化財に指定されている。<br /><br />日本瓦の大屋根、漆喰塗りの外壁、洋風の丸みのある窓等、荘厳な重みが感じられる和洋折衷の建物。基本は木造2階建ての和風建築で、内部は周囲に廊下をめぐらせ、1階には81畳の大広間、正面に演壇が設けられている。2階は吹き抜けになっており、洋風の造りで周囲がギャラリー(観覧席)となっている。現在でも常会や講演会、研修会等に使用され、報徳精神の普及に大きな役割を果たしている。<br /><br />大講堂の右手、北側に建つのが仰徳学寮。1884年(明治17年)に旧有栖川宮熾仁親王邸の侍女部屋として建てられ、1904年(明治37年)からは霞が関離宮の一部になっていた。1924年(大正13年)からは帝室林野局仮庁舎として使われ、1938年(昭和13年)に宮内省から下賜され、ここに移築された。一時は1階を小講堂と食堂、2階を宿舎として使用していたが、現在は事務所や会議室として使われている。県指定文化財。<br /><br />その右手に建つのは冀北学舎。元々は1877年(明治10年)に岡田良一郎が自邸に開いた私塾の建物だったのを1899年(明治32年)にこの地に移築した。これも県指定文化財。岡田の開いた私塾は明治時代から大正・昭和にかけて活躍した人材を多数育て、のちの掛川西高校の源流となった。<br /><br />大講堂の入口右手横にはお得意の薪を背負った二宮金次郎像があるが、反対側の左手に続く建物の前には晩年の姿の二宮先生像もある。横に咲くかけがわさくらも美しい(下の写真1)。<br /><br />その二宮先生像の後ろ(西)に建つのが仰徳記念館。1884年(明治17年)に霞ヶ関の有栖川宮熾仁親王邸日本館の御座所として建てられたものの一部。その後は霞ヶ関離宮、東宮仮御所、宮内省帝室林野局仮宿舎として利用され、1938年(昭和13年)に宮内庁から下賜され現在地に移築。<br /><br />建物は木造平屋建て、寄棟、平入、桟瓦葺き、数寄屋風。正面14.5間、奥行3間の本体に廊下が取り付く。右側面は吹き放しの板張り廊下で大講堂につながる。上屋部分は3室に分かれている昭和初期に建てられた宮家邸宅建築の遺構として貴重な事から、県指定文化財に指定されている。<br /><br />そして、敷地の一番南に建つのが淡山翁記念報徳図書館。1927年(昭和2年)に岡田良一郎の功績を讃え、遺徳を伝えるために建てられたRC構造の洋風の建物。報徳の教えを伝える重要な図書や資料が保管されている。淡山は岡田良一郎の号名。1952年(昭和27年)から1969年(昭和44年)に掛けては掛川市立(1954年までは町立)図書館として使われた。これも県指定文化財。<br />&lt;https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10019860458083888&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br />淡山翁記念報徳図書館と道を挟んで2002年に開館した掛川市立中央図書館があるが、その前にも二宮金次郎の像が建っている。2015年に度「元掛川市長榛村純一氏銅像建立発起人会並びに募金者一同」から寄進を受けて建立されたもので、掛川駅北口の二宮金次郎像の作者である藤枝市在住の彫刻家松田裕康氏の作品(下の写真2)。<br /><br />10時、帰路に就く。10分余りで駅に戻り、10時17分の豊橋行に乗車(下の写真3)。豊橋で新快速に乗り換え、静岡駅を出る前に買った駅弁でお昼(下の写真4)。さらに大垣、米原、京都で乗り継いで、3時半過ぎに山城青谷に戻った。4時前に無事帰宅(下の写真5)。<br /><br /><br />以上で、静岡・平塚の旅、終了

静岡 掛川 大日本報徳社(Dainippon Hotokusya,Kakegawa,Shizuoka,Japan)

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2022/03/13 - 2022/03/13

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月13日(日)朝の10時前、掛川城の竹の丸の向い(南側)にある大日本報徳社へ。二宮尊徳の報徳思想を信条とする日本の公益社団法人で、全国44の報徳社を統括している。1875年(明治8年)設立の遠江国報徳社を起源とし、1909年(明治44年)に設立。ここに本部を置いている。

報徳思想とは、小田原藩家老家の財政改革や下野国桜町の農村復興運動を指揮した二宮尊徳が、自身の思想を体系化した経済学説・思想の一つ。彼が独学で学んだ神道・仏教・儒教などと、農業の実践から編み出した豊かに生きるための知恵。

経済と道徳の融和を訴え、私利私欲に走るのではなく社会に貢献すれば、いずれ自らに還元されると説いている。神仏儒を、究極的には一つにいたる異なる道に過ぎないと位置づけ、神仏儒それぞれの概念を自由に組み合わせて説かれている。そのため、報徳の教えを報徳教と呼ぶことがあっても宗教を意味するものではない。

ちなみに、高校野球の強豪である兵庫県の報徳学園はこの思想の実践者であった大江市松が創立した学校で、徳を以って徳に報いる一円融合の和の精神をもとに、ヒューマニズム豊かな個性ある人間形成を教育目標としている。

二宮尊徳(金治郎、金次郎)は江戸時代後期の経世家、農政家、思想家。江戸後期の1787年に現在の小田原市栢山で、裕福な百姓の長男として生まれる。1818年に小田原藩家老服部家の家政改革を託され、財政改革を行う。さらに1837年からの小田原藩領下野(しもつけ)桜町の農村復興にも成功。

二宮金次郎と云えば、私には小学校の銅像。私が通った小学校にもあったし、今でも近所の小学校にも建ってる。薪を背負いながら本を読んで歩く姿は、自主的に国家に献身・奉公する国民の育成を目的とした戦前の国の施策により全国に普及し1000体以上が建てられたとも云う。近年モンペアにスマホ歩きを増長するとか、訳の分からないいちゃもんを付けられて撤去されたものも多いとか・・・

これらの経験をもとに報徳仕法とよばれる独自の農村改良策をもって小田原ほか烏山・下館・相馬各藩の疲弊した農村約600村を再建した。ついで1853年日光神領の立直しに取かかりるが、奔走中に没した。その思想と業績は明治以後も報徳社が受け継いだ。

この一帯は江戸時代までは掛川藩士の屋敷があった。廃藩置県後に二宮尊徳の弟子の岡田良一郎が1879年(明治11年)に設立した掛川農学社の所有地となり、現在大講堂のある場所は農学社学寮が建てられ、周辺に無尽蔵舎、土蔵などが建てられた。

1885年(明治17年)この農学社が遠江国報徳社の第3館となり、上述のように1924年(明治44年)に大日本報徳社となり、ここが本部となった。

二の丸美術館とステンドグラス美術館の間に面した西側からも入れるが、敷地の東側にある門が正門。道徳門・経済門と刻まれている正門左右の門柱は1909年(明治42年)の建立。道徳と経済の調和した社会づくりをめざす、報徳の教えを象徴している。静岡県の指定文化財。

正門を抜けた正面に建っているのが大講堂。大日本報徳社の中心的な建物。1903年(明治36年)に遠江国報徳社 農学社公会堂として建てられたもの。公会堂として建てられた建物としては日本で2番目の建築で、現存する公会堂としては最古の建築物。国の重要文化財に指定されている。

日本瓦の大屋根、漆喰塗りの外壁、洋風の丸みのある窓等、荘厳な重みが感じられる和洋折衷の建物。基本は木造2階建ての和風建築で、内部は周囲に廊下をめぐらせ、1階には81畳の大広間、正面に演壇が設けられている。2階は吹き抜けになっており、洋風の造りで周囲がギャラリー(観覧席)となっている。現在でも常会や講演会、研修会等に使用され、報徳精神の普及に大きな役割を果たしている。

大講堂の右手、北側に建つのが仰徳学寮。1884年(明治17年)に旧有栖川宮熾仁親王邸の侍女部屋として建てられ、1904年(明治37年)からは霞が関離宮の一部になっていた。1924年(大正13年)からは帝室林野局仮庁舎として使われ、1938年(昭和13年)に宮内省から下賜され、ここに移築された。一時は1階を小講堂と食堂、2階を宿舎として使用していたが、現在は事務所や会議室として使われている。県指定文化財。

その右手に建つのは冀北学舎。元々は1877年(明治10年)に岡田良一郎が自邸に開いた私塾の建物だったのを1899年(明治32年)にこの地に移築した。これも県指定文化財。岡田の開いた私塾は明治時代から大正・昭和にかけて活躍した人材を多数育て、のちの掛川西高校の源流となった。

大講堂の入口右手横にはお得意の薪を背負った二宮金次郎像があるが、反対側の左手に続く建物の前には晩年の姿の二宮先生像もある。横に咲くかけがわさくらも美しい(下の写真1)。

その二宮先生像の後ろ(西)に建つのが仰徳記念館。1884年(明治17年)に霞ヶ関の有栖川宮熾仁親王邸日本館の御座所として建てられたものの一部。その後は霞ヶ関離宮、東宮仮御所、宮内省帝室林野局仮宿舎として利用され、1938年(昭和13年)に宮内庁から下賜され現在地に移築。

建物は木造平屋建て、寄棟、平入、桟瓦葺き、数寄屋風。正面14.5間、奥行3間の本体に廊下が取り付く。右側面は吹き放しの板張り廊下で大講堂につながる。上屋部分は3室に分かれている昭和初期に建てられた宮家邸宅建築の遺構として貴重な事から、県指定文化財に指定されている。

そして、敷地の一番南に建つのが淡山翁記念報徳図書館。1927年(昭和2年)に岡田良一郎の功績を讃え、遺徳を伝えるために建てられたRC構造の洋風の建物。報徳の教えを伝える重要な図書や資料が保管されている。淡山は岡田良一郎の号名。1952年(昭和27年)から1969年(昭和44年)に掛けては掛川市立(1954年までは町立)図書館として使われた。これも県指定文化財。
<https://www.facebook.com/media/set/?set=a.10019860458083888&type=1&l=223fe1adec

淡山翁記念報徳図書館と道を挟んで2002年に開館した掛川市立中央図書館があるが、その前にも二宮金次郎の像が建っている。2015年に度「元掛川市長榛村純一氏銅像建立発起人会並びに募金者一同」から寄進を受けて建立されたもので、掛川駅北口の二宮金次郎像の作者である藤枝市在住の彫刻家松田裕康氏の作品(下の写真2)。

10時、帰路に就く。10分余りで駅に戻り、10時17分の豊橋行に乗車(下の写真3)。豊橋で新快速に乗り換え、静岡駅を出る前に買った駅弁でお昼(下の写真4)。さらに大垣、米原、京都で乗り継いで、3時半過ぎに山城青谷に戻った。4時前に無事帰宅(下の写真5)。


以上で、静岡・平塚の旅、終了

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  • 写真1 二宮先生像とかけがわさくら

    写真1 二宮先生像とかけがわさくら

  • 写真2 掛川市立中央図書館前の二宮金次郎の像

    写真2 掛川市立中央図書館前の二宮金次郎の像

  • 写真3 掛川駅にて豊橋行

    写真3 掛川駅にて豊橋行

  • 写真4 静岡駅幕の内弁当

    写真4 静岡駅幕の内弁当

  • 写真5 この旅のお土産

    写真5 この旅のお土産

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