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2022年3月13日(日)朝の9時過ぎ、掛川城天守閣から二の丸に降りて来る。1861年に再建された御殿が現存しており、内部を見学できる。御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務を司る役所という3つの機能を合わせ持った施設。<br /><br />現存する城郭御殿としては、京都の二条城など全国で4ヶ所しかない貴重な建築物。特に二の丸御殿が残っているのは二条城と掛川城しかない。書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋は襖で仕切られている。<br /><br />当初は本丸に作られたが、老朽化や被災により二の丸に移った。現存する御殿は、1854年の安政東海地震で倒壊した後、時の城主太田資功によって、その翌年から1861年に掛けて再建されたもの。<br /><br />1855年から1869年(明治2年)までの14年間は掛川藩の政務所として使われたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用される。廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学所となり、その後も、女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けた。<br /><br />1972年から75年まで、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建物として保存修理が実施され、1980年に国の重要文化財に指定された。<br /><br />この御殿は7棟からなる書院造で、部屋はそれぞれの用途に応じ約20部屋に分かれている。最も重要な対面儀式が行われる書院棟は、主室の御書院上の間と謁見者の控える次の間・三の間からなる。藩主の公邸の小書院棟は、藩主執務室である小書院と、藩主の居間として使われた長囲炉裏の間からなる。<br /><br />東側は藩政をつかさどる諸役所の建物で、目付・奉行などの役職の部屋、警護の詰所、帳簿付けの賄方、書類の倉庫である御文証などがある。小書院棟の北側には勝手台所があったが明治時代に撤去された。<br /><br />南東部にある式台玄関から内部に入る。江戸時代には身分によって入口が異なっており、この式台玄関を利用出来たのは藩主と城代家老のみで、他の家老や中級武士は式台玄関の東側から、下級武士の足軽は北側の土間から出入りしていた。<br /><br />玄関はむくり屋根で威厳を示し、破風下には火伏せの蕪懸魚が付けられている。中の広間には徳川家康と山内一豊の甲冑が並んで飾られている。この2ヶ月ほど前(2022年1月)に、御殿の奥にある二の丸茶室で将棋の王将戦の第1局が行われたが、スポーツ紙の正月版で王将戦PRのために渡辺明三冠と藤井聡太四冠がこの甲冑を着用し話題になった。<br /><br />玄関広間の左手、西側に進むとまずは公的式典の場である書院棟へ。最初にあるのが三の間。城主や家老に用向きの場合、基本的にはこの間に通され要件を済ましていた。桃の節句は過ぎたところだが、女の子の健やかな成長を願うつるし飾り(つるし雛)が飾られており、美しい。<br /><br />また、南側の畳敷きの廊下には報刻の大太鼓も置かれている。1855年に制作されたもので、明治の中頃までは実際に時を告げていた。1992年の張り替え時に発見された胴内の記述により、それまでにも何度か皮の張り替えが行われていたことが判明した。胴枠には、直径90㎝、長さ100㎝、胴回り333㎝の樹齢約600年のけやきが使われている。<br /><br />三の間の奥に、城主と謁見できる身分の高い者だけが通された次の間が続き、右手に城主が藩の政治を司った公的な部屋である御書院上の間がある。框を入れ、畳を敷いた床の間と脇に違い棚が設けられている。右手には書院を略した障子窓がある。掛けられている打掛は普段は三の間に掛けられているらしい。<br /><br />次は書院棟北側の藩主の公邸であった小書院棟へ。小書院、次の間、長囲炉裏の間と並ぶ。小書院は藩主が政務を離れてくつろいだ私的な部屋。2018年に開催された第52回全国建具展示会で最高賞の内閣総理大臣賞を受賞した掛川市佐次本木工の木製建具「和(やわらぎ)」が展示されていた。<br /><br />次の間を抜けて長囲炉裏の間へ。城主あるいはその奥方が使用した部屋。天井には太田家正紋の桔梗紋と替紋の鏑矢紋が彫られている。展示されている甲冑は歌手・俳優の杉良太郎さんが寄贈されたもので、1700年代に掛川城主を務めた松平遠江守忠喬と太田摂津守資俊のものと云う。<br /><br />ここで折り返し、東側の藩内の政務を司る諸役所の建物を戻る。最初に足軽玄関があり、詰所や各役割毎の部屋が続くが、板張りの部屋や畳敷きの部屋が続くだけで何と云うほどのものはない。廊下に飾られた竹灯篭は美しかった。<br /><br />式台玄関の奥の部分にある張役所、賄方、御文証、御文庫などの部屋には様々なものが展示されている。徳川家広、津川雅彦、仁科亜希子、豊川悦司、吉川晃司、八嶋智人、本上まなみ、東山紀之、大島優子、松阪桃李、岡田将生、中村勘九郎、春風亭昇太、ずん 飯尾和樹などのサイン色紙、随臣の人形、掛川城模型、大名行列人形、槍など。<br /><br />最後に藩へ用事のある者の用件の取り次ぎや、談合・会議などの際に使用した御談の間を抜けて玄関に戻る。この部屋にはつまようじの掛川城御殿と天守閣が展示されていた。つまようじアート作家の高柳智雄氏の作品で、天守と御殿で1万本以上のようじを使い、半年以上の製作期間をかけ作られたもの。<br /><br />最後に御殿の周りをひと廻り。見上げる天守閣が素晴らしい。<br />https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9995879467148654&amp;type=1&amp;l=223fe1adec<br /><br /><br />二の丸茶室へ向かうが、続く

静岡 掛川城御殿(Kakegawa Castel Palace,Kakegawa,Shizuoka,Japan)

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2022/03/13 - 2022/03/13

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ちふゆ

ちふゆさん

2022年3月13日(日)朝の9時過ぎ、掛川城天守閣から二の丸に降りて来る。1861年に再建された御殿が現存しており、内部を見学できる。御殿は、儀式・公式対面などの藩の公的式典の場、藩主の公邸、藩内の政務を司る役所という3つの機能を合わせ持った施設。

現存する城郭御殿としては、京都の二条城など全国で4ヶ所しかない貴重な建築物。特に二の丸御殿が残っているのは二条城と掛川城しかない。書院造りと呼ばれる建築様式で、畳を敷き詰めた多くの部屋が連なり、各部屋は襖で仕切られている。

当初は本丸に作られたが、老朽化や被災により二の丸に移った。現存する御殿は、1854年の安政東海地震で倒壊した後、時の城主太田資功によって、その翌年から1861年に掛けて再建されたもの。

1855年から1869年(明治2年)までの14年間は掛川藩の政務所として使われたが、廃城と同時に勤番所と徳川家兵学校に転用される。廃藩置県とともに掛川宿に無償下附され聚学所となり、その後も、女学校、掛川町役場、掛川市庁舎、農協、消防署などに転用され続けた。

1972年から75年まで、江戸時代の藩の政治や大名の生活が偲ばれる貴重な建物として保存修理が実施され、1980年に国の重要文化財に指定された。

この御殿は7棟からなる書院造で、部屋はそれぞれの用途に応じ約20部屋に分かれている。最も重要な対面儀式が行われる書院棟は、主室の御書院上の間と謁見者の控える次の間・三の間からなる。藩主の公邸の小書院棟は、藩主執務室である小書院と、藩主の居間として使われた長囲炉裏の間からなる。

東側は藩政をつかさどる諸役所の建物で、目付・奉行などの役職の部屋、警護の詰所、帳簿付けの賄方、書類の倉庫である御文証などがある。小書院棟の北側には勝手台所があったが明治時代に撤去された。

南東部にある式台玄関から内部に入る。江戸時代には身分によって入口が異なっており、この式台玄関を利用出来たのは藩主と城代家老のみで、他の家老や中級武士は式台玄関の東側から、下級武士の足軽は北側の土間から出入りしていた。

玄関はむくり屋根で威厳を示し、破風下には火伏せの蕪懸魚が付けられている。中の広間には徳川家康と山内一豊の甲冑が並んで飾られている。この2ヶ月ほど前(2022年1月)に、御殿の奥にある二の丸茶室で将棋の王将戦の第1局が行われたが、スポーツ紙の正月版で王将戦PRのために渡辺明三冠と藤井聡太四冠がこの甲冑を着用し話題になった。

玄関広間の左手、西側に進むとまずは公的式典の場である書院棟へ。最初にあるのが三の間。城主や家老に用向きの場合、基本的にはこの間に通され要件を済ましていた。桃の節句は過ぎたところだが、女の子の健やかな成長を願うつるし飾り(つるし雛)が飾られており、美しい。

また、南側の畳敷きの廊下には報刻の大太鼓も置かれている。1855年に制作されたもので、明治の中頃までは実際に時を告げていた。1992年の張り替え時に発見された胴内の記述により、それまでにも何度か皮の張り替えが行われていたことが判明した。胴枠には、直径90㎝、長さ100㎝、胴回り333㎝の樹齢約600年のけやきが使われている。

三の間の奥に、城主と謁見できる身分の高い者だけが通された次の間が続き、右手に城主が藩の政治を司った公的な部屋である御書院上の間がある。框を入れ、畳を敷いた床の間と脇に違い棚が設けられている。右手には書院を略した障子窓がある。掛けられている打掛は普段は三の間に掛けられているらしい。

次は書院棟北側の藩主の公邸であった小書院棟へ。小書院、次の間、長囲炉裏の間と並ぶ。小書院は藩主が政務を離れてくつろいだ私的な部屋。2018年に開催された第52回全国建具展示会で最高賞の内閣総理大臣賞を受賞した掛川市佐次本木工の木製建具「和(やわらぎ)」が展示されていた。

次の間を抜けて長囲炉裏の間へ。城主あるいはその奥方が使用した部屋。天井には太田家正紋の桔梗紋と替紋の鏑矢紋が彫られている。展示されている甲冑は歌手・俳優の杉良太郎さんが寄贈されたもので、1700年代に掛川城主を務めた松平遠江守忠喬と太田摂津守資俊のものと云う。

ここで折り返し、東側の藩内の政務を司る諸役所の建物を戻る。最初に足軽玄関があり、詰所や各役割毎の部屋が続くが、板張りの部屋や畳敷きの部屋が続くだけで何と云うほどのものはない。廊下に飾られた竹灯篭は美しかった。

式台玄関の奥の部分にある張役所、賄方、御文証、御文庫などの部屋には様々なものが展示されている。徳川家広、津川雅彦、仁科亜希子、豊川悦司、吉川晃司、八嶋智人、本上まなみ、東山紀之、大島優子、松阪桃李、岡田将生、中村勘九郎、春風亭昇太、ずん 飯尾和樹などのサイン色紙、随臣の人形、掛川城模型、大名行列人形、槍など。

最後に藩へ用事のある者の用件の取り次ぎや、談合・会議などの際に使用した御談の間を抜けて玄関に戻る。この部屋にはつまようじの掛川城御殿と天守閣が展示されていた。つまようじアート作家の高柳智雄氏の作品で、天守と御殿で1万本以上のようじを使い、半年以上の製作期間をかけ作られたもの。

最後に御殿の周りをひと廻り。見上げる天守閣が素晴らしい。
https://www.facebook.com/media/set/?set=a.9995879467148654&type=1&l=223fe1adec


二の丸茶室へ向かうが、続く

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